巻1 06 李太白集 《0106 古風五十九首之六》 李白kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5331
- 2014/12/27
- 00:39
李白《0106 古風五十九首之六》 北境の代州の馬は、南国の越へいきたいとは思わないだろう。越の国の禽は、北国の燕を恋しくはおもわないだろう。感情や性質というものも、習慣によってつちかわれるものであり、それは、土地の環境風土がもともとそうさせるのだ。
巻1 06 李太白集 《0106 古風五十九首之六》 李白 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5331 |
年: 749年 天寶八年 49歲
卷別: 卷一六一 文體: 五言古詩
詩題: 古風,五十九首之六
地點: 雁門關 (河東道 代州 雁門關)
古風,五十九首之六 #1
(辺塞をまもるものは故郷を離れて辛いが漢の飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐったのだ)
代馬不思越,越禽不戀燕。
北境の代州の馬は、南国の越へいきたいとは思わないだろう。越の国の禽は、北国の燕を恋しくはおもわないだろう。
情性有所習,土風固其然。
感情や性質というものも、習慣によってつちかわれるものであり、それは、土地の環境風土がもともとそうさせるのだ。
昔別雁門關,今戍龍庭前。
ところが、むかし万里の長城に近く、北の国境である雁門の関所で、守備隊の兵士は故郷をはなれ、いまは更に北上し、匈奴の祭儀竜庭の前のまもりにつかされている。
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#2
驚沙亂海日,飛雪迷胡天。
蟣蝨生虎鶴,心魂逐旌旃。
苦戰功不賞,忠誠難可宣。
誰憐李飛將,白首沒三邊。
(古風,五十九首の六)
代馬は越を思はず、越禽は燕を恋はず。
情性習ふ所あり、土風もとよりそれ然らむ。
昔は鴈門の関に別れ、今は龍庭の前に戍【まも】る。
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驚沙【けいさ】海日を乱し、飛雪胡天に迷ふ、
蟣虱【キシツ】 虎鶡 【コカツ)に生じ、心魂 旌旃【セイセン】を逐 (お)ふ。
苦戦すれども功 賞せられず、忠誠宣【よろこ】ぶべきこと難し。
誰か憐れむ李飛将、白首にして三辺に没するを。
『古風,五十九首之六』 現代語訳と訳註
(本文) 古風,五十九首之六 #1
代馬不思越,越禽不戀燕。
情性有所習,土風固其然。
昔別雁門關,今戍龍庭前。
(下し文)
(古風,五十九首の六)
代馬は越を思はず、越禽は燕を恋はず。
情性習ふ所あり、土風もとよりそれ然らむ。
昔は鴈門の関に別れ、今は龍庭の前に戍【まも】る。
(現代語訳)
(辺塞をまもるものは故郷を離れて辛いが漢の飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐったのだ)
北境の代州の馬は、南国の越へいきたいとは思わないだろう。越の国の禽は、北国の燕を恋しくはおもわないだろう。
感情や性質というものも、習慣によってつちかわれるものであり、それは、土地の環境風土がもともとそうさせるのだ。
ところが、むかし万里の長城に近く、北の国境である雁門の関所で、守備隊の兵士は故郷をはなれ、いまは更に北上し、匈奴の祭儀竜庭の前のまもりにつかされている。
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(訳注)
古風,五十九首之五
古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。
(辺塞をまもるものは故郷を離れて辛いが漢の飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐったのだ)
749年天寶八年49歳 春、兗州に帰り、金郷・単父に遊び、梁苑に帰って年越した。
代馬不思越、越禽不戀燕。
北境の代州の馬は、南国の越へいきたいとは思わないだろう。越の国の禽は、北国の燕を恋しくはおもわないだろう。
○代 山西省北部。大同市と太原市の中間あたりにある州。
○越 浙江省方面。戦国越の国
○禽 走る獣の総称。鳥獣の総称。
○燕 河北省方面。
情性有所習、土風固其然。【土風其固然】
感情や性質というものも、習慣によってつちかわれるものであり、それは、土地の環境風土がもともとそうさせるのだ。
○情性 感情や性。
○士風 土地の環境。
昔別雁門關。 今戍龍庭前。
ところが、むかし万里の長城に近く、北の国境である雁門の関所で、守備隊の兵士は故郷をはなれ、いまは更に北上し、匈奴の祭儀竜庭の前のまもりにつかされている。
○雁門関 38、雁門関(がんもんかん):また西ケイ関ともいう。山西省代県の西北20キロにあり。寧武関、偏頭関と合わせ"三関"という。
雁門関 雁門関(がんもんかん)は、別名を西陘関と言い、中国山西省の北部、代県の西北、雁門山(別名勾注山)中にある、古来からの関所である。北方の異民族の侵入に対する、中国側の防衛拠点であり、数多くの戦いが繰り広げられてきた。2001年に全国重点文物保護単位に指定された。
雁門関のある雁門山は、東西の峰が対峙している様が門のようであり、そこを渡りの途上の雁が飛び抜けていくことから、雁門の名がある。中国の歴史を通じて、雁門関は、北方の異民族の南下に対する、中国側の防衛拠点としての役割を担ってきた。戦国時代末期に、趙の武将李牧がこの地に拠って匈奴の侵入を防いだのを初め、漢代には匈奴や鮮卑、南北朝時代から隋唐にかけては突厥や回鶻(ウイグル)、沙陀、五代から宋代にかけては契丹などの民族の中原への侵入路となり、激しい攻防戦が繰り広げられてきた。統計によれば、雁門関周辺で起きた戦いは大小1,700回を数えるとされる。
雁門関は北魏の時代には東陘関と西陘関が両置されていたが、唐代より西陘関が雁門関と呼ばれるようになった。
〇龍庭 匈奴の王の単子が天をまつるところ。そこは砂漠地帯である。匈奴の祭儀竜庭で、毎朝、日の神を祀り、単于が政を告げる。(竜庭は、五月の戌日、大集会、蘢城で、祖先、大地、鬼神をまつる。 九月の戌 、鮮卑、高車、契丹族も同じ祭天を行う。
年: 749年 天寶八年 49歲
卷別: 卷一六一 文體: 五言古詩
詩題: 古風,五十九首之六
地點: 雁門關 (河東道 代州 雁門關)
古風,五十九首之六 #1
(辺塞をまもるものは故郷を離れて辛いが漢の飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐったのだ)
代馬不思越,越禽不戀燕。
北境の代州の馬は、南国の越へいきたいとは思わないだろう。越の国の禽は、北国の燕を恋しくはおもわないだろう。
情性有所習,土風固其然。
感情や性質というものも、習慣によってつちかわれるものであり、それは、土地の環境風土がもともとそうさせるのだ。
昔別雁門關,今戍龍庭前。
ところが、むかし万里の長城に近く、北の国境である雁門の関所で、守備隊の兵士は故郷をはなれ、いまは更に北上し、匈奴の祭儀竜庭の前のまもりにつかされている。
(古風,五十九首の六)
代馬は越を思はず、越禽は燕を恋はず。
情性習ふ所あり、土風もとよりそれ然らむ。
昔は鴈門の関に別れ、今は龍庭の前に戍【まも】る。
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#2
驚沙亂海日,飛雪迷胡天。
砂嵐ではまいあがる砂ぽこりは青海に日の光を散乱させ見えなくなるし、吹雪の時にも、匈奴、西域の空に乱れ飛ぶとどこへ行くのか全く分からない。
蟣蝨生虎鶴,心魂逐旌旃。
ここの兵士らにはおそろしい虎の絵を軍服に描いた服や、やまどりの尾を冠にかざった帽子にしらみがわく、それでも兵士の心や魂は、ひらひらする軍旗やさしものをおっかけて、たえず揺れ動かされる。
苦戰功不賞,忠誠難可宣。
誰憐李飛將,白首沒三邊。
その戦がたとえ苦戦していたところを勝ったとしても、論功行賞がもらえるわけでなし、忠義のまごころをいだいていても、発揮することはとても難しい。
驚沙【けいさ】海日を乱し、飛雪胡天に迷ふ、
蟣虱【キシツ】 虎鶡 【コカツ)に生じ、心魂 旌旃【セイセン】を逐 (お)ふ。
苦戦すれども功 賞せられず、忠誠宣【よろこ】ぶべきこと難し。
誰か憐れむ李飛将、白首にして三辺に没するを。
『古風,五十九首之六』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
驚沙亂海日,飛雪迷胡天。
蟣蝨生虎鶴,心魂逐旌旃。
苦戰功不賞,忠誠難可宣。
誰憐李飛將,白首沒三邊。
(下し文)
驚沙【けいさ】海日を乱し、飛雪胡天に迷ふ、
蟣虱【キシツ】 虎鶡 【コカツ)に生じ、心魂 旌旃【セイセン】を逐 (お)ふ。
苦戦すれども功 賞せられず、忠誠宣【よろこ】ぶべきこと難し。
誰か憐れむ李飛将、白首にして三辺に没するを。
(現代語訳)
(辺塞をまもるものは故郷を離れて辛いが漢の飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐったのだ)
砂嵐ではまいあがる砂ぽこりは青海に日の光を散乱させ見えなくなるし、吹雪の時にも、匈奴、西域の空に乱れ飛ぶとどこへ行くのか全く分からない。
ここの兵士らにはおそろしい虎の絵を軍服に描いた服や、やまどりの尾を冠にかざった帽子にしらみがわく、それでも兵士の心や魂は、ひらひらする軍旗やさしものをおっかけて、たえず揺れ動かされる。
その戦がたとえ苦戦していたところを勝ったとしても、論功行賞がもらえるわけでなし、忠義のまごころをいだいていても、発揮することはとても難しい。
(訳注)
古風,五十九首之五#2
古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。
(辺塞をまもるものは故郷を離れて辛いが漢の飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐったのだ)
749年天寶八年49歳 春、兗州に帰り、金郷・単父に遊び、梁苑に帰って年越した。
驚沙亂海日。 飛雪迷胡天。
砂嵐ではまいあがる砂ぽこりは青海に日の光を散乱させ見えなくなるし、吹雪の時にも、匈奴、西域の空に乱れ飛ぶとどこへ行くのか全く分からない。
○驚沙 騒ぎ立つ砂塵。砂嵐。
○海日 海の太陽。この場合、海は、砂漠の中にある大きな湖、青海(ココノール)のこと。青海湖(せいかいこ, 拼音: Qīnghǎi Hú チンハイフー、現代モンゴル語:Хөхнуур フフ・ノール、蒙古文語:[Köke Naɣur]ココ・ノール、チベット語:མཚོ་སྔོན་ mtsho sngon po;Tso Ngonpoツォ・ゴンポ)は中華人民共和国青海省にある湖。「チンハイこ」とも読まれる。中国最大の湖であり、地球上でも米国ユタ州のグレートソルト湖に次いで2番目に大きな内陸塩湖である。欧米ではココ・ノール(Kokonor)の名で知られている。
○胡天 異民族の国の空。匈奴、ウイグルのそら。
蟣虱生虎鶡。 心魂逐旌旃。
ここの兵士らにはおそろしい虎の絵を軍服に描いた服や、やまどりの尾を冠にかざった帽子にしらみがわく、それでも兵士の心や魂は、ひらひらする軍旗やさしものをおっかけて、たえず揺れ動かされる。
○蟣虱 しらみ。
○虎鶡 虎とやまどり。鶡は、きじの一種で、喧嘩を好み相手を殺すまで闘いをやめない猛烈な鳥である。後漢の時、近衛兵は、おそろしい虎の絵を軍服にえがき、やまどりの尾を冠にかざった。そこで、虎鶡といえば、兵隊の装束をさす。「隠几蕭條戴鶡冠。」(几【き】に隠【よ】り蕭條として鶡冠【かつかん】を戴く。漢のころに書かれたとされる「鶡冠子」【かつかんし】という書があって、その内容は老子の教えをもととして法家の議論を交えるものだという
○旌旃 軍旗とさしもの。曲った柄の旗さしもの。
苦戰功不賞。 忠誠難可宣。
その戦がたとえ苦戦していたところを勝ったとしても、論功行賞がもらえるわけでなし、忠義のまごころをいだいていても、発揮することはとても難しい。
○功 論功行賞。
誰憐李飛將。 白首沒三邊。
飛将軍といわれた李広は、白髪頭になるまで三つの国境をかけめぐり、ついにそこで駄目になったけれども、誰がかれを哀れにおもっているであろうか。
○李飛将 漢の時代の名将、李広のこと。かれは生涯、北の国境を守り、匈奴と戦うこと大小七十余回、敵を殺し、又は捕虜にすること多く、匈奴から「漢の飛将軍」と称され、大いに恐れられた。生涯不遇で、大名に封ぜられなかった。おまけに、最後にはちょっとした作戦の失敗を咎められ、憤慨して自殺した。弓の名人で、虎かと思った一心で、石に矢を射立てたという逸話がある。なお、中島敦の小説の主人公「李陵」は、李広の孫に当る。また、李白は李広の子孫だと自称しているが、これは事実ではない。しかし、李白が李広を慕っていたことは、まちがいない。
○没 必ずしも死ぬことでなく、捕虜になることも没である。
○三邊 幽州(河北)と井州(山西)と涼州(甘粛)と、匈奴にたいする三つの国境の要処。
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