李太白集 174《太白巻巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 6451
- 2015/08/13
- 21:17
遊子東南來,自宛適京國。飄然無心雲,倏忽復西北。
訪戴昔未偶,尋嵇此相得。愁顏發新歡,終宴敘前識。
閻公漢庭舊,沈鬱富才力。
(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)
自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。ここに王君と知り合ったが、例えば、昔の王子猷が戴安道を訪れて、その時には逢わなかったように柔然はたがいにまみえることは稀であったが、この頃は、嵆康が石安と親しく、逢いたいと思えば、いつでも出かけるように、頻りに親炙することが出来て、まことに喜ばしい。そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。
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175 -#1《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈》-#1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首
年:731年開元十九年31歳
卷別: 卷一七八 文體: 五言古詩
詩題: 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈
作地點: 坊州(關內道 / 坊州 / 坊州)
及地點: 坊州 (關內道 坊州 坊州)
南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都
交遊人物:王嵩 書信往來(關內道 坊州 坊州)
閻正字 書信往來
酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈
(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)
遊子東南來,自宛適京國。
自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。
飄然無心雲,倏忽復西北。
例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。
訪戴昔未偶,尋嵇此相得。
ここに王君と知り合ったが、例えば、昔の王子猷が戴安道を訪れて、その時には逢わなかったように柔然はたがいにまみえることは稀であったが、この頃は、嵆康が石安と親しく、逢いたいと思えば、いつでも出かけるように、頻りに親炙することが出来て、まことに喜ばしい。
愁顏發新歡,終宴敘前識。
そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。
閻公漢庭舊,沈鬱富才力。
閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。
價重銅龍樓,聲高重門側。
寧期此相遇,華館陪遊息。
積雪明遠峰,寒城鎖春色。
主人蒼生望,假我青雲翼。
風水如見資,投竿佐皇極。
(坊州の王司馬と閻正字と雪に對して贈らるるに酬ゆ)
遊子 東南より來り,宛自り京國に適く。
飄然たる無心の雲,倏忽 復た西北。
戴を訪うて昔 未だ偶せず,嵇を尋ねて此に相い得たり。
愁顏 新歡を發し,終宴 前識を敘す。
閻公 漢庭の舊,沈鬱 才力に富む。
價は重し銅龍の樓,聲は高し重門の側。
寧ろ期せんや此に相い遇い,華館 遊息に陪するを。
積雪 遠峰明らかに,寒城 春色を鎖す。
主人 蒼生の望,我に青雲の翼を假す。
風水如し資せられるれば,竿を投じて皇極を佐けん。
『酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈』 現代語訳と訳註解説
(本文)
酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈
遊子東南來,自宛適京國。
飄然無心雲,倏忽復西北。
訪戴昔未偶,尋嵇此相得。
愁顏發新歡,終宴敘前識。
閻公漢庭舊,沈鬱富才力。
(下し文)
(坊州の王司馬と閻正字と雪に對して贈らるるに酬ゆ)
遊子 東南より來り,宛自り京國に適く。
飄然たる無心の雲,倏忽 復た西北。
戴を訪うて昔 未だ偶せず,嵇を尋ねて此に相い得たり。
愁顏 新歡を發し,終宴 前識を敘す。
閻公 漢庭の舊,沈鬱 才力に富む。
(現代語訳)
(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)
自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。
例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。
ここに王君と知り合ったが、例えば、昔の王子猷が戴安道を訪れて、その時には逢わなかったように柔然はたがいにまみえることは稀であったが、この頃は、嵆康が石安と親しく、逢いたいと思えば、いつでも出かけるように、頻りに親炙することが出来て、まことに喜ばしい。
そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。
閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。
酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈
(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)
遊子東南來,自宛適京國。
自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。
宛 秦のとき、宛縣とし、隋以降南陽縣とした。
適京國 長安にたどり着いた。
飄然無心雲,倏忽復西北。
例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。
訪戴昔未偶,尋嵇此相得。
ここに王君と知り合ったが、例えば、昔の王子猷が戴安道を訪れて、その時には逢わなかったように柔然はたがいにまみえることは稀であったが、この頃は、嵆康が石安と親しく、逢いたいと思えば、いつでも出かけるように、頻りに親炙することが出来て、まことに喜ばしい。
訪戴 王子猷が雪の夜、小舟に乗じて戴安道を訪ねた。
王子猷居山陰,夜大雪,眠覺,開室,命杓酒。 四望皎然,因起徬徨,詠左思招隱詩。忽憶戴安道。時戴在剡, 即便夜乘小舟就之。 經宿方至,造門不前而返。人問其故, 王曰:「 無本乘興而行,興盡而返,何必見戴?」
むかし、王子猷は山陰というところに住んでいた。生活のための日々の仕事に縛られることなく、ただ花鳥風月に心を寄せて多くの年月を暮らしていた。何かのことを思い立ったら(すぐ動かないと)いらいらするたちで、情趣を大事にする人なので、ある大雪が降った日に,雪が止んで、素晴らしく美しい月光が煌々と照らす夜、一人でこの光景を起きて見ているうちに、その趣を一人で味わうだけでは我慢できなくなったのであろうか、心の欲求のまま高瀬舟に乗って(おそらく家臣に棹を操らせ)友人の戴安道を訪れていった。家までの道は遠いので、夜も明け月も傾いてしまったのを、残念に思ったのであろう、このような理由でやって来たとも言わずに、そのまま門のところから引き歸していった。なぜ、そんなことをしたのかと聞く人があったので、「一緒に月を見ようとやってきたのだけれど、友人に逢う必要があるだろうか(いや月も風景も変わってしまい、趣がなくなっていた)」風流を大事にする心の深さは、このことでよくわかることであろう。戴安道は剡縣という所に住んでいた。王子猷の年来の友である。同じように風流を理解する人であったそうだ。
尋嵇 嵆康の親友であった呂安は、兄の呂巽が自分の妻と私通した事が原因で諍いを起こし、兄を告発しようとしたところ、身の危険を感じた呂巽によって先に親不孝の罪で訴えられた。この時嵆康は呂安を弁護しようとしたが、鍾会は以前から嵆康に怨恨があり、この機会に嵆康と呂安の言動を風俗を乱す行いだと司馬昭に讒言した。このため、先に仕官を拒否したことと共に罪状に挙げられ、嵆康と呂安は死罪となった。
愁顏發新歡,終宴敘前識。
そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。
閻公漢庭舊,沈鬱富才力。
閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。
閻行(エンカウ)(生没年未詳)漢犍為太守・列侯、字は彦明。金城の人。韓遂の女婿。後に「閻豔」と改名する《張既伝》。若いころから勇名を馳せ、初めは小将として韓遂に付き従った。建安年間(一九六~二二〇)の初め、韓遂と馬騰が攻撃しあったとき、馬騰の子馬超にも勇名があったが、閻行は馬超を突き刺し、矛が折れてしまうと、その柄で馬超のうなじを殴り、殺す寸前だった《張既伝》。
年:731年開元十九年31歳
卷別: 卷一七八 文體: 五言古詩
詩題: 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈
作地點: 坊州(關內道 / 坊州 / 坊州)
及地點: 坊州 (關內道 坊州 坊州)
南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都
交遊人物:王嵩 書信往來(關內道 坊州 坊州)
閻正字 書信往來
酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈
(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)
遊子東南來,自宛適京國。
自分は、遊子の身を以て、初めに、東南より来たって、南陽を経て長安にたどり着いた。
飄然無心雲,倏忽復西北。
例えば、無心の雲一片、飄然として、倏忽の間に西北に向って飛び去ったようなものだ。
訪戴昔未偶,尋嵇此相得。
ここに王君と知り合ったが、例えば、昔の王子猷が戴安道を訪れて、その時には逢わなかったように柔然はたがいにまみえることは稀であったが、この頃は、嵆康が石安と親しく、逢いたいと思えば、いつでも出かけるように、頻りに親炙することが出来て、まことに喜ばしい。
愁顏發新歡,終宴敘前識。
そこで、愁顔にも新歡を発してどうやら愉快のなったように見え、宴席の間に於いては、つねに、従前のことを述べて、たがいに打ち興じていた。
閻公漢庭舊,沈鬱富才力。
閻公は漢庭の旧臣であって、豊富なる才力は、その人物を自然沈鬱にしてしまうのであった。
175-#2 《巻18-13 酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈 -#2》
價重銅龍樓,聲高重門側。
太子正字として銅龍門樓をでて聲価は愈々重く、やがて、その名は九重の門を入って帝宮にまで響き渡っているのである。
寧期此相遇,華館陪遊息。
その閻公がはからずも王司馬に遭い、華館において宴をひらいたとのことである。
積雪明遠峰,寒城鎖春色。
おりしも、積雪は遠峰に明らかに見えているし、寒城は春の盛りかと見まごう花が咲き誇るかと思えるような雪景色で春が来るのを閉ざしている。
主人蒼生望,假我青雲翼。
その景色を見てこの詩を作って私に贈られたが、王司馬は民衆の望みを負うておられる人で願わくば、私に青雲の翼を借りて仕官の手助けをしてほしいとおもっている。
風水如見資,投竿佐皇極。
こうして、風水の便を得て、愈々世間に乗り出すなら、私としても、隠者のまねなどせずに、これまで手にしていた釣竿を投げ捨て、かの大中の道を助け、見事に功績をあげてみせるというものである。
(坊州の王司馬と閻正字と雪に對して贈らるるに酬ゆ)
遊子 東南より來り,宛自り京國に適く。
飄然たる無心の雲,倏忽 復た西北。
戴を訪うて昔 未だ偶せず,嵇を尋ねて此に相い得たり。
愁顏 新歡を發し,終宴 前識を敘す。
閻公 漢庭の舊,沈鬱 才力に富む。
價は重し銅龍の樓,聲は高し重門の側。
寧ろ期せんや此に相い遇い,華館 遊息に陪するを。
積雪 遠峰明らかに,寒城 春色を鎖す。
主人 蒼生の望,我に青雲の翼を假す。
風水如し資せられるれば,竿を投じて皇極を佐けん。
『酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈』 現代語訳と訳註解説
(本文)
價重銅龍樓,聲高重門側。
寧期此相遇,華館陪遊息。
積雪明遠峰,寒城鎖春色。
主人蒼生望,假我青雲翼。
風水如見資,投竿佐皇極。
(下し文)
價は重し銅龍の樓,聲は高し重門の側。
寧ろ期せんや此に相い遇い,華館 遊息に陪するを。
積雪 遠峰明らかに,寒城 春色を鎖す。
主人 蒼生の望,我に青雲の翼を假す。
風水如し資せられるれば,竿を投じて皇極を佐けん。
(現代語訳)
太子正字として銅龍門樓をでて聲価は愈々重く、やがて、その名は九重の門を入って帝宮にまで響き渡っているのである。
その閻公がはからずも王司馬に遭い、華館において宴をひらいたとのことである。
おりしも、積雪は遠峰に明らかに見えているし、寒城は春の盛りかと見まごう花が咲き誇るかと思えるような雪景色で春が来るのを閉ざしている。
その景色を見てこの詩を作って私に贈られたが、王司馬は民衆の望みを負うておられる人で願わくば、私に青雲の翼を借りて仕官の手助けをしてほしいとおもっている。
こうして、風水の便を得て、愈々世間に乗り出すなら、私としても、隠者のまねなどせずに、これまで手にしていた釣竿を投げ捨て、かの大中の道を助け、見事に功績をあげてみせるというものである。
(訳注)
酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈
(坊州司馬の王某と太子正字閻某と二人が、雪を愛でて、寄懐の詩を贈ってくれたので、それに酬いて作ったもの。)
價重銅龍樓,聲高重門側。
太子正字として銅龍門樓をでて聲価は愈々重く、やがて、その名は九重の門を入って帝宮にまで響き渡っているのである。
價重 名声の価は愈々重いということ。
銅龍樓 漢太子宮門の名。 門樓の上に銅龍を飾って有る。 亦た帝王の宮闕とされた時もある。
聲高重門 九重の門を入って帝宮にまで響き渡っている。重門は九重の門、帝宮の門。
寧期此相遇,華館陪遊息。
その閻公がはからずも王司馬に遭い、華館において宴をひらいたとのことである。
閻行(エンカウ)(生没年未詳)漢犍為太守・列侯、字は彦明。金城の人。韓遂の女婿。後に「閻豔」と改名する《張既伝》。
積雪明遠峰,寒城鎖春色。
おりしも、積雪は遠峰に明らかに見えているし、寒城は春の盛りかと見まごう花が咲き誇るかと思えるような雪景色で春が来るのを閉ざしている。
主人蒼生望,假我青雲翼。
その景色を見てこの詩を作って私に贈られたが、王司馬は民衆の望みを負うておられる人で願わくば、私に青雲の翼を借りて仕官の手助けをしてほしいとおもっている。
風水如見資,投竿佐皇極。
こうして、風水の便を得て、愈々世間に乗り出すなら、私としても、隠者のまねなどせずに、これまで手にしていた釣竿を投げ捨て、かの大中の道を助け、見事に功績をあげてみせるというものである。
皇極 尚書の洪範に建用皇極とあって、孔安國の伝に「皇は大なり、極は中なり、おおよそ事を立つるには当に大中の道を用うべし。」とある。
《尚書·洪范》:“次五曰建用皇極。 ”孔安國傳:“皇,大;極,中也。凡立事當用大中之道。”.
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