371 韓昌黎集 巻五 72 《縣齋有懐》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4181
- 2014/05/11
- 00:05
中唐詩-72 縣齋有懐 韓愈 「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
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中唐詩-72 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈)
縣齋有懐
少小筒奇偉、平生足悲咤。
子どものころから人にすぐれて平凡でないのが好きだったが、そんな生き方は溜息をつくのに十分だ。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
子夏(孔子の弟子)のようにまじめ一方の儒者の道も嫌いだし、焚遅(やはり孔子の弟子)のように農業を学ぼうともせぬ。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
政治の上では皋陶・后稷(どちらも伝説上の名臣)のような仕事がしたいと念じており、文学では曹植・謝霊運、どちらも有名な文学者を見下すほどである。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
民間より起って仕官を志し、腰に帯びた佩び玉に香草をまじえると昔の人、屈原は「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめていた。
悠悠指長道、去去策高駕。
そして遙かに長安の道、いわゆる出世街道を目ざし、名馬に鞭うってどんどん進んで行った。
誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。
冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
大梁従相公、彭城赴僕射。
弓箭圍狐免、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。
求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
名聾荷朋友、援引乏姻婭。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。
湖波翻日車、嶺石坼天罅。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音呼可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。
「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原田となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。
縣齋有懐#1
少小筒奇偉、平生足悲咤。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
(県斉にて懐い有り)
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。
#2
誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。
誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。
#3
冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。
#4
大梁従相公、彭城赴僕射。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。
求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。
#5
名聾荷朋友、援引乏姻婭。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。
名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。
寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。
#6
湖波翻日車、嶺石坼天罅。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。
#7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。
#8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。
禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。
(1)
県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原田となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。
現代語訳と訳註
(本文)
縣齋有懐
少小筒奇偉、平生足悲咤。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
(下し文) (県斉にて懐い有り)#1
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。
(現代語訳)
子どものころから人にすぐれて平凡でないのが好きだったが、そんな生き方は溜息をつくのに十分だ。
子夏(孔子の弟子)のようにまじめ一方の儒者の道も嫌いだし、焚遅(やはり孔子の弟子)のように農業を学ぼうともせぬ。
政治の上では皋陶・后稷(どちらも伝説上の名臣)のような仕事がしたいと念じており、文学では曹植・謝霊運、どちらも有名な文学者を見下すほどである。
民間より起って仕官を志し、腰に帯びた佩び玉に香草をまじえると昔の人、屈原は「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめていた。
そして遙かに長安の道、いわゆる出世街道を目ざし、名馬に鞭うってどんどん進んで行った。
(訳注)
縣齋有懐(県斉にて懐い有り)
少小尚奇偉、平生足悲咤。
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
子どものころから人にすぐれて平凡でないのが好きだったが、そんな生き方は溜息をつくのに十分だ。
○少小 子どものころ。○尚奇偉 すぐれて平凡でないのを好む。○平生 へいじょう。ふだん。ひごろ。往年。○足悲咤 哀しみ歎くことに十分である。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
子夏(孔子の弟子)のようにまじめ一方の儒者の道も嫌いだし、焚遅(やはり孔子の弟子)のように農業を学ぼうともせぬ。
○子夏儒 子夏は孔子の弟子の中でも儒者として教条的である。○樊遅稼 孔子の弟子で農業に従事した。
子路第十三 「樊遅請學稼。子曰。吾不如老農。」樊遅、稼を学ばんと請う。子の曰く、吾れ老農に如かず。圃を為くることを学ばんと請う。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
政治の上では皋陶・后稷(どちらも伝説上の名臣)のような仕事がしたいと念じており、文学では曹植・謝霊運、どちらも有名な文学者を見下すほどである。
○事業 仕事。わざ。○窺皋 皋陶(皐陶). コウヨウ. 中国神話. 堯帝の法官. 堯(ぎょう)の時代に五刑を定めたとされる神で、裁判で判決を下すのに獬豸(かいち)という聖獣を用いたことで知られる。獬豸は一角の羊で、生まれながらに有罪者を見分けることができる不思議な獣である。后稷 后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。○文章 文学。○曹謝 曹植・謝霊運。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
民間より起って仕官を志し、腰に帯びた佩び玉に香草をまじえると昔の人、屈原は「離騒」で言ったが、私もそのように修養につとめていた。
○濯纓 官僚がつける冠の纓を結ぶのであるが、清廉潔白のために、或は隠遁するために、濯ぐ。○江湖 湘江、洞庭湖。○綴珮 腰に帯びた佩び玉○雑蘭麝 蘭の花と麝香(じゃこう)の香り。また、よい香り。
悠悠指長道、去去策高駕。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。
そして遙かに長安の道、いわゆる出世街道を目ざし、名馬に鞭うってどんどん進んで行った。
○悠悠 ゆうゆうとして、はるかなさま。○指長道 長安への道を目指すこと。○去去 去りゆくさま。○策高駕 名馬にまたがって鞭を打つ。
縣齋有懐 #1
少小筒奇偉、平生足悲咤。猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
#2
誰爲傾国媒、自許連城價。
昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分ではそのような貴重な才能をもっていると自任していた。
雖免十上勞、何能一戰覇。
そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
人情忌殊異、世路多權詐。
戦国時代の蘇秦は秦の恵王に意見書を十回ささげたが、全部握りつぶされてしまったという。私はそんなことをする手間は省けたが、一戦して覇者となり得ることなど、できるはずがない。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。
人情の常として自分と違っていると嫌うものだし、世間の道にはいろいろとからくりが多いものだ。
落第をくりかえすうちに自然とうつむきがちになり、挫折して意気はますます低くなる。
#3
冶長信非罪、侯生或遭罵。懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
#4
大梁従相公、彭城赴僕射。弓箭圍狐免、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
#5
名聾荷朋友、援引乏姻婭。雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。
#6
湖波翻日車、嶺石坼天罅。毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。氣象杳難測、聾音呼可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
#7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
#8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。
現代語訳と訳註
(本文)
誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。
(下し文)
誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。
(現代語訳)
昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。
しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分ではそのような貴重な才能をもっていると自任していた。
そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
戦国時代の蘇秦は秦の恵王に意見書を十回ささげたが、全部握りつぶされてしまったという。私はそんなことをする手間は省けたが、一戦して覇者となり得ることなど、できるはずがない。
人情の常として自分と違っていると嫌うものだし、世間の道にはいろいろとからくりが多いものだ。
落第をくりかえすうちに自然とうつむきがちになり、挫折して意気はますます低くなる。
(訳注)
誰爲傾国媒、自許連城價。
誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
昔、漢の李延年は有名な歌手であったが、自分の妹が美人だったのを、武帝に売りこもうとして、帝の前で傾国傾城の美人がいるとうたったところから、彼女が武帝の寵愛を受けるいとぐちができたのだが、私にはそのようになかだちとなってくれる人もなかった。
しかしやはり昔、趙王がもっていた宝玉は秦の昭王が十五城と交換しょうと申し入れたほどの名宝で、「連城の壁」と呼ばれたが、自分ではそのような貴重な才能をもっていると自任していた。
○傾国 李延年『絶世傾国の歌』「北方有佳人、絶世而獨立。一顧傾人城、再顧傾人國。寧不知傾城與傾國、佳人難再得。」(北方に佳人有り、絶世にして獨立す。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや、佳人は再びは得がたし。)連城の璧とは? 〔史記(藺相如伝)〕中国の戦国時代、秦の昭王が一五の城と交換しようといった、趙(ちよう)の恵文王所有の有名な宝玉のこと。転じて、無上の宝の意。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
そこで最初は会計簿を朝廷にたてまつる役人に引率されて上京し、何度も科挙を受験した。
○計吏貢 会計簿を朝廷にたてまつる役人。○澤宮 めぐみを施す宮殿。周代の宮殿の名前。榭を習わし、士を選んだ場所をいう。『周禮、夏官、司弓矢』「」澤共射椹質之弓矢。」(澤は椹質を射るこの弓矢を共す)。
射は科挙試験を射止めるという意味。
雖免十上勞、何能一戰覇。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
戦国時代の蘇秦は秦の恵王に意見書を十回ささげたが、全部握りつぶされてしまったという。私はそんなことをする手間は省けたが、一戦して覇者となり得ることなど、できるはずがない。
十上勞 上奏文十回の、戦国時代の蘇秦最初に周の顕王に近づこうとしたが、蘇秦の経歴を知る王の側近らに信用されず、失敗した。次に秦に向かい、恵文王に進言したが、受け入れられなかった。当時の秦は商鞅が死刑になった直後で、弁舌の士を敬遠していた時期のためである。その後は燕の文公に進言して趙との同盟を成立させ、更に韓・魏・斉・楚の王を説いて回り、戦国七雄のうち秦を除いた六国の間に同盟を成立させ、六国の宰相を兼任した。この時、韓の宣恵王を説いた際に、後に故事成語として知られる「鶏口となるも牛後となることなかれ」という言辞を述べた。何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し。
人情の常として自分と違っていると嫌うものだし、世間の道にはいろいろとからくりが多いものだ。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。
落第をくりかえすうちに自然とうつむきがちになり、挫折して意気はますます低くなる。
縣齋有懐 #3
冶長信非罪、侯生或遭罵。
孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、私も理由はまったくわからないのにひどい目にあい、戦国時代の侯嬴は魏の公子に認められながら従者に悪口を言われたものだが、私もそのように悪口を浴びた。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
とうとう私は科挙をあきらめ、書物をふところに入れて都春明門をいでて、涙をおさえながら㶚水の清流を越えた。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
私のからだはこうして将来に対する期待感がなく寂しいなかに老い朽ち、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
それに朝食は腹を満たすほどの量もなく、冬の着物はやっと腰を覆うばかりのものであった。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
ところが、軍隊からの手紙がしきりに私を召喚するので、続けざまに軍馬にまたがる身となった。
796年董晋の招きで宣武軍節度使の幕下に。
797年病気休職
798年董晋死歿。汴州の乱。
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800年五月幕職を退く。
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801年身言書判科を受験落第。
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802年四門博士に任官。すぐ休暇を取って洛陽に行き、華山を遊覧。
803年7月四門博士を退任。7月監察御史。
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12月陽山令に左遷。
804年2月陽山着任
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805年陽山県の書斎で作る。
中唐詩-267 縣齋有懐 #1 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29
8月恩赦。法曹参軍事を受け、江陵へ。
現代語訳と訳註
(本文)
冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
(下し文)
冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。
(現代語訳)
孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、私も理由はまったくわからないのにひどい目にあい、戦国時代の侯嬴は魏の公子に認められながら従者に悪口を言われたものだが、私もそのように悪口を浴びた。
とうとう私は科挙をあきらめ、書物をふところに入れて都春明門をいでて、涙をおさえながら㶚水の清流を越えた。
私のからだはこうして将来に対する期待感がなく寂しいなかに老い朽ち、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。
それに朝食は腹を満たすほどの量もなく、冬の着物はやっと腰を覆うばかりのものであった。
ところが、軍隊からの手紙がしきりに私を召喚するので、続けざまに軍馬にまたがる身となった。
(訳注)
冶長信非罪、侯生或遭罵。
冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
孔子の弟子だった公冶長は無実の罪で逮捕されたことがあるが、私も理由はまったくわからないのにひどい目にあい、戦国時代の侯嬴は魏の公子に認められながら従者に悪口を言われたものだが、私もそのように悪口を浴びた。
公冶長 春秋時代の人。字 (あざな) は子長。孔子の門人で女婿。鳥の言葉を解したという。生没年未詳。○侯生 魏の公子信陵君と食客としてむかえた侯嬴の故事で、侯嬴は失礼な爺だと皆は蔑まれたが、信陵君の器量に感動した。これが噂となって、国中どころか他国にも伝わり、信陵君の名声が大いに高まった。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
とうとう私は科挙をあきらめ、書物をふところに入れて都春明門をいでて、涙をおさえながら㶚水の清流を越えた。
○㶚 長安城の東の門があり、春明門を出るとます杜陵を水源とした滻水を渡り、その後街道駅の起点となる㶚陵橋には藍田終南山を水源にした㶚水がある両河川は長安東を北に下り渭水に合流する。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
私のからだはこうして将来に対する期待感がなく寂しいなかに老い朽ち、理想はなすこともない生活のうちに埋もれてしまうのであろう。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
それに朝食は腹を満たすほどの量もなく、冬の着物はやっと腰を覆うばかりのものであった。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。
ところが、軍隊からの手紙がしきりに私を召喚するので、続けざまに軍馬にまたがる身となった。
縣齋有懐 #1
少小筒奇偉、平生足悲咤。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
(県斉にて懐い有り)
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。
#2
誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。
誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。
#3
冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。
#4
大梁従相公、彭城赴僕射。
汴州では董晋相公に従い、徐州では張僕射の招きに応じたのだった。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
そして弓矢を手にして狐や兔の巻狩をし、音楽が興を添える宴会には酒や肉をならべたものだった。
兩府變荒涼、三年就休暇。
しかし、どちらの幕府も主が死んで反乱がおこり寂しいものに変わり、私は三年間お勤めしたがお暇をいただく身の上、浪人となった。
求官去東洛、犯雪過西華。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。さて官職を求めて東の都の洛陽へ行き、雪のなかで西岳の華山を越えるような難儀な旅もした。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
そして長安の春では都大路に舞い立つほこりのなかを歩き、霊台(陳西省都県にある)では風雨の一夜を過ごした。
大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。
現代語訳と訳註
(本文)
大梁従相公、彭城赴僕射。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。
求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
(下し文)
大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。
(現代語訳)
汴州では董晋相公に従い、徐州では張僕射の招きに応じたのだった。
そして弓矢を手にして狐や兔の巻狩をし、音楽が興を添える宴会には酒や肉をならべたものだった。
しかし、どちらの幕府も主が死んで反乱がおこり寂しいものに変わり、私は三年間お勤めしたがお暇をいただく身の上、浪人となった。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。さて官職を求めて東の都の洛陽へ行き、雪のなかで西岳の華山を越えるような難儀な旅もした。
そして長安の春では都大路に舞い立つほこりのなかを歩き、霊台(陳西省都県にある)では風雨の一夜を過ごした。
(訳注)
大梁従相公、彭城赴僕射。
大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
汴州では董晋相公に従い、徐州では張僕射の招きに応じたのだった。
○大梁 796年貞元十二年六月、汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府の董晋は温厚な人物で、万事に寛宏であった。何軍事はいっさい部惟恭にまかせると発言し宜武軍は混乱から立ち直った。この董晋の幕下に、韓愈は招かれて入った。○相公 宣武軍節度使の幕府の董晋のこと。○彭城 徐州(彭城)へ帰ったのは、880年貞元十六年二月であった。その時作ったのが五言古詩「歸彭城」(彭城に帰る)詩を作っている。○僕射 中国の官名。戦国時代には各政府 、僕射という名称は尚書令の次官である尚書僕射にしか使われなくなる。 隋・唐・五代・宋・金・遼では、皇帝が尚書令に就任したため、尚書僕射が尚書省の実質的長官になる。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
そして弓矢を手にして狐や兔の巻狩をし、音楽が興を添える宴会には酒や肉をならべたものだった。
○弓箭 弓と矢。弓矢。 2 弓矢を取る身。武士。○狐兔 きつね、うさぎ。○絲竹 絲は弦楽器。竹、笛の楽器。○羅酒炙 宴会に酒や肉をならべたもの。
兩府變荒涼、三年就休暇。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
しかし、どちらの幕府も主が死んで反乱がおこり寂しいものに変わり、私は三年間お勤めしたがお暇をいただく身の上、浪人となった。
○兩府 宣武軍節度使の董晋の幕府と死んだ後の幕府。○荒涼 叛乱があり統治が乱れた。○三年 798―800年官を退く。足かけ三年。中国では経過年では表現しない。○休暇 お暇をいただく身の上となった(浪人となった)
求官去東洛、犯雪過西華。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
さて官職を求めて東の都の洛陽へ行き、雪のなかで西岳の華山を越えるような難儀な旅もした。
○求官 官を求める。○東洛 東の都の洛陽○犯雪 ○西華 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。
そして長安の春では都大路に舞い立つほこりのなかを歩き、霊台(陳西省都県にある)では風雨の一夜を過ごした。
○塵挨 世俗、世間。舞い立つほこり。○紫陌春 長安の東西の大道の裴景色。○風雨 春の長雨。○霊臺夜 汴州で反乱がおこり、陳西省都県の霊台で足止めをされた。
名聾荷朋友、援引乏姻婭。
私の名声の広がりは友だちのおかげよるものである、しかし、官僚の世界で引き上げてもらうには出自血縁、姻戚関係の手づるによるものなのだが、これには乏しかった。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
朝廷内の赤きお庭に立つことができる監察御史の列には加わりはしたのだが、快馬をとはせて青雲の上を駆けまわるようなめざましい栄達は到底望むことはできない。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。
しかし、冬空に高い宮殿が聳え立ち、夜明けの色のなかに長い軒の棟木が輝くときなのである。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
わが身を捨てる日は辰の丁の方向、瘴癘の地にあるのだ、観察御史という翼をもがれたのは歳の暮れであったこともあろうに流罪になってしまったのだ。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。
都を遠く離れた地方へ追いやられるのもたしかに私の職分であり、県令の身分を与えられて一つの町を差配できるのは、寛大な処置にめぐりあった幸運と言わなければならない。
名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。
寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。
「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
現代語訳と訳註
(本文)
名聾荷朋友、援引乏姻婭。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。
(下し文)
名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。
寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。
(現代語訳)
私の名声の広がりは友だちのおかげよるものである、しかし、官僚の世界で引き上げてもらうには出自血縁、姻戚関係の手づるによるものなのだが、これには乏しかった。
朝廷内の赤きお庭に立つことができる監察御史の列には加わりはしたのだが、快馬をとはせて青雲の上を駆けまわるようなめざましい栄達は到底望むことはできない。
しかし、冬空に高い宮殿が聳え立ち、夜明けの色のなかに長い軒の棟木が輝くときなのである。
わが身を捨てる日は辰の丁の方向、瘴癘の地にあるのだ、観察御史という翼をもがれたのは歳の暮れであったこともあろうに流罪になってしまったのだ。
都を遠く離れた地方へ追いやられるのもたしかに私の職分であり、県令の身分を与えられて一つの町を差配できるのは、寛大な処置にめぐりあった幸運と言わなければならない。
(訳注)
名聾荷朋友、援引乏姻婭。
名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
私の名声の広がりは友だちのおかげよるものである、しかし、官僚の世界で引き上げてもらうには出自血縁、姻戚関係の手づるによるものなのだが、これには乏しかった。
○荷 おかげよるものである○援引 出自血縁。○姻婭 姻戚関係の手づるによ
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。
朝廷内の赤きお庭に立つことができる監察御史の列には加わりはしたのだが、快馬をとはせて青雲の上を駆けまわるようなめざましい栄達は到底望むことはできない。
○陪 参事すること。○彤庭臣 赤きお庭に立つことができる監察御史をしめす。○靑冥靶 青雲の上を駆けまわるようなめざましい栄達
寒空聳危闕、暁色曜脩架。
寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
しかし、冬空に高い宮殿が聳え立ち、夜明けの色のなかに長い軒の棟木が輝くときなのである。
○危闕 高い宮殿の門。○脩架 長い軒の棟木。普段は日陰なのに下から光が当たること、不吉なこと、初めての経験をイメージする語である。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
わが身を捨てる日は辰の丁の方向、瘴癘の地にあるのだ、観察御史という翼をもがれたのは歳の暮れであったこともあろうに流罪になってしまったのだ。
○辰在丁 五行思想で南方・「火」をあらわし、流罪の広東の陽山を示す。実際には、陽山の県令である。○鎩翮 翼をもがれた。観察御史は韓愈は意気に感じて仕えていたことをあらわす。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。
都を遠く離れた地方へ追いやられるのもたしかに私の職分であり、県令の身分を与えられて一つの町を差配できるのは、寛大な処置にめぐりあった幸運と言わなければならない。
○投荒 都を遠く離れた地方へ追いやられる○領邑 県令の身分を与えられ○寛赦 寛大な処置にめぐりあった幸運
湖波翻日車、嶺石坼天罅。
配所へ送られる旅の途中、洞庭湖の波は太陽の運行をゆるがすほどに怒涛坂巻、横嶺の巌石は天空に裂け目を探るかのようにそそり立っている。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
それに触れると病気になるといわれる霧は昼はいつも立ちこめ、南方の熱い風は夏ごとにすべてを焼きつくす。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
気候はかいもく予測もつかぬし、響きはほんとうに恐ろしい。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
土地の方言にはまだ慣れておらず、南の国の風俗にならおうとしても取ってつけたようになる。
湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。
現代語訳と訳註
(本文)
湖波翻日車、嶺石坼天罅。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
(下し文)
湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。
(現代語訳)
配所へ送られる旅の途中、洞庭湖の波は太陽の運行をゆるがすほどに怒涛坂巻、横嶺の巌石は天空に裂け目を探るかのようにそそり立っている。
それに触れると病気になるといわれる霧は昼はいつも立ちこめ、南方の熱い風は夏ごとにすべてを焼きつくす。
気候はかいもく予測もつかぬし、響きはほんとうに恐ろしい。
土地の方言にはまだ慣れておらず、南の国の風俗にならおうとしても取ってつけたようになる。
(訳注)
湖波翻日車、嶺石坼天罅。
湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
配所へ送られる旅の途中、洞庭湖の波は太陽の運行をゆるがすほどに怒涛坂巻、横嶺の巌石は天空に裂け目を探るかのようにそそり立っている。
○湖波 洞庭湖の波は怒涛坂巻○日車 太陽の運行○嶺石 横嶺の巌石○天罅 天空に裂け目を探るかのようにそそり立つ。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
それに触れると病気になるといわれる霧は昼はいつも立ちこめ、南方の熱い風は夏ごとにすべてを焼きつくす。
○毒霧 瘴癘のこと。マラリアが蚊によって媒介されることは後世のことでこの頃は、高温多湿のせいとされていた。○薫晝 いつも立ちこめ○焼夏 夏ごとにすべてを焼きつくす。
雷威固己加、颶勢仍相借。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
すさまじい雷が鳴っているうえに、激しい風が加わって力を借しているのだ。
○雷威 すさまじい雷が鳴っている○颶勢 激しい風○相借 加わって力を借している。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
気候はかいもく予測もつかぬし、響きはほんとうに恐ろしい。
○杳 よくわからない。ぼんやりしている。○難測 苦労して予測する。○可怕 おそろしいこと。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。
土地の方言にはまだ慣れておらず、南の国の風俗にならおうとしても取ってつけたようになる。
○夷言 異民族のことは。方言。○越俗 南国の風俗。五嶺山脈を南に越えると異民族の国とされた。○猶乍
異俗二首其一
鬼瘧朝朝避、春寒夜夜添。
未驚雷破柱、不報水齊簷。
虎箭侵膚毒、魚鉤刺骨銛。
鳥言成諜訴、多是恨彤襜。
其 二
戸盡懸秦網、家多事越巫。
末曾容獺祭、只是縦猪都。
點封連鼇餌、捜求縛虎符。
賈生兼事鬼、不信有洪爐。
1
縣齋有懐
少小筒奇偉、平生足悲咤。
猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。
濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
(県斉にて懐い有り)
少小より奇偉を尚【たっと】ぶ、平生 悲咤【ひた】するに足る。
猶子夏の儒【じゅ】を嫌う、肯て 樊遅【はんち】の稼【か】を学はんや。
事業 皋稷【こうしょく】を窺【うかが】い、文章 曹謝を蔑【なみ】す。
纓【えい】を濯【すす】いで江湖より起ち、珮【はい】を綴るに蘭麝【らんじゃ】を雑【まじ】う。
悠悠として長道を指し、去【ゆ】き去【ゆ】きて高駕に策【むちう】つ。
2
誰爲傾国媒、自許連城價。
初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。
人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。
誰か傾国の媒【なかだち】と為らん、自ら許す 連城の価【あたい】。
初め計吏に随【したが】いて貢せられ、屢々沢宮【たくきゅう】に入りて射る。
十上【じゅうじょう】の労を免【まぬが】ると雖も、何ぞ能く一戦して覇たらん。
人情 殊異【しゅい】を忌【い】み、世路 権詐【けんさ】多し
蹉跎【さた】として顔遂に低【た】れ、嶊折【さいせつ】して気愈々下る。
3
冶長信非罪、侯生或遭罵。
懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。
朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
冶長【やちょう】 信【まこと】に罪に非ず、侯生【こうせい】 或いは罵【ののし】らるるに遭う。
書を懐【いだ】いて皇都を出【い】で、涙を銜んで清㶚【せいは】を渡る。
身は将に寂寞【せきばく】に老いんとし、志は閑暇【かんか】に死なんと欲す。
朝食 腸に盈【み】たず、冬衣 纔【わず】かに䯊【か】を掩【おお】うのみ。
軍書 既に頻【しき】りに召し、戎馬【じゅうば】 乃【すなわ】ち連【しき】りに跨【また】がる。
4
大梁従相公、彭城赴僕射。
弓箭圍狐兔、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。
求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
大梁にて相公【しょうこう】に従い、彭城【ほうじょう】にて僕射【ぼくや】に赴く。
弓箭【きゅうせん】 狐兔【こと】を囲み、糸竹 酒灸【しゅしゃ】を羅【つら】ぬ。
両府 変じて荒涼たり、三年 休暇に就く。
官を求めて東洛に去り、雪を犯して西華に過る。
塵挨【じんあい】 紫陌【しはく】の春、風雨 霊台の夜。
5
名聾荷朋友、援引乏姻婭。
雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。
捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。
名声 朋友に荷【よ】り、援引 姻姫に乏し。
庭臣の臣に陪すと雖も、誼【なん】ぞ青冥【せいめい】の靶【は】を縦【ほしい】ままにせん。
寒空に危闕【きけつ】聾【そび】え、暁色【ぎょうしょく】に修架【しゅうか】曜【かがや】く。
躯【み】を捐【す】つる 辰は丁に在り、翮【はね】を鎩【そ】がるる 時は碏【さ】に方【あた】る。
荒に投ずるは誠に職分、邑【ゆう】を領するは幸いに寛赦【かんしゃ】なり。
6
湖波翻日車、嶺石坼天罅。
毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。
氣象杳難測、聾音吁可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
湖波【こは】 日車【にっしゃ】を翻し、嶺石【れいせき】 天罅【てんか】を坼【ひら】く。
毒霧【どくむ】 恒に昼に薫じ、炎風 毎に夏に焼く。
雷威【らいい】 固より己に加わり、颶勢【ぐせい】 仍【なお】相借す。
気象 杳【よう】として測り難し、声音 吁【ああ】 怕【おそ】る可し。
夷言【いごん】は聴くに未だ慣わず、越俗は循【したが】うに猶乍なり。
7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
方言を指さして土地の人も私も両方とも憎み嫌い、きょろきょろ見まわしてどちらも不審そうな顔をする。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
先帝の御恩報じがまだすまぬばかりにこうしているので、私の人生をこの地に託してそれで満足と思っているわけにはいかはない。
嗣皇新繼明、率土日流化。
次の皇帝が新たに聖明の徳を継承され、国のすみずみまで日ごとに教化が流れている。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
ただ私は心の傷を治したい、いわれのない不名誉の傷をすすぎたいと思うばかりで、そうしたら官界から永久に去って農業に従事したい。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
嵩山を切りひらいてお堂の道場を建て、頴水の岸辺に風を受ける高殿をそびえ立たせよう。
指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。
8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。
禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。
現代語訳と訳註
(本文) 7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
(下し文)
指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。
(現代語訳)
方言を指さして土地の人も私も両方とも憎み嫌い、きょろきょろ見まわしてどちらも不審そうな顔をする。
先帝の御恩報じがまだすまぬばかりにこうしているので、私の人生をこの地に託してそれで満足と思っているわけにはいかはない。
次の皇帝が新たに聖明の徳を継承され、国のすみずみまで日ごとに教化が流れている。
ただ私は心の傷を治したい、いわれのない不名誉の傷をすすぎたいと思うばかりで、そうしたら官界から永久に去って農業に従事したい。
嵩山を切りひらいてお堂の道場を建て、頴水の岸辺に風を受ける高殿をそびえ立たせよう。
(訳注)
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。
指摘して両つながら憎嫌【ぞうけん】し、睢肝【きく】して互いに清訝【さいが】す。
方言を指さして土地の人も私も両方とも憎み嫌い、きょろきょろ見まわしてどちらも不審そうな顔をする。
○睢肝 小人のよろこび媚びる様子。にらみ廻して、のさばり歩く。知を求めて見聞に努める。○猜訝 猜はおそれる。きらう。うたがう。訝はむかえる。疑い怪しむ。驚く。
秖縁恩未報、豈謂生足藉。
秖【た】だ恩の未だ報ぜざるに縁り、豈【あに】生の藉【よ】るに足ると謂わんや。
先帝の御恩報じがまだすまぬばかりにこうしているので、私の人生をこの地に託してそれで満足と思っているわけにはいかはない。
○恩未報 先帝の死去に伴う御恩報じがまだすまぬ
嗣皇新繼明、率土日流化。
嗣皇【しこう】 新たに明を継ぎ、率土【そつど】 日に化流る。
次の皇帝が新たに聖明の徳を継承され、国のすみずみまで日ごとに教化が流れている。
○嗣皇 次の皇帝。○新繼明 新たに聖明の徳を継承されること。○率土 国のすみずみまで。
惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
惟だ思う 瑕垢【かこう】を滌【すすぎ】ぎて、長く去りて桑柘【そうたく】を事とせんことを。
ただ私は心の傷を治したい、いわれのない不名誉の傷をすすぎたいと思うばかりで、そうしたら官界から永久に去って農業に従事したい。
○滌瑕垢 傷や垢をきれいに濯ぎたい。○事桑柘 隠遁生活のこと、隠遁者は桑、麻、瓜、黍、などの表現が常套語。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
嵩を斬りて雲扃【うんけい】を開き、頴【えい】を圧して風榭【ふうい】を抗【あ】げん。
嵩山を切りひらいてお堂の道場を建て、頴水の岸辺に風を受ける高殿をそびえ立たせよう。
○雲扃 雲のかんぬき、戸口。○頴 穎水。○風榭 内室のないお堂、道場のような建物。榭は屋根のある台。
縣齋有懐 #1
少小筒奇偉、平生足悲咤。猶嫌子夏儒、肯学樊遅稼。
事業窺皋稷、文章蔑曹謝。濯纓起江湖、綴珮雑蘭麝。
悠悠指長道、去去策高駕。
#2
誰爲傾国媒、自許連城價。初随計吏貢、屡入澤宮射。
雖免十上勞、何能一戰覇。人情忌殊異、世路多權詐。
蹉跎顔逐低、嶊折氣愈下。
#3
冶長信非罪、侯生或遭罵。懐書出皇都、銜涙渡清㶚。
身將老寂寞、志欲死閑暇。朝食不盈腸、冬衣纔掩髁。
軍書既頻召、戎馬乃連跨。
#4
大梁従相公、彭城赴僕射。弓箭圍狐免、絲竹羅酒炙。
兩府變荒涼、三年就休暇。求官去東洛、犯雪過西華。
塵挨紫陌春、風雨霊臺夜。
#5
名聾荷朋友、援引乏姻婭。雖陪彤庭臣、詎縦靑冥靶。
寒空聳危闕、暁色曜脩架。捐躯辰在丁、鎩翮時方碏。
投荒誠職分、領邑幸寛赦。
#6
湖波翻日車、嶺石坼天罅。毒霧恆薫晝、炎風毎焼夏。
雷威固己加、颶勢仍相借。氣象杳難測、聾音呼可怕。
夷言聴未慣、越俗循猶乍。
#7
指摘兩憎嫌、睢肝互猜訝。秖縁恩未報、豈謂生足藉。
嗣皇新繼明、率土日流化。惟思滌瑕垢、長去事桑柘。
斵嵩開雲扃、厭穎抗風榭。
#8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。
8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
土地いっぱいに稲や麦をまき、家の周囲にぐるりと梨や菜の樹を植えよう。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
子供たちもだんだん大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。
官租日輪納、村酒時邀迓。
こうしてお上の租税は決められた日までにきちんと納め、時には地酒を作って、飲みに来いと誘いをかけと村人たちを待ちむかえ、出迎えようと思う。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
外に出ては心のどかに老農の愚直さを愛し、家に帰ってからは可愛くて仕方ない娘をあやして楽しもう。
如今便可爾、何用畢婚嫁。
今のじぶんにとって、望むところはたったこれだけなのだ。どうして息子が嫁をとり、娘が嫁入りをすませるまで待つ必要があるというのか。
禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。
現代語訳と訳註
(本文) #8
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
官租日輪納、村酒時邀迓。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
如今便可爾、何用畢婚嫁。
(下し文)
禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。
(現代語訳)
土地いっぱいに稲や麦をまき、家の周囲にぐるりと梨や菜の樹を植えよう。
子供たちもだんだん大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。
こうしてお上の租税は決められた日までにきちんと納め、時には地酒を作って、飲みに来いと誘いをかけと村人たちを待ちむかえ、出迎えようと思う。
外に出ては心のどかに老農の愚直さを愛し、家に帰ってからは可愛くて仕方ない娘をあやして楽しもう。
今のじぶんにとって、望むところはたったこれだけなのだ。どうして息子が嫁をとり、娘が嫁入りをすませるまで待つ必要があるというのか。
(訳注)
禾麥種満地、梨棗栽繞舎。
禾麦【かぼく】 種えて地に満ち、梨棗【りそう】 栽えて舎を繞らせん。
土地いっぱいに稲や麦をまき、家の周囲にぐるりと梨や菜の樹を植えよう。
○禾麦 イネと麥。多くは細長い葉をもち、花は花弁がなく二枚の 苞 ( ほう ) でつつまれている。イネ・ムギ。アワなどの穀類や、ススキ・アシなど。 【禾】のぎ. イネ・ムギなどの実の外殻にある針状の突起。のげ。 「芒」とも書く。○梨棗【りそう】なしとなつめ。杜甫『百憂集行』
憶年十五心尚孩、健如黄犢走復来。
庭前八月梨棗熟、一日上樹能千迴。
即今倐忽已五十、坐臥只多少行立。
強将笑語供主人、悲見生涯百憂集。
入門依旧四壁空、老妻覩我顔色同。
痴児未知父子礼、叫怒索飯啼門東。
兒童稍長成、雀鼠得騙嚇。
児童 稍【やや】長成せば、雀鼠【じゃくそ】 駆嚇【くかく】するを得ん。
子供たちもだんだん大きくなれば、穀物を荒らす雀や鼠をおどして追いはらうのには役だつだろう。
○雀鼠 芭蕉「 雀子と声鳴きかはす鼠の巣. 」(すずめごと こえなきかわす ねずみのす).農山村における平穏な生活をあらわす語。○駆嚇 駆はおいはらう。はしる。せまる。嚇はしかる、おどしつける。
官租日輪納、村酒時邀迓。
官粗【かんそ】 日に輪納し、村酒 時に邀迓【ようが】せん。
こうしてお上の租税は決められた日までにきちんと納め、時には地酒を作って、飲みに来いと誘いをかけと村人たちを待ちむかえ、出迎えようと思う。
○官租 租税○日輪 太陽。ここでは、季節の廻ることをいい、収獲からそう遅くない日が決められているそれを守るということをあらわす。○邀迓 招き迎える。邀と迓、どちらも迎えることをいう。邀は待ちむかえることで、迓は出迎える。
閑愛老兵愚、歸弄小女奼。
閑【しず】かに老農の愚を愛し、帰りて小女の奼【た】なるを弄【ろう】せん。
外に出ては心のどかに老農の愚直さを愛し、家に帰ってからは可愛くて仕方ない娘をあやして楽しもう。
○閑愛 「閑」「幽」「獨」など隠遁者の基本。○老兵愚 老農の愚直さ。○歸弄小女奼 この表現は儒者の愚直な生活と対比させて面白い。
如今便可爾、何用畢婚嫁。
如今【じょこん】 便【すなわ】ち爾【しか】る可し、何ぞ婚嫁【こんか】を畢【お】わるを用いん。
今のじぶんにとって、望むところはたったこれだけなのだ。どうして息子が嫁をとり、娘が嫁入りをすませるまで待つ必要があるというのか。
○如今【じょこん】現在。ただいま。『史記、項羽紀』「如今人方爲刀爼、我爲魚肉。」
「県斎」とは県令の官舎内にある書斎のことである。ただし官舎といっても、県庁の建物といっしょになっていることが多い。つまり表は県庁で、裏は官舎なのである。県斎も、県令が読書をしたりするプライベートな部屋なのだが、そこを執務室のようにして使うことがある。このあたりの公私の区別は、あまりはっきりしない。めぐむ韓愈は流罪になったのだが、形式上は陽山県令の辞令をもらっているので、陽山という片田舎の範囲内では、県令としてふるまうことができる。
この詩のなかの言葉から見れば、このときの韓愈は新帝順宗の即位をすでに知っていた。即位の儀式が挙行されれば、慣例として大赦が行なわれる。そこで韓愈も、大赦の恩典に浴して青天白日の身となり、そのかわりに官界から引退して農耕に余生を送ろうと哀訴しているのである。のちにもう一度述べるが、韓愈は順宗の側近ににらまれたのがこのたびの流罪の原田となったのではないかという疑念を抱いていた。だがこの際、そんなことを問題にしてはいられない。ひたすら哀訴嘆願するはかりであった。
もっとも、順宗は皇太子から帝位にはついたものの、このときすでに四十五歳。しかも、どういう病気にかかったのか、前年からものが言えなくなっていた。政策はほとんど順宗側近の王佐・王叔文らによって決定されていたが、それが革新的な政策だったために、問題が大きくなった。
徳宗の治政は長く続いたので、さまざまな弊害が法令または慣習として定着している。それを改めるために、新たに帝位についた皇帝を利用しようとしたのは当然であるが、新帝が病気では、それを利用して政治の垂断をほかるものという声が起こるのもやむを得ない。改革によって利権を失った保守派は、この点から革新派を攻撃する。
結局、その年の八月に順宗は退位し、皇太子だった憲宗が即位した。順宗の治政は半年強しか続かなかったわけで、革新派は全面的な敗北に終わったのである。王佐は流罪、王叔文は流罪ののち自殺を命ずるという処分を受けた。また改元が行なわれ、貞元二十一年を永貞元年と呼ぶことになった。
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