李太白集 220《太白巻4-15 襄陽曲,四首之四》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 6681
- 2015/09/28
- 21:28
李白 襄陽曲,四首之四
且醉習家池,莫看墮淚碑。山公欲上馬,笑殺襄陽兒。
(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第四首は第二首に続いて襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)
習家の池上は花木の勝があって、まことに宜しい所であるから、そこを散策し酔うのが善い。峴山の上に建つ墮淚碑は羊祜の遺跡であり、これを見ると懐古の念を催すから、まず、見ることである。そして、墮淚碑をみてからは習家池で酔いつぶれよう。むかし、山公先生は習家の池上に酔うて、また酔うて、それでも馬に乗ろうとするときに、よほどおかしい所作をするというので、襄陽の子供たちは、これを嘲り笑い転げて歌い囃したというが、そんな真似をして飲んで酔うのが善かろう。
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221 《(改訂版) 巻4-15 襄陽曲,四首之四》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳
年734年開元二十二年34歳
卷別: 卷一六四 文體: 樂府
詩題: 襄陽曲,四首之四
作地點: 襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)
及地點: 襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽
習家池 (山南東道 襄州 峴山) 別名:習池
襄陽曲,四首之四
(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第四首は第二首に続いて襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)
且醉習家池,莫看墮淚碑。
習家の池上は花木の勝があって、まことに宜しい所であるから、そこを散策し酔うのが善い。峴山の上に建つ墮淚碑は羊祜の遺跡であり、これを見ると懐古の念を催すから、まず、見ることである。そして、墮淚碑をみてからは習家池で酔いつぶれよう。
山公欲上馬,笑殺襄陽兒。
むかし、山公先生は習家の池上に酔うて、また酔うて、それでも馬に乗ろうとするときに、よほどおかしい所作をするというので、襄陽の子供たちは、これを嘲り笑い転げて歌い囃したというが、そんな真似をして飲んで酔うのが善かろう。
(襄陽曲,四首之四)
且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。
山公 馬に上らんと欲すれば、笑殺す 嚢陽の児。
『襄陽曲,四首之四』 現代語訳と訳註解説
(本文)
襄陽曲,四首之四
且醉習家池,莫看墮淚碑。
山公欲上馬,笑殺襄陽兒。
(下し文)
(襄陽曲,四首之四)
且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。
山公 馬に上らんと欲すれば、笑殺す 嚢陽の児。
(現代語訳)
(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第四首は第二首に続いて襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)
習家の池上は花木の勝があって、まことに宜しい所であるから、そこを散策し酔うのが善い。峴山の上に建つ墮淚碑は羊祜の遺跡であり、これを見ると懐古の念を催すから、まず、見ることである。そして、墮淚碑をみてからは習家池で酔いつぶれよう。
むかし、山公先生は習家の池上に酔うて、また酔うて、それでも馬に乗ろうとするときに、よほどおかしい所作をするというので、襄陽の子供たちは、これを嘲り笑い転げて歌い囃したというが、そんな真似をして飲んで酔うのが善かろう。
襄陽曲,四首之四
(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第四首は第二首に続いて襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)
且醉習家池,莫看墮淚碑。
習家の池上は花木の勝があって、まことに宜しい所であるから、そこを散策し酔うのが善い。峴山の上に建つ墮淚碑は羊祜の遺跡であり、これを見ると懐古の念を催すから、まず、見ることである。そして、墮淚碑をみてからは習家池で酔いつぶれよう。
○習家池 山簡がいつも酔っぱらった高陽池のこと。漢の習郁という人が、養魚のためにこの池をつくり、池のまわりの高い堤に竹などを植え、ハスやヒシで水面をおおい、以来、遊宴の名所となったと「世説」の注に見える。襄陽にある池の名で高陽池(習家池)のこと、刑州にある、晋の山簡は永嘉三年に襄陽に鎮したが、常に習氏の池上に飲み、これを名づけて高陽池といった。杜甫は習池を以て草堂に比している。 杜甫《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》「習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。」
index14廣徳2年764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》<762> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395
○堕涙碑 晋の羊祜は、荊州の都督(軍事長官)として襄陽のまちを治めて人望があった。かれは生前、峴に登って酒を飲み、詩を作つたが、かれが死ぬと、襄陽の人びとはその人となりを偲んで、山上に石碑を立てた。その碑をみる人は、かれを思い出して涙を堕さないではいられなかったので、堕涙碑と名づけられた。名づけ親は、羊祜の後任で荊州の都督となった杜預、(杜甫の遠い先祖にあたる)である。
山公欲上馬,笑殺襄陽兒。
むかし、山公先生は習家の池上に酔うて、また酔うて、それでも馬に乗ろうとするときに、よほどおかしい所作をするというので、襄陽の子供たちは、これを嘲り笑い転げて歌い囃したというが、そんな真似をして飲んで酔うのが善かろう。
○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は『世説新語・任誕第二十三』「山季倫爲荊州,時出酣暢。人爲之歌曰:「山公時一醉,逕造高陽池,日莫倒載歸,酩酊無所知。復能乘駿馬,倒著白接,舉手問葛強,何如并州兒?」高陽池在襄陽。」とある。
杜甫《章梓州水亭》「城晚通雲霧,亭深到芰荷。吏人橋外少,秋水席邊多。近屬淮王至,高門薊子過。」
701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500
○笑殺 穀は調子を強める字。
襄陽兒 襄陽の街の子供たち。『襄陽』『山陽記』
〔習郁池:〕〔裏判〕峴山南八百歩、西下道百歩、有大魚池、漢侍中習郁依萢叢養魚法、池邊有高陂、〔陂長六十歩、廣四十歩〕、當中築一釣臺。郁將亡、勅其長子煥日“葬我必近魚池”、煥爲起家於之北、去池四十歩。〔列植松篁于池側、郁所居也。又作石洑宅北、作小魚池。池長七十歩、廣二十歩。西枕大道、東北二邊限以高隄〕、皆種竹及長愀、芙蓉菱芡覆水、是遊宴名處也。
〔習郁池:〕〔嚢陽の〕肩山の南のかた八百歩、西に道を下ること百歩に大魚池有り。漢の侍中の習郁は萢姦の養魚法に依る。池辺に高破有り、〔破は長さ六十歩、広さ四十歩〕、中に当たりて一釣壼を築く。郁の将に亡せんとするや、其の長子・換に勅して曰く“我を葬るに必らず魚池に近くせよ”と。喚は為に家を池の北、池を去ること四十歩に起つ。〔松篁を池側に列べ論う。郁の居りし所なり。又た石猷逗を作り、大池の水を痛風に引き、小魚池を作る。池は長さ七十歩、広さ二十歩。西は大道を枕にし、東北の二辺は限るに高論を以てし〕、皆な竹及び長椴を種え、芙蓉・菱茨は水を覆う。是れ遊宴の悪処なり。
〔山簡〕山季倫鎮襄陽、毎臨此池、未嘗不大酔而還、恒日“此是我高陽池也”。襄陽城中小児歌之日“山公何所詣、往至高陽池’。日夕倒載歸。茗芋無所知。時時能騎馬、倒著白接離。擧鞭問葛彊、何如幷州児”。〔彊家在幷州、簡愛將也〕。
山季倫はめんてい襄陽に鎮たりしとき、此の池に臨む毎に、未だ嘗て大いに酔いて還らざるなし。恒に曰く“此れ由れ我が高批の池なり”と。嚢陽の城中の小児は之を歌いて曰く“山公は何れの所にか詣る、往いて高峯池に至る。日夕に倒載せられて帰り、茗棄して知る所無し。時時に能く馬に騎るも、倒しまし白接離を著く。鞭を挙げて葛彊に問うらく、幷州の児に愛將”と。
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- カテゴリ:李太白集 巻四
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