318 韓愈《琴操十首》について kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3916
- 2014/03/19
- 00:13
318 韓愈《琴操十首》について
韓愈は、蔡邕の著といわれる『琴操十二首』にもとづいて新しくその歌詞を作った。操は、「憂愁して作る、これを命づけて操と日う。言うこころは、窮すれば則ち独りその身を善くして、その操を失しなわざるなり。」と.
韓愈は、蔡邕の著といわれる『琴操十二首』にもとづいて新しくその歌詞を作った。操は、「憂愁して作る、これを命づけて操と日う。言うこころは、窮すれば則ち独りその身を善くして、その操を失しなわざるなり。」と.
318 韓愈《琴操十首》について | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3916 |
琴 操 十 首 | |||||
韓愈は、蔡邕の著といわれる『琴操十二首』にもとづいて新しくその歌詞を作った。操は、「憂愁して作る、これを命づけて操と日う。言うこころは、窮すれば則ち独りその身を善くして、その操を失しなわざるなり。」と. | |||||
琴操十首 (0)序 | |||||
蔡邕の『琴操十二首』についてその題のみあげると、《伐檀操》《騶虞操》《白駒操》《將歸操》《猗蘭操》《龜山操》《越裳操》《拘幽操》《履霜操》《雉朝飛操》《別鶴操》《殘形操》である。 | |||||
韓愈は、この蔡邕の著といわれるものにもとづいて新しくその歌詞を作ったわけである。操は、「憂愁して作る、これを命づけて操と日う。言うこころは、窮すれば則ち独りその身を善くして、その操を失しなわざるなり。」と、謝希逸(南北朝の末の謝荘〔421-466年〕)の「琴論」にあり、「操:ひく」ことであろう。 | |||||
1 | 琴操十首 (1)將歸操 孔子之趙聞殺鳴犢作 | 秋之水兮, | |||
將歸操(孔子之趙聞殺鳴犢作) 狄之水兮,其色幽幽;我將濟兮,不得其由。 涉其淺兮,石齧我足;乘其深兮,龍入我舟。 我濟而悔兮,將安歸尤。歸兮歸兮,無與石鬥兮,無應龍求。 | |||||
孔子が晋の国の家老である趙簡子の招きを受けて、その領地超へ行こうとしたが、彼れがその協力を得てのし上がることのできた有能な家老竇鳴犢を殺したことを聞き、河を渡って超に行くのをやめ、なげいて作ったとして模擬した歌である。 | |||||
2 | 琴操十首 (2)猗蘭操 孔子傷不逢時作 | 蘭之猗猗, | |||
猗蘭操 (孔子傷不逢時作) 蘭之猗猗,揚揚其香。不采而佩,於蘭何傷? 今天之旋,其曷為然?我行四方,以日以年。 雪霜貿貿,薺麥之茂。子如不傷,我不爾覯。 薺麥之茂,薺麥之有。君子之傷,君子之守。 | |||||
孔子が、諸侯を歴訪して、自分を国政に用いるように求めたが、諸侯は任用することができず、孔子は自分の祖国魯に帰ろうとして、人知れぬ谷間を通りすぎると、香おり高い蘭がひとりぼっちでさいていたので、それを見て、時節にあわないのをわが身にひきくらべつつなげいたとして作った歌である。 | |||||
3 | 琴操十首 (3)龜山操 孔子以季桓子受齊女樂,諫不從,望龜山而作。 | 龜之氛兮, | |||
龜山操(孔子以季桓子受齊女樂,諫不從,望龜山而作。) 龜之氛兮,不能雲雨。龜之橛兮,不中梁柱。 龜之大兮,祗以奄魯。知將隳兮,哀莫余伍。 周公有鬼兮,嗟余歸輔。 | |||||
魯の国の司法長官であったとき、孔子が家老の季桓子が斉の国から贈られた樂女たちにうつつを抜かしたことを諌めたが、いっこうに従わない。この国を去るにあたって亀山を眺めて作った。 | |||||
4 | 琴操十首 (4)越裳操 周公作 | 雨之施物以孳, | |||
越裳操 (周公作) 雨之施,物以孳。我何意於彼為? 自周之先,其艱其勤。以有疆宇,私我後人。 我祖在上,四方在下。厥臨孔威,敢戲以侮。 孰荒於門?孰治於田?四海既均,越裳是臣。 | |||||
周の成王の時、越裳の国がはるばるとやって来て、周王にいった。「わが国では、長いあいだひどい雷もはげしい雨もございませんし、海が津浪をおこすことも、三年ばかりございません。中国に聖人がいらっしゃるからではないだろうか、往って御機嫌うかがいいたしましょう、というわけでまいりました。」と。そこで 周公が作った歌に擬して作られた。 | |||||
5 | 琴操十首 (5)拘幽操 文王羑裏作 | 目窈窈兮, | |||
拘幽操 (文王羑裏作) 目窈窈兮,其凝其盲。耳肅肅兮,聽不聞聲。 朝不日出兮,夜不見月與星。有知無知兮,為死為生? 嗚呼,臣罪當誅兮,天王聖明。 | |||||
周の文王は、善政を施し、徳行にはげんだので、人民たちは文王に心を寄せた。そこで、殷の紂王(暴君の代名詞紂王))に、文王は人望を集め野心をいだいていると、謹言したものがあって、紂王は、文王を羑裏というところに監禁した。文王が監禁されているときの心持ちを述べたものとして作った歌である。 | |||||
6 | 琴操十首 (6)岐山操 周公為太王作 | 我家於豳, | |||
岐山操 (周公為太王作) 我家於豳,自我先公。伊我承序,敢有不同。 今狄之人,將土我疆。民為我戰,誰使死傷? 彼岐有岨,我往獨處。爾莫余追,無思我悲。 | |||||
狄【てき】の主族が侵入してそのとき狄の種族が攻撃してきたので、人民は戦おうと望んだが、大王は自分の人民を戦わせるに忍びず、その土地を狄人にゆだねて、豳を去り岐山の南がわ梁山に移住した。すると、そこの人民たちは、[仁人だ]といって、あとに随って移住したといわれる。周公が大王にかわってそのときの心持ちをうたったとして作ったのがこの歌である | |||||
7 | 琴操十首 (7)履霜操 尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作 | 父兮兒寒, | |||
履霜操 (尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作) 父兮兒寒,母兮兒饑。兒罪當笞,逐兒何為? 兒在中野,以宿以處。四無人聲,誰與兒語? 兒寒何衣?兒饑何食?兒行於野,履霜以足。 母生眾兒,有母憐之。獨無母憐,兒寧不悲? | |||||
「霜を履んでのうた。」尹吉甫の子の伯奇は、何の咎もないのに、まま母が尹吉甫に悪しざまに告げ口したので、家をおい出された。伯奇ははすを編んで着物とし、やまなしの花を採って食物とし、朝あけに霜をふみながら、自分の境遇を悲しんで、琴を引きつつ、このうたを作り、歌がおわると、川に身を投げて死んだ。子供の身になって、大人の男性が詠んでいる。 | |||||
8 | 琴操十首 (8)雉朝飛操 牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作 | 雉之飛, | |||
雉朝飛操 (牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作) 雉之飛,於朝日。群雌孤雄,意氣橫出。 當東而西,當啄而飛。隨飛隨啄,群雌粥粥。 嗟我雖人,曾不如彼雉雞。生身七十年,無一妾與妃。 | |||||
斉の宜王(紀元前三四二土三四年在位)のとき、牧犢子という人は七十になっても、妻がなかった。ある日薪を採りに出かけると、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。 それに心を動かされて、「立派な王さまがいらっしゃって、草木鳥獣にまでめぐみが及んでいるのに、わたしひとりだけがめぐみにあずからぬ。」といい、琴をひいてこの歌をうたい、自分の境遇を悲しんだが、その声は途中で切れてしまったという。 | |||||
9 | 琴操十首 (9)別鵠操 商陵穆子,娶妻五年無子。父母欲其改娶,其妻聞之,中夜悲嘯,穆子感之而作 | 雄鵠銜枝來, | |||
別鵠操(商陵穆子,娶妻五年無子。父母欲其改娶,其妻聞之,中夜悲嘯,穆子感之而作。) 雄鵠銜枝來,雌鵠吸泥歸。巢成不生子,大義當乖離。 江漢水之大,鵠身鳥之微。更無相逢日,且可繞樹相隨飛。 | |||||
むかし商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。子がないのは、妻を離婚する七つの理由のひとつであるから、父母はその妻を出して、嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。 | |||||
10 | 琴操十首 (10)殘形操 曾子夢見一狸,不見其首作 | 有獸維貍兮, | |||
殘形操(曾子夢見一貍,不見其首作) 有獸維貍兮,我夢得之;其身孔明兮,而頭不知。 吉兇何為兮,覺坐而思。巫鹹上天兮,識者其誰? | |||||
孔子の高弟である曾子(紀元前506-?年)は、ある日の昼寝のゆめに一匹のたぬきを見たが、からだだけが見えて、あたまが見えなかったので、この歌を作った。 | |||||
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