(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四
巻1 04 李太白集 《0104 古風五十九首之四》 李白 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5321 |
李白の思想哲學を考察する上で、最も基礎的な文献として指摘・言及される作品は古風五十九首である。
修僻技法の側面とりわけ、隠喩やその延長線上にある諷喩においても、大きな成果をあげているものと考えられ、その表現手法そのものが、李白の発想上の特色なのである。
を明らかにする手掛りになるように思われるのである。
この李白を理解するためには、彼の代表的な連作である古風五十九首を一首づつ丁寧に読んでいく必要がある。この作品群に対する彼の作詩態度を探っていって、その後に、時系列に他の作品を読んでいくことが大切なのである。李白を理解する、早道であり、基本的な学習法である。一千首前後有り、長詩もあるので、毎日8句~10句程度で進める。できる事なら、それを数回繰り返して読み、螺旋階段を上るように理解が高められるということなのである。
古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。宋本は通計五十九篇であり、おおむねこの本をテキストとして進める。
年: 754年 天寶十三年 54歲
卷別: 卷一六一 文體: 五言古詩
詩題: 古風,五十九首之四
作地點: 秋浦(江南西道 宣州 秋浦)
及地點: 清溪 (江南西道 宣州 秋浦) 別名:青溪
大樓山 (江南西道 宣州 秋浦)
754年天寶十三年54歳 当塗から金陵、越中、広陵で魏万と遇す金陵、江南で遊ぶ秋浦で年越
4巻一
古風五十九首之四 #1
(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四
鳳飛九千仞,五章備綵珍。
鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さにあがって行き、衆鳥を見下ろしているという。そしてその翅は五色の燦然として輝くめずらしい彩色をそなえているというのである。
銜書且虛歸,空入周與秦。
鳳凰は聖人である、徳のある帝王が位にいる時だけ、出現するというのであり、嘗て書を口に銜えて飛び下ってきたという、その書には、殷帝の無道な行為について、やがて聖人がこの無道を直し人民を救済すると書いてあり、この書を人間に伝えるだけして、ただちに帰ったという。周や秦が天下を統一したけれど、その徳が格別なものでないならば、再びまいもどってもそこに留まることはないのである。
橫絕歷四海,所居未得鄰。
天空を横絶して地の果ての四海をめぐって、徳が今はなくても必ずその隣にあるというような格好で落ち着いて居る場所を見つけられずに終わるのである。
吾營紫河車,千載落風塵。
鳳凰の聖でもってしても、人間のしかるべき時にであうということがないというのであるから、私が今日、この世において苦しんでいることなど当然のことである。そこで私は、王液を練り、これを服用して、この世の塵や汚れを永遠に払い落として、理想とする仙郷に逍遥したいと志したのである。
藥物祕海嶽,採鉛青溪濱。
元来、仙界の薬物は遙か東海の蒼海の中に泛ぶ三山の間に秘めてあるものであるから、わたしは天下に浪遊し、まず、清渓の砂浜に赴いて、鉛を採取しようとおもうのである。
#2
時登大樓山,舉手望仙真。
羽駕滅去影,飆車絕迴輪。
尚恐丹液遲,志願不及申。
徒霜鏡中髮,羞彼鶴上人。
桃李何處開,此花非我春。
唯應清都境,長與韓眾親。
古風五十九首の四
#1
鳳は九千仞を飛び,五は綵珍を備うを章す。
書を銜んで且つ虛しく歸り,周と秦とに空しく入る。
橫絕し四海を歷て,居ろ所 未だ鄰を得ず。
吾 紫河の車を營み,千載 風塵を落す。
藥物 海嶽に祕し,鉛を採る青溪の濱に。
#2
時に大樓の山に登り,手を舉げて仙真を望む。
羽駕 去影を滅し,飆車 迴輪を絕つ。
尚お 丹液 遲くするを恐れ,志願 申ぶるに及ばず。
徒らに鏡中の髮を霜にして,彼の鶴上の人に羞ず。
桃李 何の處にか開き,此の花 我が春に非らず。
唯だ應に 清都の境なり,長く韓眾と親しむべし。
『古風五十九首之四』 現代語訳と訳註
(本文) 古風五十九首之四
#1
鳳飛九千仞,五章備綵珍。
銜書且虛歸,空入周與秦。
橫絕歷四海,所居未得鄰。
吾營紫河車,千載落風塵。
藥物祕海嶽,採鉛青溪濱。
(下し文)
古風五十九首の四
#1
鳳は九千仞を飛び,五は綵珍を備うを章す。
書を銜んで且つ虛しく歸り,周と秦とに空しく入る。
橫絕し四海を歷て,居ろ所 未だ鄰を得ず。
吾 紫河の車を營み,千載 風塵を落す。
藥物 海嶽に祕し,鉛を採る青溪の濱に。
(現代語訳)
(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四
鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さにあがって行き、衆鳥を見下ろしているという。そしてその翅は五色の燦然として輝くめずらしい彩色をそなえているというのである。
鳳凰は聖人である、徳のある帝王が位にいる時だけ、出現するというのであり、嘗て書を口に銜えて飛び下ってきたという、その書には、殷帝の無道な行為について、やがて聖人がこの無道を直し人民を救済すると書いてあり、この書を人間に伝えるだけして、ただちに帰ったという。周や秦が天下を統一したけれど、その徳が格別なものでないならば、再びまいもどってもそこに留まることはないのである。
天空を横絶して地の果ての四海をめぐって、徳が今はなくても必ずその隣にあるというような格好で落ち着いて居る場所を見つけられずに終わるのである。
鳳凰の聖でもってしても、人間のしかるべき時にであうということがないというのであるから、私が今日、この世において苦しんでいることなど当然のことである。そこで私は、王液を練り、これを服用して、この世の塵や汚れを永遠に払い落として、理想とする仙郷に逍遥したいと志したのである。
元来、仙界の薬物は遙か東海の蒼海の中に泛ぶ三山の間に秘めてあるものであるから、わたしは天下に浪遊し、まず、清渓の砂浜に赴いて、鉛を採取しようとおもうのである。

(訳注) 古風五十九首之四 #1
(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四
鳳飛 九千仞,五章 備綵珍。
鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さにあがって行き、衆鳥を見下ろしているという。そしてその翅は五色の燦然として輝くめずらしい彩色をそなえているというのである。
○鳳飛九千仞 “衆鳥を見下ろしている”という意味で『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるがこれに基づいている。千仞之山:円石を千仞の山に転ず。《「孫子」兵勢から》勢いが盛んで抑えようがないことのたとえ。
○五章 五色の燦然として輝く(めずらしい彩色)。
銜書 且虛歸,空入 周與秦。
鳳凰は聖人である、徳のある帝王が位にいる時だけ、出現するというのであり、嘗て書を口に銜えて飛び下ってきたという、その書には、殷帝の無道な行為について、やがて聖人がこの無道を直し人民を救済すると書いてあり、この書を人間に伝えるだけして、ただちに帰ったという。周や秦が天下を統一したけれど、その徳が格別なものでないならば、再びまいもどってもそこに留まることはないのである。
○銜書 「鳳凰銜書」天子の使者が命令の書かれた文書を持ってくること。 「鳳凰」は聖天子が出現する時に現れるとされる想像上の鳥。 「銜」は口にくわえるという意味。 鳳凰が勅書を口にくわえて持ってくるという意味からきた言葉。『焦氏易林注卷三』
○且虛歸 「鳳凰銜書」を携えて人間に渡したらたちまち帰って行ったというほどの意。
○空入 その中に入っても空しい、空っぽであるという意。
○周與秦 周国と秦国。
橫絕 歷四海,所居 未得鄰。
天空を横絶して地の果ての四海をめぐって、徳が今はなくても必ずその隣にあるというような格好で落ち着いて居る場所を見つけられずに終わるのである。
○橫絕 空を二つに切り裂くように横に飛ぶこと。
○歷四海 天下の地は東西南北、その行き着くところは崖にあっていてそのさいきには大海があるということで、そこまですべての地を訪ね歩いたということ。
吾營 紫河車,千載 落風塵。
鳳凰の聖でもってしても、人間のしかるべき時にであうということがないというのであるから、私が今日、この世において苦しんでいることなど当然のことである。そこで私は、王液を練り、これを服用して、この世の塵や汚れを永遠に払い落として、理想とする仙郷に逍遥したいと志したのである。
○紫河車 1.胎盤。2.一斗の水を煮詰めてその中から九両の聖石を抽出したものを垞女といい、そのままに詰めたものを玉液といい、次に紫になったものを紫河車といい、それはさらに、白のもの、青のもの、赤に変化していくのであるから、仙藥ということである。
○落風塵 この世の塵や汚れを永遠に払い落とすこと。
藥物 祕海嶽,採鉛 青溪濱。
元来、仙界の薬物は遙か東海の蒼海の中に泛ぶ三山の間に秘めてあるものであるから、わたしは天下に浪遊し、まず、清渓の砂浜に赴いて、鉛を採取しようとおもうのである。
○海嶽 東海の蒼海の先に神仙三山(蓬莱・瀛州・方丈)がある。
○採鉛 丹液、丹薬、を練るその基本は鉛である。不老不死の薬。仙薬。「黄治」や「黄白」金丹は、不老不死の効果を持つ薬の製造と服薬により仙人になることを目指すという点から、道教と密接に関連している。煉丹の主な方法には、原料の鉱物を釜の中で加熱する「火法」と鉱物を水溶液や懸濁液にする「水法」とがある。典型的な金丹の製造法は「丹砂」(硫化水銀)、「汞」(水銀)、「鉛」などの薬物を調合して鼎炉にて火にかけて焼煉するものである。煉丹術ないしその萌芽は漢代に登場し、『抱朴子』を著した西晋・東晋の葛洪らによって金丹道として確立し、他の神仙方術とともにいつしか道教の一部とみなされるようになった。
○青溪濱 丹砂のある渓谷。人知れず奥まった所にある渓谷の砂浜にある、丹沙。
古風五十九首之四#1
(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四
鳳飛九千仞,五章備綵珍。
鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さにあがって行き、衆鳥を見下ろしているという。そしてその翅は五色の燦然として輝くめずらしい彩色をそなえているというのである。
銜書且虛歸,空入周與秦。
鳳凰は聖人である、徳のある帝王が位にいる時だけ、出現するというのであり、嘗て書を口に銜えて飛び下ってきたという、その書には、殷帝の無道な行為について、やがて聖人がこの無道を直し人民を救済すると書いてあり、この書を人間に伝えるだけして、ただちに帰ったという。周や秦が天下を統一したけれど、その徳が格別なものでないならば、再びまいもどってもそこに留まることはないのである。
橫絕歷四海,所居未得鄰。
天空を横絶して地の果ての四海をめぐって、徳が今はなくても必ずその隣にあるというような格好で落ち着いて居る場所を見つけられずに終わるのである。
吾營紫河車,千載落風塵。
鳳凰の聖でもってしても、人間のしかるべき時にであうということがないというのであるから、私が今日、この世において苦しんでいることなど当然のことである。そこで私は、王液を練り、これを服用して、この世の塵や汚れを永遠に払い落として、理想とする仙郷に逍遥したいと志したのである。
藥物祕海嶽,採鉛青溪濱。
元来、仙界の薬物は遙か東海の蒼海の中に泛ぶ三山の間に秘めてあるものであるから、わたしは天下に浪遊し、まず、清渓の砂浜に赴いて、鉛を採取しようとおもうのである。
古風五十九首の四
#1
鳳は九千仞を飛び,五は綵珍を備うを章す。
書を銜んで且つ虛しく歸り,周と秦とに空しく入る。
橫絕し四海を歷て,居ろ所 未だ鄰を得ず。
吾 紫河の車を營み,千載 風塵を落す。
藥物 海嶽に祕し,鉛を採る青溪の濱に。
#2
時登大樓山,舉手望仙真。
そうした時に、大樓の山に登り、両手を広げ天に向い、仙人のいる方向にまっすぐと望むのである。
羽駕滅去影,飆車絕迴輪。
そうしたら仙人は鸞鶴の羽と背に乗って自由に天海を飛びわるのだけれど、その影は見えるものではないのである。又、風に乗り、雲に乗るので、車の輪をめぐらせて帰って来ることなど絶対にない。
尚恐丹液遲,志願不及申。
こうして仙人にも遭えず、教えを乞うこともなく、当然、丹液を練ることも遅くなってしまうと心配するのである。空を飛ぶことに有頂天になり、仙郷に入る志も願いも達成することも及ばないということである。
徒霜鏡中髮,羞彼鶴上人。
そうして、やがて鏡の中の時分は頭に霜を置く、白髪頭になっていて、黄鶴に乗って現れる達成した人々に会うと恥ずかしいことであると思うのである。
桃李何處開,此花非我春。
賢人があつまるという桃李の咲くところは何処なのだろうか、元来、桃李は世俗の者たちが春を楽しむ花ではあるが、それが仙郷の春があるというわけではないのだから、私は、どうしても桃李をさがしもとめるものではないのである。
唯應清都境,長與韓眾親。
ただ、わたしはどうにかして、清都という天上、仙界の都に至って、韓眾というべき仙人と長く親しむことで道を学びたいと思うのである。
#2
時に大樓の山に登り,手を舉げて仙真を望む。
羽駕 去影を滅し,飆車 迴輪を絕つ。
尚お 丹液 遲くするを恐れ,志願 申ぶるに及ばず。
徒らに鏡中の髮を霜にして,彼の鶴上の人に羞ず。
桃李 何の處にか開き,此の花 我が春に非らず。
唯だ應に 清都の境なり,長く韓眾と親しむべし。
『古風五十九首之四』 現代語訳と訳註
(本文) 古風五十九首之四 #2
時登大樓山,舉手望仙真。
羽駕滅去影,飆車絕迴輪。
尚恐丹液遲,志願不及申。
徒霜鏡中髮,羞彼鶴上人。
桃李何處開,此花非我春。
唯應清都境,長與韓眾親。
(下し文) #2
時に大樓の山に登り,手を舉げて仙真を望む。
羽駕 去影を滅し,飆車 迴輪を絕つ。
尚お 丹液 遲くするを恐れ,志願 申ぶるに及ばず。
徒らに鏡中の髮を霜にして,彼の鶴上の人に羞ず。
桃李 何の處にか開き,此の花 我が春に非らず。
唯だ應に 清都の境なり,長く韓眾と親しむべし。
(現代語訳)
そうした時に、大樓の山に登り、両手を広げ天に向い、仙人のいる方向にまっすぐと望むのである。
そうしたら仙人は鸞鶴の羽と背に乗って自由に天海を飛びわるのだけれど、その影は見えるものではないのである。又、風に乗り、雲に乗るので、車の輪をめぐらせて帰って来ることなど絶対にない。
こうして仙人にも遭えず、教えを乞うこともなく、当然、丹液を練ることも遅くなってしまうと心配するのである。空を飛ぶことに有頂天になり、仙郷に入る志も願いも達成することも及ばないということである。
そうして、やがて鏡の中の時分は頭に霜を置く、白髪頭になっていて、黄鶴に乗って現れる達成した人々に会うと恥ずかしいことであると思うのである。
賢人があつまるという桃李の咲くところは何処なのだろうか、元来、桃李は世俗の者たちが春を楽しむ花ではあるが、それが仙郷の春があるというわけではないのだから、私は、どうしても桃李をさがしもとめるものではないのである。
ただ、わたしはどうにかして、清都という天上、仙界の都に至って、韓眾というべき仙人と長く親しむことで道を学びたいと思うのである。
(訳注) #2
(道を究め、徳を身に着けることは簡単にできるものではなく、いろんな経験をしないで仙人にであってもすべてのことが吸収できるものではない。見聞を広めたら韓眾のような仙人に教えを乞いたい)その四
時登 大樓山,舉手 望仙真。
そうした時に、大樓の山に登り、両手を広げ天に向い、仙人のいる方向にまっすぐと望むのである。
○大樓山 太白山のこと。長安の街に対して華山から秦嶺山脈の西の端の山として一番高く聳える秦嶺山脈を楼閣として上るべき山と考えている。『登太白峯』「挙手可近月、前行若無山。」李白16 登太白峯 希望に燃えて太白山に上る。
○仙真 仙人のいる方向にまっすぐと
羽駕 滅去影,飆車 絕迴輪。
そうしたら仙人は鸞鶴の羽と背に乗って自由に天海を飛びわるのだけれど、その影は見えるものではないのである。又、風に乗り、雲に乗るので、車の輪をめぐらせて帰って来ることなど絶対にない。
○羽駕 黄鶴伝説に基づく。
○飆車 風に乗り、雲に乗ること。
尚恐 丹液遲,志願 不及申。
こうして仙人にも遭えず、教えを乞うこともなく、当然、丹液を練ることも遅くなってしまうと心配するのである。空を飛ぶことに有頂天になり、仙郷に入る志も願いも達成することも及ばないということである。
○丹液 丹液、金丹の製造法は「丹砂」(硫化水銀)、「汞」(水銀)、「鉛」などの薬物を調合して鼎炉にて火にかけて焼煉するものである。煉丹術ないしその萌芽は漢代に登場し、『抱朴子』を著した西晋・東晋の葛洪らによって金丹道として確立し、他の神仙方術とともにいつしか道教の一部とみなされるようになった。
徒霜 鏡中髮,羞 彼鶴 上人。
そうして、やがて鏡の中の時分は頭に霜を置く、白髪頭になっていて、黄鶴に乗って現れる達成した人々に会うと恥ずかしいことであると思うのである。
○彼鶴 黄鶴伝説に基づく。
○上人 智徳を備えた僧への敬称。
桃李 何處開,此花 非我春。
賢人があつまるという桃李の咲くところは何処なのだろうか、元来、桃李は世俗の者たちが春を楽しむ花ではあるが、それが仙郷の春があるというわけではないのだから、私は、どうしても桃李をさがしもとめるものではないのである。
○桃李 桃李は世俗の者たちが春を愉しむ花。李白『』「會桃李之芳園,序天倫之樂事。」(桃李の芳園に 會し,天倫の樂事を 序す。)桃李の花の香しきかおりはこの庭園に集まってくる、親戚同士の楽しい宴席のことを申し述べる。
春夜桃李園宴序李白116
唯應 清都境,長與 韓眾親。
ただ、わたしはどうにかして、清都という天上、仙界の都に至って、韓眾というべき仙人と長く親しむことで道を学びたいと思うのである。
○清都 列子「王實以為清都、紫微、鈞天、廣樂,帝之所居。」(清都、紫微、鈞天、康楽殿は帝のいるところ)
○韓眾 仙人の名。《楚辭》卷五《遠遊》 「奇傅說之託辰星兮,羨韓眾之得一。」(傅說の辰星に託するを奇とし,韓眾の一を得たるを羨やむ。)いにしえの殷の伝説が星に身を寄せることを優れたことと思い、仙人韓眾が万物の本体である道を会得したことを羨むのである。
(異文):
鳳飛九千仞,五章備綵珍。
銜書且虛歸,空入周與秦。
橫絕歷四海,所居未得鄰。
吾營紫河車,千載落風塵。
藥物祕海嶽,採鉛青溪濱。
時登大樓山,舉手望仙真【舉首望仙真】。
羽駕滅去影,飆車絕迴輪。
尚恐丹液遲,志願不及申。
徒霜鏡中髮,羞彼鶴上人。
桃李何處開,此花非我春。
唯應清都境,長與韓眾親。
同時期の作品
Index-
| 33
| Ⅳ-8 754年天寶十三年54歳
| 56
|
ID
| No.
| 詩題
| 詩文初句
|
639
| 1
| 殷十一贈栗岡硯
| 殷侯三玄士,
|
640
| 2
| 古風,五十九首之四
| 鳳飛九千仞,
|
641
| 3
| 秋浦歌,十七首之一
| 秋浦長似秋,
|
642
| 4
| 秋浦歌,十七首之二
| 秋浦猿夜愁,
|
643
| 5
| 秋浦歌,十七首之三
| 秋浦錦駝鳥,
|
644
| 6
| 秋浦歌,十七首之四
| 兩鬢入秋浦,
|
645
| 7
| 秋浦歌,十七首之五
| 秋浦多白猿,
|
646
| 8
| 秋浦歌,十七首之六
| 愁作秋浦客,
|
647
| 9
| 秋浦歌,十七首之七
| 醉上山公馬,
|
648
| 10
| 秋浦歌,十七首之八
| 秋浦千重嶺,
|
649
| 11
| 秋浦歌,十七首之九
| 江祖一片石,
|
650
| 12
| 秋浦歌,十七首之十
| 千千石楠樹,
|
651
| 13
| 秋浦歌,十七首之十一
| 邏人橫鳥道,
|
652
| 14
| 秋浦歌,十七首之十二
| 水如一匹練,
|
653
| 15
| 秋浦歌,十七首之十三
| 淥水淨素月,
|
654
| 16
| 秋浦歌,十七首之十四
| 爐火照天地,
|
655
| 17
| 秋浦歌,十七首之十五
| 白髮三千丈,
|
656
| 18
| 秋浦歌,十七首之十六
| 秋浦田舍翁,
|
657
| 19
| 秋浦歌,十七首之十七
| 桃波一步地,
|
658
| 20
| 清溪行【宣州清溪】
| 清溪清我心,
|
659
| 21
| 酬殷明佐見贈五雲裘歌
| 我吟謝朓詩上語,
|
660
| 22
| 山鷓鴣詞
| 苦竹嶺頭秋月輝,
|
661
| 23
| 戲贈鄭溧陽
| 陶令日日醉,
|
662
| 24
| 贈僧崖公
| 昔在朗陵東,
|
663
| 25
| 贈秋浦柳少府
| 秋浦舊蕭索,
|
664
| 26
| 贈崔秋浦,三首之一
| 吾愛崔秋浦,
|
665
| 27
| 贈崔秋浦,三首之二
| 崔令學陶令,
|
666
| 28
| 贈崔秋浦,三首之三
| 河陽花作縣,
|
667
| 29
| 贈柳圓
| 竹實滿秋浦,
|
668
| 30
| 聞謝楊兒吟猛虎詞因此有贈【案:蕭士贇云:「非白作。」】
| 同州隔秋浦,
|
669
| 31
| 宿清溪主人【案:蕭士贇云:「非白作。」】
| 夜到清溪宿,
|
670
| 32
| 贈黃山胡公求白鷳
| 請以雙白璧,
|
671
| 33
| 春日獨坐寄鄭明府
| 燕麥青青遊子悲
|
672
| 34
| 宿白鷺洲寄楊江寧
| 朝別朱雀門,
|
673
| 35
| 新林浦阻風寄友人
| 潮水定可信,
|
674
| 36
| 獨酌清溪江石上寄權昭夷
| 我攜一樽酒,
|
675
| 37
| 涇溪南藍山下,有落星潭可以卜築,余泊舟石上寄何判官昌浩
| 藍岑竦天壁,
|
676
| 38
| 送王屋山人魏萬還王屋
| 仙人東方生,
|
677
| 39
| 送友人遊梅湖
| 送君遊梅湖,
|
678
| 40
| 送溫處士歸黃山白鵝峰舊居
| 黃山四千仞,
|
679
| 41
| 送儲邕之武昌
| 黃鶴西樓月,
|
680
| 42
| 春日陪楊江寧及諸官宴北湖感古作
| 昔聞顏光祿,
|
681
| 43
| 秋浦清溪雪夜對酒客有唱山鷓鴣者
| 披君貂襜褕,
|
682
| 44
| 與周剛清溪玉鏡潭宴別【自注:潭在秋浦桃樹陂下,余新名此潭。】
| 康樂上官去,
|
683
| 45
| 遊秋浦白笴陂,二首之一
| 何處夜行好,
|
684
| 46
| 遊秋浦白笴陂,二首之二
| 白笴夜長嘯,
|
685
| 47
| 宣城青溪【入清溪山】
| 青溪勝桐廬,
|
686
| 48
| 之廣陵宿常二南郭幽居
| 綠水接柴門,
|
687
| 49
| 下途歸石門舊居
| 吳山高,
|
688
| 50
| 夜泊黃山聞殷十四吳吟
| 昨夜誰為吳會吟,
|
689
| 51
| 宿蝦湖
| 雞鳴發黃山,
|
690
| 52
| 清溪半夜聞笛
| 羌笛梅花引,
|
691
| 53
| 詠山樽【詠柳少府山癭木樽】,二首之一
| 蟠木不彫飾,
|
692
| 54
| 詠山樽,二首之二
| 擁腫寒山木,
|
693
| 55
| 白鷺鶿
| 白鷺下秋水,
|
694
| 56
| 哭晁卿衡
| 日本晁卿辭帝都,
|
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