道をたずねる。
博愛之謂仁,行而宜之之謂義。
分け隔てなく人々を愛すること、これを仁という。そういう行為は適宜におこなうこと、これを義という。
由是而之焉之謂道,足乎己無待於外之謂德。
この仁と義により通って行くこと、これを道という。人が生まれならに得ている性格、また学問や修養によって身つけ得たもの、外から何にもしないで与えられることを待たないものであること、これを徳という。徳は得、自身に得ている人格である
仁與義為定名,道與德為?位。
この場合、仁と義は具体的に人を愛する情と、適宜という理性をもって行いを宜しくする筋道とであるから、定格した名称である。それに反して、道と徳は由るべき道とか、得ている性格とかいうものであるからそれは内容の虚しいものでしかないのだ。従って各種の内容の入り得る場所、すなわち抽象概念である。
故道有君子小人,而德有凶有吉。
それ故、道には君子のものがあり、小人の道もある。そして徳には悪い不祥な人格もあれば、良い嘉すべき人格もあるということである。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-1>Ⅱ中唐詩573 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1858 |
2段目
老子之小仁義,非毀之也,其見者小也。
老子がこれまでいう儒家の説く仁義をとるにたらないものとしている、そして仁義をそしるのである、それは彼の視点が小さいことからのものである。
坐井而觀天,曰天小者,非天小也。
その小さい視点というのは井戸の中に座って天を観て、天は小さいというものである。これは天が小さいのではないのであるということである。
彼以煦煦為仁,孑孑為義,其小之也則宜。
彼は小さな日光で温められたようなわずかな愛情の様子を見てそれが仁であるとし、孤立して小さく自己を守るのを義であると思ったことであるし、彼が仁義のとらえ方を小さなものであるとするのも、またもっともなことといえるのである。
其所謂道,道其所道,非吾所謂道也;
彼のいうところの道は、彼が道であるとするところの形而上的、主観的なものを道とするのであり、万物現象の奥にある本体を名づけて道とするのであるから、私のいうところの人間の身に実践で得た道徳性のものをいうのではないのである。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-2>Ⅱ中唐詩574 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1862 |
彼(老子)のいういわゆる徳というのは、彼が徳であると意識・認識する所のものを徳とし、形而上の本体の無為自然の在り方に従って生得する自然の性を徳とするのである。私のいうところの人間の身に得た道徳性ではないのである。
凡吾所謂道德云者,合仁與義言之也,天下之公言也。
およそ私のいうところの道徳というものは、人間愛の仁と、理性に照らして宜しとする義とを合わせていうのである。これは天下のどこでも通用する言葉であるのだ。
老子之所謂道德云者,去仁與義言之也,一人之私言也。
老子のいうところの道徳というのは(次元が違っていて)、この仁と義とを捨て去っていうのである。
老子一人の個人的な言葉であるとするものである
原道 韓退之(韓愈)詩<115-3>Ⅱ中唐詩575 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1866 |
周道衰,孔子沒。
周王朝の政道が衰え、孔子が死去して以後、その教えも没していく。
火于秦,?老于漢,
秦の始皇帝の時に、儒書を焼く弾圧があり、漢代には黄帝老子の黄老思想が盛んになっていく、
佛于晉、魏、梁、隋之間。
晋・北魏・梁・隋の南北朝の間には仏教を信じるものが主流になっている。
其言道德仁義者,不入于楊,則入于墨。
その六朝時代に道徳や仁義を言う者は、楊朱の「為我説」の個人主義にはいり、はいらない場合は、墨子の兼愛・非戦・節倹の道にはいっていたのだ。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-4>Ⅱ中唐詩576 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1870 |
墨子の説に入らないものは、老子の価値は相対的なものと考え、自然の道家の思想にはいっており、老子の道にはいらなければ、仏教の道にはいっている。
入于彼,必出于此。
彼ら考えに入るには、必ずこちらを出て行くわけである。
入者主之,出者奴之;
進んではいった思想は、これを主人として尊び、出て来た思想は、これを奴隷としていやしめるものである。
入者附之,出者?之。
はいった思想には付き随っていて、出る前の思想に対しては、これを穢れたつまらぬものとするのである。
噫!後之人其欲聞仁義道德之?,孰從而聽之?
ああ、こんなことでは後世の人が、一体、仁義道徳の説を聞こうと思っても、誰に従ってこれを聴こうか。聴くべき人がいなくなったのである。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-5>Ⅱ中唐詩577 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1874 |
4段目-1
老者曰:「孔子,吾師之弟子也。」
老子学派の者はいう、『史記』に「孔子はわが師老子の弟子である。」と書いてあり、老子に礼を学んだことがあるといわれているのだ、と。
佛者曰:「孔子,吾師之弟子也。」
また仏教徒はいう、三聖化現説において、「孔子はわが師釈迦の弟子、光浄菩薩であるされている」と。
為孔子者,習聞其?,樂其誕而自小也,
孔子の儒学を学んでいるものでさえも、彼ら仏教者、老子思想者の説を聞きいれ慣らされてて、彼らのでたらめの説を楽しくうけいれ、自分の儒教の学問を飽きて、つまらぬものと思うようになる。
亦曰:「吾師亦嘗師之云爾。」
そしてまたいう、「わが師とする孔子も、またかつて老子や釈迦を師として学んだと、そういうことである」と。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-6>Ⅱ中唐詩578 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1878 |
不惟舉之於其口,而又筆之 於其書。
ただこれを口にだしてあげつらっていうだけでなく、その上このことを書物に筆録しているのである。
噫!後之人,雖欲聞仁義道德之?,
ああ、このようであるから、後世にいたる世の人に対して仁義遺徳についての説を聞こうと思うのであるが、
そのことを従って聞ける人がいるのか、誰にこの説明を求めればよいのか。こんなにも厭飽されかたの何と甚しいことであろうか、どうして人々が道理にあわないようなあやしい話を好むのであろうか。
其孰從而求之?甚矣!人之好怪也,
その物事のはじめ、始まりを追求しないというのはどうであろう。その結末をもただし問わないというのもどうだろう。
不求其端,不訊其末,惟怪之欲聞。
ただ怪しい迷信や、伝説のような話ばかりを聞きたがっているのである。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-7>Ⅱ中唐詩579 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1882 |
5段目
古之為民者四,今之為民者六。
古代より生き方からの民のとらえ方として四分類できるとされていた、士・農・工・商の四分類である。今、これをみなおして民を考えてみると、六分類の範疇であろう、それは士・農・工・商・仏・老である。
古之教者處其一,今之教者處其三。
古代よりの民を教えた者は、四民の一つを占めていた士である。今の世の民を教えるものは、六民のうちの三を占めている士(儒)・仏・老である。
農之家一,而食粟之家六。
農の家は六分類されるうちの一つの部分であるのに、穀物を食う家は六つのものすべてであるのだ。
工之家一,而用器之家六。
工人の家は一つであるのに、工人の作る器を用いる家は六である。
賈之家一,而資焉之家六。
商人の家は一つの部門であるのにもかかわらず、物資の供給はすべての六部門にされ、生活するのである。
奈之何民不窮 且盜也!
このように生活に必要なものを生産や流通させる仕事をするものが少ないのにたいして、消費する者はすべてのものなのである。したがって生活が困窮して、盗みをするということになるのである。世の常識としてそういう結果にならざるをえないということだ。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-8>Ⅱ中唐詩580 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1886 |
6段目
古之時,人之害多矣。
古代には人々にとっての害が多かった。
有聖人者立,然後教之以相生養之道。
そのため、智徳の最高にすぐれた聖人が帝位について継承して人を治めるということがなされ、それから後にこれを人に教えるのに、人々が互いに助け合って生き養う道を自らが行うことを示したのである。
為之君,為之師,
そして人民の君主となって治め、人民の師となって教えまず文明をもたらしたのである。
驅其蟲蛇禽獸,而處之中土。
先に述べた四分類からはみ出した人民を苦しめる盗賊を虫や蛇、鳥や獣を追いなくした。国土の中央を中原として豊かにすることで害のない処としたのだ。
寒,然後為之衣。飢,然後為之食。
まず寒さについて、即位後武具よりもはじめて衣服作りを優先させ、飢えにたしてはその後に武器生産より食糧生産を挙げることで食を成立させたのである。
木處而顛,土處而病也,然後為之宮室。
それまで木の上に棲んで落ちるものがおおく、土の穴(ヤオトン)に住んでいるため病気も発生した、だから帝位について後に人民の家を造りを進めたのである。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-9>Ⅱ中唐詩581 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1890 |
為之工,以贍其器用。
人民のための工業職をつくって、それでもって人々の器物を作り作業が十分にできるようにした。
為之賈,以通其有無。
その生活の不足を補うために商業、商店を作って、それでもって物資を有るところから無い所に運び商売をさせた。
為之醫藥,以濟其夭死。
人民のための医者や薬材を造くらせ、それでもって若か死することの治療にたいしてと、老死を少しでも救う手だてを作った。
為之葬埋祭祀,以長其恩愛。
人民のための死者の埋葬の礼法や祭りの儀式をつくって、それでもって、彼らの死者や先祖にたいして慈恩精神や、愛する心を増すこととなったのだ。
為之禮,以次其先後。
彼らの身分制度、社会制度を道徳形式をつくり定めることでもって、彼らの身分の後先順序、社会秩序を整えたのである。
為之樂,以宣其?鬱。
人民のための音楽を作って情操教育とし、それでもって彼らの沈みふさがった心をのびのびと発散させるものとしたのだ。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-10>Ⅱ中唐詩582 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1894 |
為之政,以率其怠倦。
人民のための施政を行う指針の政策を作った。それにより、飽きたり、厭になったり、なまけたりしている人民の心を引き立て、持ち直すようにしたのである。
為之刑,以鋤其強梗。
更に進めて、彼らのために刑罰を作った。それでもって横暴や暴力で邪魔をする者を鋤き取ったのである。
相欺也,為之符璽斗斛權衡以信之。
人民同士で互いに欺き合うという場合のことも考えた。彼らのために割符や印判、一斗、一斛(石)の枡や計量器を作って、それでもって誤魔化しや偽りがないように取り決めと取締りをしたのだ。
相奪也,為之城郭甲兵以守之。
また互いに争いごとや奪い合うときのことにもたいしょした。人民のために、城壁や外城壁をつくりそのなかであんぜんにくらせるようにし、、鎧や武器を作って、軍隊として整備して人民生活を守ったのである。
害至而為之備,患生而為之防。
敵よる害、災害などがの予防策もした。まず、考えられる諸災害の備えをすることをし、新たな外患、内患が生じたら、ただちにその防禦の方法を作り出したのである。
原道 韓退之(韓愈)詩<115-11>Ⅱ中唐詩583 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1898 |
7段目
今其言曰:「聖人不死,大盜不止。
今、老荘の言説にいう、「聖人が死に去らなければ、世に大盗賊はやまない。聖人が智を用いると、その智を悪用して、天下の民をあざむき盗むものが出るからである。
剖斗折衡,而民不爭。」
また桝を破り、はかりのさおを折ってしまえば、分量を計り較べることができないのである。そうすれば人民は利を争わなくなるというものだ。」と。
嗚呼!其亦不思而已矣!
ああ、このことはかれらは物の理を思わないからこそ、このようなことをいうのである。
如古之無聖人,人之類滅久矣。
もし古代に聖人がいなかったら、人類は生活できずに、滅亡していて久しくなることであっただろう。
何也?無羽毛鱗介以居寒熱也,無爪牙以爭食也。
それは何故なのだろうか。それは、人類には羽や毛皮や、うろこや貝殻などの、寒熱の地に居るための防護のすべがないということからである。また爪やきばなど、それをもって食物を争い取る武器を動物のように具えていないのである。ということで、生活の技術を教えてくれなければ、人類は死滅するよりほかなかった。
原道 韓愈 (韓退之)<115-12>Ⅱ中唐詩584 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1902 |