李太白集 273《太白巻十七10送麴十少府》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 6946
- 2015/11/20
- 22:45
李白 送麴十少府
試發清秋興,因為吳會吟。碧雲斂海色,流水折江心。
我有延陵劍,君無陸賈金。艱難此為別,惆悵一何深。
(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)
時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。 おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。
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年:739年開元二十七年39歳
卷別: 卷一七七 文體: 五言律詩
詩題: 送麴十少府
及地點: 延陵 (江南東道 潤州 延陵)
交遊人物:麴十
送麴十少府
(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)
試發清秋興,因為吳會吟。
時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。
碧雲斂海色,流水折江心。
おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。
我有延陵劍,君無陸賈金。
この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。
艱難此為別,惆悵一何深。
されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。
(麴十少府を送る)
試に清秋の輿を発し、因って、具会の吟を爲す。
碧雲、海色を飲め、流水、江心を折く。
我に延陵の劍有り,君に陸賈の金無し。
艱難 此に別を為す,惆悵 一に何ぞ深き。
『送麴十少府』 現代語訳と訳註解説
(本文)
送麴十少府
試發清秋興,因為吳會吟。
碧雲斂海色,流水折江心。
我有延陵劍,君無陸賈金。
艱難此為別,惆悵一何深。
(下し文)
(麴十少府を送る)
試に清秋の輿を発し、因って、具会の吟を爲す。
碧雲、海色を飲め、流水、江心を折く。
我に延陵の劍有り,君に陸賈の金無し。
艱難 此に別を為す,惆悵 一に何ぞ深き。
(現代語訳)
(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)
時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。
おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。
この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。
されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。
(訳注)
送麴十少府
(某縣の尉たる麴某を送って作ったもの)
試發清秋興,因為吳會吟。
時はいま清秋の頃であり、詩興自ら勃如たるにより、呉の会稽に因める詩を作って、君のこの旅を送ろうと思う。
吳會 呉の国。いまの浙江省紹興。会稽山脈の北端にある。「史記」の始皇本紀、三十七年に「会稽山(浙江省紹興)に登って大禹(夏の商王)を祭り、南海を望んで石を立て、文字を刻んで秦の徳をたたえた」とある。杭州が中国南部統治の要衝地であった。その象徴ともいえる山が会稽山である。地図上での南は海南方面であるが李白の時代唐時は交通手段が川・運河であったためこの地を南としていた。李白《越女詞,五首之四》「東陽素足女,會稽素舸郎。相看月未墮,白地斷肝腸。」
120 《越女詞,五首之四》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <120> Ⅰ李白詩1300 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5048
李白《古風,五十九首之三》「銘功會稽嶺、騁望琅琊台。」
index-26-1-#1 《古風五十九首之三》Ⅳ-1 747年天寶六年47歳 464<index-26-1-#1> Ⅰ李白詩1145 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4273
碧雲斂海色,流水折江心。
おりから、碧雲はのび広がって、海色をおさめており、流水は、秋漲の餘勢、すさまじく、江心から曲折して奔注している。
我有延陵劍,君無陸賈金。
この間を旅すると、さすがに、悽愴の想を為すであろう。われには、心中君に贈ることを許した延陵の剣あれども、君は、なお奔走に衣食して、子息等に分配する「陸賈の金」というものはもっていない。
延陵劍 李白 《陳情贈友人》「延陵有寶劍,價重千黃金。」延陵有寶劍 (呉王の子)季札が始めて、使者として(晋へ)赴く途中、北の徐の国を通った。徐君(徐の君主)は季札の剣を好ましく思ったが、口に出して敢えて欲しいとは言わなかった。また李札もその意を汲みながらも、使いする上国は礼儀の国で使者としての公務に(威儀を正すために)佩刀は必須、剣を差し上げることはできなかった。公務からの帰路に(徐君に譲ろうとして)、徐の国に至った。
ところが訪ねた時、徐君は既に死んでいた。季札は其の宝剣を解いて徐君の冢(墓)の樹に懸けて去ろうとした。従者は、「徐君は已に死んでいます、いったい誰(たれ)に予(あた)えるのですか?」季子は「そうではない。始めに来たとき私は、心中ですでに差し上げようと決めていたのだ。どうして死なれたからと言って自分の信の心に背くことができるだろうか。いやできない」と返答した。その後季札は延(えん)陵(りよう)に封ぜられ、延陵の季子とよばれた。
(延陵劍, 延陵剑) 漢 劉向 《新序‧節士》載, 春秋 時 延陵季子 ( 吳 公子季札 )將出訪 晉國 , 帶寶劍經過 徐國 , 徐君 觀劍不言而色欲之。 延陵季子 為有 晉國 之使, 未即獻劍, 然心已許之。 及使 晉 返, 而 徐君 已死。 於是乃以劍掛 徐君 墓樹而去。 後用為不忘故舊的典實。
(延陵劍) 漢の劉向 《新序‧節士》載す,「春秋の時、延陵の季子 (吳の公子 季札)將に出て晉國に訪ず ,寶劍を帶びて徐國を經過す, 徐君劍を觀て言わずしてその色之を欲す。 延陵 季子晉國に 之を使す有る為す, 未だ即ち劍を獻ぜず, 然り 心 已に之を許す。使いに及びに 晉に 返し,而して 徐君 已に死す。是に於て 乃ち以て徐君 墓樹に劍を掛け 而して去る。徐人これを歌って日く、「延陵季子兮不忘故、脱千金之剣兮挂墳墓。」とある。
244-#1 《巻11-13 陳情贈友人 -#1》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#1> Ⅰ李白詩1496 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6028
陸賈金 天下が平定された後の高祖十一年(紀元前196年)、陸賈は南越への使者に選ばれた。天下は疲弊しており、兵を動かさず説得によって南越王趙佗を従わせようとしていた。陸賈が南越へ到着すると、趙佗はもとどりを才槌型に結い両足を投げ出したまま陸賈を引見した。陸賈は趙佗に説いた。陸賈は趙佗の心をつかんだ。趙佗は陸賈を大いに気に入り、数ヶ月も陸賈を引き止めて酒宴を張った。趙佗は、「いままで越では共に語る者もいなかったが、陸先生が来られてからは毎日聞いたこともない話を聞かせていただいた。」と喜んだ。趙佗は陸賈に千金の財宝を与え、さらに千金を贈った。陸賈はついに趙佗を漢の南越王に任ずる儀式を行い、漢の臣として命に従う誓いを立てさせた
五人の息子が有り、そこで、越をして得たところの袋の中の装飾品を出して、一千金で売り、その子たちに二百金づつ分け、生産を為さしめた。
艱難此為別,惆悵一何深。
されば、ここに別を為すに際して、浮世の艱難辛苦、自ら除き難く、惆悵の念、愈よ深きに堪えぬ。
(麴十少府を送る)
試に清秋の輿を発し、因って、具会の吟を爲す。
碧雲、海色を飲め、流水、江心を折く。
我に延陵の劍有り,君に陸賈の金無し。
艱難 此に別を為す,惆悵 一に何ぞ深き。
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