李太白集 176《太白巻巻20-36 登廣武古戰場懷古》 李白kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 6461
- 2015/08/15
- 21:10
秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。
(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。
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177-#1 《巻20-36 登廣武古戰場懷古 -#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首
年:731年開元十九年31歳
卷別: 卷一八○ 文體: 五言古詩
詩題: 登廣武古戰場懷古
作地點: 廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)
及地點: 廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)
登廣武古戰場懷古#1
(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)
秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。
むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。
項王氣蓋世,紫電明雙瞳。
中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。
呼吸八千人,橫行起江東。
そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。
#2
赤精斬白帝,叱吒入關中。
兩龍不並躍,五緯與天同。
楚滅無英圖,漢興有成功。
按劍清八極,歸酣歌大風。
#3
伊昔臨廣武,連兵決雌雄。
分我一杯羹,太皇乃汝翁。
戰爭有古跡,壁壘頹層穹。
猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。
#4
翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。
撥亂屬豪聖,俗儒安可通。
沈湎呼豎子,狂言非至公。
撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。
(含異文)
秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。赤精斬白帝,叱吒入關中。兩龍不並躍,五緯與天同。楚滅無英圖,漢興有成功。按劍清八極,歸酣歌大風。伊昔臨廣武,連兵決雌雄。分我一杯羹,太皇乃汝翁。戰爭有古跡,壁壘頹層穹。猛虎嘯洞壑【猛虎吟洞壑】,飢鷹鳴秋空【飢鷹獵秋空】。翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。撥亂屬豪聖,俗儒安可通。沈湎呼豎子,狂言非至公。撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。
(廣武の古戰場に登りて懷古す)#1
秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。
項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。
呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。
#2
赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。
兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。
楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。
劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。
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『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(本文)
登廣武古戰場懷古#1
秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。
項王氣蓋世,紫電明雙瞳。
呼吸八千人,橫行起江東。
(下し文)
(廣武の古戰場に登りて懷古す)#1
秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。
項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。
呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。
(現代語訳)
(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)
むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。
中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。
そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。
登廣武古戰場懷古 -#1
(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)
秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。
むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。
秦鹿 秦國の帝位をしめす。鹿を馬といわせた秦の支配が終わったこと。趙高が宮中に「珍しい馬がおります」と鹿を連れて来た。 胡亥は「丞相はどうかしたのか、これは鹿ではないか」と言ったが、「これは馬です」と趙高が答え、群臣にどう見えるか聞いた。趙高の権勢を恐れる者は馬と言い、屈しない者は鹿と言った。趙高はその場はちょっとした余興ということで納めたが、後日、鹿だと答えた官吏を、軒並み捕らえて処刑した。
項王氣蓋世,紫電明雙瞳。
中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。
氣蓋世 項羽の垓下歌「力拔山兮氣蓋世」とあり、項羽は自分がまだ意気盛んだと言っている。
雙瞳 重瞳、項羽本紀「羽もまた重瞳子」とある。重瞳(ちょうどう)とは、一つの眼玉に、瞳が二つある眼のこと。とくに、中国の貴人の身体的特徴として表現されることが多い。たとえば、伝説上の聖王である舜は重瞳だったという。また、資治通鑑などの史書によれば、項羽も重瞳だったという。
明らかな異相であるが、王の権威付けのためか、特に古代中国の王には重瞳にかぎらず、常人とは異なった身体的特徴をしていることが多い。たとえば、文王は四乳といって乳首が四つあったといわれ、禹は三漏といって耳の穴が三つあったという伝承が残っている。
呼吸八千人,橫行起江東。
そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。
八千人 項羽本紀「天之亡我。我何渡為。且籍与江東子弟八千人渡江而西。」(天の我を亡す、我何ぞ渡るを為さん。 且つ籍、与に江東の子弟八千人、江を渡りて西す。)
項 籍(こう せき、紀元前232年 - 紀元前202年)は、秦末期の楚の武将。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし、一時“西楚の覇王”(在位紀元前206年 - 紀元前202年)と号した。その後、天下を劉邦と争い(楚漢戦争)、当初は圧倒的に優勢であったが人心を得ず、次第に劣勢となって敗死した。
姓は項、名は籍、字が羽である。[1]以下、一般に知られている項羽(こうう)の名で記す。項羽は楚の将軍であった項燕の孫であり、項氏は代々楚の将軍を務めた家柄であった。項羽は両親を早くに亡くしたため叔父の項梁に養われていた。
秦末期、陳勝・呉広の乱が起きると、項羽は項梁に従って会稽郡役所に乗り込み、郡守である殷通をだまし討ちした後に襲いかかってきた殷通の部下数十名を一人で皆殺しにし、会稽の役人たちは項羽の強さに平伏、項梁は会稽郡守となって造反軍に参加した。
登廣武古戰場懷古#1
(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)
秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。
むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。
項王氣蓋世,紫電明雙瞳。
中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。
呼吸八千人,橫行起江東。
そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。
#2
赤精斬白帝,叱吒入關中。
ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。
兩龍不並躍,五緯與天同。
しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。
楚滅無英圖,漢興有成功。
楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。
高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。
#3
伊昔臨廣武,連兵決雌雄。
分我一杯羹,太皇乃汝翁。
戰爭有古跡,壁壘頹層穹。
猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。
#4
翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。
撥亂屬豪聖,俗儒安可通。
沈湎呼豎子,狂言非至公。
撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。
(含異文)
秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。赤精斬白帝,叱吒入關中。兩龍不並躍,五緯與天同。楚滅無英圖,漢興有成功。按劍清八極,歸酣歌大風。伊昔臨廣武,連兵決雌雄。分我一杯羹,太皇乃汝翁。戰爭有古跡,壁壘頹層穹。猛虎嘯洞壑【猛虎吟洞壑】,飢鷹鳴秋空【飢鷹獵秋空】。翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。撥亂屬豪聖,俗儒安可通。沈湎呼豎子,狂言非至公。撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。
(廣武の古戰場に登りて懷古す)#1
秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。
項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。
呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。
#2
赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。
兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。
楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。
劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。
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<!--[endif]-->
『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(本文) #2
赤精斬白帝,叱吒入關中。
兩龍不並躍,五緯與天同。
楚滅無英圖,漢興有成功。
按劍清八極,歸酣歌大風。
(下し文)
赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。
兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。
楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。
劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う
(現代語訳)
ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。
しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。
楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。
(訳注) #2
登廣武古戰場懷古 -#2
(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)
廣武 (河南地図h-10)都畿道河南府滎陽縣に廣武城がある。城は山上にあり、漢が築いた。劉邦が絶澗に臨んで対語し、劉邦は項羽の十罪を責めた時、項羽の射たやがむねのささり重症をおった。西征記に「三皇山あり、或は三室山という、各々山上に城あり、東に東廣武城、西を西廣武城と云い、この間、絶澗をへだつ、漢祖、項籍と語る處。」とある。
赤精斬白帝,叱吒入關中。
ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。
赤精 高祖劉邦は、赤龍に感じて生まれる。自ら赤精という。《漢書‧哀帝紀》: “待詔夏賀良等言赤精子之讖。” 顏師古注引應劭して曰く: “ 高祖感赤龍而生, 自謂赤帝之精。
斬白帝 白帝の子が赤帝の子に斬られて、乏しい人がその理由を高祖にはなすと、高祖が喜んだ。それより先に、劉邦が自分で大蛇を斬り殺している。「白帝の子が赤帝の子に斬られて」と言われた。劉邦は自分が赤帝の子だと思っているから、五行説から、赤が黒を征服し、黄が赤を征服する。劉邦が喜んだのは、「赤が黒を征服し」の方だ。秦の色は黒だから、秦の旗の色は黒。だから、劉邦はこの言葉を聞いて、秦を征服するのは自分だと確信して喜んだ。劉邦軍の旗の色は赤。漢の色は赤、火の徳を持つとされる。漢のから政権を奪った魏の色は黄、土の徳を持つとされる。
叱吒 【叱咤】 怒気をあらわして大声でしかること。しかりつけること。 しっ‐せき【叱責】 しかりせめること。
關中 函谷関の西側の地域を指す。現在の中国陝西省渭水盆地の西安を中心とした一帯である。春秋戦国時代の秦の領地であり、その後の前漢や唐もこの地に首都を置いた。
兩龍不並躍,五緯與天同。
しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。
五緯 五星のこと。張平子(張衡)《西京賦》「自我高祖之始入也,五緯相汁以旅於東井。」(我が高祖の始めて入りし自り,五緯【ごい】相い汁【あ】いて以て于東井【とうせい】に旅【つらな】る。)(帝都の計画) 我が高祖が始めて雍の地に入られると、この地を五つの星の配列に相い応じて東井の星座のようにならべる。
張平子(張衡)《西京賦》(8)(帝都の計画)#3-1 文選 賦<114―(8)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1045 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3773
楚滅無英圖,漢興有成功。
楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。
高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。
八極 八方と同じ、ここでは天下。李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めた。
大風 高祖 大風歌「大風起兮雲飛揚云云」とある。
#2
赤精斬白帝,叱吒入關中。
ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。
兩龍不並躍,五緯與天同。
しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。
楚滅無英圖,漢興有成功。
楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。
高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。
#3
伊昔臨廣武,連兵決雌雄。
その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。
分我一杯羹,太皇乃汝翁。
項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。
戰爭有古跡,壁壘頹層穹。
その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。
猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。
廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。
#4
翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。
撥亂屬豪聖,俗儒安可通。
沈湎呼豎子,狂言非至公。
撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。
(含異文)
秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。項王氣蓋世,紫電明雙瞳。呼吸八千人,橫行起江東。
赤精斬白帝,叱吒入關中。兩龍不並躍,五緯與天同。楚滅無英圖,漢興有成功。按劍清八極,歸酣歌大風。
伊昔臨廣武,連兵決雌雄。分我一杯羹,太皇乃汝翁。戰爭有古跡,壁壘頹層穹。猛虎嘯洞壑【猛虎吟洞壑】,飢鷹鳴秋空【飢鷹獵秋空】。
翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。撥亂屬豪聖,俗儒安可通。沈湎呼豎子,狂言非至公。撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。
(廣武の古戰場に登りて懷古す)#1
秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。
項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。
呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。
#2
赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。
兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。
楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。
劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。
#3
伊れ昔 廣武に臨み,兵を連ねて雌雄を決す。
我に分つ 一杯の羹【あつもの】を,太皇は乃ち汝の翁。
戰爭 古跡有り,壁壘【へきるい】 層穹【そうきゅう】に頹【くず】る。
猛虎 洞壑に嘯き,飢鷹 秋空に鳴く。
#4
翔雲 曉陣を列し,殺氣 長虹赫たり。
撥亂 豪聖に屬し,俗儒 安んぞ通す可けんや。
沈湎 豎子を呼び,狂言 至公にら非ず。
掌を撫す 黃河の曲,嗤嗤たり 阮嗣宗。
『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(本文) #3
伊昔臨廣武,連兵決雌雄。
分我一杯羹,太皇乃汝翁。
戰爭有古跡,壁壘頹層穹。
猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。
(下し文) #3
伊れ昔 廣武に臨み,兵を連ねて雌雄を決す。
我に分つ 一杯の羹【あつもの】を,太皇は乃ち汝の翁。
戰爭 古跡有り,壁壘【へきるい】 層穹【そうきゅう】に頹【くず】る。
猛虎 洞壑に嘯き,飢鷹 秋空に鳴く。
(現代語訳)
その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。
項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。
その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。
廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。
登廣武古戰場懷古 -#3
(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)
廣武 (河南地図h-10)都畿道河南府滎陽縣に廣武城がある。城は山上にあり、漢が築いた。劉邦が絶澗に臨んで対語し、劉邦は項羽の十罪を責めた時、項羽の射たやがむねのささり重症をおった。西征記に「三皇山あり、或は三室山という、各々山上に城あり、東に東廣武城、西を西廣武城と云い、この間、絶澗をへだつ、漢祖、項籍と語る處。」とある。
伊昔臨廣武,連兵決雌雄。
その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。
分我一杯羹,太皇乃汝翁。
項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。
分我一杯羹 項羽本紀「項羽はすでに東海地方を平定して西にむかい、広武山に臨んで漢と相 対して陣をしいた。たがいに守備して対峙すること数ヵ月であった。 このときにあたって、彭越はしばしば梁の地で反抗し、楚の糧食を絶 った。項羽はこれを憂慮し、高い俎板をつくって太公をその上に磔にし、 漢王劉邦に告げた。「いま、早急に降服しなければ、太公を烹殺してしまうぞ」漢王劉邦は言った。「わしは項羽とともに北面して懐王の命を受けたが、そのとき『兄弟 となることを約束しよう』と言った。 してみれば、わが父はすなわち おまえの父だ。どうしてもおまえの父を烹殺すというのなら、ぜひ、 わしにも一杯の羹をくれ」項羽は怒って、本当に太公を殺そうとした。項伯が言った。「天下がどう定まるかは、まだわかりません。かつまた、天下を取ろうとするものは、家族のことなどかえりみません。太公を殺しても益 はなく、かえってむだに漢王を怒らせて、当方の禍を増すにすぎませ ん」項羽はこの意見にしたがった。楚と漢は相対峙してなかなか決戦しなかった。若者は兵役に苦しみ、老弱は陸上・水上の輸送に疲れはてた。項羽が漢王劉邦に言った。「天下は匈々としてさわぎ乱れること数年になるが、それは、ただわれら両人のためだ。ひとつ、挑戦して雌雄を決しようではないか。いたずらに天下の民の父子を苦しめるようなことはやめよう」漢王劉邦は笑ってことわって言った。「わしは、むしろ智でたたかうのであって、力ではたたかわ ない」劉邦は項羽を責めて言った。
戰爭有古跡,壁壘頹層穹。
その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。
猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。
廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。
年:731年開元十九年31歳
卷別: 卷一八○ 文體: 五言古詩
詩題: 登廣武古戰場懷古
作地點: 廣武山(都畿道 / 河南府 / 廣武山)
及地點: 廣武山 (都畿道 河南府 廣武山)
登廣武古戰場懷古#1
(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)
秦鹿奔野草,逐之若飛蓬。
むかし、秦は帝位を失い、例えば、鹿が野草の間に奔るが奴とく、そこで、群雄はこれを追うて飛蓬の如く、頻りに相争った。
項王氣蓋世,紫電明雙瞳。
中にも、項羽は、気、世を蓋い、帝王の重瞳は明らかにして、紫電の勢いを示した。
呼吸八千人,橫行起江東。
そして、一呼吸の間に八千人を狩り集め、横行して、江東の地より起った。
#2
赤精斬白帝,叱吒入關中。
ここにまた、漢の高祖は、自ら赤精といい、白帝の子である蛇を斬り、やがて、叱咤して函谷関内に攻め入った。
兩龍不並躍,五緯與天同。
しかし、両龍は並び踊らず、天と同じように五星の配列に相い応じて東井の星座のように帝都の計画をしたのだ。
楚滅無英圖,漢興有成功。
楚は滅亡し、項羽に英図無く、漢は興り、高祖の成功は世に明らかとなった。
按劍清八極,歸酣歌大風。
高祖は、剣を按じて八方を掃清し、沛宮にかえって、酒宴の盛りに「大風歌」を作った。
#3
伊昔臨廣武,連兵決雌雄。
その昔、漢楚戦争のとき、高祖が項羽とともに、ここ廣武城に臨み、兵を連ねて雌雄を決しようとした。
分我一杯羹,太皇乃汝翁。
項羽が高祖の父、太皇を釜茹でにしようと台に登らせて脅迫したが、高祖は「吾が翁は即ち汝の翁、幸いに我に一杯の羹を分かて」といった場所がここである。
戰爭有古跡,壁壘頹層穹。
その楚漢戦争の古跡は今も残っていて、塁壁は天の半ばにまで高く連なって崩れかけている。
猛虎嘯洞壑,飢鷹鳴秋空。
廣武は山河の形勝に富んだところで、猛虎は洞谷壑峡の間に嘯き、飢鷹は天高く秋空に鳴いている。
#4
翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。
翔りゆく雲は暁に陣形を連ね調えたかと怪しまれ、今残っている殺気は、廣武城にかかる長い虹よりもかがやいている。
撥亂屬豪聖,俗儒安可通。
元来、撥亂反正の大業は、豪聖の君に限ることで、その心事は区々たる俗儒にはわからないことなのだ。
沈湎呼豎子,狂言非至公。
昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。
撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。
私は、黄河のほとりに立ち、手を敲きながら、かの阮籍の狂愚を笑うのである。
(廣武の古戰場に登りて懷古す)#1
秦鹿 野草に奔り,之を逐うて 飛蓬の若し。
項王 氣 世を蓋う,紫電 雙瞳明かなり。
呼吸す 八千人,橫行して 江東に起る。
#2
赤精 白帝を斬り,叱吒して關中に入る。
兩龍 並び躍らず,五緯 天と同じ。
楚 滅して英圖無く,漢 興って成功有り。
劍を按じて八極を清うし,歸酣 大風を歌う。
#3
伊れ昔 廣武に臨み,兵を連ねて雌雄を決す。
我に分つ 一杯の羹【あつもの】を,太皇は乃ち汝の翁。
戰爭 古跡有り,壁壘【へきるい】 層穹【そうきゅう】に頹【くず】る。
猛虎 洞壑に嘯き,飢鷹 秋空に鳴く。
#4
翔雲 曉陣を列し,殺氣 長虹赫たり。
撥亂 豪聖に屬し,俗儒 安んぞ通す可けんや。
沈湎 豎子を呼び,狂言 至公にら非ず。
掌を撫す 黃河の曲,嗤嗤たり 阮嗣宗。
『登廣武古戰場懷古』 現代語訳と訳註解説
(本文) #4
翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。
撥亂屬豪聖,俗儒安可通。
沈湎呼豎子,狂言非至公。
撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。
(下し文)#4
翔雲 曉陣を列し,殺氣 長虹赫たり。
撥亂 豪聖に屬し,俗儒 安んぞ通す可けんや。
沈湎 豎子を呼び,狂言 至公にら非ず。
掌を撫す 黃河の曲,嗤嗤たり 阮嗣宗。
(現代語訳)
翔りゆく雲は暁に陣形を連ね調えたかと怪しまれ、今残っている殺気は、廣武城にかかる長い虹よりもかがやいている。
元来、撥亂反正の大業は、豪聖の君に限ることで、その心事は区々たる俗儒にはわからないことなのだ。
昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。
私は、黄河のほとりに立ち、手を敲きながら、かの阮籍の狂愚を笑うのである。
登廣武古戰場懷古
(秦滅亡のあと、楚漢の古戦場、開封府の廣武城に登って、いにしえを懐って作ったもの)
廣武 (河南地図h-10)都畿道河南府滎陽縣に廣武城がある。城は山上にあり、漢が築いた。劉邦が絶澗に臨んで対語し、劉邦は項羽の十罪を責めた時、項羽の射たやがむねのささり重症をおった。西征記に「三皇山あり、或は三室山という、各々山上に城あり、東に東廣武城、西を西廣武城と云い、この間、絶澗をへだつ、漢祖、項籍と語る處。」とある。
翔雲列曉陣,殺氣赫長虹。
翔りゆく雲は暁に陣形を連ね調えたかと怪しまれ、今残っている殺気は、廣武城にかかる長い虹よりもかがやいている。
撥亂屬豪聖,俗儒安可通。
元来、撥亂反正の大業は、豪聖の君に限ることで、その心事は区々たる俗儒にはわからないことなのだ。
沈湎呼豎子,狂言非至公。
昔、阮籍も、平生酒に沈湎していながらも、ここに登って「時無英雄、使豎子成名。」(時に、英雄なく、豎子をして名を成さしむ)といかにも偉そうに言ったが、これは、狂言の言に過ぎず、公平な言い分ではないのだ。
沈湎 しずみおぼれること。特に、酒色にふけってすさんだ生活を送ること。魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行ない、礼教を無視した行動をした阮籍のことを言う。
呼豎子 「豎子」=「孺子」は、漢高祖の謀臣、張良(子房)のことを指す。張良は亡命中に、黄石公という老人が橋の下に落とした履を拾いに行かされて、「はいはい」と拾いに行った。その外柔らかにして内剛なる性質を知った黄老人は「孺子、可教。」(孺子、教うべし。)小僧、どうやら教えてやる甲斐がありそうじゃな。と言って、その後少し紆余曲折があった後に、張良に自らの用兵の術を教えた。
阮籍は竹林の七賢の筆頭扱いの阮籍である。白眼視や嗜酒、能嘯で名高いが、彼は時に自ら車を駆り、道窮まって泣いたといい、暢ばすことのできぬ志があったひとであったのである。廣武城に登り、劉邦と項羽の楚漢の戦いの跡を見渡したとき、「時無英雄、使豎子成名。」(時に英雄無く、豎子をして名を成さしむ。)そのときには英雄というべき者がいなかったのだ、だから小僧っ子に名声を成さしめてしまったのだ。と嘆じたという。(晋書巻49「阮籍等伝」)
撫掌黃河曲,嗤嗤阮嗣宗。
私は、黄河のほとりに立ち、手を敲きながら、かの阮籍の狂愚を笑うのである。
阮嗣宗 阮籍(げん せき、210年(建安15年) - 263年(景元4年))は、中国三国時代の人物。字(あざな)を嗣宗、兗州陳留郡尉氏の人。竹林の七賢の指導者的人物である。父は建安七子の一人である阮瑀。甥の阮咸も竹林の七賢の一人である。子は阮渾。兄は阮煕。魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行ない、礼教を無視した行動をしたと言われている。俗物が来ると白眼で対し、気に入りの人物には青眼で対した。
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