326 《韓愈が尊敬と信頼していた人物で若くして死んだ「李觀」》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3956
- 2014/03/27
- 00:15
326 《韓愈が尊敬と信頼していた人物で若くして死んだ「李觀」》 韓愈 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3956 |
韓愈が尊敬と信頼していた人物。 | ||||||
若くして死んだ「 李觀 」 | ||||||
6 | 北極贈李觀 #1 | 北極有羈羽, | ||||
6 | 北極贈李觀 #2 | 我年二十五 | ||||
15 | 重雲李觀疾贈之 #1 | 夭行失其度, | ||||
15 | 重雲李觀疾贈之 #2 | 此志誠足貴, | ||||
李観(767~795)
洛陽の人。唐の乾元年間、朔方節度使の郭子儀に従い、策を献じた。坊州刺史呉伷の下で防遏使をつとめた。広徳初年、吐蕃の攻撃に対して郷里の子弟を率いて黒水の西を守備すると、吐蕃もかれをはばかって避けたという。
李観は愈と同じ受験者であったが、愈はこの人を特に評価して、親友としてつきあった。愈は親分肌の人物で、よく後輩の世話をしてやったり、指導をしたりしたが、友人と呼べるものには乏しかった。李観はその数少ない親友の一人である。この詩はニ十五歳と言っているので、この年に作られたことは明白であるが、「賤貧」などという言葉があり、科挙に合格した人の口から出たものとは思えないことばである。
792年貞元八年、愈はめでたく科挙に合格した。例の李観も、やはり合格した。当時の習慣として、同時に合格した進士たちは、「同年」と称して友人の義を結んだものである。愈と李観とは、これで慣例としても完全な親友となった。
嶺南節度使楊慎微の知見をえて、偏将となり、広州の軍政を総覧した。広州で徐浩・李勉らに歴仕した。馮崇道の乱や朱泚の乱の平定に功を挙げ、大将に進んだ。李勉が滑州にうつると、推挙をうけて試殿中監・開府儀同三司となり、右龍武将軍となった。建中末年、涇の軍がそむくと、千余人を率いて奉天に駐屯し、諸軍を訓練した。興元元年(784)、四鎮北庭行軍涇原節度使・検校兵部尚書となり、治績を挙げた。少府監・検校工部尚書となり、まもなく病没した。
孟郊が進士の試に合格したのは貞元十二年〈七九六〉であった。すなわちこの詩は、合格前の郊に贈ったものである。礼部の試には合格したが、吏部の試には落第した愈と、礼部の試にも合格できぬ郊と、落第の段階は違うが、官職につけず、俸給がもらえない点では、変わりがない。だから愈のこの時期の詩はヽ進士の試に合格はしたもののヽ「門を昨ず」と同じ調子をもっている・ そして翌貞元十年〈七九四〉に、愈が最も尊敬していた同輩の李観が死んだ。観はすでに博学鴻辞の科にも合格し、太子校書の職を授けられていた。その最後の病床に、愈は一首の詩を贈った。
李観が死んだのは、貞元十年の春である。この春は異常に長雨が続き、『唐書』「五行志」によれば、四か月のあいだに降らなかったのはたった一日か二日であったという。詩はそのときに作られたのであろう。
北極贈李觀 #1
北極有羈羽,南溟有沉鱗。
天下世界の北のはてにふるさとを遠く離れた鳥がおり、南のはての海には水底深くもぐったままの魚がいる。
川原浩浩隔,影響兩無因。
川原は広々とはるかな間を隔てている、鳥も魚も、声の聞きようもなければ姿の見ようもないのである。
風雲一朝會,變化成一身。
それがある朝のことである突然の風雲にめぐり遇って、変化したかと思うと一つの体になってしまったのである。
誰言道裏遠,感激疾如神。
こんな出来事は、道のりが遠いなどと誰が言えるというのか。心を打つ力というものは速いこと神わざかと思うばかりなのだ。
我年二十五,求友昧其人。
わたくしは今年二十五歳になる、親友を求めているのだが、そんな人がどこにいるかわかるもではないのである。
哀歌西京市,乃與夫子親。
長安の市場で哀しい歌を歌っては捜しまわるのである、そしてようやく君と仲よくなった。
所尚茍同趨,賢愚豈異倫。
まさに今こそ鐘鼎や碑碣に書かれた仁徳の道で固い交わりを結ぶのである、そうすれば論語でいう「君子の糸と石」のようにいつまでも変わることはないのだ。
方為金石姿,萬世無緇磷。
まさに今こそ鐘鼎や碑碣に書かれた仁徳の道で固い交わりを結ぶのである、そうすれば論語でいう「君子の糸と石」のようにいつまでも変わることはないのだ。
無為兒女態,憔悴悲賤貧。
幼い子供や女性のような真似をしてはいけないのだ。、どんなに疲れ果て、うらぶれはてても貧賤を悲しむことはないのだ。
#1
北極に羈羽有り、南溟(なんめい) 沉鱗(ちんりん)有り。
川原 浩浩として隔て、影響 両つながら因る無し。
風雲 一朝に会して、変化して一身と成る。
誰か言う道里 遠しと、感激して疾きこと神の如し。
我 年 二十五、友を求むれども其の人に昧し。
#2
西京の市に哀歌して、乃ち夫子と親しめり。
尚(とうと)ぶ所に 茍(いやしく)も趨(すう)を同じくせば、。賢愚(けんぐ) 豈 倫(とも)を異(から)にせんや
方に金石の姿と為りて、万世 緇磷(さいりん)すること無けん。
児女の態を為して、樵悴して賤貧を悲しむこと無かれ。
現代語訳と訳註
(本文) 北極贈李觀
北極有羈羽,南溟有沉鱗。
川原浩浩隔,影響兩無因。
風雲一朝會,變化成一身。
誰言道裏遠,感激疾如神。
我年二十五,求友昧其人。
哀歌西京市,乃與夫子親。
所尚茍同趨,賢愚豈異倫。
方為金石姿,萬世無緇磷。
無為兒女態,憔悴悲賤貧。
(下し文) #1
北極に羈羽有り、南溟(なんめい) 沉鱗(ちんりん)有り。
川原 浩浩として隔て、影響 両つながら因る無し。
風雲 一朝に会して、変化して一身と成る。
誰か言う道里 遠しと、感激して疾きこと神の如し。
我 年 二十五、友を求むれども其の人に昧し。
西京の市に哀歌して、乃ち夫子と親しめり。
尚(とうと)ぶ所に 茍(いやしく)も趨(すう)を同じくせば、。賢愚(けんぐ) 豈 倫(とも)を異(から)にせんや
方に金石の姿と為りて、万世 緇磷(さいりん)すること無けん。
児女の態を為して、樵悴して賤貧を悲しむこと無かれ。
(現代語訳)
天下世界の北のはてにふるさとを遠く離れた鳥がおり、南のはての海には水底深くもぐったままの魚がいる。
川原は広々とはるかな間を隔てている、鳥も魚も、声の聞きようもなければ姿の見ようもないのである。
それがある朝のことである突然の風雲にめぐり遇って、変化したかと思うと一つの体になってしまったのである。
こんな出来事は、道のりが遠いなどと誰が言えるというのか。心を打つ力というものは速いこと神わざかと思うばかりなのだ。
わたくしは今年二十五歳になる、親友を求めているのだが、そんな人がどこにいるかわかるもではないのである。
長安の市場で哀しい歌を歌っては捜しまわるのである、そしてようやく君と仲よくなった。
まさに今こそ鐘鼎や碑碣に書かれた仁徳の道で固い交わりを結ぶのである、そうすれば論語でいう「君子の糸と石」のようにいつまでも変わることはないのだ。
まさに今こそ鐘鼎や碑碣に書かれた仁徳の道で固い交わりを結ぶのである、そうすれば論語でいう「君子の糸と石」のようにいつまでも変わることはないのだ。
幼い子供や女性のような真似をしてはいけないのだ。、どんなに疲れ果て、うらぶれはてても貧賤を悲しむことはないのだ。
(訳注)
北極有羈羽,南溟有沉鱗。
天下世界の北のはてにふるさとを遠く離れた鳥がおり、南のはての海には水底深くもぐったままの魚がいる。
○北極 天下は九分割されて九州としていたが、地上波東西南北それぞれ行き着くところがあり、崖になって海になるという考えでありその北の果てをいうものである。○羈羽 旅人のことを言うのであるが、下句に魚を言うので表現としては、故郷を離れた鳥と訳すのが妥当。
○南溟 南のはての海。
○沉鱗 水底深くもぐったままの魚。人に認められないことのたとえ。睨は魚類。揖羽と沈鱗は、韓愈と李観とに喩える。
川原浩浩隔,影響兩無因。
川原は広々とはるかな間を隔てている、鳥も魚も、声の聞きようもなければ姿の見ようもないのである。
○浩浩 広々としたさま。
○影響 影と声の響き。
○兩無因 両方ともその姿さえ見えない。
風雲一朝會,變化成一身。
それがある朝のことである突然の風雲にめぐり遇って、変化したかと思うと一つの体になってしまったのである。
○風雲 風雲に乗じて、という心持ち。外からはたらく助けによってある機会を得ることをさす。
○一朝會 ある朝出会う。ひとたび出会うこと。
○一身 わかれていたものが、あるいは離れていたものが一体化すること。
誰言道裏遠,感激疾如神。
こんな出来事は、道のりが遠いなどと誰が言えるというのか。心を打つ力というものは速いこと神わざかと思うばかりなのだ。
○道裏遠 道のりが遠いさまをいう。
○疾如神 速いこと神わざかと思えるほどであること。
我年二十五,求友昧其人。
わたくしは今年二十五歳になる、親友を求めているのだが、そんな人がどこにいるかわかるもではないのである。
哀歌西京市,乃與夫子親。
長安の市場で哀しい歌を歌っては捜しまわるのである、そしてようやく君と仲よくなった。
○哀歌 哀歌は、悲歌と同じょうな意で、興奮して高い調子でうたうこと。
○西京 東京、東都は洛陽であり、それに対して長安のことを言う。
○市 長安には西と東の中心部に市場があった。マーケット。古代には、商業は、市場で行われ、したがって盛り場にもなっていた。
○夫子 夫子とは李觀よりみた、韓愈のことをさす語。子は、男子の敬称。それから二人称としても用いるようになった。夫は、指示の「この」[あの]の意味から、子の上について、いっそうていねいないい方であることを示す。実際には、事例は多いが特殊な意味として、孔子をさす場合いがある。この詩全体が孔子の言葉を使っているので、李觀にたいしての韓愈の謙譲的な態度といえるのかもしれない。
所尚茍同趨,賢愚豈異倫。
二人とも仁徳の尊きことに心を傾けるものが同じでありさえするならば、世間の賢人か愚人かと頭の程度などで人間を区別することには関心はない。
○同趨 心を傾けるものが同じであること。『論語』季氏篇に、孔子の子の鯉が「庭を趨って」過ぎたとき、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。ここではこの『論語』の趨の方向性が同じであることを言う。
○賢愚 賢人か愚人か、頭の程度.
ここでは賢は、李観について、愚は、自分韓意についていう。
○豈異倫人間を区別することには関心はない。
方為金石姿,萬世無緇磷。
まさに今こそ鐘鼎や碑碣に書かれた仁徳の道で固い交わりを結ぶのである、そうすれば論語でいう「君子の糸と石」のようにいつまでも変わることはないのだ。
○金石 金は鐘鼎、石は碑碣。古代にはそうした銅器や石に頌功紀事、あるいは寓戒の言葉を刻んで、自分を戒めた。○緇磷:(しりん) 緇(し)は、糸を黒く染めること、黒ずむこと。僧衣を意味することもある。緇塵は世俗の醜い事柄のこと。磷(りん)は石などを鱗のように薄くすることで、磨り減ること。雲母の意味もある。この場合は、『論語』陽貨篇の、「子曰、不曰堅乎、磨而不磷、不曰白乎、涅而不淄。」(子曰、堅しといはざらんや、磨すれども磷(うす)ろがず。白しといはざらんや、涅(くろ)くすれども緇(くろ)からず、と)
君子であれば貞節は固く身は潔白で、磨いても磨り減らないし、黒く染めようとも黒くならない。しかし、この私(謝)は最初のそんな決意の清さも明らかさも、失って(謝して)しまった。
無為兒女態,憔悴悲賤貧。
幼い子供や女性のような真似をしてはいけないのだ。、どんなに疲れ果て、うらぶれはてても貧賤を悲しむことはないのだ。
○兒女態 辛いこと、悲しいことに涙を見せる大どうとることは女子供のすることである。めめしい態度。児は乳飲み子ではない十歳までの子供。童はそれより上で十五、六歳までの子供を言う。
○憔悴 やつれはてる。
○賤貧 賤は身分の低いこと。普通は、「貧賤」というが押韻の関係で、「貧」の字を下にした。
北極贈李観
○北極という題は、この詩の第一句の歎初のことばを取って名づけた。「詩経」などに見える古代的な題のつけ方である。
李観(766-794)は愈と同じ受験者であったが、愈はこの人を特に評価して、親友としてつきあった。愈は親分肌の人物で、よく後輩の世話をしてやったり、指導をしたりしたが、友人と呼べるものには乏しかった。李観はその数少ない親友の一人である。この詩はニ十五歳と言っているので、この年に作られたことは明白であるが、「賤貧」などという言葉があり、科挙に合格した人の口から出たものとは思えないことばである。
792年貞元八年、愈はめでたく科挙に合格した。例の李観も、やはり合格した。当時の習慣として、同時に合格した進士たちは、「同年」と称して友人の義を結んだものである。愈と李観とは、これで慣例としても完全な親友となった。
李観(767~795)
洛陽の人。唐の乾元年間、朔方節度使の郭子儀に従い、策を献じた。坊州刺史呉伷の下で防遏使をつとめた。広徳初年、吐蕃の攻撃に対して郷里の子弟を率いて黒水の西を守備すると、吐蕃もかれをはばかって避けたという。嶺南節度使楊慎微の知見をえて、偏将となり、広州の軍政を総覧した。広州で徐浩・李勉らに歴仕した。馮崇道の乱や朱泚の乱の平定に功を挙げ、大将に進んだ。李勉が滑州にうつると、推挙をうけて試殿中監・開府儀同三司となり、右龍武将軍となった。建中末年、涇の軍がそむくと、千余人を率いて奉天に駐屯し、諸軍を訓練した。興元元年(784)、四鎮北庭行軍涇原節度使・検校兵部尚書となり、治績を挙げた。少府監・検校工部尚書となり、まもなく病没した。
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北極贈李觀 韓退之(韓愈)
北極有羈羽,南溟有沉鱗。川原浩浩隔,影響兩無因。
風雲一朝會,變化成一身。誰言道裏遠,感激疾如神。
我年二十五,求友昧其人。哀歌西京市,乃與夫子親。
所尚茍同趨,賢愚豈異倫。方為金石姿,萬世無緇磷。
無為兒女態,憔悴悲賤貧。
北極に羈羽有り、南溟(なんめい) 沉鱗(ちんりん)有り。
川原 浩浩として隔て、影響 両つながら因る無し。
風雲 一朝に会して、変化して一身と成る。
誰か言う道里 遠しと、感激して疾きこと神の如し。
我 年 二十五、友を求むれども其の人に昧し。
西京の市に哀歌して、乃ち夫子と親しめり。
尚(とうと)ぶ所に 茍(いやしく)も趨(すう)を同じくせば、。賢愚(けんぐ) 豈 倫(とも)を異(から)にせんや
方に金石の姿と為りて、万世 緇磷(さいりん)すること無けん。
児女の態を為して、樵悴して賤貧を悲しむこと無かれ。
北極有羈羽,南溟有沉鱗。
天下世界の北のはてにふるさとを遠く離れた鳥がおり、南のはての海には水底深くもぐったままの魚がいる。
○北極 天下は九分割されて九州としていたが、地上波東西南北それぞれ行き着くところがあり、崖になって海になるという考えでありその北の果てをいうものである。
○羈羽 旅人のことを言うのであるが、下句に魚を言うので表現としては、故郷を離れた鳥と訳すのが妥当。
○南溟 南のはての海。
○沉鱗 水底深くもぐったままの魚。人に認められないことのたとえ。睨は魚類。揖羽と沈鱗は、韓愈と李観とに喩える。
川原浩浩隔,影響兩無因。
川原は広々とはるかな間を隔てている、鳥も魚も、声の聞きようもなければ姿の見ようもないのである。
○浩浩 広々としたさま。
○影響 影と声の響き。
○兩無因 両方ともその姿さえ見えない。因は手段。
風雲一朝會,變化成一身。
それがある朝のことである突然の風雲にめぐり遇って、変化したかと思うと一つの体になってしまったのである。
○風雲 風雲に乗じて、という心持ち。外からはたらく助けによってある機会を得ることをさす。
○一朝會 ある朝出会う。ひとたび出会うこと。
○一身 わかれていたものが、あるいは離れていたものが一体化すること。
誰言道裏遠,感激疾如神。
こんな出来事は、道のりが遠いなどと誰が言えるというのか。心を打つ力というものは速いこと神わざかと思うばかりなのだ。
○道裏遠 道のりが遠いさまをいう。
○疾如神 速いこと神わざかと思えるほどであること。
我年二十五,求友昧其人。
わたくしは今年二十五歳になる、親友を求めているのだが、そんな人がどこにいるかわかるもではないのである。
哀歌西京市,乃與夫子親。
長安の市場で哀しい歌を歌っては捜しまわるのである、そしてようやく君と仲よくなった。
○哀歌 哀歌は、悲歌と同じょうな意で、興奮して高い調子でうたうこと。
○西京 東京、東都は洛陽であり、それに対して長安のことを言う。
○市 長安には西と東の中心部に市場があった。マーケット。古代には、商業は、市場で行われ、したがって盛り場にもなっていた。
○夫子 夫子とは李觀よりみた、韓愈のことをさす語。子は、男子の敬称。それから二人称としても用いるようになった。夫は、指示の「この」[あの]の意味から、子の上について、いっそうていねいないい方であることを示す。実際には、事例は多いが特殊な意味として、孔子をさす場合いがある。この詩全体が孔子の言葉を使っているので、李觀にたいしての韓愈の謙譲的な態度といえるのかもしれない。
所尚茍同趨,賢愚豈異倫。
二人とも仁徳の尊きことに心を傾けるものが同じでありさえするならば、世間の賢人か愚人かと頭の程度などで人間を区別することには関心はない。
○同趨 心を傾けるものが同じであること。『論語』季氏篇に、孔子の子の鯉が「庭を趨って」過ぎたとき、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。ここではこの『論語』の趨の方向性が同じであることを言う。
○賢愚 賢人か愚人か、頭の程度など
○豈異倫人間を区別することには関心はない。ここでは賢は、李観について、愚は、自分韓意についていう。
方為金石姿,萬世無緇磷。
まさに今こそ鐘鼎や碑碣に書かれた仁徳の道で固い交わりを結ぶのである、そうすれば論語でいう「君子の糸と石」のようにいつまでも変わることはないのだ。
○金石 金は鐘鼎、石は碑碣。古代にはそうした銅器や石に頌功紀事、あるいは寓戒の言葉を刻んで、自分を戒めた。○緇磷:(しりん) 緇(し)は、糸を黒く染めること、黒ずむこと。僧衣を意味することもある。緇塵は世俗の醜い事柄のこと。 磷(りん)は石などを鱗のように薄くすることで、磨り減ること。雲母の意味もある。この場合は、『論語』陽貨篇の、「子曰、不曰堅乎、磨而不磷、不曰白乎、涅而不淄。」(子曰、堅しといはざらんや、磨すれども磷(うす)ろがず。白しといはざらんや、涅(くろ)くすれども緇(くろ)からず、と)
君子であれば貞節は固く身は潔白で、磨いても磨り減らないし、黒く染めようとも黒くならない。しかし、この私(謝)は最初のそんな決意の清さも明らかさも、失って(謝して)しまった。
無為兒女態,憔悴悲賤貧。
幼い子供や女性のような真似をしてはいけないのだ。、どんなに疲れ果て、うらぶれはてても貧賤を悲しむことはないのだ。
○兒女態 辛いこと、悲しいことに涙を見せる大どうとることは女子供のすることである。めめしい態度。児は乳飲み子ではない十歳までの子供。童はそれより上で十五、六歳までの子供を言う。○憔悴 やつれはてる。○賤貧 賤は身分の低いこと。普通は、「貧賤」というが押韻の関係で、「貧」の字を下にした。
重雲李觀疾贈之
#1
天行失其度,陰氣來幹陽。
天の運行がその節度を失い天候不順になっている、陰気が陽気をおしやって天候の本幹になろうとしている。
重雲閉白日,炎燠成寒涼。
幾重にもかさなった雲が真昼の太陽をとざしてしまった、灼熱の熱い陽気は冷え冷えとしたものになってしまったのだ。
小人但咨怨,君子惟憂傷。
小人は溜息をついて天を怨むばかりだが、君子はこのようなとき天の異変として他への禍を心配するもので、君も当然心配しているのだろう。
飲食爲減少,身體豈寧康。」
そんな心配事で食事も減るほどなのか、それでは君のからだに障りがないはずはあるまい。
此志誠足貴,懼非職所當。
君の気持はほんとうに貴ばれる値うちのあるものである、ただ、おそらくは君の職責の該当する問題ではあるまい。
藜羹尚如此,肉食安可嚐。
わたしにしたって、俸禄がなくアカザを実にした吸い物を啜る今の身分ではあるがこのとおりである、高い身分の人が食ベる肉料理など、味わうことができるものか。
窮冬百草死,幽桂乃芬芳。
冬の極まった季節には全部の草が枯れてしまうものであるが、そうなると奥まったところに植えられている桂であってもよい香りを放つということなのだ。
且況天地間,大運自有常。
ましてこの天地の間に、めぐり来る運命にはそれなりの法則性があるものだ(だから君の病気はきっと全快する。
勸君善飲食,鸞鳳本高翔。」
しっかり食事をとることを君に進める。君は非几な鸞鳳である、もともと世俗を超越して、高く翔るものなのだ。
天行 其の度を失い、陰気 来たりて陽を干(おか)す。
重雲(ちょううん)は白日を閉し、炎燠(えんいく)は寒涼と成る。
小人は但だ咨怨(しえん)するのみ、君子は惟れ憂傷す。
飲食 為に減少す、身体 豈 寧康ならんや。
#2
此の志 誠に貴ぶに足るも、懼(おそ)らくは職の当たる所に非じ。
藜羹(れいこう)すら 尚 此の如し、肉食 安くんぞ嚐(な)む可けんや。
窮冬(きゅうとう) 百草 死し、幽桂(ゆうけい) 乃ち芬芳(ぶんほう)。
且つ況んや天地の間、大運 自から常有るをや。
君に勸む善く飲食せよ、鸞鳳 本 高翔す。
重雲李觀疾贈之 現代語訳と訳註
(本文)
天行失其度,陰氣來幹陽。
重雲閉白日,炎燠成寒涼。
小人但咨怨,君子惟憂傷。
飲食爲減少,身體豈寧康。」
此志誠足貴,懼非職所當。
藜羹尚如此,肉食安可嚐。
窮冬百草死,幽桂乃芬芳。
且況天地間,大運自有常。
勸君善飲食,鸞鳳本高翔。」
(下し文)
天行 其の度を失い、陰気 来たりて陽を干(おか)す。
重雲(ちょううん)は白日を閉し、炎燠(えんいく)は寒涼と成る。
小人は但だ咨怨(しえん)するのみ、君子は惟れ憂傷す。
飲食 為に減少す、身体 豈 寧康ならんや。
此の志 誠に貴ぶに足るも、懼(おそ)らくは職の当たる所に非じ。
藜羹(れいこう)すら 尚 此の如し、肉食 安くんぞ嚐(な)む可けんや。
窮冬(きゅうとう) 百草 死し、幽桂(ゆうけい) 乃ち芬芳(ぶんほう)。
且つ況んや天地の間、大運 自から常有るをや。
(現代語訳)
天の運行がその節度を失い天候不順になっている、陰気が陽気をおしやって天候の本幹になろうとしている。
幾重にもかさなった雲が真昼の太陽をとざしてしまった、灼熱の熱い陽気は冷え冷えとしたものになってしまったのだ。
小人は溜息をついて天を怨むばかりだが、君子はこのようなとき天の異変として他への禍を心配するもので、君も当然心配しているのだろう。
そんな心配事で食事も減るほどなのか、それでは君のからだに障りがないはずはあるまい。
君の気持はほんとうに貴ばれる値うちのあるものである、ただ、おそらくは君の職責の該当する問題ではあるまい。
わたしにしたって、俸禄がなくアカザを実にした吸い物を啜る今の身分ではあるがこのとおりである、高い身分の人が食ベる肉料理など、味わうことができるものか。
冬の極まった季節には全部の草が枯れてしまうものであるが、そうなると奥まったところに植えられている桂であってもよい香りを放つということなのだ。
ましてこの天地の間に、めぐり来る運命にはそれなりの法則性があるものだ(だから君の病気はきっと全快する)。
しっかり食事をとることを君に進める。君は非几な鸞鳳である、もともと世俗を超越して、高く翔るものなのだ。
(訳注)
天行失其度,陰氣來幹陽。
(天行 其の度を失い、陰気 来たりて陽を干(おか)す。重雲(ちょううん)は白日を閉し、炎燠(えんいく)は寒涼と成る。)
天の運行がその節度を失い天候不順になっている、陰気が陽気をおしやって天候の本幹になろうとしている。
○天行 天の運行。天候。○其度 天候のきめられた節度。○來幹 その幹となるために来る。
重雲閉白日,炎燠成寒涼。
(重雲(ちょううん)は白日を閉し、炎燠(えんいく)は寒涼と成る。)
幾重にもかさなった雲が真昼の太陽をとざしてしまった、灼熱の熱い陽気は冷え冷えとしたものになってしまったのだ。
○重雲 雨多く含んだ厚い雲。○炎燠 灼熱、炎天。燠は1 赤くおこった炭火。おきび。「かっかと赤くおこった火鉢の―のやまに」〈野上・迷路・四〉2 まきなどが燃えて炭火のようになったもの。 熱い陽気
小人但咨怨,君子惟憂傷。
(小人は但だ咨怨(しえん)するのみ、君子は惟れ憂傷す。飲食 為に減少す、身体 豈 寧康ならんや。)
小人は溜息をついて天を怨むばかりだが、君子はこのようなとき天の異変として他への禍を心配するもので、君も当然心配しているのだろう。
○小人 韓愈と同グループの孟郊の小人は次のとおりである。
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小人とは 「小人槿花心,朝在夕不存。」
(小人は槿花の心、朝在るも 夕べは存せず。)
小人というものは、その心は木槿の花のようであり、朝咲いて夕方にはしぼんでなくなっている。
・槿花 むくげの花が朝咲いて、夕暮れには散ることからいう。・「槿花」はむくげの花。はかないたとえ。また、「小人、槿花の心」(つまらない人の心はむくげの花のように移ろいやすい)などといって、人の心は変わりやすいことのたとえ。
○咨怨 歎き恨む。溜息をつきうらむ。○憂傷 天の異変として心配する。
飲食爲減少,身體豈寧康。」
(飲食 為に減少す、身体 豈 寧康ならんや。)
そんな心配事で食事も減るほどなのか、それでは君のからだに障りがないはずはあるまい。
○豈寧康 からだに障りがないはずはあるまい。
此志誠足貴,懼非職所當。
(此の志 誠に貴ぶに足るも、懼(おそ)らくは職の当たる所に非じ。)
君の気持はほんとうに貴ばれる値うちのあるものである、ただ、おそらくは君の職責の該当する問題ではあるまい。
○職 職責 李観博学鴻辞の科にも合格し、太子校書の職。
藜羹尚如此,肉食安可嚐。
(藜羹(れいこう)すら 尚 此の如し、肉食 安くんぞ嚐(な)む可けんや。)
わたしにしたって、俸禄がなくアカザを実にした吸い物を啜る今の身分ではあるがこのとおりである、高い身分の人が食ベる肉料理など、味わうことができるものか。
○藜羹 アカザを実にした吸い物。粗末な食物のたとえ。(藜羹を食らう者は大牢の滋味を知らず.)
窮冬百草死,幽桂乃芬芳。
(窮冬(きゅうとう) 百草 死し、幽桂(ゆうけい) 乃ち芬芳(ぶんほう)。)
冬の極まった季節には全部の草が枯れてしまうものであるが、そうなると奥まったところに植えられている桂であってもよい香りを放つということなのだ。
桂 1 カツラ科の落葉高木。山地に自生。葉は広卵形で裏面が白い。雌雄異株。5月ごろ、紅色の雄花、淡紅色の雌花をつけ、花びらはない。材を建築・家具や碁盤・将棋盤などに用いる。おかつら。かもかつら。
2 中国の伝説で、月の世界にあるという木。
桂を折る
《「晋書」郤詵(げきしん)伝から。すぐれた人材を桂の枝にたとえて》官吏登用試験に合格する。桂林(けいりん)の一枝(いっし)
○芬 よいかおりのするさま。匂いただようさま。
且況天地間,大運自有常。
(且つ況んや天地の間、大運 自から常有るをや。)
ましてこの天地の間に、めぐり来る運命にはそれなりの法則性があるものだ(だから君の病気はきっと全快する。
勸君善飲食,鸞鳳本高翔。」
(君に勸む善く飲食せよ、鸞鳳 本 高翔す。)
しっかり食事をとることを君に進める。君は非几な鸞鳳である、もともと世俗を超越して、高く翔るものなのだ。
詩は、韓愈が李観の家へは行かずに、詩のみを贈って病気見舞いとしたらしい。観の病気に対して愈はあまり重大に考えず、気侯不順のため食欲も進まず、身体に違和を来たしたと思っていたようである。それに加えて、天侯の異変は天のいましめであるとする通念がある。まじめな李観は、それを心配しているのであろう。だが、そんなことを心配するのは宰相の職分で、太子校書ごときが心配するのは、越権行為である。そんなことは気にかけず、療養につとめなさい、と愈は言っているのである。
そのかいもなく、李観は死んだ。享年二十九であった。
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