韓昌黎集 37《昌黎巻02-24(改訂版)嗟哉董生行》 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5771
- 2015/03/30
- 22:35
韓愈《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#1》この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
韓昌黎集 37《昌黎巻02-24(改訂版)嗟哉董生行》 韓愈 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 5771 |
年:799年貞元15年 32
卷別: 卷三三七 文體: 雜言古詩
詩題: 嗟哉董生行
作地點: 徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)
及地點: 桐柏山 (山南東道 隨州 桐柏山)
壽州 (淮南道壽州 壽州) 別名:壽陽
安豐 (淮南道壽州 安豐)
交遊人物:董召南
嗟哉董生行 -#1
淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休。
淝水出其側,不能千里百里入淮流。
壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。
刺史不能薦,天子不聞名聲。
(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董邵南の歌。)
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり、滔々と流れ出でている、そして、山の東へはるばる馳せ流れる、遙遙千里の間休むことなくどこまでも流れゆく。
その支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、淮水のように千里とはいかないが百里の間屈曲して流れ、淮水に注流する。
この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
董邵南は徳行の君子であるがために、州長官ごときがこれを推薦することができないでいたのだ、したがって、天子もその名声を聞き及ぶことはなく、爵禄が門におよぶことがなかったのだ。
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。
-#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來徵租更索錢。
嗟哉董生朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。
或山而樵,或水而漁。
入廚具甘旨,上堂問起居。
-#3
父母不慼慼,妻子不咨咨。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
-#4
徬徨躑躅久不去,以翼來復待狗歸。
嗟哉董生,誰將與儔。
時之人,夫妻相虐,兄弟為讎。
食君之祿,而令父母愁,亦獨何心,嗟哉董生無與儔。
#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
#3
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。
家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
#4
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。
『(改訂版)嗟哉董生行』 現代語訳と訳註解説
(本文) 嗟哉董生行 #1
淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休。
淝水出其側,不能千里百里入淮流。
壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。
刺史不能薦,天子不聞名聲。
詩文(含異文):
淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休【山東馳悠悠千里不能休】。
淝水出其側,不能千里百里入淮流。
壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。
刺史不能薦,天子不聞名聲。
(下し文)
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)#1
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山の東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里 淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。
(現代語訳)
(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董邵南の歌。)
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり、滔々と流れ出でている、そして、山の東へはるばる馳せ流れる、遙遙千里の間休むことなくどこまでも流れゆく。
その支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、淮水のように千里とはいかないが百里の間屈曲して流れ、淮水に注流する。
この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
董邵南は徳行の君子であるがために、州長官ごときがこれを推薦することができないでいたのだ、したがって、天子もその名声を聞き及ぶことはなく、爵禄が門におよぶことがなかったのだ。(訳注)
《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#1》
嗟哉董生行 #1
(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董生の歌。)
○嗟哉董生行 底本巻二。董召南というすぐれた民間知識人をたたえたうた。嗟哉は「ああ」。董生は董召南をさす。生はもと学者という意味で、唐の時代には、くん、とか、さん、とかぐらいの敬称として用いられた。行は詩体の一種。「男はつらいよ」の寅さんが口上を言うような詩である。このブログでは、漢詩の訳文を「現代詩」として付くことはしない事としている。できるだけ漢詩の意味が深く理解できるように考えて掲載しているが、この詩は、韓愈が啖呵を切るため、あるいは強調するため五言を四言にしたり、七言を六言にしている。その表現については原文に空白にしてあらわした。
董召南 壽州安豐の人。召は邵ともする。韓愈は、別に、《送董卲南序(送董生遊河北序)》をつくっている。“董生は進士に舉げられ,連【しき】りに誌に於て有司に得ず。”而して此の詩を敘り其の孝且つ慈は此の如し。蘇翰林も《蘇州姚氏三瑞堂》をつくっていて、その詩に雲う:“君見ずや 董召南,隱居し 義を行って孝且つ慈なり。天公 亦た人知無きを恐れ,故に雞狗 相い哺兒せられて,又た韓老は作詩を為さしむる。爾來 三百年,名は淮水に與って馳す。”と言っている。この詩はもっぱら、敬慕の意を述べるものである。
《送董卲南序(送董生遊河北序)》燕趙古稱多慷慨悲歌之士。
董生舉進士,連不得志於有司,
懷抱利器,鬱鬱適茲土。
吾知其必有合也。董生勉乎哉!
(董生に対して、燕に行かずに、朝廷に仕えよという意を諷したものである。)
董邵南は寿州(安徽省)安豊の人、孝行ものであった。韓愈は「嗟哉董生行」という詩を贈った。その河北に行くのを送った序である。
貞元中に仕官の道が絶えたので、各地の節度傍らが人材を招いて参謀とし、朝命を奉ぜず専横を極めた。董邵南も河北の潘鎮に招かれて行くのを、韓愈は大義上不賛成の意を含んで、この送序を作って諷した。
31 《讀巻04-15 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1277> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5369
31-#2 《讀巻04-15-#2 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1278> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5374
淮水出桐柏,山東馳遙遙,千里不能休。
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山の東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり、滔々と流れ出でている、そして、山の東へはるばる馳せ流れる、遙遙千里の間休むことなくどこまでも流れゆく。
○推水 推陽平民県胎簪山から流れ出、東北方の桐柏山のふもとをめぐり、遠く東流して洪沢湖に注ぐ河。
○遙遙 はるばる。『左伝、昭公二十五』「鸚鵠来巣、遠哉遙遙」(鸚鵠 巣より来たり、遠き遙遙たり)の句がみえる。
淝水出其側,不能千里 ,百里入淮流。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里 淮に入りて 流る。
その支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、淮水のように千里とはいかないが百里の間屈曲して流れ、淮水に注流する。
○淝水 九江成徳県広陽郷から流出し西北に走って淮水に注流する。
壽州屬縣有安豐,唐貞元時 ,縣人 董生召南,隱居行義於其中。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
○寿州 淮・淝二水の合流点にある。いまは安徽省に属する。
○隠居 知識人が仕官せず、民間にいること。中国の通念では、知識人は官文になって社会に奉仕すべきだとされる。それを官吏にならないから隠れ棲むことになる。おのれの意志で仕官しない場合と、望んでもできない場合とがある。董生は後者であった。
刺史不能薦,天子 不聞名聲。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。
董邵南は徳行の君子であるがために、州長官ごときがこれを推薦することができないでいたのだ、したがって、天子もその名声を聞き及ぶことはなく、爵禄が門におよぶことがなかったのだ。
○刺史 州長官。
○薦 刺史(州長官)は管下の人材を天子に推薦する義務をもち、唐代には、だいたい毎年、長官が主宰して試験し、合格したものを、長安の郡で行なわれる官吏資格認定試験に送ることになっていた。これを「薦【せん】」という。この詩で「不能薦」というのは、董生が州での試験に合格しなかったことをさす。このような試験にも裏口の存在したこと、「古来非独今」である。『從仕』 (韓愈)を参照。
從仕 (韓愈)
居閑食不足,從仕力難任。
兩事皆害性,一生恒苦心。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
棄置人間世,古來非獨今。
從仕 Ⅱ韓退之(韓愈)詩<41>314 紀頌之の漢詩ブログ 1021
淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休。
淝水出其側,不能千里百里入淮流。
壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。
刺史不能薦,天子不聞名聲。
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山の東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里 淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。
年:799年貞元15年 32
卷別: 卷三三七 文體: 雜言古詩
詩題: 嗟哉董生行
作地點: 徐州(河南道 / 徐州 / 徐州)
及地點: 桐柏山 (山南東道 隨州 桐柏山)
壽州 (淮南道壽州 壽州) 別名:壽陽
安豐 (淮南道壽州 安豐)
交遊人物:董召南
嗟哉董生行 -#1
(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董邵南の歌。)
淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休。
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり、滔々と流れ出でている、そして、山の東へはるばる馳せ流れる、遙遙千里の間休むことなくどこまでも流れゆく。
淝水出其側,不能千里百里入淮流。
その支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、淮水のように千里とはいかないが百里の間屈曲して流れ、淮水に注流する。
壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。
この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
刺史不能薦,天子不聞名聲。
董邵南は徳行の君子であるがために、州長官ごときがこれを推薦することができないでいたのだ、したがって、天子もその名声を聞き及ぶことはなく、爵禄が門におよぶことがなかったのだ。
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。
-#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來徵租更索錢。
俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する、これはむかしからそうなのである。
嗟哉董生朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。
ああ 董召南、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読むのが毎日のことだが、これじゃ一日中、休むこともできないありさまだ。
或山而樵,或水而漁。
また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
入廚具甘旨,上堂問起居。
そうして、台所に入りご飯仕度でうまいものを作り、奥座敷の親のために、部屋に出向いて鄭重にご機嫌をうかがっている。
#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
-#3
父母不慼慼,妻子不咨咨。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
-#4
徬徨躑躅久不去,以翼來復待狗歸。
嗟哉董生,誰將與儔。
時之人,夫妻相虐,兄弟為讎。
食君之祿,而令父母愁,亦獨何心,嗟哉董生無與儔。
#3
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。
家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
#4
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。
『(改訂版)嗟哉董生行』 現代語訳と訳註解説
(本文) 嗟哉董生行 #2
-#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來徵租更索錢。
嗟哉董生朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。
或山而樵,或水而漁。
入廚具甘旨,上堂問起居。
(下し文)#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
(現代語訳)
俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する、これはむかしからそうなのである。
ああ 董召南、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読むのが毎日のことだが、これじゃ一日中、休むこともできないありさまだ。
また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
そうして、台所に入りご飯仕度でうまいものを作り、奥座敷の親のために、部屋に出向いて鄭重にご機嫌をうかがっている。
(訳注)
《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#2》
嗟哉董生行 #2
(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董召南の歌。)
○嗟哉董生行 底本巻二。董召南というすぐれた民間知識人をたたえたうた。嗟哉は「ああ」。董生は董召南をさす。生はもと学者という意味で、唐の時代には、くん、とか、さん、とかぐらいの敬称として用いられた。行は詩体の一種。「男はつらいよ」の寅さんが口上を言うような詩である。このブログでは、漢詩の訳文を「現代詩」として付くことはしない事としている。できるだけ漢詩の意味が深く理解できるように考えて掲載しているが、この詩は、韓愈が啖呵を切るため、あるいは強調するため五言を四言にしたり、七言を六言にしている。その表現については原文に空白にしてあらわした。
董召南 壽州安豐の人。召は邵ともする。韓愈は、別に、《送董卲南序(送董生遊河北序)》をつくっている。“董生は進士に舉げられ,連【しき】りに誌に於て有司に得ず。”而して此の詩を敘り其の孝且つ慈は此の如し。蘇翰林も《蘇州姚氏三瑞堂》をつくっていて、その詩に雲う:“君見ずや 董召南,隱居し 義を行って孝且つ慈なり。天公 亦た人知無きを恐れ,故に雞狗 相い哺兒せられて,又た韓老は作詩を為さしむる。爾來 三百年,名は淮水に與って馳す。”と言っている。この詩はもっぱら、敬慕の意を述べるものである。
《送董卲南序(送董生遊河北序)》燕趙古稱多慷慨悲歌之士。
董生舉進士,連不得志於有司,
懷抱利器,鬱鬱適茲土。
吾知其必有合也。董生勉乎哉!
(董生に対して、燕に行かずに、朝廷に仕えよという意を諷したものである。)
董邵南は寿州(安徽省)安豊の人、孝行ものであった。韓愈は「嗟哉董生行」という詩を贈った。その河北に行くのを送った序である。
貞元中に仕官の道が絶えたので、各地の節度傍らが人材を招いて参謀とし、朝命を奉ぜず専横を極めた。董邵南も河北の潘鎮に招かれて行くのを、韓愈は大義上不賛成の意を含んで、この送序を作って諷した。
31 《讀巻04-15 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1277> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5369
31-#2 《讀巻04-15-#2 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1278> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5374
爵祿不及門,門外惟有吏,日來征租更索錢。
俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する、これはむかしからそうなのである。
○吏 官吏は、天子が直接任命する官と、出先官庁が雇う吏とからなり、吏は書吏とも背丈とも称する。官は転任することが多いが、吏は転任せず、官の下役として官庁の実務にあたった。ここにうたわれる吏は徴税吏である。
○更索銭 税金を徴収した上、さらにワイロを出せと請求する。これまた「古来非独今」である。
從仕 (韓愈)
居閑食不足,從仕力難任。閑に居れば 食ふもの足らず、仕に從へば 力 任へ難し
兩事皆害性,一生恒苦心。兩事 皆 性を害す、一生 恆【つね】に心を苦む。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。黄昏【こうこん】私室に歸り、惆悵して歎音【たんおん】を起す。
棄置人間世,古來非獨今。人間【じんかん】の世を棄置【きち】せむに、古來 獨り今のみに非ず。
むかしからそうなのであった。ただ現代、現実としてそうなのではない。
從仕 Ⅱ韓退之(韓愈)詩<41>314 紀頌之の漢詩ブログ 1021
唐「天聖戸令」に「人戸をしてその丁口田宅の實を具さしむ」(『続資治通艦長編』巻二五四神宗熙寧七年癸亥条呂恵郷議、『唐令拾遺』240頁)との記録があり、「唐」『唐令拾遺』239頁、『唐令要』巻八五団貌、『冊府元亀』巻四八六邦計部戸籍、などに規定がある。
「計帳」とは一定の地域の人民の集計表をいう。
嗟哉董生、朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。
ああ 董召南、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読むのが毎日のことだが、これじゃ一日中、休むこともできないありさまだ。
○古人書 韓愈『雜詩』「古史散左右、詩書置後前。」(古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。)とある。古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を前後において私の詩作に生かしている。
古史散左右、詩書置後前。古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く
豈殊蠧書蟲、生死文字閒。豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲の、文字の閒に生死するに。
古道白愚憃、古言自包纏。古道は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言は自らを包纏す。
當今固殊古、誰與爲欣歓。當今は固より古と殊なれり、誰と與にか欣歓をなさむ。
雜詩 #1 Ⅱ-311韓退之(韓愈)詩40 紀頌之の漢詩ブログ1012
或山而樵,或水而漁。
また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
○或山而樵、戎水而漁 二つの而字を于とするものもある。この語法も韓愈の古文復活を示すところ。詩経を模したもの。
入廚具甘旨,上堂問起居。
そうして、台所に入りご飯仕度でうまいものを作り、奥座敷の親のために、部屋に出向いて鄭重にご機嫌をうかがっている。
○廚 台所。男が親のために、みずから調理することは中国では孝行の定型の一つである。
○上堂 家の中で最もよい部屋が堂であって、そこに父母を住まわせる。だから父母のことを堂上ともいう。父母のいる部室に入ることを上堂という。
○問起居 起き居が安らかであるかどうかをたずねる。すなわち、ごきげんをぅかがうこと。朝夕起居を問うのが子の親に対する礼儀とされる。
嗟哉董生行 -#1
(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董邵南の歌。)
淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休。
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり、滔々と流れ出でている、そして、山の東へはるばる馳せ流れる、遙遙千里の間休むことなくどこまでも流れゆく。
淝水出其側,不能千里百里入淮流。
その支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、淮水のように千里とはいかないが百里の間屈曲して流れ、淮水に注流する。
壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。
この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
刺史不能薦,天子不聞名聲。
董邵南は徳行の君子であるがために、州長官ごときがこれを推薦することができないでいたのだ、したがって、天子もその名声を聞き及ぶことはなく、爵禄が門におよぶことがなかったのだ。
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。
-#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來徵租更索錢。
俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する、これはむかしからそうなのである。
嗟哉董生朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。
ああ 董召南、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読むのが毎日のことだが、これじゃ一日中、休むこともできないありさまだ。
或山而樵,或水而漁。
また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
入廚具甘旨,上堂問起居。
そうして、台所に入りご飯仕度でうまいものを作り、奥座敷の親のために、部屋に出向いて鄭重にご機嫌をうかがっている。
#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
-#3
父母不慼慼,妻子不咨咨。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
#3
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。
家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
-#4
徬徨躑躅久不去,以翼來復待狗歸。
嗟哉董生,誰將與儔。
時之人,夫妻相虐,兄弟為讎。
食君之祿,而令父母愁,亦獨何心,嗟哉董生無與儔。
#4
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。
《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#3》
『嗟哉董生行』 現代語訳と訳註解説
(本文) -#3
父母不慼慼,妻子不咨咨。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
(下し文) #3
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。
家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
(現代語訳)
そうであっても、父母はくよくよしないし、妻子もあくせくしないのである。
ああ 董邵南、きみは孝行もので情ぶかい、このことを、人は気がつかないことであるが、天の神さまだけはご存じで、ひっきりなしに、幸せな喜ばしいことをおくだしになる。
家に仔犬をそだてる母犬がいた、その犬が子を生んで 餌をさがしに出る、すると鶏がやって来て 犬の子に食べさせようとする。
コツコツと庭の虫や蟻を拾ってきて、口移しで食べさせようとするのだが 食べないで悲しげに鳴いている。
(訳注) 《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#3》
嗟哉董生行 #2
(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董召南の歌。)
○嗟哉董生行 底本巻二。董召南というすぐれた民間知識人をたたえたうた。嗟哉は「ああ」。董生は董召南をさす。生はもと学者という意味で、唐の時代には、くん、とか、さん、とかぐらいの敬称として用いられた。行は詩体の一種。「男はつらいよ」の寅さんが口上を言うような詩である。このブログでは、漢詩の訳文を「現代詩」として付くことはしない事としている。できるだけ漢詩の意味が深く理解できるように考えて掲載しているが、この詩は、韓愈が啖呵を切るため、あるいは強調するため五言を四言にしたり、七言を六言にしている。その表現については原文に空白にしてあらわした。
董召南 壽州安豐の人。召は邵ともする。韓愈は、別に、《送董卲南序(送董生遊河北序)》をつくっている。“董生は進士に舉げられ,連【しき】りに誌に於て有司に得ず。”而して此の詩を敘り其の孝且つ慈は此の如し。蘇翰林も《蘇州姚氏三瑞堂》をつくっていて、その詩に雲う:“君見ずや 董召南,隱居し 義を行って孝且つ慈なり。天公 亦た人知無きを恐れ,故に雞狗 相い哺兒せられて,又た韓老は作詩を為さしむる。爾來 三百年,名は淮水に與って馳す。”と言っている。この詩はもっぱら、敬慕の意を述べるものである。
《送董卲南序(送董生遊河北序)》燕趙古稱多慷慨悲歌之士。
董生舉進士,連不得志於有司,
懷抱利器,鬱鬱適茲土。
吾知其必有合也。董生勉乎哉!
(董生に対して、燕に行かずに、朝廷に仕えよという意を諷したものである。)
董邵南は寿州(安徽省)安豊の人、孝行ものであった。韓愈は「嗟哉董生行」という詩を贈った。その河北に行くのを送った序である。
貞元中に仕官の道が絶えたので、各地の節度傍らが人材を招いて参謀とし、朝命を奉ぜず専横を極めた。董邵南も河北の潘鎮に招かれて行くのを、韓愈は大義上不賛成の意を含んで、この送序を作って諷した。
31 《讀巻04-15 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1277> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5369
31-#2 《讀巻04-15-#2 送董卲南序》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1278> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5374
父母不戚戚,妻子不咨咨。
そうであっても、父母はくよくよしないし、妻子もあくせくしないのである。
○戚戚 くよくよする。《詩経・大雅 生民之什 行葦》「戚戚兄弟 莫遠具爾」(戚戚たる兄弟遠ざかること莫くして具に爾【ちか】し).
戚戚去故裡,悠悠赴交河。
公家有程期,亡命嬰禍羅。
君已富士境,開邊一何多?
棄絕父母恩,吞聲行負戈。
これから、がまんをして、もの悲しく思いながら故郷を去るのだ、はるかかなたの交河県の方へと赴くのである。
公家の軍隊には作戦日程があり、何時までに何処へ着くという破れない決まりがあるし、途中で命令違反や、放棄、逃亡すれば刑罰の網は容赦ないのだ。
我が君は己に秦、隋よりずっとたくさんの領地を手に入れておられるのに、なんでまだそんなに多く辺地を成敗して開拓しょうとなさるのであろうか。
天子に与えられたこの命、父母の恩より天子の恩に報いるため、しかたがない、父母の恩愛をふりすてて、泣き声を飲み込んでしながら、ほこを背負いひいて行くのだ。
前出塞九首 其一 杜甫
○咨咨 あくせくする。
嗟哉董生、孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
ああ 董邵南、きみは孝行もので情ぶかい、このことを、人は気がつかないことであるが、天の神さまだけはご存じで、ひっきりなしに、幸せな喜ばしいことをおくだしになる。
○孝且慈 孝は目上のものに対する、慈は目下のものに対する、やさしさ。
○天翁 唐代には、物語の中で、天の神をこういった。天のあるじ、天帝のことである。
○生祥下瑞 祥、瑞すなわち奇蹟をあらわした。
○無時期 やむときがない。ひっきりなしに、というほどの意。
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
家に仔犬をそだてる母犬がいた、その犬が子を生んで 餌をさがしに出る、すると鶏がやって来て 犬の子に食べさせようとする。
○乳 乳をのませる。家有狗乳は、家に仔犬をそだてる母犬がいた。
○哺 口うつしに食物を与えること。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
コツコツと庭の虫や蟻を拾ってきて、口移しで食べさせようとするのだが 食べないで悲しげに鳴いている。
○啄啄 ついばみついばむ。タクタクという字音が、こつこつついばむさまをたくみに表現している。陶侃「山鷄啄蟲蟻」杜甫《1818 縛鶏行》「家中厭鶏食虫蟻」の句がある。
○鳴声悲 仔犬は腹がへって鳴く声が悲しそうだ。
嗟哉董生行 -#1
(ああ嘆かわしい世だ、敬慕する董邵南の歌。)
淮水出桐柏,山東馳遙遙千里不能休。
淮水は胎簪山を水源にして桐柏山のふもとをめぐり、滔々と流れ出でている、そして、山の東へはるばる馳せ流れる、遙遙千里の間休むことなくどこまでも流れゆく。
淝水出其側,不能千里百里入淮流。
その支流に淝水があり、その水源の傍から出ており、淮水のように千里とはいかないが百里の間屈曲して流れ、淮水に注流する。
壽州屬縣有安豐,唐貞元時縣人董生召南隱居行義於其中。
この二つの河に取り囲まれた、そこに壽州があり、その屬縣の安豐縣というところが有る、唐の徳宗の貞元時代に、その県人の董召南という人が隠遁していて、知識人であるのに仕官せず、民間にいて正義や忠義を心の中に持っていて行いの正しいことをしている。
刺史不能薦,天子不聞名聲。
董邵南は徳行の君子であるがために、州長官ごときがこれを推薦することができないでいたのだ、したがって、天子もその名声を聞き及ぶことはなく、爵禄が門におよぶことがなかったのだ。
(嗟哉【ああ】董生の行【うた】)
准水【わいすい】は桐柏【とうはく】より出で、山東に馳【は】せて 遙遙【ようよう】、千里 休む能【あた】はず。
淝水【ひすい】は其の側【かたわら】に出で、千里なる能はざれども、百里にして淮に入りて 流る。
壽州【じゅしゅう】の屬縣【ぞくけん】に安豊【あんぽう】有り、唐の貞元【ていげん】の時、縣人の董生【とうせい】召南【しょうなん】あり、隠れ居【す】みて 義を其の中【うち】に行ふ。
刺史【しし】は薦むる能はず、天子は名聾を聞かず。
-#2
爵祿不及門,門外惟有吏,日來徵租更索錢。
俸禄が門を開けて家にとどくはずがない、門戸に税吏だけがあり、毎日やって来て納税の督促し、そのうえ「わいろ=小銭」を要求する、これはむかしからそうなのである。
嗟哉董生朝出耕,夜歸讀古人書,盡日不得息。
ああ 董召南、こんなことじゃ朝家を出て畑を耕し、夜帰って古人の書を読むのが毎日のことだが、これじゃ一日中、休むこともできないありさまだ。
或山而樵,或水而漁。
また、ある日は山で木こりをし、ある日は川で漁師をする。
入廚具甘旨,上堂問起居。
そうして、台所に入りご飯仕度でうまいものを作り、奥座敷の親のために、部屋に出向いて鄭重にご機嫌をうかがっている。
#2
爵祿【しゃくろく】門に及ばず、門外 惟【ただ】吏【り】あるのみ、日に来って租を徹し更に餞を索【もと】む。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】、朝に出でて耕し、夜は掃って古人の書を読む、尽日 息ふことを得ず。
或は山に樵【しょう】し、或は水に漁す。
厨【くりや】に入って甘旨【かんし】を具【ととの】へ、堂に上って起居を問ふ。
-#3
父母不慼慼,妻子不咨咨。
そうであっても、父母はくよくよしないし、妻子もあくせくしないのである。
嗟哉董生孝且慈,人不識,惟有天翁知,生祥下瑞無時期。
ああ 董邵南、きみは孝行もので情ぶかい、このことを、人は気がつかないことであるが、天の神さまだけはご存じで、ひっきりなしに、幸せな喜ばしいことをおくだしになる。
家有狗乳出求食,雞來哺其兒。
家に仔犬をそだてる母犬がいた、その犬が子を生んで 餌をさがしに出る、すると鶏がやって来て 犬の子に食べさせようとする。
啄啄庭中拾蟲蟻,哺之不食鳴聲悲。
コツコツと庭の虫や蟻を拾ってきて、口移しで食べさせようとするのだが 食べないで悲しげに鳴いている。
#3
父母は戚戚たらず、妻子は咨咨【しし】たらず。
嗟哉【ああ】董生【とうせい】 孝にして且 慈【じ】、人識らず、惟 天翁【てんおう】のみ知る有り、祥を生じ 瑞【ずき】を下し 時期 無し。
家に狗【いぬ】の乳する有り 出でて食を求む、鷄【にわとり】来って その児【こ】を哺【はぐく】まむとす。
啄啄【たくたく】として庭中に蟲蟻【ちゅうぎ】を拾ふ、之を哺【はぐく】ましめむとすれども食はず 鳴く聲悲し。
-#4
徬徨躑躅久不去,以翼來復待狗歸。
鶏は悲しげに鳴き、行ったり来たりうろついて、結局、行ってしまうこともしないでそこにいる。はては、翼をもって小犬をだきかかえ 親犬の帰りを待った。鶏と狛犬が互いに助け合うというのは他ではあるものではなく、董邵南がこれを感化させたもので、天より下された祥瑞である。
嗟哉董生,誰將與儔。
ああ 董邵南の徳行は、誰をきみにくらべることができようか。
時之人,夫妻相虐,兄弟為讎。
顧みれば、今の世間の人というものは、夫婦が互いに苦しめ合い、兄弟同士でがまるで仇のようになる。
食君之祿,而令父母愁,亦獨何心,嗟哉董生無與儔。
仕官して天子からから俸禄をもらうというのは、碌な事しかできず、父母を泣かせている連中がいるのである。
これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董邵南の徳行するものはいないのである。
#4
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。
《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#4》
『嗟哉董生行』 現代語訳と訳註解説
(本文) -#4
徬徨躑躅久不去,以翼來復待狗歸。
嗟哉董生,誰將與儔。
時之人,夫妻相虐,兄弟為讎。
食君之祿,而令父母愁,亦獨何心,嗟哉董生無與儔。
(下し文) #4
彷徨【ほうこう】し躑躅【てきちょく】して 久しく去らず、翼を以て来り覆うて 狗の歸るを待つ。
嗟哉 董生、誰を以てか與【とも】に儔【たぐ】へむ。
時の人、夫妻 相 虐【さいな】み 兄弟讎【あた】を爲す。
君の祿を食【は】み、而【しか】も 父母をして愁へしむ。
亦 濁り何の心ぞ、嗟哉 董生、與【とも】に儔【たぐ】へむもの無し。
(現代語訳)
鶏は悲しげに鳴き、行ったり来たりうろついて、結局、行ってしまうこともしないでそこにいる。はては、翼をもって小犬をだきかかえ 親犬の帰りを待った。鶏と狛犬が互いに助け合うというのは他ではあるものではなく、董邵南がこれを感化させたもので、天より下された祥瑞である。
ああ 董邵南の徳行は、誰をきみにくらべることができようか。
顧みれば、今の世間の人というものは、夫婦が互いに苦しめ合い、兄弟同士でがまるで仇のようになる。
仕官して天子からから俸禄をもらうというのは、碌な事しかできず、父母を泣かせている連中がいるのである。
これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董邵南の徳行するものはいないのである。
《巻02-24(改訂版)嗟哉董生行 -#4》
彷徨躑躅久不去,以翼來覆待狗歸。
鶏は悲しげに鳴き、行ったり来たりうろついて、結局、行ってしまうこともしないでそこにいる。はては、翼をもって小犬をだきかかえ 親犬の帰りを待った。鶏と狛犬が互いに助け合うというのは他ではあるものではなく、董邵南がこれを感化させたもので、天より下された祥瑞である。
○彷徨 うろつく。
○躑躅 行きつもどりつする。
嗟哉董生,誰將與儔?
ああ 董邵南の徳行は、誰をきみにくらべることができようか。
儔「仲間」という意味合いが強いが、「かざす」「覆い隠す」という意味もある。【儔匹(チュウヒツ)】【儔倫(チュウリン)】【儔侶(チュウリョ)】【儔類(チュウルイ)】【儔儷[5136](チュウレイ)】はどれも「仲間」とか「たぐい」の意。
時之人,夫妻相虐,兄弟爲讎。
顧みれば、今の世間の人というものは、夫婦が互いに苦しめ合い、兄弟同士でがまるで仇のようになる。
食君之祿,而令父母愁。
仕官して天子からから俸禄をもらうというのは、碌な事しかできず、父母を泣かせている連中がいるのである。
亦獨何心,嗟哉董生,無與儔。
これはいったいどんな気持ちというのだろうか、ああ 董邵南の徳行するものはいないのである。
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- カテゴリ:韓昌黎集 全十一巻
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