539 韓昌黎集 巻五 《與張十八同效阮步兵一日復一夕》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5021
- 2014/10/26
- 00:24
一日復一夕≫自分の身を見れば、旧態依然として、格別の心境もなく、古人に如かざる所有って、超越したところは全くない。食べることと云えば、前日の味と変わりないし、仕事ぶりというのも、前日と同じ調子である。つまり、毎日過ごしてはいるが、概して同じことの繰り返しをしているにすぎないのである。
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《與張十八同效阮步兵一日復一夕》韓愈(韓退之)ID Index-14-504
製作年: 824年 長慶四年 57歲
卷別: 卷三四二 文體: 五言古詩
韓昌黎集 巻七
詩題: 與張十八同效阮步兵一日復一夕
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
交遊人物:張籍 當地交遊(京畿道 京兆府 長安)
與張十八同效阮步兵一日復一夕
(この詩は張籍とともに、阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」という詩に倣って作った。)
#1
一日復一日,一朝復一朝。
一日過ごし、復た一日を過ごしてゆく,一たび朝を迎え、復た 一たび朝を迎えるというように、朝を迎え、一日過ごし、日を重ね月を送って、齢を重ねて、この世に生きながらえている。
祗見有不如,不見有所超。
これを顧みて、自分の身を見れば、旧態依然として、格別の心境もなく、古人に如かざる所有って、超越したところは全くない。
食作前日味,事作前日調。
食べることと云えば、前日の味と変わりないし、仕事ぶりというのも、前日と同じ調子である。つまり、毎日過ごしてはいるが、概して同じことの繰り返しをしているにすぎないのである。
不知久不死,憫憫尚誰要。
自分のことを知るわけでもなく久しく死ぬということでもないので、憫然としていることではあるが、それでもなお、だれを必要とするのかわからないのである。
富貴自縶拘,貧賤亦煎焦。
もしその人が富貴のものであるなら、何事につけ、牽繫束縛されるものであり、貧賤ならば、煎じて焦がされるような苦痛を免れることはできないのである。
#2
俯仰未得所,一世已解鑣。
譬如籠中鶴,六翮無所搖。
譬如兔得蹄,安用東西跳。
還看古人書,復舉前人瓢。
未知所究竟,且作新詩謠。
(與張十八と同じく 阮步兵の一日復た一夕に效【なら】う)
一日復た一日,一朝復た一朝。
祗だ如からざる有るを見る,超る所有るを見ず。
食も前日の味を作し,事も前日の調を作す。
知らず久しく死せず,憫憫【びんびん】として尚お誰をか要する。
富貴 自ら縶拘【ちゅうこう】し,貧賤 亦た煎焦す。
#2
俯仰 未だ所得ず,一世 已に鑣【ひょう】を解く。
譬えば籠中の鶴,六翮 搖く所無きが如し。
譬えば兔の蹄を得たるが如く,安ぞ東西に跳るを用いん。
還た古人の書を看,復た前人の瓢を舉ぐ。
未だ究竟する所を知らず,且らく新詩を作って謠う。
『與張十八同效阮步兵一日復一夕』 現代語訳と訳註
(本文)
與張十八同效阮步兵一日復一夕
#1
一日復一日,一朝復一朝。
祗見有不如,不見有所超。
食作前日味,事作前日調。
不知久不死,憫憫尚誰要。
富貴自縶拘,貧賤亦煎焦。
(下し文)
(與張十八と同じく 阮步兵の一日復た一夕に效【なら】う)
一日復た一日,一朝復た一朝。
祗だ如からざる有るを見る,超る所有るを見ず。
食も前日の味を作し,事も前日の調を作す。
知らず久しく死せず,憫憫【びんびん】として尚お誰をか要する。
富貴 自ら縶拘【ちゅうこう】し,貧賤 亦た煎焦す。
(現代語訳)
(この詩は張籍とともに、阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」という詩に倣って作った。)
一日過ごし、復た一日を過ごしてゆく,一たび朝を迎え、復た 一たび朝を迎えるというように、朝を迎え、一日過ごし、日を重ね月を送って、齢を重ねて、この世に生きながらえている。
これを顧みて、自分の身を見れば、旧態依然として、格別の心境もなく、古人に如かざる所有って、超越したところは全くない。
食べることと云えば、前日の味と変わりないし、仕事ぶりというのも、前日と同じ調子である。つまり、毎日過ごしてはいるが、概して同じことの繰り返しをしているにすぎないのである。
自分のことを知るわけでもなく久しく死ぬということでもないので、憫然としていることではあるが、それでもなお、だれを必要とするのかわからないのである。
もしその人が富貴のものであるなら、何事につけ、牽繫束縛されるものであり、貧賤ならば、煎じて焦がされるような苦痛を免れることはできないのである。
(訳注) #1
與張十八同效阮步兵一日復一夕
(この詩は張籍とともに、阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」という詩に倣って作った。)
張十八 張籍 中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。
阮步兵 阮籍(210年(建安15年) - 263年(景元4年))は、中国三国時代の人物。字(あざな)を嗣宗、兗州陳留郡尉氏の人。竹林の七賢の指導者的人物である。父は建安七子の一人である阮瑀。甥の阮咸も竹林の七賢の一人である。
一日復一日,一朝復一朝。
一日過ごし、復た一日を過ごしてゆく,一たび朝を迎え、復た 一たび朝を迎えるというように、朝を迎え、一日過ごし、日を重ね月を送って、齢を重ねて、この世に生きながらえている。
祗見有不如,不見有所超。
これを顧みて、自分の身を見れば、旧態依然として、格別の心境もなく、古人に如かざる所有って、超越したところは全くない。
食作前日味,事作前日調。
食べることと云えば、前日の味と変わりないし、仕事ぶりというのも、前日と同じ調子である。つまり、毎日過ごしてはいるが、概して同じことの繰り返しをしているにすぎないのである。
不知久不死,憫憫尚誰要。
自分のことを知るわけでもなく久しく死ぬということでもないので、憫然としていることではあるが、それでもなお、だれを必要とするのかわからないのである。
憫憫 憫然【びんぜん/愍然】あわれむべきさま。
富貴自縶拘,貧賤亦煎焦。
もしその人が富貴のものであるなら、何事につけ、牽繫束縛されるものであり、貧賤ならば、煎じて焦がされるような苦痛を免れることはできないのである。
縶拘 つないで拘束する。
煎焦 煎じて焦がす。
阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」
一日復一夕、一夕復一朝。
顔色改平常、精神自損消。
胸中懷湯火、變化故相招。
萬事無窮極、知謀苦不饒。
但恐須臾間、魂氣隨風飄。
終身履薄冰、誰知我心焦。
一日復た一夕、一夕復た一朝。
顔色は平常にあらたまり、精神は自ずと損消す
胸中は湯火を懷き、變化は,故に,相い招かん
萬事は無窮極、知謀は不饒を苦しむ
但,恐れるは須臾の間、魂氣は風に飄として随う
終身薄冰を履みつづけ、誰が知る,我が心の焦を
湯火 滾水と烈火
不饒 不饒恕,ゆるすことのできぬおもい
一日また一夕、一夕また一朝と、容顔は衰え、精神は消耗していく
胸中に火のように熱い思いを抱いているから、このような変化を招くのだ、万事は窮まりなく、智謀の足りないことが苦しい
恐るべきはあっという間に、死んで魂が風に吹かれてしまうことだ、一生薄氷を踏むような、自分の心の焦りをわかってくれるものは誰もいない
阮籍《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」
一日復一朝、一昏復一晨。
容色改平常、精神自飄淪。
臨觴多哀楚、思我故時人。
對酒不能言、悽愴懷酸辛。
願耕東皐陽、誰與守其眞。
愁苦在一時、高行傷微身。
曲直何所爲、龍蛇爲我隣。
一日復た一朝、一昏復た一晨
容色は平常に改む、精神は自ずから飄として淪(おちぶれ)る
觴(さかづき)に臨みて哀楚多く、我を思うは時の人故え
酒に對して言うをあたわず、悽愴として酸辛を懷く
願くばうららかなる東(はるに)水田を耕し、誰と其の眞(實)をまもらん、
愁苦は一時にあり、高く行くも微に身傷つく
曲も直も何の爲すところぞ、龍蛇,我の隣と爲さん
與張十八同效阮步兵一日復一夕
(この詩は張籍とともに、阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」という詩に倣って作った。)
#1
一日復一日,一朝復一朝。
一日過ごし、復た一日を過ごしてゆく,一たび朝を迎え、復た 一たび朝を迎えるというように、朝を迎え、一日過ごし、日を重ね月を送って、齢を重ねて、この世に生きながらえている。
祗見有不如,不見有所超。
これを顧みて、自分の身を見れば、旧態依然として、格別の心境もなく、古人に如かざる所有って、超越したところは全くない。
食作前日味,事作前日調。
食べることと云えば、前日の味と変わりないし、仕事ぶりというのも、前日と同じ調子である。つまり、毎日過ごしてはいるが、概して同じことの繰り返しをしているにすぎないのである。
不知久不死,憫憫尚誰要。
自分のことを知るわけでもなく久しく死ぬということでもないので、憫然としていることではあるが、それでもなお、だれを必要とするのかわからないのである。
富貴自縶拘,貧賤亦煎焦。
もしその人が富貴のものであるなら、何事につけ、牽繫束縛されるものであり、貧賤ならば、煎じて焦がされるような苦痛を免れることはできないのである。
#2
俯仰未得所,一世已解鑣。
立ち居振る舞いとしては、富貴と貧賤、共に、落ち着くべき適当なところを得ることが出来ないし、一度この世に生を受け、既に轡を外して馬を乗り出したからには引き戻ることはできないのである。
譬如籠中鶴,六翮無所搖。
例えば、籠中に閉じ込められ鶴のように、六翮依然足れども、狭く窮屈なところではそれを動ことはできない。
譬如兔得蹄,安用東西跳。
例えば、兔が罠にかかったようなもので、いくら、ジタバタして、東西に飛び跳ねてみたところで仕方のないことなのである。
還看古人書,復舉前人瓢。
こんなどうしたらよいのかわからない時には、また、古人の書を読んで、倣うことであり、また、前人と同じように、酒を酌んで、その時を楽しみ、慰め、憩うことである。
未知所究竟,且作新詩謠。
この先どうなるか、探求し尽くすことはないと認知すべきで、わからないことなのである。だから、ここに新詩を作って自分の考えを謡いだしたということである。
(與張十八と同じく 阮步兵の一日復た一夕に效【なら】う)
一日復た一日,一朝復た一朝。
祗だ如からざる有るを見る,超る所有るを見ず。
食も前日の味を作し,事も前日の調を作す。
知らず久しく死せず,憫憫【びんびん】として尚お誰をか要する。
富貴 自ら縶拘【ちゅうこう】し,貧賤 亦た煎焦す。
#2
俯仰 未だ所得ず,一世 已に鑣【ひょう】を解く。
譬えば籠中の鶴,六翮 搖く所無きが如し。
譬えば兔の蹄を得たるが如く,安ぞ東西に跳るを用いん。
還た古人の書を看,復た前人の瓢を舉ぐ。
未だ究竟する所を知らず,且らく新詩を作って謠う。
『與張十八同效阮步兵一日復一夕』 現代語訳と訳註
(本文)#2
俯仰未得所,一世已解鑣。
譬如籠中鶴,六翮無所搖。
譬如兔得蹄,安用東西跳。
還看古人書,復舉前人瓢。
未知所究竟,且作新詩謠。
(下し文) #2
俯仰 未だ所得ず,一世 已に鑣【ひょう】を解く。
譬えば籠中の鶴,六翮 搖く所無きが如し。
譬えば兔の蹄を得たるが如く,安ぞ東西に跳るを用いん。
還た古人の書を看,復た前人の瓢を舉ぐ。
未だ究竟する所を知らず,且らく新詩を作って謠う。
(現代語訳)
立ち居振る舞いとしては、富貴と貧賤、共に、落ち着くべき適当なところを得ることが出来ないし、一度この世に生を受け、既に轡を外して馬を乗り出したからには引き戻ることはできないのである。
例えば、籠中に閉じ込められ鶴のように、六翮依然足れども、狭く窮屈なところではそれを動ことはできない。
例えば、兔が罠にかかったようなもので、いくら、ジタバタして、東西に飛び跳ねてみたところで仕方のないことなのである。
こんなどうしたらよいのかわからない時には、また、古人の書を読んで、倣うことであり、また、前人と同じように、酒を酌んで、その時を楽しみ、慰め、憩うことである。
この先どうなるか、探求し尽くすことはないと認知すべきで、わからないことなのである。だから、ここに新詩を作って自分の考えを謡いだしたということである。
(訳注)#2
與張十八同效阮步兵一日復一夕
(この詩は張籍とともに、阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」という詩に倣って作った。)
張十八 張籍 中唐の詩人。字は文昌。和州(かしゅう)烏江(安徽省和県)の人。師友の韓愈に目をかけられ、その推薦によって、国子博士となった。楽府に長じている。賈島・孟郊などと唱和して古詩をよくし、盟友の王建とともに七言楽府に優れた作品を発表して「張王」と併称された。名詩人になろうとして、杜甫の詩集を焼いてその灰に膏蜜を混ぜて飲んだという逸話がある。表現は平易だが、世相の矛盾を指摘することは鋭く、白居易から「挙世(いまのよ)には其の倫(たぐい)少なし」と評せられ、後輩の姚合より「古風は敵手なく、新語は是れ人ぞ知る」と称えられた。中唐楽府運動の重要な担い手であり、白居易・元稹とともに「元和体」を形成した。『張司業詩集』8巻がある。
阮步兵 阮籍(210年(建安15年) - 263年(景元4年))は、中国三国時代の人物。字(あざな)を嗣宗、兗州陳留郡尉氏の人。竹林の七賢の指導者的人物である。父は建安七子の一人である阮瑀。甥の阮咸も竹林の七賢の一人である。
俯仰未得所,一世已解鑣。
立ち居振る舞いとしては、富貴と貧賤、共に、落ち着くべき適当なところを得ることが出来ないし、一度この世に生を受け、既に轡を外して馬を乗り出したからには引き戻ることはできないのである。
俯仰【ふぎょう】① うつむくことと仰ぎ見ること。見回すこと。② 立ち居振る舞い。起居動作。
未得所 落ち着くべき適当なところを得ることが出来ないということ。
解鑣 轡を外して馬を乗り出すこと。
譬如籠中鶴,六翮無所搖。
例えば、籠中に閉じ込められ鶴のように、六翮依然足れども、狭く窮屈なところではそれを動ことはできない。
六翮 翼の太い羽で6本あり、これがなければ飛ぶことが出来ない。
譬如兔得蹄,安用東西跳。
例えば、兔が罠にかかったようなもので、いくら、ジタバタして、東西に飛び跳ねてみたところで仕方のないことなのである。
還看古人書,復舉前人瓢。
こんなどうしたらよいのかわからない時には、また、古人の書を読んで、倣うことであり、また、前人と同じように、酒を酌んで、その時を楽しみ、慰め、憩うことである。
瓢 1 瓢箪(ひょうたん)のこと。特に、その果実から作った容器。酒などを入れる。《季 秋》2 ユウガオの変種。果実は苦味が強く、果皮が堅い。容器にし、また観賞用。
未知所究竟,且作新詩謠。
この先どうなるか、探求し尽くすことはないと認知すべきで、わからないことなのである。だから、ここに新詩を作って自分の考えを謡いだしたということである。
阮籍《詠懐詩其三十三》「一日復一夕」
一日復一夕、一夕復一朝。
顔色改平常、精神自損消。
胸中懷湯火、變化故相招。
萬事無窮極、知謀苦不饒。
但恐須臾間、魂氣隨風飄。
終身履薄冰、誰知我心焦。
一日復た一夕、一夕復た一朝。
顔色は平常にあらたまり、精神は自ずと損消す
胸中は湯火を懷き、變化は,故に,相い招かん
萬事は無窮極、知謀は不饒を苦しむ
但,恐れるは須臾の間、魂氣は風に飄として随う
終身薄冰を履みつづけ、誰が知る,我が心の焦を
湯火 滾水と烈火
不饒 不饒恕,ゆるすことのできぬおもい
一日また一夕、一夕また一朝と、容顔は衰え、精神は消耗していく
胸中に火のように熱い思いを抱いているから、このような変化を招くのだ、万事は窮まりなく、智謀の足りないことが苦しい
恐るべきはあっという間に、死んで魂が風に吹かれてしまうことだ、一生薄氷を踏むような、自分の心の焦りをわかってくれるものは誰もいない
阮籍《詠懐詩其三十四》「一日復一朝」
一日復一朝、一昏復一晨。
容色改平常、精神自飄淪。
臨觴多哀楚、思我故時人。
對酒不能言、悽愴懷酸辛。
願耕東皐陽、誰與守其眞。
愁苦在一時、高行傷微身。
曲直何所爲、龍蛇爲我隣。
一日復た一朝、一昏復た一晨
容色は平常に改む、精神は自ずから飄として淪(おちぶれ)る
觴(さかづき)に臨みて哀楚多く、我を思うは時の人故え
酒に對して言うをあたわず、悽愴として酸辛を懷く
願くばうららかなる東(はるに)水田を耕し、誰と其の眞(實)をまもらん、
愁苦は一時にあり、高く行くも微に身傷つく
曲も直も何の爲すところぞ、龍蛇,我の隣と爲さん
哀楚 凄愴とした哀傷
- テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
- ジャンル:学問・文化・芸術
- カテゴリ:韓昌黎集 全十一巻
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