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韓愈《送李員外院長分司東都》去年の秋、白露の降りるころ、あなたは覊旅の身になって、裴度相公の東征に従って出掛けたのである。今年は春景色が動きはじめるころ、王事に駆逐し、あらたに洛陽の留守となり、この長安に別れを告げ、赴任することになった。
(韓退之)
作時年:818年 元和十三年 51歲
卷別: 卷三四四 文體: 五言律詩
詩題: 送李員外院長分司東都
及地點:東都 (都畿道 河南府 東都) 別名:東京
交遊人物/地點: 李正封
送李員外院長分司東都
(李正封司勲外郎図書秘書院長が東都洛陽の留守役、分司として赴任するのを送別する。)
去年秋露下,羈旅逐東征。
去年の秋、白露の降りるころ、あなたは覊旅の身になって、裴度相公の東征に従って出掛けたのである。
今歲春光動,驅馳別上京。
今年は春景色が動きはじめるころ、王事に駆逐し、あらたに洛陽の留守となり、この長安に別れを告げ、赴任することになった。
飲中相顧色,送後獨歸情。
そこでこの別館において酒を呑む間は、互いに見交わし、顧みて、別れの愁いが顔に現れ、君を送って後には、一人帰ろうとしてもその情に耐えきれないだろう。
兩地無千里,因風數寄聲。
洛陽と長安とは、相へだつとはいえ、千里も遠くはないので、時々風の便りに、言伝をして近況を知らせてもらいたい。
『送李員外院長分司東都』 現代語訳と訳註
(本文)
送李員外院長分司東都
去年秋露下,羈旅逐東征。
今歲春光動,驅馳別上京。
飲中相顧色,送後獨歸情。
兩地無千里,因風數寄聲。
(下し文)
(李員外院長の東都に分司たるに送る)
去年 秋露下り,羈旅 東征を逐う。
今歲 春光動き,驅馳【くち】上京に別る。
飲中 相い顧みるの色,送後 獨歸の情。
兩地 千里無し,風に因って數しば聲を寄せよ。
(現代語訳)
(李正封司勲外郎図書秘書院長が東都洛陽の留守役、分司として赴任するのを送別する。)
去年の秋、白露の降りるころ、あなたは覊旅の身になって、裴度相公の東征に従って出掛けたのである。
今年は春景色が動きはじめるころ、王事に駆逐し、あらたに洛陽の留守となり、この長安に別れを告げ、赴任することになった。
そこでこの別館において酒を呑む間は、互いに見交わし、顧みて、別れの愁いが顔に現れ、君を送って後には、一人帰ろうとしてもその情に耐えきれないだろう。
洛陽と長安とは、相へだつとはいえ、千里も遠くはないので、時々風の便りに、言伝をして近況を知らせてもらいたい。
(訳注)
送李員外院長分司東都
(李正封司勲外郎図書秘書院長が東都洛陽の留守役、分司として赴任するのを送別する。)
・李員 李二十八は李正封。やはり裴度の幕下となり従軍し、郾城で韓愈と長い聯句をつくっている。襄城は河南省襄城県。
《晚秋郾城夜會聯句》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <848> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3224韓愈詩-220
(李司勳外郎「連昌宮を過る」詩に唱和する。)
・李司勳 別のテクストでは李二十八とある。これは李正封で、司勲外郎であった。
《和李司勳過連昌宮》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <843> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3199韓愈詩-215
《宿神龜招李二十八、馮十七》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <841> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3189韓愈詩-213
《同李二十八夜次襄城》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <839> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3179韓愈詩-211
・院長 図籍秘書であり、淮西平定の史実を記録するいんちょうである。
・分司 東都洛陽の留守役のこと。
・禦史中丞 前漢以降の官職名。 前漢においては、御史大夫の二人の丞(副官)のうちの一人(秩千石)であるが、御史中丞は殿中の蘭台におり、図籍秘書を掌り、刺史を監督し、侍御史を統率した。
・行軍司馬 安史の乱以降に置かれた元帥府の属官。元帥(天下兵馬元帥)には親王が任命されるので、副元帥が事実上の統率者となる。幕職には、行軍長史、行軍司馬、掌書記、判官、参謀、兵馬使などがある。
去年 秋露 下 ,羈旅 逐 東征 。
去年の秋、白露の降りるころ、あなたは覊旅の身になって、裴度相公の東征に従って出掛けたのである。
「東征」『晚秋郾城夜會聯句』の序文に「元和十二年七月,以裴度守門下侍郎同平章事,充淮西宣慰處置使,以韓愈兼禦史中丞,充行軍司馬,以李正封兼侍禦史,為判官,從度出征。」とある。元和十二年(817)、韓愈が五十歳となった年の七月、憲宗皇帝は裴度を宰相(守門下侍郎同平章事)に任ぜられ、膠着状態と患っている淮西の乱を一挙に解決せよと命じ淮西宣慰處置使とした。裴度はこの命令を受けると、韓愈を自分の部下にいただきたいと朝廷へ願い出た。そこで韓愈を御史中丞に任ずるむねの辞令が下り、兼ねて裴度の軍の行軍司馬を命ぜられた。李正封は兼ねて侍禦史とされ、判官と為さしめられ,裴度に從って出征することになる。
今歲 春光 動 ,驅馳 別 上京 。
今年は春景色が動きはじめるころ、王事に駆逐し、あらたに洛陽の留守となり、この長安に別れを告げ、赴任することになった。
「今歲」今年。
「春光動」春景色が動きはじめるころ。早春間もないころ。
「上京」長安のこと。
去年 秋露 下,羈旅 逐 東征。
今歲 春光 動,驅馳 別 上京。
律詩の絶対条件である【頷聯】【頸聯】については対句よりも、【首聯】【頷聯】が隔句対となっている方が強い。
飲中 相顧 色 ,送後 獨歸 情 。
そこでこの別館において酒を呑む間は、互いに見交わし、顧みて、別れの愁いが顔に現れ、君を送って後には、一人帰ろうとしてもその情に耐えきれないだろう。
兩地 千里 ,因風 數 寄聲 。
洛陽と長安とは、相へだつとはいえ、千里も遠くはないので、時々風の便りに、言伝をして近況を知らせてもらいたい。
「無千里」千里も遠くはない。
飲中 相 顧色,送後 獨 歸情。
兩地 無 千里,因風 數 寄聲。
【頸聯】【尾聯】についても隔句対ということで初唐盛唐期の律詩とは若干変化していくことがわかる面白い詩である。この形態は、古詩に見られるものではある。
474 韓昌黎集 巻五 407 《送李員外院長分司東都》元和十三年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <879> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3379韓愈詩-222 韓愈 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4696 |
Author:紀 頌之
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