前出塞九首 其九 杜甫
天宝10載751年 40歳
前出塞九首 其九
從軍十年餘,能無分寸功?
自分は十年あまりもいくさに従っている、なんで、すこしの功でも無いということがあるのか。
眾人貴苟得,欲語羞雷同。
多くの人々はだれでも自分の得になりさえすればよいと功を争うことを貴(たっと)しとしている、自分の功を口に出そうかとはおもうが、尻馬に乗るようだからそれを恥じてなんにもいわずにいる。
中原有鬥爭,況在狄與戎?
文明と呼ばれる本国の地でさえ闘いのあるものを、まして西方や北方の異民族に於いてはなおさらのことではないか。
丈夫四方誌,安可辭固窮?
丈夫たるものは四方に対して勇敢果決さを示し服従させる志のあるものである。どうして困窮なことがあろうともそれを辞することができようか、甘んじて意気を示すべきである。
自分は十年あまりもいくさに従っている、なんで、すこしの功でも無いということがあるのか。
多くの人々はだれでも自分の得になりさえすればよいと功を争うことを貴(たっと)しとしている、自分の功を口に出そうかとはおもうが、尻馬に乗るようだからそれを恥じてなんにもいわずにいる。
文明と呼ばれる本国の地でさえ闘いのあるものを、まして西方や北方の異民族に於いてはなおさらのことではないか。
丈夫たるものは四方に対して勇敢果決さを示し服従させる志のあるものである。どうして困窮なことがあろうともそれを辞することができようか、甘んじて意気を示すべきである。
軍に従うこと十年余 能く分寸の功無からんや
衆人苟(いやしく)も得るを貴ぶ 語らんと欲して雷同を羞ず
中原にすら闘争有り 況んや秋と戎とに在るをや
丈夫 四方の志 安(いずく)んぞ固窮を辞す可けん
從軍十年餘,能無分寸功?
自分は十年あまりもいくさに従っている、なんで、すこしの功でも無いということがあるのか。
○能無 能は豈に似て、反語によむ。〇分寸 すこし。
眾人貴苟得,欲語羞雷同。
多くの人々はだれでも自分の得になりさえすればよいと功を争うことを貴(たっと)しとしている、自分の功を口に出そうかとはおもうが、尻馬に乗るようだからそれを恥じてなんにもいわずにいる。
○筍得 かりにも利得にさえなればよいとする。 ○雷同 雷音の発生するとき、諸物は同時にこれに応じて起こる。故に他人にあいづちをうつことを雷同という。尻馬に乗る。
中原有鬥爭,況在狄與戎?
文明と呼ばれる本国の地でさえ闘いのあるものを、まして西方や北方の異民族に於いてはなおさらのことではないか。
○中原 黄河流域。文明の開かれている中国の中央。○在 於いてというのに同じ。○狄、戎 西方や北方の異民族。
丈夫四方誌,安可辭固窮?
丈夫たるものは四方に対して勇敢果決さを示し服従させる志のあるものである。どうして困窮なことがあろうともそれを辞することができようか、甘んじて意気を示すべきである。
〇四方 杜甫「北征」四方服勇決。(四方 勇決に服す。-四方の国々は勇敢果決さに服従している。)回紇、吐蕃などに対して勇敢果決さを志すことを示す。○固窮 「論語」衛霊2公に「君子固ヨリ窮ス」とあり、もとより困窮すること。
出塞のものがたり 9
其一で初めて出征するものの心細さを詠ったのであるが、其八、其九では少しの手柄を立てるのは当たり前で、異民族に対し、勇敢果決を志すことが大切なことだといっている。士官のための即興の詩を披露したのであろう。しかし、宮廷には、表側では、李林甫が、その裏では、宦官の高力氏が牛耳っていたので、難しかったのだ。
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- 2012/05/17(木) 20:55:03|
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前出塞九首 其八 杜甫
天宝10載751年 40歳
前出塞九首 其八
單於寇我壘,百裡風塵昏。
敵の吐蕃の王が急襲して攻め入ってきた、百里もあるばかりのあいだ蹴立てる塵で真っ暗になった。
雄劍四五動,彼軍為我奔。
雄劍という長剣を敵に向けて四、五回振り動かした、このはたらきによって敵軍は奔走して行った。
虜其名王歸,繫頸授轅門。
そのことで敵の名王を捕虜にして帰ったのだ、王の首を縄でくくって我が軍門にひきわたした。
潛身備行列,一勝何足論?
そしてこっそり行列のなかへからだをこっそりひっこめている。一度の勝ったぐらいでどうだというのだ、全勝を得るまでは得意になってはならないのだ。
敵の吐蕃の王が急襲して攻め入ってきた、百里もあるばかりのあいだ蹴立てる塵で真っ暗になった。
雄劍という長剣を敵に向けて四、五回振り動かした、このはたらきによって敵軍は奔走して行った。
そのことで敵の名王を捕虜にして帰ったのだ、王の首を縄でくくって我が軍門にひきわたした。
そしてこっそり行列のなかへからだをこっそりひっこめている。一度の勝ったぐらいでどうだというのだ、全勝を得るまでは得意になってはならないのだ。
前出塞九首 其の八
単干我が壘に寇す 百里風塵昏し
雄剣四五動き 彼の軍我が為めに奔る
其の名王を虜にして帰り 頸を繋ぎて轅門に授く
身を潜めて行列に備わる 一勝何ぞ論ずるに足らん
單於寇我壘,百裡風塵昏。
敵の吐蕃の王が急襲して攻め入ってきた、百里もあるばかりのあいだ蹴立てる塵で真っ暗になった。
○単干 匈奴の酋長、ここは吐蕃の王をいう。○壘 防塁。 ○冠 急襲して攻め入る、こちらへ侵入してくる。
雄劍四五動,彼軍為我奔。
雄劍という長剣を敵に向けて四、五回振り動かした、このはたらきによって敵軍は奔走して行った。
○雄剣 ウィキペディアには次の通りである。干将・莫耶(かんしょう・ばくや。干将は本来干將。莫耶は莫邪とも)とは、中国における名剣、もしくはその剣の製作者である夫婦の名である。剣については干将が陽剣(雄剣)、莫耶が陰剣(雌剣)である(この陰陽は陰陽説に基づくものであるため、善悪ではない)。また、干将は亀裂模様(龜文)、莫耶は水波模様(漫理)が剣に浮かんでいたとされる(『呉越春秋』による)。なお、この剣は作成経緯から、鋳剣(鋳造によって作成された剣)である。〇四五動 四、五回振り動かす。
虜其名王歸,繫頸授轅門。
そのことで敵の名王を捕虜にして帰ったのだ、王の首を縄でくくって我が軍門にひきわたした。
○其 単干の軍をさす。○名王 単干の部下の有名な王。○繋頸 くびを縄でつなぐ。○授 ひきわたすことをいう。○轅門 軍営の門、むかしは陣営の門は車の柁棒をむかい合わせにならべてつくるという。
潛身備行列,一勝何足論?
そしてこっそり行列のなかへからだをこっそりひっこめている。一度の勝ったぐらいでどうだというのだ、全勝を得るまでは得意になってはならないのだ。
○潜身 からだをこっそりひっこめる。〇備行列 部隊の行列のなかへくわわっている。○何足論 論じてことごとしくいいたてるに足らぬ、これは全勝を得るまでは得意にならぬことをいう。
出塞のものがたり 8
騎馬民族の戦法は奇襲戦にあったのであろうが、との戦いに対して、長剣は有効な武器であっただろう。馬の足を拂われそうで、逃げていったのもよくわかる。
かわいた砂漠に防塁を築いている。敵からすれば騎馬で一気に乗り越えようとする奇襲したのである。紀元前の春秋戦国の時代の名剣の威力は実績済みのものだ。
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- 2012/05/17(木) 20:50:10|
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前出塞九首 其七 杜甫
天宝10載751年 40歳
前出塞九首 其七
驅馬天雨雪,軍行入高山。
我が軍隊が馬を駆ってでかけると天から雪がふってきた。このとき軍隊は高い山の中へ入ってきたのだ。
逕危抱寒石,指落曾冰間。
あぶなそうな山中の細道は冬の石を抱いている、指が凍傷にかかって冰層の割れ目に落ちていった。
已去漢月遠,何時築城還?
もはや本国をはなれてから唐の本国で見る月とは遠く隔たってきた、いったいいつになったらここに築城し終えてかえることができるのだろう。
浮雲暮南徵,可望不可攀。
大空に浮んだ雲は夕方になると南故郷の方へと移り行った、それは眺めることだけのことで攀じ登ることができないのである。
我が軍隊が馬を駆ってでかけると天から雪がふってきた。このとき軍隊は高い山の中へ入ってきたのだ。
あぶなそうな山中の細道は冬の石を抱いている、指が凍傷にかかって冰層の割れ目に落ちていった。
もはや本国をはなれてから唐の本国で見る月とは遠く隔たってきた、いったいいつになったらここに築城し終えてかえることができるのだろう。
大空に浮んだ雲は夕方になると南故郷の方へと移り行った、それは眺めることだけのことで攀じ登ることができないのである。
馬を駆れば天雪を雨らす、軍行いて高山に入る。
逕危くして寒石を抱く、指は落つ曾氷の間。
己に去って漢月遠し、何の時か城を築きて還らん。
浮雲碁に南に征く、望む可くして攀ず可からず。
驅馬天雨雪,軍行入高山。
我が軍隊が馬を駆ってでかけると天から雪がふってきた。このとき軍隊は高い山の中へ入ってきたのだ。
・雨 空からあめの降るようにふる。 人に施しを与える。
逕危抱寒石,指落曾冰間。
あぶなそうな山中の細道は冬の石を抱いている、指が凍傷にかかって冰層の割れ目に落ちていった。
・逕 細道。こみち。 ・抱 崖の土が石をはらんで今にもおちそうにある。・指落 凍傷にかかっておちる。○曾冰 曾は層と同じ、つみかさなった氷。
已去漢月遠,何時築城還?
もはや本国をはなれてから唐の本国で見る月とは遠く隔たってきた、いったいいつになったらここに築城し終えてかえることができるのだろう。
○去 離れ去る。○漢月 漢の月とは唐の月、本国の月をいう。
浮雲暮南徵,可望不可攀。
大空に浮んだ雲は夕方になると南故郷の方へと移り行った、それは眺めることだけのことで攀じ登ることができないのである。
○南征 南とは故郷のある方位、征はゆくこと。○攀 よじのぼる、よじのぼることができたら南へつれていってもらう。
出塞のものがたり
751年天宝十年、杜甫はすでに四十歳になった。前年には長男の宗文が生まれており、杜甫の心の中には、ここらでどうしても仕官しなければ、という焦りがあった。この年「三大礼の賦」を作り、投書箱を通して直接に天子に奉っている。
この投書箱は則天武后のときに作られた制度によるもので、その箱には四面に口があり、東は「延恩」、西は「伸冤」、南は「招諌」、北は「通玄」と名づけられており、自分の才能を信じて立身を願う者は、このうち「延恩」の口にその作品を投ずるというものであった。
経済的に追いつめられた杜甫の求職運動はますます激しく、誰彼の見さかいもなく高位高官のもとを訪れ、その推挙を依頼してまわっている。たとえば、753年天宝十二年には、楊国忠にこの頃、京兆尹(長安市長)に引き上げてもらい、成り上がりの鮮干仲通に詩を奉り、宰相の楊国忠に推薦してくれるように頼んでいる。
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/05/17(木) 20:48:07|
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前出塞九首 其六 杜甫
天宝10載751年 40歳
前出塞九首 其六 杜甫45
前出塞九首 其六
挽弓當挽強,用箭當用長;
弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。
射人先射馬,擒賊先擒王。
意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
殺人亦有限,列國自有疆。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
苟能製侵陵,豈在多殺傷?
いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。
弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。
弓を挽(ひ)かば当に強きを挽くべし、箭(や)を用いは当に長きを用うべし、人を射ば先ず馬を射よ。敵を擒(とりこ)にせば先ず王を檎にせよ
人を殺すも亦た限り有り、国を立つるに自ら疆(きょう)有り。
苛も能く侵陵(しんりょう)を制せば、豈多く殺傷するに在らんや。
挽弓當挽強,用箭當用長;射人先射馬,擒賊先擒王。
弓をひくなら強い弓をひく方が良い。箭を用いるなら長い箭を用いないといけない。意中の人を射るなら先ず馬を射たおすのである、敵どもをいけどりにするなら先ず王さまをいけどりにして大義、戦意をなくことだ。
○強 つよい弓。○長 ながいや。○檎 いけとりにする、初めの四句においでは「檎王」の句が主であり、前三句はこれを言うためのまえおきである。
殺人亦有限,列國自有疆。
攻め込んだとしても人を殺すことについては限界をもうけ、みなは殺しをしてはいけない。国同士の戦争でもおなじはずだ。国にはおのずからそれぞれの間で自然とと国疆というものがあるのであり、範囲はきまっているのだ。
○殺人 戦争による殺戮。 ○有限 一定の限界がある、人はことごとく殺しつくせるわけのものでない。 ○彊 くにざかい。○制 抑制する、制限する。
苟能製侵陵,豈在多殺傷?
いやしくもそれはただ、敵が侵してくるのを抑制することができればよいのであって、敵を多く殺傷することに目的があってはいけない。
○侵陵 陵は濠に通じ、しのぐ。敵国からの侵略をしのぐ。○豈在 在とは戦争の目的がそこに存在するということ。
出塞兵士の物語 6
防衛のための戦争にとどめるべきで、侵略し、略奪、殺戮が目的化してはいけない。最新兵器、戦略練って、その戦力を圧倒して、守るのであれば、おおきな血は流されないで済むのではないか。
将を射んと欲すればまず馬を射よ。生け捕りをするなら王を生け捕れ。セオリーを守れ、と杜甫は述べたのではない。個々の兵士たちに家族がある。守るための戦いにとどめたら少しでも、死ぬ人間が少ないものにとどめるべきだといっている。
唐の体制について
均田制・府兵制の両制度の実施には戸籍が必要不可欠であったが、685年ごろ武則天期になると解禁された大地主による兼併や高利貸によって窮迫した農民が土地を捨てて逃亡する(逃戸と呼ばれる)事例が急増した。事前通告しない土地の売買を解禁したため、売買が急激にがふえたのだ。戸籍の正確な把握が困難になっていった。また、華北地域では秋耕の定着による2年3作方式が確立され、農作業の通年化・集約化及びそれらを基盤とした生産力の増大が進展したことによって、期間中は農作業が困難となる兵役に対する農民の嫌気が増大していった。かくして735年均田・租庸調制と府兵制は破綻をきたし、代わる税制・兵制が必要となる。
辺境において実施された藩鎮・募兵制は、府兵制は徴兵により兵役に就かせたのに対して、徴収した土地の租税の一部を基に兵士を雇い入れる制度である。710年に安西四鎮(天山山脈南路の防衛)を置いたのを初めとして719年までに10の藩鎮を設置している。当初は辺境地域にしか置かれていない。ここに節度使の権力、資力の集約が始まるのである。
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- 2012/05/17(木) 20:45:39|
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前出塞九首 其五 杜甫
天宝10載751年 40歳
前出塞九首其五
迢迢萬裡餘,領我赴三軍。
はるばると万里あまりもはなれた地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
軍中異苦樂,主將寧盡聞?
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
隔河見胡騎,倏忽數百群。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
我始為奴樸,幾時樹功勛?
これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。
はるばると万里あまりもはなれた地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。
迢迢万里余、我を領して三軍に赴く。
軍中苦楽異なり、主将寧ぞ尽(ことごと)く聞かんや
河を隔てて胡騎を見る、倏忽(しゅくこつ)数百羣。
我始めて奴僕たり 幾時か功勲を樹てん
迢迢萬裡餘,領我赴三軍。
はるばると万里あまりもも地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
○迢迢 はるばる。○領我 自分をひきつれて。〇三軍 軍制は上・中・下の三軍に分れて構成されていた。ここは主将の居る本隊をさす。
軍中異苦樂,主將寧盡聞?
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
○異苦楽 兵卒たる者はその部隊長の人物如何によって苦と楽とのちがいがあるが、この句から判断するとこの戍卒の属していた人は主将・隊長としていい人物ではなかったので苦労の多かったということだろう。○主将 総司令官。○聞 苦楽の状を聞きしる。
隔河見胡騎,倏忽數百群。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
○隔河 河は交河、土魯番の西にある。○胡騎 えびす、吐蕃の騎兵。○倏 たちまち。
我始為奴樸,幾時樹功勛?
これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。
○始 やっと今。○為奴僕 「漢書」の公孫弘伝賛に「衛青奴僕より奮う」とあり、武帝の大将軍衛青は奴僕の賤しい身分からふるいおこって栄達したといっている。○幾時 何時と同じ。○功勲 手柄を立てる。いさおし。
出塞兵士の物語 5
出征した兵士たちの部隊によって、扱いが違ったようだ。部隊長の力関係が大きく影響する。すべての基本が弱肉強食の時代である。違いは極端なものであってもおかしくなかったであろう。違いがあるほどコントロールしやすいからである。
抜け駆けしてでも手柄を立てたいと競い合わせたのある。生活様式の違う異民族との戦い。別の表現では、農耕民族と、遊牧民族・騎馬民族の戦いである。農耕民族はだらだらと隊を集結させるが、騎馬民族は、「瞬く間に群をなした」としているが、初めて、騎馬民族の戦い方を見たものは、その様相だけでも震え上がったとされる。
唐の税制・兵制
税制は北周時代から均田制・租庸調制であり、兵制は府兵制であった。この両制度は車の両輪で相互不可分な制度なのである。
均田制は労働に耐えうる青年男性一人につき、相続が許されるな土地が20畝まで認められ、割り当ての口分田は死亡や定年60歳になると国家に返却する土地を可能な範囲最大80畝まで支給された。また職分田(これは辞職した時に返却する)。丁男がいない戸、商工業者、僧侶・道士などの特別な戸に対してもそれぞれ支給量が決められていた。そこから生産されるものに対して、租庸調と呼ばれる税を納めるのである。租は粟(穀物)2石、調は絹2丈と綿3両を収め、年間20日の労役の義務があり、免除して貰うためには、労役一日に対し絹3尺あるいは布3.75尺を収めることになっていた。
田地を貸し与えるために戸籍制度が出来上がった。府兵制はこれらの戸籍に基づいて3年に1度、丁男に対して徴兵の義務を負わせた。
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- 2012/05/17(木) 20:42:04|
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前出塞九首 其四 杜甫
天宝10載 751年 40歳
其四
送徒既有長,遠戍亦有身。
我々戍卒を送ってゆくには隊長というものがあるが、千里の遠方へ守りに出かける我々にはまた我々のたいせつな身体というものがある。
生死向前去,不勞吏怒嗔。
我々は自分の意志で生死にかかわらず前に向って進むのである。隊長の吏からおこりつけられることなどいらぬことである。
路逢相識人,附書與六親。
たまたま路で知りあいのものに出遭った、その知り合いに家族への手紙をあずけたのだ。
哀哉兩決絕,不複同苦辛!
ああ哀しことである、これで両方の間のつながりがきれてしまうことになるのだ、もう一度一緒に艱難辛苦をともにしようとしてもできないのだ。
我々戍卒を送ってゆくには隊長というものがあるが、千里の遠方へ守りに出かける我々にはまた我々のたいせつな身体というものがある。
我々は自分の意志で生死にかかわらず前に向って進むのである。隊長の吏からおこりつけられることなどいらぬことである。
たまたま路で知りあいのものに出遭った、その知り合いに家族への手紙をあずけたのだ。
ああ哀しことである、これで両方の間のつながりがきれてしまうことになるのだ、もう一度一緒に艱難辛苦をともにしようとしてもできないのだ。
徒を送るに既に長あり 遠く戍まもるに亦た身あり
生死前に向って去る 吏の怒噴することを労せず
路に相識の人に逢う 書を附して六親に与う
哀い哉両ふたつながら決絶す 復た苦辛を同じくせず
送徒既有長,遠戍亦有身。
我々戍卒を送ってゆくには隊長というものがあるが、千里の遠方へ守りに出かける我々にはまた我々のたいせつな身体というものがある。
○送徒 徒は徒旅の徒、戍卒をいう。送とはこれを引きつれて吐蕃の方へ送りとどけること。○長 かしら、引率者。○遠戍 遠地のまもりにゆく。○身 身体、自己の身体をいう。遠隔地の守りにつくための引率の隊長に対して不平不満が爆発する寸前になる、奴隷のようにやたらに鞭などあてられてはならないというのである。
生死向前去,不勞吏怒嗔。
我々は自分の意志で生死にかかわらず前に向って進むのである。隊長の吏からおこりつけられることなどいらぬことである。
○生死 生死にかかわらずの意。○向前 前方へと。○不労 労はわずらわす、苦労をかける。○吏 軍吏、即ち上句の「長」と同じ人。 杜甫に吏につぃてに三首がある。「石壕吏」石壕の村で役人が河陽へゆくべき人夫を徴発するとき、こどもを二人まで戦死させた老婦人が乳のみの愛孫を家にのこし、その夫の老翁に代って出かけることをのべた詩。製作時は前詩に同じ乾元2年759年48歳、「新安吏」乾元元年冬末、華州をはなれて洛陽に至り、二年に洛陽より華州にかえるとき、途上において新安の吏と問答の詩。「潼関吏」官軍は相州を囲んで敗れたために、潼関を修理、防禦築城の場所をすぎ、役人と問答の詩。○噴 気を盛んにしていかる。吏がいかるのは途中で立ち話をしたり手紙をたのんだりするのについてであろう。
路逢相識人,附書與六親。
たまたま路で知りあいのものに出遭った、その知り合いに家族への手紙をあずけたのだ。
○相識人 ふだん知りあいの人。○附書 附は附託、書はてがみ。〇六親 父母兄弟妻子をいう。′
哀哉兩決絕,不複同苦辛!
ああ哀しことである、これで両方の間のつながりがきれてしまうことになるのだ、もう一度一緒に艱難辛苦をともにしようとしてもできないのだ。
〇両 六親の方と彼によるつながりの両方。○決絕 わかれきる。完全に切れること。○復 ふたたび。○同苦辛 艱難辛苦をともにする。
出塞兵士の物語 4
武器、兵車と生活物資のすべてを運ぶのである。兵士は隊列を組んで行進するわけではない。イメージとしては避難民の行列の方が近いかもしれない。勝手な動きをされては困るので隊長の吏は鞭をもって指図するわけである。それは、長安の街の中でも見たことであった。
家族と離れ、国に命を預けて出征するものでも奴隷のように鞭で追われるように指図を受けて不満もないというわけにはいかない。
隊長の吏としては、日程通りに進んでくれないといけないし、勝手に休憩するし、知り合いと出会えば長話をする。怒鳴るように指示をしても鞭を振り上げないと云うことを聞かない。異民族からの侵略に対して守りにつくのであり、もう一つはシルクロードの守りにあるのである。長安は国際都市であった。
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- 2012/05/17(木) 20:39:46|
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前出塞九首 其三 杜甫
五言律詩
其三
磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。
隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。
欲輕腸斷聲,心緒亂已久。
自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。
丈夫誓許國,憤惋複何有?
大丈夫たるものが心に誓って国のために心身をささげる以上は、憤りうらむべき理由などありはしない。
功名圖麒麟,戰骨當速朽。
麒麟閣に勲功者が画かれている。すぐにでも奮って戦場へでかけて朽ち果てようではないか。
隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。
自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。
大丈夫たるものが心に誓って国のために心身をささげる以上は、憤りうらむべき理由などありはしない。
麒麟閣に勲功者が画かれている。すぐにでも奮って戦場へでかけて朽ち果てようではないか。
刀を嗚咽の水に磨けばけば、水赤くして刃手を傷く。
腸断の声を軽んぜんと欲するも、心緒乱るること己に久し。
丈夫誓って国に許す、憤惋復た何ぞ有らん。
功名麒麟に図せられん、戦骨当に速に朽つべし。
磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。
隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。
○鳴咽水、腸断声 「三秦記」にいう「隴山の頂に泉有りて、清水四に注ぐ、東のかた秦川を望めば四五里なるが如し。俗歌に『陣頭の流水、鳴声幽咽す。遙かに秦川を望めば、肝腸断絶す』という」と。隴山は今の陝西省鳳翔府隴州の北西にあって、ここを経て甘粛省の方へ赴くが、長安地方の眺望がこれよりみえなくなる様子を詠った歌である。鳴咽の水とはむせびなくような水流をいう。腸断声とは水自身に人をして腸をたたしめるような声のあることをいう。○水赤刃傷手 事実は刃が手をきずつけるから血が染まって水が赤くなるのであるが、我々がであう経験からすれば水が赤いのではっとおどろいてみると刃が手をきずつけていることが知られるということになる。
欲輕腸斷聲,心緒亂已久。
自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。(それがつい誤って手をきずつけさせたのだ。)
○軽 軽く視る、なんでもないものと見なそうとすること。○心緒 さまざまのものおもい。このものおもいのみだれが手をきずつけたわけである。
丈夫誓許國,憤惋複何有?
大丈夫たるものが心に誓って国のために心身をささげる以上は、憤りうらむべき理由などありはしない。
○丈夫 ますらお、自ずからをいう。○許国 心身をささげることを国に対して許す。よいとする。○憤椀 いきどおり、おどろきうらむ。
功名圖麒麟,戰骨當速朽。
麒麟閣に勲功者が画かれている。すぐにでも奮って戦場へでかけて朽ち果てようではないか。
○功名 自己の戦功をたでた名。○図 画かれること。○戰骨當速朽 戦死したあとの骨など速にくちはつるがいい、骨はくちても芳名が千歳にのこるのだ。
○麒麟 宮殿閣の名。漢の宜帝の甘露三年に大将軍容光ら十二人を麒麟閣にえがいた。
出塞兵士の物語 3
戦場で骨は朽ち果て土に帰るが、手柄を立てれば、その名はいつまでも残る。国のために心身を捧げものは、女々しくするものではない。
詩の場所は、長安からスタートしたシルクロードを西に進む。河川が急激に急流になる。滝のような場所もたくさんある。轟音を立てて流れる。標高2000mを超える峠まで、両岸は切り立っている。
出征した兵士のほとんどは、こんな嶮しいところは初めてである。それでなくても都から離れていくし、さびしくなるうえにむせび泣く声の水流の音、はらわたを断ち切るような水流の音などにより、かなり追い詰められていく様子を詠いあげている。
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- 2012/05/16(水) 20:37:35|
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前出塞九首 其二 杜甫
五言律詩
前出塞九首 其二
出門日已遠,不受徒旅欺。
我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
骨肉恩豈斷?男兒死無時。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
走馬脫轡頭,手中挑青絲。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
捷下萬仞岡,俯身試搴旗。
すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。
我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。
門を出でて日に己に遠し、 徒旅の欺(あなどり)を受けず。
骨肉恩豈に断えんや、 男児死するに時無し。
馬を走らせて轡頭(ひとう)を脫し、手中に青糸を挑(かか)げ。
捷(と)く万仞(ばんじん)の岡より下り、身を俯して試に旗を搴(むきと)る。
出門日已遠,不受徒旅欺。
我が家の門を出てから日に日に距離が遠くなってきた、陣中の仕事も仲間のあなどりをも受けぬようになる。
出門:門は家の門。 徒旅:徒は成卒、旅とは衆。衆卒を徒旅という、なかまのもの。 欺:だますことではなく、あなどること。こばかにされる。
骨肉恩豈斷?男兒死無時。
親子兄弟の恩愛の情はどんなときでも断ちきれるものではないのであるが、戦に出た男児は死ぬ時をえらばないものである。
骨肉:親子兄弟。 恩豊断:ふりきろうとしても実はたちきれぬことをいう。 無時:一定の時のないことをいう、いつでも死すべき時には死なねばならぬの意。
走馬脫轡頭,手中挑青絲。
自分は馬を走らせておもづらのはなかわをはずして青糸の手綱を手中に手繰り上げた。
脱轡頭:轡頭とは馬韁(ばきゅう馬のはなかわ、おもづら)のこと。脱とは蓋しかけてある鐶から馬韁をはずすことであろう。 青糸:これは轡頭からつづく手綱をいう。
捷下萬仞岡,俯身試搴旗。
すばやく万仞の高い岡からかけくだり、地面に身を俯せながら旗を抜き取る稽古をしてみる。
捷:はやく。仞:八尺。 俯:身からだを地面へむけてうつむく。
出塞兵士の物語 2
この当時の唐の国は、世界一の領土を誇った強大な国であった。国の制度も、律令国家として、最も進んだくにであった。租庸調の人民への負担と貿易など国力は周辺諸国を圧倒していた。しかし、北方と、西方については、生活様式の違いが大きく唐への帰属(漢化)はなかなかできないものであり、周辺の局地戦は、季節が巡るように繰り返された。広大な領土を守るため、常時兵力補充が行われた。
戦で勲功をあげれば、出身がなんであろうと出世した。徴兵によって狩出されたものが勲功をあげることはなく、異民族、騎馬民族出身者が、手柄を立てのし上がっていったのである。哥舒翰、安禄山など異民族出身者である。
杜甫の出塞九首は、その名もない兵士の物語なのだ。第二話は、訓練をしてやっと仲間の兵士から小ばかにされなくなったところまでである。
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- 2012/05/15(火) 20:35:44|
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「前出塞九首 其一」 杜甫
751年天宝10載 40歳
〔詩の背景〕
・正月、三大礼行なわれる。
(楊貴妃にのめりこみ宦官に任せる。李林甫の圧政)
・2月安禄山、河東節度使を兼ねる。
・4月鮮千仲通、南詔を討ち、高仙芝、大食を討つ
・8月、安禄山、契丹を討って、ともに大敗。
・均田・租庸調制と府兵制は崩壊(749年廃止)
・杜甫、長安にあり。三大礼賦を献ず。玄宗これを奇とし、命じて制を集賢院預かりになる。待機ということ。秋、瘧(おこり、間欠熱、マラリア)を病む。
〔詩題の説明〕前出塞九首
この詩は天宝の未年哥舒翰が吐蕃に兵を出して戦功を貪るのにつき、従軍者の立場でうたったものである。唐王朝は領土欲が特に強くこの時過去最大の領土を誇った。領土拡大は其の地の富を収奪・略奪することにあった。しかし、各都市の領地の管理負担は律令制度に托されて、人民、民衆の負担は大きかったのである。杜甫はこのことに義憤を抱いていた。
(前)出塞 九首 其一
戚戚去故裡,悠悠赴交河。
これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
公家有程期,亡命嬰禍羅。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
君已富士境,開邊一何多?
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
棄絕父母恩,吞聲行負戈。
天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。
これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。
(前)塞より出ず 九首 其の一
戚戚としで故里より去り、悠悠交河に赴く。
公家頼期有り、 亡命すれば禍羅に嬰る。
君己に上境に羅めり、 辺を開くこと一正何ぞ多き。
父母の恩を棄施し、 声を呑みて行くゆく曳を負う。
前出塞:あとに「後出塞」五首があり、「後」ができてからそれと区別するために「前」をつけ加えたもので、始めは単に「出塞」とあった。塞はほとりで、ここでは長城のことをいう、長城をこえて出るのにより出塞という。
戚戚去故裡,悠悠赴交河。
これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
戚戚:がまんをしておしだまっているため、ものしずかになる。うれえるさま。15歳から、40歳まで兵役がある(庸)。 故裡:故郷。○悠悠はるか。 交河:県の名、今の新疆ウィグル地区の土魯番の附近。
公家有程期,亡命嬰禍羅。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
公家:官家、おかみ。権力者。 程期:道程期限、何時までにどれほどの路をあるかねばならぬとのきまり。亡命:「命より亡する」義。命は名に同じ、姓名をかいた簿籍をいう。亡とは名籍から脱して逃亡することをいう。税と徴兵負担が大きかったので亡命者が多かった。与えられた耕作地を放棄するものが出始め、府兵制が崩れていく。ただ、徴兵がなくなるわけではない、傭兵に重点を置くだけで、農民への負担は変わりなかったのである。 禍羅:羅はあみのこと、禍のあみとは刑罰にふれることをいう。家族に災いが及ぶので、絶対服従状態である。
君已富士境,開邊一何多?
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
君:天子。 土境:領土。 開辺:辺境を成敗して開拓する。
棄絕父母恩,吞聲行負戈。
天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。
棄絶:ふりすてる。 吞声:すすりなきする、こえをたでぬ。曳:兵車をひく。ほこを引く。
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- 2012/05/14(月) 20:32:13|
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玉壺吟:雑言古詩 李白132
玉壺吟
烈士擊玉壺、壯心惜暮年。
烈士の志をもつ者は、いま玉壷を撃って詠い、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、しだいに老いてゆく年を惜しんでいる。
三杯拂劍舞秋月、忽然高詠涕泗漣。
酒におぼれず酒杯を重ねて剣を抜き払い、秋月のもとに立って舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
鳳凰初下紫泥詔、謁帝稱觴登御筵。
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
揄揚九重萬乘主、謔浪赤墀青瑣賢。
九重の宮中深く住まわれる皇帝陛下の、治世の御徳を賛え、宮廷の赤墀(せきち)・青瑣(せいさ)の場所で今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
朝天數換飛龍馬、敕賜珊瑚白玉鞭。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬を幾たびも取り換え、勅令により、珊瑚や白玉で飾った美しい鞭を賜わった。
世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。
世間の人々には、東方朔の才能、各いう私の才能が分からないが、「大隠者」として金馬門に隠棲している、これをもって、私こそ、「謫仙人」といわれるのだ。
西施宜笑復宜顰、醜女效之徒累身。
西施は、笑い顔も、しかめ顔も、ともに美しいが、醜女が真似をすれば、その甲斐もなく自分の価値をおとしめるだけなのだ。
君王雖愛蛾眉好、無奈宮中妒殺人。
ああ、わが君王はこの峨眉の美しさを愛しておられる、宮中の人々が西施をひどく妖妬するのを、どうすることもできないのだ。
烈士の志をもつ者は、いま玉壷を撃って詠い、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、しだいに老いてゆく年を惜しんでいる。
酒におぼれず酒杯を重ねて剣を抜き払い、秋月のもとに立って舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
九重の宮中深く住まわれる皇帝陛下の、治世の御徳を賛え、宮廷の赤墀(せきち)・青瑣(せいさ)の場所で今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬を幾たびも取り換え、勅令により、珊瑚や白玉で飾った美しい鞭を賜わった。
世間の人々には、東方朔の才能、各いう私の才能が分からないが、「大隠者」として金馬門に隠棲している、これをもって、私こそ、「謫仙人」といわれるのだ。
西施は、笑い顔も、しかめ顔も、ともに美しいが、醜女が真似をすれば、その甲斐もなく自分の価値をおとしめるだけなのだ。
ああ、わが君王はこの峨眉の美しさを愛しておられる、宮中の人々が西施をひどく妖妬するのを、どうすることもできないのだ。
(訓読み)
烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。
三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。
鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴さかずきを稱あげえて御筵に登る。
揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。
天に朝して數しばしば換う飛龍の馬、敕みことのりして賜う珊瑚の白玉の鞭。
世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。
西施 笑に宜しく復た顰ひんすること宜し、丑女は之に效ならいて徒いたずらに身を累くるしむ。
君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。
玉壷の吟。
○玉壷吟 「玉壷の吟」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。
烈士擊玉壺、壯心惜暮年。
烈士の志をもつ者は、いま玉壷を撃って詠い、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、しだいに老いてゆく年を惜しんでいる。
○烈士~暮年 晋の王敦は、酒に酔うといつも、「老驥(老いた駿馬)は櫪(馬小舎)に伏すも、志は千里に在り。烈士は莫年(暮年・老年)なるも、壮心已まず」(曹操「歩出夏門行」)と詠い、如意棒で痰壷をたたいたので、壷のロがみな欠けてしまった。(『世説新語』「豪爽、第十三」の四)。壯心:いさましい気持ち、壮大な志。
三杯拂劍舞秋月、忽然高詠涕泗漣。
酒におぼれず酒杯を重ねて剣を抜き払い、秋月のもとに立って舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
○三杯 故事「一杯(いっぱい)は人酒を飲む二杯は酒酒を飲む三杯は酒人を飲む」飲酒は、少量のときは自制できるが、杯を重ねるごとに乱れ、最後には正気を失ってしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒め。○涕泗 なみだ。「沸」は目から、「酒」は鼻から流れるもの。
鳳凰初下紫泥詔、謁帝稱觴登御筵。
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
○鳳凰初下紫泥詔 鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。○稱觴 觴(さかずき)を挙げる。○御筵 皇帝の設けた宴席。
揄揚九重萬乘主、謔浪赤墀青瑣賢。
九重の宮中深く住まわれる皇帝陛下の、治世の御徳を賛え、宮廷の赤墀(せきち)・青瑣(せいさ)の場所で今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
○揄揚 ほめたたえる。〇九重 宮城、皇居。天上の宮殿には九つの門がある、世界観が九であり、天もちも九に別れているそれぞれの門という伝承に基づく。○万乗 「天子」を意味する。多くの乗りもの。諸侯は千乗(台)の兵事、天子は万乗の兵事を出す土地を有する、という考えかた。○謔浪 自由自在にふざけ戯れる。○赤墀 宮殿に登る朱塗りの階段。○青瑣 宮殿の窓の縁を飾る瑣形の透かし彫りの紋様。青くぬってある。「赤墀・青瑣」は、宮殿や宮廷自体をも表わす。
朝天數換飛龍馬、敕賜珊瑚白玉鞭。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬を幾たびも取り換え、勅令により、珊瑚や白玉で飾った美しい鞭を賜わった。
○飛竜馬 駿馬。「飛竜」は、玄武門外の厩の名。「使(軍府)内の六厩、飛竜厩を最も上乗の馬と為す」(『資治通鑑』「唐紀二十五」の胡三省注)。翰林院の学士や供奉は、初めて職につくと、飛竜厩の駿馬を貸し与えられた。(元槇「折西大夫李徳裕の〔述夢〕に奉和す、四十韻」の自注〔『元槇集外集』巻七、続補一〕)。
世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。
世間の人々には、東方朔の才能、各いう私の才能が分からないが、「大隠者」として金馬門に隠棲している、これをもって、私こそ、「謫仙人」といわれるのだ。
○東方朔 漢の武帝に仕えた滑稽文学者をさすが、ここでは、李白、自分自身をたとえた。○大隠金門 最上級の隠者は、金馬門(翰林院)に隠棲する。東方朔が酒宴で歌った歌詞に「世を金馬門に避く。宮殿の中にも以って世を避け身を全うす可LLとあるのを踏まえた。晋の王康裾の「反招隠」詩にも、「小隈は陵薮(山沢)に隠れ、大隠は朝市(朝廷や市場)に隠る」とある。○謫仙 天上界から人間界に流されてきた仙人。李白、五言律詩「対酒憶賀監并序」(酒に対して賀監を憶う―参照)。
西施宜笑復宜顰、醜女效之徒累身。
西施は、笑い顔も、しかめ顔も、ともに美しいが、醜女が真似をすれば、その甲斐もなく自分の価値をおとしめるだけなのだ。
○西施 - 春秋時代の越の国の美女。中国の代表的な美女、と意識されている。○醜女効之徒累身 「累」は、苦しめる、疲労させる。宋本では「集」に作るが、景宋威淳本・王本などによって改める。此の句は、上旬と合せて『荘子』(「天運」篇)の説話を踏まえる。西施が胸を病んで眉をしかめる(噺する)と、その里の醜女がそれを効ねて、胸に手をあてて眉をしかめていっそう醜くなった。李白は自分を西施にたとえ、宮中の小人たちを醜女にたとえている。ブログ西施物語、参照。(紀 頌之の漢詩ブログ)
君王雖愛蛾眉好、無奈宮中妒殺人。
ああ、わが君王はこの峨眉の美しさを愛しておられる、宮中の人々が西施をひどく妖妬するのを、どうすることもできないのだ。
○蛾眉 蛾の眉のような、三日月なりの細く美しい眉。また、その美女。李白「怨情」。。(紀 頌之の漢詩ブログ)白居易「長恨歌」では、楊貴妃を示す比喩に使っている。ここでも楊貴妃を示す。また李白自身をかけている。○妬殺 ひどく妖妬する。「殺」は動詞を強める助字。
韻 年・漣・延・賢・鞭・仙・身・人
烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。
三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。
鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴さかずきを稱あげえて御筵に登る。
揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。
天に朝して數しばしば換う飛龍の馬、敕みことのりして賜う珊瑚の白玉の鞭。
世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。
西施 笑に宜しく復た顰ひんすること宜し、丑女は之に效ならいて徒いたずらに身を累くるしむ。
君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/05/13(日) 15:23:25|
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対酒憶賀監 二首 并序 其一 :李白 賀知章の思い出(1) 133-134
對酒憶賀監併序
太子賓客賀公、
於長安紫極宮一見余、呼余為謫仙人。
老子を祀る玄元廟(げんげんびょう)に宿をとっていただき、秘書監の賀知章とあう、長安紫極宮で私を一目見るや呼ばれたのが「謫仙人」と号された。
因解金亀換酒為楽、
没後対酒、悵然有懐而作是詩。
ここにかかる金子を金細工の亀によって賄われた、亡くなられた後酒に向かう、恨み嘆き、思い出すことがありこのを作る、
酒に対して賀監を憶ふ序を併す
太子賓客なりし賀公、長安の紫極宮にて一度余を見るや、余を呼びて謫(たく)仙人と為す。
因って金亀を解き酒に換えて楽しみを為し、没後 酒に対するに、悵然として懐い有り、而して是の詩を作る。
太子賓客賀公、於長安紫極宮一見余、呼余為謫仙人。
老子を祀る玄元廟(げんげんびょう)に宿をとっていただき、秘書監の賀知章とあう、長安紫極宮で私を一目見るや呼ばれたのが「謫仙人」と号された。
○賀監 秘書外警号していた賀知事のこと。詩人賀知章、あざなは季真、会稽の永興(いまの漸江省蔚山県西)の人である。気の大きい明るい人で話がうまかった。かれを盲見ないと心が貧しくなるという人もいた。官吏の試験に合棉して、玄宗の時には太子の賓客という役にな。、また秘書監の役にもなった。しかし晩年には苦く羽目をはずし、色町に遊び、自分から四明狂客、または租書外監と号した。李白が初めて長安に来たとき、かれを玄宗に推薦したのは、この人であったと伝えられる。天宝二年、老齢のゆえに役人をやめ、郷里にかえって道士になった。○紫極宮 老子をまつる廟。○謫仙人 天上から人間世界に流された仙人。
因解金亀換酒為楽、没後対酒、悵然有懐而作是詩。
ここにかかる金子を金細工の亀によって賄われた、亡くなられた後酒に向かう、恨み嘆き、思い出すことがありこのを作る、
○金亀 腰につけた飾りの勲章。○悵然 恨み嘆くさま。悼むのではなく、恨んで詩を作っている。
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李白は老子を祀る玄元廟(げんげんびょう)に宿を取っている。道教の知人、詩人の秘書監(従三品)の賀知章(がちしょう)の指示で泊まったようだ。賀知章は八十四歳である。
賀知章は李白が差し出した詩を読んで「此の詩、以て鬼神を哭せしむべし」と称賛し、李白を「謫仙人」(たくせんにん)と言って褒めたという。「謫仙人」とは天上から地上にたまたま流されてきた仙人という意味であって、道教では最大の褒め言葉である。
對酒憶賀監 李白
其一
四明有狂客,風流賀季真。
浙江の四明山には、奇特な振る舞いをする文人がいる。 賀知章は詩歌を作って書を書いて、世俗から離れていた。
長安一相見,呼我謫仙人。
長安でちょっと見かけた。 わたしを「謫仙人」と呼んでいた。
昔好杯中物,今爲松下塵。
この賀知章、昔は、酒を好んだものだった。今は死んで、松の木の下の塵土となってしまっている。
金龜換酒處,卻憶涙沾巾。
有りがたいことに黄金のカメの飾りを酒に換えて接待してくれたところがある。そこへ来ると思わず知らず、涙が出て布巾を湿らせたものだ。
浙江の四明山には、奇特な振る舞いをする文人がいる。
賀知章は詩歌を作って書を書いて、世俗から離れていた。
長安でちょっと見かけた。 わたしを「謫仙人」と呼んでいた。
この賀知章、昔は、酒を好んだものだった。今は死んで、松の木の下の塵土となってしまっている。
有りがたいことに黄金のカメの飾りを酒に換えて接待してくれたところがある。そこへ来ると思わず知らず、涙が出て布巾を湿らせたものだ。
酒に對して 賀監を 憶ふ
四明に 狂客有り,風流の賀季真。
長安に 一たび相ひ見(まみ)え,我を謫仙人と呼ぶ。
昔は 杯中の物を好むれど,今は松下の塵と爲る。
金龜酒に換へし處,卻(かへっ)て憶(おも)ひ涙巾を沾(うるほ)す。
四明山にキチガイがいた。畏人の賀季兵だ。長安ではじめて出会ったとき、わたしを見るなり「訴仙
人」と呼んだ。
四明有狂客、風流賀季真。
浙江の四明山には、奇抜な振る舞いをする文人がいる。
賀知章は詩歌を作って書を書いて、世俗から離れていた。
・四明 四明山1017m。浙江にある山の名。杭州市、蕭山市の東南100kmの所にある。近くに会稽山がある。「賀監」「賀公」どれも、賀知章のこと。 賀知章 回鄕偶書二首
・賀知章:659年~744年(天寶三年)盛唐の詩人。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人。字は季真。則天武后の代に進士に及第して、国子監、秘書監などになった。・狂客:奇抜な振る舞いをする文人。また、軽はずみな人。常軌を逸した人。狂草で有名な張旭と交わり、草書も得意としていた。酒を好み、酒席で感興の趣くままに詩文を作り、紙のあるに任せて大書したことから、杜甫の詩『飲中八仙歌』では八仙の筆頭に挙げられている賀知章の自号は「四明狂客」で、ここでは彼を指す。 ・賀季真:賀知章を字で呼ぶ。親しい友人からの呼びかけになる。
長安一相見、呼我謫仙人。
長安でちょっと見かけた。 わたしを「謫仙人」と呼んでいた。
・長安 唐の都。 ・一相見 ちょっと見かけた。・呼我 わたしを呼ぶのに。 ・謫仙人 〔たくせんにん〕天上界から人間の世界に追放されてきた仙人。神仙にたとえられるような非凡な才能をもった人。道教からの評価、詩人としても最大の評価といえる。李白の詩才をほめて使っている。
昔好杯中物、今爲松下塵。
この賀知章、昔は、酒を好んだものだった。今は死んで、松の木の下の塵土となってしまっている。
・好 このむ。 ・杯中物 酒を指す。・爲 …となる。 ・松下塵 松の木の下の塵土。死んで土に帰ったことをいう。松柏は、死者を偲んで墓場に植えられる樹木。この場合の色は青、音は蕭蕭がともなうことが多い。
金龜換酒處、卻憶涙沾巾。
有りがたいことに黄金のカメの飾りを酒に換えて接待してくれたところがある。そこへ来ると思わず知らず、涙が出て布巾を湿らせたものだ。
・金龜 黄金のカメの飾り。序文にある「因解金龜換酒爲樂」こと。 ・換酒 酒に交換する。 ・處 ところ。・卻憶 (想い出そうといういう気がなくとも、意志に反して)想い出されてきて。 ・涙 なみだ。 ・沾 うるおす。ぬらす。しめらす。 ・巾 布巾。
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/05/12(土) 15:11:46|
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對酒憶賀監二首 其二 李白135 賀知章の思い出(2)
對酒憶賀監二首 其二
狂客歸四明。 山陰道士迎。
奇抜な振る舞いをする王羲之の再来といわれる文人が四明山に帰ったときには、山陰地方の道士全員で出迎えた。
敕賜鏡湖水。 為君台沼榮。
官を辞しての帰郷に際して天子から鏡湖の地帯を賜わったが、君のおかげで、この地域の人々、高台や沼、湖も栄誉を受けて、これから繁栄するのだ。
人亡余故宅。 空有荷花生。
人はなくなってしまったら、古い屋敷が残るのだ、そして賜った鏡湖にはむなしくハスの花が咲きほこる。
念此杳如夢。 淒然傷我情。
これまでのいろんなことを思いだすと、すべてが夢のように消え去ってしまう、よき理解者であっただけにすさまじいものさびしさがわたしのこころをかなしくさせるのだ。
奇抜な振る舞いをする王羲之の再来といわれる文人が四明山に帰ったときには、山陰地方の道士全員で出迎えた。
官を辞しての帰郷に際して天子から鏡湖の地帯を賜わったが、君のおかげで、この地域の人々、高台や沼、湖も栄誉を受けて、これから繁栄するのだ。
人はなくなってしまったら、古い屋敷が残るのだ、そして賜った鏡湖にはむなしくハスの花が咲きほこる。
これまでのいろんなことを思いだすと、すべてが夢のように消え去ってしまう、よき理解者であっただけにすさまじいものさびしさがわたしのこころをかなしくさせるのだ。
酒に対して賀監を憶う 其の二
狂客 四明に帰れば
山陰の遺士迎う
勅 して賜う 鏡湖の水
君が為に 台沼栄ゆ
人亡びて 故宅を余し
空しく荷花の生ずる有り
此を念えば 香として夢の如く
凄然として我が情を傷ましむ
賀知章 回鄕偶書二首
狂客歸四明、山陰道士迎。
奇抜な振る舞いをする王羲之の再来といわれる文人が四明山に帰ったときには、山陰地方の道士全員で出迎えた。
・狂客:奇抜な振る舞いをする文人。また、軽はずみな人。常軌を逸した人。狂草で有名な張旭と交わり、草書も得意としていた。酒を好み、酒席で感興の趣くままに詩文を作り、紙のあるに任せて大書したことから、杜甫の詩『飲中八仙歌』では八仙の筆頭に挙げられている賀知章の自号は「四明狂客」で、ここでは彼を指す。・四明 四明山1017m。浙江にある山の名。杭州市、蕭山市の東南100kmの所にある。近くに会稽山がある。道教の盛んな地方である。「賀監」「賀公」どれも、賀知章のこと。 賀知章 回鄕偶書二首
・賀知章:659年~744年(天寶三年)盛唐の詩人。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人。字は季真。則天武后の代に進士に及第して、国子監、秘書監などになった。。○山陰 晋の書家 王羲之(中国最高の書家)は当時から非常に有名だったので、その書はなかなか手に入れるのが困難であった。山陰(いまの浙江省紹興県)にいた一人の道士は、王羲之が白い鵞鳥を好んで飼うことを知り、一群の鵞をおくって「黄庭経」を書かせた。その故事をふまえで、この詩では山陰の故郷に帰る賀知章を、王義之になぞらえている。
敕賜鏡湖水、為君台沼榮。
官を辞しての帰郷に際して天子から鏡湖の地帯を賜わったが、君のおかげで、この地域の人々、高台や沼、湖も栄誉を受けて、これから繁栄するのだ。
○鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。〇台沼 高台や沼。
人亡余故宅、空有荷花生。
人はなくなってしまったら、古い屋敷が残るのだ、そして賜った鏡湖にはむなしくハスの花が咲きほこる。
○荷花 ハスの花。
念此杳如夢、淒然傷我情。
これまでのいろんなことを思いだすと、すべてが夢のように消え去ってしまう、よき理解者であっただけにすさまじいものさびしさがわたしのこころをかなしくさせるのだ。
〇杏 はるか。○淒然 すさまじい。ものさびしいさま。
五言律詩
○韻 明、迎。水、榮。宅、生。夢、情。
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/05/11(金) 15:09:17|
- 五言律詩
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「重憶詩 李白136
五言絶句 李白 賀知章の思い出(3)
重憶
欲向江東去、定將誰擧杯。
わたしは江東の方へ行きたいと思っているが、いったい誰と杯をあげたらいいのだろう。
稽山無賀老、却棹酒船回。
会稽山には賀知章老はいない。それではいっそ、酒の船に棹さしてかえろう。
わたしは江東の方へ行きたいと思っているが、いったい誰と杯をあげたらいいのだろう。会稽山には賀知章老はいない。それではいっそ、酒の船に棹さしてかえろう。
重ねて憶う
江東に向って去らんと欲す、定めて誰と杯を挙げん。
稽山に 賀老無く、却って酒船に棹さして回る。
欲向江東去、定將誰擧杯。
わたしは江東の方へ行きたいと思っているが、いったい誰と杯をあげたらいいのだろう。
○江東 長江の東。江蘇・浙江省方面。○将 与と同じ。
稽山無賀老、却棹酒船回。
会稽山には賀知章老はいない。それではいっそ、酒の船に棹さしてかえろう。
○稽山 会稽山の略、すなわち賀知章の故郷。
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これからは短いものを取り上げても一首一日としていく、複数の詩を掲載すると検索しにくかったり、詩が埋没してしまうかもしれないので、どんなになながい詩でも分割して、細切れにして掲載するのは、作者に失礼と思うので分割掲載はしない。その考えで、複数掲載も行けないのではと考えたのである。そこで、関連した、物語をけいさいすることにした。
◎李白を朝廷に導いたのは
李白と玉真公主との関係をひらいたのは、恐らく司馬承禎である。承禎は、字を子微といった。開元10年代の後半ぐらいであろうが、道教を以て玄宗に召されたひとである。その時、王屋山(山西省陽城県)にいたが、玄宗の妹、玉真公は玄宗の命によってここへ王屋山に使したことがある。この承禎(貞一先生)と李白とが江陵(荊州)で会ったことは、その「大鵬賦」の序にのべている。
ただし周知の如く、秘書監であり、道士の資格者賀知章が彼の「蜀道難」に感嘆して、これを「謫仙人」と呼び、玄宗に推薦したといふのも重要なファクターである。
要するに承禎、玉真公主や呉筠等の道教関係の側と、賀知章との推薦が同時期に行われて、李白は翰林に入ることを得たのである。そして、玄宗が道教に傾倒していたこと、宮廷詩人はいないような状態であった。王維がいたが、張説、張九齢の派閥で、10年くらい涼州などに飛ばされ長安に帰ってきていたが、李林保などとの折り合いが悪く、半官半隠で、輞川荘の経営を本格化し始めたころである。
李白の臨終の際、李白の話を書き残したものに、李白のめからみた入朝の様子が述べられている。
小尾郊一著「中国の詩人・李白」P74-75から
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唐の李陽氷の『草堂集』序には次のようにいっている。
天宝中、皇祖(玄宗) 詔を下して徴し、金馬(門)に就かしむ。輦を降り歩して迎え、綺皓を見るが如く、七宝の牀を以って食を賜う。御手もて羹を調え以って之に飯し、謂いて日わく、
「卿は是れ布衣にして、名は朕の知るところと為る、素より道義を蓄うるに非ざれは、何を以って此に及ばんと。」
金堂殿に置き、翰林中に出入せしめ、問うに国政を以ってし、潜かに詔誥を草せしむ。人知る者なし。
「金馬」門は、漢代の名で、唐では、大明宮の右銀台門を指し、この門を入ると、学士院・翰林院があり、その奥に金鑾殿がある。「綺皓」は秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。富貴に恬淡たる人物たちである。
玄宗が金馬門(右銀台門)まで歩いて出迎え、漢の高祖が南山の四皓を迎えるごとく礼を尽くし、その上、七宝の食卓で、天子みずからが御馳走をとってくれたという。この記述による限り、天子としては最高の礼を尽くした出迎えである。事実この通りであったかどうかは疑わしいが、玄宗もけっして疎かには扱わなかったであろう。この記録は李白が最後に病身を託した一族である李陽妹の書いたものである。李陽次は李白の口述を記録したものにちがいない。李白の誇張もあるし、李陽次の修飾もあろう。また玄宗が、「きみの名は自分も知っているが、それは道義を身につけているからこそ有名になったのだ」とのことばがあったと記されているが、これもはたして玄宗が「道義」といったかどうか。これはむしろ、李白は自分こそ正しい道義を体しているという自信のほどをいっているのではなかろうか。また、「問うに国政を以ってす」というのも玄宗が果たしてそのつもりであったのか、これも李白自身がそう期待していたことではあるまいか。
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- 2012/05/10(木) 15:06:23|
- 五言絶句
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「送賀賓客帰越 李白137
李白 賀知章の思い出(4) 李白137
送賀賓客帰越
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。
越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。
賀賓客が越に帰るを送る
鏡湖(きょうこ) 流水 清波(せいは)を漾(ただよ)わし
狂客(きょうかく)の帰舟(きしゅう) 逸興(いつきょう)多し
山陰(さんいん)の道士 如(も)し相(あい)見れば
応(まさ)に黄庭(こうてい)を写して白鵝(はくが)に換うべし
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
○鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。○漾清波、○水漾 陝西省漢水の上流の嶓冢山から流れ出る川の名であるが、澄み切って綺麗な流れということで、きれいなものの比較対象として使われる。きれいな心の持ち主の賀知章が長安のひと山越えて、漢水のきれいな水に乗って鏡湖に帰ってきたいうこと。○この句「鏡湖流水漾清波」は、次の句の帰舟にかかっている。 ○狂客帰舟逸興多 ・賀知章:659年~744年(天寶三年)盛唐の詩人。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人。字は季真。則天武后の代に進士に及第して、国子監、秘書監などになった。・狂客:奇抜な振る舞いをする文人。また、軽はずみな人。常軌を逸した人。狂草で有名な張旭と交わり、草書も得意としていた。酒を好み、酒席で感興の趣くままに詩文を作り、紙のあるに任せて大書したことから、杜甫の詩『飲中八仙歌』では八仙の筆頭に挙げられている賀知章の自号は「四明狂客」で、ここでは彼を指す。 ・賀季真:賀知章を字で呼ぶ。親しい友人からの呼びかけになる。気の大きい明るい人で話がうまかった。かれを見ないと心が貧しくなるという人もいた。則天武后の時、官吏の試験に合格して、玄宗の時には太子の賓客という役になった。、また秘書監の役にもなった。しかし、晩年には苦く羽目をはずし、色町に遊び、自分から四明狂客、または租書外監と号した。これは、李林甫と宦官たちの悪政に対し、数少ない抗議をする役割を借ってもいたのだ。竹林の七賢人の役割を意識してのものであった。政治的な抵抗は、「死」を意味する時代であった。李白が初めて長安に来たとき、かれを玄宗に推薦したのは、この人であったと伝えられる。天宝二年、老齢のゆえに役人をやめ、郷里にかえって道士になった。
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。
越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。
○山陰 浙江省紹興市、会稽山あたりのこと。○道士 道教の本山が近くにあって、賀知章も道士であった。道教の熱心な地域である。○黄庭 王羲之の書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名である。他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などが見られるが、そのうちの『黄庭経』を書いてもらうためにこの地の道士たちが、王羲之が大変好きであった、白鵝(あひる)をたくさん送って書いてもらったことに基づく。賀知章も文字が上手だったので、「黄庭経」を書いて白鵝を貰うといいよ。 賀知章を王羲之に見立てて面白いことが起こるという。
晋の書家。王羲之(最高峰の書家)は当時から非常に有名だったので、その書はなかなか手に入れるのが困難であった。山陰(いまの浙江省紹興県)にいた一人の道士は、王羲之が白い鵞鳥を好んで飼うことを知り、一群の鵞をおくって「黄庭経」を書かせた。その故事をふまえで、この詩では山陰の故郷に帰る賀知章を、王義之になぞらえている。
天宝二年(743)の十二月、賀知章は八十六歳の高齢でもあり、病気がちでもあったので、道士になって郷里に帰ることを願い出て許された。翌天宝三載(この年から年を載というように改められた)の正月五日に、左右相以下の卿大夫(けいたいふ)が長楽坡で賀知章を送別し、李白も詩を贈っている。
賀知章がこんなに早くなくなるとはだれも思っていなかった。故郷に帰ってすぐなくなったわけであるから。
この山陰地方で語るべきは、謝朓と王羲之である。謝朓は別に取り上げているので王羲之について概略を述べる。
王羲之(303年 - 361年)は書道史上、最も優れた書家で書聖と称される。末子の王献之と併せて二王(羲之が大王、献之が小王)あるいは羲献と称され、また顔真卿と共に中国書道界の二大宗師とも謳われた。
「書道の最高峰」とも言われ、近代書道の体系を作り上げ、書道を一つの独立した芸術としての地位を確保し、後世の書道家達に大きな影響を与えた。その書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名で、他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などがある。
王羲之は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の家に生まれ、東晋建国の元勲であった同族の王導や王敦らから一族期待の若者として将来を嘱望され、東晋の有力者である郗鑒の目にとまりその女婿となり、またもう一人の有力者であった征西将軍・庾亮からは、彼の幕僚に請われて就任し、その人格と識見を称えられた。その後、護軍将軍に就任するも、しばらくして地方転出を請い、右軍将軍・会稽内史(会稽郡の長官、現在の浙江省紹興市付近)となった。
会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、次第に詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていき、ここを終焉の地と定め、当地に隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだ。一方で会稽一帯が飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、この地方の頼りになる人材となった。
354年、かねてより羲之と不仲であった王述(琅邪王氏とは別系統の太原王氏の出身)が会稽内史を管轄する揚州刺史となり、王羲之は王述の下になることを恥じ、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、道教の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたという。
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/05/09(水) 15:04:34|
- 七言絶句
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「送賀監歸四明應制 李白138
李白 賀知章の思い出(5) 李白138
送賀監歸四明應制
賀秘書監が山陰四明に帰られるのを送る 天子の命に応じて作る。
久辭榮祿遂初衣。 曾向長生說息機。
長く命を受けて努めた職をやっと辞することになり栄誉をもって俸禄を受けまだ官についていないときに来た衣服を着るときがきた。これまでながく続けられてこられやっと仕事をおやめになられることをお喜びします。
真訣自從茅氏得。 恩波寧阻洞庭歸。
この朝廷にお別れをすることになり天子より、茅という諸侯名をえられた。波のように降りそそぐめぐみはむしろ洞庭湖に帰るのをさえぎるほどであろう
瑤台含霧星辰滿。 仙嶠浮空島嶼微。
美しい仙人の住まいは かすみを漂わせているが、大空の星々は滿天にある。仙人のいるところへ向かう嶮しい道は大空にまで浮いていて仙人の住む島嶼を微かくしている。
借問欲棲珠樹鶴。 何年卻向帝城飛。
ちょっとうかがいますが 仙境にあるという樹に留まっている鶴はそのままそこに棲もうとお思いであるのか。 でもまあ、何年かしたら、天子のおられる長安城に飛んでこられたらよかろうと思います。
賀秘書監が山陰四明に帰られるのを送る 天子の命に応じて作る。
長く命を受けて努めた職をやっと辞することになり栄誉をもって俸禄を受けまだ官についていないときに来た衣服を着るときがきた。これまでながく続けられてこられやっと仕事をおやめになられることをお喜びします。
この朝廷にお別れをすることになり天子より、茅という諸侯名をえられた。波のように降りそそぐめぐみはむしろ洞庭湖に帰るのをさえぎるほどであろう
美しい仙人の住まいは かすみを漂わせているが、大空の星々は滿天にある。仙人のいるところへ向かう嶮しい道は大空にまで浮いていて仙人の住む島嶼を微かくしている。
ちょっとうかがいますが 仙境にあるという樹に留まっている鶴はそのままそこに棲もうとお思いであるのか。 でもまあ、何年かしたら、天子のおられる長安城に飛んでこられたらよかろうと思います。
賀監 四明に歸るを送る 應制
久辭して 榮祿 初衣を遂う。 曾て向う 長生 息機を說ぶ。
真訣によりて茅氏を得。 恩波は 寧ろ洞庭に歸えるを阻えぎる。
瑤台は 霧を含み 星辰滿つ。 仙嶠 浮空 島嶼とうしょを微かくす。
賀監 四明に歸るを送る 應制
○賀監 秘書外警号していた賀知章のこと。詩人賀知章、あざなは季真、会稽の永興(いまの浙江省蔚山県西)の人である。気の大きい明るい人で話がうまかった。かれを盲見ないと心が貧しくなるという人もいた。官吏の試験に合棉して、玄宗の時には太子の賓客という役になった。また秘書監の役にもなった。しかし晩年には苦く羽目をはずし、色町に遊び、自分から四明狂客、または租書外監と号した。李白が初めて長安に来たとき、かれを玄宗に推薦したのは、この人であったと伝えられる。天宝二年、老齢のゆえに役人をやめ、郷里にかえって道士になった。 ・應制 天子の命令によって即興でつくるものとされている。 ・四明 四明山1017m。浙江にある山の名。杭州市、蕭山市の東南100kmの所にある。近くに会稽山がある。「賀監」「賀公」どれも、賀知章のこと。 賀知章 回鄕偶書二首
久辭榮祿遂初衣、曾向長生說息機。
長く命を受けて努めた職をやっと辞することになり栄誉をもって俸禄を受けまだ官についていないときに来た衣服を着るときがきた。これまでながく続けられてこられやっと仕事をおやめになられることをお喜びします。
・久辭 長く命を受けて努めた職をやっと辞する。 ・榮祿 栄誉をもって俸禄を受ける ・初衣 まだ官についていないときに来た衣服。・息機 しごとをやめる ・說 よろこぶ
真訣自從茅氏得、恩波寧阻洞庭歸。
この朝廷にお別れをすることになり天子より、茅という諸侯名をえられた。波のように降りそそぐめぐみはむしろ洞庭湖に帰るのをさえぎるほどであろう
・真訣 真の別れ ・茅氏 茅という諸侯名。 恩波 波のように降り注ぐめぐみ。 寧阻 むしろ~をさえぎる 洞庭に歸る。
瑤台含霧星辰滿、 仙嶠浮空島嶼微。
美しい仙人の住まいは かすみを漂わせているが、大空の星々は滿天にある。仙人のいるところへ向かう嶮しい道は大空にまで浮いていて仙人の住む島嶼を微かくしている。
・瑤台 五色の玉で作った高台。美しい仙人の住まい。
李白「清平調詞其一」、「古朗月行」。 ・星辰滿 星も辰も、ほし。 仙嶠 仙人のいるところへ向かう嶮しい道。 浮空 ・島嶼微 島、嶼もしまをかくす。
借問欲棲珠樹鶴、何年卻向帝城飛。
ちょっとうかがいますが 仙境にあるという樹に留まっている鶴はそのままそこに棲もうとお思いであるのか。 でもまあ、何年かしたら、天子のおられる長安城に飛んでこられたらよかろうと思います。
借問 ちょっとうかがう。 ・珠樹鶴 仙境にあるという樹に留まっている鶴 。 卻向 うえをあおぎみてむかう。
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/05/08(火) 15:02:40|
- 七言律詩
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高適の詩 (1)除夜作 (2) 塞上聞吹笛 (3) 田家春望
219 高適 こうせき 702頃~765
渤海(ぼっかい)(山東省)の人。字(あざな)は達夫(たっぷ)。辺境の風物を歌った詩にすぐれた作が多い。こうてき。
辺塞の離情を多くよむ。50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、1篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多い。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて?州を通ったときに李白・杜甫と会い、悲歌慷慨したことがある。しかし、その李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。
高適 除夜作 塞上聞吹笛 田家春望
旅の空、一人迎える大みそかの夜。
詩人を孤独が襲います。
(1)除夜作
旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。
寒々とした旅館のともしびのもと、一人過ごす眠れぬ除夜をすごす。ああ、本当にさみしい。
旅の寂しさは愈々増すばかり・・・・・・・・・・。
故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。
今夜は大晦日。
故郷の家族は、遠く旅に出ている私のことを思ってくれているだろう。
夜が明けると白髪頭の置いたこの身に、また一つ歳を重ねるのか・・・・。
寒々とした旅館のともしびのもと、一人過ごす眠れぬ除夜をすごす。ああ、本当にさみしい。
旅の寂しさは愈々増すばかり・・・・・・・・・・。
今夜は大晦日。
故郷の家族は、遠く旅に出ている私のことを思ってくれているだろう。
夜が明けると白髪頭の置いたこの身に、また一つ歳を重ねるのか・・・・。
作者 高適は河南省開封市に祀られています。三賢祠と呼ばれるその杜は李白、杜甫、高適の三詩人が共に旅をした場所である。記念して建立されている。
詩人高適は50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、1篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多く残されている。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて?州を通ったときに李白・杜甫と会い、詩の味わいが高まった。
李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。
霜鬢明朝又一年。
ああ、大晦日の夜が過ぎると、また一つ年を取ってしまう。年々頭の白髪も増えていく、白髪の数と同じだけ愁いが増えてゆくのか
当時、「数え」で歳をけいさんしますから、新年を迎えると年を取ります。
旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。
故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。
旅先で一人過ごす大晦日、故郷にいれば家族そろって団欒し、みんなで酒を酌み交わしていたことでしょう。
:故鄕 今夜 千里を 思う
自分が千里離れた故郷を偲ぶのではなく、故郷の家族が自分を思ってくれるだろうという中国人の発想の仕方です。中華思想と同じ発想法で、多くの詩人の詩に表れています。
しかしそれが作者の孤独感を一層引き立て、望郷の念を掻き立てるのです。
高適の詩(2) 塞上聞吹笛 (3) 田家春望 (1)除夜作
春ののどかさにつられ、城郭を出て田園の里にやってきた。朝廷では権力者李林甫を意識して、普通の付き合いができない。春を詠う。
田家春望
田園の家、春の眺め。
出門何所見、春色滿平蕪。
城門を出て、郊外へ行ったが、何も見るものがない、春の気配が、草原一面に満ちているだけである。
嘆かわしいことは、私を理解してくれる者がいないことだ。高陽の一酒徒となって悶々としている。
可歎無知己、高陽一酒徒。
高適の詩は、春のけだるさを田園の景色に見るものがないということで強調します。春の気配が草原一面にあるが、理解してくれるものは誰もいない。賢人の集まりで酒を飲み交わすことにしよう。古来、権力者に対する、賢人は、酒を酌み交わして、談義した。 権力者のことを直接表現はできないのだ。
田園の家、春の眺め。
城門を出て、郊外へ行ったが、何も見るものがない、春の気配が、草原一面に満ちているだけである。
嘆かわしいことは、私を理解してくれる者がいないことだ。高陽の一酒徒となって悶々としている。
高適の詩は、春のけだるさを田園の景色に見るものがないということで強調します。春の気配が草原一面にあるが、理解してくれるものは誰もいない。賢人の集まりで酒を飲み交わすことにしよう。古来、権力者に対する、賢人は、酒を酌み交わして、談義した。 権力者のことを直接表現はできないのだ。
門を出でて 何の見る所ぞ、春色 平蕪へいぶに 滿つ。
歎ず 可べし 知己ちき 無きを、高陽の一酒徒。
(3)田家春望
田園の家、春の眺め。 ・田家 田園の家。 ・春望 春の眺め。春の風景。
出門何所見、春色滿平蕪。
城門を出て、郊外へ行ったが、何も見るものがない。春の気配が、草原一面に満ちているだけである。
・出門 城門を出ることで、郊外へ行くの意。 ・何所見 何も見るべきものがない。 ・何所 なにも…ない。 ・所見 見るところ。見る事柄。 ・春色 春景色。春の気配。 ・平蕪 草原。平原。平野。
可歎無知己、高陽一酒徒。
嘆かわしいことは、私を理解してくれる者がいないことだ。 (天下に志があっても用いられることがなく、天下の壮士が酒に日を送っている、そのようなわたしは)高陽の一酒徒となって悶々としている。
・可歎 なげかわしいことである。 ・知己 〔ちき〕知人。友人。自分の気持ちや考えをよく知っている人。自分をよく理解してくれる人。 ・高陽酒徒 飲み友達。酒飲み、の意。 太公望のことを意味する。そのいみでは、高陽は地名。いまの河南省杞県の西。陳留県に属した。酒徒は酒のみ。高陽の呑み助とは、漢の酈食其(れきいき)のことで、陳留県高陽郷の人である。読書を好んだ。
(酈生の生は、読書人に対する呼び方。)家が貧しくて、おちぶれ、仕事がなくて衣食に困った。県中の人がみな、かれを狂生と呼んだ。沛公(のちの漢の高祖)が軍をひきいて陳留の郊外を攻略したとき、沛公の旗本の騎士で、たまたま酈生と同じ村の青年がいた。その青年に会って酈生は言った。「おまえが沛公にお目通りしたらこのように申しあげろ。臣の村に、酈生という者がおります。年は六十あまり、身のたけ八尺、人びとはみな彼を狂生と呼んでいますが、彼みずからは、わたしは狂生ではないと、申しております、と。」騎士は酈生におしえられたとおりに言った。
沛公は高陽の宿舎まで来て、使を出して酈生を招いた。酈生が来て、入って謁見すると、沛公はちょうど、床几に足を投げ出して坐り、二人の女に足を洗わせていたが、そのままで酈生と面会した。酈生は部屋に入り、両手を組み合わせて会釈しただけで、ひざまずく拝礼はしなかった。そして言った。「足下は秦を助けて諸侯を攻めようとされるのか。それとも、諸侯をひきいて秦を破ろうとされるのか。」沛公は罵って言った。「小僧め。そもそも天下の者がみな、秦のために長い間くるしめられた。
だから諸侯が連合して秦を攻めている。それにどうして、秦を助けて諸侯を攻めるなどと申すのか。」酈生は言った。「徒党をあつめ、義兵をあわせて、必ず無道の秦を課しょうとされるなら、足を投げ出したまま年長者に面会するのはよろしくありません。」沛公は足を洗うのをやめ、起ち上って着物をつくろい、酈生を上座にまねいて、あやまった。酈生はそこでむかし戦国時代に、列国が南北または東西に結んで、強国に対抗したり同盟したりした、いわゆる六国の合縦連衡の話をした。
沛公は喜び鄭生に食をたまい、「では、どうした計略をたてるのか」ときいた。酈生は、強い秦をうちやぶるには、まず、天下の要害であり、交通の要処である保留を攻略すべきであると進言し、先導してそこを降伏させた。沛公は、酈生に広野君という号を与えた。酈生は遊説の士となり、馳せまわって諸侯の国に使した。漢の三年に、漢王(沛公)は酈生をつかわして斉王の田広に説かせ、酈生は、車の横木にもたれて安坐しながら、斉の七十余城を降服させた。酈生がはじめて沛公に謁見した時のことは、次のようにも伝わっている。酈生が会いに来たとき、沛公はちょうど足を洗っていたが、取次にきた門番に「どんな男か」とたずねた。「一見したところ、儒者のような身なりをしております」と門番がこたえた。
沛公は言った。「おれはいま天下を相手に仕事をしているのだ。儒者などに会う暇はない。」門番が出ていって、その旨をつたえると、酈生は目をいからし、剣の柄に手をかけ、門番をどなりつけた。「おれは高陽の酒徒だ。儒者などではない。」門番は腰をぬかして沛公に報告した。「客は天下の壮士です。」かくして酈生は沛公に謁見することができた。
『梁甫吟』 李白
「君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。」と見える。
塞上聞吹笛
雪淨胡天牧馬還,月明羌笛戍樓閒。
雪が清らかなえびすの地で、牧馬からもどってくる、月は明らかで、西方異民族(チベツト系)の吹く笛の音が、物見櫓の間から聞こえてきた。
借問梅花何處落,風吹一夜滿關山。
少しお訊ねしますこの「梅花」の笛の音はどこから聞こえてくるのだろうか、風が吹いてきて、一晩中、この関所となる山に満ちてしまった。
雪が清らかなえびすの地で、牧馬からもどってくる、月は明らかで、西方異民族(チベツト系)の吹く笛の音が、物見櫓の間から聞こえてきた。
少しお訊ねしますこの「梅花」の笛の音はどこから聞こえてくるのだろうか、風が吹いてきて、一晩中、この関所となる山に満ちてしまった。
塞上にて 吹笛を聞く
雪 淨(きよ)く 胡天( こ てん) 牧馬(ぼくば) 還(かへ)れば,
月 明るく 羌笛(きゃうてき) 戍樓(じゅろう)に閒(あひだ)す。
借問(しゃもん)す 梅花 何(いづ)れの處よりか 落つる,
風 吹きて 一夜(いち や ) 關山(くゎんざん)に 滿つ。
塞上聞吹笛
国境附近で笛を吹いているのを耳にした。
雪淨胡天牧馬還、月明羌笛戍樓閒。
雪が清らかなえびすの地で、牧馬からもどってくると。(晴天で満月に近い時なので)月は明らかで、西方異民族(チベツト系)の吹く笛の音が、物見櫓の間から聞こえてきた。
*この句は「雪淨く 胡天 馬を牧して還れば」とも読めるが、この聯「雪淨胡天牧馬還,月明羌笛戍樓閒。」は対句であり、でき得る限り、読み下しもそのようにしたい。 ・淨:きよらかである。 ・胡天:(西方の)えびすの地の空。(西方の)えびすの地。 ・牧馬:(漢民族側の官牧が飼養している馬。或いは、異民族が飼い養っている馬。 ・還:(出かけていったものが)もどる。(出かけていったものが)かえる。 ・羌笛:青海地方にいた西方異民族(チベツト系)の吹く笛。 ・閒:あいだをおく。物があってへだてる。間。
借問梅花何處落、風吹一夜滿關山。
少しお訊ねしますこの「梅花」の笛の音はどこから聞こえてくるのだろうか。風が吹いてきて、一晩中、この関所となる山に満ちてしまった。
・借問:〔しゃもん、しゃくもん〕訊ねる。試みに問う。ちょっと質問する。かりに訊ねる。 ・梅花:「春を告げる梅の花」という意味と笛曲の名を兼ねている。 ・何處:どこ。いずこ。 ・落:散る。落ちる。 ・關山:関所となるべき要害の山。また、ふるさとの四方をとりまく山。故郷。
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テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/05/07(月) 14:57:44|
- 七言絶句
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宮中行樂詞八首其八 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白149
宮中行樂詞八首 其八
水綠南薰殿。 花紅北闕樓。
水ゆたかに、みどりしたたる南薰殿。花は咲きほこり、紅に萌え聳えるような北闕楼。
鶯歌聞太液。 鳳吹繞瀛洲。
うぐいすの歌ごえは、大液池から聞こえてくる。鳳凰の簫の音は、蓬莱山を越え瀛洲の島を廻っている。
素女鳴珠佩。 天人弄彩毬。
宮中の素女は、身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら走りまわり、天の乙女は、美しい鞠を蹴ってたわむれている。
今朝風日好。 宜入未央游。
けさは、風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊ぶことがふさわしい。
水ゆたかに、みどりしたたる南薰殿。花は咲きほこり、紅に萌え聳えるような北闕楼。
うぐいすの歌ごえは、大液池から聞こえてくる。鳳凰の簫の音は、蓬莱山を越え瀛洲の島を廻っている。
宮中の素女は、身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら走りまわり、天の乙女は、美しい鞠を蹴ってたわむれている。
けさは、風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊ぶことがふさわしい。
宮中行楽詞 其の八
水は綠なり 南薫殿、花は紅なり 北闕楼。
鶯歌 太液に聞こえ、鳳吹 瀛洲を繞る。
素女は 珠佩を鳴らし、天人は 彩毬を弄す。
今朝 風日好し、宜しく未央に入りて遊ぶべし。
水綠南薰殿。 花紅北闕樓。
水ゆたかに、みどりしたたる南薰殿。花は咲きほこり、紅に萌え聳えるような北闕楼。
○南薫殿・北闕樓 いずれも唐代の長安の宮殿の名。北の見張り台のある楼閣。左右に石の高さ15メートル以上石壁がありその上に大きな宮殿のような楼閣が聳えるように建っていた玄武殿と玄武門をさす。
鶯歌聞太液。 鳳吹繞瀛洲。
うぐいすの歌ごえは、大液池から聞こえてくる。鳳凰の笙の音は、蓬莱山を越え瀛洲の島を廻っている。
○太液 池の名。漢の太液池は漢の武帝が作った。池の南に建章宮という大宮殿を建て、池の中には高さ二十余丈の漸台というものを建て、長さ三文の石の鯨を刻んだ。また、池に三つの島をつくり、はるか東海にあって仙人が住むと信じられた瀛洲・蓬莱・方丈の象徴とした。漢の成帝はこの池に舟をうかべ、愛姫趙飛燕をのせて遊びたわむれた。唐代においても、漢代のそれをまねて、蓬莱殿の北に太液池をつくり、池の中の島を蓬莱山とよんだという。○鳳吹 笙(しょうのふえ)のこと。鳳のかたちをしている。○瀛洲 仙島の一つ。別に蓬莱、方丈がある。
素女鳴珠佩。 天人弄彩毬。
宮中の素女は、身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら走りまわり、天の乙女は、美しい鞠を蹴ってたわむれている。
〇素女 仙女の名。瑟(琴に似た楽器)をひくのが上手といわれる。○珠佩 真珠のおびもの。礼服の装飾で、玉を貫いた糸を数本つないで腰から靴の先まで垂れ、歩くとき鳴るようにしたもの。宮中に入るものすべてのものがつけていた。階級によって音が違った。○天人 仙女。天上にすむ美女。天の乙女。○彩毬 美しい模様の鞠。
今朝風日好。 宜入未央游。
けさは、風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊ぶことがふさわしい。
○未央 漢の皇居の正殿の名。中国、漢代に造られた宮殿。高祖劉邦(りゅうほう)が長安の竜首山上に造営したもの。唐代には宮廷の内に入った。
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/05/06(日) 14:46:32|
- 五言律詩
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宮中行樂詞八首其七 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白148
高貴な階級ほどエロティックな詩を喜んだ。「玉台新詠集」などその典型で、詠み人は皇帝、その親族、、高級官僚である。ここでいう行楽とは、冬は奥座敷の閨の牀で行った***を屋外でするという意味を含んでいる。それを前提におかないと宮中行楽詞は意味不明の句が出てくる。この詩の舞台には儒教的生活は存在しないのである。
宮中行樂詞八首 其七
寒雪梅中盡、春風柳上歸。
つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。
宮鶯嬌欲醉、簷燕語還飛。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
遲日明歌席、新花艷舞衣。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
晚來移綵仗、行樂泥光輝。
日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている。
つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている。
宮中行楽詞 其の七
寒雪 梅中に尽き、春風 柳上に帰る。
宮鶯 嬌として酔わんと欲し、簷檐燕 語って還た飛ぶ。
遅日 歌席明らかに、新花 舞衣 艶なり。
晩来 綵仗を移し、行楽 光輝に泥かし。
寒雪梅中盡、春風柳上歸。
つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。
宮鶯嬌欲醉、簷燕語還飛。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
○簷燕 のきばのつばめ。
遲日明歌席、新花艷舞衣。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
○遲日 日が長くなる春。なかなか日が暮れない。「詩経」の豳風(ひんふう)に「七月ふみづき」
七月流火 九月授衣 春日載陽 有鳴倉庚
女執深筐 遵彼微行 爰求柔桑 春日遅遅
采蘩祁祁 女心傷悲 殆及公子同歸
一緒になりたい待っている女心を詠っている。
○歌席 音楽の演奏会。
晚來移綵仗、行樂泥光輝。
日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている。
○晩来 夕方。○綵仗 唐の制度では、宮殿の下の衛兵を仗という。綵は、着飾ってはなやかなという形容、飾り物が華麗である場合に使用する。別のテキストでは彩としている。この場合は色のあでやかさの場合が多い。○行楽泥光輝 野外において性的行為をする光景を詠っている。光と影が交錯していること。景色を泥はやわらかくする。
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/05/05(土) 14:45:11|
- 五言律詩
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宮中行樂詞八首其六 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白147
宮中行樂詞八首 其六
今日明光里。 還須結伴游。
今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
春風開紫殿。 天樂下珠樓。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
艷舞全知巧。 嬌歌半欲羞。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。
更憐花月夜。 宮女笑藏鉤。
北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。
今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。
北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。
宮中行楽詞 共の六
今日 明光の裏、還た須らく伴を結んで遊ぶべし。
春風 紫殿を開き、天樂 珠樓に下る。
艷舞 全く巧を知る。 嬌歌 半ば羞じんと欲す。
更に憐れむ 花月の夜、 宮女 笑って藏鉤するを。
今日明光里。 還須結伴游。
今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
○明光 漢代の宮殿の名。「三輔黄図」という宮苑のことを書いた本に「武帝、仙を求め、明光宮を起し、燕趙の美女二千人を発して之に充たす」とある。
春風開紫殿。 天樂下珠樓。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
○紫殿 唐の大明宮にもある。「三輔黄図」にはまた「漢の武帝、紫殿を起す」とある。漢の武帝が神仙の道を信じ、道士たちにすすめられて、大規模な建造物をたくさん建てたことは、吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波新書)にくわしい。玄宗も同じように道教のために寄進している。
艷舞全知巧。 嬌歌半欲羞。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。
更憐花月夜。 宮女笑藏鉤。
北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。
○憐花 北斉の後主高給が寵愛した馮淑妃の名。燐は同音の蓮とも書かれる。もとは穆皇后の侍女であったが、聡明で琵琶、歌舞に巧みなのが気に入られて穆皇后への寵愛がおとろえ、後宮に入った。○蔵鉤 遊戯の一種。魏の邯鄲淳の「芸経」によると、じいさん、ばあさん、こどもたちがこの遊戯をしていたという三組にわかれ、一つの鈎を手の中ににぎってかくしているのを、他の組のものが当て、たがいに当てあって勝敗をきそう。漢の武帝の鈎弋夫人は、幼少のころ、手をにぎったまま開かなかった。武帝がその拳にさわると、ふしぎと閲いたが、手の中に玉の釣をにぎっていた。蔵鈎の遊戯は鈎弋夫人の話から起ったといわれている。
これをもとに宮妓たちの間では送鉤という遊びをしていた。二組の遊びで、艶めかしい遊びに変化したようだ。
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/05/04(金) 14:43:46|
- 五言律詩
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宮中行樂詞八首其五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白146
宮中行樂詞八首 其五
繡戶香風暖。 紗窗曙色新。
きれいな飾りのある扉には、香しい春風が吹いて暖かくなった。うす絹をはった窓には、あけぼのの光が鮮やかで清新な明るさだ。
宮花爭笑日。 池草暗生春。
宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。池のほとりの草も、いつのまにか、春のいのちをもやしはじめる。
綠樹聞歌鳥。 青樓見舞人。
綠の木の間からは、歌う鳥の声がきこえ、昔、名君がすごした青い楼閣の上には、舞う美人の姿がみえる。
昭陽桃李月。 羅綺自相親。
趙飛燕が愛された昭陽殿では、桃花や李花のような美人が月の寝室で待つ、うす絹やあや絹の宮妓は互いに愛しあっている。
きれいな飾りのある扉には、香しい春風が吹いて暖かくなった。うす絹をはった窓には、あけぼのの光が鮮やかで清新な明るさだ。
宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。池のほとりの草も、いつのまにか、春のいのちをもやしはじめる。
綠の木の間からは、歌う鳥の声がきこえ、昔、名君がすごした青い楼閣の上には、舞う美人の姿がみえる。
趙飛燕が愛された昭陽殿では、桃花や李花のような美人が月の寝室で待つ、うす絹やあや絹の宮妓は互いに愛しあっている。
宮中行楽詞 其の五
繍戸 香風暖かに、紗窓 曙色新たなり。
宮花 争って日に笑い、池草 暗に春を生ず。
綠樹には 歌鳥を聞き、青楼には 舞人を見る。
昭陽 桃李の月、羅綺を白のずから相親しむ
繡戶香風暖。 紗窗曙色新。
きれいな飾りのある扉には、香しい春風が吹いて暖かくなった。うす絹をはった窓には、あけぼのの光が鮮やかで清新な明るさだ。
〇繍戸 きらびやかに飾りたてた扉。宮中の女の部屋をさす。〇紗窗 薄絹を張った窓。○曙色 あけぼのの光。
宮花爭笑日。 池草暗生春。
宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。池のほとりの草も、いつのまにか、春のいのちをもやしはじめる。
○宮花争笑日 「劉子新論」に「春の葩は日を含みで笑うが似く、秋の葉は露に泫おいて泣くが如し」とある。宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。○弛草幡生春 南宋、謝霊運の長詩「登池上楼閣」
・・・・・・
初景革緒風、新陽改故陰。
池塘春草生、園柳変鳴禽。
・・・・・・
「池塘春草生じ、園柳鳴禽に変ず」から。
池のほとり(堤)に芽吹きがある、春が来た
同じKanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 李白「灞陵行送別」に
上有無花之古樹、下有傷心之春草。とある。同じように使用している。
綠樹聞歌鳥。 青樓見舞人。
綠の木の間からは、歌う鳥の声がきこえ、昔、名君がすごした青い楼閣の上には、舞う美人の姿がみえる。
○青楼 「南史」に、斉の武帝は、興光楼上に青い漆をぬり、世人これを青楼とよんだ、とある。
武帝(ぶてい、440年 - 493年)は、斉の第2代皇帝。姓は蕭、諱は賾。高帝蕭道成の長子。 父の死で即位する。即位後は国力増強に力を注ぎ、大規模な検地を実施した。あまりに厳しい検地であったため、逆に農民の反発を招くこととなってしまったこともあったが、反乱自体は微弱なものに過ぎず、検地は結果的に大成功したという。また戸籍を整理したり、貴族の利権を削減して皇帝権力の強化に務めるなどの政治手腕を見せた。このため、武帝は南朝における名君の一人として讃えられている。
昭陽桃李月。 羅綺自相親。
趙飛燕が愛された昭陽殿では、桃花や李花のような美人が月の寝室で待つ、うす絹やあや絹の宮妓は互いに愛しあっている。
○昭陽 趙飛燕の宮殿の名。○羅綺 うすぎぬとあやぎぬと。○羅綺自相親 羅綺をつけた人びと(官女)がたがいに親しみあうという意味。
李白の詩は儒教手解釈では理解できない。当時は身分の高い人たち中でこそ、下ネタをうまく詠いこむことが洒落であった。解釈書、漢詩紹介の本に欠如しているのは、あるいは、意味不明とされている。洒落として解釈しないとりかいできないのだ。解釈は詩人の主張する通りに理解しないといけない。そうでないと、つまらない詩のままで終わる。このブログでは、詩人はエロチックな表現によって体制批判をしていることが多い。この「宮中行樂詞八首其五」は間違いなく艶情詩なのだ。
後宮は、天界、、仙界、極楽を具現化したものであり、それを利用し、その世界を詠うものである。
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/05/03(木) 14:42:21|
- 五言律詩
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宮中行樂詞八首其四 李白
宮中行樂詞八首 其四
玉樹春歸日。金宮樂事多。
宮中の威厳のある立派な木々に春がもどってくる日々、黄金の宮では春の楽しい行事が多くなってくる。
後庭朝未入。輕輦夜相過。
奥の御殿、ここへは天子が朝は入って行かれることはない。軽い手くるま、夜の訪れに伴い、これにのってお通りになる。
笑出花間語。嬌來竹下歌。
ほほえみは花を咲かせ、歓びの声は花の間の話からおこる、可愛がられる時が来た、蝋燭の光、簾の下の歌のような声にあふれた
莫教明月去。留著醉嫦蛾。
あの美しい月のような美人を帰らせてはいけない。引きとどめておいて、月の精の嫦娥を酔わせるのだ。
宮中の威厳のある立派な木々に春がもどってくる日々、黄金の宮では春の楽しい行事が多くなってくる。
奥の御殿、ここへは天子が朝は入って行かれることはない。軽い手くるま、夜の訪れに伴い、これにのってお通りになる。
ほほえみは花を咲かせ、歓びの声は花の間の話からおこる、可愛がられる時が来た、蝋燭の光、簾の下の歌のような声にあふれた
あの美しい月のような美人を帰らせてはいけない。引きとどめておいて、月の精の嫦娥を酔わせるのだ。
宮中行楽詞 其の四
玉樹 春帰る日、金宮 楽事多し
後庭 朝に未だ入らず、輕輦 夜 相過ぐ。
笑いは花間の語に出で、嬌は燭下の歌に来る。
明月をして去らしむる莫れ、留著して 嫦蛾を酔わしめん
玉樹春歸日。金宮樂事多。
宮中の威厳のある立派な木々に春がもどってくる日々、黄金の宮では春の楽しい行事が多くなってくる。
○玉樹 りっばな木。○金宮 こがね作りの宮殿。
後庭朝未入。輕輦夜相過。
奥の御殿、ここへは天子が朝は入って行かれることはない。軽い手くるま、夜の訪れに伴い、これにのってお通りになる。
○後庭 後宮。宮中の奥御殿○朝 朝は、日の出に朝礼が行われ、列を整えて礼をする。その後、天下の政事、諸事をおこなう。○輕輦 手車の呼び方を変えている。「其一」・歩輩 手車。人がひく車。人力車。「其二」・雕輦 彫刻をほどこした手くるま。宮中において天子のみが使用する車で宮中を象徴するものとしてとらえている。
笑出花間語。嬌來竹下歌。
ほほえみは花を咲かせ、歓びの声は花の間の話からおこる、可愛がられる時が来た、蝋燭の光、簾の下の歌のような声にあふれた。
○花間 宮女の話し声。花は宮女。○嬌 美しい。艶めかしい。声や色合いが美しい。可愛がる。○竹下歌 紙のない時代は紙の代わりに用いた。蝋燭のもとで竹に書き物をする。また、竹の簾のもと、閨を意味しそこでの男女の情交の際の声を歌で示した。
莫教明月去。留著醉嫦蛾。
あの美しい月のような美人を帰らせてはいけない。引きとどめておいて、月の精の嫦娥を酔わせるのだ。
○留著 とめておく。○嫦蛾 。古代の神話中の女性。努という弓の名人の妻であったが、夫が酎欝が(仙女)からもらってきた不死の薬。宮中では、不死薬は媚薬でもあり、精力増強剤とされていた。それを、夫のるすの問にぬすんでのんだため、体が地上をはなれて月にむかってすっとび、それいらい、月の精となった。月の世界で、「女の盛りに、一人で、待っている女性」という意味でつかわれる。魯迅の「故事新編」の中の「奔月」は、この話がもとになっている。
紀頌之漢詩ブログ 李白 97 把酒問月
白兔搗藥秋復春,嫦娥孤棲與誰鄰。
嫦娥 李商隠
雲母屏風燭影深、長河漸落暁星沈。
嫦娥應悔倫塞薬、碧海青天夜夜心。
紀頌之漢詩ブログ 李商隠 嫦娥
1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥
- 2012/05/02(水) 14:41:03|
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宮中行樂詞八首其三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 李白144
宮中行樂詞八首 其三
盧橘為秦樹、蒲桃出漢宮。
枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になった、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできる。
春霞と咲きほこる花に、落ちかかる日のひかりがその場所にうまい具合にあたっている。音楽が、うきうきと酔いごこちで、春風にのって流れている。
笛をかなでると、竜が水の中で鳴きだしてくる、簫をふくと、鳳が空からまいおりてくる。
国の天子には、楽しい行事がたくさんおありでしょう、やはり、天下のこと、万事に楽しまれることでありましょう。
宮中行楽詞 其の三
盧橘は 秦樹と為り、 蒲桃は漢宮より出づ。
煙花 落日に宜しく、 絲管 春風に醉う。
笛奏 龍 水に鳴き、 蕭吟 鳳 空より下る。
君王 樂事多く、 還た 萬方と同じくする。
盧橘為秦樹、 蒲桃出漢宮。
枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になった、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできる。
○盧橘 果樹、枇杷の別名。もと南方の植物。戴叔倫の「湘南即事」に「盧橘花開楓菓哀」とあるのもそれがもとは南方の風物であることを示したもの。○秦 長安の地方。Kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 李商隠37「寄令狐郎中」では
嵩雲秦樹久離居、雙鯉迢迢一紙書。
休問梁園舊賓客、茂陵秋雨病相如。
秦樹は長安を長い時代見ていた樹という意味に使っている。
○蒲桃 葡萄。ぶどう。ペルシャ原産で、西域を通って中国に入ったのは、漢の武帝のときである。
煙花宜落日、絲管醉春風。
春霞と咲きほこる花に、落ちかかる日のひかりがその場所にうまい具合にあたっている。音楽が、うきうきと酔いごこちで、春風にのって流れている。
○煙花 かすみと花。○絲管 弦楽器と管楽器。つまり、音楽。
笛奏龍鳴水、蕭吟鳳下空。
笛をかなでると、竜が水の中で鳴きだしてくる、簫をふくと、鳳が空からまいおりてくる。
○節奏竜鳴水 漢の馬融の「笛の賦」によれば、西方の異民族である羌の人が、竹を伐っていると、竜があらわれて水中で鳴いた。すぐに竜は見えなくなったが、羌人が、きり出した竹でつくった笛を吹くと、竜のなき声と似ていたという。竜は、空想の動物である。○蕭吟鳳下空 簫は管楽器の一種。「列仙伝」に、蕭史という人が、上手に簫を吹いた。すると鳳凰がとんで来て、その家の屋根に止まった、とある。鳳凰もまた、空想の動物である。鳳がおす、凰がめす。
君王多樂事、還與萬方同。
国の天子には、楽しい行事がたくさんおありでしょう、やはり、天下のこと、万事に楽しまれることでありましょう。
〇万方 万国と同じ。天下、万事のこと。
枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になった、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできる。
煙花宜落日、絲管醉春風。
春霞と咲きほこる花に、落ちかかる日のひかりがその場所にうまい具合にあたっている。音楽が、うきうきと酔いごこちで、春風にのって流れている。
笛奏龍吟水、蕭鳴鳳下空。
笛をかなでると、竜が水の中で鳴きだしてくる、簫をふくと、鳳が空からまいおりてくる。
君王多樂事、還與萬方同。
国の天子には、楽しい行事がたくさんおありでしょう、やはり、天下のこと、万事に楽しまれることでありましょう。テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/05/01(火) 14:39:43|
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宮中行樂詞八首其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白143
宮中行樂詞八首 其二
柳色黃金嫩、梨花白雪香。
芽をふき出したばかりの柳の色は、黄金のようにかがやき、しかも見るからにやわらかく若い(玄宗皇帝)。梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっている(楊太真)。
玉樓巢翡翠、珠殿鎖鴛鴦。
宝玉でかざりたてた楼閣には、うつくしい羽根をもつかわせみの巣がある。真珠をちりばめた御殿には、夫婦仲むつまじいおしどりが、とじこもりの場所である。
選妓隨雕輦、徵歌出洞房。
天子はすぐれた宮妓の者をえらばれ、手ぐるまのあとについて歩くよう命じられる。また、歌手をよびよせて、奥の部屋にいたものに出て来るよう命じられる。
宮中誰第一、飛燕在昭陽。
宮中において美人といえば、誰が第一だろうか。飛燕だ、宮中のはなやいだ昭陽殿に在られるのだ。
芽をふき出したばかりの柳の色は、黄金のようにかがやき、しかも見るからにやわらかく若い(玄宗皇帝)。梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっている(楊太真)。
宝玉でかざりたてた楼閣には、うつくしい羽根をもつかわせみの巣がある。真珠をちりばめた御殿には、夫婦仲むつまじいおしどりが、とじこもりの場所である。
天子はすぐれた宮妓の者をえらばれ、手ぐるまのあとについて歩くよう命じられる。また、歌手をよびよせて、奥の部屋にいたものに出て来るよう命じられる。
宮中において美人といえば、誰が第一だろうか。飛燕だ、宮中のはなやいだ昭陽殿に在られるのだ。
宮中行楽詞 其の二
柳色(りゅうしょく) 黄金にして嫩(やわら)か、梨花(りか) 白雪(はくせつ)にして香(かんば)し。
玉楼(ぎょくろう)には翡翠(ひすい)巣くい、珠殿(しゅでん)には鴛鴦(えんおう)を鎖(とざ)す。
妓(ぎ)を選んで雕輦(ちょうれん)に随わしめ、歌を徴(め)して洞房(どうぼう)を出(い)でしむ。
宮中(きゅうちゅう) 誰か第一なる、飛燕(ひえん) 昭陽(しょうよう)に在り。
柳色黃金嫩、梨花白雪香。
芽をふき出したばかりの柳の色は、黄金のようにかがやき、しかも見るからにやわらかく若い(玄宗皇帝)。梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっている(楊太真)。
○柳色 男性を示唆する柳で玄宗。楊は女性を示す。○嫩 物がまだ新しく、若くて、弱い状態。○梨花 女性を示唆する、楊太真(貴楊妃)。
玉樓巢翡翠、珠殿鎖鴛鴦。
宝玉でかざりたてた楼閣には、うつくしい羽根をもつかわせみの巣がある。真珠をちりばめた御殿には、夫婦仲むつまじいおしどりが、とじこもりの場所である。
○玉楼 宝玉でかざり立てた楼閣。○翡翠 かわせみ。うつくしい羽根の鳥。○珠殿 真珠をちりばめた御殿。○鴛鴦 おしどり。おす(鴛)と、めす(鴦)と仲むつまじい鳥。
選妓隨雕輦、徵歌出洞房。
天子はすぐれた宮妓の者をえらばれ、手ぐるまのあとについて歩くよう命じられる。また、歌手をよびよせて、奥の部屋にいたものに出て来るよう命じられる。
〇妓 宮妓、種種の妓芸を演じて人をたのしませる俳優のこと。○雕輦 彫刻をほどこした手ぐるま。〇洞房 奥ぶかい部屋。
宮中誰第一、飛燕在昭陽。
宮中において美人といえば、誰が第一だろうか。飛燕だ、宮中のはなやいだ昭陽殿に在られるのだ。
○飛燕 漢の成帝の愛姫、超飛燕。もとは長安の生れで身分は低かったが、歌や舞がうまく、やせ型の美人で、その軽やかな舞はツバメが飛ぶようであったから、飛燕とよばれた。ある時、おしのびで遊びに出た成帝の目にとまり、その妹とともに宮中に召され、帝の寵愛を一身にあつめた。十余年、彼女は日夜、帝を誘惑したので、しまいに帝は精根つきはてで崩御した。晩年、彼女は不遇となり、さいごには自殺した。彼女は漢代随一の美女とされている。また、やせた美人の代表は漢の趙飛燕、ふとった美人の代表は唐の楊貴妃とされているが、唐詩において趙飛燕をうたうとき、多くの易合、玄宗の後宮における第一人者、楊貴妃そのひとを暗に指す。もっともこの時期は楊太真で、李白が都を追われた後、楊貴妃となる。○昭陽 趙飛燕がすんでいた宮殿の名。
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- 2012/04/30(月) 14:36:40|
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宮中行樂詞八首其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白143
宮中行楽詞 其一
小小生金屋、盈盈在紫微。 小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
山花插寶髻、石竹繡羅衣。 なでしこの花一輪を、宝で飾った髪のもとどりに挿しはさみ、セキチクの模様のうすぎぬの上衣に刺繍してある。
每出深宮里、常隨步輦歸。 奥の御殿の中から出るごとに、いつも手車のあとについて歩いてゆく。
只愁歌舞散、化作彩云飛。 すこし心配になることがある。美女たちが歌をうたい舞いおわってしまったら、そのまま美しい色の雲となって、飛んでゆくのではないかと。
小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
なでしこの花一輪を、宝で飾った髪のもとどりに挿しはさみ、セキチクの模様のうすぎぬの上衣に刺繍してある。
奥の御殿の中から出るごとに、いつも手車のあとについて歩いてゆく。
すこし心配になることがある。美女たちが歌をうたい舞いおわってしまったら、そのまま美しい色の雲となって、飛んでゆくのではないかと。
宮中行楽詞一其の一
小小にして 金屋に生れ、盈盈として 紫微に在り。
山花 宝撃に挿しはさみ、石竹 羅衣を繡う。
深宮の裏每び出ず、常に歩を肇めて歸るに従う。
只だ愁う 歌舞の散じては、化して綜雲と作りて飛ばんことを
○
宮中行楽詞 宮中における行楽の歌。李白は数え年で四十二歳から四十四歳まで、足かけ三年の間、宮廷詩人として玄宗に仕えた。この宮中行楽詞八首と、つぎの晴平調詞三首とは、李白の生涯における最も上り詰めた時期の作品である。唐代の逸話集である孟棨の「本事詩」には、次のような話がある。
玄宗皇帝があるとき、宮中での行楽のおり、側近の高力士にむかって言った。「こんなに良い季節、うるわしい景色を前にしながら、単に歌手の歌をきいてたのしむだけでは物足りぬ。天才の詩人が来て、この行楽を詩にうたえば、後の世までも誇りかがやかすことであろう」と。そこで、李白が召されたのだ。李白はちょうど皇帝の兄の寧王にまねかれて酒をのみ、泥酔していたが、天子の前にまかり出ても、ぐったりとなっていた。玄宗は、この奔放な詩人に、律詩を十首つくるよう命じた。五言律詩は、対句が基本、最も定型的な詩形である。李白はあまり得意としない詩形であった。玄宗は知っていて、酔っているので命じたのである。そし二、三人の側近に命じて、李白を抱きおこさせ、墨をすらせ、筆にたっぷり警ふくませて李白に持たせ、朱の糸で罫をひいた絹幅を李白の前に張らせた。李白は筆とると、少しもためらわず、十篇の詩を、たちまち書きあげた。しかも、完璧なもので、筆跡もしっかりし、律詩の規則も整っていた。現在は八首のこっている。
小小生金屋、盈盈在紫微。 小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
○小小 年のおさないこと。○金屋 漢の武帝の故事。鷺は幼少のころ、いとこにあたる阿矯(のちの陳皇后)を見そめ、「もし阿舵をお嫁さんにもらえるなら、慧づくりの家(金星)の中へ入れてあげる」と言った。吉川幸次郎「漠の武帝」(岩波誓)にくわしい物語がある。○盈盈 みずみずしくうつくしいさま。古詩十九首の第二首に「盈盈たり楼上の女」という句がある。○紫微 がんらいは草の名。紫微殿があるため皇居にたとえる。
山花插寶髻、石竹繡羅衣。 なでしこの花一輪を、宝で飾った髪のもとどりに挿しはさみ、セキチクの模様のうすぎぬの上衣に刺繍してある。
○寶髻 髻はもとどり、髪を頂に束ねた所。宝で飾りたてたもとどり。○石竹 草の名。和名セキチク。別称からなでしこ。葉は細く、花は紅・自または琶音ごろ開く。中国原産であって、唐代の人もこの花の模様を刺繍して、衣裳の飾りとした。○羅衣 うすぎねのうわぎ。
每出深宮里、常隨步輦歸。 奥の御殿の中から出るごとに、いつも手車のあとについて歩いてゆく。
○歩輩 手車。人がひく車。人力車。
只愁歌舞散、化作彩云飛。
すこし心配になることがある。美女たちが歌をうたい舞いおわってしまったら、そのまま美しい色の雲となって、飛んでゆくのではないかと。
○彩云 いろどり模様の美しい雲。
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宮中行樂詞八首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白143
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- 2012/04/29(日) 14:35:14|
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28秋浦歌十七首 其十七 漢詩李白特集 261/350
しばらく滞在した秋浦、村人たちは李白が叛乱軍を征伐に行く水軍に参画するのに別れを惜しんでくれただ。
秋浦歌十七首其十七
祧波一步地。了了語聲聞。
闇與山僧別。低頭禮白云。
秋浦の歌十七首 其の十七
祧波(ちょうは) 一歩(いっぽ)の地なり、了了(りょうりょう)なり 語声(ごせい)聞こゆ。
闇(やみ)に 與(たす)く 山僧(さんそう) 別れ、頭(こうべ)を低(た)れて白雲に礼(れい)す。
秋浦歌十七首 其十七 現代語訳と訳註
(本文) 其十七
祧波一步地。 了了語聲聞。
闇與山僧別。 低頭禮白云。
(下し文) 其の十七
祧波(ちょうは) 一歩(いっぽ)の地なり、了了(りょうりょう)なり 語声(ごせい)聞こゆ。
闇(やみ)に 與(たす)く 山僧(さんそう) 別れ、頭(こうべ)を低(た)れて白雲に礼(れい)す。
(現代語訳)
王朝は波のように代々受け継がれていくものであるがそれはひとたび歩き始めたその地の始まるものである。このたびの戦は大義がはっきりとしており天下世間の人々から語句、声援が聞こえてくるのである。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。
(訳注)
祧波一步地。 了了語聲聞。
王朝は波のように代々受け継がれていくものであるがそれはひとたび歩き始めたその地の始まるものである。このたびの戦は大義がはっきりとしており天下世間の人々から語句、声援が聞こえてくるのである。
○祧波 代々受け継がれていく傾向というもの。・祧 ちゅう(1) 先代の跡を継ぐ. (2) 遠い祖先を祭る廟。・波 水面が揺れて生じる起伏。傾向。走って逃げる。眼遣い。○了了 はっきり。(形動タリ)物事がはっきりわかるさま。あきらかなさま。 「霊知本性ひとり了了として鎮常なり/正法眼蔵」
闇與山僧別。 低頭禮白云。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。
○闇 昼間は叛乱軍の兵士が居るので、夜の行動を示す。黙って。○与 与えられる。たすける。やる。○山僧 山にいる僧侶という意味もあるが、通常僧侶が自分を謙遜して使うもので、「拙僧」という意味である。お坊さんに向かって、「拙僧」とは言わない。李白が僧侶と別れたという解釈はおかしい。したがって、謫仙人といわれた風体の李白が自分自身のことを謙遜の言葉として「山僧」という表現をして村人に別れを告げたのである。○白雲 天帝。ここでは、玄宗のこと。
(解説)新説「秋浦の歌」終わりにあたって。***********
この詩においても解釈が難解のため、従来、語句の写し間違いということにして、無理やり抒情詩を作り上げられてきた。
「祧波」の「祧」(ちょう)を桃(とう)に、「波」(は)を陂(ひ)にかってに修正し、無理やり地名にする。
一歩地を小さな土地としている。
この秋浦の歌は詩経にイメージを借りて、戦に出る前の軍師の李白がその気持ちを詠いあげるというものである。通常、了了という語は天から、霊からのお告げもの様なものがはっきりに聞こえたことを言う。
「了了語聲聞」 ここでは長い間重税に不満を持っていて、一時は叛乱軍に心情的に味方していた世間が、とんでもない異民族の叛乱であったと気が付き、世論は討伐に味方するように変わってきたので、李白に頑張ってくれという声援を送ったのははっきり聞こえてきたというものである。
蛇足ではあるが、この時期、100年から20,30年前までは地方長官が地方の人民に対して手厚い行政を行い、人徳のあるのもほど中央に政府の高官になり仕組みであった。これを私利私欲の藩鎭、地方長官のシステムに変えていったのが李林甫からで、755年ごろになると、重税に耐えかねて逃村、難民が激増したのである。不平不満は人民の中に渦巻いたのである。そこに反乱の手が上がったのである、不平不満の人民が一時的に応援を向けたのである。ところが反乱軍は盗賊の叛乱であった。国の意見は二分され、一方では、これまでの政府批判があるものの、討伐を願う声が次第に大きくなっていった。
お寺のお坊さんに別れる側の人間が「山僧」という語は用いない、身分制の厳格な時代、中国の文化としても等対してさげすんだ言い方をする場合は、敵の場合だけではなかろうか。
白雲についても白い雲か、天帝にしか使わないものである。唐王朝は、古代から血脈が受け継が手てきた王朝であって、これが、異民族の混血のものに穢されてはいけないのだ。
秋浦の歌十七首とひとまとめにしての最後の歌が抒情のみの意味しかないというのはどうしても解せない。儒教的な解釈では、見えないのかもしれない。
通常の解釈(愚訳)を紹介する。
桃陂は ほんの小さな土地
村人の話し声もはっきり聞こえる
山寺の僧と黙って別れ
白雲寺に向かって頭をさげる
これでは、(桃陂という小さな土地で村人にこそこそ噂をされて出ていかないといけなくなった。世話になったくそ坊主に別れも告げず飛び出した。しかし暫く言って頭だけは下げた。)こんな意味の詩がいい詩であるといえるのか、不思議である。
新説「秋浦の歌」ということになるのかもしれない。このような解釈は今まで全くないと思うが、しかし、この方が、李白の詩らしい解釈ではなかろうか。李白は一語、一句、単純な読み方をしない。いくつもの意味に掛け合わせたり、故事をふんだんに使う詩人である。この秋浦の歌のみ単純な解釈が通説になっているのはなぜなのか。長い間疑問を持っていたもののひとつである。
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kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
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27秋浦歌十七首 其十六 漢詩李白特集260/350
秋浦歌十七首其十六
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。
妻子張白鷴。 結罝映深竹。
秋浦の歌 十七首 其の十六
秋浦の田舎翁(でんしゃおう)、魚(うお)を采(と)りて水中に宿す。
妻子は白鷴(はくかん)に張(ちょう)し、結罝(けつしょ) 深竹(しんちく)に映ず。

秋浦歌十七首 其十六 現代語訳と訳註
(本文) 其十六
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。
妻子張白鷴。 結罝映深竹。
(下し文) 其の十六
秋浦の田舎翁(でんしゃおう)、魚(うお)を采(と)りて水中に宿す。
妻子は白鷴(はくかん)に張(ちょう)し、結罝(けつしょ) 深竹(しんちく)に映ず。
(現代語訳)
詩経で周公の叛乱軍征伐のように私も召喚されているけれど、ここ秋浦に留まっているもう初老の田舎爺なのだ、魚を取るように東征して平定しようと出発の準備で真冬にここに留まっているのである。
出征の夫のいない家を守っているここの妻子は、兵士の嫌がる雨、その雨の好きな白鷴を網にかけて捕えようとしている、竹林の奥の方にはっきりとわかるけれど網をしかけているのだ。
(訳注)
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。
詩経で周公の叛乱軍征伐のように私も召喚されているけれど、ここ秋浦に留まっているもう初老の田舎爺なのだ、魚を取るように東征して平定しようと出発の準備で真冬にここに留まっているのである。
○田舍翁 李白のこと。秋浦に留まっている自分のことを転句の出征兵士の妻子と対比させて表現するものである。○水中宿 五行思想から真冬の河川という意味と川の中ほどにという意味を含む。・宿 詩経の東山、周公が殷の残党を征伐すべく東方に軍を進める。又、同じ詩経の九罭(こあみ)魚を取る網のことを詠いつつ、中央朝廷が周公を呼び戻す時、その地のものがその帰還を惜しむということ。しばらくその地に宿したということに基づく。
妻子張白鷴。 結罝映深竹。
出征の夫のいない家を守っているここの妻子は、兵士の嫌がる雨、その雨の好きな白鷴を網にかけて捕えようとしている、竹林の奥の方にはっきりとわかるけれど網をしかけているのだ。
○張 鳥を捕える網を張ること。〇白鷴 鶴に似た雨の好きな鳥。江南に産する雉の一種。白い色で、背には細かい黒い紋があって、飼畜できるという。その羽の姿は刀の白刃にも例えられる。詩経『東山』に「鷴鳴于垤、婦歎于室」夫のいない家を守る妻子は部屋の中にいるということに基づいている。○罝 鳥や獣を捕える網。ここは、妻子の心意気を言い、出征するものへ檄を飛ばす意味であろう。詩経 『兔罝』
解説
李白は詩経のイメージを借りて詠っている。以下に示す解釈は一般的なものだがこれでは、ただ抒情的に解釈するだけで全く意味不明である。
一般の愚訳
秋浦のいなかのじいさんは、魚をとって川の上で夜をあかす。
妻子たちは白いきじを捕ろうとする。網をはっているのが、竹林の奥にくっきりと見える。

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秋浦歌十七首 其十五 漢詩李白特集259/350
秋浦歌十七首其十五
其十五
白發三千丈。 緣愁似個長。
不知明鏡里。 何處得秋霜。

秋浦の歌 十七首 其の十五
白髪 三千丈、愁いに縁(よ)って 箇(かく)の似(ごと)く長し。
知らず 明鏡(めいきょう)の裏(うち)、何(いず)れの処にか秋霜(しゅうそう)を得たる。

秋浦歌十七首 其十五 現代語訳と訳註
(本文) 其十五
白發三千丈。 緣愁似個長。
不知明鏡里。 何處得秋霜。
(下し文) 其の十五
白髪 三千丈、愁いに縁(よ)って 箇(かく)の似(ごと)く長し。
知らず 明鏡(めいきょう)の裏(うち)、何(いず)れの処にか秋霜(しゅうそう)を得たる。
(現代語訳)
白髪が三千丈にもなった!
いろんな愁がつもりつもっている、この白髪の白さと長さは愁いの多さと長さが同じなのだ。
月明りのあかるい鏡の中の私の頭へ、いったい何処から秋の霜がふってきたのか、わたしにはさっぱりわからない
(訳注) 其十五
白發三千丈。 緣愁似個長。
白髪が三千丈にもなった!
いろんな愁がつもりつもっている、この白髪の白さと長さは愁いの多さと長さが同じなのだ。
○この詩は唐詩選に見える。○個長 箇のながさ。
不知明鏡里。 何處得秋霜。
月明りのあかるい鏡の中の私の頭へ、いったい何処から秋の霜がふってきたのか、わたしにはさっぱりわからない
「白髪三千丈」の詩は、秋浦歌十七首中の代表作としてしばしば取り上げられる作品で、唐詩選の中でも目を引く秀作である。
この詩は李白が老いたことを感嘆しているような解釈もあるが、この詩のテーマは愁いなのである。唐王朝の中には私利私欲の奸臣だらけで、奢侈と大敗で天下の道理が正道でなくなってきた。欲のあるものが国を操り、賢人は隠遁していく。天子が聖人を引き上げていくことが全くなくなってしまった。その結果、安禄山の叛乱を引き起こしてしまった。
水軍参加で、誰もが思うことはもう少し若ければと思うものである。青雲の志は若い自分の表現である。表現は歳を重ねて抜群である。心に秘めたものをさりげなくいっているのである。それをいやまだまだこれからだという表現をしないで、自分の心は前を向いてこれから戦に向かう、鏡の中の自分の頭を見ると凍えた川を進んでいく間に霜がのっただけなのだ。その十四句を受けているのである。
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「五言絶句」
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- 2012/04/27(金) 08:06:27|
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25秋浦歌十七首 其十四 漢詩李白特集 258/350
安禄山の叛乱に対し、冬にかけて洛陽に攻め上ろうということを詠ったものである。表向きの意味は、村の銅の精練作業とだぶらせている。
秋浦歌十七首其十四
爐火照天地。紅星亂紫煙。
赧郎明月夜。歌曲動寒川。
秋浦の歌十七首 其の十四
炉火(ろか) 天地を照らし、紅星(こうせい) 紫烟(しえん)を乱す。
赧郎(たんろう) 明月の夜、歌曲(かきょく) 寒川(かんせん)を動かす。

秋浦歌十七首 其十四現代語訳と訳註
(本文) 其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。
赧郎明月夜。 歌曲動寒川。
(下し文) 其の十四
炉火(ろか) 天地を照らし、紅星(こうせい) 紫烟(しえん)を乱す。
赧郎(たんろう) 明月の夜、歌曲(かきょく) 寒川(かんせん)を動かす。
(現代語訳)
都や各地で烽火が夜空を焦がした、ここ秋浦の街では精錬所の溶鉱炉が赤々と燃える。大空に火星が不思議なきらめきを示し不吉な予感である。しばらくしたら安禄山が反乱を起こし、しばらくして天子の宮殿を攻め落としたそうだとわかった。
安禄山は洛陽で滅んだ周の赧王のようにまもなく滅びる運命をもっている、永王軍に参加した心配しおそれ顔の男が月に明るく照らされる静かな夜だ。ここに集結した永王水軍の兵たちは戦に向かう歌を唄って、凍えそうな川を進んでいく。
(訳注)其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。
都や各地で烽火が夜空を焦がした、ここ秋浦の街では精錬所の溶鉱炉が赤々と燃える。大空に火星が不思議なきらめきを示し不吉な予感である。安禄山が反乱を起こし、しばらくして天子の宮殿を攻め落としたそうだとわかった。
○炉火 秋浦は唐代には銀と銅の産地であった。それらの原鉱をとかす熔鉱炉の火。ということと、都や各地で烽火があがること挿す。○紅星 五行思想では火星を示し、熒惑守心(熒惑心を守る)といい、不吉の前兆とされた。「心」とは、アンタレスが所属する星官(中国の星座)心宿のこと。
| 五行 | 木 | 火 | 土 | 金 | 水 |
| 五色 | 青(緑) | 紅 | 黄 | 白 | 玄(黒) |
| 五方 | 東 | 南 | 中 | 西 | 北 |
| 五時 | 春 | 夏 | 土用 | 秋 | 冬 |
| 五節句 | 人日 | 上巳 | 端午 | 七夕 | 重陽 |
| 五星 | 歳星(木星) | 螢惑(火星) | 填星(土星) | 太白(金星) | 辰星(水星) |
宣城のことを紅星と表現したとも考えられる。そうすると秋浦の近くで烽火があり夜空を焦がしてもおかしくない。○紫煙 天子の宮殿の厳かな香による霞。天子の宮殿。
赧郎明月夜。 歌曲動寒川。
安禄山は洛陽で滅んだ周の赧王のようにまもなく滅びる運命をもっている、永王軍に参加した心配しおそれ顔の男が月に明るく照らされる静かな夜だ。ここに集結した永王水軍の兵たちは戦に向かう歌を唄って、凍えそうな川を進んでいく。
○赧郎 心配し畏れながらの表情を顔に浮かべる男。 ・赧 心配しおそれる。赧は周朝の第37代の王最後の王を示し、洛陽で最後の王であった。
赧王(たんおう)は、周朝の第37代の王最後の王。慎靚王の子。在位期間は59年であり、周朝における最長在位の君主であった。在位中は周王室の影響力はわずかに王畿(現在の洛陽附近)に限定されるようになっていた。李白はこのことを「安禄山畏れるに足らず」とかんがえた。
愚訳(この訳では語句の働きが全くないこのような詩は子供の時でもない。物語性もない。)
炉の焔は 天地を焦がし
煙のなかで 火花がはじける
明月の夜に 火に照らされる男たち
その歌声が 冷たい川に轟きわたる
其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。
赧郎明月夜。 歌曲動寒川。
解説
通常の解釈をしたのでは、面白くもなんともない愚作になってしまう。李白が、この秋浦の歌の時だけ、普通の歌人のようになってしまったのだろうか。20年も若い時の詩と同次元の解釈をしたのではおかしい。李白が永王鄰の幕下に入るまでの約2年杭州から九江、廬山の間を行き来している。756年12月永王軍に参加しているその間安全な連絡方法はこの秋浦の歌であるとしたら非常に興味深い詩がたくさん出てくる。このブログはその可能性を追求している。通常、李白の詩の中での秋浦の歌十七首は其十五の「白髪三千丈」とつけた詩みたいに其一、其二が紹介される程度である。其四から其十四までは、関連性が尻切れトンボのように解釈され、ぐさくあつかいがほとんだている。この詩は全体を756年の秋に作ったものか、加筆をされたものである。十三、十四は驚くような意味に展開したのである。
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- 2012/04/26(木) 07:05:10|
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24秋浦歌十七首 其十三 漢詩李白特集 -257/350
秋浦歌十七首其十三
淥水淨素月、月明白鷺飛。
郎聽采菱女、一道夜歌歸。
秋浦の歌 十七首 其の十三
淥水(ろくすい) 素月(そげつ)浄(きよ)らかに、
月明らかにして白鷺(はくろ)飛ぶ。
郎(ろう)は聴く 菱(ひし)を採(と)る女、
一道(いちどう) 夜に歌いて帰る。
秋浦歌十七首其十三 現代語訳と訳註
(本文) 其十三
淥水淨素月。 月明白鷺飛。
郎聽采菱女。 一道夜歌歸。
(下し文) 其の十三
淥水(ろくすい) 素月(そげつ)浄(きよ)らかに、月明らかにして白鷺(はくろ)飛ぶ。
郎(ろう)は聴く 菱(ひし)を採(と)る女、一道(いちどう) 夜に歌いて帰る。
(現代語訳)
この平天湖すみきった水面に白く輝く月の影を映してさらに清らかにしてくれる。月明かりは真昼のように照らすので白鷺は飛んでいる。
こんな美しい光景の中に叛乱軍の慰安婦が大勢いるのだ、明るいから少しは恥ずかしさはないのか、なんの臆面もなく一本道で道すがら、一緒に唄いながら歩いている。(しかし白鷺は永王軍をしめし、藩鎭諸侯も永王軍にすり寄る。)
(訳注)
淥水淨素月、月明白鷺飛。
この平天湖すみきった水面に白く輝く月の影を映してさらに清らかにしてくれる。月明かりは真昼のように照らすので白鷺は飛んでいる。
○淥水 すみきった水。平天湖をしめす。其十二参照。○素月 しろい月。
淥水=白 素=白 月=白 、月=白 明=白 白鷺=白 ここで一句に3つの白、聯で6つの白を挿入している。まず起句から、淥水は透明な水昼は緑に見え、夜は黒で、月明かりで白ある。素月は霜月で澄み切ったもの、汚れていないものをいう、それをさらに清らかにする。そういう景色とはどんな景色なのか?承句の白鷺は常識的にはつがいもしくは複数でいるもの。そうであればたくさんの白があることになる。しかし、白鷺が夜飛ぶのか?飛ばない。これも不思議な光景である。
郎聽采菱女。 一道夜歌歸。
こんな美しい光景の中に叛乱軍の慰安婦が大勢いるのだ、明るいから少しは恥ずかしさはないのか、なんの臆面もなく一本道で道すがら、一緒に唄いながら歩いている。(しかし白鷺は永王軍で藩鎭諸侯も永王軍にすり寄る。)
○郎 男。ここでは叛乱軍の兵士。○採菱 菱の実(食用)をつみとる。慰安婦を示す。〇一道 ひとすじの遺。あるいは「みちすがら」という意味?
転句において男女が出る、この時代の菱摘みは食料用のはず、そして、沼地である。水に浮いて育ち、水面一面に葉が敷き詰められたような景色である。李白の『蘇台覧古』『越女詞』『淥水曲』などと違っている。結句では道すがら詠って帰るのである。
絶句として、起承転結、李白は、まず、景色の面白さをうたい、清らかなものがさらに清らかであう一転、採菱女と男が道で詠いながら帰っていく景色のギャップを詠ったのだ、夜飛ぶはずのない白鷺が飛び、月が明るいと男女は何もできないはずが堂々と歩くという、この詩は李白の詩の面白さだけなのだろうか、次々と疑問が湧き出てくるのである。ここまで疑問を持っているのは文献を探してもなかなか見つからない。
秋浦の歌十七首全体不思議なものが多いのであるが、作時を756年秋に設定すると詩における不可解な点はすべて謎は解けた。
ここでも、李白は安禄山に協力する潘鎮の兵士からマークされていたのだろう。したがって、異民族の文か。漢民族ではしないこと、中国人の奥ゆかしさがなく、平気でやれる民族性を秋浦のうつくしい自然の中に不思議な出来事があると詩の中に織り込んだと考える。
李白『蘇台覧古』では菱歌と月の表現が見える。
旧苑荒台楊柳新、菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、曾照呉王宮裏人。
李白が中国四大美人の一人と呼ばれる西施をうたっているが俗説では絶世の美女である彼女にも一点欠点があったともいわれており、それは大根足であったとされ、常にすその長い衣が欠かせなかったといわれている。逆に四大美女としての画題となると、彼女が川で足を出して洗濯をする姿に見とれて魚達は泳ぐのを忘れてしまったという俗説から「沈魚美人」と称された。それを踏まえて、越女詞の天真爛漫な純真な美しさをうたった。
越女詞其一 李白
長干吳兒女,眉目豔新月。
屐上足如霜,不着鴉頭襪。
長干の呉の娘は、眉目麗しく星や月にも勝る
木靴の足は霜の如く、真白き素足の美しさ
越女詞 五首 其四
東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。
東陽生まれの素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。
月が沈まないので、わけもなくせつない思いにくれている。
○東陽 いまの浙江省東陽県。会稽山脈の南方にある。○素足女 この地方は美人の多い子で有名。素足の女は、楚の国の王を籠絡した女性西施が其ふっくらとした艶的の魅力により語の句に警告させその出発殿のすあしのおんなであった。○会稽 いまの浙江省紹興。会稽山脈の北端にある。○素舸 白木の舟。○郎 若い男。〇白地 口語の「平白地」の略。わけもなく、いわれなく。○肝腸 きもとはらわた
淥水曲
淥水明秋日、南湖採白蘋。
荷花嬌欲語、愁殺蕩舟人。
(下し文)
淥水曲(りょくすいきょく)
淥水秋日(しゅうじつ)に明らかに
南湖 白蘋(はくひん)を採る
荷花(かか) 嬌(きょう)として語らんと欲す
愁殺(しゅうさつ)す舟を蕩(うご)かすの人
淥水は、澄んだ川や湖。詩の趣旨は「採蓮曲」と同じ。「白蘋」は水草の名。四葉菜、田字草ともいう。根は水底から生え、葉は水面に浮き、五月ごろ白い花が咲く。白蘋摘みがはじまるころには、蓮の花も咲いている。「南湖」という湖は江南のどこかにあるもので特定はげきないようだ。「愁殺」の殺はこれ以上なというような助詞として用いられている。前の句に「荷花:蓮の花があでやかで艶めかしく物言いたげ」な思いに対して、「船を動かす娘たちのこれ以上耐えられない思い」を対比させている。
以上みたように、男女を詠いつつもどこかに、気恥ずかしさ、奥ゆかしさを感じさせるものである。
しかし秋浦の歌十三の男女には、秋浦の美しい自然の景色の中で何の臆面もなくそれに及ぶような雰囲気はどこかに違和感を生じるものであり、異民族の風習ということにはなりはしないか。
其十三
淥水淨素月。 月明白鷺飛。
郎聽采菱女。 一道夜歌歸。
すみきった水にきよらかに、しろい月が浮ぶ。月明りのなかを、白さぎが飛ぶ。
男はじっと聞いている。菱採り女の歌声に聴きほれて
夜道をいっしょに 歌って帰る
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- 2012/04/25(水) 07:01:52|
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23秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。
秋浦歌十七首 其十二 李白特集 -256/350
秋浦歌十七首其十二
水如一匹練。此地即平天。
耐可乘明月。看花上酒船。
秋浦の歌十七首 其の十二
水は一匹の練(れん)の如し、
此の地 即ち 平天(へいてん)なり。
耐(よ)く 明月に乗じて、
花を看るには 酒船(しゅせん)に上る可し。
秋浦歌十七首 其十二 現代語訳と訳註
(本文) 其十二
水如一匹練。 此地即平天。
耐可乘明月。 看花上酒船。
(下し文) 其の十二
水は一匹の練(れん)の如し、此の地 即ち 平天(へいてん)なり。
耐(よ)く 明月に乗じて、花を看るには 酒船(しゅせん)に上る可し。
(現代語訳)
永王軍により、蜀からこの地、すなわち平天湖あたりまで平定されたので、長江は、ゆっくりとはるか遠くまで流れゆく水面一疋の練り絹のように穏やかである。
戦いを進めて長安奪還するには今夜の明月にのっていくことべきであろう、そうすれば花のさくころには都で花見ができるだろう、そして攻め入った戦艦は酒の宴の船になることだろう。
(訳注)
水如一匹練。 此地即平天。
永王軍により、蜀からこの地、すなわち平天湖あたりまで平定されたので、長江は、ゆっくりとはるか遠くまで流れゆく水面一疋の練り絹のように穏やかである。
○疋 織物二反を単位として数えることば。○練 ねりぎぬ。灰汁などで煮てやわらかくした絹。白く光沢がある。○平天 天に平らかに連なっているという意味と、平天湖という湖をしめす。この湖は池州の西南3kmほどのところにあり、斉山の麓にあって清渓に通じていたのではないだろうか。
耐可乘明月。 看花上酒船。
戦いを進めて長安奪還するには今夜の明月にのっていくことべきであろう、そうすれば花のさくころには都で花見ができるだろう、そして攻め入った戦艦は酒の宴の船になることだろう。
○耐可 当時の口語。「能可」「寧可」とおなじ。むしろ……すべし。長江に映る明月にのる、つまり船団に乗り込み攻め入ったらよいのではないか。長江の支配権は永王銀が抑えたのだ夏から秋にかけ、安禄山討伐の募集をかけて集結してきた諸侯により、数万の軍団になったのである。
(解説)
長江にあった叛乱軍を詩題に追い詰め、蜀から金陵あたりまで、永王軍が一気に抑えた。実際には、玄宗皇帝が長江中流域の荊州、江陵から金陵付近の潘鎮諸公が永王軍に集結して恭順をあらわしたため闘う前で、平定されていったのである。
粛宗は北の霊武から南下して長安洛陽を奪還する。永王は水路、蜀から東征し、金陵から北上して運河を都まで攻め入ること、この作戦を詩にしたものではないだろうか。李白は、この詩の段階ではまだ永王軍に参加しているわけではないので、漠然とした様子を詠ったのである。
通常の解釈
川の水はちょうど一疋のねりぎぬのように、良くのびて、白く光っている。ここは天に平らかに連なっている。
いっそのこと、明月にのぼって、花をながめ酒の船にのりたいものだ。
(多くの本、WEBでも大方上のような解釈である、これは大きなパズルの一個を取り出して、そのなかにあがかれているものだけを見ているから、意味不明になる。この秋浦の歌十七首、こじつけか意味不明の解釈ばかりである。)
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
- 2012/04/24(火) 06:59:39|
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