李太白集 204《太白巻24-1題隨州紫陽先生壁》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 6601
- 2015/09/12
- 22:23
李白 題隨州紫陽先生壁
神農好長生,風俗久已成。復聞紫陽客,早署丹臺名。
喘息餐妙氣,步虛吟真聲。道與古仙合,心將元化并。
~
三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。
李太白集 204《太白巻24-1題隨州紫陽先生壁》 李白 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 6601 |
205 -#1
《巻24-1題隨州紫陽先生壁 -#1 (神農好長生)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首
李白は少年時代、四川省にいた頃、処士東巌子といい者と岷山(ビンザン)に隠棲していたことがある。東巌子の素姓は不明だが、彼等の生活が十二分に道教的な色彩を帯びたものであったことは否めない。李白は20代後半から30代にかけ、しばしば隋州(湖北省)の胡紫陽の許に赴いた。胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。
「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」
と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->
李太白集 | Category 詩題 | 作時 |
巻-No. | 西暦 年号 | |
06-08 | 1.元丹丘歌 | 731年開元十九年 |
24-02 | 2.題元丹丘山居 | 731年開元十九年 |
24-03 | 3.題元丹丘 陽山居 并序 | 731年開元十九年 |
18-16 | 4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招 | 736年開元二十四年 |
02-08 | 5.將進酒 | 736年開元二十四年 |
14-12 | 6. 潁陽別元丹丘之淮陽 | 738年開元二十六年 |
23-55 | 7.觀元丹丘坐巫山屏風 | 738年開元二十六年 |
06-07 | 8.西岳云台歌送丹丘子 | 743年天寶二年 |
18-11 | 9.以詩代書答元丹丘 | 744年天寶三年 |
24-08 | 10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 | 750年天寶九年 |
22-02 | 11.尋高鳳石門山中元丹丘 | 751年天寶十年 |
12-11 | 12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡 | 751年天寶十年 |
22-01 | 13.與元丹丘方城寺談玄作 | 751年天寶十年 |
以上の十三首である。
年:732年開元二十年32歳
卷別: 卷一八四 李太白集 巻24 1首目 文體: 五言古詩
詩題: 題隨州紫陽先生壁
作地點: 隨州(山南東道 / 隨州 / 隨州)
及地點:隨州 (山南東道 隨州 隨州) 別名:漢東
交遊人物:胡紫陽 →當地交遊(山南東道隨州 隨州)
題隨州紫陽先生壁
(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)
神農好長生,風俗久已成。
三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。
復聞紫陽客,早署丹臺名。
ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。
喘息餐妙氣,步虛吟真聲。
そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。
道與古仙合,心將元化并。
その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。
樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。
松雪窗外曉,池水階下明。
忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。
終願惠金液,提攜凌太清。
(隨州紫陽先生の壁に題す)
神農 長生を好み,風俗 久しく已に成る。
復た聞く紫陽の客,早くす 丹臺の名をする署を。
喘息 妙氣を餐し,步虛 真聲を吟ず。
道は古仙と合し,心は將って元化と并【あわ】す。
樓は蓬海を出づるかと疑い,鶴は玉京に飛ぶに似たり。
松雪 窗外に曉け,池水 階下に明かなり。
忽ち笙歌の樂に耽り,頗る軒冕の情を失う。
終に願う 金液に惠まれ,提攜して 太清を凌がんことを。
『題隨州紫陽先生壁』 現代語訳と訳註解説
(本文)
題隨州紫陽先生壁
神農好長生,風俗久已成。
復聞紫陽客,早署丹臺名。
喘息餐妙氣,步虛吟真聲。
道與古仙合,心將元化并。
(下し文)
(隨州紫陽先生の壁に題す)
神農 長生を好み,風俗 久しく已に成る。
復た聞く紫陽の客,早くす 丹臺の名をする署を。
喘息 妙氣を餐し,步虛 真聲を吟ず。
道は古仙と合し,心は將って元化と并【あわ】す。
(現代語訳)
(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)
三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。
ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。
そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。
その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。
題隨州紫陽先生壁
(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)
神農好長生,風俗久已成。
三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。
神農 古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。諸人に医療と農耕の術を教えたという。中国では“神農大帝”と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。
復聞紫陽客,早署丹臺名。
ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。
紫陽客・丹臺 《藝文類聚》卷七十八《真人周君傳》:紫陽真人周義山,字委通,汝陰人也。聞有欒先生,得道在蒙山,能讀龍嶠經,乃追尋之。入蒙山,遇羨門子,乘白鹿,執羽蓋,佩青毛之節,侍從十餘玉女。君乃再拜叩頭,乞長生要訣。羨門子曰:「子名在丹臺玉室之中,何憂不仙?遠越江河來,登此何索?」とある。
喘息餐妙氣,步虛吟真聲。
そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。
喘息 粗気は喘息、息喘。その気息。「喘息之閒」喘息の短い一回の呼吸をする間位の短い間。わずかの間。須臾。瞬間。《詩経、小雅、四牡、嘽嘽駱馬、傳》「嘽嘽、喘息之貌、馬勞則喘息。」
妙氣 霊妙なる気。
步虛吟真聲 虚空を歩しては真聲を以て吟詠する。
道與古仙合,心將元化并。
その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。
~
題隨州紫陽先生壁
(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)
神農好長生,風俗久已成。
三皇五帝の一人神農は不老長寿の道家思想の元祖として皆に好かれている、民間において仙術を修業するという風俗は、既にひさしく定着している。
復聞紫陽客,早署丹臺名。
ここに、紫陽先生は、早くより、名前を丹臺として署掲して仙人の仲間入りをしていた。
喘息餐妙氣,步虛吟真聲。
そこでは喘息の間の短い時間も天地に同化し、天地の妙気を餐し、虚空を歩しては真聲を以て吟詠したのである。
道與古仙合,心將元化并。
その修得した道は、古の神仙思想と契合し、心は宇宙の本元と合わせて存在されたのだ。
樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。
先生の住まいの楼は、滄海の蓬莱山から出現したかのように疑われる様なものであり、そこにいる鶴は天上の白玉京へ飛んでゆくかのようである。
松雪窗外曉,池水階下明。
窓の外に夜が開けてくれば、松に雪を載せる景色になり、階下が明るくなっても池水は緑を湛えている。
忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。
我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。
終願惠金液,提攜凌太清。
ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。
(隨州紫陽先生の壁に題す)
神農 長生を好み,風俗 久しく已に成る。
復た聞く紫陽の客,早くす 丹臺の名をする署を。
喘息 妙氣を餐し,步虛 真聲を吟ず。
道は古仙と合し,心は將って元化と并【あわ】す。
樓は蓬海を出づるかと疑い,鶴は玉京に飛ぶに似たり。
松雪 窗外に曉け,池水 階下に明かなり。
忽ち笙歌の樂に耽り,頗る軒冕の情を失う。
終に願う 金液に惠まれ,提攜して 太清を凌がんことを。
『題隨州紫陽先生壁』 現代語訳と訳註解説
(本文)
樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。
松雪窗外曉,池水階下明。
忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。
終願惠金液,提攜凌太清。
(下し文)
樓は蓬海を出づるかと疑い,鶴は玉京に飛ぶに似たり。
松雪 窗外に曉け,池水 階下に明かなり。
忽ち笙歌の樂に耽り,頗る軒冕の情を失う。
終に願う 金液に惠まれ,提攜して 太清を凌がんことを。
(現代語訳)
先生の住まいの楼は、滄海の蓬莱山から出現したかのように疑われる様なものであり、そこにいる鶴は天上の白玉京へ飛んでゆくかのようである。
窓の外に夜が開けてくれば、松に雪を載せる景色になり、階下が明るくなっても池水は緑を湛えている。
我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。
ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。
(訳注)
題隨州紫陽先生壁
(この詩は、紫陽先生が随州にいた時にその書斎の壁に題せんとして作ったもの)
樓疑出蓬海,鶴似飛玉京。
先生の住まいの楼は、滄海の蓬莱山から出現したかのように疑われる様なものであり、そこにいる鶴は天上の白玉京へ飛んでゆくかのようである。
蓬海 滄海の蓬莱山。神仙三山の一つ。
玉京 天上の仙郷、白玉京のこと。一統志「玉京洞在赤城山、道書十大洞天之第六、晉許邁嘗居此、與王羲之書雲、自山陰至臨海、多有金庭玉堂仙人芝草。謂此、庾信詩玉京傳相鶴、太乙授飛龜.」(玉京洞は赤城山に在り、道書十大洞天の第六、晉の許邁 嘗て此に居る、王羲に與うるの書に雲う、山陰より臨海に至り、多く金庭玉堂仙人芝草有り。此を謂う、庾信の詩「玉京 相鶴を傳え、太乙 飛龜を授く.)
松雪窗外曉,池水階下明。
窓の外に夜が開けてくれば、松に雪を載せる景色になり、階下が明るくなっても池水は緑を湛えている。
忽耽笙歌樂,頗失軒冕情。
我今ここに至って、忽ち笙歌の樂に耽り、それによって軒冕の情をもおおかた忘れてしまうというものだ。
笙歌樂 天上の音楽。鶴に乗って昇天する。笙に合わせて歌うこと。また、その歌。周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。
軒冕 1 古代中国で、大夫(たいふ)以上の人の乗る車と、かぶる冠。2 高位高官。また、その人。
終願惠金液,提攜凌太清。
ということで、願うことなら仙の金液を恵まれて、我も共に昇仙し、私の手を携えて、大空を歩みつつ、天上を凌駕したいのである。
金液 中国古代の神仙思想より発展した道教の長生術の一部をなす。広義の煉丹術は外丹と内丹に分かれるが、学術的文脈においては煉丹術といえば一般に「外丹」のほうを指す。外丹においては丹砂(硫化水銀)を主原料とする「神丹」「金丹」「大丹」「還丹」などと称される丹薬や、金を液状にした「金液」が服用された。このようなものは実際のところ人体に有害であり[1][2]、唐の皇帝が何人も丹薬の害によって命を落としたことが『旧唐書』『新唐書』に記されている[3]。事実として実際に煉丹に成功したことがあったか否かは定かではないが、外丹術は不老不死の薬を作るという本来の目的では完全な失敗に終わった。このため、不老長生のために外的な物質を求める外丹術の代わりに、不老不死の素となるものを体内に求める思想が興り、これが内丹の考えにつながっていく[4]。その一方で外丹術は中国の医薬学・本草学の発展に寄与し、間接的には中国の化学技術の発展にも貢献した(たとえば火薬の発明は煉丹術の副産物とされる)[5]。
太清 道教における天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住し、この三天のことも「三清」と呼ぶ。道観(道教寺院)にはしばしば「三清殿」と称する三清を祀る建物がある。
漢東紫陽先生碑銘
嗚呼紫陽,竟夭其志以默化,不昭然白日而升九天乎!或將潛賓皇王,非世所測,□□□□□□□□□□□挺列仙明拔之英姿,明堂平白,長耳廣顙,揮手振骨,百關有聲,殊毛秀采,居然逸異,□□□□□□□□□□而直達。何龜鶴早世,蟪蛄延秋,元命乎,遭命乎!予長息三日,懵于變化之理。
先生姓胡氏□□□□□□族也。代業黃老,門清儒素,皆龍脫世網,鴻冥高云。但貴天爵,何征閥閱?始八歲經仙城山,□□□□□□□□□□□有清都紫微之遐想。九歲出家,十二休糧,二十游衡山,云游洞府,水涉冥壑。神王□□□□□□□□如為威儀及天下采經使,因遇諸真人,受赤丹陽精,石景水母,故常吸飛根,吞日魂,密而修之,□□□□□□所居苦竹院,置餐霞之樓,手植雙桂,棲遲其下。聞金陵之墟,道始盛于三茅,波乎四許,華陽□□□□□□□陶隱居傳升元子,升元子傳體元,體元傳貞一先生,貞一先生傳天師李含光,李含光合契乎紫陽。□□□□□于神家之里,南抵朱陵,北越白水,稟訓門下者三千余人。鄰近牧守,移風門道,忽遇先生之宴坐,□□□□□隱機雁行而前。為時見重,多此類也。
天寶初,威儀元丹丘道門龍鳳,厚禮致屈,傳箓于嵩山。東京大唐□□宮,三請固辭偃臥,未幾而詔書下現,不得已而行。入宮一革軌儀,大變都邑,然海鳥愁臧文之享,猿狙裂周公之衣,志往跡留,稱疾辭帝。克期離闕,臨別自祭。其文曰:神將厭予,予非厭世。乃顧命侄道士胡齊物具平戶輿,歸骨舊土。王公卿士,送及龍門,入葉縣,次王喬之祠,目若有睹,泊然而化,天香引道,尸輕空衣。及本郡太守裴公以幡花郊迎,舉郭雷動,□□□□開顏如生,觀者日萬,群議駭俗。至其年十月二十三日,葬于郭東之新松山,春秋六十有二。
先生含弘光大,不修小節,書不盡妙。郁有崩云之勢;文非夙工,時動雕龍之作。存也宇宙而無光,歿也浪化而蟬蛻,豈□□□□□□□□乎!有鄉僧貞倩雅仗才氣,請予為銘。予與紫陽神交,鎢餐素論,十得其九。弟子元丹丘等咸思鸞鳳之羽儀,想珠玉之云氣。灑掃松月,載揚仙風。篆石頌德,與茲山不朽。其詞曰:
賢哉仙士,六十而化。光光紫陽,善與時而為龍蛇,固亦以生死為晝夜。有力者挈之而趨。劫運頹落,終歸于無。惟元神不滅,湛然清都。延陵既沒,仲尼嗚呼。青青松柏,離離山隅。篆石頌德,名揚八區。
- テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
- ジャンル:学問・文化・芸術
- カテゴリ:李太白集 巻二十四
- CM:0
最新記事
- 長い間ブログを休校している件について (09/01)
- 李太白集 397《太白巻23-02效古二首其一》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7573 (04/04)
- 李太白集 396《太白巻二十二40憶東山二首 其二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7568 (04/03)
- 李太白集 395《太白巻二十二39憶東山二首 其一》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7563 (03/30)
- 李太白集 394《太白巻二十08杜陵絕句》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7558 (03/29)
- 李太白集 393《太白巻十九18朝下過盧郎中敘舊游》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7553 (03/28)
- 李太白集 392《太白巻十八12金門答蘇秀才》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7548 (03/27)
- 太白集 391《太白巻十九17下終南山過斛斯山人宿置酒》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7543 (03/26)
- 太白集 390《太白巻十六33 送長沙陳太守,二首之二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7538 (03/25)
- 李太白集 389《太白巻十六32 送長沙陳太守,二首之一》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7533 (03/24)
- 李太白集 388《太白巻十六26 送祝八之江東賦得浣紗石》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7528 (03/23)
- 李太白集 387《太白巻十六23-《送白利從金吾董將軍西征》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7523 (03/22)
- 李太白集 386《太白巻十六21 送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7508 (03/19)
- 李太白集 385《太白巻十六18-3-《送外甥鄭灌從軍,三首之三》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7503 (03/18)
- 李太白集 384《太白巻十六18-2 送外甥鄭灌從軍,三首之二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7498 (03/17)
- 李太白集 383《太白巻十六18-1 送外甥鄭灌從軍,三首之一》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7493 (03/16)
- 李太白集 382《太白巻十六13 送張遙之壽陽幕府》 (壽陽信天險,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7488 (03/15)
- 李太白集 381《太白巻十六10 送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7483 (03/14)
- 李太白集 381《太白巻十六10 送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7483 (03/13)
- 李太白集 380《太白巻十六08 送竇司馬貶宜春》 (天馬白銀鞍,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7478 (03/12)
- 李太白集 379《太白巻十四34 贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7473 (03/11)
- 李太白集 378《太白巻十二06-夕霽杜陵登樓寄韋繇》 (浮陽滅霽景) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7468 (03/10)
- 李太白集 377《太白巻巻十二05-《望終南山寄紫閣隱者》(出門見南山) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7463 (03/09)
- 李太白集 376《太白巻八36 贈盧徵君昆弟》 (明主訪賢逸) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7458 (03/08)
- 李太白集 375《太白巻八22 贈郭將軍》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7453 (03/07)
- 李太白集 374《太白巻六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》 (高堂粉壁圖蓬瀛) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7448 (03/06)
- 李太白集 373《太白巻六07 西嶽雲臺歌送丹丘子》 (西嶽崢嶸何壯哉) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7443 (03/05)
- 李太白集 372《太白巻六05 玉壺吟》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7438 (03/04)
- 李太白集 371《太白巻卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7433 (03/03)
- 李太白集 370《太白巻五 24-秋思》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7428 (03/02)