中国の詩人各時代詩人の概略一覧表( 4) 六朝南北朝時代の詩人
- 2011/11/30
- 21:39
中国の詩人各時代詩人の概略一覧表( 4) 六朝南北朝時代の詩人
南北朝時代 439~589
また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。北魏は六鎮の乱を経て、534年に東魏、西魏に分裂した。東魏は550年に西魏は556年にそれぞれ北斉、北周に取って代わられた。577年、北周は北斉を滅ぼして再び華北を統一する。その後、581年に隋の楊堅が北周の譲りを受けて帝位についた。589年、隋は南朝の陳を滅ぼし、中国を再統一した。普通は北魏・東魏・西魏・北斉・北周の五王朝を北朝と呼ぶが、これに隋を加える説もある。李延寿の『北史』が隋を北朝に列しているためである。
4.五胡十六国 301頃~439
東晋 317~420
元帝 (東晋) 王羲之 陶淵明(陶潜) 僧肇
宋 420~479 永明体
謝霊運 顔 延之
北魏386~535
鮑照
斉 420~479 永明体
謝兆 任 昉 沈約 王融 蘇小小 孔稚珪 刑邵 斛律金 鍾嶸
梁 502~557
蕭衍・梁武帝 范雲 何遜 王籍 陸垂 蕭陳 萸信 王褒 徐 陵
陳 557~589
陳後主 陰鏗
隋 581~618
楊 素 薛道衡 観徳王・楊雄
南北朝時代 439~589
南北朝 | 宋 | 北魏 | |
斉 | |||
梁 | 西魏 | 東魏 | |
陳 | 北周 | 北斉 | |
隋(ずい、581年 - 618年) |
また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。北魏は六鎮の乱を経て、534年に東魏、西魏に分裂した。東魏は550年に西魏は556年にそれぞれ北斉、北周に取って代わられた。577年、北周は北斉を滅ぼして再び華北を統一する。その後、581年に隋の楊堅が北周の譲りを受けて帝位についた。589年、隋は南朝の陳を滅ぼし、中国を再統一した。普通は北魏・東魏・西魏・北斉・北周の五王朝を北朝と呼ぶが、これに隋を加える説もある。李延寿の『北史』が隋を北朝に列しているためである。
4.五胡十六国 301頃~439
東晋 317~420
元帝 (東晋) 王羲之 陶淵明(陶潜) 僧肇
宋 420~479 永明体
謝霊運 顔 延之
北魏386~535
鮑照
斉 420~479 永明体
謝兆 任 昉 沈約 王融 蘇小小 孔稚珪 刑邵 斛律金 鍾嶸
梁 502~557
蕭衍・梁武帝 范雲 何遜 王籍 陸垂 蕭陳 萸信 王褒 徐 陵
陳 557~589
陳後主 陰鏗
隋 581~618
楊 素 薛道衡 観徳王・楊雄
南北朝(420~589) | |||||||
時代 | 西紀 | 史実 | 人名 | 生没年 | 概 略 | 詩 詞 | |
439(420)~589 | 中国史における南北朝時代(なんぼくちょうじだい)は、北魏が華北を統一した439年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指す。 この時期、華南には宋、斉、梁、陳の4つの王朝が興亡した。こちらを南朝と呼ぶ。同じく建康(建業)に都をおいた三国時代の呉、東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも呼ぶ。この時期、江南の開発が一挙に進み、後の隋や唐の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、陶淵明や王羲之などが活躍した。 また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。北魏は六鎮の乱を経て、534年に東魏、西魏に分裂した。東魏は550年に西魏は556年にそれぞれ北斉、北周に取って代わられた。577年、北周は北斉を滅ぼして再び華北を統一する。その後、581年に隋の楊堅が北周の譲りを受けて帝位についた。589年、隋は南朝の陳を滅ぼし、中国を再統一した。普通は北魏・東魏・西魏・北斉・北周の五王朝を北朝と呼ぶが、これに隋を加える説もある。李延寿の『北史』が隋を北朝に列しているためである。 | ||||||
南北朝(420~589) | 宋 | 420~479 | 永明体 | 謝霊運 | 385~433 | 南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。 | 東陽谿中贈答 |
顔 延之(がん えんし) | 384年 - 456年 | 、)は中国南北朝時代、宋の文学者。字は延年。本籍地は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市)。宋の文帝や孝武帝の宮廷文人として活躍し、謝霊運・鮑照らと「元嘉三大家」に総称される。また謝霊運と併称され「顔謝」とも呼ばれる。 | |||||
北魏 | 386~535 | 鮑照 | 412 頃-466 | 六朝時代、宋の詩人。字(あざな)は明遠。元嘉年間の三大詩人の一人として謝霊運・顔延之と併称された。 | 擬行路難 , 代出自薊北門行 | ||
竟陵八友:南斉の皇族、竟陵王蕭子良の西邸に集った文人 (①蕭衍・②沈約・③謝朓・④王融・⑤蕭琛・⑥范雲・⑦任昉・⑧陸倕) | |||||||
斉 | 479~502 | ③謝朓(しゃちょう) | 464年 - 499 | 南北朝時代、南斉の詩人。現存する詩は200首余り、その内容は代表作とされる山水詩のほか、花鳥風月や器物を詠じた詠物詩、友人・同僚との唱和・離別の詩、楽府詩などが大半を占める。竟陵八友のひとり | 遊東田 , 玉階怨 王孫遊 金谷聚 同王主薄有所思 | ||
鮑令暉 | 生卒年不詳。 | 南朝宋女詩人。東海(現在山東郯城)の人。鮑照の妹。鮑令暉も詩人として知られる。 略歴 いわゆる寒門の貧しい家柄に生まれる。元嘉 ( 南朝宋)ごろに臨川王劉義慶に認められて国侍郎、太学博士、中書舎人となる。荊州刺史 の臨海王劉子?のもとで前軍参軍の職につく。劉子?の反乱で乱戦のうちに殺害された 鍾嶸《詩品》說她是南齊人,但從鮑照的《請假啟》中講到僅有的一個妹妹死去等語看來,她似乎在宋孝武帝時就已去世。其詩見於《玉台新詠》。今人錢仲聯《鮑參軍集注》附有鮑令暉詩。 | |||||
⑦任 昉(じん ぼう) | 460年 - 508年 | 中国南北朝時代の文学者。字は彦昇。小字は阿堆。楽安博昌(現山東省寿光市)の人。南斉の竟陵王蕭子良のもとに集まった文人「竟陵八友」の1人。散文の分野で高く評価され、南斉・梁の時代に多くの表奏を手がけた。同じ八友の1人で、詩にすぐれた沈約に対し、「任筆沈詩」と称される。著作に『述異記』『文章縁起』(偽作説もあり)。 | |||||
②沈約(しんやく) | 441年 - 513年 | 南朝を代表する文学者、政治家。呉興武康(現在の浙江省武康県)の人。字は休文。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。 | 二十一史・宋書 | ||||
④王融 | 467年 - 493年 | 南北朝時代、南斉の政治家・文学者。字は元長。琅邪臨沂(現山東省臨沂市)の人。六朝時代を代表する名門貴族、琅邪王氏の出身。名門の出身に加えて文才にも優れ、南斉の皇族、竟陵王蕭子良の西邸に集った文人「竟陵八友」の1人に数えられ、同じく八友の仲間である沈約・謝朓らとともに「永明体」と呼ばれる詩風を生み出した。 | 三月三日曲水詩序 | ||||
蘇小 | ? | 錢唐蘇小 :南斉(南齊)時代の銭塘の名妓。才色兼備の誉れが高かった。銭塘の蘇小小。 ・銭唐:現・浙江省杭州市。「銭塘」のこと。唐代に「唐」字を避けて「錢唐」を「銭塘」とした。 | 歌一首 | ||||
孔稚珪 | 447~501 | 会稽郡山陰の出身。字は徳璋。学問・詩文に優れ、蕭道成に文才を認められて起室参軍とされ、永明年間に王植の『晋律』改修にも参与した。廷尉、御史中丞と進み、493年の鬱林王即位に際して王融を告発して自殺させ、明帝より南郡太守とされ、東昏侯のときに太子詹事・散騎常侍に至った。 | |||||
邢邵(けいしょう) | 496~561? | 北朝斉文学家。字は子才。河间□(今の河北任丘北)人。 | 思公子(綺羅日減帶) | ||||
斛律金(こくりつきん) | 488年 - 567年 | 中国の東魏・北斉の軍人。騎射を得意とし、用兵は匈奴の法を学び、塵を見て敵軍の数を知り、地を嗅いで敵軍の遠近を知ったと言われる。 | 敇勒歌 五噫歌 | ||||
鍾嶸(しょうえい) | 469~518 | 字は仲偉。潁川郡長社の人。斉の永明年間に国子生となる。秀才に挙げられ、王国侍郎に任ぜられた。のち安国令となった。梁に入って、晋安王・蕭綱の記室をつとめた。漢魏以来の五言詩の優劣を論じ、『詩評』にまとめた。 | 『詩品』 | ||||
梁 | 502~557 | ①蕭衍(しょうえん)梁武帝 | 464~502~549 | 南朝梁の初代皇帝。蕭衍(しょうえん) 南蘭陵(江蘇省)の蕭氏の一門であり、南斉宗室の支族に当たる。父の順之は南斉の高帝蕭道成の族弟であり、丹陽の尹であった。若い頃より文武両面において注目され、南斉時代で文化の中心であった竟陵王蕭子良の西邸にも出入りし、沈約らと共に八友の一人に数えられた。 | 河中之水歌 遊女曲(氛氳蘭麝體芳滑) 子夜歌(朝日照綺錢) | ||
⑥范雲 | 451年 - 503 | 南朝の梁を代表する文人。字は彦龍。451年(元嘉8年)、南郷舞陽(現在の河南省沁陽)で生まれる。斉及び梁に仕え、竟陵王蕭子良八友のひとりに数えられ、蕭衍を沈約と共に助けた。永明10年(492年)、蕭琛と共に北魏に派遣された際には孝文帝の称賞を受けている。梁では尚書左僕射(502年からは尚書右僕射)に任じられ、その清麗な風格の詩風は当時から高い評価を受けた。503年(天監2年)没。 | 別詩 「贈張徐州稷」 「古意贈王中書」 | ||||
何遜(かそん) | ?~518 | 何 遜(か そん、467年? - 518年?)は中国南北朝時代の文学者。東海郯の人。字は仲言。曾祖父は何承天。幼少より文才に優れ、8歳で詩を作り、20歳の時、州から秀才に選ばれた。南斉の永明年間に、当時の文壇の重鎮であった范雲に文才を認められ、年齢を超えた交際を結ぶ。現存する詩は110首あまり。生涯の大半を地方の幕僚として勤めたことから、友人や同僚たちとの間の応酬・離別の詩や行旅を主題とする詩が多くを占める。その詩風は、寒門の出身者であるが故の、官途の不遇から発せられた心情表現がしばしば見られることが特徴である。その一方で、詩中における自然描写は、精巧であるとともに、豊かな抒情性をたたえており、謝朓とならび、唐詩の先駆とみなされている。 | |||||
王籍 | 502~519 | 南梁(502 ~557)(おうせき 502~519) 南北朝時代・梁の詩人。五言詩「入若耶溪」中の「蝉噪林逾静 鳥鳴山更幽」対句はあまりに有名です。 | 入若耶渓 | ||||
⑧陸倕(りくすい) | |||||||
⑤蕭琛 (しょうちん) | |||||||
庾信(ゆしん) | 513年- 581年 | は、中国南北朝時代の文学者。字は子山。南陽郡新野の人。庾肩吾の子。南朝の梁に生まれ、前半生は皇太子蕭綱(後の簡文帝)配下の文人として活躍した。侯景の乱後の後半生は、やむなく北朝の北周に身を置くことになり、代表作「哀江南賦」をはじめ、江南を追慕する哀切な内容の作品を残した。 | 寄王琳 秋夜望単飛雁 | ||||
王褒(おうほう) | 513~576 | 琅邪郡臨沂の出身。字は子淵。梁の武帝に仕えて清官を歴任し、蕭子雲に 草書・隷書を学んで師と共に令名があり、顧野王とも二絶と併称され、元帝が即位すると 吏部尚書・右僕射に進んだ。 | |||||
徐 陵(じょ りょう) | 507年 - 583年 | 中国南北朝時代、梁・陳の文学者・政治家。字は孝穆。本籍地は東海郡郯県(現山東省)。梁では父親の徐摛、庾肩吾・庾信父子とともに、皇太子蕭綱(後の簡文帝)配下の文人として活躍し、「徐庾体」という艶麗な詩風を確立した。侯景の乱の混乱により、一時期北朝の東魏・北斉に抑留されたが、後に江南に帰り、陳でも文壇の大御所的存在として「一代の文宗」と称えられた。詩集『玉台新詠』は、皇太子蕭綱の命により徐陵が編纂したとされ、その序文は六朝時代の駢文の傑作として名高い。 | 『玉台新詠』 | ||||
陳 | 557~589 | 陳後主(ちんのこうしゅ) | 582年 - 589年 | 後主(こうしゅ)は南朝陳の末代皇帝。後世、亡国の君主として暗君の典型とされる。 | 玉樹後庭花 | ||
陰鏗(いんこう) | (?~?) | 字は子堅。武威郡姑臧の人。はじめ梁の湘東王の法曹参軍となった。陳の天嘉年間に、始興王の中録事参軍となり、のちに晋陵太守・員外散騎常侍に上った。詩人として何遜と並び称された。『陰常侍詩集』。 | |||||
581~618 | 楊 素(よう そ | ? - 606年 | 中国の隋の政治家・軍人。隋の上柱国、司徒、楚景武公に上った。字は処道(正字は處道)。弘農郡華陰県(陝西省渭南市)の出身である。隋の帝室である楊氏(鮮卑普六茹部)とは別系統にあたる。 楊素は、楊敷の子として生まれた。楊敷は、北周の天和年間に汾州刺史となり、北斉の将軍の段韶の攻撃を受けて捕らえられた。北斉は楊敷を任用しようとしたが、楊敷は屈することなく鄴で没した。 | ||||
隋 | 隋(ずい、581年 - 618年[1])は、中国の王朝。魏晋南北朝時代の混乱を鎮め、西晋が滅んだ後分裂していた中国をおよそ300年ぶりに再統一した(西晋の実質的な統一期間は30年間もないため、黄巾の乱によって中国が分裂時代に入ってから数えれば400年ぶりとなる)。しかし第2代煬帝の失政により滅亡し、その後は唐が中国を支配するようになる。都は大興城(長安、現在の中華人民共和国西安市)。国姓は楊。 | ||||||
科挙を施行 | 薛道衡(せつどうこう) | 540年 - 609年 | 南北朝時代および隋の文学者。北朝および隋を代表する文学者で「一代の文宗」と称えられたが、煬帝にその文才をねたまれ処刑された。 | 0 | |||
観徳王・楊雄(よう ゆう) | 542年 - 612年 | 楊雄(よう ゆう、)は、中国の隋の皇族。観徳王。もとの名は恵。文帝楊堅の族子にあたる。 |
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