547 韓昌黎集 巻五 《落葉送陳羽》韓愈(韓退之)ID index-1 788年貞元4年 21歳 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5061
- 2014/11/03
- 00:21
我々にとっても、落葉や転蓬に比すべく、飄颻として、遂には異なるべきものがあるのであるが、偶然都において邂逅し、二人とも進士に及第し、暫時互に相よって助け合っていたのに、またここに別れることになった。悄然として、夜が更け行くまで語り続けると窓前には、悠々として寒月が照り輝いている。
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430 《落葉送陳羽》韓愈(韓退之)ID index-1 788年貞元4年 21歳
科挙は、毎年、春に施行される。韓愈が上京したのは貞元二年(天六)であったが、初めて受験したのは、翌貞元三年の春であった。そして彼は、みごとに落第させられた。
しかし、一回落第するくらいは、いわば常識である。科挙にストレートに合格するのは、よほどの秀才か、あるいは強いコネのある人と思って間違いない。韓愈にしても、一度の落第は覚悟のことだったであろう。しかしその場合、やはり問題となるのは収入をどうして得るかということであった。
韓愈の家は、江南でつましい生活を送っている限りにおいては、生計に窮することもなかったであろう。韓愈自身はしきりに自分の家は貧乏だったと言いたててはいるが、それは比較の問題で、彼の一家が飢え死にしそうな事態に追いこまれた形跡もない。しかし江南にいたのでは、将来の展望は何ひとつなく、じり貧の道をたどるはかりであったから、自己の未来に希望をもつ若い恵は、上京して科挙に応じた。しかしそれに落第してみると、長安の物価高のなかでの生活という、きびしい現実が待ち招けていた。
韓愈は困窮のあげく、「故人の椎弟を以て、北平王を馬前に拝し」た。(「殿中少監馬君墓誌」)「北平王」とは当時名将の評判が高かった馬燧という人で、それを「馬前に拝した」とは、馬燧が外出のおり、その行列をさえぎって直訴したことを意味する。言うまでもなく非常手段で、たぶん韓愈は馬の座敷を訪ねたことがあるのだが、紹介状を持っていなかったためもあって、門前払いを食ってしまったのであろう。
だが、「故人の推弟」とは何のことか、詳しくはわからない。韓愈と馬燧とのあいだにつきあいがあった形跡もないのである。だいたい、馬燧は武勲のゆえに宰相の地位にまで至った人であって、板は将軍であり、伝統的に文官優位の観念が固定している中国では、文官だった韓愈が馬燧とつきあいをもつ必要性もない。そこで今までの説では、ここの「故人」とは恵の従兄にあたる韓弇のことであろうとするのが有力である。従兄を兄と呼ぶことは、当時の家族制度のもとではさしつかえがない。
貞元二年、馬燧は吐蕃族が西北の辺境へ侵入して来たのに対して出陣し、欺かれて黄和してしまった。翌年、唐から吐蕃へ和親の使節団が送られたが、思いがけずこれが吐蕃の襲撃を受け、全滅に近い損害を出してしまった。韓弇も使節団の一員で、このときに戦死した。だから韓愈が馬燧に直訴したのをこの事件のあととすれば、「韓弇の稚弟」と言いたてる韓愈を、馬燧が放置しておけなかったのも当然のことといえるのである。
とにかく馬燧は、直訴した韓愈を罰せずに、安邑里の私邸で会ってくれた。そして「其の寒飢を軫て」、着物と食事とを恵んでくれ、二人の息子を呼び出して韓愈の世話をしてやるようにと命じた。武将の家に生まれた息子たちの学友にでもするつもりだったのであろう。
これで韓愈は、どうやら飢えをしのぐ道だけは見つけることができた。ただし、武将の馬燧では、科挙についての発言が重視されるはずもなく、その方面での助力はさして期待できなかった。なお、馬燵が韓愈にひきあわせた二人の息子の次男の子が、韓愈が墓誌を書いた「殿中少監馬君」で、三十七歳で若死にしたのである。
さて、経済上の問題も解決したことだし、これで科挙に専念できるわけだが、韓愈はそれからも毎年受験して、全部落第した。科挙は「科」によって試験科目が違うと前に述べたが、進士の科の場合は、隆義・詩賦・策論の三科目から成る.詩賦は言うまでもなく詩と賦を作らせる試験であり、そのできばえが成績を決定するわけである。経義は儒家の経書の意味を解釈し、策論は政治・経済などについての論文を書かせるものであるが、経義の場合は経書の、策論は時の政策についての、批判を書くことは許されない。
したがって結論はだいたいきまったようなものであり、競争試験としてはその結論を導き出すまでの文章の力によって優劣が決定される。自然、採点は主観的なものとならざるを得ない。その採点は、むろん試験官によって方針が違うわけだが、おおむねは当世風の流行に左右される。韓愈のように「古人」を重んじ、その道に従っていたのでは、合格はまずおぼつかなかった。彼はまた別の文章で、自分が落第を続けたのは運動が足りなかったせいだとも述懐している。たしか堅剛にも述べたごとく、自分を売り込むために奔走するのが当時の受験者の通例なのに、「門を出でて之く所がない」韓愈には奔走のしょうがなかったし、また「古人」の道を守る彼の信条からいって、奔走する気にもなれなかったことであろぅ。しかし科挙に落第したとき、それを自分の実力のせいにはせず、運動の不足とか試験官の不明のゆえにしてしまうのが、落第書生の定石ともいえる弁解なのであり、この点に関しては恵の言い分をそのままに認めることはできない。
だがとにかく、落第も一回ならは時の運などと言って通るであろうが、それが続くとなると、周囲の目も温かいはかりではなくなってくる。ことに韓愈の場合は、世話をしてくれる馬燵への気がねも必要である。とうとう三回目に落第した翌年の貞元六年(790)、彼は都を離れて江南へと帰った。その目的は明らかにされていないが、長安での生活が意外に長くなりすぎたため、一度家に帰って親しい人々の顔を見、また都での生活費を補充する必要があったのであろう。ついでに書いておくと、韓愈はこの旅の途中で、滑州(河南省鄭州の付近)にいた賈耽という節度使にあてて手紙を送った(「賈滑州に上る書」)。これが時日を確定し得る限りで、恵の最も早い散文である。内容は貫耽の幕僚として採用を願い出たもので、このときの恵は落第が続いたためもあり、よほど経済的に困っていたらしい。だがこの手紙は、賈耽に黙殺されてしまった。
作年: 788年貞元4年 21歳
卷別: 卷三三七 文體: 五言律詩
詩題: 落葉送陳羽
交遊人物:陳羽 書信往來
落葉送陳羽
落葉不更息,斷蓬無復歸。
飄颻終自異,邂逅暫相依。
悄悄深夜語,悠悠寒月輝。
誰云少年別,流淚各沾衣。
(陳羽は韓愈と同年の進士で、その人が故郷に帰るについて、この詩を贈ったもの。)
落葉が始まればさらに続いてすべて落ちるまで、散りじりに散らばらになって、風に舞ってやむことはない。その頃、蓬は風によって根を切られ、その場に留まれないばかりか、また同じ場所に戻って来ることはない。
我々にとっても、落葉や転蓬に比すべく、飄颻として、遂には異なるべきものがあるのであるが、偶然都において邂逅し、二人とも進士に及第し、暫時互に相よって助け合っていたのに、またここに別れることになった。
悄然として、夜が更け行くまで語り続けると窓前には、悠々として寒月が照り輝いている。
昔の人は、青年期の別れであるから、きっとまた会うことがあるから、格別苦になるものではないといわれるのであるが、実際に今ここで別れるとなると、そういうものではなく、互いに涙を流して、衣裳がぬれるほどになった。
(落葉、陳羽を送る)
落葉 更に息まず,斷蓬 復た歸える無し。
飄颻として 終に自ら異なり,邂逅【かいごう】暫く相い依る。
悄悄として 深夜に語り,悠悠として 寒月輝く。
誰か云う 少年の別を,流淚 各の衣を沾す。
『落葉送陳羽』 現代語訳と訳註
(本文)
落葉送陳羽
落葉不更息,斷蓬無復歸。
飄颻終自異,邂逅暫相依。
悄悄深夜語,悠悠寒月輝。
誰云少年別,流淚各沾衣。
(下し文)
(落葉、陳羽を送る)
落葉 更に息まず,斷蓬 復た歸える無し。
飄颻として 終に自ら異なり,邂逅【かいごう】暫く相い依る。
悄悄として 深夜に語り,悠悠として 寒月輝く。
誰か云う 少年の別を,流淚 各の衣を沾す。
(現代語訳)
(陳羽は韓愈と同年の進士で、その人が故郷に帰るについて、この詩を贈ったもの。)
落葉が始まればさらに続いてすべて落ちるまで、散りじりに散らばらになって、風に舞ってやむことはない。その頃、蓬は風によって根を切られ、その場に留まれないばかりか、また同じ場所に戻って来ることはない。
我々にとっても、落葉や転蓬に比すべく、飄颻として、遂には異なるべきものがあるのであるが、偶然都において邂逅し、二人とも進士に及第し、暫時互に相よって助け合っていたのに、またここに別れることになった。
悄然として、夜が更け行くまで語り続けると窓前には、悠々として寒月が照り輝いている。
昔の人は、青年期の別れであるから、きっとまた会うことがあるから、格別苦になるものではないといわれるのであるが、実際に今ここで別れるとなると、そういうものではなく、互いに涙を流して、衣裳がぬれるほどになった。
(訳注)
落葉送陳羽
(陳羽は韓愈と同年の進士で、その人が故郷に帰るについて、この詩を贈ったもの。)
落葉不更息,斷蓬無復歸。
落葉が始まればさらに続いてすべて落ちるまで、散りじりに散らばらになって、風に舞ってやむことはない。その頃、蓬は風によって根を切られ、その場に留まれないばかりか、また同じ場所に戻って来ることはない。
斷蓬 願ちぎれて飛んでゆくヨモギ、轉蓬のこと。
飄颻終自異,邂逅暫相依。
我々にとっても、落葉や転蓬に比すべく、飄颻として、遂には異なるべきものがあるのであるが、偶然都において邂逅し、二人とも進士に及第し、暫時互に相よって助け合っていたのに、またここに別れることになった。
邂逅 めぐりあう。
悄悄深夜語,悠悠寒月輝。
悄然として、夜が更け行くまで語り続けると窓前には、悠々として寒月が照り輝いている。
誰云少年別,流淚各沾衣。
昔の人は、青年期の別れであるから、きっとまた会うことがあるから、格別苦になるものではないといわれるのであるが、実際に今ここで別れるとなると、そういうものではなく、互いに涙を流して、衣裳がぬれるほどになった。
少年:若者。年若い者。唐詩で「少年」といえば、王維 少年行
新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。
相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。
李白 17少年行
少年行
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
杜甫 少年行
馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。
王昌齢『少年行』
走馬遠相尋,西樓下夕陰。結交期一劍,留意贈千金。高閣歌聲遠,重門柳色深。夜闌須盡飲,莫負百年心。
いなせな若者や壮士を詠う。
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