巻1 31 李太白集 《0131 古風五十九首之三十一》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5456
- 2015/01/26
- 22:27
《0131 古風五十九首之三十一》 李白 元来、鎬池の鎬は秦の都、咸陽を去ること遠からず、昔、周の武王のみやこしたところである。鎬池君は即ち、周の武王である。武王は生時に殷紂を打って、天下をとったのであるが、今や秦の始皇帝の荒淫は殷紂の如く、それも妤けれど、天命の巡り会わせで来年は死ぬというのである。
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31 巻一
古風五十九首之三十一
鄭容西入關、行行未能已。
白馬華山君、相逢平原里。
璧遺鎬池君、明年祖龍死。
秦人相謂曰、吾屬可去矣。
一往桃花源、千春隔流水。
(この詩は、詠史詩と思われるが、秦人に機を知るの明あって、はやくせぞくをはなれて隠れたいと李白は理想を述べているのである。)
鄭容が西のかた、函谷関に入り、行き行きて止まらず、いよいよ咸陽に近づこうとして関中を歩いていた。
白馬に乗った華山の君が出てきて、平舒道に於いてであった。
その華山君が言うには、どうか、この玉を鎬池に住んでいる主の君に贈ってもらいたい。そうして来年には、祖龍が死ぬと伝言してくれといったのである。
元来、鎬池の鎬は秦の都、咸陽を去ること遠からず、昔、周の武王のみやこしたところである。鎬池君は即ち、周の武王である。武王は生時に殷紂を打って、天下をとったのであるが、今や秦の始皇帝の荒淫は殷紂の如く、それも妤けれど、天命の巡り会わせで来年は死ぬというのである。
祖龍の祖ははじまり、龍は人君ですなわち、始皇帝という隠語である。又一説には鎬池君は水神で、始皇帝が前年大江を渡るとき風雨に遭い、空を張れさすために珠を水中に投じたという。そこで大江の神が水の徳を持って王となったのであるから、その君、まさに亡ぼうとするに際し、水神に向かって、まずこれを告げて、そのつもりで居れといったものである。とにかく奇妙な話ではあったが、いずれにしても、始皇帝の世も命運が尽きたということとなったのである。
すると秦の人々は、これを聞いて、これは大変だ始皇帝が崩じられると、天下は再び乱れて、戦乱に乱れるようになるに違いないといった。我々は何時までも、安閑としてここにいるべきではないとここを去ったのである。
一度去って、桃花源に隠れたのちに、とこしえに一道の流水が、これを人間と隔てて、他人に成りすましたという。
(古風五十九首の三十一)
鄭容 西のかた關に入り、行行 未だ已む能わず。
白馬 華山君、相い逢う 平原の里。
璧は鎬池君に遺れ、明年 祖龍死せん。
秦人 相い謂って曰く、「吾が屬 去る可し」と。
一たび桃花源に往けば、千春 流水を隔つ。
『古風五十九首之三十一』 現代語訳と訳註
(本文)
古風五十九首之三十一
鄭容西入關、行行未能已。
白馬華山君、相逢平原里。
璧遺鎬池君、明年祖龍死。
秦人相謂曰、吾屬可去矣。
一往桃花源、千春隔流水。
(下し文)
(古風五十九首の三十一)
鄭容 西のかた關に入り、行行 未だ已む能わず。
白馬 華山君、相い逢う 平原の里。
璧は鎬池君に遺れ、明年 祖龍死せん。
秦人 相い謂って曰く、「吾が屬 去る可し」と。
一たび桃花源に往けば、千春 流水を隔つ。
(現代語訳)
(この詩は、詠史詩と思われるが、秦人に機を知るの明あって、はやくせぞくをはなれて隠れたいと李白は理想を述べているのである。)
鄭容が西のかた、函谷関に入り、行き行きて止まらず、いよいよ咸陽に近づこうとして関中を歩いていた。
白馬に乗った華山の君が出てきて、平舒道に於いてであった。
その華山君が言うには、どうか、この玉を鎬池に住んでいる主の君に贈ってもらいたい。そうして来年には、祖龍が死ぬと伝言してくれといったのである。
元来、鎬池の鎬は秦の都、咸陽を去ること遠からず、昔、周の武王のみやこしたところである。鎬池君は即ち、周の武王である。武王は生時に殷紂を打って、天下をとったのであるが、今や秦の始皇帝の荒淫は殷紂の如く、それも妤けれど、天命の巡り会わせで来年は死ぬというのである。
祖龍の祖ははじまり、龍は人君ですなわち、始皇帝という隠語である。又一説には鎬池君は水神で、始皇帝が前年大江を渡るとき風雨に遭い、空を張れさすために珠を水中に投じたという。そこで大江の神が水の徳を持って王となったのであるから、その君、まさに亡ぼうとするに際し、水神に向かって、まずこれを告げて、そのつもりで居れといったものである。とにかく奇妙な話ではあったが、いずれにしても、始皇帝の世も命運が尽きたということとなったのである。
すると秦の人々は、これを聞いて、これは大変だ始皇帝が崩じられると、天下は再び乱れて、戦乱に乱れるようになるに違いないといった。我々は何時までも、安閑としてここにいるべきではないとここを去ったのである。
一度去って、桃花源に隠れたのちに、とこしえに一道の流水が、これを人間と隔てて、他人に成りすましたという。
(訳注)
古風五十九首之三十一
(この詩は、詠史詩と思われるが、秦人に機を知るの明あって、はやくせぞくをはなれて隠れたいと李白は理想を述べているのである。)
鄭容西入關、行行未能已。
鄭容が西のかた、函谷関に入り、行き行きて止まらず、いよいよ咸陽に近づこうとして関中を歩いていた。
搜神記に以下のようになる。
秦始皇三十六年,(前211年)使者 鄭容 關東より來り,將に函關に入る,西 華陰に至り,素車白馬,華山より上より下る望み見る。其の人に非らざるを疑う。道住く,止りて之を待つ。遂に至り,鄭容に問うて曰く:「安くにか之く?」答えて曰く:「咸陽に之くなり。」車上人 曰く:「吾は華山の使なり。願わくば一腫書を託して,鎬池君の所に致さん。子咸陽に之く,道 鎬池を過ぎて,一大梓を見む,文石有り, 取って梓を款る,當に應うる者有るべし。」と。即ち書を以って之に與う。容 其の言の如くし,石を以って梓樹を款けば,果して人有り來って書を取る。明年,祖龍死せむ。
白馬華山君、相逢平原里。
白馬に乗った華山の君が出てきて、平舒道に於いてであった。
璧遺鎬池君、明年祖龍死。
その華山君が言うには、どうか、この玉を鎬池に住んでいる主の君に贈ってもらいたい。そうして来年には、祖龍が死ぬと伝言してくれといったのである。
元来、鎬池の鎬は秦の都、咸陽を去ること遠からず、昔、周の武王のみやこしたところである。鎬池君は即ち、周の武王である。武王は生時に殷紂を打って、天下をとったのであるが、今や秦の始皇帝の荒淫は殷紂の如く、それも妤けれど、天命の巡り会わせで来年は死ぬというのである。
祖龍の祖ははじまり、龍は人君ですなわち、始皇帝という隠語である。又一説には鎬池君は水神で、始皇帝が前年大江を渡るとき風雨に遭い、空を張れさすために珠を水中に投じたという。そこで大江の神が水の徳を持って王となったのであるから、その君、まさに亡ぼうとするに際し、水神に向かって、まずこれを告げて、そのつもりで居れといったものである。とにかく奇妙な話ではあったが、いずれにしても、始皇帝の世も命運が尽きたということとなったのである。
秦人相謂曰、吾屬可去矣。
すると秦の人々は、これを聞いて、これは大変だ始皇帝が崩じられると、天下は再び乱れて、戦乱に乱れるようになるに違いないといった。我々は何時までも、安閑としてここにいるべきではないとここを去ったのである。
一往桃花源、千春隔流水。
一度去って、桃花源に隠れたのちに、とこしえに一道の流水が、これを人間と隔てて、他人に成りすましたという。
桃花源 「桃花源記」のなかで、「泰時の乱を避けた」といっていることからすれば、西晋末年に江南へ移住できなかった漢民族が、北方異民族の圧迫を避けて、外界と隔絶した平野部を探しあて、そこに暮らしていたとみることもできる。劉裕に随行して閑中入りしたときの見聞である戴延之の『西征記』にこうした記事が伝えられている。もしそうだとすれば、陶淵明は関中に行った友人の羊松齢の帰国談から、こうした話を聞き、刺激を受けたのかもしれない。
さらにまた、晋代には、劉麟之という男が衡山(湖南の名山)に薬草を採りに入って道に迷った話が伝わっている。この劉鱗之は「桃花源記」のなかの劉子礫を思わせる。
桃花源記
晉の太元中, 武陵の人 魚を捕ふるを 業【わざ】と爲せり,
溪に縁【そ】ひて行き, 路の遠近を忘る, 忽【たちま】ち 桃花の林に 逢ふ。
岸を夾みて 數百歩, 中に雜樹 無し。
芳草 鮮美として, 落英 繽紛たり。
漁人 甚だ之れを異とす, 復た前に行き, 其の林を窮めんと欲す。
林 水源に盡き, 便ち 一山を得。
山に 小口 有り。 髣髴として光 有るが若【ごと】し。
便ち船を舎【す】てて 口 從【よ】り 入る。
#2
初め極めて狹く, 纔かに人を通すのみ。
復た行くこと數十歩, 豁然として開朗。
土地 平曠として, 屋舍 儼然たり, 良田 美池 桑竹の屬【たぐひ】有り。
阡陌 交【こもご】も通じ, 鷄犬 相ひ聞ゆ。
其の中 往來し 種え作【たがや】す, 男女 衣著, 悉【ことごと】く外人の如く, 黄髮 髫を垂るも, 並【べつ】に 怡然として自ら樂しむ。
#3
漁人 見, 乃【すなは】ち大いに驚き, 從って來たる所を問ふ。 具【つぶさ】に之に答へ, 便ち 家に還へるを要す。
酒を設け 鷄を殺して 食を作る。 村中 此の人有るを聞き,咸【み】な來りて問ひ訊ぬ。
自ら云ふ:先の世 秦時に亂を避【のが】れ,妻子 邑【むら】人を率ゐて此の絶境に來たりて, 復たとは 焉【ここ】を出ず。
遂ひに 外人と間隔つ。 今は是れ何【いづ】れの世なるかを問ふ,乃【すなは】ち 漢 有るを知らず, 無論 魏晉をや。
此の人一一 爲に具【つぶさ】に聞かるる所を言へば, 皆 歎【たんわん】す。
餘人 各【おのお】の 復【ま)た延ゐて其の家に至り, 皆 出でて酒食す。
#4
停【とどま】ること數日にして, 辭去す。 此の中の人 語りて云【いは】く:外人の爲に道【い】ふに足【た】らざる也と。
既に出で, 其の船を得, 便ち 向【さき】の路に扶【よ】りて, 處處に之を誌【しる】す。
郡下に及び, 太守に詣【いた】り, 此【かく】の如く説く。
太守 即ち 人を遣りて其の往【ゆ】けるところに隨ひて, 向【さき】に誌【しる】せる所を尋ねんとすも, 遂に迷ひて 復【ま】たとは 路を得ず。 南陽の劉子驥【き】, 高尚の士也。 之を聞き欣【きん】然として往【ゆ】くを規【くはだ】つ。 未【いま】だ果たせずして, 尋【つい】で病に終る。 後【のち】 遂【つひ】に津を問ふ者 無し。
《桃花源幷記》陶淵明(陶潜) <#1>709 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2529
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