韓碑 #1 李商隠
- 2012/01/05
- 21:00
韓碑 #1
元和天子神武姿、彼何人哉軒與義。
唐元和の中興の時期、憲宗皇帝は、はなはだ秀れた勇武ある身ごなしのお方と評された。人人が理想の皇帝としてあがめる伏義と軒轅に代表される有徳の統治者三皇五帝も、憲宗皇帝を前にしては、何はどの人物と思われるであろう。
誓将上雪列聖恥、坐法官中朝四夷。
憲宗はそれまで歴代の意の威信を傷つけた藩鋲と節度使の勝手気ままなのさばりを、まず鎮圧して、先帝の恥を灌ごうと誓いをたて、また、四方の異民族の参勤を、朝廷で謁見させるため夷狄討征の決意をもされたのだ。
准西有賊五十載、封狼生貙貙生羆。
これまで、准西の節度使は、凡そ五十年間、朝命を無視して、私利をのみ謀る奸臣から乱臣賊子と化していた。粛宗皇帝の時より、李希烈・陳仙奇・呉少誠・呉少陽・呉元适と、配される節度使に交替はあっても、それは、狼が大虎にかわり、虎が羆を生んだということなのだ。
不拠山河拠平地、長戈利矛日可麾。
本当の盗賊、野獣であるなら、山河深く隠れて住むものだが、堂々と平地、町家に依拠し、その権力をふるっている。長い戈、するどい矛をずらりと軍列を整えていたのだ、だからその地域においては、太陽すらまねきかえせるほどの資力、勢力をたくわえていたのである。
准西を平らぐるの碑(韓碑)#1
元和の天子 神武の姿、彼 何人ぞや 軒と羲(ぎ)。
誓って将に 上(これまで) 列聖の恥 を雪(そそ)がんとし、法宮(ほうきゅう)の中に坐して四夷(しい)を朝せしめんとす。
准西に賊有ること五十載、封狼(ほうろう)は貙(ちゅ)を生み 貙(ちゅ)は羆(ひぐま)を生む。
山河に拠(よ)らずして平地に拠り、長戈(ちょうか) 利矛(りぼう) 日も麾(まね)く可し。
韓碑 #1 現代語訳と訳註
(本文) #1
元和天子神武姿、彼何人哉軒與義。
誓将上雪列聖恥、坐法官中朝四夷。
准西有賊五十載、封狼生貙貙生羆。
不拠山河拠平地、長戈利矛日可麾。
(下し文) #1
元和の天子 神武の姿、彼 何人ぞや 軒と羲(ぎ)。
誓って将に 上(これまで) 列聖の恥 を雪(そそ)がんとし、法宮(ほうきゅう)の中に坐して四夷(しい)を朝せしめんとす。
准西に賊有ること五十載、封狼(ほうろう)は貙(ちゅ)を生み 貙(ちゅ)は羆(ひぐま)を生む。
山河に拠(よ)らずして平地に拠り、長戈(ちょうか) 利矛(りぼう) 日も麾(まね)く可し。
(現代語訳)#1
唐元和の中興の時期、憲宗皇帝は、はなはだ秀れた勇武ある身ごなしのお方と評された。人人が理想の皇帝としてあがめる伏義と軒轅に代表される有徳の統治者三皇五帝も、憲宗皇帝を前にしては、何はどの人物と思われるであろう。
憲宗はそれまで歴代の意の威信を傷つけた藩鋲と節度使の勝手気ままなのさばりを、まず鎮圧して、先帝の恥を灌ごうと誓いをたて、また、四方の異民族の参勤を、朝廷で謁見させるため夷狄討征の決意をもされたのだ。
これまで、准西の節度使は、凡そ五十年間、朝命を無視して、私利をのみ謀る奸臣から乱臣賊子と化していた。粛宗皇帝の時より、李希烈・陳仙奇・呉少誠・呉少陽・呉元适と、配される節度使に交替はあっても、それは、狼が大虎にかわり、虎が羆を生んだということなのだ。
本当の盗賊、野獣であるなら、山河深く隠れて住むものだが、堂々と平地、町家に依拠し、その権力をふるっている。長い戈、するどい矛をずらりと軍列を整えていたのだ、だからその地域においては、太陽すらまねきかえせるほどの資力、勢力をたくわえていたのである。
(訳注)#1
韓碑 #1 訳注と現代語訳
准西を平らぐ る の碑(韓碑)
○韓碑 中庸の文豪韓愈(768-824年)が元和十三年(818年)に作った文章「平准西碑」(准西を平ぐるの碑)のこと。碑は文を石にきざみ、宮室廟屋、墓陵の上に立てる立石で、その文章の体を碑という。詩は、その「平准西碑」の書かれるに到った経緯を述べ、それが極諌したことになり、結果、崇仏皇帝であった憲宗の逆鱗に触れ、潮州(広東省)刺史に左遷され、いったん建てられた碑石が取り壊されたことを憤りつつ、韓愈の文学の卓越せることを賞讃している。ここでも李商隠は、正論を述べて不遇な韓愈を讃えているのである。
韓愈(韓退之) 768-824
は字名を退之、河南省修武県の人。3歳のとき父を、14歳のとき兄を失って兄嫁の鄭氏に養われ、苦労して育った。貞元八年(792年)進士科に及第。四門博士から国子博士(国立大学の教授、四門博士は同じ大学教授であるが、身分低い子弟を教える)となり、以後、河南令、考功郎中等を経て、823元和十二年、この詩に歌われる裴度の呉元済討伐に、行軍司馬として従軍している。
元和十四年(819年)に仏骨を論ずる表で諫言し、潮州別史に貶せられたが、後許される。国子祭酒(国立大学総長)をへ、兵部侍邸に復帰した。文学者として、宋以後の中国の散文文学を決定的に方向づけた復古主義的文体は、八代の衰退を起したものと評価されている。また、多く文士の交流し、李賀(790-817年)盧仝(?-835年)張籍(768-830年?)王建(768?-830年?)賈島(779-843年)孟郊(750-814年)等、友人や門弟と共に、その詩に於いても、一つの画期(エポック)を作った。
同時期の詩人として武元衡758~815、權德輿 759-818、柳宗元773~819李益748年 - 827年元稹779~831白居易772~846 と盛唐から中唐と世界史的な文学の花が開花している。
元和天子神武姿、彼何人哉軒與羲。
唐元和の中興の時期、憲宗皇帝は、はなはだ秀れた勇武ある身ごなしのお方と評された。人人が理想の皇帝としてあがめる伏義と軒轅に代表される有徳の統治者三皇五帝も、憲宗皇帝を前にしては、何はどの人物と思われるであろう。
○元和天子 唐朝第11代の皇帝憲宗李純(778-820年)のこと。元和は年号。○神武姿 はなはだ秀れた勇武ある身ごなし。晩唐の杜牧の皇風の詩に「仁聖の天子は神且つ武。」と類似の表現がある。○軒与羲 五帝の一人、軒轅すなわち黄帝と、三皇の一人伏羲のこと。伝説的に伝えられる。前史時代の有徳の統治者三皇五帝を、伏義と軒轅で代表させたものである。
誓将上雪列聖恥、坐法官中朝四夷。
憲宗はそれまで歴代の意の威信を傷つけた藩鋲と節度使の勝手気ままなのさばりを、まず鎮圧して、先帝の恥を灌ごうと誓いをたて、また、四方の異民族の参勤を、朝廷で謁見させるため夷狄討征の決意をもされたのだ。
○列聖恥 列聖は代代の天子。安禄山の叛乱以後、粛宗皇帝李亨(721―762年)代宗皇帝李豫(727-779年)徳宗皇帝李适(742-805年)の歴代は、藩鋲が君王化していて、地方の政治的経済的管轄権が潘鎮のの手にあった。それを列聖の恥といったのである。潘鎮は、唐の初め、中央直属の諸州に地方警察軍として置かれていた兵力を、玄宗皇帝李隆基(685-762年)の時、編成換えして、外夷をふせぐ辺蛮十節度の管理下におき、且つ、その土地の徴賦をも掌らせたものであることが、節度使、潘鎮の増長を生んだのだ。○法官 天子の正殿。後漢の班国の「漢書」鼂錯伝に「五帝は常に法官の中の明堂の上に坐せり。」と見える。○朝臣 下が君主にまみえること。奸臣は反対語。〇四夷 四方の異民族。東夷・西戎・南蛮・北狄をいう。「礼記」王制篇に見える。
准西有賊五十載、封狼生貙貙生羆。
これまで、准西の節度使は、凡そ五十年間、朝命を無視して、私利をのみ謀る奸臣から乱臣賊子と化していた。粛宗皇帝の時より、李希烈・陳仙奇・呉少誠・呉少陽・呉元适と、配される節度使に交替はあっても、それは、狼が大虎にかわり、虎が羆を生んだということなのだ。
○准西有賊五十載 准西は淮水以西の地。察州を中心とし河南省東南部と安徽省西北部を含む淮水以西一帯が准西節度使の管轄地域だった。代宗の大暦の末、李希烈(?-786年)がこの地の節度使となり、徳宗建中三年(782年)に乱を起して建興王と僭称した。徳宗貞元二年(786年)その部下の陳仙奇(?-786年)が李希烈を毒殺して朝に降り、代って鎭を領したが、幾ばくもなく呉少誠(?-809年)に殺された。呉少誠の卒後は、その将の呉少陽(?-814年)が軍府を領して、亡命者をあつめて叛乱を準備し、その子呉元済が貞元十年(794年)に兵を起した。その間、通算するとほぼ五十年となる。(詩的表現では30年過ぎたら50年という表現もある)。安史の乱(755)の際、消極的に反乱軍に加担している。ことからすれば50年以上となる
韓愈の「平准西碑」にも「蔡師の廷授せざる、今に五十年。」とある。○封狼 封は大きいこと。狼はおおかみ。○貙貙生羆 貙は猛獣の名。羆はひぐま。狼、貙、羆はすべて、潘鎮、節度使の中で、異民族や亡命者、不満分子を集め、乱賊に変じたものを言う。
不拠山河拠平地、長戈利矛日可麾。
本当の盗賊、野獣であるなら、山河深く隠れて住むものだが、堂々と平地、町家に依拠し、その権力をふるっている。長い戈、するどい矛をずらりと軍列を整えていたのだ、だからその地域においては、太陽すらまねきかえせるほどの資力、勢力をたくわえていたのである。
○長戈利矛 長いほことするどいほこ。戈はほこ先が二つに分れている。〇日可麾 落日の陽をも麾き回らすことができるということ。漢の劉安の「准南子」覧冥訓に「魯陽公、韓と難を構う。戦たけなわにして日暮れぬ。戈を援りて之を撝、日これが為に反ること三舎。」と見える。舎は天文学上の距離の単位。ここは叛乱軍の勢力の大きさをあらわし、意気盛んであったことをいう。五代の劉呴の「旧唐書」呉元済伝に「呉少誠は兵を阻むこと三十年、王師未だ嘗つて其の城下に及ばず。」とみえる。
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