李太白集 164《太白巻05-13 少年行,二首之一》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 6401
- 2015/08/03
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擊筑飲美酒,劍歌易水湄。經過燕太子,結託并州兒。
少年負壯氣,奮烈自有時。因聲魯句踐,爭博勿相欺。
(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)二首の一
筑を弾じる声を聴きつつ、美酒を飲み、易水のほとりにおいては、易水の風が冷たく人々の肌を 刺すので剣を弾じて荊軻のように歌うものだ。そして、燕の太子丹の様な野心漫漫たる貴人を訪問したり、幷州の遊侠少年と交際して、平生もっぱら男を磨くことを務めとしている。この貴公子は、若くてもっぱら壮気を恃み時としては、奮発して、随分生命をも捨てかねないというほどの勢いである。そういうことで、逆に、魯勾践の様なものをも殴りつけ、博して道を争う時など、あまり自分だけ偉がって人を圧倒するなと言って一本決めつけるというものだ。
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165 《巻05-13 少年行,二首之一》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首
年:731年開元十九年31歳
卷別: 卷一六五 文體: 樂府
詩題: 少年行,二首之一
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點: 太原府 (河東道 太原府 太原府) 別名:太原、并州
少年行,二首之一
(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)二首の一
擊筑飲美酒,劍歌易水湄。
筑を弾じる声を聴きつつ、美酒を飲み、易水のほとりにおいては、易水の風が冷たく人々の肌を 刺すので剣を弾じて荊軻のように歌うものだ。
經過燕太子,結託并州兒。
そして、燕の太子丹の様な野心漫漫たる貴人を訪問したり、幷州の遊侠少年と交際して、平生もっぱら男を磨くことを務めとしている。
少年負壯氣,奮烈自有時。
この貴公子は、若くてもっぱら壮気を恃み時としては、奮発して、随分生命をも捨てかねないというほどの勢いである。
因聲魯句踐,爭博勿相欺。
そういうことで、逆に、魯勾践の様なものをも殴りつけ、博して道を争う時など、あまり自分だけ偉がって人を圧倒するなと言って一本決めつけるというものだ。
(少年行,二首之一)
擊筑をって美酒を飲み,劍歌す 易水の湄【ほとり】。
燕の太子を經過して,結託す 并州の兒。
少年壯氣を負い,奮烈 自ら時有り。
因って聲【な】らす 魯句踐,博を爭うも 相い欺く勿れ。
『少年行,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(本文)
少年行,二首之一
擊筑飲美酒,劍歌易水湄。
經過燕太子,結託并州兒。
少年負壯氣,奮烈自有時。
因聲魯句踐,爭博勿相欺。
(下し文)
(少年行,二首之一)
擊筑をって美酒を飲み,劍歌す 易水の湄【ほとり】。
燕の太子を經過して,結託す 并州の兒。
少年壯氣を負い,奮烈 自ら時有り。
因って聲【な】らす 魯句踐,博を爭うも 相い欺く勿れ。
(現代語訳)
(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)二首の一
筑を弾じる声を聴きつつ、美酒を飲み、易水のほとりにおいては、易水の風が冷たく人々の肌を 刺すので剣を弾じて荊軻のように歌うものだ。
そして、燕の太子丹の様な野心漫漫たる貴人を訪問したり、幷州の遊侠少年と交際して、平生もっぱら男を磨くことを務めとしている。
この貴公子は、若くてもっぱら壮気を恃み時としては、奮発して、随分生命をも捨てかねないというほどの勢いである。
そういうことで、逆に、魯勾践の様なものをも殴りつけ、博して道を争う時など、あまり自分だけ偉がって人を圧倒するなと言って一本決めつけるというものだ。
(訳注)
少年行,二首之一
(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)二首の一
少年子も、六朝時代から始まった楽府題で、少年の貴盛豪富を写したものである。
・少年を題材にしたものは盛唐の詩人の間で流行っていたのだろう。杜甫も最初二首詠い、しばらくして、この一首詠っている。どの詩人も貴族の親に向けて、批判はできないが、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している。
・貴族の子弟が酒屋において傲慢に酒を貪ったさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は七言絶句の形式の歌行である。同種の『貧孝行』がある。
王維の「少年行四首」は漢時代を借りて四場面の劇構成になっている。
王維『少年行四首』 其一
新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
杜甫《少年行》
馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。
少年行 杜甫 蜀中転々 杜甫 <501> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2695 杜甫詩1000-501-733/1500
杜甫『少年行』を一首と二首の三首,作っている
少年行,二首之一
莫笑田家老瓦盆,自從盛酒長兒孫。
傾銀注瓦驚人眼,共醉終同臥竹根。
(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその一)
少年行,二首之一 蜀中転々 杜甫 <498> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2680 杜甫詩1000-498-730/1500
農家の古ぼけたかわらけの盃や肴を盛り付ける大皿食器を、笑うことをしてはいけない。こんな農家だとその食器でしか富貴の者の子や孫に提供して酒宴をさかんにするだけなのだ。
銀の飾り物を盃にしたり、瓦の盆にさけをついだり、村の人々を困らせるだけである。あげく、みんな酔っぱらって、ついに同じように静寂で隠棲の場所である竹林で寝てしまうしまつである。
杜甫《少年行,二首之二》
巢燕養雛渾欲去、江花結子也無多。
黄衫年少來宜敷、不見堂前東逝波。
(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその一)
巣で雛を育てる多くのツバメというものはせいちょうすれば全員去ってゆくものであるということや、濯錦江を花いっぱいにして浣花渓と名付けたのを、わたしの女子供らが見ているのです。
それなのに、片肌脱いだ貴族の息子どもはここに来て勝手に座っているし、奥座敷の前入るやつらはそれがこの国の常識であることを知ってはいないのだろうか。
杜甫《少年行》
馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
馬上で我が物顔で振る舞うのは、どこの富貴の家の御曹司のものだろうか、酒屋のきざはしの前から馬をおり、人が座っていた長椅子に、どっかと腰をかけるのだ。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。
それから横柄な態度で、何処の誰とも名のらず、「あれをくれ」と、銀の酒瓶を指ざしして酒をもとめ、瓶の紐をもって瓶ごと直に呑んでいるのだ。
(少年行)
馬上 誰が家の白面郎ぞ、馬より下りて階に臨み、人牀に坐す。
姓氏を通ぜず麤豪【そごう】甚し、銀瓶【ぎんべい】を指点して酒を索もとめて嘗【な】む。
少年行,二首之二 蜀中転々 杜甫 <499> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2685 杜甫詩1000-499-731/1500
擊筑飲美酒,劍歌易水湄。
筑を弾じる声を聴きつつ、美酒を飲み、易水のほとりにおいては、易水の風が冷たく人々の肌を 刺すので剣を弾じて荊軻のように歌うものだ。
筑 筑(琴に似た竹製の楽器)の名手の高漸離と意気投合し、いつも 二人で酒を飲み歩き、酔うと高漸離は筑を鳴らし、荊軻はそれに和して 歌い、傍若 ... 易水の風は冷たく人々の肌を 刺し、高漸離の筑と荊軻の歌声とは悲壮に人々の心をふるわせた。
易水 易水の別れ易水送別(荊軻と燕の昭王の太子丹、高漸離たちと易水の畔での別れのことを指す。)『史記』(卷八十六・刺客列傳第二十六には、その場面を次のように記している:「太子及賓客知其事者,皆白衣冠以送之。至易水之上,既祖,取道,高漸離撃筑,荊軻和而歌,爲變徴之聲,士皆垂涙涕。又前而爲歌曰:『風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還!』復爲羽聲慷慨,士皆瞑目,髮盡上指冠。於是荊軻就車而去,終已不顧。」と悲壮な別れで有名な荊軻の易水の別れの場面に基づいている。なお、前記『易水歌』ページには、荊軻関聯の詩を集めている。この詩題は『於易水送人』ともする。同義だが、『易水送別』の方は、「易水の別れ」という風に「送別」等を名詞と取れるのに対して、『於易水送人』では場所を表し、「送人」は動詞となり、「易水に於いて人を送る」となる。この作品は、則天武后(武則天)が唐の帝位を簒奪したことについて、荊軻の義挙(暗殺)に托して詠ったという。
經過燕太子,結託并州兒。
そして、燕の太子丹の様な野心漫漫たる貴人を訪問したり、幷州の遊侠少年と交際して、平生もっぱら男を磨くことを務めとしている。
燕太子 燕太子丹(えん の たいし たん、? - 紀元前226年)は、古代中国の戦国時代末期の燕の王族。姓は姞[1]、諱は丹。燕王喜の子。
少年時代は、趙に人質として送られ、同じく人質だった秦の王族だった政と親しくしていたことがある。後に本国に帰国して、燕の太子となった。
後年に燕の使節として、かつて昔なじみの秦の秦王政に挨拶をしたが、秦王政から冷たく対応されて、丹は衝撃を受けて秦は燕にとって災いをおよぼす国だと判断して、帰国した。
帰国して秦の強大化を危惧した丹は、重臣である鞠武へ如何にすべきか相談したところ、鞠武は「秦は三晋(趙・魏・韓)を脅かし、北に甘泉・谷口が天然の要害となり、南に涇水・渭水に沿った肥沃な大地を有する。肥沃な巴や漢中を独占し、右は隴・蜀の山脈、左は函谷関・崤山に守られている。人口は多く、また兵士も勇猛で、武器防具も満たされている。」と評して秦と争うことの愚を献策したものの、丹はそれを聞き入れなかった。
秦の軍勢の少数精鋭化により解雇された兵士たちを哀れに思って、それに反対した秦の元将軍である樊於期が、秦王政に疎まれて燕に亡命してきた。丹がこれを匿う様子を見せたのに対して、鞠武は「樊於期を庇うことは『飢えた虎(秦)の目の前に肉を置く』ようなもの。樊於期を匈奴へと追放した上で、三晋及び斉・楚、匈奴と同盟を結んで対抗すべき」と再び献策したものの、丹は政の非情な政策により命を狙われ、家族までも殺されて、行く宛てもなく秦に追われながら逃げ続けていた樊於期の窮状に哀れみを感じ、この策を退けた。
鞠武から紹介を受けた田光に、丹は秦への対応策を相談したところ、田光より荊軻を頼るように助言を受けた。丹は帰り際、田光へ「今まで話した内容は他言無用」と語ったことに対し、荊軻へ丹からの用向きを伝えた田光は「田光は自害したので、もはや漏れることはない」と荊軻に言い残して自ら命を絶った。これを荊軻より聞いた丹は深く悲しんだ。
丹は、秦王政を暗殺するため荊軻を刺客として、荊軻の説得で自殺した樊於期の首と、秦に割譲すると偽った督亢の地図を持たせ、白い衣装と冠を着て易水の畔まで見送った上で、秦へと派遣した。しかし、荊軻は暗殺に失敗してその場で殺され、一連の事件に対して秦王は紀元前226年に事件の首謀者である丹を追討するために燕へと侵攻、首都薊が陥落した。燕王喜は一時遼東に逃れ、その後に丹を殺してその首を秦に差し出すことで許された。
并州兒 古しへの襄陽歌に「拳鞭問二蔦彊、何如幷州兒幷州」幽幷といつて幷称し、古來豪侠の人を産する處である。并州(へいしゅう)は中国にかつて存在した州。 上古の中国の九州の一つに数えられている。具体的な区域については、『周礼』では「正北」すなわち中原から真北側にあたる地域であるとし、五岳の一である恒山を山鎮とするとしている。
少年負壯氣,奮烈自有時。
この貴公子は、若くてもっぱら壮気を恃み時としては、奮発して、随分生命をも捨てかねないというほどの勢いである。
因聲魯句踐,爭博勿相欺。
そういうことで、逆に、魯勾践の様なものをも殴りつけ、博して道を争う時など、あまり自分だけ偉がって人を圧倒するなと言って一本決めつけるというものだ。
聲 ならすと蔑む外は兄い、ごなりつけろ。一本に撃とある、なぐりつける。
魯句踐 史記刺客列静にこ「魯勾撰、制御と博して、泣か等ふ。魯勾践、怒って之か叱す。剤封、猷して、逃れ去る。魯勾既、すでに刑河の婁王和知すむ聞いて、私に日く、ああ惜いか雪その刺創り衝心講ぜざるや。甚し、菅が人を知らざるや。嚢に、菅、これも叱す、彼、乃ち我を以て人に非すと発きむしとある。
相欺 欺は威圧する、圧倒する。
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