中国の詩人各時代詩人の概略一覧表( 5)初唐詩人
- 2011/11/29
- 17:42
中国の詩人各時代詩人の概略一覧表( 5)
初唐の詩人
● 初唐期の詩人 |
代表的詩人には「初唐の四傑」と呼ばれる、①王勃・②楊炯・③盧照鄰・④駱賓王のほか、近体詩の型式を完成させた武則天期の沈栓期・宋之問などがいる。さらにこうした六朝の遺風を批判し、詩歌の復古を提唱して次代の盛唐の先駆的存在となった陳子昂が現れた。
魏徴 王勃 蘆照鄰 駱賓王 沈栓期 宗之問 上官儀 上官婉兒
初 唐 | |||||||
時代 | 西紀 | 史実 | 人名 | 生没年 | 概 略 | 詩 詞 | |
唐 | 618~907 | 唐(とう、618年 - 690年・705年 - 907年)は、中国の王朝。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた。日本の場合は遣唐使などを送り、894年に菅原道真の意見で停止されるまで、積極的に交流を続けた。なお、690年に武則天によって唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述されることが通例である。 | |||||
初唐 | 618~712 | 前代の六朝時代の余風を受け、繊細で華麗な詩風を身上とする修辞主義的な詩風が主流である。宮廷の詩壇における皇帝との唱和詩がこの時期の中心的作品となっている。代表的詩人には「初唐の四傑」と呼ばれる、①王勃・②楊炯・③盧照鄰・④駱賓王のほか、近体詩の型式を完成させた武則天期の沈佺期・宋之問などがいる。さらにこうした六朝の遺風を批判し、詩歌の復古を提唱して次代の盛唐の先駆的存在となった陳子昂が現れた。 | |||||
魏徴 | 580年 - 643年 | 唐初の政治家・学者。癇癪を起こした太宗に直諫(じかに諫言)することで有名であり、魏徴死亡時太宗は非常に哀しんだという。曲城(山東省)の人。字(あざな)は玄成。太宗に召し出され、節を曲げぬ直言で知られる。「隋書(ずいしょ)」「群書治要」などの編纂(へんさん)にも功があった。 | 述懐 | ||||
上官儀 (じょうかんぎ) | 608?年 - 665年 | 文才があり、五言詩をもっとも得意とし、多くは命を受けて作り献上した。詞句は婉麗にしてたくみで整っており、士大夫に模倣されて上官体と称された。皇后であった則天武后を廃そうと高宗に建議したことにより、則天武后(武則天)の怨みを買い、後に梁王・李忠の「謀反」事件に関連させられ、獄死した。 | 入朝洛堤歩月(脈脈廣川流) 八詠應制二首之一(啓重帷) | ||||
王勃 おうぼつ ① | 650年 - 676年 | 王勃の作品には、南朝の遺風を残しながら、盛唐の詩を予感させる新鮮自由な発想が見られる。「初唐の四傑」の一人。幼くして神童の誉れ高く、664年に朝散郎となり、ついで高宗の子の沛王・李賢の侍読となってその寵を受けたが、諸王の闘鶏を難じた「檄英王鷄文」を書いて出仕を差し止められ、剣南(四川省)に左遷された。?州(河南省霊宝市)の参軍となったときに罪を犯した官奴を匿いきれなくて殺し、除名処分にあった。 この事件に連座して交趾の令に左遷された父の王福時を訪ねる途中、南海を航行する船から転落して溺死した。 | 滕王閣 , 送杜少府之任蜀州唐 蜀中九日(九月九日望鄕臺) | ||||
盧照鄰 (ろしょうりん) ③ | 生没年未詳。 | 范陽(河北省)の出身。幼少より曹憲・王義方に従って経史と小学を学び、詩文に巧みであった。初めは鄧王府の文書の処理係である典籤となり、王(唐高祖の子・元裕)に重用された。 のち新都(四川省)の尉となったが病のために職を辞し、河南省具茨の山麓に移住した。病が重くなって、ついに頴水に身を投じて死んだ。 その詩は厭世的で悲しみいたむ作が多い。長安の繁栄のさまを詠じた「長安古意」が最もよく知られ、『唐詩選』にも収められている。著に『盧昇之集』7巻と『幽憂子』3巻がある。 | 長安古意 | ||||
駱賓王 らくひんおう ④ | 640年? - 684年? | 「初唐の四傑」の一人。7歳からよく詩を賦し、成長してからは五言律詩にその妙を得た。特にその「帝京篇」は古今の絶唱とされる。好んで数字を用いて対句を作るので「算博士」の俗称がある。(浙江省)の出身。初めから落魄し、好んで博徒と交わり、性格は傲慢・剛直。高宗の末年に長安主簿となり、ついで武后の時に数々の上疏をしたが浙江の臨海丞に左遷される。 出世の望みを失い、官職を棄てて去った。684年に李敬業が兵を起こすと、その府属となり敬業のために檄文を起草して武后を誹謗、その罪を天下に伝えた。 | 易水送別 , 霊隠寺 , 詠鵞 | ||||
七歳女子 | 在位655年頃~690年(623年? - 705年) | 則天武后(武則天)の時代・周(武周)の七歳の女子。則天武后(武則天)が神童ぶりを耳にし、召し出して送別詩を作ることを命じたところ、即座にこの詩を作ったという。 | 送兄(別路雲初起) | ||||
劉廷芝(劉希夷)(りゅうていし・りゅうきい) | 651年- 679年 | 劉 希夷(りゅう きい、651年(永徽2年) - 679年(調露元年))は中国唐代の詩人。字は庭芝、廷芝。一説に名が庭芝で字が希夷ともいわれる。汝州(河南省汝州市)の出身。幼くして父を失い、母と共に外祖父のもとに身を寄せ20歳頃まで過ごした。容姿はすぐれており、物事にこだわらない性格なので素行が悪かった。酒と音楽を好み、琵琶の名手であった。675年(上元2年)進士となるが仕官せずに各地を遊覧した。「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」で有名な詩「代悲白頭翁」が代表作。 | 代悲白頭翁 秋風引 楊柳枝詞 石頭城 公子行 | ||||
楊炯 ようけい ② | 生年不詳-692年 | (ようけい、生年不詳-692年)は中国・唐代初期の詩人。字は不詳。王勃・盧照鄰・駱賓王とともに「初唐の四傑」と称せられる.華陰(陝西省)の出身。幼時から慧敏でよく文章を作り、661年に神童に挙げられ校書郎を授けられた。681年、崇文館学士になった。則天武后の時代に梓州司法参軍に左遷されて、のち盈川の令となった。著に『盈川集』がある | 従軍行 夜送趙縦 | ||||
陳子昴(ちんすこう) | 661年 - 702年 | 六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。 | 登幽州臺歌(前不見古人) 感遇三十八首 其二(蘭若生春夏) 題祀山烽樹贈喬十二侍御(漢庭榮巧宦) 送別(落葉聚還散) | ||||
王無競 | 652~705 | 初唐の詩人。官僚。後に蘇州の司馬となり、やがて嶺南に左遷される。 | 和宋之問嵩山歌(日云暮兮下嵩山) | ||||
上官婉兒 (じょうかんえんじ) | 664年 - 710年 | 初唐代の女官。唐・中宗の時、昭容の職位に就く。陝州陝県(現・河南省)の人。上官儀の孫で才媛。後に、政変のため殺された。( | 綵書怨(葉下洞庭初) 九月九日上幸慈恩寺登浮圖群臣上菊花壽酒(帝里重陽節) 帝駕幸新豐湯泉宮獻詩三首之一(三冬季月景隆年) 帝駕幸新豐湯泉宮獻詩三首之二(鸞旂掣曳拂空回) 帝駕幸新豐湯泉宮獻詩三首之三(翠幕珠幃敞月營) 奉和聖製立春日侍宴内殿出翦綵花應制(密葉因裁吐) 遊長寧公主流杯池二十五首之一(逐仙賞) 遊長寧公主流杯池二十五首之三(檀欒竹影) 遊長寧公主流杯池二十五首之四(仰循茅宇) 遊長寧公主流杯池二十五首之五(枝條鬱鬱) 遊長寧公主流杯池二十五首之六(淸波洶湧) ~同題で十六(泉石多仙趣)まで | ||||
寒山 | 生没年不詳。 | (初)唐・貞観時代の風狂の詩僧。現・浙江省東部にある天台山南西の国清寺で豊干禅師に師事。天台山の寒巌洞に住む。深く仏教哲理に通じ、文殊菩薩の化身とされた。拾得とともに「寒山拾得」として有名。 | 寒山詩(重巖我卜居) | ||||
宋之問 (そうしもん) | 652~712 | 宋 之問(そう しもん、656年?-712年あるいは713年)は中国初唐の詩人。字は延清。虢州弘農(現河南省、『旧唐書』より)あるいは汾州(現山西省、『新唐書』より)の人。沈佺期とともに則天武后の宮廷詩人として活躍し、「沈宋」と併称され、近体詩の律詩の詩型を確立した。 汾州出身。字は延清。科挙進士科に及第して武后に認められ、張易之と結んでいたために中宗復辟で瀧州(広東羅定)に流されたが、洛陽に潜行して張仲之に庇護され、仲之の武三思暗殺を密告して赦免・登用された。太平公主に与し、横暴・驕慢として越州長史に | 下嵩山歌(下山歌) | ||||
沈佺期 (しんせんき) | 656年? - 716年? | 宋之問とともに則天武后の宮廷詩人として活躍し、「沈宋」と併称され、近体詩の律詩の詩型を確立した。 字は雲卿。相州内黄の人。上元二年(675)、進士に及第した。協律郎・考功郎中・給事中を歴任した。張易之の庇護を受けたが、武周朝が倒れて張易之が殺されると、賄賂を取った罪で驩州に流された。その後、呼び戻されて起居郎・修文館直学士となり、中宗にとりいって、中書舎人・太子少詹事にいたった。宋之問とともに、「沈宋」と併称される。 | 邙山(北邙山上列墳塋) 臨高臺(高臺臨廣陌) | ||||
郭振「郭震」(かく しん) | 656年 - 713年 | 中国・唐の詩人。魏州貴郷(河北省大名県)の出身。字は元振(『唐詩選』の通行本は、姓名を郭振と誤っている)。 身の丈七尺の偉丈夫で、任侠を好み、高宗の咸亨(かんこう)4年(673年)、18歳で進士に及第、則天武后に認められて右武衛鎧曹参軍・奉宸監丞となった。その後は大将軍としてしばしば西北に出陣、吐蕃(チベット)・突厥(トルコ)族を撃破して名将と謳われ、景雲2年(711年)には同中書門下三品・吏部尚書に進んだ。しかし玄宗の即位の初め、天子に逆らって新州(広東省新興)に流され、開元元年(713年)、罪を軽減されて饒州(江西省波陽=鄱陽)司馬に遷されたが、途中で死んだ。 | 子夜四時歌 春歌(陌頭楊柳枝) | ||||
朱放(しつほう) | 生没年不詳。 | 唐の詩人。字は長通。襄州の人。越の溪に隠棲する。江西節度參謀となる。後、貞元の初めに、拾遺に召されたが就かなかった。 | 題竹林寺(歳月人間促) | ||||
張汯(ちょうこう) | 生没年不詳。 | 初唐の詩人。官僚。張紘〔ちゃうこう(ちょうこう);Zhang1 Hong2〕ともする。 | 怨詩(閨怨去年離別雁初歸) | ||||
盧僎 | 初唐の景龍年間の人。河南省臨の人。 | 南樓望(去國三巴遠) | |||||
陳子良 | 初唐の人だが、『古詩源』に採られているので、このページに載せた。 | 送別(落葉聚還散) | |||||
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