李太白集 307《太白巻十四32南陵別兒童入京》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7116
- 2015/12/24
- 22:34
李白 南陵別兒童入京
白酒新熟山中歸,黃雞啄黍秋正肥。
呼童烹雞酌白酒,兒女嬉笑牽人衣。
高歌取醉欲自慰,起舞落日爭光輝。
游說萬乘苦不早。 著鞭跨馬涉遠道。
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。そもそも、万乗の天子に「遊説」として自分の意見を申しあげ、三寸の舌をもって卿相の位をとるは、早いのが良いので、それがためには、鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅路をこえてゆかねばならない。
李太白集 307《太白巻十四32南陵別兒童入京》 李白 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7116 |
年:742年天寶元年42歳 18首
卷別: 卷一七四 文體: 七言古詩
詩題: 南陵別兒童入京
作地點: 瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)
及地點: 南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村
長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都
會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰
南陵別兒童入京
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒新熟山中歸,黃雞啄黍秋正肥。
山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
呼童烹雞酌白酒,兒女嬉笑牽人衣。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。高歌取醉欲自慰,起舞落日爭光輝。
こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。
#2
游說萬乘苦不早,著鞭跨馬涉遠道。
會稽愚婦輕買臣,余亦辭家西入秦。
仰天大笑出門去,我輩豈是蓬蒿人。
(南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒 新たに熟して山中に帰り、黄鶏 黍(を啄んで 秋 正に肥ゆ。
童を呼び鶏を烹て白酒を酌み、児女歌笑して人の衣を牽く。
高歌 酔を取って自ら慰めんと欲し、起って舞えば 落日光輝を争う。
#2
万乗に遊説す 早からざりしに苦しみ、鞭を著け馬に跨って遠道を渉る。
会稽の愚婦 買臣を軽んじ、余も亦 家を辞して西のかた秦に入る。
天を仰ぎ大笑して門を出で去り、我輩 豈に是れ蓬蒿の人。
『南陵別兒童入京』 現代語訳と訳註解説
(本文)
南陵別兒童入京
白酒新熟山中歸,黃雞啄黍秋正肥。
呼童烹雞酌白酒,兒女嬉笑牽人衣。
高歌取醉欲自慰,起舞落日爭光輝。
(下し文)
(南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒 新たに熟して山中に帰り、黄鶏 黍(を啄んで 秋 正に肥ゆ。
童を呼び鶏を烹て白酒を酌み、児女歌笑して人の衣を牽く。
高歌 酔を取って自ら慰めんと欲し、起って舞えば 落日光輝を争う。
(現代語訳)
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。
(訳注)
南陵別兒童入京
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
○南陵 安徽省宜城県の西にあり、李白は玄宗に召されて長安へ上京した際、ここで妻子と別れたらしい。この詩の児童というのは、李白47「東魯の二稚子」と同じであるかどうか、わからない。
白酒新熟山中歸。 黃雞啄黍秋正肥。
山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
○白酒 どぶろく。
呼童烹雞酌白酒。 兒女嬉笑牽人衣。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。
○児女 男の子と女の子
高歌取醉欲自慰。 起舞落日爭光輝。
こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。
○高歌 高らかに歌を歌う
○自慰 酒を飲み酔うことにより自分で自分を慰める。
○落日 沈む夕日の方向
○爭光輝 光と未来の輝きがを争う
「児童に別れて」とある、「児童」は詩中に「児女」とあり、李白と道教(3) 李白47「 寄東魯二稚子」詩に、嬌女は平陽と字し、花を折って桃辺に侍り小児は伯禽と名づけ、姉と亦た肩を同じくすとある平陽と伯禽のことであろう。この二人と別れて都に入るときの詩であるが、むろん道士呉筠の推薦と、玉真公主の希望によってである。時は天宝元年八七讐)、李白四十二歳である。
旅に出ていて、入京の吉報を得て、「ちょうど濁酒が熟するころ、わが山中の住みかに帰ってきた」。酒好きの李白にとってはまずは酒である。「黍を十分ついばんでいた黄鶏は、この秋に今や肥えて食べごろ。下男を呼んで鶏を煮させて肴にしつつ濁酒を飲んで、「一杯機嫌で都入。」の自慢話をすると、子供たちは歌って大喜び、お父さんよかったねと、父の着物を引っ張る」。「人がわ衣を牽く」は、子供心の嬉しさと、多少父をからかうような気持ちでもある。その様子が目に浮かぶような表現でうまい。
高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。元来、落日の光は、どちらかというと、喜びを予想しない、不安を予期することが多い題材であるが、巧みな表現力で寂勢と希望をよく連なって詠っている。また、道教思想の西の仙女の国と西方の長安を意識させるものであって、喜びと対比させることは珍しい使い方である。
読書が好きで、柴を負いながら書物を読む。妻はその姿のみすぼらしいのを見て、離縁を申し出る。朱買臣は、五十歳になると、地位も高く金持ちになる。今は四十歳であるから、しばらく待てという。妻は、あなたみたいな人は、どぶで餓死するであろうといって、家を出てゆく。数年後、朱買臣は、長安に行って富貴の身となった」とある。この故事をふまえて、「自分も先買臣と同じように家を出て長安の都に入ることになった。おそらく朱買臣と同じように出世するであろう」。
「会稽の愚婦」は、ここでは、自分の妻に戯れて、「おまえも自分をいつも出世しないと馬鹿にしていたが、今度はいよいよ長安に出て出世するぞ」といった椰稔の意があるであろう。郭沫若は、『李白と杜甫』において、これは妻を愚かなる婦とののしったものであり、この「愚婦」とは、魂頴の『李翰林集』序にいう劉氏のことであるとする。李白は三度妻を要るが、二番めが劉氏である。郭氏の説には従いがたいが、参考までに挙げておく。さて、李白は「誇らしげに天を仰いで、大笑して、わが家の門を出てゆく」。「仰天大笑」は、このときの李白の喜びにあふれる気持ちを平易な表現でよく表現している。そして、最後に、李白の自信に満ちた気持ちを、「わが輩は野に埋もれる人ではない」と強くいっている。「蓬蒿」は、ともによもぎといわれ、雑草の類。野原に生えることから、田舎の意味に使われる。「蓬嵩人」という使い方は李白がはじめてであろう。
寄東魯二稚子 在金陵作
吳地桑葉綠。 吳蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』
呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。
わが家 東魯に寄す、誰か種(う)うる亀陰の田。
春事すでに及ばん、江行また茫然。』
南風 帰心を吹き、飛び 墮(お)つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚(よ) る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日(ひび) 憂いに煎る。
素(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』
***********************************************************
「児童に別れて」とある、「児童」は詩中に「児女」とあり、李白と道教(3) 李白47「 寄東魯二稚子」詩に、嬌女は平陽と字し、花を折って桃辺に侍り小児は伯禽と名づけ、姉と亦た肩を同じくすとある平陽と伯禽のことであろう。この二人と別れて都に入るときの詩であるが、むろん道士呉筠の推薦と、玉真公主の希望によってである。時は天宝元年八七讐)、李白四十二歳である。
旅に出ていて、入京の吉報を得て、「ちょうど濁酒が熟するころ、わが山中の住みかに帰ってきた」。酒好きの李白にとってはまずは酒である。「黍を十分ついばんでいた黄鶏は、この秋に今や肥えて食べごろ。下男を呼んで鶏を煮させて肴にしつつ濁酒を飲んで、「一杯機嫌で都入。」の自慢話をすると、子供たちは歌って大喜び、お父さんよかったねと、父の着物を引っ張る」。「人がわ衣を牽く」は、子供心の嬉しさと、多少父をからかうような気持ちでもある。その様子が目に浮かぶような表現でうまい。
高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。元来、落日の光は、どちらかというと、喜びを予想しない、不安を予期することが多い題材であるが、巧みな表現力で寂勢と希望をよく連なって詠っている。また、道教思想の西の仙女の国と西方の長安を意識させるものであって、喜びと対比させることは珍しい使い方である。
読書が好きで、柴を負いながら書物を読む。妻はその姿のみすぼらしいのを見て、離縁を申し出る。朱買臣は、五十歳になると、地位も高く金持ちになる。今は四十歳であるから、しばらく待てという。妻は、あなたみたいな人は、どぶで餓死するであろうといって、家を出てゆく。数年後、朱買臣は、長安に行って富貴の身となった」とある。この故事をふまえて、「自分も先買臣と同じように家を出て長安の都に入ることになった。おそらく朱買臣と同じように出世するであろう」。
「会稽の愚婦」は、ここでは、自分の妻に戯れて、「おまえも自分をいつも出世しないと馬鹿にしていたが、今度はいよいよ長安に出て出世するぞ」といった椰稔の意があるであろう。郭沫若は、『李白と杜甫』において、これは妻を愚かなる婦とののしったものであり、この「愚婦」とは、魂頴の『李翰林集』序にいう劉氏のことであるとする。李白は三度妻を要るが、二番めが劉氏である。郭氏の説には従いがたいが、参考までに挙げておく。さて、李白は「誇らしげに天を仰いで、大笑して、わが家の門を出てゆく」。「仰天大笑」は、このときの李白の喜びにあふれる気持ちを平易な表現でよく表現している。そして、最後に、李白の自信に満ちた気持ちを、「わが輩は野に埋もれる人ではない」と強くいっている。「蓬蒿」は、ともによもぎといわれ、雑草の類。野原に生えることから、田舎の意味に使われる。「蓬嵩人」という使い方は李白がはじめてであろう。
寄東魯二稚子 在金陵作
吳地桑葉綠。 吳蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』
呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。
わが家 東魯に寄す、誰か種(う)うる亀陰の田。
春事すでに及ばん、江行また茫然。』
南風 帰心を吹き、飛び 墮(お)つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚(よ) る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日(ひび) 憂いに煎る。
素(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』
***********************************************************
年:742年天寶元年42歳 18首
卷別: 卷一七四 文體: 七言古詩
詩題: 南陵別兒童入京
作地點: 瑕丘(河南道 / 兗州 / 瑕丘)
及地點: 南陵 (河南道 兗州 曲阜) 別名:陵城村
長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都
會稽 (江南東道 越州 會稽) 別名:山陰
南陵別兒童入京
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒新熟山中歸,黃雞啄黍秋正肥。
山中にあるわが家に帰ってみれば、新しく濁酒が出来上ったころであり、いま秋たけなわであり、黄色い鶏は収穫後のキビ落のち穂をよく食べたとみえてよく肥えている。
呼童烹雞酌白酒,兒女嬉笑牽人衣。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲むと、男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱっていつまでも此処にいてという。
高歌取醉欲自慰,起舞落日爭光輝。
こうして酔うて高らかに歌を歌って自らを慰めようとし、酔いたいだけ酔う、それから起ち上り、舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争うようである。
#2
游說萬乘苦不早,著鞭跨馬涉遠道。
そもそも、万乗の天子に「遊説」として自分の意見を申しあげ、三寸の舌をもって卿相の位をとるは、早いのが良いので、それがためには、鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅路をこえてゆかねばならない。
會稽愚婦輕買臣,余亦辭家西入秦。
漢のむかし、「会稽の愚婦」といわれる嫁は朱買臣をばかにして、離婚を求めたが、朱買臣は、そののち、大層出世したという故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に向かおうとし、将来の成功を予期している。
仰天大笑出門去,我輩豈是蓬蒿人。
だから、此処から、胸を張って大笑して門を出てゆこうとしているし、元来、吾輩は天縦の才略を抱いているもので、とてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物ではないし、今次の都へ向う旅については、栄達の日を指折り数えて待っておいてほしいと思っておるのである。
(南陵にて兒童に別れ京に入る。)
白酒 新たに熟して山中に帰り、黄鶏 黍(を啄んで 秋 正に肥ゆ。
童を呼び鶏を烹て白酒を酌み、児女歌笑して人の衣を牽く。
高歌 酔を取って自ら慰めんと欲し、起って舞えば 落日光輝を争う。
#2
万乗に遊説す 早からざりしに苦しみ、鞭を著け馬に跨って遠道を渉る。
会稽の愚婦 買臣を軽んじ、余も亦 家を辞して西のかた秦に入る。
天を仰ぎ大笑して門を出で去り、我輩 豈に是れ蓬蒿の人。
『南陵別兒童入京』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2
游說萬乘苦不早,著鞭跨馬涉遠道。
會稽愚婦輕買臣,余亦辭家西入秦。
仰天大笑出門去,我輩豈是蓬蒿人。
(下し文)
#2
万乗に遊説す 早からざりしに苦しみ、鞭を著け馬に跨って遠道を渉る。
会稽の愚婦 買臣を軽んじ、余も亦 家を辞して西のかた秦に入る。
天を仰ぎ大笑して門を出で去り、我輩 豈に是れ蓬蒿の人。
(現代語訳)
#2
そもそも、万乗の天子に「遊説」として自分の意見を申しあげ、三寸の舌をもって卿相の位をとるは、早いのが良いので、それがためには、鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅路をこえてゆかねばならない。
漢のむかし、「会稽の愚婦」といわれる嫁は朱買臣をばかにして、離婚を求めたが、朱買臣は、そののち、大層出世したという故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に向かおうとし、将来の成功を予期している。
だから、此処から、胸を張って大笑して門を出てゆこうとしているし、元来、吾輩は天縦の才略を抱いているもので、とてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物ではないし、今次の都へ向う旅については、栄達の日を指折り数えて待っておいてほしいと思っておるのである。
(訳注) #2
南陵別兒童入京
(玄宗に召されて長安に向かおうとするまえに、南陵にて兒童に別れ京に入る。)
○南陵 安徽省宜城県の西にあり、李白は玄宗に召されて長安へ上京した際、ここで妻子と別れたらしい。この詩の児童というのは、李白47「東魯の二稚子」と同じであるかどうか、わからない。
游說萬乘苦不早。 著鞭跨馬涉遠道。
そもそも、万乗の天子に「遊説」として自分の意見を申しあげ、三寸の舌をもって卿相の位をとるは、早いのが良いので、それがためには、鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅路をこえてゆかねばならない。
○遊説 春秋戦国時代に、ある種の人びとは各国を奔走して、国王や貴族の面前で自己の政治主張をのべ、採用されることを求めた。これを遊説といった。
○万乗 皇帝のこと。古代の制度によると、皇帝は、一万の兵車を有していた。
會稽愚婦輕買臣。 余亦辭家西入秦。
漢のむかし、「会稽の愚婦」といわれる嫁は朱買臣をばかにして、離婚を求めたが、朱買臣は、そののち、大層出世したという故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に向かおうとし、将来の成功を予期している。
○会稽愚婦軽買臣 《漢書、朱買臣傳》「朱買臣字翁子,吳人也。家貧,好讀書,不治產業,常艾薪樵,賣以給食,擔束薪,行且誦書。其妻亦負戴相隨,數止買臣毋歌嘔道中。買臣愈益疾歌,妻羞之,求去。買臣笑曰:「我年五十當富貴,今已四十餘矣。女苦日久,待我富貴報女功。」妻恚怒曰:「如公等,終餓死溝中耳,何能富貴!」買臣不能留,即聽去。其後,買臣獨行歌道中,負薪墓間。故妻與夫傢俱上塚,見買臣饑寒,呼飯飲之。」朱買臣は漢の会稽郡呉(いまの江蘇省呉県)の人。豪が貧乏で、柴を売って生活をしのいでいたが、読書好きで、柴を背負って歩きながら道道、書物を朗読した。同じく柴を背負っていっしょに歩いていた妻が、かっこうが悪いのでそれを止めると、買臣はますます大声をはりあげてやる。妻はそれを恥じ離縁を申し出た。買臣は笑って言った。「わたしは五十歳になれば必ず金持になり身分も高くなるだろう。今すでに四十余り、おまえにも長い間苦労さしたが、わたしがいい身分になっておまえの功にむくいるまで待ちなさい」妻は怒って言った。「あなたみたいな人は、しまいにドブの中で餓死するだけですよ。何でいい御身分になんかなれるものですか」買臣の留めるのもきかず、妻は去って行
った。数年後、買臣は長安に行き富貴の身になったという。吉川幸次郎「漢の武帝」岩波新書参照。しかし、朱買臣はのちのち何度も官をやめさされ、最後には武帝の命で殺された(「漢書」巻64上)し、蘇秦も六国の宰相を兼ねた得意の時は実に短かいものだったのである。李白はなぜこの故事を使ったのか、まさかの都故事通り、みにふりかかるとは思っていないから、愚妻といって冗談を言ったと思われる。
○秦 長安のこと。
大笑出門去。 我輩豈是蓬蒿人。
だから、此処から、胸を張って大笑して門を出てゆこうとしているし、元来、吾輩は天縦の才略を抱いているもので、とてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物ではないし、今次の都へ向う旅については、栄達の日を指折り数えて待っておいてほしいと思っておるのである。
○蓬嵩 よもぎ。雑草のこと。蓬嵩の人とは、野に埋もれて一生を終る人のこと。
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- カテゴリ:李太白集 巻十四
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