李太白集 352《太白巻四22 宮中行樂詞,八首之一》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7333
- 2016/02/12
- 22:27
小小生金屋,盈盈在紫微。山花插寶髻,石竹繡羅衣。
每出深宮裡,常隨步輦歸。只愁歌舞散,化作綵雲飛。
(漢の阿嬌と同じように高貴な家で育てられ、十五になって後宮に入って寵愛を得た、行楽、酒宴で、妃嬪がそろうと、それが終わってから寵愛を失うことが心配で仕方がない。)
幼い子供のときから、黄金で飾った家で育てられ、やがて後宮に入れば、容貌豊盈、六宮に冠たることはいうまでもないが、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。髪のもとどりには、山花一輪を挿しはさみ、薄絹の衣装には、なでしこの花を刺繍していてその風情は、えもいわれない。常に天子に倍して、奥の御殿の中から出て遊び暮らし、やがて、歩輦に随って帰ってくる。天子の寵愛を専らにして、おそばを離れられずにいるのは、この通りである。ただし、歌舞が終わり散会したとき、彩雲に化して天上に飛び去りはしないかと、ただこれを愁えているばかりである。
李太白集 352《太白巻四22 宮中行樂詞,八首之一》 李白 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7333 |
年:743年天寶二年43歳 94首-(36)
卷別: 卷一六四 文體: 樂府
詩題: 宮中行樂詞,八首之一
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點: 紫微殿 (京畿道 京兆府 長安)
交遊人物/地點:
宮中行樂詞,八首之一
(漢の阿嬌と同じように高貴な家で育てられ、十五になって後宮に入って寵愛を得た、行楽、酒宴で、妃嬪がそろうと、それが終わってから寵愛を失うことが心配で仕方がない。)
小小生金屋,盈盈在紫微。
幼い子供のときから、黄金で飾った家で育てられ、やがて後宮に入れば、容貌豊盈、六宮に冠たることはいうまでもないが、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
山花插寶髻,石竹繡羅衣。
髪のもとどりには、山花一輪を挿しはさみ、薄絹の衣装には、なでしこの花を刺繍していてその風情は、えもいわれない。
每出深宮裡,常隨步輦歸。
常に天子に倍して、奥の御殿の中から出て遊び暮らし、やがて、歩輦に随って帰ってくる。
只愁歌舞散,化作綵雲飛。
天子の寵愛を専らにして、おそばを離れられずにいるのは、この通りである。ただし、歌舞が終わり散会したとき、彩雲に化して天上に飛び去りはしないかと、ただこれを愁えているばかりである。
(宮中行楽詞、八首の一)
小小 金屋に生れ、盈盈 紫微に在り。
山花 寶髻に插しはさみ、石竹 羅衣を繡す。
每に深宮の裏より出で、常に歩輦に隨って歸る。
『宮中行樂詞,八首之一』 現代語訳と訳註解説
(本文)
宮中行樂詞,八首之一
小小生金屋,盈盈在紫微。
山花插寶髻,石竹繡羅衣。
每出深宮裡,常隨步輦歸。
只愁歌舞散,化作綵雲飛。
詩文(含異文)
小小生金屋,盈盈在紫微。
山花插寶髻,石竹繡羅衣。
每出深宮裡【每上深宮裡】,常隨步輦歸。
只愁歌舞散【只愁歌舞罷】,化作綵雲飛。
(下し文)
(宮中行楽詞、八首の一)
小小 金屋に生れ、盈盈 紫微に在り。
山花 寶髻に插しはさみ、石竹 羅衣を繡す。
每に深宮の裏より出で、常に歩輦に隨って歸る。
只だ愁う 歌舞散じ、化して綵雲と作って飛ぶを
(現代語訳)
(漢の阿嬌と同じように高貴な家で育てられ、十五になって後宮に入って寵愛を得た、行楽、酒宴で、妃嬪がそろうと、それが終わってから寵愛を失うことが心配で仕方がない。)
幼い子供のときから、黄金で飾った家で育てられ、やがて後宮に入れば、容貌豊盈、六宮に冠たることはいうまでもないが、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
髪のもとどりには、山花一輪を挿しはさみ、薄絹の衣装には、なでしこの花を刺繍していてその風情は、えもいわれない。
常に天子に倍して、奥の御殿の中から出て遊び暮らし、やがて、歩輦に随って帰ってくる。
天子の寵愛を専らにして、おそばを離れられずにいるのは、この通りである。ただし、歌舞が終わり散会したとき、彩雲に化して天上に飛び去りはしないかと、ただこれを愁えているばかりである。
宮中行樂詞,八首之一
(漢の阿嬌と同じように高貴な家で育てられ、十五になって後宮に入って寵愛を得た、行楽、酒宴で、妃嬪がそろうと、それが終わってから寵愛を失うことが心配で仕方がない。)
【1】 宮中行楽詞 宮中における行楽の歌。李白は数え年で四十二歳から四十四歳まで、足かけ三年の間、宮廷詩人として玄宗に仕えた。この宮中行楽詞八首と、つぎの晴平調詞三首とは、李白の生涯における最も上り詰めた時期の作品である。唐代の逸話集である孟棨の「本事詩」には、次のような話がある。
玄宗皇帝があるとき、宮中での行楽のおり、側近の高力士にむかって言った。「こんなに良い季節、うるわしい景色を前にしながら、単に歌手の歌をきいてたのしむだけでは物足りぬ。天才の詩人が来て、この行楽を詩にうたえば、後の世までも誇りかがやかすことであろう」と。そこで、李白が召されたのだ。李白はちょうど皇帝の兄の寧王にまねかれて酒をのみ、泥酔していたが、天子の前にまかり出ても、ぐったりとなっていた。玄宗は、この奔放な詩人に、律詩を十首つくるよう命じた。五言律詩は、対句が基本、最も定型的な詩形である。李白はあまり得意としない詩形であった。玄宗は知っていて、酔っているので命じたのである。そし二、三人の側近に命じて、李白を抱きおこさせ、墨をすらせ、筆にたっぷり警ふくませて李白に持たせ、朱の糸で罫をひいた絹幅を李白の前に張らせた。李白は筆とると、少しもためらわず、十篇の詩を、たちまち書きあげた。しかも、完璧なもので、筆跡もしっかりし、律詩の規則も整っていた。現在は八首のこっている。
本事詩
嘗因宮人行樂,謂高力士曰:「對此良辰美景,豈可獨以聲伎為娛,
倘時得逸才詞人吟詠之,可以誇耀於後。」遂命召白。
時寧王邀白飲酒,已醉。
既至,拜舞頹然。上知其薄聲律,謂非所長,命為宮中行樂五言律詩十首。
白頓首曰:「寧王賜臣酒,今已醉。倘陛下賜臣無畏,始可盡臣薄技。」
上曰:「可。」即遣二內臣掖扶之,命研墨濡筆以授之。
又令二人張朱絲欄於其前。白取筆抒思,略不停綴,十篇立就,更無加點。
筆跡遒利,鳳跱龍拏。律度對屬,無不精絕。
嘗て宮人行樂するに因り,高力士に謂って曰く:「此の良辰美景に對し,豈に獨り聲伎を以って娛と為す可けんや,
倘し時逸才の詞人を得て之を吟詠すれば,以て後に誇耀す可し。」と。遂に命して白を召す。
時に寧王 白を邀えて酒を飲ましめ,已に醉う。
既に至るや,拜舞して頹然たり。上 其の聲律を薄しとするを知り,謂えらく長ずる所に非ずと,命じて宮中行樂の五言律詩十首を為らしむ。
白 頓首して曰く:「寧王 臣に酒を賜い,今 已に醉う。倘し 陛下 臣に畏るる無きを賜わば,始めて臣の薄技を盡す可し。」と。
上 曰く:「可なり。」と。即ち遣二內臣をして之を掖扶せしめ,命じて墨を研し筆を濡し以て之を授け。
又た 令二人をして 朱絲欄を其の前に張らしむ。白 筆を取って思いを抒べ,略 停綴せず,十篇 立ちどころに就る,更に點を加うる無し。
筆跡 遒利,鳳跱 龍拏。律度對屬,精絕ならざるなし。
小小生金屋、盈盈在紫微。
幼い子供のときから、黄金で飾った家で育てられ、やがて後宮に入れば、容貌豊盈、六宮に冠たることはいうまでもないが、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
【2】 小小 年のおさないこと。
【3】 金屋 漢の武帝の故事。鷺は幼少のころ、いとこにあたる阿矯(のちの陳皇后)を見そめ、「もし阿嬌をお嫁さんにもらえるなら、黄金づくりの家(金星)の中へ入れてあげる」と言った。李白《巻三35妾薄命》「漢帝寵阿嬌,貯之黃金屋。咳唾落九天,隨風生珠玉。寵極愛還歇,妒深情卻疏。長門一步地,不肯暫迴車。」(漢帝 阿嬌 寵【いつく】 しむ、之を黃金の屋に貯【おさ】む。 咳唾【がいだ】 九天に落つ、風隨う 珠玉 生ず。)漢の武帝は幼少のときともに遊んだ阿嬌を見初め、いつくしんだ、そして、「好!若得阿嬌作婦,當作金屋貯之也。」といい、皇太子妃となって黄金の御殿に迎えて、ついに皇后となされた。そこで阿嬌は、君寵をえて、その権力と勢力の盛んなことは、九天の上で吐く唾が風に乗って人に落ちると、それがやがて珠玉に化するという有様であった。743年(25)李白344 巻三35-《妾薄命》(漢帝寵阿嬌,)#1 344Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(25) <李白344> Ⅰ李白詩1678 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6938 また、吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波誓)にくわしい物語がある。
【4】 盈盈 みずみずしくうつくしいさま。古詩十九首の第二首に「盈盈たり楼上の女」という句がある。
【5】 紫微 がんらいは草の名。紫微殿があるため皇居にたとえる。
山花插寶髻、石竹繡羅衣。
髪のもとどりには、山花一輪を挿しはさみ、薄絹の衣装には、なでしこの花を刺繍していてその風情は、えもいわれない。
【6】 寶髻 髻はもとどり、髪を頂に束ねた所。宝で飾りたてたもとどり。
【7】 石竹 草の名。和名セキチク。別称からなでしこ。葉は細く、花は紅・自または琶音ごろ開く。中国原産であって、唐代の人もこの花の模様を刺繍して、衣裳の飾りとした。
【8】 羅衣 うすぎぬのうわぎ。
每出深宮里、常隨步輦歸。
常に天子に倍して、奥の御殿の中から出て遊び暮らし、やがて、歩輦に随って帰ってくる。
【9】 歩輩 手車。人がひく車。人力車。
只愁歌舞散、化作彩云飛。
天子の寵愛を専らにして、おそばを離れられずにいるのは、この通りである。ただし、歌舞が終わり散会したとき、彩雲に化して天上に飛び去りはしないかと、ただこれを愁えているばかりである。
【10】 彩云 いろどり模様の美しい雲。
李白 宮中行樂詞,八首 【字解】
-------------------------------------------------------------------
〔宮中における内職、冊封制度について〕
古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618-626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。
また、皇太子の東宮にも「内官」があり、太子妃一人、その下に良娣、良媛、承徽、昭訓、奉儀などの品級があった。諸親王の王妃の下にも孺人【じゅじん】等の媵妾【ようしょう】の身分があった。
唐代三百年間に封ぜられた后妃のうち、皇后と地位が比較的高いか、あるいは男子を生んだ妃嬢だけが史書にいささかの痕跡を残した。その他の女性は消え去って名も知れない。『新・旧唐書』「后妃伝」 には、全部で二十六人の皇后、十人の妃嫁が記載されている。その他で史書に名を留めているものはおよそ五、六十人である。その内、高祖、玄宗両時代の人が最も多い。高祖には竇皇后の他に、万貴妃、ヂ徳妃、宇文昭儀、莫嬢、孫嬢、佳境、楊嬢、小楊嬢、張捷好、郭妊婦、劉捷好、楊美人、張美人、王才人、魯才人、張宝林、柳宝林などがいた。玄宗には王皇后、楊皇后、武恵妃、楊貴妃、趨麗妃、劉華妃、銭妃、皇甫徳儀、郭順儀、武賢儀、董芳儀、高娃好、柳娃好、鍾美人、慮美人、王美人、杜美人、劉才人、陳才人、鄭才人、闇才人、常才人などがいた。もちろん史書に名を残せなかった人はさらに多い。史書の記載から見ると、高祖、玄宗両時代の妃嫁がたしかに最も多かったようである。
⑴ 宮中行楽詞 宮中における行楽の歌。李白は数え年で四十二歳から四十四歳まで、足かけ三年の間、宮廷詩人として玄宗に仕えた。この宮中行楽詞八首と、つぎの晴平調詞三首とは、李白の生涯における最も上り詰めた時期の作品である。唐代の逸話集である孟棨の「本事詩」には、次のような話がある。
本事詩
嘗因宮人行樂,謂高力士曰:「對此良辰美景,豈可獨以聲伎為娛,
倘時得逸才詞人吟詠之,可以誇耀於後。」遂命召白。
時寧王邀白飲酒,已醉。
既至,拜舞頹然。上知其薄聲律,謂非所長,命為宮中行樂五言律詩十首。
白頓首曰:「寧王賜臣酒,今已醉。倘陛下賜臣無畏,始可盡臣薄技。」
上曰:「可。」即遣二內臣掖扶之,命研墨濡筆以授之。
又令二人張朱絲欄於其前。白取筆抒思,略不停綴,十篇立就,更無加點。
筆跡遒利,鳳跱龍拏。律度對屬,無不精絕。
嘗て宮人行樂するに因り,高力士に謂って曰く:「此の良辰美景に對し,豈に獨り聲伎を以って娛と為す可けんや,
倘し時逸才の詞人を得て之を吟詠すれば,以て後に誇耀す可し。」と。遂に命して白を召す。
時に寧王 白を邀えて酒を飲ましめ,已に醉う。
既に至るや,拜舞して頹然たり。上 其の聲律を薄しとするを知り,謂えらく長ずる所に非ずと,命じて宮中行樂の五言律詩十首を為らしむ。
白 頓首して曰く:「寧王 臣に酒を賜い,今 已に醉う。倘し 陛下 臣に畏るる無きを賜わば,始めて臣の薄技を盡す可し。」と。
上 曰く:「可なり。」と。即ち遣二內臣をして之を掖扶せしめ,命じて墨を研し筆を濡し以て之を授け。
又た 令二人をして 朱絲欄を其の前に張らしむ。白 筆を取って思いを抒べ,略 停綴せず,十篇 立ちどころに就る,更に點を加うる無し。
筆跡 遒利,鳳跱 龍拏。律度對屬,精絕ならざるなし。
玄宗皇帝があるとき、宮中での行楽のおり、側近の高力士にむかって言った。「こんなに良い季節、うるわしい景色を前にしながら、単に歌手の歌をきいてたのしむだけでは物足りぬ。天才の詩人が来て、この行楽を詩にうたえば、後の世までも誇りかがやかすことであろう」と。そこで、李白が召されたのだ。李白はちょうど皇帝の兄の寧王にまねかれて酒をのみ、泥酔していたが、天子の前にまかり出ても、ぐったりとなっていた。玄宗は、この奔放な詩人に、律詩を十首つくるよう命じた。五言律詩は、対句が基本、最も定型的な詩形である。李白はあまり得意としない詩形であった。玄宗は知っていて、酔っているので命じたのである。そし二、三人の側近に命じて、李白を抱きおこさせ、墨をすらせ、筆にたっぷり警ふくませて李白に持たせ、朱の糸で罫をひいた絹幅を李白の前に張らせた。李白は筆とると、少しもためらわず、十篇の詩を、たちまち書きあげた。しかも、完璧なもので、筆跡もしっかりし、律詩の規則も整っていた。現在は八首のこっている。
⑵ 小小 年のおさないこと。
⑶ 金屋 漢の武帝の故事。鷺は幼少のころ、いとこにあたる阿矯(のちの陳皇后)を見そめ、「もし阿嬌をお嫁さんにもらえるなら、黄金づくりの家(金星)の中へ入れてあげる」と言った。
李白《巻三35妾薄命》
漢帝寵阿嬌,貯之黃金屋。咳唾落九天,隨風生珠玉。
寵極愛還歇,妒深情卻疏。長門一步地,不肯暫迴車。
雨落不上天,水覆難再收。君情與妾意,各自東西流。
昔日芙蓉花,今成斷根草。以色事他人,能得幾時好。
(漢帝 阿嬌 寵【いつく】 しむ、之を黃金の屋に貯【おさ】む。 咳唾【がいだ】 九天に落つ、風隨う 珠玉 生ず。寵極 愛 還た歇【つきる】、妒み深く 情 卻く疏【うと】んず。 長門 一たび 地を步む、肯って 暫く 回車されず。雨落 天に上らず、水覆 再び收り難し。 君情 與 妾意、各々自ら 東西に流る。 昔日 芙蓉の花,今 成る 斷根の草。色を以て 他人に事【つか】へ,能【よ】く 幾時【いくとき】の 好【よろし】きを 得たりや。)
(漢武帝最初の皇后、幼い時から絶頂期の皇后の時を経て、長門宮に幽閉、何時とはわからず寂しく死んでいった、産んだ子が皇帝にならなければ、皇后でさえもその運命はわからない、寵愛という不確かなものにすがって生きることを詠っている)
漢の武帝は幼少のときともに遊んだ阿嬌を見初め、いつくしんだ、そして、「好!若得阿嬌作婦,當作金屋貯之也。」といい、皇太子妃となって黄金の御殿に迎えて、ついに皇后となされた。
そこで阿嬌は、君寵をえて、その権力と勢力の盛んなことは、九天の上で吐く唾が風に乗って人に落ちると、それがやがて珠玉に化するという有様であった。
子の寵愛、貴盛が極限まで行ったが、ひとたびその寵愛を失うと実にあさましいものである、もともと、我儘で、嫉妬深い気性は、その情が密で、深いことが度が過ぎて仇になり、嫉妬心が陰謀策力に変わり、深く人の心も疎んじていった。
誰も振り返らず、司馬相如の賦を買い、一時は寵愛が戻るも、ついに、長門宮に幽閉され、一切の接触をたたれ、君の御所とはわずかに一歩を隔てるも、その後、君の輦車を回して立ち寄られることはなくなった。
雨は落ちてくるものであり、天にむかって上がることはい、こぼされた水は再び元の碗に収まることはないのだ。天子の愛情と后妃の思いとが合致していたけれど、ちょうど流れる水が、それぞれ自然に西と東に別れて流れさったようなものだ。昔は確かに、芙蓉の花のように 華麗に咲く花のような后妃であったが、それも廃位となった今はただ、根無し草となり、飛蓬のように、零落して各地を流浪するしかなくなったのだ。子孫繁栄のため、色香だけを求められ、それをもって、人につかえることしかできないものが、一体どれほどの期間、すばらしい時間を得ることができるというのだろうか。(皇位継承のめどが立てば、後は気ままに寵愛を行うのは習わしであるから、すぐに捨てられるのである。)
また、吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波誓)にくわしい物語がある。
⑷ 盈盈 みずみずしくうつくしいさま。古詩十九首の第二首に「盈盈たり楼上の女」という句がある。
⑸ 紫微 がんらいは草の名。紫微殿があるため皇居にたとえる。
⑹ 寶髻 髻はもとどり、髪を頂に束ねた所。宝で飾りたてたもとどり。
⑺ 石竹 草の名。和名セキチク。別称からなでしこ。葉は細く、花は紅・自または琶音ごろ開く。中国原産であって、唐代の人もこの花の模様を刺繍して、衣裳の飾りとした。
⑻ 羅衣 うすぎねのうわぎ。
⑼ 歩輩 手車。人がひく車。人力車。
⑽ 彩云 いろどり模様の美しい雲。- テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
- ジャンル:学問・文化・芸術
- カテゴリ:李太白集 巻四
- CM:0
最新記事
- 長い間ブログを休校している件について (09/01)
- 李太白集 397《太白巻23-02效古二首其一》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7573 (04/04)
- 李太白集 396《太白巻二十二40憶東山二首 其二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7568 (04/03)
- 李太白集 395《太白巻二十二39憶東山二首 其一》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7563 (03/30)
- 李太白集 394《太白巻二十08杜陵絕句》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7558 (03/29)
- 李太白集 393《太白巻十九18朝下過盧郎中敘舊游》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7553 (03/28)
- 李太白集 392《太白巻十八12金門答蘇秀才》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7548 (03/27)
- 太白集 391《太白巻十九17下終南山過斛斯山人宿置酒》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7543 (03/26)
- 太白集 390《太白巻十六33 送長沙陳太守,二首之二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7538 (03/25)
- 李太白集 389《太白巻十六32 送長沙陳太守,二首之一》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7533 (03/24)
- 李太白集 388《太白巻十六26 送祝八之江東賦得浣紗石》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7528 (03/23)
- 李太白集 387《太白巻十六23-《送白利從金吾董將軍西征》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7523 (03/22)
- 李太白集 386《太白巻十六21 送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7508 (03/19)
- 李太白集 385《太白巻十六18-3-《送外甥鄭灌從軍,三首之三》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7503 (03/18)
- 李太白集 384《太白巻十六18-2 送外甥鄭灌從軍,三首之二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7498 (03/17)
- 李太白集 383《太白巻十六18-1 送外甥鄭灌從軍,三首之一》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7493 (03/16)
- 李太白集 382《太白巻十六13 送張遙之壽陽幕府》 (壽陽信天險,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7488 (03/15)
- 李太白集 381《太白巻十六10 送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7483 (03/14)
- 李太白集 381《太白巻十六10 送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7483 (03/13)
- 李太白集 380《太白巻十六08 送竇司馬貶宜春》 (天馬白銀鞍,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7478 (03/12)
- 李太白集 379《太白巻十四34 贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7473 (03/11)
- 李太白集 378《太白巻十二06-夕霽杜陵登樓寄韋繇》 (浮陽滅霽景) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7468 (03/10)
- 李太白集 377《太白巻巻十二05-《望終南山寄紫閣隱者》(出門見南山) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7463 (03/09)
- 李太白集 376《太白巻八36 贈盧徵君昆弟》 (明主訪賢逸) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7458 (03/08)
- 李太白集 375《太白巻八22 贈郭將軍》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7453 (03/07)
- 李太白集 374《太白巻六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》 (高堂粉壁圖蓬瀛) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7448 (03/06)
- 李太白集 373《太白巻六07 西嶽雲臺歌送丹丘子》 (西嶽崢嶸何壯哉) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7443 (03/05)
- 李太白集 372《太白巻六05 玉壺吟》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7438 (03/04)
- 李太白集 371《太白巻卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7433 (03/03)
- 李太白集 370《太白巻五 24-秋思》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7428 (03/02)