316 韓愈哲学 儒家道徳の根源・本質を子供におしえる『符読書城南』 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3906
- 2014/03/17
- 00:40
二つの家があり、各々子が生まれたが、乳呑児を抱いた段階では巧みに違いがあれども似たり寄ったりというところだ。学問を少ししかしない場合、長時間にわたってよくした場合、楽しいことや、戯ればかりしたものみんなが集まったとしたら、魚が皆同じに列をなしたようで特殊なものではない。成長して十二三歳になった時、少しづつ傾向がで始め学問をしたものが抜きんでてくるようになる。それで二十歳になれば違異したまま大きくなる。三十歳になれば骨組みまでしっかりしてくる。すなわち一方では龍となるか、もう一方では猪となるかである。
316 韓愈哲学 儒家道徳の根源・本質を子供におしえる『符読書城南』 韓愈 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3906 |
韓愈哲学 儒家道徳の根源・本質を子供におしえる論文。 | |||||
「符読書城南」 | |||||
「符読書城南」詩は、韓愈がその子の符に、学問の大切さを諭したもので、この時、韓愈49歳、符は18歳である。城南は長安の都の南の意味で韓愈の詩に多い。 | |||||
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#1> | 木之就規矩, | ||||
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#2> | |||||
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#3> | |||||
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#4> | |||||
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#5> | |||||
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#6> | |||||
『符讀書城南』
#1
木之就規矩,在梓匠輪輿。
人之能為人,由腹有詩書。
詩書勤乃有,不勤腹空虛。
欲知學之力,賢愚同一初。
#2
由其不能學,所入遂異閭。
兩家各生子,提孩巧相如。
少長聚嬉戲,不殊同隊魚。
年至十二三,頭角稍相疏。
#3
二十漸乖張,清溝映汙渠。
三十骨骼成,乃一龍一豬。
飛黃騰踏去,不能顧蟾蜍。
一為馬前卒,鞭背生蟲蛆。
#4
一為公與相,潭潭府中居。
問之何因爾,學與不學歟。
金璧雖重寶,費用難貯儲。
學問藏之身,身在則有餘。
君子與小人,不繫父母且。
#5
不見公與相,起身自犁鉏。
不見三公後,寒飢出無驢。
文章豈不貴,經訓乃菑畬。
潢潦無根源,朝滿夕已除。
人不通古今,馬牛而襟裾。
#6
行身陷不義,況望多名譽。
時秋積雨霽,新涼入郊墟。
燈火稍可親,簡編可卷舒。
豈不旦夕念,為爾惜居諸。
恩義有相奪,作詩勸躊躇。
木の規矩に就(つ)くは、梓匠(しょうしょう)と輪輿(りんよ)に在り。
人の能く人と為(な)るは、腹に詩書有るに由る。(*詩経と書経。)
詩書 勤むれば乃ち有り、勤めざれば腹空虚なり。
学の力を知らんと欲せば、賢愚 同に初めを一(いつ)にするも。
#2
其の学ぶこと能はざるに由りて、入る所 遂に閭を異にす。
両家各おの子を生むに、提孩【ていがい】巧みに相如【し】く。
少長聚まって嬉戲【きぎ】するや、一隊の魚に殊ならず。
年十二三に至って、頭角稍く相い疎【わか】る。
#3
二十にして漸く乖張し、清溝 汗渠【おきょ】に映ず。
三十にして骨骼成り、乃ち一は竜、一は豬【ちょ】。
飛黄騰踏して去り、蟾蜍【せんじょ】を顧みる能はず。
一は馬前の卒と為り、背に鞭うたれて虫蛆【ちゅうしょ】を生ず。
#4
一は公と相【しょう】と為り、潭潭として府中に居る。
之を問ふ 何に因りて爾【しか】ると、学べると学ばざりしとか。
金璧は重宝なりと雖も、費用貯儲【ちょちょ】し難し。
学問は之を身に蔵するも、身在れば則ち餘り有り。
君子と小人と、父母に繋【かか】わらず。
#5
見ずや公と相とは、身を起つるに牽鉏【れいしょ】自りす。
見ずや三公の後、寒饑して出づるに驢無し。
文章豈に貴からざらんや、経訓は乃ち菑【わざわい】の畬【はたけ】。
潢潦は根源無く、朝に満つれば夕には已に除かる。
人 古今に通ぜざれば、馬牛にして襟裾【きんきょ】。
#6
身を行なひて不義に陥らん、況んや名誉多からんことを望むをや。
時秋にして積雨霽【は】れ、新涼 郊墟に入る。
燈火稍【ようや】く親しむべく、簡編 卷舒【けんじょ】すべし。
豈に旦夕に念【おも】はざらんや、爾が為に居諸【きょしょ】を惜しむ。
恩義 相奪ふこと有り、詩を作りて 躊躇を勧【はげ】ます。
符讀書城南
(息子がこの長安の南郊の家で勉学をするための詩)
木之就規矩,在梓匠輪輿。
孟子は「木を加工する規矩術につくものといえば梓の建具、匠の木工、輪の車輪、輿の台車を作る職人というものである」としている。
人之能為人,由腹有詩書。
人は人として良くするものとして徹底して「五経」を暗記し、理解して腹に入れておくのだ。
詩書勤乃有,不勤腹空虛。
特に詩経と書経は勤勉にすることでありそれを重ねていくことである、勤勉でなければその知識のおなかには空虚なものでしかないのだ。
欲知學之力,賢愚同一初。
知己気を得ようとするならば四書五経の教えるところを学ぶのである。愚者であるか、賢者であるかというが、最初は皆同一であるのだ。
#2
由其不能學,所入遂異閭。
そういうことであっても学問をよくしなかったなら、朝廷における採用されるべきところも入門する所から違ってくる。
兩家各生子,提孩巧相如。
二つの家があり、各々子が生まれたが、乳呑児を抱いた段階では巧みに違いがあれども似たり寄ったりというところだ。
少長聚嬉戲,不殊同隊魚。
学問を少ししかしない場合、長時間にわたってよくした場合、楽しいことや、戯ればかりしたものみんなが集まったとしたら、魚が皆同じに列をなしたようで特殊なものではない。
年至十二三,頭角稍相疏。
成長して十二三歳になった時、少しづつ傾向がで始め学問をしたものが抜きんでてくるようになる。
#3
二十漸乖張,清溝映汙渠。
それで二十歳になれば違異したまま大きくなる。きれいな溝が汚れきった運河となってしまうのだ。
三十骨骼成,乃一龍一豬。
三十歳になれば骨組みまでしっかりしてくる。すなわち一方では龍となるか、もう一方では猪となるかである。
飛黃騰踏去,不能顧蟾蜍。
黄色い出世の道に飛んで行くか、上がったり踏みつけられた挙句去って行くかである。思い通りいくことがなく蟾蜍のようにみられるかである。
一為馬前卒,鞭背生蟲蛆。
云い方を変えると、一つは一兵卒として馬の前を行進して、背に鞭を当てられ、虫けらのように生きるかということだ。
#4
一為公與相,潭潭府中居。
あるいは、ひとつは諸侯や宰相となって出世し、朝廷や、幕府の奥深い所の官邸の中をゆったり歩き、住まいとするかである。
問之何因爾,學與不學歟。
此れのどの道をゆくのかと問われれば、汝はどうこたえる。その答えによるところの学問を致すか、学問を致さないのかということである。
金璧雖重寶,費用難貯儲。
金で壁を作ると貴重な寶となるかもしれないが、それにかかる費用は大変なもので貯蓄をすることや儲けることが難しくなる。
學問藏之身,身在則有餘。
学問というのはその人間の身の内を蔵にしてため込むものであり、その身さえあればその後もいくら学問をしてもいくらでもためられるというのが法則というものである。
君子與小人,不繫父母且。
学問を積んだ君子と何にもしていない普通の者とはその父母からのつながりだけでなるものではないのである。
#5
不見公與相,起身自犁鉏。
お前の歳ではまだ諸侯や宰相といわれる人にであっていないだろう。箕を起して自ら隙をとって耕す。
不見三公後,寒飢出無驢。
お前は最高位三公その部下たちも見たことはないだろう。寒さは飢餓を生み驢馬もいなくで出ることもできない。
文章豈不貴,經訓乃菑畬。
詩文章は敢て貴いものとは言い難い、それは四書をただ訓じるだけであればそれは荒れ地や焼き畑のままということなのだ。
潢潦無根源,朝滿夕已除。
いくら水が重要でも、地上のたまり水が畑の食物の根に行き渡ることにはならないし、朝満ちるほどであったものが夕べにはすでに無くなっている。
人不通古今,馬牛而襟裾。
人というもの昔から今までを通じで生きていくことはない、それと馬や牛をして衿や袖を付けるということだ。
#6
行身陷不義,況望多名譽。
その身の行動については道義をしないことにおちいる、況や名声や、栄誉というものを多く望むものである。
時秋積雨霽,新涼入郊墟。
時は秋の長雨が続きその後空が晴れ渡る、すると秋の清々しさは郊外の丘陵地にはいってくる。
燈火稍可親,簡編可卷舒。
秋の夜長に燈火にようやく慣れ親しむものである。そうすれば書物を巻いたりひろげたり読書を進めることである。
豈不旦夕念,為爾惜居諸。
かといって朝から夕方まで物思いにふけるというのではない。お前がすべきことは君臣、君主とその夫人、父と母を惜しんでつくすことなのだ。
恩義有相奪,作詩勸躊躇。
報恩と道義に関しては互いに奪うようにして行動することにある。詩文を作ることはじっくり考慮しためらうことで、功を焦ってはいけない。
#1
(息子がこの長安の南郊の家で勉学をするための詩)
孟子は「木を加工する規矩術につくものといえば梓の建具、匠の木工、輪の車輪、輿の台車を作る職人というものである」としている。
人は人として良くするものとして徹底して「五経」を暗記し、理解して腹に入れておくのだ。
特に詩経と書経は勤勉にすることでありそれを重ねていくことである、勤勉でなければその知識のおなかには空虚なものでしかないのだ。
知己気を得ようとするならば四書五経の教えるところを学ぶのである。愚者であるか、賢者であるかというが、最初は皆同一であるのだ。
#2
そういうことであっても学問をよくしなかったなら、朝廷における採用されるべきところも入門する所から違ってくる。
二つの家があり、各々子が生まれたが、乳呑児を抱いた段階では巧みに違いがあれども似たり寄ったりというところだ。
学問を少ししかしない場合、長時間にわたってよくした場合、楽しいことや、戯ればかりしたものみんなが集まったとしたら、魚が皆同じに列をなしたようで特殊なものではない。
成長して十二三歳になった時、少しづつ傾向がで始め学問をしたものが抜きんでてくるようになる。
#3
それで二十歳になれば違異したまま大きくなる。きれいな溝が汚れきった運河となってしまうのだ。
三十歳になれば骨組みまでしっかりしてくる。すなわち一方では龍となるか、もう一方では猪となるかである。
黄色い出世の道に飛んで行くか、上がったり踏みつけられた挙句去って行くかである。思い通りいくことがなく蟾蜍のようにみられるかである。
云い方を変えると、一つは一兵卒として馬の前を行進して、背に鞭を当てられ、虫けらのように生きるかということだ。
#4
あるいは、ひとつは諸侯や宰相となって出世し、朝廷や、幕府の奥深い所の官邸の中をゆったり歩き、住まいとするかである。
此れのどの道をゆくのかと問われれば、汝はどうこたえる。その答えによるところの学問を致すか、学問を致さないのかということである。
金で壁を作ると貴重な寶となるかもしれないが、それにかかる費用は大変なもので貯蓄をすることや儲けることが難しくなる。
学問というのはその人間の身の内を蔵にしてため込むものであり、その身さえあればその後もいくら学問をしてもいくらでもためられるというのが法則というものである。
学問を積んだ君子と何にもしていない普通の者とはその父母からのつながりだけでなるものではないのである。
#5
お前の歳ではまだ諸侯や宰相といわれる人にであっていないだろう。箕を起して自ら隙をとって耕す。
お前は最高位三公その部下たちも見たことはないだろう。寒さは飢餓を生み驢馬もいなくで出ることもできない。
詩文章は敢て貴いものとは言い難い、それは四書をただ訓じるだけであればそれは荒れ地や焼き畑のままということなのだ。
いくら水が重要でも、地上のたまり水が畑の食物の根に行き渡ることにはならないし、朝満ちるほどであったものが夕べにはすでに無くなっている。
人というもの昔から今までを通じで生きていくことはない、それと馬や牛をして衿や袖を付けるということだ。
#6
その身の行動については道義をしないことにおちいる、況や名声や、栄誉というものを多く望むものである。
時は秋の長雨が続きその後空が晴れ渡る、すると秋の清々しさは郊外の丘陵地にはいってくる。
秋の夜長に燈火にようやく慣れ親しむものである。そうすれば書物を巻いたりひろげたり読書を進めることである。
かといって朝から夕方まで物思いにふけるというのではない。お前がすべきことは君臣、君主とその夫人、父と母を惜しんでつくすことなのだ。
報恩と道義に関しては互いに奪うようにして行動することにある。詩文を作ることはじっくり考慮しためらうことで、功を焦ってはいけない。
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