李太白集 222《太白巻6-1 襄陽歌》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 6691
- 2015/09/30
- 22:52
李白 襄陽歌
落日欲沒峴山西,倒著接離花下迷。襄陽小兒齊拍手,攔街爭唱白銅鞮。傍人借問笑何事,笑殺山翁醉似泥。
(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)
まっ赤な夕日が幌山の西に今日も沈もうとしている。我独り、ここに来れば、山間のように白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりと彷徨う。すると、その態度がなんだかおかしいと見えて、襄陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにさえぎって、「白銅鞮」の舊歌を口々にうたって囃したてる。そこで、通りかかった人がこれをあやしみ、いったい何でそんなに笑っているのかと、たずねれば、子供はこたえて、昔、ここで酩酊して有名であった山簡のようにあのおじさんがベロベロに酔っぱらった恰好がおかしくてたまらないのだという。
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223 《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#1》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳
年:734年開元二十二年34歳
卷別: 卷一六六 文體: 雜言古詩
詩題: 襄陽歌
作地點: 襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)
及地點:襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽
峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山
咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸
舒州 (淮南道 舒州 舒州)
襄陽歌 #1
(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)
落日欲沒峴山西,倒著接離花下迷。
まっ赤な夕日が幌山の西に今日も沈もうとしている。我独り、ここに来れば、山間のように白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりと彷徨う。
襄陽小兒齊拍手,攔街爭唱白銅鞮。
すると、その態度がなんだかおかしいと見えて、襄陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにさえぎって、「白銅鞮」の舊歌を口々にうたって囃したてる。
傍人借問笑何事,笑殺山翁醉似泥。【笑殺山公醉似泥】
そこで、通りかかった人がこれをあやしみ、いったい何でそんなに笑っているのかと、たずねれば、子供はこたえて、昔、ここで酩酊して有名であった山簡のようにあのおじさんがベロベロに酔っぱらった恰好がおかしくてたまらないのだという。
#2
鸕鶿杓,鸚鵡杯,百年三萬六千日,一日須傾三百杯。
遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醱醅。【恰似葡萄初撥醅】
此江若變作春酒,壘麴便築糟丘臺。
#3
千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。【千金駿馬換少妾】
車傍側掛一壺酒,鳳笙龍管行相催。
咸陽市中歎黃犬,何如月下傾金罍。【醉坐雕鞍歌落梅】
君不見晉朝羊公一片石,龜頭剝落生莓苔。【龜龍剝落生莓苔】
#4
淚亦不能為之墮,心亦不能為之哀。【案:一本此下有以下二句:誰能憂彼身後事,金鳧銀鴨葬死灰。】
清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。
舒州杓,力士鐺,李白與爾同死生。
襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。
(襄陽の歌)
落日 沒せむと欲す 峴山【けんざん】の西,倒【さかし】まに 接籬を著けて 花下に迷う。
襄陽の小兒 齊しく手を拍ち,街を攔【さえぎ】って 爭い唱う「白銅鞮」。
傍人借問す 何事をか笑ふと,笑殺す 山翁の醉いて泥の似たるを。』
鸕鶿【ろじ】の杓【しゃく】、鸚鵡の杯。
百年 三萬 六千日,一日 須【すべか】らく傾くべし 三百杯。
遙かに看る 漢水 鴨頭の綠,恰【あた】かも似たり 葡萄の初めて醱醅【はつばい】するに。
此の江 若し 變じて 春酒と作【な】らば,壘麹 便ち 築かん 糟丘臺。』
千金の駿馬 小妾と換へ,笑ひて 雕鞍に坐して 「落梅」を歌う。
車旁 側に挂【か】く 一壺の酒,鳳笙 龍管 行【ゆくゆ】く 相い催【うなが】す。
咸陽の市中に 黄犬を歎くは,なんぞ 如【し】かん 月下に金罍【きんらい】を傾(かたむ)くるに。
君 見ずや 晉朝の羊公 一片の石,龜頭 剥落して 莓苔【ばいたい】生ず。』
涙も亦た 之れが爲に墮つる能わず,心も亦た 之れが爲に哀しむ能はず。
清風 朗月 一錢の買うを 用いず,玉山 自ら倒る 人の推すに非ず。
舒州の杓,力士の鐺【そう】。李白 爾と 死生を 同じくせん。
襄王の雲雨 今 安にか在る,江水は 東流して 猿は夜に聲く。』
『襄陽歌』 現代語訳と訳註解説
(本文)
襄陽歌 #1
落日欲沒峴山西,倒著接離花下迷。
襄陽小兒齊拍手,攔街爭唱白銅鞮。
傍人借問笑何事,笑殺山翁醉似泥。【笑殺山公醉似泥】
(下し文)
(襄陽の歌)
落日 沒せむと欲す 峴山【けんざん】の西,倒【さかし】まに 接籬を著けて 花下に迷う。
襄陽の小兒 齊しく手を拍ち,街を攔【さえぎ】って 爭い唱う「白銅鞮」。
傍人借問す 何事をか笑ふと,笑殺す 山翁の醉いて泥の似たるを。』
(現代語訳)
(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)
まっ赤な夕日が幌山の西に今日も沈もうとしている。我独り、ここに来れば、山間のように白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりと彷徨う。
すると、その態度がなんだかおかしいと見えて、襄陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにさえぎって、「白銅鞮」の舊歌を口々にうたって囃したてる。
そこで、通りかかった人がこれをあやしみ、いったい何でそんなに笑っているのかと、たずねれば、子供はこたえて、昔、ここで酩酊して有名であった山簡のようにあのおじさんがベロベロに酔っぱらった恰好がおかしくてたまらないのだという。

(訳注)
襄陽歌 #1
(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)
一年三百六十日,一生百年,毎日酒を飲んで暮らせたらという李白の目には,河川は酒に見え,丘陵は麹糟に映った。時空を超越させてくれるのは酒だけであり、李白はこの時“仙”になったのであり,「杓」と「鐺」が生涯の友であるという。「杓」は酒を酌む器,「錯」は酒を温める鼎。この作は酒を一生の友とすることを宣言した作としてたしかに劉伶の「酒徳頌」に匹敵する。
李白はまず山簡の飲酒を範として掲げた上で高らかに唱い出し,その上で以下には自分がいかに山簡のように酒を愛するかを詠んでいる。この詩は南宋・祝穆『方興勝覧』三二「襄州府」名官の「山簡」の条に唯一引用され, しかも全文が引用されているように,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもあるといえる。では,山簡はといえば,夕暮れまで酒を飲み,花間に迷い,街の子供たちに通せん坊されて歌い囃されるという,滑稽な泥酔者として捉えられている。
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落日欲沒峴山西,倒著接離花下迷。
まっ赤な夕日が幌山の西に今日も沈もうとしている。我独り、ここに来れば、山間のように白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりと彷徨う。
・落日:夕陽。
・欲沒 沈もうとしている。
・峴山 〔けんざん〕襄州の東南すぐに接してある山。その東を漢水が囲むように流れる。三者の位置関係は、西から東へ、襄州・山・漢水と並ぶ。 ・倒著:逆さまにつける。
・接籬:〔せつ〕頭巾の総称。白い頭巾。白帽。本来は後出・晋の山簡の酒に酔ったときの様をいう。酔っては、頭巾を逆さまに被った
・迷:さまよう。
襄陽小兒齊拍手,攔街爭唱白銅鞮。
すると、その態度がなんだかおかしいと見えて、襄陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにさえぎって、「白銅鞮」の舊歌を口々にうたって囃したてる。
・小兒 子ども。 ・齊 一斉に。 ・拍手 手を拍(う)っている。
・攔街 通せんぼ をする。 ・攔〔らん〕さえぎる。 ・爭唱 きそって歌う。
・白銅提 六朝時代に襄陽で流行した童謡。ここでは童謡の『襄陽白銅』のこと。白銅の馬蹄の意。
傍人借問笑何事,笑殺山翁醉似泥。【笑殺山公醉似泥】
そこで、通りかかった人がこれをあやしみ、いったい何でそんなに笑っているのかと、たずねれば、子供はこたえて、昔、ここで酩酊して有名であった山簡のようにあのおじさんがベロベロに酔っぱらった恰好がおかしくてたまらないのだという。
・傍人 傍らの人。
・借問 お訊ねする。質問の内容は後出の「笑何事」になる。
・笑何事 何をそんなに笑っているのか。
・笑殺 笑って問題としない。大いに笑う。笑いとばす。山公のことでありまた李白のことでもある。 ・-殺 用言に附き、程度の甚だしさを表す。
・山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一の山濤の子。
・醉似泥 泥のように酔いつぶれる。
『襄陽』『山陽記』
〔習郁池:〕〔裏判〕峴山南八百歩、西下道百歩、有大魚池、漢侍中習郁依萢叢養魚法、池邊有高陂、〔陂長六十歩、廣四十歩〕、當中築一釣臺。郁將亡、勅其長子煥日“葬我必近魚池”、煥爲起家於之北、去池四十歩。〔列植松篁于池側、郁所居也。又作石洑宅北、作小魚池。池長七十歩、廣二十歩。西枕大道、東北二邊限以高隄〕、皆種竹及長愀、芙蓉菱芡覆水、是遊宴名處也。
〔習郁池:〕〔嚢陽の〕肩山の南のかた八百歩、西に道を下ること百歩に大魚池有り。漢の侍中の習郁は萢姦の養魚法に依る。池辺に高破有り、〔破は長さ六十歩、広さ四十歩〕、中に当たりて一釣壼を築く。郁の将に亡せんとするや、其の長子・換に勅して曰く“我を葬るに必らず魚池に近くせよ”と。喚は為に家を池の北、池を去ること四十歩に起つ。〔松篁を池側に列べ論う。郁の居りし所なり。又た石猷逗を作り、大池の水を痛風に引き、小魚池を作る。池は長さ七十歩、広さ二十歩。西は大道を枕にし、東北の二辺は限るに高論を以てし〕、皆な竹及び長椴を種え、芙蓉・菱茨は水を覆う。是れ遊宴の悪処なり。
〔山簡〕山季倫鎮襄陽、毎臨此池、未嘗不大酔而還、恒日“此是我高陽池也”。襄陽城中小児歌之日“山公何所詣、往至高陽池’。日夕倒載歸。茗芋無所知。時時能騎馬、倒著白接離。擧鞭問葛彊、何如幷州児”。〔彊家在幷州、簡愛將也〕。
山季倫はめんてい襄陽に鎮たりしとき、此の池に臨む毎に、未だ嘗て大いに酔いて還らざるなし。恒に曰く“此れ由れ我が高批の池なり”と。嚢陽の城中の小児は之を歌いて曰く“山公は何れの所にか詣る、往いて高峯池に至る。日夕に倒載せられて帰り、茗棄して知る所無し。時時に能く馬に騎るも、倒しまし白接離を著く。鞭を挙げて葛彊に問うらく、幷州の児に愛將”と。
襄陽歌 #1
(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)
落日欲沒峴山西,倒著接離花下迷。
まっ赤な夕日が幌山の西に今日も沈もうとしている。我独り、ここに来れば、山間のように白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりと彷徨う。
襄陽小兒齊拍手,攔街爭唱白銅鞮。
すると、その態度がなんだかおかしいと見えて、襄陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにさえぎって、「白銅鞮」の舊歌を口々にうたって囃したてる。
傍人借問笑何事,笑殺山翁醉似泥。【笑殺山公醉似泥】
そこで、通りかかった人がこれをあやしみ、いったい何でそんなに笑っているのかと、たずねれば、子供はこたえて、昔、ここで酩酊して有名であった山簡のようにあのおじさんがベロベロに酔っぱらった恰好がおかしくてたまらないのだという。
#2
鸕鶿杓,鸚鵡杯,百年三萬六千日,一日須傾三百杯。
鸕鶿の桮杓に、そして、鸚鵡の盃の道具はちゃんとそろっているし、どちらもすばらしく立派なうつわだ。人生、百年、一日に三百杯を傾け、それでもしょせん三万六千日、飲みつくすことが必要だ。こうして人生を満足できるものとなるのだ。
遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醱醅。【恰似葡萄初撥醅】
こうして眺め遣ると、はるかに漢水が見え、春まさに至り、碧波漫漫として。水はあおあおとして、ちょうど鴨の頭のような緑色、染物屋の藍染のような水を流したようであり、葡萄が醗酵しはじめる時の色によく似ている。
此江若變作春酒,壘麴便築糟丘臺。
この漢水の大江の水が、もしも春の新酒に変るものなら、うずたかく麹をかさねていって、殷の帝紂が築いたような酒の粕の高台を築いてやろうとおもう。
#3
千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。【千金駿馬換少妾】
車傍側掛一壺酒,鳳笙龍管行相催。
咸陽市中歎黃犬,何如月下傾金罍。【醉坐雕鞍歌落梅】
君不見晉朝羊公一片石,龜頭剝落生莓苔。【龜龍剝落生莓苔】
淚亦不能為之墮,心亦不能為之哀。【案:一本此下有以下二句:誰能憂彼身後事,金鳧銀鴨葬死灰。】
清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。
舒州杓,力士鐺,李白與爾同死生。
襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。
(襄陽の歌)
落日 沒せむと欲す 峴山【けんざん】の西,倒【さかし】まに 接籬を著けて 花下に迷う。
襄陽の小兒 齊しく手を拍ち,街を攔【さえぎ】って 爭い唱う「白銅鞮」。
傍人借問す 何事をか笑ふと,笑殺す 山翁の醉いて泥の似たるを。』
鸕鶿【ろじ】の杓【しゃく】、鸚鵡の杯、百年 三萬 六千日,一日 須【すべか】らく傾くべし 三百杯。
遙かに看る 漢水 鴨頭の綠,恰【あた】かも似たり 葡萄の初めて醱醅【はつばい】するに。
此の江 若し 變じて 春酒と作【な】らば,壘麹 便ち 築かん 糟丘臺。』
千金の駿馬 小妾と換へ,笑ひて 雕鞍に坐して 「落梅」を歌う。
車旁 側に挂【か】く 一壺の酒,鳳笙 龍管 行【ゆくゆ】く 相い催【うなが】す。
咸陽の市中に 黄犬を歎くは,なんぞ 如【し】かん 月下に金罍【きんらい】を傾(かたむ)くるに。
君 見ずや 晉朝の羊公 一片の石,龜頭 剥落して 莓苔【ばいたい】生ず。』
涙も亦た 之れが爲に墮つる能わず,心も亦た 之れが爲に哀しむ能はず。
清風 朗月 一錢の買うを 用いず,玉山 自ら倒る 人の推すに非ず。
舒州の杓,力士の鐺【そう】。李白 爾と 死生を 同じくせん。
襄王の雲雨 今 安にか在る,江水は 東流して 猿は夜に聲く。』
『襄陽歌』 現代語訳と訳註解説
(本文)
鸕鶿杓,鸚鵡杯,百年三萬六千日,一日須傾三百杯。
遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醱醅。【恰似葡萄初撥醅】
此江若變作春酒,壘麴便築糟丘臺。
(下し文)
鸕鶿【ろじ】の杓【しゃく】、鸚鵡の杯、百年 三萬 六千日,一日 須【すべか】らく傾くべし 三百杯。
遙かに看る 漢水 鴨頭の綠,恰【あた】かも似たり 葡萄の初めて醱醅【はつばい】するに。
此の江 若し 變じて 春酒と作【な】らば,壘麹 便ち 築かん 糟丘臺。
(現代語訳)
鸕鶿の桮杓に、そして、鸚鵡の盃の道具はちゃんとそろっているし、どちらもすばらしく立派なうつわだ。人生、百年、一日に三百杯を傾け、それでもしょせん三万六千日、飲みつくすことが必要だ。こうして人生を満足できるものとなるのだ。
こうして眺め遣ると、はるかに漢水が見え、春まさに至り、碧波漫漫として。水はあおあおとして、ちょうど鴨の頭のような緑色、染物屋の藍染のような水を流したようであり、葡萄が醗酵しはじめる時の色によく似ている。
この漢水の大江の水が、もしも春の新酒に変るものなら、うずたかく麹をかさねていって、殷の帝紂が築いたような酒の粕の高台を築いてやろうとおもう。
(訳注)
襄陽歌 #2
(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)
一年三百六十日,一生百年,毎日酒を飲んで暮らせたらという李白の目には,河川は酒に見え,丘陵は麹糟に映った。時空を超越させてくれるのは酒だけであり、李白はこの時“仙”になったのであり,「杓」と「鐺」が生涯の友であるという。「杓」は酒を酌む器,「錯」は酒を温める鼎。この作は酒を一生の友とすることを宣言した作としてたしかに劉伶の「酒徳頌」に匹敵する。
李白はまず山簡の飲酒を範として掲げた上で高らかに唱い出し,その上で以下には自分がいかに山簡のように酒を愛するかを詠んでいる。この詩は南宋・祝穆『方興勝覧』三二「襄州府」名官の「山簡」の条に唯一引用され, しかも全文が引用されているように,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもあるといえる。では,山簡はといえば,夕暮れまで酒を飲み,花間に迷い,街の子供たちに通せん坊されて歌い囃されるという,滑稽な泥酔者として捉えられている。
「峴山の詩」張九齢 登襄陽峴山 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -306
峴山の詩] 陳子昂 峴山懷古 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -307
輿黄侍御北津泛舟 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -309
峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -310
峴山送蕭員外之荊州 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -312
登峴山亭,寄晉陵張少府 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -313
孟浩然 登鹿門山懐古 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320
孟浩然 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320
孟浩然 歲暮歸故園(歳暮帰南山) 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -323
鸕鶿杓,鸚鵡杯,百年三萬六千日,一日須傾三百杯。
鸕鶿の桮杓に、そして、鸚鵡の盃の道具はちゃんとそろっているし、どちらもすばらしく立派なうつわだ。人生、百年、一日に三百杯を傾け、それでもしょせん三万六千日、飲みつくすことが必要だ。こうして人生を満足できるものとなるのだ。
・鸕鶿〔ろじ〕カワウ。鵜(う)。首の長い水鳥。「杓」とは首の長い酒を注ぐ酒器。
・杓 〔しゃく〕しゃく。ひしゃく。桮杓。
・鸚鵡〔おうむ〕ここでは、オウムガイのことになる。
・百年:人の一生。
・須 …する必要がある。すべからく…べし。
・傾 (盃を)傾ける。酒を飲む。
・三百杯 後漢の大学者鄭玄が別れの席で、一日300人以上から酒を注がれて、すべて飲み干しても酔わなかったという。
遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醱醅。【恰似葡萄初撥醅】
こうして眺め遣ると、はるかに漢水が見え、春まさに至り、碧波漫漫として。水はあおあおとして、ちょうど鴨の頭のような緑色、染物屋の藍染のような水を流したようであり、葡萄が醗酵しはじめる時の色によく似ている。
・遙看:遥かに眺める。
・漢水:襄陽を流れる川。現在の武漢(漢口、漢陽)で長江に合流する川の名。陝西省に発して、湖北省襄陽、襄樊を経て漢口に至る大河。
・鴨頭:カモの頭。 染物屋の藍染のような水の色。
・恰似:まるで…にそっくりだ。まるで…のようだ。
・初醱醅:〔はつばい〕醗酵する。
此江若變作春酒,壘麴便築糟丘臺。
この漢水の大江の水が、もしも春の新酒に変るものなら、うずたかく麹をかさねていって、殷の帝紂が築いたような酒の粕の高台を築いてやろうとおもう。
・若:もし。
・變作:…と変わる。変わって(いって)…となる。
・作:…となる。
・春酒:去年仕込んだできたての新酒。『詩經・國風・風』に「六月食鬱及,七月亨葵及菽,八月剥棗,十月穫稻。爲此春酒,以介眉壽。」とある。
・壘麹:積み重ねた麹(こうじ)。
・麹:〔きく〕米、麦などを蒸して暖室に置き、麹黴(こうじかび)を繁殖させたもので、酒の醸造の原料となる。
・便:するとすぐに。すぐに。すなわち。
・糟丘臺:殷の帝紂が築いた酒の糟(かす)で造った小山。《韓詩外傳》卷四:「桀爲酒池,可以運舟,糟丘足以望千里,而牛飲者三千人。」(桀 酒池と爲し,以って舟を運す可く,糟丘以って千里を望むに足り,而して牛飲者 三千人。」とある。
《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌》
襄陽歌 #1
(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)
落日欲沒峴山西,倒著接離花下迷。
まっ赤な夕日が幌山の西に今日も沈もうとしている。我独り、ここに来れば、山間のように白い帽子をさかさまにかぶって、花ざかりの木の下を、ふらりふらりと彷徨う。
襄陽小兒齊拍手,攔街爭唱白銅鞮。
すると、その態度がなんだかおかしいと見えて、襄陽の街の子供たちが大勢よってきて、いっせいに手をたたきながら、道いっぱいにさえぎって、「白銅鞮」の舊歌を口々にうたって囃したてる。
傍人借問笑何事,笑殺山翁醉似泥。【笑殺山公醉似泥】
そこで、通りかかった人がこれをあやしみ、いったい何でそんなに笑っているのかと、たずねれば、子供はこたえて、昔、ここで酩酊して有名であった山簡のようにあのおじさんがベロベロに酔っぱらった恰好がおかしくてたまらないのだという。
#2
鸕鶿杓,鸚鵡杯,百年三萬六千日,一日須傾三百杯。
鸕鶿の桮杓に、そして、鸚鵡の盃の道具はちゃんとそろっているし、どちらもすばらしく立派なうつわだ。人生、百年、一日に三百杯を傾け、それでもしょせん三万六千日、飲みつくすことが必要だ。こうして人生を満足できるものとなるのだ。
遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醱醅。【恰似葡萄初撥醅】
こうして眺め遣ると、はるかに漢水が見え、春まさに至り、碧波漫漫として。水はあおあおとして、ちょうど鴨の頭のような緑色、染物屋の藍染のような水を流したようであり、葡萄が醗酵しはじめる時の色によく似ている。
此江若變作春酒,壘麴便築糟丘臺。
この漢水の大江の水が、もしも春の新酒に変るものなら、うずたかく麹をかさねていって、殷の帝紂が築いたような酒の粕の高台を築いてやろうとおもう。
#3
千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。【千金駿馬換少妾】
そうなると、自分に侍している愛妾などもこれをするには必要ないのであり、千金の値うちのある駿馬に換えて、すぐにこれにまたがって、見事な彫り物をほどこした鞍に坐して、悠然として、「落梅花」の古曲を歌を口ずさんだらこれ以上の事は無いというものだ。
車傍側掛一壺酒,鳳笙龍管行相催。
お供の車などで数輌の随行があり、その車傍には一壺の酒がぶらさげてあり、醒めればまた飲み、鳳の笙笛やら龍管楽器の音楽を演奏していて、我が興を助けて、囃しながら道をゆく。
咸陽市中歎黃犬,何如月下傾金罍。【醉坐雕鞍歌落梅】
秦の李斯は小吏より立身して、宰相までなったのだが、後には、讒言に咸陽の町のまん中で腰斬される時に、おなじように処刑される息子に「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた李斯の最期を思うと、富貴栄華の末は、たいがいこうなるものであるから、むしろはじめから、世俗をはなれ、月の下で、黄金の杯を傾けて、快く酔って歌った方が、悠に面白いことではないか。
君不見晉朝羊公一片石,龜頭剝落生莓苔。【龜龍剝落生莓苔】
さらに、人生死後爽涼たる有様を見るのは、晉の羊祜がこの地に鎮して、人々に悦服せられ、襄陽の街を見下ろす峴山に堕涙碑を建てられたが、その一片の石だけは今も残っているが、その碑を背負っている亀の頭は既に剥落し、莓苔がこれらを埋め、淒寥の極みであって、誰も涙するというもので、心も悲しくなり、ただ茫然自失するばかりである。
淚亦不能為之墮,心亦不能為之哀。【案:一本此下有以下二句:誰能憂彼身後事,金鳧銀鴨葬死灰。】
清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。
舒州杓,力士鐺,李白與爾同死生。
襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。
(襄陽の歌)
落日 沒せむと欲す 峴山【けんざん】の西,倒【さかし】まに 接籬を著けて 花下に迷う。
襄陽の小兒 齊しく手を拍ち,街を攔【さえぎ】って 爭い唱う「白銅鞮」。
傍人借問す 何事をか笑ふと,笑殺す 山翁の醉いて泥の似たるを。』
鸕鶿【ろじ】の杓【しゃく】、鸚鵡の杯、百年 三萬 六千日,一日 須【すべか】らく傾くべし 三百杯。
遙かに看る 漢水 鴨頭の綠,恰【あた】かも似たり 葡萄の初めて醱醅【はつばい】するに。
此の江 若し 變じて 春酒と作【な】らば,壘麹 便ち 築かん 糟丘臺。』
千金の駿馬 小妾と換へ,笑ひて 雕鞍に坐して 「落梅」を歌う。
車旁 側に挂【か】く 一壺の酒,鳳笙 龍管 行【ゆくゆ】く 相い催【うなが】す。
咸陽の市中に 黄犬を歎くは,なんぞ 如【し】かん 月下に金罍【きんらい】を傾(かたむ)くるに。
君 見ずや 晉朝の羊公 一片の石,龜頭 剥落して 莓苔【ばいたい】生ず。』
涙も亦た 之れが爲に墮つる能わず,心も亦た 之れが爲に哀しむ能はず。
清風 朗月 一錢の買うを 用いず,玉山 自ら倒る 人の推すに非ず。
舒州の杓,力士の鐺【そう】。李白 爾と 死生を 同じくせん。
襄王の雲雨 今 安にか在る,江水は 東流して 猿は夜に聲く。』
『襄陽歌』 現代語訳と訳註解説
(本文) 《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#3》
千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。【千金駿馬換少妾】
車傍側掛一壺酒,鳳笙龍管行相催。
咸陽市中歎黃犬,何如月下傾金罍。【醉坐雕鞍歌落梅】
君不見晉朝羊公一片石,龜頭剝落生莓苔。【龜龍剝落生莓苔】
(下し文)
千金の駿馬 小妾と換へ,笑ひて 雕鞍に坐して 「落梅」を歌う。
車旁 側に挂【か】く 一壺の酒,鳳笙 龍管 行【ゆくゆ】く 相い催【うなが】す。
咸陽の市中に 黄犬を歎くは,なんぞ 如【し】かん 月下に金罍【きんらい】を傾(かたむ)くるに。
君 見ずや 晉朝の羊公 一片の石,龜頭 剥落して 莓苔【ばいたい】生ず。』
(現代語訳)
そうなると、自分に侍している愛妾などもこれをするには必要ないのであり、千金の値うちのある駿馬に換えて、すぐにこれにまたがって、見事な彫り物をほどこした鞍に坐して、悠然として、「落梅花」の古曲を歌を口ずさんだらこれ以上の事は無いというものだ。
お供の車などで数輌の随行があり、その車傍には一壺の酒がぶらさげてあり、醒めればまた飲み、鳳の笙笛やら龍管楽器の音楽を演奏していて、我が興を助けて、囃しながら道をゆく。
秦の李斯は小吏より立身して、宰相までなったのだが、後には、讒言に咸陽の町のまん中で腰斬される時に、おなじように処刑される息子に「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた李斯の最期を思うと、富貴栄華の末は、たいがいこうなるものであるから、むしろはじめから、世俗をはなれ、月の下で、黄金の杯を傾けて、快く酔って歌った方が、悠に面白いことではないか。
さらに、人生死後爽涼たる有様を見るのは、晉の羊祜がこの地に鎮して、人々に悦服せられ、襄陽の街を見下ろす峴山に堕涙碑を建てられたが、その一片の石だけは今も残っているが、その碑を背負っている亀の頭は既に剥落し、莓苔がこれらを埋め、淒寥の極みであって、誰も涙するというもので、心も悲しくなり、ただ茫然自失するばかりである。

(訳注) 《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#3》
襄陽歌 #3
(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)
一年三百六十日,一生百年,毎日酒を飲んで暮らせたらという李白の目には,河川は酒に見え,丘陵は麹糟に映った。時空を超越させてくれるのは酒だけであり、李白はこの時“仙”になったのであり,「杓」と「鐺」が生涯の友であるという。「杓」は酒を酌む器,「錯」は酒を温める鼎。この作は酒を一生の友とすることを宣言した作としてたしかに劉伶の「酒徳頌」に匹敵する。
李白はまず山簡の飲酒を範として掲げた上で高らかに唱い出し,その上で以下には自分がいかに山簡のように酒を愛するかを詠んでいる。この詩は南宋・祝穆『方興勝覧』三二「襄州府」名官の「山簡」の条に唯一引用され, しかも全文が引用されているように,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもあるといえる。では,山簡はといえば,夕暮れまで酒を飲み,花間に迷い,街の子供たちに通せん坊されて歌い囃されるという,滑稽な泥酔者として捉えられている。
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千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。【千金駿馬換少妾】
そうなると、自分に侍している愛妾などもこれをするには必要ないのであり、千金の値うちのある駿馬に換えて、すぐにこれにまたがって、見事な彫り物をほどこした鞍に坐して、悠然として、「落梅花」の古曲を歌を口ずさんだらこれ以上の事は無いというものだ。
・千金:千枚の黄金。多額の金銭。 ・駿馬換小妾:後魏の曹彰が駿馬を見つけ、それを何とか手に入れたいと思って、馬主に対して「自分には好い妾(つま)たちがいるので、あなたがすきな妾を選び、それと馬とを交換しよう」と持ちかけたという故事。『獨異志』。
・駿馬:〔しゅんめ〕すぐれた馬。良馬。足の速く強い馬。
・換:交換する。
・小妾:〔しょうしょう〕若いめかけ。
・雕鞍:立派な彫り物を施した鞍(くら)。
・歌:うたう。動詞。
・落梅:笛の演奏用の『落梅花』という曲名のこと。
車傍側掛一壺酒,鳳笙龍管行相催。
お供の車などで数輌の随行があり、その車傍には一壺の酒がぶらさげてあり、醒めればまた飲み、鳳の笙笛やら龍管楽器の音楽を演奏していて、我が興を助けて、囃しながら道をゆく。
・車旁:車の側壁。
・側挂:ぶら下げている。つり下げている。
・鳳笙龍管:鳳の鳴き声のような(鳳の姿のような)笙に、龍のなき声のような笛の音。」
・行:行きながら。ゆくゆく。
・相催:促してくる。 ・相-:動詞の前に附き、動作の及ぶ趨勢を表す。…てくる。…ていく。
咸陽市中歎黃犬,何如月下傾金罍。【醉坐雕鞍歌落梅】
秦の李斯は小吏より立身して、宰相までなったのだが、後には、讒言に咸陽の町のまん中で腰斬される時に、おなじように処刑される息子に「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた李斯の最期を思うと、富貴栄華の末は、たいがいこうなるものであるから、むしろはじめから、世俗をはなれ、月の下で、黄金の杯を傾けて、快く酔って歌った方が、悠に面白いことではないか。
・咸陽:秦の首都。秦・始皇帝がここに都を置く渭城。秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山の南、渭水の北に当たり「咸陽」なためにこの名前がついた。
・歎黄犬:李斯の故事をいう。李斯は諫言を重ねたが、かえって皇帝の不興を買い、さらに趙高の讒言で疎まれ、追い詰められていった。紀元前208年、ついに李斯は捕らえる。凄惨な拷問に耐えられず趙高が捏造した容疑(楚の項梁の軍勢に討ち取られた李斯の長男で三川郡の太守の李由が生前楚軍と内通していたという罪)を認め、市中で腰斬(胴斬り。受刑者を腹部で両断し、即死させず苦しんで死なせる重刑)に処され、生涯を終えた。その時に李斯は並んで刑場に引っ立てられた次男に対して「わしは故郷の上蔡で、猟犬を連れ、お前と兎狩りによく出かけた。また狩に出かける夢は、もう適わないのだな」と無念そうに述べたという。李斯の息子は始皇帝の皇女を娶り、彼の娘は始皇帝の公子に嫁いでいたと伝わるが、一族は全て殺され、根絶やしとなった。
・何如:どうして及ぼうか。なんぞしかん。また、いかん。ここは、前者の意。
・傾:(酒器を)傾ける。酒を飲むこと。かたぶく。下二、四段活用。
・金罍:〔きんらい〕雷雲の模様を画いた黄金製の酒かめ。黄金製の酒器。
君不見晉朝羊公一片石,龜頭剝落生莓苔。【龜龍剝落生莓苔】
さらに、人生死後爽涼たる有様を見るのは、晉の羊祜がこの地に鎮して、人々に悦服せられ、襄陽の街を見下ろす峴山に堕涙碑を建てられたが、その一片の石だけは今も残っているが、その碑を背負っている亀の頭は既に剥落し、莓苔がこれらを埋め、淒寥の極みであって、誰も涙するというもので、心も悲しくなり、ただ茫然自失するばかりである。
・君不見:諸君、見たことがありませんか。詩をみている人に対する呼びかけ。樂府体に使われる。「君不聞」もある。そこで詩のリズムが大きく変化させる。
・晉朝羊公一片石: 晉朝 (西)晋の羊祜。265年~419年。三国の魏に代わり、265年権臣司馬炎が建てた国。280年、呉を併せて天下を統一したが、八王の乱で、匈奴の劉曜らによって316年に滅ぼされた。 ・羊公 呉と闘った西晋の名将・羊のこと。山を愛し、善政をしたため、羊の没後、民衆は羊が愛した山を望むところに石碑を築いた。 ・一片石 羊の石碑。前出の堕涙碑(紫字部分)のこと。
・龜頭:石碑の土台の亀の頭。石碑の土台部分は亀のような形をして、甲羅に碑を背負っている形になっている。あの亀のような動物は想像上のもので贔屓〔ひき;bi4xi4〕という。
・剥落:剥げ落ちる。
淚亦不能為之墮,心亦不能為之哀。
羊祜の徳望をもってしても死後久しくするとこの有様で、「堕涙碑」とよばれるここにきても、あまりのことに涙さえおとすことも出来ないけれど、壮であれば生きているうちに充分楽しんでおくのがよく、心は羊祜のために、かなしむことが出来ないのである。
清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。
だからここの清風朗月は、いくらこれを取ったとしても禁ずるものはなく、これが一銭も出すにおよばない。天地の佳景に対して、杯を傾け、かの山公が嵆康に云った、「玉山之將崩」というほどにのみ潰れることが良いのである。
舒州杓,力士鐺,李白與爾同死生。
ああ、舒州の杓は、これを以て酒を汲め、力士の鐺は、これを以て酒を承るべく、われ李白は杓と鐺というものを、たとえ死んでも、まして生きてるうちは、おまえをぜったい離さない。
襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。
むかし、楚の襄王が巫山の神女に遭い、「朝雲暮雨」と、たのしんだという、しかし、それも昔人今は何処にありや、どこにもいない、けっきよく、はかない夢ではなかったか。現に巫山には、そんなものは跡かたもないし、長江の水は絶えず東流し、巫峡の猿声、夜夜悲しんで啼くばかり、功名富貴、飽食、美色、すべて世俗の儚きもの照り、人生、ただ酒を飲み酔い潰れることが楽しみであり、たとえ、それで襄陽の子供たちに囃されても、一向に構わないのである。
(襄陽の歌)
落日 沒せむと欲す 峴山【けんざん】の西,倒【さかし】まに 接籬を著けて 花下に迷う。
襄陽の小兒 齊しく手を拍ち,街を攔【さえぎ】って 爭い唱う「白銅鞮」。
傍人借問す 何事をか笑ふと,笑殺す 山翁の醉いて泥の似たるを。』
鸕鶿【ろじ】の杓【しゃく】、鸚鵡の杯、百年 三萬 六千日,一日 須【すべか】らく傾くべし 三百杯。
遙かに看る 漢水 鴨頭の綠,恰【あた】かも似たり 葡萄の初めて醱醅【はつばい】するに。
此の江 若し 變じて 春酒と作【な】らば,壘麹 便ち 築かん 糟丘臺。』
千金の駿馬 小妾と換へ,笑ひて 雕鞍に坐して 「落梅」を歌う。
車旁 側に挂【か】く 一壺の酒,鳳笙 龍管 行【ゆくゆ】く 相い催【うなが】す。
咸陽の市中に 黄犬を歎くは,なんぞ 如【し】かん 月下に金罍【きんらい】を傾(かたむ)くるに。
君 見ずや 晉朝の羊公 一片の石,龜頭 剥落して 莓苔【ばいたい】生ず。』
涙も亦た 之れが爲に墮つる能わず,心も亦た 之れが爲に哀しむ能はず。
清風 朗月 一錢の買うを 用いず,玉山 自ら倒る 人の推すに非ず。
舒州の杓,力士の鐺【そう】。李白 爾と 死生を 同じくせん。
襄王の雲雨 今 安にか在る,江水は 東流して 猿は夜に聲く。』
『襄陽歌』 現代語訳と訳註解説
(本文)《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#4》
淚亦不能為之墮,心亦不能為之哀。【案:一本此下有以下二句:誰能憂彼身後事,金鳧銀鴨葬死灰。】
清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。
舒州杓,力士鐺,李白與爾同死生。
襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。
(下し文)
涙も亦た 之れが爲に墮つる能わず,心も亦た 之れが爲に哀しむ能はず。
清風 朗月 一錢の買うを 用いず,玉山 自ら倒る 人の推すに非ず。
舒州の杓,力士の鐺【そう】。李白 爾と 死生を 同じくせん。
襄王の雲雨 今 安にか在る,江水は 東流して 猿は夜に聲く。』
(現代語訳)
羊祜の徳望をもってしても死後久しくするとこの有様で、「堕涙碑」とよばれるここにきても、あまりのことに涙さえおとすことも出来ないけれど、壮であれば生きているうちに充分楽しんでおくのがよく、心は羊祜のために、かなしむことが出来ないのである。
だからここの清風朗月は、いくらこれを取ったとしても禁ずるものはなく、これが一銭も出すにおよばない。天地の佳景に対して、杯を傾け、かの山公が嵆康に云った、「玉山之將崩」というほどにのみ潰れることが良いのである。
ああ、舒州の杓は、これを以て酒を汲め、力士の鐺は、これを以て酒を承るべく、われ李白は杓と鐺というものを、たとえ死んでも、まして生きてるうちは、おまえをぜったい離さない。
むかし、楚の襄王が巫山の神女に遭い、「朝雲暮雨」と、たのしんだという、しかし、それも昔人今は何処にありや、どこにもいない、けっきよく、はかない夢ではなかったか。現に巫山には、そんなものは跡かたもないし、長江の水は絶えず東流し、巫峡の猿声、夜夜悲しんで啼くばかり、功名富貴、飽食、美色、すべて世俗の儚きもの照り、人生、ただ酒を飲み酔い潰れることが楽しみであり、たとえ、それで襄陽の子供たちに囃されても、一向に構わないのである。

(訳注) 《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#4》
襄陽歌 #3
(襄陽の名所旧跡について興をよせ,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもある。)
一年三百六十日,一生百年,毎日酒を飲んで暮らせたらという李白の目には,河川は酒に見え,丘陵は麹糟に映った。時空を超越させてくれるのは酒だけであり、李白はこの時“仙”になったのであり,「杓」と「鐺」が生涯の友であるという。「杓」は酒を酌む器,「錯」は酒を温める鼎。この作は酒を一生の友とすることを宣言した作としてたしかに劉伶の「酒徳頌」に匹敵する。
李白はまず山簡の飲酒を範として掲げた上で高らかに唱い出し,その上で以下には自分がいかに山簡のように酒を愛するかを詠んでいる。この詩は南宋・祝穆『方興勝覧』三二「襄州府」名官の「山簡」の条に唯一引用され, しかも全文が引用されているように,酒を頌える歌であると同時に山簡の賛歌でもあるといえる。では,山簡はといえば,夕暮れまで酒を飲み,花間に迷い,街の子供たちに通せん坊されて歌い囃されるという,滑稽な泥酔者として捉えられている。
「峴山の詩」張九齢 登襄陽峴山 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -306
峴山の詩] 陳子昂 峴山懷古 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -307
輿黄侍御北津泛舟 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -309
峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -310
峴山送蕭員外之荊州 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -312
登峴山亭,寄晉陵張少府 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -313
孟浩然 登鹿門山懐古 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320
孟浩然 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320
孟浩然 歲暮歸故園(歳暮帰南山) 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -323
淚亦不能為之墮,心亦不能為之哀。【案:一本此下有以下二句:誰能憂彼身後事,金鳧銀鴨葬死灰。】
羊祜の徳望をもってしても死後久しくするとこの有様で、「堕涙碑」とよばれるここにきても、あまりのことに涙さえおとすことも出来ないけれど、壮であれば生きているうちに充分楽しんでおくのがよく、心は羊祜のために、かなしむことが出来ないのである。
・亦:…もまた。
・不能:…ことはできない。
・爲:…のために。
・之:(古びてしまった)羊の堕涙碑。
・墮:(涙を)落とす。 ・哀:哀しむ。
清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。
だからここの清風朗月は、いくらこれを取ったとしても禁ずるものはなく、これが一銭も出すにおよばない。天地の佳景に対して、杯を傾け、かの山公が嵆康に云った、「玉山之將崩」というほどにのみ潰れることが良いのである。
・清風:清らかな風。涼しい風。さわやかな風。宗教的な趣を湛えた語。
・朗月:明月。
・不用:別に…の必要がない。
・一錢買:お金を出して買う。外にこのような使い方があろうか。
・玉山自倒:竹林の七賢の一である魏の嵆康の酒に酔ったさまは、彼の大柄さと人格の偉大さから、玉山がまさに崩れそうな様子だったという。 ・玉山:美しい容姿のたとえ。雪の積もった山。崑崙山の西にある西王母のいたところ。
・非人…:人為的に…することは(でき)ない。
舒州杓,力士鐺,李白與爾同死生。
ああ、舒州の杓は、これを以て酒を汲め、力士の鐺は、これを以て酒を承るべく、われ李白は杓と鐺というものを、たとえ死んでも、まして生きてるうちは、おまえをぜったい離さない。
・舒州杓 舒州はいまの安徽省潜山県一帯(省の西南隅)で、唐代では、酒器の名産地。杓は酒をくむ柄杓。
唐の豫章郡産の酒を温めるのに使う三本脚の鼎という。
・力士鐺 いまの江西省南昌市(唐代の予革)産の堅い上質の磁器、力士の形を刻んであるともいうし、また、力士は器の作者の名前ともいう。よくわからない。・鐺:〔そう〕三本脚の鼎で、酒を温めるのにつかう。 ・與:…と ・爾:なんぢ。酒、酒器を指す。
・同死生:生死を共にする。
襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。
むかし、楚の襄王が巫山の神女に遭い、「朝雲暮雨」と、たのしんだという、しかし、それも昔人今は何処にありや、どこにもいない、けっきよく、はかない夢ではなかったか。現に巫山には、そんなものは跡かたもないし、長江の水は絶えず東流し、巫峡の猿声、夜夜悲しんで啼くばかり、功名富貴、飽食、美色、すべて世俗の儚きもの照り、人生、ただ酒を飲み酔い潰れることが楽しみであり、たとえ、それで襄陽の子供たちに囃されても、一向に構わないのである。。
・襄王雲雨 むかし楚の嚢王が詩人の宋玉をつれて、雲夢の丘に遊び、高唐という物見台から景色を眺めた。すると、その上に雲気が立ちこめ、高くまっすぐ上ったかと思うと、たちまち形をかえた。しばらくの間に、千変万化する。襄王がたずねた、「これは何か」。宋玉がこたえた、「いわゆる朝雲です」。「朝雲とは何か」。宋玉が説明した。
「昔先代の王さまがやはりこの高唐に遊びにきて、昼寝をされた。夢の中に一人の女が現われて言った。『わたしは巫山の女です。高唐へ遊びにきましたが、殿様もまた高唐に遊びに来られたことを聞きました。どうか、おそばに侍らせて下さいませ。』 王はお可愛がりになった。去るとき女が言った。「わたしは巫山の南の高い山の峰に住んでいますが、朝には雲となり、碁には雨となり、毎朝毎晩、南の丘の下へ行きます」。翌朝、行ってみると、果して女の言うとおりだったので、そこに社を建てて朝雲と呼んだ。興味をおぼえた嚢王は、朝雲についてその様子をききただす。宋玉は委細をつくして朝雲暮雨を歌いあげる。その話は、宋玉の「高唐の賦」にくわしい。ただし、ふつうの伝説では、夢のなかで巫山の女神と交わったのは、嚢王その人となっている。
・今安在:今はどこにあるのか。
・江水:川の流れ。川の流れは、古来、時間の推移を謂う。流れ去る川の水で、歳月等の時間で一度去って再び帰らないものの譬え。
・東流:東に向かって流れる。東流するのは中国の川の通常の姿であり、天理でもある。
・猿夜聲:夜に猿が(悲しげになく)鳴き声。
世説新語 “嵇康身長七尺八寸,風姿特秀。見者歎曰:「蕭蕭肅肅,爽朗清舉。」或雲:「肅肅如松下風,高而徐引。」山公曰:「嵇叔夜之為人也,巖巖若孤松之獨立;其醉也,傀俄若玉山之將崩。」”
嵆康は身の長(たけ)七尺八寸、風姿特に秀づ。見る者歎じて曰く、
蕭蕭肅肅として、爽朗清舉なり、と。
或ひと云ふ、肅肅として松下の風の高くして徐(おもむろ)に引くが如し、と。
山公曰く、嵆叔夜の人と為りや、巖巖として孤松の独立するが若し。
其の酔ふや、傀俄(くわいが)として玉山の将に崩れんとするが若し、と。
(一)『嵆康別伝』にいう、「嵆康は身のたけ七尺八寸、容姿が立派であった。肉体を土木のように扱い、わが身を飾りたてることがなかったが、その龍鳳の如くすぐれた容姿は、天性自然のおのであった。まことに人々の中にあって、すぐに非凡の器であることがおのずとわかるのであった。」
嵆 康(けい こう、224年 - 262年あるいは263年)は、中国三国時代の魏の文人。竹林の七賢の一人で、その主導的な人物の一人。字は叔夜。譙国銍(現在の安徽省宿州市)の人。曹操の曾孫娘の長楽亭主(沛穆王曹林の孫娘)を妻とし、魏の宗室の姻戚として中散大夫に任じられたので、嵆中散とも呼ばれる。子に嵆紹や娘がいる。
非凡な才能と風采を持ち、日頃から妄りに人と交際しようとせず、山中を渉猟して仙薬を求めたり、鍛鉄をしたりするなどの行動を通して、老荘思想に没頭した。気心の知れた少数の人々と、清談と呼ばれる哲学論議を交わし名利を求めず、友人の山濤が自分の後任に、嵆康を吏部郎に推薦した時には、「与山巨源絶交書」(『文選』所収)を書いて彼との絶交を申し渡し、それまで通りの生活を送った。ただし死の直前に、息子の嵆紹を山濤に託しているように、この絶交書は文字通りのものではなく、自らの生き方を表明するために書かれたものである。
嵆康の親友であった呂安は、兄の呂巽が自分の妻と私通した事が原因で諍いを起こし、兄を告発しようとしたところ、身の危険を感じた呂巽によって先に親不孝の罪で訴えられた。この時嵆康は呂安を弁護しようとしたが、鍾会は以前から嵆康に怨恨があり、この機会に嵆康と呂安の言動を風俗を乱す行いだと司馬昭に讒言した。このため、先に仕官を拒否したことと共に罪状に挙げられ、嵆康と呂安は死罪となった。
当時、汲郡に孫登という道士がいた。嵆康は山に薬草を採りに行った時に知り合い、彼の元に3年通っていたが、孫登は一言も口を利こうとしなかった。別れる時に嵆康は言った、「先生、ついに口を利いていただけないのでしょうか」。そこで孫登は初めて口を開いた。「あなたは多才だが見識が乏しい。難を免れるのは難しいぞ、今の世の中では」。結局、孫登が警告した通りの最期を遂げた。
嵆康は「琴(きん)」を演奏する事を好み、ある時に謎の人物から「広陵散」と呼ばれる琴の曲を学び得意としていたが、誰にもそれを教えなかった。刑の直前にこの曲を演奏し「広陵散今に於いて絶ゆ」と言い残し処刑されたという[5]。「声無哀楽論」・「琴賦」を著すなど、音楽理論に精通していた。
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- 李太白集 396《太白巻二十二40憶東山二首 其二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7568 (04/03)
- 李太白集 395《太白巻二十二39憶東山二首 其一》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7563 (03/30)
- 李太白集 394《太白巻二十08杜陵絕句》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7558 (03/29)
- 李太白集 393《太白巻十九18朝下過盧郎中敘舊游》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7553 (03/28)
- 李太白集 392《太白巻十八12金門答蘇秀才》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7548 (03/27)
- 太白集 391《太白巻十九17下終南山過斛斯山人宿置酒》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7543 (03/26)
- 太白集 390《太白巻十六33 送長沙陳太守,二首之二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7538 (03/25)
- 李太白集 389《太白巻十六32 送長沙陳太守,二首之一》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7533 (03/24)
- 李太白集 388《太白巻十六26 送祝八之江東賦得浣紗石》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7528 (03/23)
- 李太白集 387《太白巻十六23-《送白利從金吾董將軍西征》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7523 (03/22)
- 李太白集 386《太白巻十六21 送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7508 (03/19)
- 李太白集 385《太白巻十六18-3-《送外甥鄭灌從軍,三首之三》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7503 (03/18)
- 李太白集 384《太白巻十六18-2 送外甥鄭灌從軍,三首之二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7498 (03/17)
- 李太白集 383《太白巻十六18-1 送外甥鄭灌從軍,三首之一》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7493 (03/16)
- 李太白集 382《太白巻十六13 送張遙之壽陽幕府》 (壽陽信天險,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7488 (03/15)
- 李太白集 381《太白巻十六10 送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7483 (03/14)
- 李太白集 381《太白巻十六10 送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7483 (03/13)
- 李太白集 380《太白巻十六08 送竇司馬貶宜春》 (天馬白銀鞍,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7478 (03/12)
- 李太白集 379《太白巻十四34 贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7473 (03/11)
- 李太白集 378《太白巻十二06-夕霽杜陵登樓寄韋繇》 (浮陽滅霽景) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7468 (03/10)
- 李太白集 377《太白巻巻十二05-《望終南山寄紫閣隱者》(出門見南山) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7463 (03/09)
- 李太白集 376《太白巻八36 贈盧徵君昆弟》 (明主訪賢逸) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7458 (03/08)
- 李太白集 375《太白巻八22 贈郭將軍》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7453 (03/07)
- 李太白集 374《太白巻六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》 (高堂粉壁圖蓬瀛) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7448 (03/06)
- 李太白集 373《太白巻六07 西嶽雲臺歌送丹丘子》 (西嶽崢嶸何壯哉) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7443 (03/05)
- 李太白集 372《太白巻六05 玉壺吟》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7438 (03/04)
- 李太白集 371《太白巻卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7433 (03/03)
- 李太白集 370《太白巻五 24-秋思》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7428 (03/02)