Index- | 10 | Ⅱ― 5-730年開元十八年30歳 | 19首 | ||
ID | No. | 詩題 | 詩文初句 | 李太白集 | |
135 | 80 | 1 | 孤蘭生幽園, | 巻一 | |
136 | 81 | 2 | 長相思 | 長相思, | 巻五 |
137 | 82 | 3 | 秦女卷衣 | 天子居未央, | 巻四 |
138 | 83 | 4 | 鳳凰曲 | 嬴女吹玉簫, | 巻五 |
139 | 84 | 5 | 鳳臺曲 | 嘗聞秦帝女, | 巻五 |
140 | 85 | 6 | 邠歌行上新平長史兄粲 | 邠谷稍稍振庭柯, | 巻六 |
141 | 86 | 7 | 玉真仙人詞 | 玉真之仙人, | 巻七 |
142 | 87 | 8 | 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一 | 秋坐金張館, | 巻八 |
143 | 88 | 9 | 苦雨思白日, | 巻八 | |
144 | 89 | 10 | 讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 | 漢道昔云季, | 巻八 |
145 | 90 | 11 | 贈裴十四 | 朝見裴叔則, | 巻八 |
146 | 91 | 12 | 贈新平少年 | 韓信在淮陰, | 巻八 |
147 | 92 | 13 | 秋山寄衛尉張卿及王徵君 | 何以折相贈, | 巻十二 |
148 | 93 | 14 | 夜別張五 | 吾多張公子, | 巻十四 |
149 | 94 | 15 | 答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 | 河伯見海若, | 巻十八 |
150 | 95 | 16 | 西上太白峰, | 巻二十 | |
151 | 96 | 17 | 登新平樓 | 去國登茲樓, | 巻二十 |
152 | 97 | 18 | 擬古,十二首之二 | 高樓入青天, | 巻二十三 |
153 | 98 | 19 | 感遇,四首之二 | 可歎東籬菊, | 巻二十三 |
年:730年開元十八年30歳
卷別: 卷一六四 文體: 樂府
詩題: 秦女卷衣
及地點: 未央宮 (京畿道 京兆府 長安)
秦女卷衣
天子居未央,妾侍卷衣裳。
顧無紫宮寵,敢拂黃金床。
水至亦不去,熊來尚可當。
微身奉日月,飄若螢之光。
願君采葑菲,無以下體妨。
(宮女の忠誠心について詠う)
天子は未央宮の別殿におわします、妾は御側の御用を承りお床入りの際に御衣裳を畳んで御片付けするのです。
但し、従前、紫微垣において、恩寵を得たわけではないので、黃金牀を払って、枕席に侍る事は無いのです。
しかし、天子のためにはこの身を惜しまぬ覚悟をしており、楚の昭王の夫人が、使者が命符を持参していなかったことによって、大水にも動かず水死したというような信義をもっており、また、馮婕妤が、熊が檻から飛び出した時、身を以て聖躬をかばったというように、天子の恩為ばかり思っているのです。
この身は微かなものであるのですが、天子に奉侍するのは日月に対するものであり、たしかに蛍の光でもって照らすほどの物かもしれないのですが。
願わくば、わが君、芳菲を採るのに下の根が悪いからと言って全体を棄てないのと同じように、もとより足らないこの身であるのですが、攻めてこの忠誠心を汲んでいただき、お目をかけていただきたいのです。
秦女卷衣
天子は未央に居り,妾 侍って衣裳卷く。
顧るに 紫宮の寵無し,敢えて 黃金の床を拂う。
水至れども 亦た 去らず,熊來るも 尚お當る可し。
微身 日月を奉げ,飄として 螢の光の若し。
願わくば 君 葑菲を采って,下體を以って妨ぐる無かれ。
『秦女卷衣』 現代語訳と訳註解説
(本文)
秦女卷衣
天子居未央,妾侍卷衣裳。
顧無紫宮寵,敢拂黃金床。
水至亦不去,熊來尚可當。
微身奉日月,飄若螢之光。
願君采葑菲,無以下體妨。
(含異文)
天子居未央,妾侍卷衣裳【妾來卷衣裳】。
顧無紫宮寵,敢拂黃金床。
水至亦不去,熊來尚可當。
微身奉日月【微身捧日月】,飄若螢之光【飄若螢火光】。
願君采葑菲,無以下體妨。
(下し文)
(秦女卷衣)
天子は未央に居り,妾 侍って衣裳卷く。
顧るに 紫宮の寵無し,敢えて 黃金の床を拂う。
水至れども 亦た 去らず,熊來るも 尚お當る可し。
微身 日月を奉げ,飄として 螢の光の若し。
願わくば 君 葑菲を采って,下體を以って妨ぐる無かれ。
(現代語訳)
(宮女の忠誠心について詠う)
天子は未央宮の別殿におわします、妾は御側の御用を承りお床入りの際に御衣裳を畳んで御片付けするのです。
但し、従前、紫微垣において、恩寵を得たわけではないので、黃金牀を払って、枕席に侍る事は無いのです。
しかし、天子のためにはこの身を惜しまぬ覚悟をしており、楚の昭王の夫人が、使者が命符を持参していなかったことによって、大水にも動かず水死したというような信義をもっており、また、馮婕妤が、熊が檻から飛び出した時、身を以て聖躬をかばったというように、天子の恩為ばかり思っているのです。
この身は微かなものであるのですが、天子に奉侍するのは日月に対するものであり、たしかに蛍の光でもって照らすほどの物かもしれないのですが。
願わくば、わが君、芳菲を採るのに下の根が悪いからと言って全体を棄てないのと同じように、もとより足らないこの身であるのですが、攻めてこの忠誠心を汲んでいただき、お目をかけていただきたいのです。
(訳注)
秦女卷衣
(宮女の忠誠心について詠う)
楽府古題に秦王卷衣曲があり、咸陽の春景、および、宮闕の美を歌うが、李白はこれに基づきこの詩を作ったもの。いわゆる、教坊の曲である。
天子居未央,妾侍卷衣裳。
天子は未央宮の別殿におわします、妾は御側の御用を承りお床入りの際に御衣裳を畳んで御片付けするのです。
未央 未央宮(びおうきゅう)は、古代中国の前漢の都である長安の南西部にあった宮殿であり、前漢の皇帝の居場所であった。
妾 へりくだった自称。わらわ。曹植《妾薄命二首》
妾薄命二首 其一 曹植 魏詩<71> 女性詩740 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2248
顧無紫宮寵,敢拂黃金床。
但し、従前、紫微垣において、恩寵を得たわけではないので、黃金牀を払って、枕席に侍る事は無いのです。
紫宮 紫微垣(しびえん)とは、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の中垣。天の北極を中心とした広い天区。あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。「紫微」「紫微宮(しびきゅう)」「紫宮(しきゅう)」「紫垣(しえん)」ともいい、天帝の在所とされたため、転じて皇宮、朝廷の異称ともなった。「
水至亦不去,熊來尚可當。
しかし、天子のためにはこの身を惜しまぬ覚悟をしており、楚の昭王の夫人が、使者が命符を持参していなかったことによって、大水にも動かず水死したというような信義をもっており、また、馮婕妤が、熊が檻から飛び出した時、身を以て聖躬をかばったというように、天子の恩為ばかり思っているのです。
水至亦不去 楚の昭王の夫人、貞姜の逸話。列女傳に『一日,楚の昭王出て遊ぶ,將て貞姜を在築した江邊の漸台の上に留めて去る。楚の昭王、出遊の途中、江水の氾濫を聽聞し,使者をして夫人を迎えしむ。但し使者、楚昭王の命符を攜帶するを忘る。夫人曰く,「王、宮人と約し、宮人を召さしむるには必ず、命符を以てす。今使者命符を持参せず、妾、あえて行かず。」と。ここにおいて、使者、帰って命符をとる。すなわち、水、大いに至り、臺崩れ、夫人流れて死す。』とある。
熊來尚可當 野熊が檻欄に前爪をかけて中に入ろうとしてきた。 元帝の左右侍従、貴人、傅昭儀を含め在内の妃嬪たちはみな驚き慌てふためいて、 一斉に逃げだした。しかし馮婕妤が一人残り、元帝の前を遮るように直立不動にして 挺身、熊の前に立った。刹那、武士が駆け込んで熊を刺殺した。 元帝は顧みて馮婕妤に問うた。「猛獣が前より至れば、人情としてみな惧れおののく。お前は何故、前を阻んで熊に当たろうとしたのだ?」馮婕妤が答えて言った。「妾は、猛獣が獲物を獲たら次は襲わないと聞いております。 妾は熊が御坐を侵すのではなかと恐れ、ゆえに情として自ら身をもって熊に当たり、 陛下が受掠を免まぬがれるようにと 願ったのです。」
元帝は感動して賛嘆し、馮婕妤に対する寵愛はさらに深くなった。 この時、傅昭儀らは馮婕妤の答議を聞いて自らを慚はじた。 これにより馮婕妤と傅昭儀との間に隙ができた。馮婕妤は馮奉世の娘である。 元帝は馮婕妤を拜して昭儀とした。
微身奉日月,飄若螢之光。
この身は微かなものであるのですが、天子に奉侍するのは日月に対するものであり、たしかに蛍の光でもって照らすほどの物かもしれないのですが。
願君采葑菲,無以下體妨。
願わくば、わが君、芳菲を採るのに下の根が悪いからと言って全体を棄てないのと同じように、もとより足らないこの身であるのですが、攻めてこの忠誠心を汲んでいただき、お目をかけていただきたいのです。