323 《韓愈哲学,儒家道徳の根源・本質を子供におしえる「示児」論文。》kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3941
- 2014/03/24
- 00:14
323 《韓愈哲学,儒家道徳の根源・本質を子供におしえる「示児」論文。》 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3941 |
この詩は中書舎人に転任し、緋魚袋を賜って舞い上がっていたころに書いているので、韓愈の俗物性を諸に著しているものとして有名なのである。宋の蘇軾はこの詩を全部「利禄の事」しか言っていないと評する。そのなかに「聖賢の事」を言うのが高級で「利禄の事」は低級だとする考え方が見えるが、それが儒教であり、蘇軾も伝統的な儒教の価値観に拘束され、きっちり体制内での論争をしているのに過ぎないのである。韓愈のように舞い上がって単純に俗物性をむき出しにしているのは、根が正直なだけである。その時代に適応した儒教であって、時代背景等を考慮すると大差はない。
本物の儒者であったら、歴史上表に出るものではなく、必ず餓死するはずであり、儒者の誰もが、三顧の礼で迎えられたいと思っている以上、五十歩百歩であろうと思う。
王朝政治しか経験していない国での、老荘思想、儒教思想、仏教においても体制内であるから成立したのであり、その底辺に流れる思想に五行思想が粘着性の高いものとして存在している。どの王朝もその前の退化した王朝よりよいのは建国して、良く持っても数十年すると腐敗、贈収賄の政治が繰り返され、宦官による陰湿、頽廃はどの時代も受け継がれている。
歴史上の人物を客観的に見て純粋な儒教は存在していない。共産主義が王朝制になる国柄である。
ともかく、816年元和十一年正月49歳、韓愈は中書舎人となり、緋魚袋を賜ったのである。これは中書省に属し、長官の中書令、次官の中書侍郎に次ぐナンバー3の地位で、もちろん韓愈がこれまでに歩んできた出世コースの最高峰である。彼も官界の波に慣れたと見え、順調に昇進している。だから、子供に、自慢し、それをグループの者に自慢したのである。
韓愈哲学 儒家道徳の根源・本質を子供におしえる論文。 | |||||
「 示 児 」 | |||||
「示兒」詩は、韓愈がその子の符に、学問の大切さを諭したもので、この時、韓愈48歳、符は17歳である。城南は長安の都の南の意味で韓愈の詩に多い。 | |||||
256 | 示児 韓愈(韓退之) <112-#1>Ⅱ中唐詩665 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2309 | 始我來京師, | |||
示兒 韓愈(韓退之) <112-#2>Ⅱ中唐詩666 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2314 | |||||
示児 韓愈(韓退之) <112-#3>Ⅱ中唐詩667 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2319 | |||||
示児 韓愈(韓退之) <112-#4>Ⅱ中唐詩668 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2324 | |||||
示児 韓愈(韓退之) <112-#5>Ⅱ中唐詩669 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2329 | |||||
「符読書城南」詩は、韓愈がその子の符に、学問の大切さを諭したもので、この時、韓愈49歳、符は18歳である。城南は長安の都の南の意味で韓愈の詩に多い。 | |||||
274 | 符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#1> | 木之就規矩, | |||
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#2> | |||||
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#3> | |||||
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#4> | |||||
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#5> | |||||
符讀書城南 韓愈(韓退之) <166-#6> | |||||
示兒 ―#1
(子にしめす)
始我來京師,止攜一束書。
はじめてわたしが都に出たときのことである。身にたずさえたものはたった一束の書物だけであった。
辛勤三十年,以有此屋廬。
それからこつこつと苦しみつつ精出すこと三十年になる。そのおかげで長安の靖安里にこの屋敷ができたのだ。
此屋豈為華,於我自有餘。』
この家は豪華とまではいえないが、わたしにとってはこれだけでも十分すぎるものといえるのである。
#2
中堂高且新,四時登牢蔬。
中央の表座敷きは高くで新らしく、季節季節に神さまや御先祖にお供えをさし上げる。
前榮饌賓親,冠婚之所於。」
堂の南側はお客や親類をもてなすところだ。そして、元服や婚礼の行われるところなのだ。
庭內無所有,高樹八九株。
そのころは庭のなかには何も無く、高い木の八九本だけだった。
有藤婁絡之,春華夏陰敷。」
その木には藤がからみついていて、春には花がさき夏は葉かげをひろげるだけのものである。
#3
東堂坐見山,雲風相吹噓。
東の離れ書斎からは腰かけたまま終南山が見える。山にはつぎつぎと雲がかかっては風が吹き散らしている。
松果連南亭,外有瓜芋區。」
そこから松の木や果樹が南のあずまやまでずっと連なるほど植えている。その外には瓜やさといものはたけが区分けしてある。
西偏屋不多,槐榆翳空虛。
西寄りには建て物もすくなく、えんじゅとにれの木ががらんとした地面にかげを落としている。
山鳥旦夕鳴,有類澗谷居。」
終南山には山鳥がおり、それが夕べには鳴きさわぐ。その雰囲気は谷間の住まいに類せるものが有るのだ。
#4
主婦治北堂,膳服適戚疏。
主婦は北の座敷を管理し、人に出す食膳も人前に出るときの服装も、親しいものと縁の薄いものとの区別にかなうようにする。
恩封高平君,子孫從朝裾。」
わが君の御恩によって高平君に封ぜられ、参内するときは子や孫がその裾について行くことにする。
開門問誰來,無非卿大夫。
門をあけて来る者は誰かと問えば、昔の卿・大夫に相当する朝廷のおえら方はかりと答える。
不知官高卑,玉帶懸金魚。」
官位の高位か卑下かは別問題であって、みな宝石で飾った帯をしめ、それに魚の形をした金色の札を入れた袋をさげている。
#5
問客之所為,峨冠講唐虞。
その客人たちのすることは何かと問えば、冠を高くそばだたせて真剣に堯・舜の事跡を論ずるのである。
酒食罷無為,棋槊以相娛。
酒食の宴が終わってすることがなければ、囲碁だの双六だのを娯楽とする。
凡此座中人,十九持鈞樞。」
だいたいこの座につらなる人の十人のうち九人までは政治の中枢にたずさわる人々である。」
又問誰與頻,莫與張樊如。
また誰といちばんよくつきあっているかと問えば、張籍・樊宗師たちに過ぎる者はない。
彼來過亦無事,考評道精粗。」
らがうちへ来るのは、ほかに用事があるわけではなく、聖人の教えた道にたいしてそれが純粋か否かを議論しあうのだ。」
符讀書城南
(息子がこの長安の南郊の家で勉学をするための詩)
木之就規矩,在梓匠輪輿。
孟子は「木を加工する規矩術につくものといえば梓の建具、匠の木工、輪の車輪、輿の台車を作る職人というものである」としている。
人之能為人,由腹有詩書。
人は人として良くするものとして徹底して「五経」を暗記し、理解して腹に入れておくのだ。
詩書勤乃有,不勤腹空虛。
特に詩経と書経は勤勉にすることでありそれを重ねていくことである、勤勉でなければその知識のおなかには空虚なものでしかないのだ。
欲知學之力,賢愚同一初。
知己気を得ようとするならば四書五経の教えるところを学ぶのである。愚者であるか、賢者であるかというが、最初は皆同一であるのだ。
#2
由其不能學,所入遂異閭。
そういうことであっても学問をよくしなかったなら、朝廷における採用されるべきところも入門する所から違ってくる。
兩家各生子,提孩巧相如。
二つの家があり、各々子が生まれたが、乳呑児を抱いた段階では巧みに違いがあれども似たり寄ったりというところだ。
少長聚嬉戲,不殊同隊魚。
学問を少ししかしない場合、長時間にわたってよくした場合、楽しいことや、戯ればかりしたものみんなが集まったとしたら、魚が皆同じに列をなしたようで特殊なものではない。
年至十二三,頭角稍相疏。
成長して十二三歳になった時、少しづつ傾向がで始め学問をしたものが抜きんでてくるようになる。
#3
二十漸乖張,清溝映汙渠。
それで二十歳になれば違異したまま大きくなる。きれいな溝が汚れきった運河となってしまうのだ。
三十骨骼成,乃一龍一豬。
三十歳になれば骨組みまでしっかりしてくる。すなわち一方では龍となるか、もう一方では猪となるかである。
飛黃騰踏去,不能顧蟾蜍。
黄色い出世の道に飛んで行くか、上がったり踏みつけられた挙句去って行くかである。思い通りいくことがなく蟾蜍のようにみられるかである。
一為馬前卒,鞭背生蟲蛆。
云い方を変えると、一つは一兵卒として馬の前を行進して、背に鞭を当てられ、虫けらのように生きるかということだ。
#4
一為公與相,潭潭府中居。
あるいは、ひとつは諸侯や宰相となって出世し、朝廷や、幕府の奥深い所の官邸の中をゆったり歩き、住まいとするかである。
問之何因爾,學與不學歟。
此れのどの道をゆくのかと問われれば、汝はどうこたえる。その答えによるところの学問を致すか、学問を致さないのかということである。
金璧雖重寶,費用難貯儲。
金で壁を作ると貴重な寶となるかもしれないが、それにかかる費用は大変なもので貯蓄をすることや儲けることが難しくなる。
學問藏之身,身在則有餘。
学問というのはその人間の身の内を蔵にしてため込むものであり、その身さえあればその後もいくら学問をしてもいくらでもためられるというのが法則というものである。
君子與小人,不繫父母且。
学問を積んだ君子と何にもしていない普通の者とはその父母からのつながりだけでなるものではないのである。
#5
不見公與相,起身自犁鉏。
お前の歳ではまだ諸侯や宰相といわれる人にであっていないだろう。箕を起して自ら隙をとって耕す。
不見三公後,寒飢出無驢。
お前は最高位三公その部下たちも見たことはないだろう。寒さは飢餓を生み驢馬もいなくで出ることもできない。
文章豈不貴,經訓乃菑畬。
詩文章は敢て貴いものとは言い難い、それは四書をただ訓じるだけであればそれは荒れ地や焼き畑のままということなのだ。
潢潦無根源,朝滿夕已除。
いくら水が重要でも、地上のたまり水が畑の食物の根に行き渡ることにはならないし、朝満ちるほどであったものが夕べにはすでに無くなっている。
人不通古今,馬牛而襟裾。
人というもの昔から今までを通じで生きていくことはない、それと馬や牛をして衿や袖を付けるということだ。
#6
行身陷不義,況望多名譽。
その身の行動については道義をしないことにおちいる、況や名声や、栄誉というものを多く望むものである。
時秋積雨霽,新涼入郊墟。
時は秋の長雨が続きその後空が晴れ渡る、すると秋の清々しさは郊外の丘陵地にはいってくる。
燈火稍可親,簡編可卷舒。
秋の夜長に燈火にようやく慣れ親しむものである。そうすれば書物を巻いたりひろげたり読書を進めることである。
豈不旦夕念,為爾惜居諸。
かといって朝から夕方まで物思いにふけるというのではない。お前がすべきことは君臣、君主とその夫人、父と母を惜しんでつくすことなのだ。
恩義有相奪,作詩勸躊躇。
報恩と道義に関しては互いに奪うようにして行動することにある。詩文を作ることはじっくり考慮しためらうことで、功を焦ってはいけない
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