542 韓昌黎集 巻五 《南溪始泛,三首之三》韓愈(韓退之) kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5036
- 2014/10/29
- 00:45
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の三)身体の衰えは、足腰のおとろえであり、歩くことはなかなかだ、朝礼にさんれつなどとてもできるものではなく、朝の散歩などでも難しい。
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《南溪始泛,三首之三》韓愈(韓退之)ID Index-14-504 Ⅱ韓昌黎集index-14 823年長慶3年 56歳~824年長慶4年 57歳
製作年:824年長慶四年57歲
卷別: 卷三四二 文體: 五言古詩
韓昌黎集 巻七
詩題: 南溪始泛,三首之三
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
南溪始泛,三首之三
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の三)
足弱不能步,自宜收朝蹟。
身体の衰えは、足腰のおとろえであり、歩くことはなかなかだ、朝礼にさんれつなどとてもできるものではなく、朝の散歩などでも難しい。
羸形可輿致,佳觀安事擲。
痩せた身体であると軽く運べるが、自分は肥満なので、輿で運ぶけれど迷惑をかける次第だ。しかし、ここのすばらしい眺めをどうして捨て置くわけにいかないのだ。
即此南阪下,久聞有水石。
此の南坂のふもとには、以前から美しい流れと珍しい石があり、きれいな山水の景色があると聞いていたところだ。
拖舟入其間,溪流正清激。
舟をひかせて、その谷の間にはいると、渓流はまことに綺麗で、それこそ清らかに澄み切っている。
#2
隨波吾未能,峻瀨乍可刺。
鷺起若導吾,前飛數十尺。
亭亭柳帶沙,團團松冠壁。
歸時還盡夜,誰謂非事役。
(南溪始泛,三首の三)
足 弱くして步する能わず,自ら宜しく朝蹟を收むべし。
羸形 輿し致す可し,佳觀 安ぞ 擲【なげう】つべけんや。
即ち 此の南阪の下,久しく水石有るを聞く。
舟を拖いて 其の間に入れば,溪流 正に清激。
#2
波に隨うこと吾 未だ能わず,峻瀨 乍ち刺す可し。
鷺は起って 吾を導くが若し,前に飛ぶこと數十尺。
亭亭として 柳 沙を帶び,團團として松 壁に冠す。
歸える時 還た夜を盡し,誰か事役に非らずと謂えり。
『南溪始泛,三首之三』 現代語訳と訳註
(本文)
南溪始泛,三首之三
足弱不能步,自宜收朝蹟。
羸形可輿致,佳觀安事擲。
即此南阪下,久聞有水石。
拖舟入其間,溪流正清激。
(下し文)
(南溪始泛,三首の三)
足 弱くして步する能わず,自ら宜しく朝蹟を收むべし。
羸形 輿し致す可し,佳觀 安ぞ 擲【なげう】つべけんや。
即ち 此の南阪の下,久しく水石有るを聞く。
舟を拖いて 其の間に入れば,溪流 正に清激。
(現代語訳)
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の三)
身体の衰えは、足腰のおとろえであり、歩くことはなかなかだ、朝礼にさんれつなどとてもできるものではなく、朝の散歩などでも難しい。
痩せた身体であると軽く運べるが、自分は肥満なので、輿で運ぶけれど迷惑をかける次第だ。しかし、ここのすばらしい眺めをどうして捨て置くわけにいかないのだ。
此の南坂のふもとには、以前から美しい流れと珍しい石があり、きれいな山水の景色があると聞いていたところだ。
舟をひかせて、その谷の間にはいると、渓流はまことに綺麗で、それこそ清らかに澄み切っている。
(訳注)
南溪始泛,三首之三
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の三)
○南溪始泛 南渓は、長安の南、終南山にある渓谷。韓愈は、五十七歳になった長慶四年(八二四年)夏、病気で休暇を願い、長安の南の郊外にある別荘で養生することにしたが、休暇期間がおわり、長安の邸宅に帰って、その年十二月二日薨った。この詩は、南郊に養生中、作られたもので、韓愈の絶筆であるといわれる。
足弱不能步,自宜收朝蹟。
身体の衰えは、足腰のおとろえであり、歩くことはなかなかだ、朝礼にさんれつなどとてもできるものではなく、朝の散歩などでも難しい。
○朝蹟 蹟は跡と同じ、足あと。朝蹟は、朝廷に於ける足跡。からだ。
羸形可輿致,佳觀安事擲。
痩せた身体であると軽く運べるが、自分は肥満なので、輿で運ぶけれど迷惑をかける次第だ。しかし、ここのすばらしい眺めをどうして捨て置くわけにいかないのだ。
○輿致 輿くるまに乗せてつれて行く。韓愈が肥満であったことは、韓愈の多くの詩に出てくる。
○擲 すておく。
即此南阪下,久聞有水石。
此の南坂のふもとには、以前から美しい流れと珍しい石があり、きれいな山水の景色があると聞いていたところだ。
○南阪 終南山にのぼるさか。南に行くほど登る地形である。
○有水石 きれいな山水の景色がある。この水石は、美しいという価値判断をふくんだ水と石である。
拖舟入其間,溪流正清激。
舟をひかせて、その谷の間にはいると、渓流はまことに綺麗で、それこそ清らかに澄み切っている。
○拖 引き舟でひっぱること。
南溪始泛,三首之一
榜舟南山下,上上不得返。
幽事隨去多,孰能量近遠。
陰沈過連樹,藏昂抵橫阪。
石粗肆磨礪,波惡厭牽挽。
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の一)
南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ、棹さして流れを遡り、上り上ぼって行って引き返すことができなくなった。
行けばいくほど面白く風流な趣が加わる時は、路が遠かろうが、近かろうが、頭から考えることなど全くない。
そのあいだは陰沈としてうすぐらい林のつづく中を過ぎることもあり、道は幾たびか高く低くつらなる斜面にぶつかった。
渓中の岩がごつごつとして、それらは存分にとぎすまされ、さか立つ流れをどこまでも舟を引いて上ぼる厭になるほど骨が折れることだ。
#2
或倚偏岸漁,竟就平洲飯。
點點暮雨飄,梢梢新月偃。
餘年懍無幾,休日愴已晚。
自是病使然,非由取高蹇。
あるいは、かたよって崖っぷちの岸のすぐ下で網を投じて魚をとったりし、あるいは、平坦な中洲の上で食事をとったりした。
すると、ぽつぽつと夕ぐれどきの時雨が催したが、しばらくしてすぐ止んだので、ほっそりとした新月がやまかげから横ざまに低く表れた。
おもえば、わたしの病気は治りそうもなく、あと生きられる年は幾ばくもないことに、心つつましく思うところだが、病気理由の休暇も、もう終わろうとしているから、何となく心配で仕方がないのだ。
この遊覧だって病気になったから、みんなが気を使ってくれたからこそできたので、こんな風流な遊覧だからといって、偉ぶって俗世を離れた風流隠遁者という高踏的な気持ちになろうとしたためではないのである。
(南渓に始めて泛ぶ三首、其の一)
舟を榜【さ】す 南山の下、上り上って返ることを得ず。
幽事 去るに随って多く、孰か能く近遠を量らん。
陰沈として連樹を過ぎ、蔵昂として横坂に抵る。
石は粗にして磨礪を肆にし、波は悪くしして牽挽に厭く。
或るいは偏岸に倚りて漁し、竟に平洲に就いて飯す。
点点として暮雨 飄り、梢梢として新月 偃す。
余年 幾ばくも無きを懍れ、休日 己に晩きことを愴う。
自ら是れ 病い 然らしむ、高蹇を取るに由るには非ず。
南溪始泛,三首之二
南溪亦清駛,而無楫與舟。
山農驚見之,隨我觀不休。
不惟兒童輩,或有杖白頭。
饋我籠中瓜,勸我此淹留。
我云以病歸,此已頗自由。
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の二)
上流の南渓の水はきれいで澄んでいて、流れがとても速い、これを行くのにろも舟ではどうしようもなく、徒歩で行く。
山里の農夫たちはここを徒歩で登るわたしに出あったのにびっくりし、わたしのあとからついて来ていつまでもながめているのを心配をしてくれることに感謝する。
ついてくるのはこどもたちばかりでなく、枚にすがる白髪の老人さえもいる。
背負っていたかごから瓜を取り出してわたしにくれる、ここはまことに風景の良いところであるから、ずっとここに滞在するようにとすすめるのである。
わたしはこれに答えていう「わらしは病気保養のためにここに住むことにしましたが、これでもうかなり自由気ままにくらすことが出来て保養になっています。」と。
#2
幸有用餘俸,置居在西疇。
囷倉米穀滿,未有旦夕憂。
上去無得得,下來亦悠悠。
但恐煩里閭,時有緩急投。
願為同社人,雞豚燕春秋。
そして「さいわいに捨扶持の余るだけの頂戴いたしているから、別業を西のはた地に家をさだめました。」
「米ぐらには米穀が一杯で、さしあたってくらしの心配はありません。」
「長安の役所に出勤したからと言って、格別得意というわけでもない、仕事を暇をとってここの田舎に来て見るとのんきでいいし、心はのどかなものです。」
「しかし、ただ村のご近所に煩わせて御迷惑だと思いますが、折り折り急用でお世話になりに行くことでしょう。」
「願わくばどうか同じ氏子となって、春や秋の彼岸には鶏や子豚で、小宴会を催したいから、みんなで一緒にやって来てほしいものです。」と答えたのだ。
南溪始泛,三首の二
南溪 亦た 清駛,而も 楫と舟と無し。
山農 之れを驚き見て,我に隨って觀て休まず。
惟だ 兒童の輩のみならず,或いは 杖く白頭有り。
我 籠中の瓜を饋【おく】り,我 此こに淹留せんと勸む。
我れ云く 病を以って歸り,此こに已に 頗ぶる自由なり。
#2
幸に 餘俸を用いる有り,居を置て西疇に在る。
囷倉には 米穀 滿ちて,未だ旦夕 憂うを有らず。
上り去って 得得たること無く,下り來って 亦た 悠悠たり。
但だ 恐らくは 里閭を煩わし,時に緩急もて投ずる有らん。
南溪始泛,三首之一
榜舟南山下,上上不得返。
幽事隨去多,孰能量近遠。
陰沈過連樹,藏昂抵橫阪。
石粗肆磨礪,波惡厭牽挽。
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の一)
南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ、棹さして流れを遡り、上り上ぼって行って引き返すことができなくなった。
行けばいくほど面白く風流な趣が加わる時は、路が遠かろうが、近かろうが、頭から考えることなど全くない。
そのあいだは陰沈としてうすぐらい林のつづく中を過ぎることもあり、道は幾たびか高く低くつらなる斜面にぶつかった。
渓中の岩がごつごつとして、それらは存分にとぎすまされ、さか立つ流れをどこまでも舟を引いて上ぼる厭になるほど骨が折れることだ。
#2
或倚偏岸漁,竟就平洲飯。
點點暮雨飄,梢梢新月偃。
餘年懍無幾,休日愴已晚。
自是病使然,非由取高蹇。
あるいは、かたよって崖っぷちの岸のすぐ下で網を投じて魚をとったりし、あるいは、平坦な中洲の上で食事をとったりした。
すると、ぽつぽつと夕ぐれどきの時雨が催したが、しばらくしてすぐ止んだので、ほっそりとした新月がやまかげから横ざまに低く表れた。
おもえば、わたしの病気は治りそうもなく、あと生きられる年は幾ばくもないことに、心つつましく思うところだが、病気理由の休暇も、もう終わろうとしているから、何となく心配で仕方がないのだ。
この遊覧だって病気になったから、みんなが気を使ってくれたからこそできたので、こんな風流な遊覧だからといって、偉ぶって俗世を離れた風流隠遁者という高踏的な気持ちになろうとしたためではないのである。
(南渓に始めて泛ぶ三首、其の一)
舟を榜【さ】す 南山の下、上り上って返ることを得ず。
幽事 去るに随って多く、孰か能く近遠を量らん。
陰沈として連樹を過ぎ、蔵昂として横坂に抵る。
石は粗にして磨礪を肆にし、波は悪くしして牽挽に厭く。
或るいは偏岸に倚りて漁し、竟に平洲に就いて飯す。
点点として暮雨 飄り、梢梢として新月 偃す。
余年 幾ばくも無きを懍れ、休日 己に晩きことを愴う。
自ら是れ 病い 然らしむ、高蹇を取るに由るには非ず。
南溪始泛,三首之二
南溪亦清駛,而無楫與舟。
山農驚見之,隨我觀不休。
不惟兒童輩,或有杖白頭。
饋我籠中瓜,勸我此淹留。
我云以病歸,此已頗自由。
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の二)
上流の南渓の水はきれいで澄んでいて、流れがとても速い、これを行くのにろも舟ではどうしようもなく、徒歩で行く。
山里の農夫たちはここを徒歩で登るわたしに出あったのにびっくりし、わたしのあとからついて来ていつまでもながめているのを心配をしてくれることに感謝する。
ついてくるのはこどもたちばかりでなく、枚にすがる白髪の老人さえもいる。
背負っていたかごから瓜を取り出してわたしにくれる、ここはまことに風景の良いところであるから、ずっとここに滞在するようにとすすめるのである。
わたしはこれに答えていう「わらしは病気保養のためにここに住むことにしましたが、これでもうかなり自由気ままにくらすことが出来て保養になっています。」と。
#2
幸有用餘俸,置居在西疇。
囷倉米穀滿,未有旦夕憂。
上去無得得,下來亦悠悠。
但恐煩里閭,時有緩急投。
願為同社人,雞豚燕春秋。
そして「さいわいに捨扶持の余るだけの頂戴いたしているから、別業を西のはた地に家をさだめました。」
「米ぐらには米穀が一杯で、さしあたってくらしの心配はありません。」
「長安の役所に出勤したからと言って、格別得意というわけでもない、仕事を暇をとってここの田舎に来て見るとのんきでいいし、心はのどかなものです。」
「しかし、ただ村のご近所に煩わせて御迷惑だと思いますが、折り折り急用でお世話になりに行くことでしょう。」
「願わくばどうか同じ氏子となって、春や秋の彼岸には鶏や子豚で、小宴会を催したいから、みんなで一緒にやって来てほしいものです。」と答えたのだ。
南溪始泛,三首の二
南溪 亦た 清駛,而も 楫と舟と無し。
山農 之れを驚き見て,我に隨って觀て休まず。
惟だ 兒童の輩のみならず,或いは 杖く白頭有り。
我 籠中の瓜を饋【おく】り,我 此こに淹留せんと勸む。
我れ云く 病を以って歸り,此こに已に 頗ぶる自由なり。
#2
幸に 餘俸を用いる有り,居を置て西疇に在る。
囷倉には 米穀 滿ちて,未だ旦夕 憂うを有らず。
上り去って 得得たること無く,下り來って 亦た 悠悠たり。
但だ 恐らくは 里閭を煩わし,時に緩急もて投ずる有らん。
南溪始泛,三首之三
足弱不能步,自宜收朝蹟。
羸形可輿致,佳觀安事擲。
即此南阪下,久聞有水石。
拖舟入其間,溪流正清激。
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の三)
身体の衰えは、足腰のおとろえであり、歩くことはなかなかだ、朝礼にさんれつなどとてもできるものではなく、朝の散歩などでも難しい。
痩せた身体であると軽く運べるが、自分は肥満なので、輿で運ぶけれど迷惑をかける次第だ。しかし、ここのすばらしい眺めをどうして捨て置くわけにいかないのだ。
此の南坂のふもとには、以前から美しい流れと珍しい石があり、きれいな山水の景色があると聞いていたところだ。
舟をひかせて、その谷の間にはいると、渓流はまことに綺麗で、それこそ清らかに澄み切っている。
#2
隨波吾未能,峻瀨乍可刺。
鷺起若導吾,前飛數十尺。
亭亭柳帶沙,團團松冠壁。
歸時還盡夜,誰謂非事役。
波のまにまに舟をまかせようとする気にわたしはなれない、急なはや瀬に舟を掉さす方が望ましいのだ。
すると、鷺がおどろいて飛び立ち、わたしの道案内をするように、数十尺前方へ飛んで行った。
たかだかとそびえ立つ柳の大木のそばには白い砂地がのこり、ころころと丸くかたまっている松が絶壁の上にかぶさっている。
帰った時にはやはり夜が明けるころとなった、お上のつとめほど苦労ではないともいえぬ一仕事だったことではある。
(南溪始泛,三首の三)
足 弱くして步する能わず,自ら宜しく朝蹟を收むべし。
羸形 輿し致す可し,佳觀 安ぞ 擲【なげう】つべけんや。
即ち 此の南阪の下,久しく水石有るを聞く。
舟を拖いて 其の間に入れば,溪流 正に清激。
#2
波に隨うこと吾 未だ能わず,峻瀨 乍ち刺す可し。
鷺は起って 吾を導くが若し,前に飛ぶこと數十尺。
亭亭として 柳 沙を帶び,團團として松 壁に冠す。
歸える時 還た夜を盡し,誰か事役に非らずと謂えり。

『南溪始泛,三首之三』 現代語訳と訳註
(本文) #2
隨波吾未能,峻瀨乍可刺。
鷺起若導吾,前飛數十尺。
亭亭柳帶沙,團團松冠壁。
歸時還盡夜,誰謂非事役。
(下し文) #2
波に隨うこと吾 未だ能わず,峻瀨 乍ち刺す可し。
鷺は起って 吾を導くが若し,前に飛ぶこと數十尺。
亭亭として 柳 沙を帶び,團團として松 壁に冠す。
歸える時 還た夜を盡し,誰か事役に非らずと謂えり。
(現代語訳)
波のまにまに舟をまかせようとする気にわたしはなれない、急なはや瀬に舟を掉さす方が望ましいのだ。
すると、鷺がおどろいて飛び立ち、わたしの道案内をするように、数十尺前方へ飛んで行った。
たかだかとそびえ立つ柳の大木のそばには白い砂地がのこり、ころころと丸くかたまっている松が絶壁の上にかぶさっている。
帰った時にはやはり夜が明けるころとなった、お上のつとめほど苦労ではないともいえぬ一仕事だったことではある。
(訳注) #2
南溪始泛,三首之三
(南渓は終南山のふもとにあって、そこに始めて舟を浮かべて遊んだ時、この詩を作った三首の三)
○南溪始泛 南渓は、長安の南、終南山にある渓谷。韓愈は、五十七歳になった長慶四年(八二四年)夏、病気で休暇を願い、長安の南の郊外にある別荘で養生することにしたが、休暇期間がおわり、長安の邸宅に帰って、その年十二月二日薨った。この詩は、南郊に養生中、作られたもので、韓愈の絶筆であるといわれる。
隨波吾未能,峻瀨乍可刺。
波のまにまに舟をまかせようとする気にわたしはなれない、急なはや瀬に舟を掉さす方が望ましいのだ。
○乍可 それよりはこうしたい。ここでは、波のまにまに行くのはつまらない、それよりは激しい早瀬に棹さしたいものだという意。
○刺 舟をさおさす。
鷺起若導吾,前飛數十尺。
すると、鷺がおどろいて飛び立ち、わたしの道案内をするように、数十尺前方へ飛んで行った。
亭亭柳帶沙,團團松冠壁。
たかだかとそびえ立つ柳の大木のそばには白い砂地がのこり、ころころと丸くかたまっている松が絶壁の上にかぶさっている。
○亭亭 木が大きく茂っている形容。
○柳帯砂 柳が砂を横にくっつけている。柳の横に砂地がある。
○松冠壁 松が絶壁のいただきにはえている。
歸時還盡夜,誰謂非事役。
帰った時にはやはり夜が明けるころとなった、お上のつとめほど苦労ではないともいえぬ一仕事だったことではある。
○尽夜 夜の明けるまで。
○事役 朝廷の御用でつとめる仕事。「誰謂非事後」とは、これもお上の御用同様の一仕事だということ。
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- テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
- ジャンル:学問・文化・芸術
- カテゴリ:韓昌黎集 全十一巻
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