362 韓昌黎集 巻五 393 《潮州刺史謝上表》 韓愈
- 2014/05/02
- 00:22
362 韓昌黎集 巻五 393 《潮州刺史謝上表》 韓愈
362 韓昌黎集 巻五 393 《潮州刺史謝上表》 韓愈 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4136 |
潮州に着いたのは、819年元和14年の3月25日であった。長安を出てから三か月若の日数がかかったわけである。流罪とはいえ形式上は潮州刺史の辞令をもらって赴任したのであるから、到着の報告書を作成した。その「潮州刺史謝上表」は、恭順の意がのべられ、死罪になっても文句のないところであること。流罪になったのはまことに寛大な処置で、自分はここの地方長官として天子の恩徳を住民に告げた」ということが書かれている。その一方、哀願もしていて、こんな片田舎では生活できないから、一日も早く呼びもどしてほしいと訴えている。北方生まれの韓愈にとって、南での生活はすべてが異様であり、耐えがたいものだったのだ。三度目の嶺南行である。
潮州刺史謝上表 韓愈
#1
臣某言:臣以狂妄戇愚,不識禮度,上表陳佛骨事,言涉不敬,正名定罪,萬死猶輕。陛下哀臣愚忠,恕臣狂直,謂臣言雖可罪,心亦無他,特屈刑章,以臣為潮州刺史。既免刑誅,又獲祿食,聖恩宏大,天地莫量,破腦刳心,豈足為謝!臣某誠惶誠恐,頓首頓首。
#2
臣以正月十四日,蒙恩除潮州刺史,即日奔馳上道,經涉嶺海,水陸萬裏,以今月二十五日,到州上訖。與官吏百姓等相見,具言朝廷治平,天子神聖,威武慈仁,子養億兆人庶,無有親疏遠邇,雖在萬裏之外,嶺海之陬,待之一如畿甸之間,輦轂之下。有善必聞,有惡必見,早朝晚罷,兢兢業業,惟恐四海之內,天地之中,一物不得其所,故遣刺史麵問百姓疾苦,苟有不便,得以上陳。
#3
國家憲章完具,為治日久,守令承奉詔條,違犯者鮮,雖在蠻荒,無不安泰。聞臣所稱聖德,惟知鼓舞讙歡呼,不勞施為,坐以無事。臣某誠惶誠恐,頓首頓首。
#4
臣所領州,在廣府極東界上,去廣府雖雲才二千裏,然往來動皆經月。過海口,下惡水。濤瀧壯猛,難計程期;颶風鱷魚,患禍不測。州南近界,漲海連天;毒霧瘴氛,日夕發作。
#4
臣少多病,年才五十,發白齒落,理不久長,加以罪犯至重,所處又極遠惡,憂惶慚悸,死亡無日。單立一身,朝無親黨,居蠻夷之地,與魑魅為群,苟非陛下哀而念之,誰肯為臣言者?
#5
臣受性愚陋,人事多所不通,惟酷好學問文章,未嚐一日暫廢,實為時輩所見推許。臣於當時之文,亦未有過人者。至於論述陛下功德,與《詩》《書》相表裏;作為歌詩,薦之郊廟;紀泰山之封,鏤白玉之牒;鋪張對天之閎休,揚厲無前之偉績,編之乎《詩》《書》之策而無愧,措之乎天地之間而無虧。雖使古人複生,臣亦未肯多讓。
#6
伏以大唐受命有天下,四海之內,莫不臣妾,南北東西,地各萬裏。自天寶之後,政治少懈,文致未優,武克不剛,孽臣奸隸,蠹居棋處,搖毒自防,外順內悖,父死子代,以祖以孫,如古諸侯,自擅其地,不貢不朝,六七十年。四聖傳序,以至陛下。
#7
陛下即位以來,躬親聽斷;旋乾轉坤,關機闔開;雷厲風飛,日月所照;天戈所麾,莫不寧順;大宇之下,生息理極。高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。非如陛下承天寶之後,接因循之餘,六七十年之外,赫然興起,南麵指麾,而致此巍巍之治功也。宜定樂章,以告神明,東巡泰山,奏功皇天,具著顯庸,明示得意,使永永年代,服我成烈。
#8
當此之際,所謂千載一時不可逢之嘉會,而臣負罪嬰,自拘海島,戚戚嗟嗟,日與死迫,曾不得奏薄技於從官之內、隸禦之間,窮思畢精,以贖罪過,懷痛窮天,死不閉目,瞻望宸極,魂神飛去。伏惟皇帝陛下,天地父母,哀而憐之,無任感恩戀闕慚惶懇迫之至。謹附表陳謝以聞。
潮州刺史謝上表 #1
(広東省潮州に左遷された韓退之が、罪を許されて召還され、中央政府に用いられることを願い、謝して奉った上表文である。)
臣某言:臣以狂妄戇愚,不識禮度,
家臣の私が申し上げます。私は人並みはずれて激しく無分別な考えの愚かなもので、礼儀法度もわきまえておりませんでした。
上表陳佛骨事,言涉不敬,
仏骨のことを論じた表をたてまつって、陳述も致し、その言辞が不敬にわたってもおりました。
正名定罪,萬死猶輕。
その名分を正して罪を定めるならは、万死もなお軽く、全く生命はないはずのものでありました。
(2)#1-2
陛下哀臣愚忠,恕臣狂直,
しかし、陛下は私の愚かな忠義心をあわれに思い、私の常識はずれた正直を思いやり下さったものである。
謂臣言雖可罪,心亦無他,
私の謂わんとする言辞は罪すべきものであるけれど、心にはまた他意がないと思召してくださった。
特屈刑章,以臣為潮州刺史。
刑の条文をまげ改めてまでも、この私を潮州の刺史となされました。
既免刑誅,又獲祿食,
すでに罪刑を下し殺されるということを免じられて、その上、役人としての食俸禄を得ることができました。
聖恩宏大,天地莫量,
このことは、聖天子の御恩が弘大であること、それは天地大きさを量ることのできないことにも似ている。
破腦刳心,豈足為謝!
これに対して、脳を砕き破り、心臓を切り裂いても、どうして御礼申し上げるに足りましょうか。
臣某誠惶誠恐,頓首頓首。
私韓愈は、真心より恐れかしこみ、頓首し、重ねて頓首して申し上げます。
248-(3)#2-1
臣以正月十四日,蒙恩除潮州刺史,
私は正月十四日に、恩命を蒙り潮州刺史に任ぜられました。
即日奔馳上道,經涉嶺海,
そしてその日のうちに奔り馳せて出発して、五嶺山脈を越え、広東から海を過ぎ渡りました。
水陸萬裏,以今月二十五日,到州上訖。
その間、水に進み、陸を行くこと万里にもなり、今月(三月)二十五日をもって潮州の役所に到着して、赴任の旅はおわりました。
與官吏百姓等相見,具言朝廷治平,
すぐに、潮州の官吏や一般人民らと会見し、詳しく申しましたことは、「朝廷は治まり平安とする施政をしていること。」
天子神聖,威武慈仁,
「天子は神のごとくすぐれ給こと。」、「御威光いかめしく御慈愛深いこと。」
子養億兆人庶,無有親疏遠邇,
「億兆の庶民を子のごとく養われること。」、「親しいもの疎いもの、遠い近いということでの区別などはされないこと。」
雖在萬裏之外,嶺海之陬,
「朝廷より万里の外、山海の片隅の地にあっても、
待之一如畿甸之間,輦轂之下。
これをもて扱うことはまったく畿内の地方、天子の御車近くの京都と同じようであること。」
(4)#2-2
有善必聞,有惡必見,
善いことがあれは必ずこれを聞かれ、悪事があれは必ずこれを御覧になる。
早朝晚罷,兢兢業業,
早朝の朝礼にお出ましになって政務を見、夜おそくになってお仕事をおわりにする、絶えず御心配に心やすまることなく、
惟恐四海之內,天地之中,一物不得其所,
ただ四海のうち、天地の中に一つの物でもその妥当な在り場所を得ないかもしれないと恐れておられる。
故遣刺史麵問百姓疾苦,
それ故、刺史をつかわして、一般人民のなやみ苦しみをまのあたりに問わせなさるのである。
苟有不便,得以上陳。
かりそめにも政務に具合いのわるいことがあるならば、それをお上に申し陳述することができる、とでいうとされました。
(5)#3
國家憲章完具,為治日久,
国家の基本的な方針や施策・法律の条文は完全にそなわっていて、治まることは久しくなっています。
守令承奉詔條,違犯者鮮,
郡の太守や県の令らは、みことのりの箇条を受け戴いて、それにそむき犯すものは殆んどいません。
雖在蠻荒,無不安泰。
南方の異民族の遠域の地にいても、人民は安らかでないものはありません。
聞臣所稱聖德,惟知鼓舞讙歡呼,
私韓愈のたたえまつる陛下の御聖徳を聞いて、世の人々はただ感動して鼓を鳴らし舞って、喜び叫ぶはかりです。
不勞施為,坐以無事。
彼らを治めるために何らの方策を施す苦労がなく、坐ったまま無為にして無事でございます。
臣某誠惶誠恐,頓首頓首。
私韓愈は、真心より恐れかしこみ、頓首し、重ねて頓首して申し上げます。
(6)#4
臣所領州,在廣府極東界上,
私が支配、把握している州は、広州府の極めて東の界の付近にあります。
去廣府雖雲才二千裏,然往來動皆經月。
広州にむかって長安を去ることわずか二千里であるというけれども、しかし往ったり、来たりするのに、どうやっても一月を過ぎます。
過海口,下惡水。
そのうえ、海口を過ぎてから、大洪水のため悪水を下ることになったのです。
濤瀧壯猛,難計程期;
怒涛や激流がさかんに勢い猛く、旅行行程、期日を計りがたいのです。
颶風鱷魚,患禍不測。
つむじ風やワニなど、心配やわざわいが測ることができないのです。
州南近界,漲海連天;
州の南の近いところでは、みなぎる海はそのなみは天に連ならなるほどです。
毒霧瘴氛,日夕發作。
毒のある霧や熱病のもととなる蒸し熱い気など、朝夕におこっております。
(7)#5
臣少多病,年才五十,
私は若いときから病気が多く、今年で五十をわずかにすぎたばかりなのです。
發白齒落,理不久長,
髪は白く、歯はぬけ落ちてしまいました。道理として久しくは生きないでありましょう。
加以罪犯至重,所處又極遠惡,
その上、罪を犯したことは極めて重く、住むところは都から極めて遠く劣悪条件であります。
憂惶慚悸,死亡無日。
心は憂いおそれ、自分の行いについて、はずかしく反省しており、このままでは死亡するのもあと日がないことでしょう。
單立一身,朝無親黨,
そして単身赴任し、仲間などなく孤立して、朝廷の有力者に親しい仲間もありません。
居蠻夷之地,與魑魅為群,
この南蛮の異民族の地にすまいして、山林の妖怪変化と群れをなしております。
苟非陛下哀而念之,誰肯為臣言者?
かりそめにも陛下が哀れんで心にかけて下さるのでなければ、誰が私のために言うことを承知するでしょうか。誰も弁じてくれないでしょう。
(8)#6-1
臣受性愚陋,人事多所不通,
私は受けた生まれつきがおろかでいやしく、世の中の人間関係の事には通じない所が多いのです。
惟酷好學問文章,
ただはなはだ学問や文章が好きなのです。
未嚐一日暫廢,實為時輩所見推許。
いまだ一日も、暫くの間も、やめたことはありませんでした。それが実に現代の人々の私を推し許されたわけであります。
臣於當時之文,亦未有過人者。
わたくしはその当世風の文章においては、また人よりすぐれたところはありません。
至於論述陛下功德,與《詩》《書》相表裏;
陛下のお手柄や御人格をあげつらい述べて、古代の『詩経』や『書経』と、たがいに表と裏との関係で相一致するものとなすのであります。
(9) #6-2
作為歌詩,薦之郊廟;
詩や歌を作って、天子が城外で天を祭られる郊の祭りや御霊屋に祖先を祭られる際にそれを薦め歌うこと、
紀泰山之封,鏤白玉之牒;
天子が泰山で天神を祭られることを記し、白玉の書礼にそれをきざみつけること、
鋪張對天之閎休,揚厲無前之偉績,
天に対する壮大なめでたい祭りを陳べ著して大きく伝え、これまで全くなかった偉大な“いさおし”を揚げ著したものとなること、
編之乎《詩》《書》之策而無愧,措之乎天地之間而無虧。
これらを『詩経』『書経』の書籍の中に編入しても、恥ずかしいところがなく、これ天地の間に置いても、何ら不完全なところがなく著すのです。
雖使古人複生,臣亦未肯多讓。
古の人をしてまたふたたびこの世に生き返らせたところで、私は、多く彼らに譲ることを決して承知しないでありましょう。
(10)#7
伏以大唐受命有天下,四海之內,莫不臣妾,
伏し謹んで思いますのに、わが大唐が天命を受けて天下宕して天子となって、四海の内の男は臣に女は侍女とならないものはなく、
南北東西,地各萬裏。
南北東西、いずれも空は一万里ありました。
自天寶之後,政治少懈,文致未優,武克不剛。
天宝の後、政治が少しおこたり、文治のありさまはまだ十分でなく、武力は強剛ではなかったのです。
孽臣奸隸,蠹居棋處,搖毒自防,外順內悖。
わざわいをなす臣やよこしまな家来は、木に木食虫がいるように、碁石の散在するように各所におり、毒を振るい動かして自分を防ぎ、外面は王朝に順っているが内心は王のようになってもとってきたのです。
父死子代,以祖以孫,如古諸侯,自擅其地,
父が死ねば子が代わり立ち、祖父となり孫となって相継いで地方に割拠し、古代の諸侯のように、自分でその地を自由にするようになりました。
不貢不朝,六七十年。
朝廷にみつぎ物を出さず、天子に入朝することもせず、六、七十年を経過したのです。
四聖傳序,以至陛下。
この間に四代の聖天子が伝え承けられて、今上陛下の御代になったのであります。
(11)#8-1
陛下即位以來,躬親聽斷;
陛下は御即位以来、御自身で政事を聴いて裁断を下されます。
旋乾轉坤,關機闔開;
あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。
雷厲風飛,日月所照;
あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。
天戈所麾,莫不寧順;
天の振るうほこともいうべき陛下の軍隊のさしまねくところ、天下に安らぎ順わないものはない。
大宇之下,生息理極。
大いなる天のもと万人万物の生息する秩序が平安で「太平の治」はここにその極致に至ったのであります。
(12)#8-2
高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;
唐の高祖李淵がはじめて天下を支配されて、その功は大きかったのですが、しかもその治はまだ太平ではなかった。
太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。
唐朝の第2代皇帝太宗、李世民が天下を太平にされましたが、その大功の立ったわけは、みな高祖の御代にありました。
非如陛下承天寶之後,接因循之餘,
それは陛下が天宝の乱後を承けて、長いしきたりに因り従った後をうけついだことです。
六七十年之外,赫然興起,
六、七十年の後に、かがやかしく盛んに立ち上がられた。
南麵指麾,而致此巍巍之治功也。
南面して皇位につき天下にさしずをなさって、この高大な政治の手柄を得られたようなのではありませんでした。
(13)#8-3
宜定樂章,以告神明,
このようでありますから、陛下は神を祀る礼楽制度と刑九章を作り定められて、それでもつて神のごとくこの治績を告げられた。
東巡泰山,奏功皇天,
東のかた山東の泰山に巡幸ありますと、功勲を天神に申し上げるのであります。
具著顯庸,明示得意,
具体的に顕著になっている天子の御功績を指し示し、天下に明確に思い通りを成し遂げたことを示されたのであります。
使永永年代,服我成烈。
このことは永年、後の代まで、わが天子の完成した功業の輝く光に従わせることになるのでございます。
(14)#9-1
當此之際,所謂千載一時不可逢之嘉會,
この報告することを得られた時に当たり、いわゆる千載の一時として、遇い難いよい出合いなのであります。
而臣負嬰釁,自拘海島,
しかし、私は罪を負って罰をうけ、それは自分の過ちからの結果で、この海島に拘束されたのです。
戚戚嗟嗟,日與死迫,
心は戚戚とうれい、嗟嗟なげいきました。それからは毎日、死にむかって近づいているのです。
曾不得奏薄技於從官之內、隸禦之間,
それなのに、つたない文筆の技によるこの文章を侍従の官のうち、側近の下役人の所から順にこうしてご報告申し上げるのです。
窮思畢精,以贖罪過,
思いをきわめ、たましいをつくして、それでもって罪過をあがなうことができずにいるのです。
(15)#9-2
懷痛窮天,死不閉目,
ただ痛む心を、天のはてともいうべきこの地に思い抱いて、死んでも目を閉じることができないことでしょう。
瞻望宸極,魂神飛去。
北極星をあおぎ見望むさきには宮城があり、魂と精神は飛んで行くばかりであります。
伏惟皇帝陛下,天地父母,
伏して思いますのに、皇帝陛下、万物を育てる天地の父として、子を愛する母としてみてください。
哀而憐之,無任感恩戀闕慚惶懇迫之至。
そして、私をかわいそうだと思って下さい。恩に感じ宮城の門間を恋い慕い、心に恥じおそれ、ねんごろに心せまるきわみに構えません。
謹附表陳謝以聞。
謹んで上表文に書き記して、お詫びを申し上げます。
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