李太白集 255《太白巻十四11 潁陽別元丹丘之淮陽》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 6856
- 2015/11/02
- 22:17
李白 潁陽別元丹丘之淮陽
吾將元夫子,異姓為天倫。本無軒裳契,素以煙霞親。
嘗恨迫世網,銘意俱未伸。松柏雖寒苦,羞逐桃李春。
(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。軒車冠裳、即ち在官上の交契してはいないが、本来、煙霞の癖を同じゅうして、あい親しんで居た。恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることができず、つまり、この世を脱出しかねる。松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。
李太白集 255《太白巻十四11 潁陽別元丹丘之淮陽》 李白 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 6856 |
年:738年開元二十六年38歳
卷別: 卷一七四 文體: 五言古詩
詩題: 潁陽別元丹丘之淮陽
作地點: 潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)
及地點: 潁陽 (都畿道 河南府 潁陽)
陳州 (河南道 陳州 陳州) 別名:淮陽
汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁
交遊人物:元丹丘 當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)
潁陽別元丹丘之淮陽 #1
(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)
吾將元夫子,異姓為天倫。
われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。
本無軒裳契,素以煙霞親。
軒車冠裳、即ち在官上の交契としてはいないが、本来、煙霞の癖を同じゅうして、あい親しんで居た。
嘗恨迫世網,銘意俱未伸。
恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることができず、つまり、この世を脱出しかねる。
松柏雖寒苦,羞逐桃李春。
松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。
#2
悠悠市朝間,玉顏日緇磷。
所失重山岳,所得輕埃塵。
精魄漸蕪穢,衰老相憑因。
我有錦囊訣,可以持君身。
#3
當餐黃金藥,去為紫陽賓。
萬事難並立,百年猶崇晨。
別爾東南去,悠悠多悲辛。
前志庶不易,遠途期所遵。
已矣歸去來,白雲飛天津。
(潁陽にて、元丹丘の淮陽に之くに別る)
吾、元夫子と、異姓にして天倫たり。
本と軒裳の契なく、素より煙霞を以て親む。
かつて恨む、世網に迫られ、銘意 倶に未だ伸びざるを。
松柏は寒苦と雖も、桃李の春を逐ふを羞づ。
#2
悠悠たる市朝の間,玉顏 日に緇磷。
失う所ろは山岳よりも重く,得る所は埃塵よりも輕し。
精魄 漸く蕪穢,衰老 相い 憑因す。
我に 錦囊の訣有り,可以て君が身を持つべし。
#3
當に 黃金の藥を餐し,去って 紫陽の賓と為るべし。
萬事 並び立ち難く,百年 猶お 崇晨。
爾が 東南に去るに別る,悠悠として 悲辛多し。
前志 庶わくば 易らず,遠途 遵う所を期す。
已んぬるかな 歸るなん去來【いざ】,白雲 天津に飛ぶ。
『潁陽別元丹丘之淮陽』 現代語訳と訳註解説
(本文)
潁陽別元丹丘之淮陽 #1
吾將元夫子,異姓為天倫。
本無軒裳契,素以煙霞親。
嘗恨迫世網,銘意俱未伸。
松柏雖寒苦,羞逐桃李春。
(下し文)
(潁陽にて、元丹丘の淮陽に之くに別る)
吾、元夫子と、異姓にして天倫たり。
本と軒裳の契なく、素より煙霞を以て親む。
かつて恨む、世網に迫られ、銘意 倶に未だ伸びざるを。
松柏は寒苦と雖も、桃李の春を逐ふを羞づ。
(現代語訳)
(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。) #1
われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。
軒車冠裳、即ち在官上の交契としてはいないが、本来、煙霞の癖を同じゅうして、あい親しんで居た。
恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることができず、つまり、この世を脱出しかねる。
松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。
(訳注)
潁陽別元丹丘之淮陽 #1
(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)
舊唐書「潁陽載初元年,析河南、伊闕、嵩陽三縣置武臨縣。開元十五年,改為潁陽。」(載初元年、河南、伊闕、崇陽の三堰を研いて、武臨縣を置く。開元十五年改めて穎陽となし、河南府に隷す。准陽郡は即ち陳州なり、河南道に属す)とある。都畿道 河南府 潁陽。
吾將元夫子,異姓為天倫。
われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。
天倫 《穀梁傳‧隱公元年》: “兄弟, 天倫也。” 范寧注: “兄先弟後, 天之倫次。”とある。
本無軒裳契,素以煙霞親。
軒車冠裳、即ち在官上の交契としてはいないが、本来、煙霞の癖を同じゅうして、あい親しんで居た。
軒車 大夫以上所乘有帷幕的馬車。《莊子.讓王》:「子貢乘大馬,中紺而表素,軒車不容巷,往見原憲。」《文選.古詩十九首.冉冉孤生竹》:「思君令人老,軒車來何遲。」攻城的車子。
冠裳 官吏的全套禮服。中原漢人服飾。道士日常所戴帽子和所衣服。
嘗恨迫世網,銘意俱未伸。
恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることができず、つまり、この世を脱出しかねる。
銘意 心上に銘記したる本意をいう。・銘:1 金石・器物などに事物の来歴や人の功績を記したもの。「碑に―を刻む」2 特にすぐれた物品につける特定の名。「―を付ける」3 製作物に入れる製作者の名。4 心に刻み込んでいる戒めなどの言葉。
松柏雖寒苦,羞逐桃李春。
松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。
松柏 《論語子罕》「歲寒, 然後知松柏之後凋也。」
桃李 《史記·李將軍列傳》「桃李不言,下自成蹊.」
潁陽別元丹丘之淮陽 #1
(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)
吾將元夫子,異姓為天倫。
われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。
本無軒裳契,素以煙霞親。
軒車冠裳、即ち在官上の交契としてはいないが、本来、煙霞の癖を同じゅうして、あい親しんで居た。
嘗恨迫世網,銘意俱未伸。
恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることができず、つまり、この世を脱出しかねる。
松柏雖寒苦,羞逐桃李春。
松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。
#2
悠悠市朝間,玉顏日緇磷。
かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。
所失重山岳,所得輕埃塵。
われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。
精魄漸蕪穢,衰老相憑因。
こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。
我有錦囊訣,可以持君身。
われに錦嚢の仙方があって、これを以て、君の身を支持して行くことが出来るが、それは、外でもない、黄金の薬を餐し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。
#3
當餐黃金藥,去為紫陽賓。
萬事難並立,百年猶崇晨。
別爾東南去,悠悠多悲辛。
前志庶不易,遠途期所遵。
已矣歸去來,白雲飛天津。
(潁陽にて、元丹丘の淮陽に之くに別る)
吾、元夫子と、異姓にして天倫たり。
本と軒裳の契なく、素より煙霞を以て親む。
かつて恨む、世網に迫られ、銘意 倶に未だ伸びざるを。
松柏は寒苦と雖も、桃李の春を逐ふを羞づ。
#2
悠悠たる市朝の間,玉顏 日に緇磷。
失う所ろは山岳よりも重く,得る所は埃塵よりも輕し。
精魄 漸く蕪穢,衰老 相い 憑因す。
我に 錦囊の訣有り,可以て君が身を持つべし。
#3
當に 黃金の藥を餐し,去って 紫陽の賓と為るべし。
萬事 並び立ち難く,百年 猶お 崇晨。
爾が 東南に去るに別る,悠悠として 悲辛多し。
前志 庶わくば 易らず,遠途 遵う所を期す。
已んぬるかな 歸るなん去來【いざ】,白雲 天津に飛ぶ。
『潁陽別元丹丘之淮陽』 現代語訳と訳註解説
(本文) #2
悠悠市朝間,玉顏日緇磷。
所失重山岳,所得輕埃塵。
精魄漸蕪穢,衰老相憑因。
我有錦囊訣,可以持君身。
(下し文)
悠悠たる市朝の間,玉顏 日に緇磷。
失う所ろは山岳よりも重く,得る所は埃塵よりも輕し。
精魄 漸く蕪穢,衰老 相い 憑因す。
我に 錦囊の訣有り,可以て君が身を持つべし。
(現代語訳)
かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。
われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。
こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。
われに錦嚢の仙方があって、これを以て、君の身を支持して行くことが出来るが、それは、外でもない、黄金の薬を餐し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。
(訳注) #2
潁陽別元丹丘之淮陽 #1
(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)
舊唐書「潁陽載初元年,析河南、伊闕、嵩陽三縣置武臨縣。開元十五年,改為潁陽。」(載初元年、河南、伊闕、崇陽の三堰を研いて、武臨縣を置く。開元十五年改めて穎陽となし、河南府に隷す。准陽郡は即ち陳州なり、河南道に属す)とある。都畿道 河南府 潁陽。
悠悠市朝間,玉顏日緇磷。
かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。
緇磷 すり減らされ黒ずむ。《論語·陽貨》「不曰堅乎?磨而不磷。不曰白乎?涅而不緇。」.
所失重山岳,所得輕埃塵。
われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。
塵埃 1 ちりとほこり。2 世の中の、もろもろの汚れたもの。俗世間の事柄。
精魄漸蕪穢,衰老相憑因。
こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。
蕪穢 土地などが、荒れはてること。また、そのさま。ぶわい。
我有錦囊訣,可以持君身。
われに錦嚢の仙方があって、これを以て、君の身を支持して行くことが出来るが、それは、外でもない、黄金の薬を餐し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。
錦囊訣 錦嚢の仙方、金丹。道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。
元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。
李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。
胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。
李太白集 | Category 詩題 | 作時 |
巻-No. | 西暦 年号 | |
06-08 | 1.元丹丘歌 | 731年開元十九年 |
24-02 | 2.題元丹丘山居 | 731年開元十九年 |
24-03 | 731年開元十九年 | |
18-16 | 736年開元二十四年 | |
02-08 | 5.將進酒 | 736年開元二十四年 |
14-12 | 738年開元二十六年 | |
23-55 | 738年開元二十六年 | |
巻13-13 | 14上寄元六林宗 | 739年開元二十七年39歳 |
巻09-01 | 741年開元二十九年 | |
06-07 | 8.西岳云台歌送丹丘子 | 743年天寶二年 |
18-11 | 9.以詩代書答元丹丘 | 744年天寶三年 |
24-08 | 10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 | 750年天寶九年 |
22-02 | 11.尋高鳳石門山中元丹丘 | 751年天寶十年 |
12-11 | 12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡 | 751年天寶十年 |
22-01 | 13.與元丹丘方城寺談玄作 | 751年天寶十年 |
以上の十三首+二首である。
以下の詩も元丹丘関連のものである。
《卷13-13江上寄元六林宗#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 【2分割】<272#2> Ⅰ李白詩1549 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6293
294-#1 《卷九01秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <294-#1> Ⅰ李白詩1587 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6483 |
294-#2 《卷九01秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <294-#2> Ⅰ李白詩1588 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6488 |
年:738年開元二十六年38歳
卷別: 卷一七四 文體: 五言古詩
詩題: 潁陽別元丹丘之淮陽
作地點: 潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)
及地點: 潁陽 (都畿道 河南府 潁陽)
陳州 (河南道 陳州 陳州) 別名:淮陽
汴州 (河南道 汴州 汴州) 別名:梁
交遊人物:元丹丘 當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)
潁陽別元丹丘之淮陽 #1
(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)
吾將元夫子,異姓為天倫。
われと元夫子とは、異姓でありながら、天倫の兄弟も同じである。
本無軒裳契,素以煙霞親。
軒車冠裳、即ち在官上の交契としてはいないが、本来、煙霞の癖を同じゅうして、あい親しんで居た。
嘗恨迫世網,銘意俱未伸。
恨むらくは、世の塵網に迫られて、心上に銘記したる本意を十分に伸べることができず、つまり、この世を脱出しかねる。
松柏雖寒苦,羞逐桃李春。
松柏は如何に寒に遇って苦しんだとしても、桃李の春をおって、世人に媚びることを羞じ、自ら孤高に甘んじている。
#2
悠悠市朝間,玉顏日緇磷。
かくて、悠悠たる市朝の間に在って、玉顔は、日にまし黒すんで痩せて行く。
所失重山岳,所得輕埃塵。
われ等の共にせんとする出世間願望は、山岳よりも重く、世に於で得るところの功名富貴は、塵埃よりも軽い。
精魄漸蕪穢,衰老相憑因。
こういう風に、浮世に跼蹐して居る間に、精魄は日に蕪雑に帰し、衰老は相因って、到底救い難いようになる。
我有錦囊訣,可以持君身。
われに錦嚢の仙方があって、これを以て、君の身を支持して行くことが出来るが、
#3
當餐黃金藥,去為紫陽賓。
それは、外でもない、餐するにあたっては黄金の薬を食し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。
萬事難並立,百年猶崇晨。
すべて、世間の万事は、並び立たず、百年の久しきも、ほんの朝飯前の短い間である。
別爾東南去,悠悠多悲辛。
かくて、汝が東南に去ろうとするのを送れば、わが心、悠悠として、悲辛の情多く、殆んど堪えられない。
前志庶不易,遠途期所遵。
庶わくは、前志を変えることなく、あくまで修養をなし、たとえ途遠くして、容易に到り難きにせよ、その遵由するところを期して、次第に工夫を積むが善い。
已矣歸去來,白雲飛天津。
己んぬるかな、「いざ帰りいざ。」白雲一片、天津橋上に飛び、さながら心ありげに、君を送るが如く、君の此行、必ずしも不成功に終ることも無かろうと思う。
(潁陽にて、元丹丘の淮陽に之くに別る)
吾、元夫子と、異姓にして天倫たり。
本と軒裳の契なく、素より煙霞を以て親む。
かつて恨む、世網に迫られ、銘意 倶に未だ伸びざるを。
松柏は寒苦と雖も、桃李の春を逐ふを羞づ。
悠悠たる市朝の間,玉顏 日に緇磷。
失う所ろは山岳よりも重く,得る所は埃塵よりも輕し。
精魄 漸く蕪穢,衰老 相い 憑因す。
我に 錦囊の訣有り,可以て君が身を持つべし。
#3
當に 黃金の藥を餐し,去って 紫陽の賓と為るべし。
萬事 並び立ち難く,百年 猶お 崇晨。
爾が 東南に去るに別る,悠悠として 悲辛多し。
前志 庶わくば 易らず,遠途 遵う所を期す。
已んぬるかな 歸るなん去來【いざ】,白雲 天津に飛ぶ。
『潁陽別元丹丘之淮陽』 現代語訳と訳註解説
(本文) #3
當餐黃金藥,去為紫陽賓。
萬事難並立,百年猶崇晨。
別爾東南去,悠悠多悲辛。
前志庶不易,遠途期所遵。
已矣歸去來,白雲飛天津。
(下し文) #3
當に 黃金の藥を餐し,去って 紫陽の賓と為るべし。
萬事 並び立ち難く,百年 猶お 崇晨。
爾が 東南に去るに別る,悠悠として 悲辛多し。
前志 庶わくば 易らず,遠途 遵う所を期す。
已んぬるかな 歸るなん去來【いざ】,白雲 天津に飛ぶ。
(現代語訳)
それは、外でもない、餐するにあたっては黄金の薬を食し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。
すべて、世間の万事は、並び立たず、百年の久しきも、ほんの朝飯前の短い間である。
かくて、汝が東南に去ろうとするのを送れば、わが心、悠悠として、悲辛の情多く、殆んど堪えられない。
庶わくは、前志を変えることなく、あくまで修養をなし、たとえ途遠くして、容易に到り難きにせよ、その遵由するところを期して、次第に工夫を積むが善い。
己んぬるかな、「いざ帰りいざ。」白雲一片、天津橋上に飛び、さながら心ありげに、君を送るが如く、君の此行、必ずしも不成功に終ることも無かろうと思う。
(訳注) #3
潁陽別元丹丘之淮陽
(潁陽において、元丹丘の淮陽に行くに別れ、即ち、これを送った時の詩である。)
舊唐書「潁陽載初元年,析河南、伊闕、嵩陽三縣置武臨縣。開元十五年,改為潁陽。」(載初元年、河南、伊闕、崇陽の三堰を研いて、武臨縣を置く。開元十五年改めて穎陽となし、河南府に隷す。准陽郡は即ち陳州なり、河南道に属す)とある。都畿道 河南府 潁陽。
當餐黃金藥,去為紫陽賓。
それは、外でもない、餐するにあたっては黄金の薬を食し、そして、紫陽真人の処に往って修養をすることである。
黃金藥 《抱朴子‧仙藥》「 仙藥之上者為丹砂,次者為黃金。」
紫陽賓 《周氏冥通記》「第一紫陽左眞人,治葛衍山,周君;第二紫陽古(右)真人,治嶓冢山,王君」とある。
萬事難並立,百年猶崇晨。
すべて、世間の万事は、並び立たず、百年の久しきも、ほんの朝飯前の短い間である。
崇晨 崇朝に同じ、旦より食事に至るまでをいう。
別爾東南去,悠悠多悲辛。
かくて、汝が東南に去ろうとするのを送れば、わが心、悠悠として、悲辛の情多く、殆んど堪えられない。
前志庶不易,遠途期所遵。
庶わくは、前志を変えることなく、あくまで修養をなし、たとえ途遠くして、容易に到り難きにせよ、その遵由するところを期して、次第に工夫を積むが善い。
已矣歸去來,白雲飛天津。
己んぬるかな、「いざ帰りいざ。」白雲一片、天津橋上に飛び、さながら心ありげに、君を送るが如く、君の此行、必ずしも不成功に終ることも無かろうと思う。
歸去來 陶淵明(とうえんめい)「帰去来辞」より。「来」は助辞〕 故郷に帰るために,官職をやめてその地を去ること。「かえりなんいざ」と訓読されてきた。
天津 洛陽の天神橋。李白《巻4-34 洛陽陌》「白玉誰家郎,回車渡天津。看花東陌上,驚動洛陽人。」誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。洛陽の城門から入って東の大路へ行って悠然と花を見る。その豪華華美の姿は洛陽の人々を驚かすばかりである。
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- カテゴリ:李太白集 巻十四
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