驕兒詩 李商隠 #1
- 2011/12/22
- 21:18
驕兒詩 李商隠 #1
李商隠 38歳の作品。35歳の時の子兗師は目の中に入れても痛くない子であったのだろう。親ばかぶりに好感の持てる詩である。1200年前の三歳児教育はいかがなものであったのか。(詩中四歳児は数え年であるため、現在でいう3歳児である。)
五言古詩。ここでは単純に12句6聯ごとに区切って掲載する。
驕兒詩
#1
袞師我驕兒,美秀乃無匹。文葆未周晬,固已知六七。
四歲知名姓,眼不視梨栗。交朋頗窺觀,謂是丹穴物。
前朝尚器貌,流品方第一。不然神仙姿,不爾燕鶴骨。
#2
安得此相謂,欲慰衰朽質。青春妍和月,朋戲渾甥侄。
繞堂複穿林,沸若金鼎溢。門有長者來,造次請先出。
客前問所須,含意下吐實。歸來學客面,闡敗秉爺笏。
#3
或謔張飛胡,或笑鄧艾吃。豪鷹毛崱屴,猛馬氣佶傈。
截得青筼簹,騎走恣唐突。忽複學參軍,按聲喚蒼鶻。
又複紗燈旁,稽首禮夜佛。仰鞭罥蛛網,俯首飲花蜜。
#4
欲爭蛺蝶輕,未謝柳絮疾。階前逢阿姊,六甲頗輸失。
凝走弄香奩,拔脫金屈戌。抱持多反側,威怒不可律。
曲躬牽窗網,衉唾拭琴漆。有時看臨書,挺立不動膝。
#5
古錦請裁衣,玉軸亦欲乞。請爺書春勝,春勝宜春日。
芭蕉斜卷箋,辛夷低過筆。爺昔好讀書,懇苦自著述。
憔悴欲四十,無肉畏蚤虱。兒慎勿學爺,讀書求甲乙。
#6
穰苴司馬法,張良黃石術。便爲帝王師,不假更纖悉。
況今西與北,羌戎正狂悖。誅赦兩未成,將養如痼疾。
兒當速成大,探雛入虎穴。當爲萬戶侯,勿守一經帙。
#1
袞師我驕兒,美秀乃無匹。
袞師というのは可愛い我が家のとても可愛い男の子。眉目秀麗でこれに匹敵する子なんていやしない。
文葆未周晬,固已知六七。
腹当てをしていて、まだ初誕生をむかえぬうちから、もうすでに六つ七つと指折り数える利発さだ。
四歲知名姓,眼不視梨栗。
四歳になった、名を問われて姓名を答えたのだ。誰もが知ってる、陶淵明の息子たちは一向に勉強せず、梨や実ばかりを採って食べると、叱責の詩を作ったが、うちの息子はそんなことは眼中にないのだ。
交朋頗窺觀,謂是丹穴物。
私の朋友たちも、時たま訪れて、息子の姿を注意深く観察してこの子は「丹穴の鳳凰、天才の卵ではないか」と言われたのだ。
前朝尚器貌,流品方第一。
六朝時代であれば品評に、姿かたちを重んずる時代であった、さしずめ九品官人法の流品の評価は第一と鑑定されたはずである。
不然神仙姿,不爾燕鶴骨。
そうでなくて、神仙の資質をもっているとも、でなければ燕鶴にたとえられるほどの貴顕たるの性格を持つものと言える人物である。
騎児の詩
#1
袞師は我が騎児、美秀 乃ち匹(たぐい) 無(なし)。
文葆(ぶんぽう) 末だ 周晬(しゅうさい)ならざるに、固(もと)より巳に六七を知る。
四歳にして姓名を知り、眼には梨と栗とを視ず。
交朋 頗(すこぶ)る 窺(うかが)い観て、謂う是(これ)丹穴の物ならんと。
前朝 器貌(きぼう)を尚(とうと)ぶ、流品 万(まさ)しく第一ならん。
然らずんば 神仙の姿、爾(しからずんば) 燕鶴(えんかく)の骨(かたち)なり。
驕兒詩 #1 現代語訳と訳註
(本文)
袞師我驕兒,美秀乃無匹。
文葆未周晬,固已知六七。
四歲知名姓,眼不視梨栗。
交朋頗窺觀,謂是丹穴物。
前朝尚器貌,流品方第一。
不然神仙姿,不爾燕鶴骨。
(下し文)#1
袞師は我が騎児、美秀 乃ち匹(たぐい) 無(なし)。
文葆(ぶんぽう) 末だ 周晬(しゅうさい)ならざるに、固(もと)より巳に六七を知る。
四歳にして姓名を知り、眼には梨と栗とを視ず。
交朋 頗(すこぶ)る 窺(うかが)い観て、謂う是(これ)丹穴の物ならんと。
前朝 器貌(きぼう)を尚(とうと)ぶ、流品 万(まさ)しく第一ならん。
然らずんば 神仙の姿、爾(しからずんば) 燕鶴(えんかく)の骨(かたち)なり。
(現代語訳)
袞師というのは可愛い我が家のとても可愛い男の子。眉目秀麗でこれに匹敵する子なんていやしない。
腹当てをしていて、まだ初誕生をむかえぬうちから、もうすでに六つ七つと指折り数える利発さだ。
四歳になった、名を問われて姓名を答えたのだ。誰もが知ってる、陶淵明の息子たちは一向に勉強せず、梨や実ばかりを採って食べると、叱責の詩を作ったが、うちの息子はそんなことは眼中にないのだ。
私の朋友たちも、時たま訪れて、息子の姿を注意深く観察してこの子は「丹穴の鳳凰、天才の卵ではないか」と言われたのだ。
六朝時代であれば品評に、姿かたちを重んずる時代であった、さしずめ九品官人法の流品の評価は第一と鑑定されたはずである。
そうでなくて、神仙の資質をもっているとも、でなければ燕鶴にたとえられるほどの貴顕たるの性格を持つものと言える人物である。
(訳注)
驕兒詩
○驕兒詩 可愛いわが子の歌。この詩は李商隠の嫡子である褒師の矯遊のさまを、志をとげ得ぬ自己の憂愁のうちから、幾分の謹話を以て歌ったもの。李商隠三十八歳の頃の作品。
西晋の詩人左思250頃~305頃
嬌女詩
吾家有嬌女、皎皎頗白皙。
小字爲紈素、口齒自清曆。
有姊字蕙芳、眉目燦如畫。
馳騖翔園林、果下皆生摘。
貪華風雨中、倏忽數百適。
心爲荼荈劇、吹噓對鼎鐕。
東晋の詩人陶淵明(365~427)
陶淵明 .責子
白髮被兩鬢,肌膚不復實。
雖有五男兒,總不好紙筆。
阿舒已二八,懶惰故無匹。
阿宣行志學,而不好文術。
雍端年十三,不識六與七。
通子垂九齡,但覓梨與栗。
天運苟如此,且進杯中物。
李白 701年 - 762年
李白 寄東魯二稚子
・・・・・・・
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
・・・・・・・
李商隠がそれらの作品を念頭に置いていたことは詩句の節節から推測できる。
袞師我驕兒,美秀乃無匹。
袞師というのは可愛い我が家のとても可愛い男の子。眉目秀麗でこれに匹敵する子なんていやしない。
○袞師 李商隠の子の幼名。
文葆未周晬,固已知六七。
腹当てをしていて、まだ初誕生をむかえぬうちから、もうすでに六つ七つと指折り数える利発さだ。
○文葆 はらあて。○周晬 子供が生れて一年のことを呼という。周は年をめぐるの義。○固已 ある状態を以前からそうだったという時、国という。故に通ず。○知六七 陶淵明の子を責むでは「雍端年十三,不識六與七。」とあるのを逆用した表現。
四歲知名姓,眼不視梨栗。
四歳になった、名を問われて姓名を答えたのだ。誰もが知ってる、陶淵明の息子たちは一向に勉強せず、梨や実ばかりを採って食べると、叱責の詩を作ったが、うちの息子はそんなことは眼中にないのだ。
○眼不視梨栗 同じく責子の詩に「通子垂九齡,但覓梨與栗。」とあるのをふまえる。
交朋頗窺觀,謂是丹穴物。
私の朋友たちも、時たま訪れて、息子の姿を注意深く観察してこの子は「丹穴の鳳凰、天才の卵ではないか」と言われたのだ。
○交朋 李商隠のいつも交流している知人、友人。○頗 すこしく。○窺観 規はこっそりと見る。窺観は注意深く観察する。○謂 意見をのべる。○丹穴物 丹穴は南の果ての神山の名で、そこにすむ鳳凰のような逸材だというのが「丹穴の物」の意味。「山海経」に「丹穴の山に鳥有り。状は鶏の如く、五采にして文あり。名づけて鳳凰と日う。」とある。
前朝尚器貌,流品方第一。
六朝時代であれば品評に、姿かたちを重んずる時代であった、さしずめ九品官人法の流品の評価は第一と鑑定されたはずである。
○前朝尚器貌 前朝は隋唐による中国統一以前の魏晋南北朝時代、六朝をいう。この時代は月旦、人物批評が盛んで、弁舌と容貌によって大きく作用した。○流品 魏の曹操が作った九品官人法により、六朝の官吏登用は九品中正、郡の中正が、郷里の評価を基礎にして、この人物はどの階層の官位までのぼり得る能力があると予言的に人物評価をし、中央に報告した。官職はその評価に基づいてあたえられた。その人物評価の等級を流品という。貴族社会を定着させるものであった。李商隠の頃は、この制度は形式的なものになっていた。
不然神仙姿,不爾燕鶴骨。
そうでなくて、神仙の資質をもっているとも、でなければ燕鶴にたとえられるほどの貴顕たるの性格を持つものと言える人物である。
○不然 そうでなければ、という仮設の義。○神仙姿 姿は資質という意味。○燕鶴骨 燕領や鶴歩はみな貴人のかたちの喩えである。骨は風骨すなわちキャラクターという意味。
---[参考]-------------------------------------------
西晋 左思 250頃~305頃 中国西晋の文学者。臨(りんし)(山東省)の人。字(あざな)は太沖(たいちゅう)。構想10年で書きあげた「三都賦」の人気が洛陽の紙価を高めた故事で知られる。詩では詠史詩にすぐれる。西晋 左思 驕女詩
吾家有嬌女、皎皎頗白皙。小字爲紈素、口齒自清曆。有姊字蕙芳、眉目燦如畫。馳騖翔園林、果下皆生摘。貪華風雨中、倏忽數百適。心爲荼荈劇、吹噓對鼎鐕。
左思の「嬌女詩」に「吾が家に嬌女ありて、皎皎として頗る白皙なり。小字は紈素と為し、口の歯は自のずと清曆なり。姉あり字は恵芳、眉目は燦として画けるが如し。馳せ騖びて園林を翔け、果の下で皆な生で摘ぐ。華を貪る風雨の中、倏忽にして数百適く。心は荼荈の為に劇だしく,吹嘘して鼎鐕に対す。」と。
陶淵明(陶潜) 365~427 六朝時代の東晋の詩人。江西の人。名は潜。淵明は字(あざな)。一説に名は淵明、字は元亮(げんりょう)。官職に就いたが、束縛を嫌い、彭沢(ほうたく)県の県令を最後に「帰去来辞(ききょらいのじ)」を作って官を辞し、故郷へ戻った。自然を愛する田園生活を送り、すぐれた詩を残した。詩では「飲酒」、文では「桃花源記」が有名。五柳先生。
李白 701年 - 762年 中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。
李白のわが子に対する詩 二首
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