李太白集 363《太白巻五02 陌上桑》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7393
- 2016/02/24
- 21:11
李白 陌上桑
美女渭橋東,春還事蠶作。五馬如飛龍,青絲結金絡。
不知誰家子,調笑來相謔。妾本秦羅敷,玉顏豔名都。
長安大通りのそばの桑を摘む貞女、秦氏の娘女、羅敷を詠う)
秦氏の女、羅敷は、絶代の美人で、渭橋の東に居り、春の歸りくるままに、養蚕を事とし、
その為に、陌上に於で、桑の葉を摘んで居た。すると、そこへ飛龍の如く逞しき五馬を引き従えて来た人があって、馬の尾を束ねた青い絲は、馬の頭を絡めた黄金の手綱に結び付けられて、まことに美美しく、馬さへ、かくの如く、その人の派手にみやびやかなることは、言うまでもない。何処の誰であるか知らぬが、無作法にも、馴れ馴れしく笑い戯れて、私に向ってからかった。私は、もと秦氏の娘女、名を羅敷というもので、玉の如き顔は、艶名を大都に歌われたものである。
李太白集 363《太白巻五02 陌上桑》 李白 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7393 |
年:743年天寶二年43歳 94首-(46)
卷別: 卷一六五 文體: 樂府
詩題: 陌上桑
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點: 渭橋 (京畿道 京兆府 長安)
交遊人物/地點:
陌上桑
(長安大通りのそばの桑を摘む貞女、秦氏の娘女、羅敷を詠う)
美女渭橋東,春還事蠶作。
秦氏の女、羅敷は、絶代の美人で、渭橋の東に居り、春の歸りくるままに、養蚕を事とし、
その為に、陌上に於で、桑の葉を摘んで居た。
五馬如飛龍,青絲結金絡。
すると、そこへ飛龍の如く逞しき五馬を引き従えて来た人があって、馬の尾を束ねた青い絲は、馬の頭を絡めた黄金の手綱に結び付けられて、まことに美美しく、馬さへ、かくの如く、その人の派手にみやびやかなることは、言うまでもない。
不知誰家子,調笑來相謔。
何処の誰であるか知らぬが、無作法にも、馴れ馴れしく笑い戯れて、私に向ってからかった。
妾本秦羅敷,玉顏豔名都。
私は、もと秦氏の娘女、名を羅敷というもので、玉の如き顔は、艶名を大都に歌われたものである。
綠條映素手,採桑向城隅。
使君且不顧,況復論秋胡。
寒螿愛碧草,鳴鳳棲青梧。
託心自有處,但怪傍人愚。
徒令白日暮,高駕空踟躕。
(陌上桑)
美女 渭橋の東,春 還って 蠶作を事とす。
五馬 飛龍の如く,青絲 金絡を結ぶ。
知らず 誰が家の子か,調笑 來って相い謔むる。
妾 本と秦羅敷なり,玉顏 名都に豔なり。
綠條映素手,採桑向城隅。
使君且不顧,況復論秋胡。
寒螿愛碧草,鳴鳳棲青梧。
託心自有處,但怪傍人愚。
徒令白日暮,高駕空踟躕。
『陌上桑』 現代語訳と訳註解説
(本文)
陌上桑
美女渭橋東,春還事蠶作。
五馬如飛龍,青絲結金絡。
不知誰家子,調笑來相謔。
妾本秦羅敷,玉顏豔名都。
(下し文)
(陌上桑)
美女 渭橋の東,春 還って 蠶作を事とす。
五馬 飛龍の如く,青絲 金絡を結ぶ。
知らず 誰が家の子か,調笑 來って相い謔むる。
妾 本と秦羅敷なり,玉顏 名都に豔なり。
(現代語訳)
陌上桑(長安大通りのそばの桑を摘む貞女、秦氏の娘女、羅敷を詠う)
秦氏の女、羅敷は、絶代の美人で、渭橋の東に居り、春の歸りくるままに、養蚕を事とし、
その為に、陌上に於で、桑の葉を摘んで居た。
すると、そこへ飛龍の如く逞しき五馬を引き従えて来た人があって、馬の尾を束ねた青い絲は、馬の頭を絡めた黄金の手綱に結び付けられて、まことに美美しく、馬さへ、かくの如く、その人の派手にみやびやかなることは、言うまでもない。
何処の誰であるか知らぬが、無作法にも、馴れ馴れしく笑い戯れて、私に向ってからかった。
私は、もと秦氏の娘女、名を羅敷というもので、玉の如き顔は、艶名を大都に歌われたものである。
(訳注)
陌上桑
(長安大通りのそばの桑を摘む貞女、秦氏の娘女、羅敷を詠う)
1. 陌上桑 陌上桑には二つある。一には、李白がこの詩、子夜吳歌に述べた羅敷「秦氏有好女,自名為羅敷。」であり、二は魯の秋胡の妻、《列女伝 秋胡子》「潔婦者,魯秋胡子妻也。」、顔延之(延年)《秋胡詩》のことである。
一、羅敷
子夜吳歌【子夜四時歌】四首:春歌
秦地羅敷女,採桑綠水邊。
素手青條上,紅妝白日鮮。
蠶飢妾欲去,五馬莫留連。
(子夜吳歌【子夜四時の歌】四首:春の歌)
秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。
素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。
蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。
李白303 《巻五 27李白22 子夜呉歌 其一 春》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白303> Ⅰ李白詩1605 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6573
陌上桑行 〔艶歌羅敷行、日出東南隅行〕
陌上桑 #1
日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。
羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。
青絲為籠係,桂枝為籠鉤。頭上倭墮髻,耳中明月珠。
#2
緗綺為下裙,紫綺為上襦。行者見羅敷,下擔捋髭須。
少年見羅敷,脫帽著帩頭。耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。
來歸相怨怒,但坐觀羅敷。
#3
使君從南來,五馬立踟躕。使君遣吏往,問是誰家姝。
“秦氏有好女,自名為羅敷。”
“羅敷年幾何?”
“二十尚不足,十五頗有餘。”
“使君謝羅敷,寧可共載不?”
#4
羅敷前置辭:“使君一何愚!使君自有婦,羅敷自有夫。”
“東方千餘騎,夫婿居上頭。何用識夫婿?白馬從驪駒;
青絲係馬尾,黃金絡馬頭;
#5
腰中鹿盧劍,可直千萬餘。十五府小吏,二十朝大夫,
三十侍中郎,四十專城居。為人潔白晰,鬑鬑頗有須。
盈盈公府步,冉冉府中趨。坐中數千人,皆言夫婿殊。”
#1
日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。羅敷荒桑を善くし、桑を城の南隅に探る。青緑をは籠系と為し、桂枝をば寵鈎と為す。頭上には倭堕の磐、耳中には明月の珠。
#2
純綿を下裾と為し、紫緒を上宿と為す。行く者は羅敦を見て、標を下して髭麦を括り、少年は羅敷を見て、帽を睨して略頭を著はす、耕す者は其の梁を忘れ、鋤く者は其の鋤を忘る。来り節って相怨怒するは、但羅数を観るに坐するのみ。
#3
使君南より来り、五馬立って蜘踊す。使君束をして徒かしめ、間ふ 「是れ誰が家の妹ぞ」 と。「秦氏に好女有り、自ら名いうて羅数と為す」。「羅敷は年幾何ぞ」。「二十には筒は足らず、十五頗る飴り有り」 と。使君羅敦に謝す、「寧ろ共に載る可きゃ不」 と。
#4
羅敷前んで詞を致す、「使君一に何ぞ愚なる。使君自ら婦有り、羅敷は自ら夫有り。東方の千絵騎、夫巧は上頭に居る。何を用てか夫靖を識る、白馬磯駒を徒へ、青練を馬屋に繋け、黄金を番頭に絡ふ。
#5
腰中の鹿底の鉱は、千萬徐に値す可し。十五に心て府の小史、二十にして朝の大夫。三十にして侍中部、四十にして城を専らにして居る。人と為り潔自習、孝養として頗る裏有り。盈盈として公府に歩み、再再として府中に趨る。坐中の数千人、皆言ふ 『夫巧は殊なり』 と。
二、魯国の秋胡子の妾なる潔婦についてのべた。
列女伝
魯秋潔婦. 潔婦者,魯秋胡子妻也。既納之五日,去而宦於陳,五年乃歸。未至家,見路旁婦人採桑,秋胡子悅之,下車謂曰:若曝採桑,吾行道,願託桑蔭下,下齎休焉。婦人採桑不輟,秋胡子謂曰:力田不如逢豐年,力桑不如見國卿。吾有金,願以與夫人。婦人曰:『採桑力作,紡績織紝以供衣食,奉二親養。夫子已矣,不願人之金。秋胡遂去。歸至家,奉金遺母,使人呼其婦。婦至,乃嚮採桑者也,秋胡子慚。婦曰:子束髮脩身,辭親往仕,五年乃還,當所悅馳驟,揚塵疾至。今也乃悅路傍婦人,下子之糧,以金予之,是忘母也。忘母不孝,好色淫泆,是污行也,污行不義。夫事親不孝, 則事君不忠。處家不義,則治官不理。孝義並亡,必不遂矣。妾不忍見,子改娶矣,妾亦不嫁。遂去而東走,投河而死。
秋胡子は、潔婦を納れ、五日にして、去りて陳に宦す。五年にして帰る。末だ其の家に至らざるとき、路傍に美しき婦人の方に桑を採るもの有るを見る。秋胡子は車より下り、謂うげて日く、いま吾に金あり、願はくは以て夫人に与へんと。婦人日く、嘻、妾は桑を採りて二親に奉ず。人の金を願わずと。秋湖子遂に去り、帰って家に至り金を奉じて其の母に遣る。その母、人をして其の婦を呼ばしむ。婦至る、乃ち向に桑を採りしものなり。秋湖は之を見て慙(は)づ。婦人日く、髪を束ね身む修め、親を辞し往いて仕ふ。五年にして乃ち還るを得たり。まさに親戚を見るべきなるに、今や乃ち路傍の婦人を悦びて、子の装を下し、金を以て之に与へんとす。これ母を忘るるの不孝なり。妾は不孝の人を見るに忍びずと。遂に去りて走り、自ら河に投じて裾す」(列女伝 秋胡子)
(大意)
魯の潔婦は秋胡子の妻である。新婚五日、秋湖は単身陳に赴任した。五年後に帰宅の道で、桑摘む美女を見て金を贈ろうとした。美人は拒絶したので、帰って母に贈った。妻を見ると、さきの採桑の美女であった。妻は五年振りの帰省に、道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、遂に河に投死した。(西京雑記もほぼ同じ)とある。
秋胡詩 (9) 顔延之(延年) 詩<11>Ⅱ李白に影響を与えた詩480 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1257
美女渭橋東,春還事蠶作。
秦氏の女、羅敷は、絶代の美人で、渭橋の東に居り、春の歸りくるままに、養蚕を事とし、
その為に、陌上に於で、桑の葉を摘んで居た。
2. 渭橋 横橋とも中渭橋ともいう。長安の北を流れる渭水に架けた橋で、ここを渡ると咸陽の町。唐の時代には西域に通じる要道の一。長安には、便橋、東渭橋の三本の橋があった。①中渭橋は秦の時、始めて設置され,本らいの名称は橫橋という 。②東渭橋 は紀元前145年、漢の景帝五年に建置され,涇水が渭水に合流した下流の 東側に位置する。③西渭橋 は紀元前138年、漢の建元三年建置,長安城の便門に相對し,便橋 或は 便門橋という 。唐じだいには 咸陽橋と名づけられ,長安から 人、客を西行する場合に送別のため、多く此地に到って相い別れをした。
3. 春還 春が帰ってくる。
4. 蠶作 養蚕。
五馬如飛龍,青絲結金絡。
すると、そこへ飛龍の如く逞しき五馬を引き従えて来た人があって、馬の尾を束ねた青い絲は、馬の頭を絡めた黄金の手綱に結び付けられて、まことに美美しく、馬さへ、かくの如く、その人の派手にみやびやかなることは、言うまでもない。
5. 五馬 太守を称するもの、鄭注に謂う:『《周禮》:州長旟を建つ。』漢太守比に州長とし,故に云う。後見して龐幾先云う:『古より駟馬車に乘る,漢時に至り,太守出でて則ち一馬を增す,事 《漢官儀》見える也。』〕故に五馬と爲す。鄭注謂:『《周禮》:州長建旟。』漢太守比州長,故云。後見龐幾先云:『古乘駟馬車,至漢時,太守出則增一馬,事見《漢官儀》也。』〕
6. 青絲結金絡 馬の後部を縛った青い紐絲が、馬の首を絡めた黄金の手綱に結び付くといふ意。《艶歌羅敷行》「靑絲繋馬尾,黃金絡馬頭,腰中鹿盧劍,可值千萬餘。」
不知誰家子,調笑來相謔。
何処の誰であるか知らぬが、無作法にも、馴れ馴れしく笑い戯れて、私に向ってからかった。
7. 調笑 からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったりすること。戲謔嘲笑。文選·謝靈運·擬鄴中集詩·應瑒詩:「調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。」(調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。)
妾本秦羅敷,玉顏豔名都。
私は、もと秦氏の娘女、名を羅敷というもので、玉の如き顔は、艶名を大都に歌われたものである。
8. 名都 長安。
陌上桑
(長安大通りのそばの桑を摘む貞女、秦氏の娘女、羅敷を詠う)
美女渭橋東,春還事蠶作。
秦氏の女、羅敷は、絶代の美人で、渭橋の東に居り、春の歸りくるままに、養蚕を事とし、
その為に、陌上に於で、桑の葉を摘んで居た。
五馬如飛龍,青絲結金絡。
すると、そこへ飛龍の如く逞しき五馬を引き従えて来た人があって、馬の尾を束ねた青い絲は、馬の頭を絡めた黄金の手綱に結び付けられて、まことに美美しく、馬さへ、かくの如く、その人の派手にみやびやかなることは、言うまでもない。
不知誰家子,調笑來相謔。
何処の誰であるか知らぬが、無作法にも、馴れ馴れしく笑い戯れて、私に向ってからかった。
妾本秦羅敷,玉顏豔名都。
私は、もと秦氏の娘女、名を羅敷というもので、玉の如き顔は、艶名を大都に歌われたものである。
#2
綠條映素手,採桑向城隅。
今しも桑を採ろうとして、城隅に来て作業を始めた、緑にしげった桑の枝は、白い手に映じて居るのは、誰しも美しいと思うものである。
使君且不顧,況復論秋胡。
彼女は、もとより夫ある身で、他人の言い寄るのをうるさく思って居る。たとえ、使君と云はれる様な貴き御方であらうとも、決して顧みることはしないし、まして、古の色好みの秋胡などは、まるで相手にしようなどとは思いもしなかったのである。
寒螿愛碧草,鳴鳳棲青梧。
塞螿というものは碧草を愛し、鳳凰は碧梧桐に栖むものであり、物は各々その分に従うべきものである。
託心自有處,但怪傍人愚。
彼女の心を託するところは、きちんとと定まって揺れ動いたりせずにいるのに、これを知るや、知らずや、やたらに厭らしい甘い誘惑の事ばかり、いってくる旁人の云い寄って来る愚かさは、むしろ不思議におもうところである。
徒令白日暮,高駕空踟躕。
かの趙王にしても、その通りで、立派な乗り物を停め、躊躇して去らなかった、いたずらに、白日をして暮れしむるは、大の男のすることとして何たる事であろうか、いやはや、しっかりしてもらいたいと思うところである。
(陌上桑)
美女 渭橋の東,春 還って 蠶作を事とす。
五馬 飛龍の如く,青絲 金絡を結ぶ。
知らず 誰が家の子か,調笑 來って相い謔むる。
妾 本と秦羅敷なり,玉顏 名都に豔なり。
綠條 素手に映じ,桑を採って城隅に向う。
使君 且つ顧みず,況や復た秋胡を論ずるや。
寒螿は碧草を愛し,鳴鳳は青梧に棲む。
心を託す 自ら處有り,但だ怪む 傍人の愚。
徒らに白日をして暮れしめ,高駕 空しく踟躕。
『陌上桑』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2
綠條映素手,採桑向城隅。
使君且不顧,況復論秋胡。
寒螿愛碧草,鳴鳳棲青梧。
託心自有處,但怪傍人愚。
徒令白日暮,高駕空踟躕。
(下し文)
#2
綠條 素手に映じ,桑を採って城隅に向う。
使君 且つ顧みず,況や復た秋胡を論ずるや。
寒螿は碧草を愛し,鳴鳳は青梧に棲む。
心を託す 自ら處有り,但だ怪む 傍人の愚。
徒らに白日をして暮れしめ,高駕 空しく踟躕。
(現代語訳)
#2
今しも桑を採ろうとして、城隅に来て作業を始めた、緑にしげった桑の枝は、白い手に映じて居るのは、誰しも美しいと思うものである。
彼女は、もとより夫ある身で、他人の言い寄るのをうるさく思って居る。たとえ、使君と云はれる様な貴き御方であらうとも、決して顧みることはしないし、まして、古の色好みの秋胡などは、まるで相手にしようなどとは思いもしなかったのである。
塞螿というものは碧草を愛し、鳳凰は碧梧桐に栖むものであり、物は各々その分に従うべきものである。
彼女の心を託するところは、きちんとと定まって揺れ動いたりせずにいるのに、これを知るや、知らずや、やたらに厭らしい甘い誘惑の事ばかり、いってくる旁人の云い寄って来る愚かさは、むしろ不思議におもうところである。
かの趙王にしても、その通りで、立派な乗り物を停め、躊躇して去らなかった、いたずらに、白日をして暮れしむるは、大の男のすることとして何たる事であろうか、いやはや、しっかりしてもらいたいと思うところである。
(訳注)#2
陌上桑
(長安大通りのそばの桑を摘む貞女、秦氏の娘女、羅敷を詠う)
1 陌上桑 陌上桑には二つある。一には、李白がこの詩、子夜吳歌に述べた羅敷「秦氏有好女,自名為羅敷。」であり、二は魯の秋胡の妻、《列女伝 秋胡子》「潔婦者,魯秋胡子妻也。」、顔延之(延年)《秋胡詩》のこと、李白はこの詩の後半最後に「使君且不顧,況復論秋胡。徒令白日暮,高駕空踟躕。」と述べている。
綠條映素手,採桑向城隅。
今しも桑を採ろうとして、城隅に来て作業を始めた、緑にしげった桑の枝は、白い手に映じて居るのは、誰しも美しいと思うものである。
9 綠條 緑にしげった桑の枝
使君且不顧,況復論秋胡。
彼女は、もとより夫ある身で、他人の言い寄るのをうるさく思って居る。たとえ、使君と云はれる様な貴き御方であらうとも、決して顧みることはしないし、まして、古の色好みの秋胡などは、まるで相手にしようなどとは思いもしなかったのである。
10 使君 高級官僚の尊称。
11 秋胡 〔二の列女傳〕〔魯国の秋胡子の妾なる潔婦〕新婚わずか5日で、秋胡は魯国を出発し、陳国に5年間単身赴任し、その間彼女は、姑に孝養をつくした。 5年後の帰宅途中、出会った美女が妻であることに気づかず、秋胡は彼女にしつこくいいよった。道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、そのまま帰らず、遂に河に投死した。
寒螿愛碧草,鳴鳳棲青梧。
塞螿というものは碧草を愛し、鳳凰は碧梧桐に栖むものであり、物は各々その分に従うべきものである。
12 寒螿 昆虫名。秋蟬。蝉に似て小さい、という。ひぐらしであろう。似蝉而较小, 色青赤。《文選‧謝惠連〈搗衣〉詩》「肅肅莎雞羽, 烈烈寒螿啼。」(粛粛【しゅくしゅく】として莎雞【さけい】は羽【はね】ふるい、烈烈として寒螿【かんしょう】は啼く。)
擣衣 謝惠連 詩<83-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1356
13 鳴鳳棲青梧 《詩経、大雅、巻阿》「鳳凰鳴矣、于彼高岡。梧桐生矣、于彼朝陽。」(鳳凰鳴けり、彼の高き岡に。梧桐生ず、彼の朝陽に)とある。
託心自有處,但怪傍人愚。
彼女の心を託するところは、きちんとと定まって揺れ動いたりせずにいるのに、これを知るや、知らずや、やたらに厭らしい甘い誘惑の事ばかり、いってくる旁人の云い寄って来る愚かさは、むしろ不思議におもうところである。
徒令白日暮,高駕空踟躕。
かの趙王にしても、その通りで、立派な乗り物を停め、躊躇して去らなかった、いたずらに、白日をして暮れしむるは、大の男のすることとして何たる事であろうか、いやはや、しっかりしてもらいたいと思うところである。
14 踟躕-1 女性の作業をしているところをその場に立ち止まって見ていることを言う。《文選.曹植.贈白馬王彪詩》:「欲還絕無蹊,攬轡止踟躕。」(還えらんと欲するも絶えて蹊なく、轡【たずな】を撹りて止【ただ】ちに踟躕【ちゅうちょ】す。)
贈白馬王彪 其三 曹植(曹子建) 魏詩<42>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1948
また、躊躇-2については、 趙王の躊躇をいう。趙王とは、前漢の皇族で趙の共王、劉 恢(りゅう かい、紀元前203年? - 紀元前181年)のこと。はじめは淮陽王に封じられ、紀元前196年夏6月に、梁王・彭越(彭羕の遠祖)が謀反の疑いで息子とともに蜀に流罪される途中で、劉邦の妻である呂后(呂雉)に遭遇してしまったために、かえって彼女によって長安に連行されて、呂后が夫・劉邦に讒言したことで彭越父子は揃って処刑された揚句に、その肉を塩漬けにされ、淮南王・英布(黥布)ら諸侯に贈られたのである。
李白 陌上桑 【字解】
【1】 陌上桑 陌上桑には二つある。一には、李白がこの詩、子夜吳歌に述べた羅敷「秦氏有好女,自名為羅敷。」であり、二は魯の秋胡の妻、《列女伝 秋胡子》「潔婦者,魯秋胡子妻也。」、顔延之(延年)《秋胡詩》のこと、李白はこの詩の後半最後に「使君且不顧,況復論秋胡。徒令白日暮,高駕空踟躕。」と述べている。
一、羅敷
子夜吳歌【子夜四時歌】四首:春歌
秦地羅敷女,採桑綠水邊。
素手青條上,紅妝白日鮮。
蠶飢妾欲去,五馬莫留連。
(子夜吳歌【子夜四時の歌】四首:春の歌)
秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。
素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。
蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。
李白303 《巻五 27李白22 子夜呉歌 其一 春》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白303> Ⅰ李白詩1605 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6573
陌上桑行 〔艶歌羅敷行、日出東南隅行〕
陌上桑 #1
日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。
羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。
青絲為籠係,桂枝為籠鉤。頭上倭墮髻,耳中明月珠。
#2
緗綺為下裙,紫綺為上襦。行者見羅敷,下擔捋髭須。
少年見羅敷,脫帽著帩頭。耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。
來歸相怨怒,但坐觀羅敷。
#3
使君從南來,五馬立踟躕。使君遣吏往,問是誰家姝。
“秦氏有好女,自名為羅敷。”
“羅敷年幾何?”
“二十尚不足,十五頗有餘。”
“使君謝羅敷,寧可共載不?”
#4
羅敷前置辭:“使君一何愚!使君自有婦,羅敷自有夫。”
“東方千餘騎,夫婿居上頭。何用識夫婿?白馬從驪駒;
青絲係馬尾,黃金絡馬頭;
#5
腰中鹿盧劍,可直千萬餘。十五府小吏,二十朝大夫,
三十侍中郎,四十專城居。為人潔白晰,鬑鬑頗有須。
盈盈公府步,冉冉府中趨。坐中數千人,皆言夫婿殊。”
#1
日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。羅敷荒桑を善くし、桑を城の南隅に探る。青緑をは籠系と為し、桂枝をば寵鈎と為す。頭上には倭堕の磐、耳中には明月の珠。
#2
純綿を下裾と為し、紫緒を上宿と為す。行く者は羅敦を見て、標を下して髭麦を括り、少年は羅敷を見て、帽を睨して略頭を著はす、耕す者は其の梁を忘れ、鋤く者は其の鋤を忘る。来り節って相怨怒するは、但羅数を観るに坐するのみ。
#3
使君南より来り、五馬立って蜘踊す。使君束をして徒かしめ、間ふ 「是れ誰が家の妹ぞ」 と。「秦氏に好女有り、自ら名いうて羅数と為す」。「羅敷は年幾何ぞ」。「二十には筒は足らず、十五頗る飴り有り」 と。使君羅敦に謝す、「寧ろ共に載る可きゃ不」 と。
#4
羅敷前んで詞を致す、「使君一に何ぞ愚なる。使君自ら婦有り、羅敷は自ら夫有り。東方の千絵騎、夫巧は上頭に居る。何を用てか夫靖を識る、白馬磯駒を徒へ、青練を馬屋に繋け、黄金を番頭に絡ふ。
#5
腰中の鹿底の鉱は、千萬徐に値す可し。十五に心て府の小史、二十にして朝の大夫。三十にして侍中部、四十にして城を専らにして居る。人と為り潔自習、孝養として頗る裏有り。盈盈として公府に歩み、再再として府中に趨る。坐中の数千人、皆言ふ 『夫巧は殊なり』 と。
二、魯国の秋胡子の妾なる潔婦についてのべた。
列女伝
魯秋潔婦. 潔婦者,魯秋胡子妻也。既納之五日,去而宦於陳,五年乃歸。未至家,見路旁婦人採桑,秋胡子悅之,下車謂曰:若曝採桑,吾行道,願託桑蔭下,下齎休焉。婦人採桑不輟,秋胡子謂曰:力田不如逢豐年,力桑不如見國卿。吾有金,願以與夫人。婦人曰:『採桑力作,紡績織紝以供衣食,奉二親養。夫子已矣,不願人之金。秋胡遂去。歸至家,奉金遺母,使人呼其婦。婦至,乃嚮採桑者也,秋胡子慚。婦曰:子束髮脩身,辭親往仕,五年乃還,當所悅馳驟,揚塵疾至。今也乃悅路傍婦人,下子之糧,以金予之,是忘母也。忘母不孝,好色淫泆,是污行也,污行不義。夫事親不孝, 則事君不忠。處家不義,則治官不理。孝義並亡,必不遂矣。妾不忍見,子改娶矣,妾亦不嫁。遂去而東走,投河而死。
秋胡子は、潔婦を納れ、五日にして、去りて陳に宦す。五年にして帰る。末だ其の家に至らざるとき、路傍に美しき婦人の方に桑を採るもの有るを見る。秋胡子は車より下り、謂うげて日く、いま吾に金あり、願はくは以て夫人に与へんと。婦人日く、嘻、妾は桑を採りて二親に奉ず。人の金を願わずと。秋湖子遂に去り、帰って家に至り金を奉じて其の母に遣る。その母、人をして其の婦を呼ばしむ。婦至る、乃ち向に桑を採りしものなり。秋湖は之を見て慙(は)づ。婦人日く、髪を束ね身む修め、親を辞し往いて仕ふ。五年にして乃ち還るを得たり。まさに親戚を見るべきなるに、今や乃ち路傍の婦人を悦びて、子の装を下し、金を以て之に与へんとす。これ母を忘るるの不孝なり。妾は不孝の人を見るに忍びずと。遂に去りて走り、自ら河に投じて裾す」(列女伝 秋胡子)
(大意)
魯の潔婦は秋胡子の妻である。新婚五日、秋湖は単身陳に赴任した。五年後に帰宅の道で、桑摘む美女を見て金を贈ろうとした。美人は拒絶したので、帰って母に贈った。妻を見ると、さきの採桑の美女であった。妻は五年振りの帰省に、道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、遂に河に投死した。(西京雑記もほぼ同じ)とある。
秋胡詩 (9) 顔延之(延年) 詩<11>Ⅱ李白に影響を与えた詩480 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1257
【2】 渭橋 横橋とも中渭橋ともいう。長安の北を流れる渭水に架けた橋で、ここを渡ると咸陽の町。唐の時代には西域に通じる要道の一。長安には、便橋、東渭橋の三本の橋があった。①中渭橋は秦の時、始めて設置され,本らいの名称は橫橋という 。②東渭橋 は紀元前145年、漢の景帝五年に建置され,涇水が渭水に合流した下流の 東側に位置する。③西渭橋 は紀元前138年、漢の建元三年建置,長安城の便門に相對し,便橋 或は 便門橋という 。唐じだいには 咸陽橋と名づけられ,長安から 人、客を西行する場合に送別のため、多く此地に到って相い別れをした。
【3】 春還 春が帰ってくる。
【4】 蠶作 養蚕。
【5】 五馬 太守を称するもの、鄭注に謂う:『《周禮》:州長旟を建つ。』漢太守比に州長とし,故に云う。後見して龐幾先云う:『古より駟馬車に乘る,漢時に至り,太守出でて則ち一馬を增す,事 《漢官儀》見える也。』〕故に五馬と爲す。鄭注謂:『《周禮》:州長建旟。』漢太守比州長,故云。後見龐幾先云:『古乘駟馬車,至漢時,太守出則增一馬,事見《漢官儀》也。』〕
【6】 青絲結金絡 馬の後部を縛った青い紐絲が、馬の首を絡めた黄金の手綱に結び付くといふ意。《艶歌羅敷行》「靑絲繋馬尾,黃金絡馬頭,腰中鹿盧劍,可值千萬餘。」
【7】調笑 からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったりすること。戲謔嘲笑。文選·謝靈運·擬鄴中集詩·應瑒詩:「調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。」(調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。)
【8】名都 長安。
9 綠條 緑にしげった桑の枝
10 使君 高級官僚の尊称。
11 秋胡 〔二の列女傳〕〔魯国の秋胡子の妾なる潔婦〕新婚わずか5日で、秋胡は魯国を出発し、陳国に5年間単身赴任し、その間彼女は、姑に孝養をつくした。 5年後の帰宅途中、出会った美女が妻であることに気づかず、秋胡は彼女にしつこくいいよった。道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、そのまま帰らず、遂に河に投死した。
12 寒螿 昆虫名。秋蟬。蝉に似て小さい、という。ひぐらしであろう。似蝉而较小, 色青赤。《文選‧謝惠連〈搗衣〉詩》「肅肅莎雞羽, 烈烈寒螿啼。」(粛粛【しゅくしゅく】として莎雞【さけい】は羽【はね】ふるい、烈烈として寒螿【かんしょう】は啼く。)
擣衣 謝惠連 詩<83-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1356
13 鳴鳳棲青梧 《詩経、大雅、巻阿》「鳳凰鳴矣、于彼高岡。梧桐生矣、于彼朝陽。」(鳳凰鳴けり、彼の高き岡に。梧桐生ず、彼の朝陽に)とある。
14 踟躕-1 女性の作業をしているところをその場に立ち止まって見ていることを言う。《文選.曹植.贈白馬王彪詩》:「欲還絕無蹊,攬轡止踟躕。」(還えらんと欲するも絶えて蹊なく、轡【たずな】を撹りて止【ただ】ちに踟躕【ちゅうちょ】す。)
贈白馬王彪 其三 曹植(曹子建) 魏詩<42>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1948
また、躊躇-2については、 趙王の躊躇をいう。趙王とは、前漢の皇族で趙の共王、劉 恢(りゅう かい、紀元前203年? - 紀元前181年)のこと。はじめは淮陽王に封じられ、紀元前196年夏6月に、梁王・彭越(彭羕の遠祖)が謀反の疑いで息子とともに蜀に流罪される途中で、劉邦の妻である呂后(呂雉)に遭遇してしまったために、かえって彼女によって長安に連行されて、呂后が夫・劉邦に讒言したことで彭越父子は揃って処刑された揚句に、その肉を塩漬けにされ、淮南王・英布(黥布)ら諸侯に贈られたのである。
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