李太白集 288《太白巻二十四13 嘲魯儒》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7021
- 2015/12/05
- 22:34
韓愈 嘲魯儒
魯叟談五經,白髮死章句。問以經濟策,茫如墜煙霧。
足著遠遊履,首戴方山巾。緩步從直道,未行先起塵。
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)
魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで捉えていないのである。そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。
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年:740年開元二十八年40歳
卷別: 卷一八四 文體: 五言古詩
詩題: 嘲魯儒
作地點: 目前尚無資料
及地點: 汶水 (河南道 兗州 兗州)
嘲魯儒
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)
魯叟談五經,白髮死章句。
魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。
問以經濟策,茫如墜煙霧。
ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。
足著遠遊履,首戴方山巾。
そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。
緩步從直道,未行先起塵。
秦家丞相府,不重褒衣人。
君非叔孫通,與我本殊倫。
時事且未達,歸耕汶水濱。
(嘲魯儒)
(魯儒を嘲る)
魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。
問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。
足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。
#2
緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。
秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。
君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。
時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。
『嘲魯儒』 現代語訳と訳註解説
(本文)
嘲魯儒
魯叟談五經,白髮死章句。
問以經濟策,茫如墜煙霧。
足著遠遊履,首戴方山巾。
(下し文)
(魯儒を嘲る)
魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。
問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。
足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。
(現代語訳)
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)
魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。
ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで捉えていないのである。
そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。
(訳注)
嘲魯儒
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)
前の分類中に入らぬ様な者を悉皆集めて、一まとめとし、便宜上、難詠といったのである。
魯儒のものの実務に疎いことをいい、「足著遠遊履、」
魯叟談五經,白髮死章句。
魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。
○五經 《詩經》、《尚書》、《禮記》、《周易》、《春秋》。四書は《論語》、《孟子》、《大學》、《中庸》を指す。
問以經濟策,茫如墜煙霧。
ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。
足著遠遊履,首戴方山巾。
そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。
○遠遊履 曹植《洛神賦》「踐遠遊之文履,曳霧銷之輕裾。」(遠遊の文履を踐み,霧銷の輕裾を曳く。)に基づく。
○方山巾 古儒者所戴的軟帽。一種には方形輭帽といい,又、方山冠と称す。
嘲魯儒 魯叟談五經,白髮死章句。 問以經濟策,茫如墜煙霧。 足著遠遊履,首戴方山巾。 | (魯儒を嘲る) 魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。 問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。 足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。 |
緩步從直道,未行先起塵。 秦家丞相府,不重褒衣人。 君非叔孫通,與我本殊倫。 時事且未達,歸耕汶水濱。 | 緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。 秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。 君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。 時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。 |
嘲魯儒
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)
魯叟談五經,白髮死章句。
魯の儒者は四書五經を談じ、白髪になるまで章句、語句を教条的に解釈し、身を減らして死んでいくという。
問以經濟策,茫如墜煙霧。
ところがその者たちに、現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようで情勢を捉えていないのである。
足著遠遊履,首戴方山巾。
そして、戦になろうというのに足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった儒者の冠をかぶっているのである。
(魯儒を嘲る)
魯叟 五經を談じ,白髮 章句に死す。
問うに、経済の策を以てすれば、茫としで煙霧に墜つるがごとし。
足には遠遊の屐を著け、首には方山の巾を戴く。
#2
緩步從直道,未行先起塵。
おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。
秦家丞相府,不重褒衣人。
秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。
君非叔孫通,與我本殊倫。
また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。
時事且未達,歸耕汶水濱。
だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。
(嘲魯儒)
#2
緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。
秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。
君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。
時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。
『嘲魯儒』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2
緩步從直道,未行先起塵。
秦家丞相府,不重褒衣人。
君非叔孫通,與我本殊倫。
時事且未達,歸耕汶水濱。
(下し文)
緩歩、直道よりし、未だ行かざるに先づ塵を起す。
秦家丞相の府、褒衣の人を重んせず。
君は叔孫通に非ず、我と本と殊倫。
時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。
(現代語訳)
おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。
秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。
また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。
だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。
嘲魯儒
(魯儒は、むかし叔孫通に反対した様な儒者で、この詩は、即ち變通の義を解せざる點を嘲ったのである。)
前の分類中に入らぬ様な者を悉皆集めて、一まとめとし、便宜上、難詠といったのである。
魯儒のものの実務に疎いことをいい、「足著遠遊履、」
緩步從直道,未行先起塵。
おもむろに歩みを進め、直動してゆくが、それが近道を通るという訳ではないし、足取りは仰々しく、まだ到着もしないうちから埃塵をたてる始末である。
秦家丞相府,不重褒衣人。
秦の時代の李斯丞相の朝廷では、褒衣博帯をきる儒者を重んじなかったばかりか、一層強い中央集権統治である郡県制への移行を説き、また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。
秦家丞相府 李斯をいう、周の制度である封建制を採り入れ、始皇帝の公子達を各地の王として封じるようにと進言した。だが、李斯はそれに猛反対して、周が何故滅んだかの理由を具体的に述べた上、一層強い集権統治である郡県制への移行を説いた。また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。
褒衣人 褒衣博帯のひと。大きな裾の服と広い帯のことで儒者の服のこと。また、儒者や学者、文人のこと。「褒衣」は裾の大きい服のこと。
君非叔孫通,與我本殊倫。
また、この輩は、その頃の大儒者叔孫通一輩とも、受け入れず、我らとは根本的に類を異にして、別種の人である。
叔孫通 (生没年不詳)秦末から前漢初めにかけての儒者。薛(現山東省滕州市)の人。
史記に「漢の高祖、既に天下を并(あは)せ、叔孫通に朝儀を起こさしめ、ここに於て通をして魯諸生三十余人を徴せしむ。」とある。
劉邦は叔孫通を博士とし、稷嗣君の称号を与えた。劉邦が天下を統一し、諸侯が彼を皇帝に奉ると、叔孫通がその儀礼や制度を整えた。
高祖劉邦は秦の法律を廃止して簡易にしたため、大臣たちは朝廷での宴会の際に自分の功績を誇り、酔って叫びだしたり柱に斬りつけるなどという有様で、高祖はこれに悩んでいた。叔孫通は「儒者は進取には役立ちませんが守成には役立ちます。魯の儒者と私の弟子たちに朝廷での儀礼を制定させましょう」と申し出た。高祖が「(礼は自分のような者にとって)難しくないか?」と聞くと、「礼は王朝と共に変わるものです。古の礼と秦の礼を抜粋したいと思います」と答え、高祖は「俺にもできるようにして、難しくするなよ」と言った。
叔孫通は魯の儒者を召しだした。その中に「貴方はこれまで何人もの主に仕え、その都度阿諛追従して地位を得ている。今は天下が統一されたばかりで死者も葬られていないというのに、礼を興そうとしているが、礼というのは百年も徳を積み重ねて初めて出来るものだ。貴方の行いは古には合致しない。私を汚そうとしないでくれ」と拒否する者がいたが、叔孫通は「時勢を知らぬ田舎儒者だ」と笑った。
新たな儀礼を制定し、高祖に見せたところ、「これなら俺にも出来る」と言ったため、臣下にその儀礼を習わせた。高祖7年(紀元前200年)に長楽宮が完成し、諸侯、群臣と朝廷で祝賀会を執り行うと、この儀礼に従って儀式が行われた。諸侯王以下皆高祖を恐れ敬い、儀礼の通りにしない者は御史が強制退去させたため、宴会の際にも礼を失する者はいなかった。高祖は「俺は初めて皇帝の尊さを知ったぞ」と言い、叔孫通を奉常とし金500斤を与えた。叔孫通は「私に従ってきた弟子や儒者たちがこの制度を共に作りましたので、彼らに官位をお与えください」と願ったので、高祖は皆を郎とした。叔孫通は賜った金を儒者たちに分け与え、儒者は「叔孫先生は聖人である。時勢に合ったなすべきことを分かっている」と喜んだ。
時事且未達,歸耕汶水濱。
だから、この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。
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