581 唐宋八大家文読本 巻三 (§2) 《與少室李拾遺書》韓愈(韓退之) 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5231
- 2014/12/07
- 00:46
ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。
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與少室李拾遺書
(1)§1
與少室李拾遺書
(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)
十二月某日,愈頓首:
十二月某日、愈頓首して申す。
伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,
伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。
朝廷之士,引頸東望,
朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。
若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。
目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。
十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:
伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に喻す,と。
朝廷の士,頸を引いて東望す,
景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。
(2)§2-1
方今天子仁聖,小大之事,
ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、
皆出宰相,樂善言如,不得聞。
皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、
自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。
それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。
勤儉之聲,寬大之政,
そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、
幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。
奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。
愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?
私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。
方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,
善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。
大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。
勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。
愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?
(3)§2-2
加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;幹紀之奸,不戰而拘累;強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。其有一事未就正,自視若不成人。四海之所環,無一夫甲而兵者。若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。
『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説
(本文) (2)§2-1
方今天子仁聖,小大之事,
皆出宰相,樂善言如,不得聞。
自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。
勤儉之聲,寬大之政,幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。
愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?
(下し文) (2)§2-1
方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,
善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。
大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。
勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。
愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?
(現代語訳)
ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、
皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、
それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。
そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、
奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。
私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、夜は太平の運ではないのか。
(訳注) (2)§2-1
與少室李拾遺書
(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)
○李渤 (773~831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。
○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。
方今天子仁聖,小大之事,
ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、
仁聖 仁愛ふかくと仁徳がたかいこと。
皆出宰相,樂善言如,不得聞。
皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、
自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。
それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。
大位 位の高い人。
勤儉之聲,寬大之政,
そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、
幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。
奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。
幽閨 奥深い座敷・閨に幽閉されている。寵愛を失って閨に幽閉状態にある妾。
草野 民間人。
小人 取るに足らない、つまらない人。
愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?
私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。
不通於古 古代の事が十分に分からない。三皇五帝の仁徳の政治の実際について詳しく知らない(謙遜語)。
與少室李拾遺書
(1)§1
與少室李拾遺書
(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)
十二月某日,愈頓首:
十二月某日、愈頓首して申す。
伏承天恩,詔河南敦喻拾遺公,
伏して承るに、天子のお恵み深く、河南府に詔を下されて、手厚く李拾遺公におさとしがあったということである。
朝廷之士,引頸東望,
朝廷の人々は、頚を伸ばして東を望んだのだ。
若景星鳳凰之始見也,爭先睹之為快。
目出度い星や聖天子の世に出るという時に鳳皇がはじめて現れるたかのように、先を争って見るのを喜びとしている。
十二月某日,愈 頓首【とんしゅ】す:
伏して承る 天恩,河南に詔りして 敦く拾遺公に喻す,と。
朝廷の士,頸を引いて東望す,
景星 鳳凰の始めて見るが若きなり,先を爭いて 之を睹るを快と為す。
(2)§2-1
方今天子仁聖,小大之事,
ただ今、天子は仁愛であり極めて聡明にあらせられ、小大すべての事は、
皆出宰相,樂善言如,不得聞。
皆宰相の考えに出て、善い言葉を楽しま れること、これを久しく聞かれなかったかのように熱心に耳を傾けられ、
自即大位已來,於今四年,凡所施者,無不得宜。
それ故ご即位以来今まで四年、およそ施し行われたところの事は、宜しきを得ないものはなかった。
勤儉之聲,寬大之政,
そして政に勤め倹約であるという評判と寛大に人ゆるす政治は、
幽閨婦女、草野小人,飽聞而厭道之。
奥深い座敷、閨の婦女も、草深い民間の被治者たちも、皆飽きるまで聞き、飽きるまでこれをいうのである。
愈不通於古,請問先生,世非太平之運歟?
私、韓愈は古代の事が十分に分からないので、どうか先生にお伺いしたいことは、世は太平の運ではないのか。
方に今、天子 仁聖なり,小大の事,皆 宰相に出づ,
善言を樂しむこと,聞くを得ざるが如し。
大位に即くより已來【いらい】,今に於いて四年,凡そ施す所の者,宜しく得ざる無し。
勤儉の聲,寬大の政,幽閨の婦女、草野の小人も,飽くまで聞いて 厭くまで之を道う。
愈 古に通ぜず,先生に請い問う,世 太平の運にら非ざるか?
(3)§2-2
加又有非人力而至者,
又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。
年穀熟衍,符貺委至;
年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、
幹紀之奸,不戰而拘累;
法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。
強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。
強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、
其有一事未就正,自視若不成人。
その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。
四海之所環,無一夫甲而兵者。
四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。
若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。
このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。
加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。
紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。
強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。
其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。
四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。
此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。
『與少室李拾遺書』 現代語訳と訳註解説
(本文) (3)§2-2
加又有非人力而至者,年穀熟衍,符貺委至;
幹紀之奸,不戰而拘累;
強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。
其有一事未就正,自視若不成人。
四海之所環,無一夫甲而兵者。
若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。
(下し文)
加うるに又た人力非らずして至る有者り,年穀【ねんこく】熟衍【じゅくえん】,符貺【ふきゅう】委至【いち】す。
紀を幹【おか】すの奸も,戰わずして拘累せらる。
強梁の凶も,銷鑠【しょうしゃく】縮栗も,風を迎えて委伏する。
其の一事未だ正に就かざる有れば,自ら視ること不成人の若し。
四海の環る所,一夫も甲して兵する者無し。
此くの若き時や,拾遺公 疾く起ちて與天下の士君子と成るを樂しんで之を享けずんば,斯れ時無からんや。
(現代語訳)
又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。
年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、
法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。
強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、
その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。
四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。
このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。
(訳注) (3)§2-2
與少室李拾遺書
(嵩山(河南省)の少室山の李渤拾遺に与える書状。)
○李渤 (773~831) 渤、字は濬之(しゅんし)、少室山に隠れて出ず。元和の初めに、右拾遺の官を以て徴されたが、辞して行かなかった。退之はこれに書を送って仕官を勧めたので、出て仕えた。両山に石室があるので大室山、少室山と名付けた。唐の穆宗(李恒)が即位すると、考功員外郎として召された。元和十五年(820)、宰相や大臣が凡庸で政治を誤らせていると上書したため、権臣たちに憎まれた。このため虔州刺史として出向させられた。長慶元年(821)、江州刺史に転じた。かれは「白鹿洞」で読書し、後世に拡張されて白鹿洞書院が建てられると、中国四大書院の筆頭に列せられた。
○拾遺 左右拾遺の官は、天子の遺漏したことを拾い諌める役。
加又有非人力而至者,
又それに加えて、人の力でなくて、やって来るものがある。
年穀熟衍,符貺委至;
年の田の稔りが熟しあまりがあり、瑞祥のたまものが重なり至り、
○熟衍 熟して溢れる。
○符貺 符は目出たいしるし、睨は賜物。天与の瑞兆。
○委至 委は禾ぶ)が積み重なること。重なり
幹紀之奸,不戰而拘累;
法を犯した謀反人、悪人が、戦わずして捕縛された。
○幹紀之奸,不戰而拘累 紀綱(法令)をおかす悪人か戦わずして捕縛される。806年元和元年、西川節度使劉闢や李錡が捕らえられたこと
強梁之凶,銷鑠縮栗,迎風而委伏。
強くて暴れる謀反人、悪人が、消滅し縮み恐れ、草が風を迎えるように随い伏す、というようなことがあり、
○強梁之凶,銷鑠縮栗 強く暴れる悪者が消滅し縮み恐れる。王承宗が徳州と桂(に)州の地を献じたこと。
○委伏 随い伏す。
其有一事未就正,自視若不成人。
その一つの事でも正しくならなければ、在位の君子は自身を視ること、不完全な人間のようである。
四海之所環,無一夫甲而兵者。
四海の内、天下は、一人の男も鎧を着て武器を執る者がいない。
○甲而兵 鎧を着て武器を持つ。
若此時也,拾遺公不疾起與天下之士君子樂成而享之,斯無時矣。
このような時に、拾遺公が速かに起ち上がって天下の士、君子と政道の完成を楽しんで、その幸せを身に受けなければ、その時がないであろう。
○斯無時矣 それこそ時機がないであろう。
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