580 唐宋八大家文読本 巻三 (§1) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之) 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5226
- 2014/12/06
- 00:41
韓愈《與少室李拾遺書》(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)十二月某日、愈頓首して申す。貞元十一年(795年)一月、愈は時の宰相に手紙を送って、仕官を求めた。その「宰相に上る書」は今に残っているが、要するに自分ほどの才能のある人物を放置するのは国家的損失なので、科挙によらずして採用の道を開き、宰相が人材を求めている実を示していただきたいというにある。
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韓愈詩-22ー(1)
貞元十一年(795年)一月、愈は時の宰相に手紙を送って、仕官を求めた。その「宰相に上る書」は今に残っているが、要するに自分ほどの才能のある人物を放置するのは国家的損失なので、科挙によらずして採用の道を開き、宰相が人材を求めている実を示していただきたいというにある。
愈はとうとう吏部の試の合格をあきらめて、別のルートで採用してもらおうとしたらしい。しかし宰相とは一面識もないのであるから、これは虫のよすぎる注文であるが、やるだけのことはやるという韓愈の律義さであるが、儒者の上申書は受け取る側が儒者でないと理解はされない。はたして宰相からは返事が来ない。当然のこととして、黙殺されてしまったのである。19日後(二月)、29日後(三月)10日度に宰相に手紙を送ったが、返事は一度もなかった。
五月、愈はついに都を離れ、郷里の河陽へと帰る。彼を養育してくれた兄嫁の鄭氏は、前年(一説にはこの年) に死んで、郷里に葬られていた。その墓参が重要な目的であったことはいうまでもないが、長安での生活費の少なくとも一部を持ち帰ることも、目的の一つにはいっていたことであろう。
翌貞元十二年(796年)六月、汁州(河南省開封市)に本拠を置く宣武軍節度使の幕府に紛争が発生した。ここの節度使は李万栄という人であったが、重病にかかったので、息子の李酒に職務を代行させた。節度使は朝廷から任命された官職であり、それが病気になった場合は朝廷であらためて選考1任命するのが筋なのだが、当時では世襲の職のようになっており、節度使の職を息子が継ぐのはしごく当然のことと誰もが考えていた。朝廷もそれを黙認して、息子に辞令を出すことで形式上の任命制を守ろうという態度だったから、李万栄が自分の息子に職務を代行させたのは、べつに常識はずれの行為ではなかったし、まして宣武軍のなかにあっては、文句をつける人もない措置であった。
ところが、息子の李連は酷薄な性格の人で、気に入らぬ部下は即座に殺してしまうしまつだったから、幕府のうちには動揺が起こった。そしてついに、李万栄の側近だった郡惟恭という人がクーデターを決行し、蓮を捕縛して、都へ護送した。
兵部侍郎李巽のような人物を見る眼識のある人に遇って、知己を求めなければ、機会を失うといって、採用を願うのである。
與少室李拾遺書
(1)§1
與少室李拾遺書
十二月某日,愈頓首:
伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,
朝廷之士,引頸東望,
若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。
(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)
十二月某日、愈頓首して申す。
伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。
朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。
目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。
十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:
伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に喻す,と。
朝廷の士,頸を引いて東望す,
景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。
(2)§2-1
方今天子仁聖,小大之事,皆出宰相,樂善言如,不得聞。自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。勤儉之聲,寬大之政,幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?
(3)§2-2
加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;幹紀之奸,不戰而拘累;強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。其有一事未就正,自視若不成人。四海之所環,無一夫甲而兵者。若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。
(4)§3
昔者孔子知不可為而為之不已,足跡接於諸侯之國。今可為之時,自藏深山,牢關而固距,即與仁義者異守矣。想拾遺公冠帶就車,惠然肯來,抒所蓄積,以補綴盛德之有闕遺,利加於時,名垂於將來,踴躍悚企,傾刻以冀。
(5)§4
又竊聞朝廷之議,必起拾遺公。使者往,若不許,即河南必繼以行;拾遺征君若不至,必加高秩,如是則辭少就多,傷於廉而害於義,拾遺公必不為也。善人斯進其類,皆有望於拾遺公,拾遺公儻不為起,是使眾善人不與斯人施也。
(6)§5
由拾遺公而使天子不盡得良臣,君子不盡得顯位,人庶不盡被惠利,其害不為細。必望審察而遠思之,務使合於孔子之道。幸甚!愈再拜。
『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説
(本文) (1)§1
與少室李拾遺書
十二月某日,愈頓首:
伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,
朝廷之士,引頸東望,
若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。
(下し文) (1)§1
(少室の李拾遺に與うる書)
十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:
伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に喻す,と。
朝廷の士,頸を引いて東望す,
景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。
(現代語訳)
(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)
十二月某日、愈頓首して申す。
伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。
朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。
目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。
(訳注) (1)§1
與少室李拾遺書
(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)
○李渤 (773~831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。
○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。
十二月某日,愈頓首:
十二月某日、愈頓首して申す。
伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,
伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。
朝廷之士,引頸東望,
朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。
○引順 首をひきのばして望む。『孟子』梁恵王篇に「天下の民 皆頚を引いて之を望む」とある。
若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。
目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。
○景星 めでたいことの前兆として出るといわれる星。瑞星(ずいせい)。『史記』天官書「景星は徳星なり。其の状常無し、有道の国に出づ」と。
○鳳皇 瑞鳥。鳳凰、伝説上の鳥で聖人の世‘に出る。
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