575 唐宋八大家文読本 巻三 《上兵部李侍郎書 -§1》韓愈(韓退之) kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5201
- 2014/12/01
- 00:17
十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのである。
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貞元十一年(795年)一月、愈は時の宰相に手紙を送って、仕官を求めた。その「宰相に上る書」は今に残っているが、要するに自分ほどの才能のある人物を放置するのは国家的損失なので、科挙によらずして採用の道を開き、宰相が人材を求めている実を示していただきたいというにある。
愈はとうとう吏部の試の合格をあきらめて、別のルートで採用してもらおうとしたらしい。しかし宰相とは一面識もないのであるから、これは虫のよすぎる注文であるが、やるだけのことはやるという韓愈の律義さであるが、儒者の上申書は受け取る側が儒者でないと理解はされない。はたして宰相からは返事が来ない。当然のこととして、黙殺されてしまったのである。19日後(二月)、29日後(三月)10日度に宰相に手紙を送ったが、返事は一度もなかった。
五月、愈はついに都を離れ、郷里の河陽へと帰る。彼を養育してくれた兄嫁の鄭氏は、前年(一説にはこの年) に死んで、郷里に葬られていた。その墓参が重要な目的であったことはいうまでもないが、長安での生活費の少なくとも一部を持ち帰ることも、目的の一つにはいっていたことであろう。
翌貞元十二年(796年)六月、汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府に紛争が発生した。ここの節度使は李万栄という人であったが、重病にかかったので、息子の李酒に職務を代行させた。節度使は朝廷から任命された官職であり、それが病気になった場合は朝廷であらためて選考1任命するのが筋なのだが、当時では世襲の職のようになっており、節度使の職を息子が継ぐのはしごく当然のことと誰もが考えていた。朝廷もそれを黙認して、息子に辞令を出すことで形式上の任命制を守ろうという態度だったから、李万栄が自分の息子に職務を代行させたのは、べつに常識はずれの行為ではなかったし、まして宣武軍のなかにあっては、文句をつける人もない措置であった。
ところが、息子の李連は酷薄な性格の人で、気に入らぬ部下は即座に殺してしまうしまつだったから、幕府のうちには動揺が起こった。そしてついに、李万栄の側近だった郡惟恭という人がクーデターを決行し、蓮を捕縛して、都へ護送した。
兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。
上兵部李侍郎書 §1
(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)
十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:
十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。
愈少鄙鈍,於時事都不通曉,
私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、
家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。
家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。
薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。
しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。
(兵部李侍郎に上る書)
十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。
愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,
家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。
薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。
§2
性本好文學,因困厄悲愁,
無所告語,遂得究窮於經傳、
史記、百家之說,沈潛乎訓義,反複乎句讀,
礱磨乎事業,而奮發乎文章。
-2
凡自唐虞以來,編簡所存,
大之為河海,高之為山嶽,
明之為日月,幽之為鬼神,
纖之為珠璣華實,變之為雷霆風雨,
奇辭奧旨,靡不通達。
惟是鄙鈍不通曉於時事,學成而道益窮,
年老而智益困,私自憐悼,
悔其初心,發禿齒落,不見知己。
§3
夫牛角之歌,辭鄙而義拙;
堂下之言,不書於傳記。
齊桓舉以相國,叔向攜手以上,
然則非言之難為,聽而識之者難遇也!
§4-1
伏以閣下內仁而外義,行高而德巨,
尚賢而與能,哀窮而悼屈,
自江而西,既化而行矣。
今者入守內職,為朝廷大臣,
-2
當天子新即位,汲汲於理化之日,
出言舉事,宜必施設。
既有聽之之明,又有振之之力,
寧戚之歌,鬷明之言,
不發於左右,則後而失其時矣。
§5
謹獻舊文一卷,扶樹教道,有所明白;
南行詩一卷,舒憂娛悲,
雜以瑰怪之言,時俗之好,
所以諷於口而聽於耳也。
如賜覽觀,亦有可采,
幹黷嚴尊,伏增惶恐。
愈再拜。
『上兵部李侍郎書』 現代語訳と訳註解説
(本文)
上兵部李侍郎書§1
十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:
愈少鄙鈍,於時事都不通曉,
家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。
薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。
(下し文) §1
(兵部李侍郎に上る書)
十二月九日,將仕 郎守 江陵府 法曹參軍の韓愈,謹んで書を侍郎閤下に上【たてまつ】る。
愈 少より鄙鈍【ひどん】,時事に於いて都【すべ】て通曉せず,
家 貧にして以って自活するに足らず,舉に應じて官を覓むること,凡そ二十年なり。
薄命不幸,動もすれば讒謗【ざんぼう】に遭い,寸を進めば尺を退き,卒【つい】に成す所無し。
(現代語訳)
(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)
十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。
私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、
家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。
しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。
(訳注)
兵部李侍郎書§1
(兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。)
○兵部侍郎 国防を担当し、長官を兵部尚書、次官を兵部侍郎という。 兵部は隋唐の時に設置され、武官の人事・兵器・軍政などを担当した。
十二月九日,將仕郎守江陵府法曹參軍韓愈,謹上書侍郎閤下:
十二月九日、将仕郎守江陵府法曹参軍韓愈、謹んで書を侍郎閣下にたてまつる。
○江陵府 湖北省の省都。
○法曹参軍 司法を掌る属官。
愈少鄙鈍,於時事都不通曉,
私は幼少から見識は低く智能は鈍く、時世の事について全く通じ知らないのであるが、
○鄙鈍 見識が低くのろまである。
○都 すべて。
家貧不足以自活,應舉覓官,凡二十年矣。
家が貧しく自力で活きるに不充分であるので、科挙に応じて官をも とめること二十年である。
○覓官 役職を求める。
薄命不幸,動遭讒謗,進寸退尺,卒無所成。
しかし運命が薄くふしあわせで、どうかするとありもしない悪口にあい、一寸進めば一尺退く というように、ついに成功する所かないのである。
○薄命 運命が薄い、運がわるい。
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