李太白集 302《太白巻五 28李白23 子夜呉歌 其二 夏》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7091
- 2015/12/19
- 22:23
李白 子夜吳歌【子夜四時歌】四首:夏歌
鏡湖三百里,菡萏發荷花。
(四時行楽の詩で、子夜春歌、其二首は、「夏の素足」で、呉越戦争、越の西施の古辞を詠ったもの。夏のエピソードは、越の美女西施である。)
鏡湖は回り巡って三百里といい、広さは、九千餘頃にわたった大きな湖で、初夏からつぼみであった蓮の花がいっぱいに咲き満ちている。
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年:742年天寶元年42歳 18首
卷別: 卷一六五 文體: 樂府
詩題: 子夜吳歌【子夜四時歌】四首:春歌
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
子夜吳歌【子夜四時歌】四首:春歌
(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。春のエピソードは羅敷である)
秦地羅敷女,採桑綠水邊。
秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。
素手青條上,紅妝白日鮮。
その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。
蠶飢妾欲去,五馬莫留連。
直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。
(子夜吳歌【子夜四時の歌】四首:春の歌)
秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。
素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。
蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。
年:742年天寶元年42歳 18首
卷別: 卷一六五 文體: 樂府
詩題: 子夜吳歌【子夜四時歌】四首:夏歌
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點: 鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖
若耶溪 (江南東道 越州 會稽) 別名:耶溪、若溪、浣紗溪
子夜吳歌【子夜四時歌】四首:夏歌
(四時行楽の詩で、子夜春歌、其二首は、「夏の素足」で、呉越戦争、越の西施の古辞を詠ったもの。夏のエピソードは、越の美女西施である。)
鏡湖三百里,菡萏發荷花。
鏡湖は回り巡って三百里といい、広さは、九千餘頃にわたった大きな湖で、初夏からつぼみであった蓮の花がいっぱいに咲き満ちている。
五月西施採,人看隘若耶。
五月、夏の盛りには、絶世の美女、「西施」がここに採蓮したように、越の若い娘が、採蓮の船を出している、それを見ようと若耶に人が押し寄せ、鏡湖から若耶溪の堤に人があふれるほどになる。
回舟不待月,歸去越王家。
しかし、此処の美女たちは、そんなことには頓着せず、日が暮れかかると月が昇り始める前にはさっさと船を返して、越王宮であろう、我が家に帰ってゆくのである。
(子夜吳歌【子夜 四時の歌】四首:夏の歌)
鏡湖 三百里,菡萏 荷花を發く。
五月 西施も採る,人は看る 若耶 隘しと。
『子夜吳歌【子夜四時歌】四首:夏歌』 現代語訳と訳註解説
(本文)
子夜吳歌【子夜四時歌】四首:夏歌
鏡湖三百里,菡萏發荷花。
五月西施採,人看隘若耶。
回舟不待月,歸去越王家。
(下し文)
(子夜吳歌【子夜 四時の歌】四首:夏の歌)
鏡湖 三百里,菡萏 荷花を發く。
五月 西施も採る,人は看る 若耶 隘しと。
舟を回して 月を待たず,歸り去る 越王の家。
(現代語訳)
(四時行楽の詩で、子夜春歌、其二首は、「夏の素足」で、呉越戦争、越の西施の古辞を詠ったもの。夏のエピソードは、越の美女西施である。)
鏡湖は回り巡って三百里といい、広さは、九千餘頃にわたった大きな湖で、初夏からつぼみであった蓮の花がいっぱいに咲き満ちている。
五月、夏の盛りには、絶世の美女、「西施」がここに採蓮したように、越の若い娘が、採蓮の船を出している、それを見ようと若耶に人が押し寄せ、鏡湖から若耶溪の堤に人があふれるほどになる。
しかし、此処の美女たちは、そんなことには頓着せず、日が暮れかかると月が昇り始める前にはさっさと船を返して、越王宮であろう、我が家に帰ってゆくのである。
子夜吳歌【子夜四時歌】四首:夏歌
(四時行楽の詩で、子夜春歌、其二首は、「夏の素足」で、呉越戦争、越の西施の古辞を詠ったもの。夏のエピソードは、越の美女西施である。)
これは夏の歌で、採蓮の女たちを詠じ、鏡湖、若耶溪というところ、採蓮曲は、若耶溪、越女詞、耶溪採蓮女、素足、というところから、西施に擬した。
李白の西施を詠った詩は以下の通り。
65巻02-06楽府烏棲曲 | 吳王宮里醉西施。 |
195巻五 28子夜吳歌 (子夜四時歌 ) 夏歌 | 鏡湖三百里。 菡萏發荷花。 五月西施采。 人看隘若耶。 回舟不待月。 歸去越王家。 |
210卷六5玉壺吟 | 世人不識東方朔。 大隱金門是謫仙。 西施宜笑復宜顰。 丑女效之徒累身。 君王雖愛蛾眉好。 |
218卷六13鳴皋歌送岑徵君 時梁園三尺雪 | 鳳孤飛而無鄰。 (蝘)蜓嘲龍。 魚目混珍。 嫫母衣錦。 西施負薪。 若使巢由桎梏于軒冕兮。 |
546卷十六49送祝八之江東賦得浣紗石 | 西施越溪女。 明艷光云海。 未入吳王宮殿時。 |
747巻二一25西施 | 西施越溪女。 出自苧蘿山。 |
829巻二三03效古二首其二 | 自古有秀色。 西施與東鄰。 蛾眉不可妒。 況乃效其顰。 所以尹婕妤。 |
945巻二四56口號吳王美人半醉 | 風動荷花水殿香。 姑蘇台上宴吳王。 西施醉舞嬌無力。 笑倚東窗白玉床。 |
鏡湖三百里,菡萏發荷花。
鏡湖は回り巡って三百里といい、広さは、九千餘頃にわたった大きな湖で、初夏からつぼみであった蓮の花がいっぱいに咲き満ちている。
○鏡湖 名前の由来は、《述異記》に軒轅氏がこの湖のほとりで鏡を鋳造したこと、研磨石もここにあったためであったとみえる。浙江省の会稽・山陰両県のさかいにある湖。李白が朝廷に上がって間もなく賀知章が官を辞して、玄宗皇帝から鏡湖を賜わった。長く宮仕えをしたご褒美である。鏡湖:浙江省紹興県の南。鑑湖、長湖、太湖、慶湖ともいう。開元中に秘書監賀知章に鏡湖溪一曲を賜う。賀監湖。宋代に田地となる。
安徽省の撫湖市には有名な鏡湖があるが、別のもの。《述異記》「饒州舊傳,軒轅氏鑄鏡於湖邊,因得名。今有軒轅磨鏡石。」【釋名】鏡,景也。言有光景也。【前漢·韓安國傳】淸水明鏡,不可以形逃。 又明也。【前漢·衞姬傳】深說經義,明鏡聖法。 又石鏡,山名。【潯陽記】石鏡山之東,一圓石縣厓,明淨照人見形。 又石名。
○三百里 湖を回周すれば310里(179km)で広さは9千余頃(41,000ha)と、《通典》にみえる。 《通典》「漢順帝永和五年,馬臻為太守,創立鏡湖。在會稽、山陰兩縣界,築塘蓄水,水高丈餘,田又高海丈餘。若水少則洩湖灌田,如水多則閉湖洩田中水入海,所以無凶年。其隄塘,周迴三百一十里,都溉田九千餘頃。」
○荷花 芙蓉のいまだひらかずを「菡萏」といい、花を咲かせたものを芙蓉という。
五月西施採,人看隘若耶。
五月、夏の盛りには、絶世の美女、「西施」がここに採蓮したように、越の若い娘が、採蓮の船を出している、それを見ようと若耶に人が押し寄せ、鏡湖から若耶溪の堤に人があふれるほどになる。
○西施 長いので、後ろに掲載。
○若耶 若耶溪のこと。現在、平水江という名の川である。大禹陵前の湖水から会稽山の東側を流れる平水江から引いた運河があり、西側の南池江と繋がっている。それを、嘗て若耶溪と称されていた川である。
回舟不待月,歸去越王家。
しかし、此処の美女たちは、そんなことには頓着せず、日が暮れかかると月が昇り始める前にはさっさと船を返して、越王宮であろう、我が家に帰ってゆくのである。
○不待月 月が昇るのを待つことはない。
○越王家 (これほどの美女が帰るのは)越王宮であろう、それを我が家とする。
採蓮曲
若耶溪傍採蓮女,笑隔荷花共人語。
日照新妝水底明,風飄香袂空中舉。
岸上誰家遊冶郎,三三五五映垂楊。
紫騮嘶入落花去,見此踟躕空斷腸。
(江南の若い女が蓮を取りつつ戯れている様子を詠じた詩)
蓮の名所と知られている若耶溪の辺りには、若い女が多く集まって蓮の花を取っているが、それぞれが蓮の葉影の深い所にいて蓮の花を隔てて話をしている。
空が晴れ渡っているので、日差しは強く新妝を照らしていてその影が水の底まではっきりと映り、そこに風が吹いて来て、蓮の香りに加えて女のたもとを翻し、空中に舞上り、女のかおりもとどいてくる。
岸の上には放蕩者たちが三々五々と群れをなして、柳の間にいるが、いずれもたくましい馬に乗っている。
やがて、馬が嘶いて落花の間に入って、向うへ去る時、ふと采蓮の女を垣間見たので、頻りに最近は女旱で心を悩ましているのに、ただ、うろうろしているだけなのだ。
(採蓮曲)
若耶【じゃくや】渓の傍り 採蓮の女、笑って荷花【かか】を隔てて人と共に語る。
日は新粧を照らして水底明らかに、風は香袖を飄して空中に挙がる。
岸上 誰が家の遊冶郎【ゆうやろう】ぞ、三三、五五、垂楊に映ず。
紫騮【しりゅう】落花に嘶【いなな】きて入りて去り、此れを見て踟蹰【ちちゅう】して空しく断腸。
越女詞,五首之一
長干吳兒女,眉目豔新月。
屐上足如霜,不著鴉頭襪。
(越の女は細身の美人で、この地方の女の風俗を映し出して詠う。)
長干の色街に住む呉の妓女らは容貌絶麗であり、眉と目が新月よりもなまめかしく、あでやかである。
そして、靴のうえの足は霜のように白く、もう「鴉頭」という名の足袋を履いていなくてもうす絹をつけように素足が美しい、それが見る人の心を悩ませるのである。
(越女詞,五首の一)
長干の吳兒女,眉目 新月より豔なり。
屐上【げきじょう】足 霜の如し,鴉頭の襪を著けず。
越女詞,五首之二
吳兒多白皙,好為蕩舟劇。
賣眼擲春心,折花調行客。
(越の女は細身の美人で、この地方の船頭屋の娼妓娘の風俗を映し出して詠う。)
呉の娼妓娘らは、いずれも色白が多く、好んで舟をゆさぶることで、戯れて男の目を引き、遊びをする。
色目をつかって、もえたつ色好みの春心をなげつけてその気にさせるのだ、花を折りとって旅人をからかう。
(越女の詞 其の二)
呉児 多くは白皙【はくせき】、好んで 蕩舟の劇れを為す。
眼を売って 春心を擲【なげう】ち、花を折って 行客【こうかく】を調す。
越女詞,五首之三【《越中書》所見也。】
耶溪採蓮女,見客棹歌迴。
笑入荷花去,佯羞不出來。
(その二の詩と真逆のはにかんだ採蓮の娘たちを詠う)越女の詞,五首の三
若耶渓頭でハスの実をつむ娘たちは、旅人を見つけると舟歌を唄いながら舟をあちらへこいで遠ざかる。
そうして、にっこり笑ってハスの花の影にかくれ、はずかしそうに、思わせぶりに、しなを作って、なかなか出て来ない。
(越女の詞,五首の三【《越中書》見る所なり。】)
耶渓 採蓮の女、客を見て 棹歌して迴る。
笑って荷花に入って去り、佯【いつわ】り羞【はじ】て 出で来らず。
越女詞,五首之四
東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。
(謝靈運の『東陽溪中贈答二首』の詩を現地で体験して詠う。)
東陽生まれと称する素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。
名残月が沈まないので互いに語り合い、見つめ合っているのだ、それは、あからさまに、心も体も別れることが分かっているから名残惜しんでいるのさ。
(越女の詞,五首の四)
東陽 素足の女,会稽 素舸の郎。
相看て 月 末だ墜ちず,白地に 肝腸を断つ。
越女詞,五首之五
鏡湖水如月,耶溪女似雪。
新妝蕩新波,光景兩奇絕。
(若耶渓から流れてくる鏡湖の水は澄みきって真白な月を映す、若耶溪の娘たちも色白であると詠う)
鏡湖は水は澄み切っていて月が映ると月光の鏡の中の美人の顏をうつしているようだ,若耶溪にあつまったむすめたちも雪のように色白である。
初々しい化粧姿は船上でゆれれば、すがすがしい波がうつってゆく,その光景はどちらも比べがたく素晴らしいというだけだ。
(越女の詞,五首の五)
鏡湖 水 如月のごとく,耶溪 女 雪のごとし。
新妝 新波に蕩ゆらめき,光景 兩つながら奇絶。
西施
本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。
現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。
紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。
この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。
呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。
次は美女軍団が呉の国王を狂わせた。
十八史略には、西施のきわめて美しかったこと、彼女にまつわるエピソードが記されている。西施は、呉王 夫差の寵姫となったが、あるとき胸の病となり、故郷の村に帰ってきた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いた。それがかえって色香を引出し、村人の目を引いた。そのときに村に評判の醜女がいて、西施のまねた行動をした。それは、異様な姿に映り、かえって村人に嫌われた。これを「西施捧心」と表され、実もないのに真似をしても無駄なことだということだが、日本では、「これだけやっていますが、自分の力だけでなく、真似をしただけですよ」という謙遜の意味に使用されることが多い。
このようにまれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏には、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王 夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまい、傾国が始まったのである。
越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。
その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。
若耶溪
若耶溪,今名平水江,是绍兴境内一条著名的溪流。
溪畔青山叠翠,溪内流泉澄碧,两岸风光如画。
相传若耶溪有七十二支流,自平水而北,会三十六溪之水,流经龙舌,汇于禹陵,然后又分为两股,一支西折经稽山桥注入鉴湖,一脉继续北向出三江闸入海,全长百里。
若耶溪源头在若耶山,山下有一深潭,据说就是郦道元《水经注》中的“樵岘麻潭”。
昔日的潭址已没入一九六四年建成的平水江水库,库区鱼鸥成群,风景秀丽。若耶溪流经平水镇,这一带以盛产珠茶闻名于世,解放后又新建了平水铜矿。
据记载,早在两千四百多年前,薛烛曾向越王献策:“若耶之溪涸而铜出”。
以后,欧冶子就在这里铸造宝剑。
现在的平水铜矿附近,尚有铸铺山和欧治大井遗址。
富有诗情画意的若耶溪,使历代的文人雅士流连忘返。
唐代独孤及的“万山苍翠色,两溪清浅流”,孟浩然的“白首垂钓翁,新装浣纱女”,李白的“若耶溪畔采莲女,笑隔荷花共人语“,丘为的”一川草长绿,四时那得辨“等诗句,都生动地描绘了若耶溪两岸的美丽的风光。
此外,如唐代的崔颢、元、刘长卿,宋代的王安石、苏东坡、陆游,明代的王守仁、徐渭、王思任等文人学士,也都泛舟若耶,留下了许多丽词佳文。
○若耶溪は、現在は平水江と名を変え、多くの文人に愛された地である。
王籍『入若耶渓』
艅艎何泛泛、空水共悠悠。
陰霞生遠岫、陽景逐廻流。
蝉噪林逾静、鳥鳴山更幽。
此地動歸念、長年悲倦遊。
- テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
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- カテゴリ:李太白集 巻五
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