309 《韓愈哲学 《原 性》 儒家道徳の根源・本質をたずねる論文。》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3871
- 2014/03/10
- 00:14
韓愈哲学 《原 性》 儒家道徳の根源・本質をたずねる論文。
「性」という感情の品には、上・中・下の三つの品がある。その感情の種類とするところのものは七種である。まず、「喜び」である。続いて言うのは「怒り」であり、続いて言うのは「哀しみ」であり、続いて言うのは「懼れ」であり、続いて言うのは「愛」であり、続いて言うのは「悪【にく】しみ」であり、続いて言うのは「欲」である。上等の情とこの七種の感情との関係は、情が動いて、しかも過不足のない適度のところに安定しているものである。
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韓愈哲学 《原 性》 儒家道徳の根源・本質をたずねる論文。 | |||
五原:「原道」「原性」「原人」「原鬼」「原毀」 | |||
《原 性》 人間の倫理性の本質を原【たず】ねる論文。孟子の性善、荀子の性悪、揚雄の性善悪混在説の三説に対して、韓愈は性に上・中・下三等の区別があるとし、その上品と下品の性は移らないものであるという新しい見解を述べた。 「性」というものは、誕生により生ずるのであり、人間の生きるための心のはたらきである。「情」というものは、生まれ持つ「性」という心のはたらきが外物と接して生ずる感情をいうのである。性の区別等級に三つあって、その性という概念に五種類がある。感情の品等に三つあって、その情というものに七種類がある。 | |||
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原性 韓愈(韓退之) <116-1>Ⅱ中唐詩599 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1979
人間の倫理性の本質を原【たず】ねる論文。孟子の性善、荀子の性悪、揚雄の性善悪混在説の三説に対して、韓愈は性に上・中・下三等の区別があるとし、その上品と下品の性は移らないものであるという新しい見解を述べた。
原性一段目
性也者,與生俱生也;
「性」というものは、誕生により生ずるのであり、人間の生きるための心のはたらきである。
情也者,接於物而生也。
「情」というものは、生まれ持つ「性」という心のはたらきが外物と接して生ずる感情をいうのである。
性之品有三,而其所以為性者五;
性の区別等級に三つあって、その性という概念に五種類がある。
情之品有三,而其所以為情者七。
感情の品等に三つあって、その情というものに七種類がある。
性なる者は生と倶に生ずるなり。
情なる者は物に接して生ずるなり。
性の品に三有り。而して其の性為る所以の者五あり。
情の品に三有り。而して其の情為る所以の者七あり。
『原性』一段目 現代語訳と訳註
(本文)
性也者,與生俱生也;
情也者,接於物而生也。
性之品有三,而其所以為性者五;
情之品有三,而其所以為情者七。
(下し文)
性なる者は生と倶に生ずるなり。
情なる者は物に接して生ずるなり。
性の品に三有り。而して其の性為る所以の者五あり。
情の品に三有り。而して其の情為る所以の者七あり。
(現代語訳)
「性」というものは、誕生により生ずるのであり、人間の生きるための心のはたらきである。
「情」というものは、生まれ持つ「性」という心のはたらきが外物と接して生ずる感情をいうのである。
性の区別等級に三つあって、その性という概念に五種類がある。
感情の品等に三つあって、その情というものに七種類がある。
(訳注) 一段目
性也者,與生俱生也;
「性」というものは、誕生により生ずるのであり、人間の生きるための心のはたらきである。
情也者,接於物而生也。
「情」というものは、生まれ持つ「性」という心のはたらきが外物と接して生ずる感情をいうのである。
性之品有三,而其所以為性者五;
性の区別等級に三つあって、その性という概念に五種類がある。
○性 字形が心に従い、生に従うように、人が生まれながらに得た心のはたらきをいう。また生きるための心のはたらきでもあり、道徳的理性と食色の本能的感性とをあわせて性という。
・性善説 人間の本性は基本的に善であるとする倫理学・道徳学説、特に儒教主流派の中心概念。人の本性に関する考察は古今東西行われてきたが、「性善説」ということばは儒家のひとり孟子に由来する。
・性悪説 《荀子》の〈性悪篇〉には〈人の性は悪なり,その善なる者は偽なり〉と説く。偽とは,作為のことで,後天的努力をいう。人は無限の欲望をもち,放任しておけば他人の欲望と衝突して争いを起こし,社会は混乱におちいるであろう。放任しておくと悪にむかう人の性,それは悪といわざるをえない。性の悪なる人間を善に導くためには,作為によって規制しなければならない。先王が礼を作ったのは,人の欲望を規制して社会に秩序を確保するためであった。
情之品有三,而其所以為情者七。
感情の品等に三つあって、その情というものに七種類がある。
〇惰 性、すなわち生得の心のはたらきが、物に接して生ずる感情をいう。
三:「上・中・下」
五:「仁・禮・信・義・智」、
七:「喜・怒・哀・憾・愛・悪・欲の七者は、学はずして能くす」とある、自然の心理作用とする。
曰:何也?
続いて言う:それはどういうことかといえば、次のようなわけである。
曰:性之品有上中下三。
続いて言う:「性」それは“人の誕生により生ずるもののであり、人間の生きるための心のはたらきである”ものに上・中・下の三等があるということだ。
上焉者,善焉而已矣;
その内の上等のものは善ばかりということである。
中焉者,可導而上下也;
その内の中等のものは、導きにより上等にも下等にもなりうるものである。
下焉者,惡焉而已矣。
その内の下等のものは、悪ばかりということである。
其所以為性者五:
人間の心の働きとするところの「性」に五種ある。
曰仁、曰禮、曰信、曰義、曰智。
「仁」という人間愛の心であり、「礼」という道徳形式の定めに従う心であり、「信」という言行一致のいつわりのない心であり、「義」という理性によって正しい行いをする心であり、「智」という善悪是非を判断する心のはたらきである。
#3
上焉者之於五也,主於一而行於四;
中焉者之於五也,一不少有焉,
則少反焉,其於四也混;
下焉者之於五也,反於一而悖於四。
性之於情視其品。
日く、性の品に上中下の≡有り。
上なる者は善のみ。
中なる者は導いて上下す可きなり。
下なる者は悪のみ。
其の性為る所以の者五あり。日く仁、白く禮、日く信、曰くく義、日く智と。
上なる者の五に於けるや、一に主にして四に行はる。中なる者の五に於けるや、一少しく有せざれは、則ち少しく反し、其の四に於けるや混す。
下なる者の五に於けるや、一に反して四に悖る。性の情に於ける、其の品に視ふ。

#2『原性』二段目 現代語訳と訳註
(本文)
曰:何也?
曰:性之品有上中下三。
上焉者,善焉而已矣;
中焉者,可導而上下也;
下焉者,惡焉而已矣。
其所以為性者五:
曰仁、曰禮、曰信、曰義、曰智。
(下し文)
日く、何ぞやと。
日く、性の品に上中下の≡有り。
上なる者は善のみ。
中なる者は導いて上下す可きなり。
下なる者は悪のみ。
其の性為る所以の者五あり。日く仁、白く禮、日く信、曰くく義、日く智と。
上なる者の五に於けるや、一に主にして四に行はる。中なる者の五に於けるや、一少しく有せざれは、則ち少しく反し、其の四に於けるや混す。
下なる者の五に於けるや、一に反して四に悖る。性の情に於ける、其の品に視ふ。
(現代語訳)
続いて言う:それはどういうことかといえば、次のようなわけである。
続いて言う:「性」それは“人の誕生により生ずるもののであり、人間の生きるための心のはたらきである”ものに上・中・下の三等があるということだ。
その内の上等のものは善ばかりということである。
その内の中等のものは、導きにより上等にも下等にもなりうるものである。
その内の下等のものは、悪ばかりということである。
(訳注)#2二段目
性の三品について述べる。
曰:何也?
続いて言う:それはどういうことかといえば、次のようなわけである。
曰:性之品有上中下三。
続いて言う:「性」それは“人の誕生により生ずるもののであり、人間の生きるための心のはたらきである”ものに上・中・下の三等があるということだ。
上焉者,善焉而已矣;
その内の上等のものは善ばかりということである。
中焉者,可導而上下也;
その内の中等のものは、導きにより上等にも下等にもなりうるものである。
下焉者,惡焉而已矣。
その内の下等のものは、悪ばかりということである。
其所以為性者五:曰仁、曰禮、曰信、曰義、曰智。
人間の心の働きとするところの「性」に五種ある。「仁」という人間愛の心であり、「礼」という道徳形式の定めに従う心であり、「信」という言行一致のいつわりのない心であり、「義」という理性によって正しい行いをする心であり、「智」という善悪是非を判断する心のはたらきである。
○仁・礼・信・義・智 人間の生得の道徳的理性の内容。いわゆる五常の徳である。人の常に行うべき五つの道,仁・義・礼・智・信をいう。性善説をとなえた孟子は,他人の不幸を見すごすことのできない〈惻隠(そくいん)の心〉を仁の端,不善を恥じにくむ〈羞悪(しゆうお)の心〉を義の端,権威に服従する〈辞譲の心〉を礼の端,善悪を弁別する〈是非の心〉を智の端と言い,この四端は道徳そのものではないが,これを拡充すれば仁・義・礼・智の徳が成立すると説いた。漢代になると董仲舒(とうちゆうじよ)はこれに信を加え,木・火・土・金・水の五行(ごぎよう)に配して,五常と称した。
<仁>
人を思いやること。孔子は、仁をもって最高の道徳であるとしており、日常生活から遠いものではないが、一方では容易に到達できぬものとした。
『論語』では、ある場合は「人を愛すること」と説明し、顔回の質問に対しては、「克己復礼」すなわち「己に克ちて礼を復むを仁と為す(私心を克服して礼を重んじること。それが仁である)と答えている。前者は外部に対する行為を指し、後者すなわち顔回に対する答えは自身の内なる修養のあり方を指している。具体的な心構えとしては、「己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」(『論語』顔淵篇)がよく知られている。すなわち、「仁」とは、思いやりの心で万人を愛し、利己的な欲望を抑えて礼儀をとりおこなうことである。
<義>
利欲にとらわれず、なすべきことをすること。正義。中国思想においては、常に「利」と対比される概念である。
<礼>
「仁」を具体的な行動として、表したもの。もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していた。のちに、人間社会の上下関係で守るべきことを意味するようになった。儒者のなかでも、性悪説の立場に立った荀子は特に「礼」を重視した。
<智>
学問に励むこと、知識を重んじること。
<信>
友情に厚く、言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。孟子の四端説における「仁義礼智」の四徳に対し、前漢の董仲舒は五行説にもとづいて「信」を加えた。
#3
上焉者之於五也,主於一而行於四;
上等の生まれつきのものの、この五種の徳性に対する関係は、その内一つを主として、他の四種に行きわたり働く(実行は相互に関係して成長するもの)。
中焉者之於五也,一不少有焉,
中等の性のものが、五つの徳性に対する関係は、その内一種が少しだけ有るという程度である。
則少反焉,其於四也混;
あるいは、少し叛いている。そして他の四種の徳は、備えていたり、不足していたりして、混合、不安定な状態である。
下焉者之於五也,反於一而悖於四。
性の下等な者が、五つの徳に対する心の働きは、その内の一つには完全にそむいていて、他の四種についても実行しようと云う意識にもかけているということだ。
性之於情視其品。
生れながらにそなわった「性」と「情」との関係は、情の上中下の三品位に比例していているのである。
日く、何ぞやと。
日く、性の品に上中下の≡有り。
上なる者は善のみ。
中なる者は導いて上下す可きなり。
下なる者は悪のみ。
其の性為る所以の者五あり。日く仁、白く禮、日く信、曰くく義、日く智と。
上なる者の五に於けるや、一に主にして四に行はる。
中なる者の五に於けるや、一少しく有せざれは、
則ち少しく反し、其の四に於けるや混す。
下なる者の五に於けるや、一に反して四に悖る。
性の情に於ける、其の品に視ふ。
#2『原性』二段目 現代語訳と訳註
(本文) #3
上焉者之於五也,主於一而行於四;
中焉者之於五也,一不少有焉,
則少反焉,其於四也混;
下焉者之於五也,反於一而悖於四。
性之於情視其品。
(下し文)
日く、何ぞやと。
日く、性の品に上中下の≡有り。
上なる者は善のみ。
中なる者は導いて上下す可きなり。
下なる者は悪のみ。
其の性為る所以の者五あり。日く仁、白く禮、日く信、曰くく義、日く智と。
上なる者の五に於けるや、一に主にして四に行はる。中なる者の五に於けるや、一少しく有せざれは、則ち少しく反し、其の四に於けるや混す。
下なる者の五に於けるや、一に反して四に悖る。性の情に於ける、其の品に視ふ。
(現代語訳)
上等の生まれつきのものの、この五種の徳性に対する関係は、その内一つを主として、他の四種に行きわたり働く(実行は相互に関係して成長するもの)。
中等の性のものが、五つの徳性に対する関係は、その内一種が少しだけ有るという程度である。
あるいは、少し叛いている。そして他の四種の徳は、備えていたり、不足していたりして、混合、不安定な状態である。
性の下等な者が、五つの徳に対する心の働きは、その内の一つには完全にそむいていて、他の四種についても実行しようと云う意識にもかけているということだ。
生れながらにそなわった「性」と「情」との関係は、情の上中下の三品位に比例していているのである。
(訳注) #3
上焉者之於五也,主於一而行於四;
上等の生まれつきのものの、この五種の徳性に対する関係は、その内一つを主として、他の四種に行きわたり働く(実行は相互に関係して成長するもの)。
〇一 五常(仁・礼・信・義・智)のうちのどれか一種の徳をいう。必ずしも信をさすのではない。
中焉者之於五也,一不少有焉,
中等の性のものが、五つの徳性に対する関係は、その内一種が少しだけ有るという程度である。
則少反焉,其於四也混;
あるいは、少し叛いている。そして他の四種の徳は、備えていたり、不足していたりして、混合、不安定な状態である。
○混 善悪混合、多かったり、すくな語りその時々で変わる不安定な状態である。
下焉者之於五也,反於一而悖於四。
性の下等な者が、五つの徳に対する心の働きは、その内の一つには完全にそむいていて、他の四種についても実行しようと云う意識にもかけているということだ。
○悖 もとる。さからう。
性之於情視其品。
生れながらにそなわった「性」と「情」との関係は、情の上中下の三品位に比例していているのである。
○視 なぞらえる。比べる。
○其品 情の上中下の三品位。
#4 三段目 の1
情之品有上中下三,其所以為情者七:
「性」という心のはたらきが外物と接して生ずる感情の品には、上・中・下の三つの品がある。その感情の種類とするところのものは七種である。
曰喜、曰怒、曰哀、曰懼、曰愛、曰惡、曰欲。
まずいう、「喜び」である。続いて言うのは「怒り」であり、続いて言うのは「哀しみ」であり、続いて言うのは「懼れ」であり、続いて言うのは「愛」であり、続いて言うのは「悪【にく】しみ」であり、続いて言うのは「欲」である。
上焉者之於七也,動而處其中;
上等の情とこの七種の感情との関係は、情が動いて、しかも過不足のない適度のところに安定しているものである。
#5 三段目 の2
中焉者之於七也,有所甚,
有所亡,然而求合其中者也;
下焉者之於七也,亡與甚,直情而行者也。
情之於性視其品。
情の品に上中下の三有り。其の情爲る所以【ゆえん】の者七あり。曰く喜、曰く怒、日く京、曰く怖、曰く愛、曰く悪、曰く欲と。
上なる者の七に於けるや、動いて其の中に處【お】る。
中なる者の七に於けるや、甚しき所有り、
亡き所有り。然れども其の中に合はんことを求むる者なり。
下なる者の七に於けるや、亡きと甚【はなはだ】しきと、直情にして行ふ者なり。
情の性に於ける、其の品に視【なぞら】ふと。
『原性』三段目 現代語訳と訳註
(本文) #4 三段目 の1
情之品有上中下三,其所以為情者七:
曰喜、曰怒、曰哀、曰懼、曰愛、曰惡、曰欲。
上焉者之於七也,動而處其中;
(下し文)
情の品に上中下の三有り。其の情爲る所以【ゆえん】の者七あり。曰く喜、曰く怒、日く京、曰く怖、曰く愛、曰く悪、曰く欲と。
上なる者の七に於けるや、動いて其の中に處【お】る。
(現代語訳)
「性」という心のはたらきが外物と接して生ずる感情の品には、上・中・下の三つの品がある。その感情の種類とするところのものは七種である。
まずいう、「喜び」である。続いて言うのは「怒り」であり、続いて言うのは「哀しみ」であり、続いて言うのは「懼れ」であり、続いて言うのは「愛」であり、続いて言うのは「悪【にく】しみ」であり、続いて言うのは「欲」である。
上等の情とこの七種の感情との関係は、情が動いて、しかも過不足のない適度のところに安定しているものである。
(訳注)
一段目
性也者,與生俱生也;
「性」というものは、誕生により生ずるのであり、人間の生きるための心のはたらきである。
情也者,接於物而生也。
「情」というものは、生まれ持つ「性」という心のはたらきが外物と接して生ずる感情をいうのである。
性之品有三,而其所以為性者五;
性の区別等級に三つあって、その性という概念に五種類がある。
情之品有三,而其所以為情者七。
感情の品等に三つあって、その情というものに七種類がある。
#4 三段目 の1
情之品有上中下三,其所以為情者七:
「性」という心のはたらきが外物と接して生ずる感情の品には、上・中・下の三つの品がある。その感情の種類とするところのものは七種である。
曰喜、曰怒、曰哀、曰懼、曰愛、曰惡、曰欲。
まずいう、「喜び」である。続いて言うのは「怒り」であり、続いて言うのは「哀しみ」であり、続いて言うのは「懼れ」であり、続いて言うのは「愛」であり、続いて言うのは「悪【にく】しみ」であり、続いて言うのは「欲」である。
上焉者之於七也,動而處其中;
上等の情とこの七種の感情との関係は、情が動いて、しかも過不足のない適度のところに安定しているものである。
○処中 中は過不足のない適当のところ。処るとは、安んじて居る。道理に中(あた)るところに安定していることをいう。
#5 三段目 の2
中焉者之於七也,有所甚,
中等者の「情」とこの「七種の感情」との関係は、過度に発動するところがあるものである。
有所亡,然而求合其中者也;
と同時に欠乏しているところがあるのである。しかし、その過不足のないところに適合させることを求めるのである。
下焉者之於七也,亡與甚,直情而行者也。
下等者の「情」とこの「七種の感情」との関係は、全く欠乏しているのと、過度のものと、ともにその感情の動くままに行うものをいうのである。
情之於性視其品。
「情」と「性」との関係は、性の品の等級に見合っているものというわけである。
情の品に上中下の三有り。其の情爲る所以【ゆえん】の者七あり。曰く喜、曰く怒、日く京、曰く怖、曰く愛、曰く悪、曰く欲と。
上なる者の七に於けるや、動いて其の中に處【お】る。
中なる者の七に於けるや、甚しき所有り、
亡き所有り。然れども其の中に合はんことを求むる者なり。
下なる者の七に於けるや、亡きと甚【はなはだ】しきと、直情にして行ふ者なり。
情の性に於ける、其の品に視【なぞら】ふと。
#5『原性』 三段目 の2 現代語訳と訳註
(本文)
中焉者之於七也,有所甚,
有所亡,然而求合其中者也;
下焉者之於七也,亡與甚,直情而行者也。
情之於性視其品。
(下し文)
中なる者の七に於けるや、甚しき所有り、
亡き所有り。然れども其の中に合はんことを求むる者なり。
下なる者の七に於けるや、亡きと甚【はなはだ】しきと、直情にして行ふ者なり。
情の性に於ける、其の品に視【なぞら】ふと。
(現代語訳)
中等者の「情」とこの「七種の感情」との関係は、過度に発動するところがあるものである。
と同時に欠乏しているところがあるのである。しかし、その過不足のないところに適合させることを求めるのである。
下等者の「情」とこの「七種の感情」との関係は、全く欠乏しているのと、過度のものと、ともにその感情の動くままに行うものをいうのである。
「情」と「性」との関係は、性の品の等級に見合っているものというわけである。
(訳注)
#5 三段目 の2
中焉者之於七也,有所甚,
中等者の「情」とこの「七種の感情」との関係は、過度に発動するところがあるものである。
○甚 七情の過度に発動すること。
有所亡,然而求合其中者也;
と同時に欠乏しているところがあるのである。しかし、その過不足のないところに適合させることを求めるのである。
〇亡 七情の欠乏していること。
下焉者之於七也,亡與甚,直情而行者也。
下等者の「情」とこの「七種の感情」との関係は、全く欠乏しているのと、過度のものと、ともにその感情の動くままに行うものをいうのである。
○直情而行 情の動くままに行動する。直情径行とは。意味や解説。感情の赴くに任せて思うとおりに行動すること。▽「直情」はありのままの感情、「径行」は思うことを曲げないで、そのままに行動すること。「情 を直【なお】くして径【ただ】ちに行う」『礼記』檀弓篇に「直情にして径行する者有り、夷秋の道なり」とある。
情之於性視其品。
「情」と「性」との関係は、性の品の等級に見合っているものというわけである。
〇其品 性の品等級。
四段目
孟子之言性曰:人之性善。
孟子の性を論ずる説にいう。:人の性は善である。
荀子之言性曰:人之性惡。
筍子の人の性を論ずる説はこういう:人の性は悪である。
揚子之言性曰:人之性善惡混。
揚子の人の性を論ずる説はこういう。:人の性は善と悪が混合しているのである。
夫始善而進惡,與始惡而進善,與始也混而今也善惡,
そもそも始めは善いけれども悪に進むという孟子の説と、もともと悪いけれども善に進むという荀子の説と、始めは善悪混合しているけれども、今は善となり、或いは悪にとなるという揚雄の説である。
皆舉其中而遺其上下者也,得其一而失其二者也。
それぞれの挙げている説には、その性の中等のものを取りあげて論じているのであり、その上等のものと下等のものとを忘れているのである。その一つである中等の性を理解してはいるが、他の二つ、上等と下等の性を論外のものとして見落としているのだ。
孟子の性を言ふ、日く、人の性は善なりと。
荀子の性を言ふ、日く、人の性は悪なりと。
揚子の性を言ふ、日く、人の性は善悪混ずと。
夫れ始め善にして悪に進むと、始め悪にして善に進むと、始めや混じて今や善悪なると、
皆其の中を挙げて其の上下を遺す者なり。其の一を得て、其の二を失ふ者なり。
『原性 四段目』 現代語訳と訳註
(本文)
孟子之言性曰:人之性善。
荀子之言性曰:人之性惡。
揚子之言性曰:人之性善惡混。
夫始善而進惡,與始惡而進善,與始也混而今也善惡,
皆舉其中而遺其上下者也,得其一而失其二者也。
(下し文) 四段目
孟子之言性曰:人之性善。
荀子之言性曰:人之性惡。
揚子之言性曰:人之性善惡混。
夫始善而進惡,與始惡而進善,與始也混而今也善惡,
皆舉其中而遺其上下者也,得其一而失其二者也。
(現代語訳)
孟子の性を論ずる説にいう。:人の性は善である。
筍子の人の性を論ずる説はこういう:人の性は悪である。
揚子の人の性を論ずる説はこういう。:人の性は善と悪が混合しているのである。
そもそも始めは善いけれども悪に進むという孟子の説と、もともと悪いけれども善に進むという荀子の説と、始めは善悪混合しているけれども、今は善となり、或いは悪にとなるという揚雄の説である。
それぞれの挙げている説には、その性の中等のものを取りあげて論じているのであり、その上等のものと下等のものとを忘れているのである。その一つである中等の性を理解してはいるが、他の二つ、上等と下等の性を論外のものとして見落としているのだ。
(訳注) 四段目
孟子之言性曰:人之性善。
孟子の性を論ずる説にいう。:人の性は善である。
○性善 『孟子』滕文公上篇に「孟子道性善、言必稱堯舜。道、言也。性者、人所禀於天以生之理也。」(孟子性善を道い、言えば必ず堯舜を稱す。道は、言うなり。性は、人の天に禀け以て生じる所の理なり。)
荀子之言性曰:人之性惡。
筍子の人の性を論ずる説はこういう:人の性は悪である。
○性悪 『荀子』に「性悪篇」があり、人の性は皆悪であり、礼をもって矯正しなければ、善をなすことはできないという。
揚子之言性曰:人之性善惡混。
揚子の人の性を論ずる説はこういう。:人の性は善と悪が混合しているのである。
○性善悪混 人の性には善悪二因子が混じっているといぅ、漢の揚雄の説。『揚子法言』修身篇に「人之性也善惡混。修其善則為善人,修其惡則為惡人。」(人の性や、善悪混ず、その善を修むれば、則ち善人と為り、その悪を修むれは、則ち悪人と為る)とある。
夫始善而進惡,與始惡而進善,與始也混而今也善惡,
そもそも始めは善いけれども悪に進むという孟子の説と、もともと悪いけれども善に進むという荀子の説と、始めは善悪混合しているけれども、今は善となり、或いは悪にとなるという揚雄の説である。
皆舉其中而遺其上下者也,得其一而失其二者也。
それぞれの挙げている説には、その性の中等のものを取りあげて論じているのであり、その上等のものと下等のものとを忘れているのである。その一つである中等の性を理解してはいるが、他の二つ、上等と下等の性を論外のものとして見落としているのだ。
○遺 取り落とす。忘れる。
#7五段目
叔魚之生也,其母視之,知其必以賄死。
叔魚が生まれた時、その母は彼を見て、彼は必ず賄賂のために死ぬであろうことを知った。
楊食我之生也,叔向之母聞其號也,知必滅其宗。
楊食我が生まれた時、叔向の母はそのなき声を聞いて、必ずその一族を滅はすであろうことを知った。
越椒之生也,子文以為大戚,
越椒の生まれた時、伯父子文は「この子は殺さないと」大きな心配としたのだ。
知若敖氏之鬼不食也。
しかし、本当に若敦氏は滅んで祖先は祭りの供物を受けなくなることを知った。
#8
人之性果善乎?後稷之生也,
其母無災,其始匍匐也,
則岐岐然,嶷嶷然。
文王之在母也,母不憂;
既生也,傅不勤;
既學也,師不煩;
人之性果惡乎?
叔魚の生まるるや、其の母之を視て、其の必ず賄を以て死なんことを知る。
楊食我の生まるるや、叔向の母、其の嗁くを聞いて、必ず共の宗を滅さんことを知る。
越椒の生まるるや、子文以て大戚と為す。
若敖氏の鬼食せざるを知るなり。
人の性は果して善なるか。後稷の生まるるや、
其の母災無し。其の始めて匍匐するや、
則ち岐岐然、嶷嶷然たり。
文王の母に在るや、母憂へず、
既に生まるるや、傅 勤めず、
既に学ぶや、師 煩はず。
人の性果して悪なるか。
#7『原性』五段目-1 現代語訳と訳註
(本文)
叔魚之生也,其母視之,知其必以賄死。
楊食我之生也,叔向之母聞其號也,知必滅其宗。
越椒之生也,子文以為大戚,
知若敖氏之鬼不食也。
(下し文)
叔魚の生まるるや、其の母之を視て、其の必ず賄を以て死なんことを知る。
楊食我の生まるるや、叔向の母、其の嗁くを聞いて、必ず共の宗を滅さんことを知る。
越椒の生まるるや、子文以て大戚と為す。
若敖氏の鬼食せざるを知るなり。
(現代語訳)
叔魚が生まれた時、その母は彼を見て、彼は必ず賄賂のために死ぬであろうことを知った。
楊食我が生まれた時、叔向の母はそのなき声を聞いて、必ずその一族を滅はすであろうことを知った。
越椒の生まれた時、伯父子文は「この子は殺さないと」大きな心配としたのだ。
しかし、本当に若敦氏は滅んで祖先は祭りの供物を受けなくなることを知った。
(訳注)#7五段目
叔魚之生也,其母視之,知其必以賄死。
叔魚が生まれた時、その母は彼を見て、彼は必ず賄賂のために死ぬであろうことを知った。
・叔魚 『国語』晋語八に「叔魚生まる。その母これを視て口く『これ虎の目にして豕(いのこ) の喙(くちさき)、鳶(とび) の肩にして牛の腹なり。渓壑(谷川)は盈たすべきも、これを饜かしむべからず。必ず賄(まいない)を以て死なん』と。遂に視ず」と(晋の大夫叔魚は生まれながらに貪欲の相をそなえていたので、母はかえりみ養わなかった。)
・叔魚 (前580年-前531年),姓は姬,羊舌氏一名は叔鮒,字が叔魚である。春秋時代、晉國の人である。
晉國の貴族であり、羊舌職の子である。長兄に羊舌肸が有る。官位は晉國大夫に、代理司馬、代理司寇にまでなる。羊舌鮒は賄賂を好んで、非道を行なった。魯昭公十四年(前531年),晉國において邢侯、跟雍の子において家產(鄐田)爭奪があり,衝突が發生した。この時の司法官に叔魚がついていてわいろを要求し、これにより死罪になる。
楊食我之生也,叔向之母聞其號也,知必滅其宗。
楊食我が生まれた時、叔向の母はそのなき声を聞いて、必ずその一族を滅はすであろうことを知った。
・楊食我 食の音に嗣に同じ。晋の大夫叔向の子伯石。楊は領地名である。字が食我である。『国語』晋語八に、「楊食我生まる。叔向の母これを聞き、往きて堂に及んでその号くを聞き、乃ち還りて日く、『その声は犲(山犬)狼の声なり。終に羊舌氏の宗(一族)を滅すものは必ずこの子ならん』」と。
越椒之生也,子文以為大戚,
越椒の生まれた時、伯父子文は「この子は殺さないと」大きな心配としたのだ。
・越椒『左伝』宜公四年に「初め楚の司馬子良、子越椒を生む。子文(令尹闘子文)日く、『必ずこれを殺せ。この子や、熊虎の状にして、犲(山犬)狼の声なり。殺さざれば必ず若敖氏を滅さん。諺に曰く、狼子は野心と。これ狼なり。それ畜ふべけんや』と。子良可かず。子文以て大戚と為す。日く、『鬼(祖先の霊)猶食を求めば、若敖氏の鬼、それ餧ゑざらんや』」と。
知若敖氏之鬼不食也。
しかし、本当に若敦氏は滅んで祖先は祭りの供物を受けなくなることを知った。
・叔魚 羊舌鮒
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前580年-前531年),姬姓,羊舌氏一名叔鮒,字叔魚。[1]春秋時代晉國人。
晉國貴族,晋武公的后代,羊舌職之子。有一兄長羊舌肸。官至晉國大夫、代理司馬、代理司寇。魯昭公十四年(前531年),晉國邢侯跟雍子爭奪家產(鄐田),發生衝突。由於司法官(士)景伯人在楚國,大夫韓起命羊舌鮒代理審判。羊舌鮒貪贓索賄,雍子獻出女兒,羊舌鮒即判雍子無罪。邢候不服,拔劍刺死雍子。晉昭公授權其兄長羊舌肸(叔向)處罰羊舌鮒,論以墨罪,“殺,棄屍於市。”[2]
[编辑]注釋
^ 《姓纂》中記載:“春秋時晉羊舌鮒,字叔魚,後以字爲氏。”
^ 《左傳•昭公十四年》:晋邢侯与雍子争赂田,久而无成。士景伯如楚,叔鱼摄理,韩宣子命断旧狱,罪在雍子。雍子纳其女于叔鱼,叔鱼蔽罪邢侯。邢侯怒,杀叔鱼与雍子于朝。宣子问其罪于叔向。叔向曰:“三人同罪,施生戮死可也。雍子自知其罪而赂以买直,鲋也鬻狱,刑侯专杀,其罪一也。己恶而掠美为昏,贪以败官为墨,杀人不忌为贼。《夏书》曰:‘昏、墨、贼,杀。’皋陶之刑也。请従之。”乃施邢侯而尸雍子与叔鱼于市。
羊舌鮒(ヨウゼツフ)【文官】
晋の臣。字は叔魚。叔鮒、叔魚ともいう。叔向の同母弟。~B.C.528。
羊舌鮒が生まれた時、母が羊舌鮒を見て「この子は虎の目をして残忍で、豚のとがった口で貪欲であり、とびの肩のように張っていやしんぼうで、 牛の腹のように太っている。きっと賄賂で死ぬだろう」と言って、ついに自分で育てなかった。
羊舌鮒は賄賂を好んで、非道を行なった。
范カイが和大夫と田畑の境界争いをして、決着がつかなかったので、 范カイは和大夫を攻めようとして羊舌鮒に尋ねた。羊舌鮒は「わたくしが彼を殺しますので、お待ちください」と答えた。結局、范カイは土地を和大夫に与えて仲直りした。
B.C.529、7月30日、諸侯は邾の南で勢揃いした。兵車4000台(30万)という大軍で、羊舌鮒は司馬を代行した。
諸侯は平丘に宿ったが、羊舌鮒は衛からまかないを取ろうと考え、草刈や薪取りで山林を荒らして衛を悩ませた。衛人は向に相談すると、 叔向は「あなたが衛君の命だと称してあの者(羊舌鮒)にこの錦を与えるなら、きっとおさまるでしょう」と言った。衛がそのとおりにすると、羊舌鮒はこれをやめた。
冬、魯の子服椒が晋に捕らえられた季平子を取り返すために晋に来た。 晋は季平子を返すことを決めたが、子服椒が「わが魯がお許しを受けたことを諸侯の会合の席において晋君から賜りたいと存じます」と言って帰ろうとしなかった。 韓宣子は叔向に相談すると、叔向は「鮒ならできるでしょう」と答えた。そこで羊舌鮒は季平子に会って 「昔、この鮒が魯君のもとに身を寄せたとき、ご祖父の武子の助けがなければ今日はありませんでした。あなたは帰ろうとされませんが、 魯君はあなたのために西河でお待ちになっておられます」と泣きながら言った。季平子は恐れて子服椒より先に帰ったため、子服椒は正式に許されて帰される礼を待った。
B.C.528司法官士弥牟が楚に使いしていたので、羊舌鮒が司法官を代行することとなった。 邢侯と雍子が境界争いをしていたが、雍子が娘を羊舌鮒に与えて、自分の有利に判決するよう頼んだ。 罪は雍子の方にあったが、羊舌鮒は雍子が正しいと判決した。そのため邢侯は怒って羊舌鮒と雍子を朝廷で殺した。叔向は「三人とも同罪である。 生きている者には刑罰を施し、死んでいる者には誅戮を加えてよいであろう」と言い、邢侯を処刑し、羊舌鮒と雍子のしかばねを市場にさらした。
楊食我 《左伝》 昭公二十八年
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(?-前514年),字伯石,中国春秋时期晋国的大夫,他是叔向的儿子,他的母亲是巫臣和夏姬的女儿。
杨食我出生时,伯华(叔向长兄)之妻告诉婆婆。叔向的母亲到达产房外,听到了杨食我的哭声,说:“是豺狼之声也,狼子野心。非是,莫丧羊舌氏矣。”。
他和祁盈交好。祁盈的族人祁胜与邬臧换妻通奸。祁盈要治祁胜的罪,祁胜贿赂荀躒。荀躒向晋顷公说祁盈的坏话。祁盈还是杀了祁胜与邬臧。前514年,晋顷公杀祁盈,杨食我作为祁盈的同党也被处死,祁氏、羊舌氏被灭。叔向子孫逃入華山仙谷,遂居華陰弘农。就是弘农杨氏的始祖。
楊食我(ヨウショクガ)【文官】
晋の臣。名は伯石。叔向の子。母は姒。~B.C.514。
楊食我が生まれたとき、叔向の母がその泣き声を聞いて引き返して「この声は山犬や狼の声だ。将来、羊舌氏の一族を滅ぼすのは、きっとこの子であろう」と言って、 そのまま見ることはなかった。
B.C.514祁盈の家で騒動が起きて、国がこれに関与した。楊食我は祁盈の一味で、祁盈に味方したため殺されて、 一族は族滅された。
越椒 「野心」の生まれる故事
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中国の春秋時代、楚の国の司馬であった子良(しりょう)に子どもが生まれた。名を越椒(えつしょう)と言った。
子良の兄・子文(しぶん)が越椒を見て、こう言った。「この子は必ず殺せ。容貌が熊のようであり、声は狼のようだ。生かしておけば、我が若敖(じゃくごう)一族は必ずや滅びてしまうだろう。ことわざに「狼子野心」とあるように、狼の子はいくら飼い馴らしても最後まで野性の心を失わず、ついにはその飼い主を害してしまう」
果たして、越椒は成長した後、楚王に謀反を起こし、若敖一族は滅びることとなった。
(春秋左氏伝・宣公四年より)
この故事にあるように、「野心」とは元来、「野性の心」のことで、「人に馴れ親しまず、害を及ぼそうとする心」を指したが、それが転じて、「ひそかに抱く大きな望み」のことを言うようになった。
#8五段目-(2)
人之性果善乎?後稷之生也,
このように不吉を伴って生まれる人間があることを考えれば、人の性は果たして「善」ということができるのだろうか。それは違う。というのも、后稷が生まれた時のこと『詩経・大雅•生民の什』にある。
其母無災,其始匍匐也,
その母に何の災いもまったくなかった。それは彼がやっとはい始めた時のことである。
則岐岐然,嶷嶷然。
『詩経・大雅•生民の什』后稷についての賦にいう「岐岐然として、意知るなり、その貌嶷嶷然として識別する所有るなり」」と知恵、判断力が早くから備わっていたということである。
文王之在母也,母不憂;
周の文王が母胎にあった時、母は何の憂いもなかった(ばかりか、百世まで徳により繁栄した)。
既生也,傅不勤;
やがて生まれた時には、お守の役の者が勤め上げるような骨の折れることもないのである。
既學也,師不煩;
その後学問をするころは、教師に何の面倒も煩わせることなどなかったのだ。
人之性果惡乎?
これを思えば、人の「性」が果たして悪であるといえるだろうか。どうも性悪とはいえないようだ。
叔魚の生まるるや、其の母之を視て、其の必ず賄を以て死なんことを知る。
楊食我の生まるるや、叔向の母、其の嗁くを聞いて、必ず共の宗を滅さんことを知る。
越椒の生まるるや、子文以て大戚と為す。
若敖氏の鬼食せざるを知るなり。
人の性は果して善なるか。後稷の生まるるや、
其の母災無し。其の始めて匍匐するや、
則ち岐岐然、嶷嶷然たり。
文王の母に在るや、母憂へず、
既に生まるるや、傅 勤めず、
既に学ぶや、師 煩はず。
人の性果して悪なるか。
#7『原性』五段目-1 現代語訳と訳註
(本文) #8五段目-(2)
人之性果善乎?後稷之生也,
其母無災,其始匍匐也,
則岐岐然,嶷嶷然。
文王之在母也,母不憂;
既生也,傅不勤;
既學也,師不煩;
人之性果惡乎?
(下し文)
人の性は果して善なるか。後稷の生まるるや、
其の母災無し。其の始めて匍匐するや、
則ち岐岐然、嶷嶷然たり。
文王の母に在るや、母憂へず、
既に生まるるや、傅 勤めず、
既に学ぶや、師 煩はず。
人の性果して悪なるか。
(現代語訳)
このように不吉を伴って生まれる人間があることを考えれば、人の性は果たして「善」ということができるのだろうか。それは違う。というのも、后稷が生まれた時のこと『詩経・大雅•生民の什』にある。
その母に何の災いもまったくなかった。それは彼がやっとはい始めた時のことである。
『詩経・大雅•生民の什』后稷についての賦にいう「岐岐然として、意知るなり、その貌嶷嶷然として識別する所有るなり」」と知恵、判断力が早くから備わっていたということである。
周の文王が母胎にあった時、母は何の憂いもなかった(ばかりか、百世まで徳により繁栄した)。
やがて生まれた時には、お守の役の者が勤め上げるような骨の折れることもないのである。
その後学問をするころは、教師に何の面倒も煩わせることなどなかったのだ。
これを思えば、人の「性」が果たして悪であるといえるだろうか。どうも性悪とはいえないようだ。
(訳注)
#8五段目-(2)
人之性果善乎?後稷之生也,
このように不吉を伴って生まれる人間があることを考えれば、人の性は果たして「善」ということができるのだろうか。それは違う。というのも、后稷が生まれた時のこと『詩経・大雅•生民の什』にある。
○后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。舜帝に仕え、司農の官名が名となった。『山海経』大荒西経によると、帝俊の子とされる。ここからは『詩経・大雅•生民の什』后稷についての賦に基づいている。
其母無災,其始匍匐也,
その母に何の災いもまったくなかった。それは彼がやっとはい始めた時のことである。
○其母無災 安産で母体に傷害がなかった。『詩経』大雅生民篇に「さけずやぶれず、災い無く害無し」とあるのによる。
○匍匐 はう。両手両足で横ばいになって往く。
則岐岐然,嶷嶷然。
『詩経・大雅•生民の什』后稷についての賦にいう「岐岐然として、意知るなり、その貌嶷嶷然として識別する所有るなり」」と知恵、判断力が早くから備わっていたということである。
○岐岐然,嶷嶷然 岐は知恵を云い、,嶷は知識という。この二句は詩経、鄭箋の注釈の引用である。「岐岐然として、意知るなり、その貌嶷嶷然として識別する所有るなり」」と知恵、判断力が早くから備わっていたことを云う。
《诗•大雅•生民》“诞实匍匐,克岐克嶷” 汉郑玄笺:“能匍匐则岐岐然意有所知也。
文王之在母也,母不憂;
周の文王が母胎にあった時、母は何の憂いもなかった(ばかりか、百世まで徳により繁栄した)。
○文王之在母也 『国語』晋語四、胥臣が文公に答えた語に「文王母に在りては憂へしめず、傅に在りては勤めしめず。師に処りてほ煩はしめず」とある。『詩経・大雅•文王の什』「文王孫子、本支百世」周の徳はまことに顕然として先祖后稷から文王まで更に百世の子孫まで徳により繁栄した。
既生也,傅不勤;
やがて生まれた時には、お守の役の者が勤め上げるような骨の折れることもないのである。
既學也,師不煩;
その後学問をするころは、教師に何の面倒も煩わせることなどなかったのだ。
人之性果惡乎?
これを思えば、人の「性」が果たして悪であるといえるだろうか。どうも性悪とはいえないようだ。
原性 六段目 韓愈(韓退之)
堯之朱,舜之均,文王之管蔡,
各聖王の子について言えば、堯の子である丹朱、舜の子である商均、文王の子である管叔と蔡叔らについてである。
習非不善也,而卒為奸;
聖王・帝である父の子として生まれ、徳の中で育だてられたのであるから、その習学・習慣は善くなかったわけではない。それなのによこしまな人間として育っている。
瞽叟之舜,鯀之禹,習非不惡也,
また舜の父「瞽叟」の子である舜、鯀の子である夏の禹王は、悪人であった父親の影響感化の点からみれば、習学・習慣が悪くないはずはないのである。
而卒為聖。人之性善惡果混乎?
それなのに聖人となったのである。これらにより、人の性は、親からの習学・習慣の結果によってなされたものではなく、生まれつき悪であり、或いは生まれつき善であるためというのか、あるいは揚雄の説のように、善悪が果たして混合しているということになるのであろうか。
故曰:三子之言性也,舉其中而遺其上下者也,
それ故私は結論としていう、「三子の性説は、その中等品の性を取り挙げていい、その上等品と下等品のものを対象外として忘れているのである。
得其一而失其二者也。
そして、それは、その一つである中等品の性を理解し得てはいるが、他の二つの品、上等と下等の性を見失っている(気づいていない)のである」 と。
堯の朱、舜の均、文王の管蔡【かんさい】は、
習【ならい】善ならざるに非ざるなり。而も卒に奸を為す。
瞽叟【こそう】の舜、鯀【こん】の禹は、習【ならい】悪ならざるに非ざるなり。
而も卒に聖人と為る。人の性は善悪果して混ずるか。
故に日く、三子の性を言ふや、其の中を舉げて、其の上下を遺【のこ】す者なり。
其の一を得て、其の二を失ふ者なりと。
『原性』6段目 現代語訳と訳註
(本文) 六段目
堯之朱,舜之均,文王之管蔡,
習非不善也,而卒為奸;
瞽叟之舜,鯀之禹,習非不惡也,
而卒為聖。人之性善惡果混乎?
故曰:三子之言性也,舉其中而遺其上下者也,
得其一而失其二者也。
(下し文)
堯の朱、舜の均、文王の管蔡【かんさい】は、
習【ならい】善ならざるに非ざるなり。而も卒に奸を為す。
瞽叟【こそう】の舜、鯀【こん】の禹は、習【ならい】悪ならざるに非ざるなり。
而も卒に聖人と為る。人の性は善悪果して混ずるか。
故に日く、三子の性を言ふや、其の中を舉げて、其の上下を遺【のこ】す者なり。
其の一を得て、其の二を失ふ者なりと。
(現代語訳)
各聖王の子について言えば、堯の子である丹朱、舜の子である商均、文王の子である管叔と蔡叔らについてである。
聖王・帝である父の子として生まれ、徳の中で育だてられたのであるから、その習学・習慣は善くなかったわけではない。それなのによこしまな人間として育っている。
また舜の父「瞽叟」の子である舜、鯀の子である夏の禹王は、悪人であった父親の影響感化の点からみれば、習学・習慣が悪くないはずはないのである。
それなのに聖人となったのである。これらにより、人の性は、親からの習学・習慣の結果によってなされたものではなく、生まれつき悪であり、或いは生まれつき善であるためというのか、あるいは揚雄の説のように、善悪が果たして混合しているということになるのであろうか。
それ故私は結論としていう、「三子の性説は、その中等品の性を取り挙げていい、その上等品と下等品のものを対象外として忘れているのである。
そして、それは、その一つである中等品の性を理解し得てはいるが、他の二つの品、上等と下等の性を見失っている(気づいていない)のである」 と。
(訳注)六段目
堯之朱,舜之均,文王之管蔡,
各聖王の子について言えば、堯の子である丹朱、舜の子である商均、文王の子である管叔と蔡叔らについてである。
○堯之朱 聖帝東の子である丹朱。名は朱、丹淵(地名)に封ぜられた。父に似ない愚かな人であったので、堯は位を舜にゆずった。
○舜之均 聖帝舜とその妻・女英の息子。義均ともいう。この世で最初の優れた工人で、地上の民のために様々な器具を作ったという。だが、歌舞を好む不肖の息子で、舜の位は継げなかった。
○文王之管蔡 聖王とされる周の文王の不肖の子、管叔と蔡叔、武王の二弟。鮮は管に封ぜられたので管叔といい、一度は蔡に封ぜられたので蔡叔という。二人は殷の紂王の子武康・祿父の相であった。武王の死後成王が幼かったので周公旦が摂政となった。管・蔡は国中に流言した、「周公は幼主の為によくない」と。周公は居を東都に避けた。後に成王は周公を迎えて帰ったので、管・蔡は懼れて、武康を立てて叛いた。成工は周公に命じてこれを討たせ、武康を誅し、管叔を殺し、蔡叔を追放してこれを遷したが、ついで彼もまた死んだ(『書経』金膽篇)。管叔[?~前1110ころ]中国、周の王族。文王の三男。武王の弟、周公の兄。名は鮮。管に封ぜられたのでこの姓がある。武王の死後、蔡(さい)に封ぜられた叔度とともに周に背き、周公に殺された。蔡叔度は、西周の諸侯である蔡の初代の君主。姓は姫で、名は度。周の文王の五男として生まれた。武王が殷を滅ぼすと、叔度は蔡(河南省駐馬店市上蔡県の南西)に封じられ、帝辛(紂王)の子の武庚を監視する任を与えられた。成王が即位すると、幼年であったため周公旦が摂政した。蔡叔度は周公旦が朝政を専断するのが不満で、管叔鮮とともに三監の乱を引き起こした。戦争に敗れると、周公旦によって郭邻に流され、配所で死去した。子の蔡仲が蔡に封じられて、祭祀を継いだ。
習非不善也,而卒為奸;
聖王・帝である父の子として生まれ、徳の中で育だてられたのであるから、その習学・習慣は善くなかったわけではない。それなのによこしまな人間として育っている。
瞽叟之舜,鯀之禹,習非不惡也,
また舜の父「瞽叟」の子である舜、鯀の子である夏の禹王は、悪人であった父親の影響感化の点からみれば、習学・習慣が悪くないはずはないのである。
○瞽叟 舜の父で、後妻に目がくらみ、舜を幾度か殺そうとしたが、成功しなかった。『書経』堯典の孔伝によれは、目の無いものを瞽という。舜の父は目はあったが、愛憎を分別できなかったので、時の人はこれを瞽といったという。膄もまた目の見えない人をいう。また瞽は叟に同じく、老人のことをいう。
舜父瞽叟盲,而舜母死,瞽叟更娶妻而生象,象傲。瞽叟愛後妻子,常欲殺舜,舜避逃;及有小過,則受罪。順事父及後母與弟,日以篤謹,匪有解。
舜の父は非常に愚かな人で、瞽叟(目が見えない年寄りのこと)と呼ばれ、また舜は実の母は早く亡くなったので、義母から虐げられていた。やがて義母が弟の象を生んだが、この象はひどく傲慢に育ち、父の瞽叟はこの弟をかわいがった。舜はこういう家庭で育ちながらも、自分の父や義母とそれに弟にも優しかったことから、みんなは舜を徳行の褒め称えたのだ。この話しを聞いた尭は、まず舜のことを確かめようと考え、自分の二人の娘、娥皇と女英を舜に嫁がせ、また食糧の蔵まで建ててやり、牛や羊を多く与えた。舜の義母と弟がそれを見て嫉妬し、瞽叟と計らって、舜を何度も殺そうとした。
○鯀 夏の禹王の父の名。堯は封じて崇伯とした。 黄河の洪水を治める命を受けたが功か無く、性質も剛情であり、罪を犯したので、舜は羽山に流して処刑し、四人の凶悪な者の一人とされた。その子禹は、父の業を継いで、治水に成功して聖王とされた。
而卒為聖。人之性善惡果混乎?
それなのに聖人となったのである。これらにより、人の性は、親からの習学・習慣の結果によってなされたものではなく、生まれつき悪であり、或いは生まれつき善であるためというのか、あるいは揚雄の説のように、善悪が果たして混合しているということになるのであろうか。
故曰:三子之言性也,舉其中而遺其上下者也,
それ故私は結論としていう、「三子の性説は、その中等品の性を取り挙げていい、その上等品と下等品のものを対象外として忘れているのである。
得其一而失其二者也。
そして、それは、その一つである中等品の性を理解し得てはいるが、他の二つの品、上等と下等の性を見失っている(気づいていない)のである」 と。
原性 7段目(最終回)
曰:然則性之上下者,其終不可移乎?
続いて言う「それならば、生まれつきの上等のものと下等のものとは、最後まで移動することができないというものなのか」と。
曰:上之性,就學而愈明;
それに対して私はいう、「上等の性は、学問をすることによって、いよいよ善が明確になっていくものである。」
下之性,畏威而寡罪;
そして「下等の性は、刑罰のおどしが重いほどおそれかしこんで、罪が少なくなるものである。」
是故上者可教,而下者可制也,
「こうしたことゆえに、上等の性は教えることができ、下等の性は制圧しとどめることができるのである。」
其品則孔子謂不移也。
「その性の区別は、孔子がいうように移らないのである」と。
曰:今之言性者異於此,何也?
そしていう「今の世の性をいうものはこれとちがっている。それはなぜであるか?」と。
曰:今之言者,雜佛、老而言也;
私はいう、「今の性説は仏教や老子の思想をまじりあって論じているである。」と。
雜佛、老而言也者,奚言而不異?
そもそも、「仏教や老荘の考えをまじえて言うものは、何を言って私の説と異なることがないことがあろうか。」と。(論ずる前から違っているのだ。)
七段目
曰く:然らば則ち性之上下なる者は,其れ終に不可移すべからざるか?と。
曰く:「上之性は,學に就いて愈いよ明かに;
下之性は,威を畏れて罪 寡【すくな】し;
是の故に上なる者は教えべくして,下なる者は可制すべきなり,其の品は則ち孔子の謂う不移らざるなり」と。
曰く:「今の性を言う者は此に於て異なり,何んぞや?」と。
曰く:今の言う者は,佛と老を雜えて言うなり;
佛と老を雜えて言う者は,奚【なに】を言うて異ならざらんや?」と。
『原性』七段目 現代語訳と訳註
(本文)
曰:然則性之上下者,其終不可移乎?
曰:上之性,就學而愈明;
下之性,畏威而寡罪;
是故上者可教,而下者可制也,其品則孔子謂不移也。
曰:今之言性者異於此,何也?
曰:今之言者,雜佛、老而言也;
雜佛、老而言也者,奚言而不異?
(下し文)
曰く:然らば則ち性之上下なる者は,其れ終に不可移すべからざるか?と。
曰く:「上之性は,學に就いて愈いよ明かに;
下之性は,威を畏れて罪 寡【すくな】し;
是の故に上なる者は教えべくして,下なる者は可制すべきなり,其の品は則ち孔子の謂う不移らざるなり」と。
曰く:「今の性を言う者は此に於て異なり,何んぞや?」と。
曰く:今の言う者は,佛と老を雜えて言うなり;
佛と老を雜えて言う者は,奚【なに】を言うて異ならざらんや?」と。
(現代語訳)
続いて言う「それならば、生まれつきの上等のものと下等のものとは、最後まで移動することができないというものなのか」と。
それに対して私はいう、「上等の性は、学問をすることによって、いよいよ善が明確になっていくものである。」
そして「下等の性は、刑罰のおどしが重いほどおそれかしこんで、罪が少なくなるものである。」
「こうしたことゆえに、上等の性は教えることができ、下等の性は制圧しとどめることができるのである。」
「その性の区別は、孔子がいうように移らないのである」と。
そしていう「今の世の性をいうものはこれとちがっている。それはなぜであるか?」と。
私はいう、「今の性説は仏教や老子の思想をまじりあって論じているである。」と。
そもそも、「仏教や老荘の考えをまじえて言うものは、何を言って私の説と異なることがないことがあろうか。」と。(論ずる前から違っているのだ。)
(訳注)
曰:然則性之上下者,其終不可移乎?
続いて言う「それならば、生まれつきの上等のものと下等のものとは、最後まで移動することができないというものなのか」と。
曰:上之性,就學而愈明;
それに対して私はいう、「上等の性は、学問をすることによって、いよいよ善が明確になっていくものである。」
下之性,畏威而寡罪;
そして「下等の性は、刑罰のおどしが重いほどおそれかしこんで、罪が少なくなるものである。」
○畏威 刑罰のおどしをおそれはばかる。刑罰が重いほど懼れる。
是故上者可教,而下者可制也,
「こうしたことゆえに、上等の性は教えることができ、下等の性は制圧しとどめることができるのである。」
其品則孔子謂不移也。
「その性の区別は、孔子がいうように移らないのである」と。
○孔子謂不移也 『論語』陽貨篇に「子日く、唯上知と下愚とは移らず」と。また「子日く、性相近きなり、習相遠きなり」とある。孔子はいう、中人の性は、ほぼ同じく、相近いから、習慣によって善にも悪にもなり、相遠くなる。ただ上等の知者と、下等の愚かな性のものとは、習慣によって移ることはないという。
曰:今之言性者異於此,何也?
そしていう「今の世の性をいうものはこれとちがっている。それはなぜであるか?」と。
曰:今之言者,雜佛、老而言也;
私はいう、「今の性説は仏教や老子の思想をまじりあって論じているである。」と。
○雑仏老而言 仏教や老荘の考えをまじえて言う。老荘道家のいう性には善悪がなく、自然の性である。善悪の差別をも認めない。『老子』二十章に「善と悪と相去ること何若(いかん)」と。仏教では性(しょう)は万有の原因といい、性具(しょうぐ)とは、本覚の性で、本覚の性は一切の善悪諸法を具有しているという。また「善悪不二」善と悪とは別のものではないという考えもある。これらの考えをまじえて人性を諭ずる。
雜佛、老而言也者,奚言而不異?
そもそも、「仏教や老荘の考えをまじえて言うものは、何を言って私の説と異なることがないことがあろうか。」と。(論ずる前から違っているのだ。)
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