巻1 08 李太白集 《0108 古風五十九首之八》 李白kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5341
- 2014/12/29
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(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、二月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
巻1 08 李太白集 《0108 古風五十九首之八》 李白 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5341 |
Index- | 32 | Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳 | 60 |
ID | No. | 詩題 | 詩文初句 |
579 | 1 | 古風,五十九首之二 | 蟾蜍薄太清, |
580 | 2 | 古風,五十九首之八 | 咸陽二三月, |
581 | 3 | 古風,五十九首之十三 | 君平既棄世, |
582 | 4 | 古風,五十九首之十八 | 天津三月時, |
583 | 5 | 古風,五十九首之二十五 | 世道日交喪, |
584 | 6 | 古風,五十九首之二十八 | 容顏若飛電, |
585 | 7 | 古風,五十九首之二十九 | 三季分戰國, |
586 | 8 | 古風,五十九首之三十 | 玄風變太古, |
587 | 9 | 古風,五十九首之三十一 | 鄭客西入關, |
588 | 10 | 古風,五十九首之三十二 | 蓐收肅金氣, |
589 | 11 | 古風,五十九首之三十六 | 抱玉入楚國, |
590 | 12 | 古風,五十九首之四十六 | 一百四十年, |
591 | 13 | 古風,五十九首之五十一 | 殷后亂天紀, |
592 | 14 | 古風,五十九首之五十三 | 戰國何紛紛, |
593 | 15 | 古風,五十九首之五十四 | 倚劍登高臺, |
594 | 16 | 遠別離 | 遠別離, |
595 | 17 | 古朗月行 | 小時不識月, |
年: 753年 天寶十二年 53歲
寫作時間:
寫作年紀:
--------------------------------------------------------------------------------
卷別: 卷一六一 文體: 五言古詩
詩題: 古風,五十九首之八
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點: 咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸
古風,五十九首之八
咸陽二三月,宮柳黃金枝。
綠幘誰家子,賣珠輕薄兒。
日暮醉酒歸,白馬驕且馳。
(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)
長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、二月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
古風五十九首の八
咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。
綠幘【りょくさく】誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。
日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。
意氣人所仰,冶遊方及時。
子雲不曉事,晚獻長楊辭。
賦達身已老,草玄鬢若絲。
投閣良可歎,但為此輩嗤。
意氣 人の仰ぐ所、冶游【やゆう】方【まさ】 に時に及ぶ。
子云 事を曉【さと】らず、晚に獻ず 長楊の辭。
賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。
閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤 【わら】わる。
『古風,五十九首之八』 現代語訳と訳註
(本文)
古風五十九首之八
咸陽二三月。 宮柳黃金枝。
綠幘誰家子。 賣珠輕薄兒。
日暮醉酒歸。 白馬驕且馳。
(下し文)
古風五十九首の八
咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。
綠幘【りょくさく】誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。
日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。
(現代語訳)
(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)
長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、二月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
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(訳注)
咸陽二三月、宮柳黃金枝。
長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、二月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
○咸陽 秦の都。長安の対岸にある。この詩は、実際には唐の都、長安の風俗をうたっている。詩人は唐を秦、長安を咸陽とよく詠う。李白31歳の作品『少年行』が基礎にある。ここでいう秦は、貴族が棲む山の手にあたる五陵があったあたりを指す。
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
五陵の若者は 金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。一面に舞い散る花を踏み散らし どこへ遊びに出かけるのか。にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか
貴公子たちは、悪ふざけをして歩く二月、三月は科挙の合格発表があると無礼講で各屋敷は解放される。貴公子の天下になることをいっている。
王維『少年行四首』 其一
新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
〇二三月 春たけなわな頃である。この表現は野山に万幕を張って行楽を楽しむ季節であることをいう。
○宮柳 宮殿のそばの柳。
○黃金枝 新芽の明るい緑に日がさすと黄金に見える。この時期だけのものである。柳は女性の柳腰を連想させ、春心が浮き立つことをいう。「柳腰」「細腰」は美人のこと。
綠幘誰家子、賣珠輕薄兒。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
〇綠幘 幘;幅は頭巾。みどりのずきん。漢の董偃の故事。「漢書」に見える話。董偃は母とともに真珠を売って歩いていたが、年十三のとき、漢の武帝の姨であり、竇太主、陳皇后の母でもある館陶公主の邸に出入し、美貌な少年であったので公主の寵愛を得て董君と呼ばれた。そののち公主に従って帝に御目見えしたとき、かれは、綠の頭巾をかむり、腕ぬきをつけて罷り出た。公主は「館陶公主の料理番、臣偃」と紹介し、かれは平伏した。帝はかれに衣冠をたまわった。やがて無礼講がはじまったが、以後かれは武帝の寵愛をも受けるようになり、噂は天下にひろまった。のちに東方朔がその僭越な態度を弾劾した(『漢書』東方朔伝)。
日暮醉酒歸、白馬驕且馳。
昼は昼で大騒ぎ、夜になれば酒に酔って帰ってくる、白馬に乗って、驕り高ぶって、そして街中を疾走してゆく。
李白 17少年行 杜甫「少年行」とイメージが似ている。
「少年行」というのは楽府(がふ)の雑曲の題で、当時はやっていた。盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っている。王維21歳、李白31歳、二人は長安で杜甫51歳は成都であった。
李白は太白山に登り、夢地希望を胸に都生活をする。そこで、遊侠の若者を楽府詩で詠う。
年少は少年と同じ、日本でいう少年は童。金位置の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。
金市というのは下の関係図に示す、西の金光門をさし、次の句の銀の鞍との対比を意図している。
長安五陵と五行思想のの位置関係図<!--[endif]-->
唐の時代「胡姫」はペルシャ(イラン系)の紅毛金髪、碧眼、白皙の女性を示していた。
○韻 東、風、中。
少年行
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
五陵の年少(ねんしょう)金市(きんし)の東
銀鞍(ぎんあん)白馬春風(しゅんぷう)を度(わた)る
落花(らっか)踏み尽くして 何処(いずこ)にか遊ぶ
笑って入る胡姫(こき)酒肆(しゅし)の中
唐は西に伸びきった領土を有していた。建国当初は、富を得ていたが次第に負担が勝るようになる。<!--[endif]-->
少 年 行
貴族の子弟が酒屋において倣慢ちきに酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は詩言絶句である。
馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。
馬にうちのったどこの家のわかものかしらぬが、きざはしのそばで馬からおりてどっかと椅子に腰かけた。それから大ざっぱな様子でどこのだれとも名のらず、「あれをくれ」というて銀のさかがめを指ざしして酒をもとめてのんでいる。
○少年行 少年のことをよんだうた。 ○白面郎 かおのしろいわかもの。 ○階 さかやのきざはし。 〇人牀 他人の家のいす。○不通姓氏 だれそれと姓名をなのらぬ。 ○麤豪 細慎ならぬことをいう。人も無げな大ざっぱなふるまい。 ○指点 あれと指ざしする。○銀瓶 銀でこしらえたさかがめ。
王維の「少年行四首」は四場面の劇のような構成になっています。時代は漢を借りている。
少年行四首 其一
新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
新豊の美酒は 一斗で一万銭、咸陽、都の遊侠気どりは多い若者。
出逢と意気盛んで大いに飲もうと、馬を繋いだ高楼の しだれ柳の陰のあたりで
新豊美酒斗十千:新豊の美酒は 一斗で一万銭
・「新豊」の街は長安の東にあり、美酒の産地。「咸陽」は秦の都だったところで、漢代には都長安の貴族の住む住宅都市。
咸陽遊侠多少年:都に多い若者は 遊侠気どりで闊歩する
相逢意気為君飲:出逢っては 大いに飲もうと意気が合い
繋馬高楼垂柳辺:馬を繋いだ高楼の しだれ柳の陰のあたりで
・王維は都の若者が意気揚々と馬に乗って酒楼に乗り込むようすを描く。繋いではいけない場所、高楼のほとりの柳の木に馬をつないだという言葉足らずという余韻を残している。
○韻 千、年、辺
新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
少年の行(うた)四首 其の一
新豊(しんぽう)の美酒は斗に十千(じゅっせん)
咸陽(かんよう)の遊侠(ゆうきょう)は少年多し
相逢(あいあ)える意気よ 君が為に飲まん
馬を繋げり 高楼の垂柳(すいりゅう)の辺(ほとり)
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第2場面 出陣の心意気を詠う。
少年行四首 其二
出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。
孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。
官職に就き 漢に仕えて羽林郎
驃騎将軍に従い 漁陽に出陣する
辺境の戦に出たいが 行けぬ苦しみは誰にもわかるまい
たとえ死んでも 勇者の誉れだけは顕わすのだ
出身仕漢羽林郎:官職に就き 漢に仕えて羽林郎
・「出身」というのは世に出ることですが、唐代では官吏になること。「羽林郎」(うりんろう)は漢の武官名で関中(都のある地域)の六郡の良家の子弟から選ばれる名誉の職のこと。
初随驃騎戦漁陽:驃騎将軍に従い 漁陽に出陣する
・ 驃騎将軍霍去病(かくきょへい)に従って漁陽(ぎょよう・北京の近所)に出陣してきましたが、最前線に出してもらえない。
孰知不向辺庭苦:辺境の戦に出たいが 行けぬ苦しみは誰にもわかるまい
縦死猶聞侠骨香:たとえ死んでも 勇者の誉れだけは顕わすのだ
・この苦しみは誰にもわかるまい。死んでもいいから勇者の誉れを顕わしたいのだと元気一杯。
○韻 郎、陽、香
出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。
孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。
少年行四首 其の二
出身(しゅっしん)して漢に仕える羽林郎
初めて驃騎(ひょうき)に随って漁陽に戦う
孰(たれ)か知らん 辺庭に向かわざるの苦しみを
縦(たと)い死すとも猶お侠骨の香を聞かしめん
-------------------------------
第三場面は、最前線の戦を詠う。「単于」は匈奴(きょうど)の王ですが、漢の宣帝のころ、匈奴は五つの集団に分裂して、五人の単于が立って互いに攻め合っていた。これらの「五単于」をつぎつぎにやっつけたという勇壮な場面。場面は劇的に集約され、音楽に合わせて詠いながら、演舞をした。
年行四首 其三
少年行四首 其三
一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。
偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。
二人張りの強弓を 立てつづけに引き絞る
千万の夷狄の騎馬も いないに等しい
鞍の上で身をよじり 白羽の矢を繰り出して
つぎつぎと 五人の単于を射殺(いころ)した
少年行四首 其三:
一身能擘両彫弧:二人張りの強弓を 立てつづけに引き絞る
虜騎千重只似無:千万の夷狄の騎馬も いないに等しい
偏坐金鞍調白羽:鞍の上で身をよじり 白羽の矢を繰り出して
紛紛射殺五単于:つぎつぎと 五人の単于を射殺(いころ)した
○韻 弧、無、于
一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。
偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。
少年行四首 其の三
一身能(よ)く擘(ひ)ける両彫弧(りょうちょうこ)
虜騎(りょき)の千重(せんじゅう) 只無きに似る
金鞍(きんあん)に偏坐して白羽(はくう)を調し
紛紛として射殺せり五単于(ごぜんう)
----------------------------
最終場面は都に凱旋して戦勝の祝宴があり、戦功が論ぜられる。
少年行四首 其四
漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。
天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮。
漢の君臣は 戦勝の祝宴を終え、雲台宮で議して 戦功を論ずる
天子は出御して 諸侯の印を賜わり、将軍は印綬を帯びて 明光宮を退出する
漢家君臣歓宴終:漢の君臣は 戦勝の祝宴を終え
高議雲台論戦功:雲台宮で議して 戦功を論ずる
天子臨軒賜侯印:天子は出御して 諸侯の印を賜わり
・最後に天子がお出ましになって封爵の褒美が与えられます。
将軍佩出明光宮:将軍は印綬を帯びて 明光宮を退出する
・将軍たちは封侯の印綬を帯びて明光宮を出ていく。最終場面は宴席で詠れるのにふさわしい。
古風,五十九首之八
咸陽二三月,宮柳黃金枝。
綠幘誰家子,賣珠輕薄兒。
日暮醉酒歸,白馬驕且馳。
(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)
長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、二月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
古風五十九首の八
咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。
綠幘【りょくさく】誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。
日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。
意氣人所仰,冶遊方及時。
子雲不曉事,晚獻長楊辭。
賦達身已老,草玄鬢若絲。
投閣良可歎,但為此輩嗤。
貴公子のさかんな意気は、街の人びとがみな見上げ、ふりかえる。この時期、行楽や芸者遊びも無礼法だし、時節もいいのだ。
それにつけても揚子雲先生の場合は世間の事に通じなさすぎたようだ。勉学に励んで晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
多くの賦は絶賛され、天子に献上するまでになったが、その時には自身の身体はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた。
うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、世間知らず、状況の判断もできないというのでは本当にためいきが出る。そのことだけでみれば、あの軽薄な貴公子たちの仲間からも物笑いの種になってしまうというものだ。
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意氣 人の仰ぐ所、冶游【やゆう】方【まさ】 に時に及ぶ。
子云 事を曉【さと】らず、晚に獻ず 長楊の辭。
賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。
閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤 【わら】わる。
『古風,五十九首之八』 現代語訳と訳註
(本文)
意氣人所仰。 冶游方及時。
子云不曉事。 晚獻長楊辭。
賦達身已老。 草玄鬢若絲。
投閣良可嘆。 但為此輩嗤。
(下し文)
意氣 人の仰ぐ所、冶游【やゆう】方【まさ】 に時に及ぶ。
子云 事を曉【さと】らず、晚に獻ず 長楊の辭。
賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。
閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤 【わら】わる。
(現代語訳)
貴公子のさかんな意気は、街の人びとがみな見上げ、ふりかえる。この時期、行楽や芸者遊びも無礼法だし、時節もいいのだ。
それにつけても揚子雲先生の場合は世間の事に通じなさすぎたようだ。勉学に励んで晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
多くの賦は絶賛され、天子に献上するまでになったが、その時には自身の身体はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた。
うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、世間知らず、状況の判断もできないというのでは本当にためいきが出る。そのことだけでみれば、あの軽薄な貴公子たちの仲間からも物笑いの種になってしまうというものだ。
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(訳注)
古風,五十九首之八
古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。
(長安をにあった時にこの山に遊んだ744年天寶三年44歳の時の詩である。)
李白index- 32 《753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越》1103 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4063
I
意氣人所仰、冶游方及時。
貴公子のさかんな意気は、街の人びとがみな見上げ、ふりかえる。この時期、行楽や芸者遊びも無礼法だし、時節もいいのだ。
○冶遊 行楽や芸者遊び。心がとろけるような楽しい遊び。
○方及時 方は無礼講というほどの意味で時は時節、この時期だけだというほどの意味。
子云不曉事、晚獻長楊辭。
それにつけても揚子雲先生の場合は世間の事に通じなさすぎたようだ。勉学に励んで晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
○子雲 漢の文人。揚雄、あざなは子雲。前漢の末期、紀元前一世紀、蜀(四川)の成都の人。学問だけが好きで、それ以外の欲望は全くなく、財産もあまりなかったが満足していた。ドモリで議論ができなかったので、よく読書し、沈思黙考した。成帝の時、承明宮に召されて、甘泉、河東、長楊、羽猟の四つの賦を奏上した。かれの著書はすべて古典の模倣で、「易」に似せて「太玄経」を作り、「論語に似せて「法言」を作った。かれは晩年、ある事件の巻き添えで、疑われて逮捕されようとしたとき、天禄閣という建物の中で書物調べに没頭していたので、驚きあわてて閣上から飛び降りて、あやうく死にかけた。
○不暁事 世間の事に通じない。
○晩 晩年。
○楊辭 天子に献上する「長楊の辞」のこと。
賦達身已老、草玄鬢若絲。
多くの賦は絶賛され、天子に献上するまでになったが、その時には自身の身体はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた。
○賦 韻文の一体。漢の時代の流行。
○玄楊 子雲、雄の著書「太玄経」。
投閣良可嘆、但為此輩嗤。
うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、世間知らず、状況の判断もできないというのでは本当にためいきが出る。そのことだけでみれば、あの軽薄な貴公子たちの仲間からも物笑いの種になってしまうというものだ。
○投閣 天禄閣上から身を投げた。○此輩 緑幘さくの軽薄児をさす。
儒教の貫いて痩せ細ったと同じこと、死んでしまっては何にもならない。世間のことぉ知らなくて、芸者遊びのひとつも知らないで、年を取ってしまった。李白はここでも儒教批判を述べている。
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- カテゴリ:李太白集 巻一 古風五十九首
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