李太白集 371《太白巻卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7433
- 2016/03/03
- 20:20
李白 侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌
東風已綠瀛洲草,紫殿紅樓覺春好,池南柳色半青青。
縈煙嫋娜拂綺城,垂絲百尺掛雕楹。
(天子に興慶宮の宜春苑に扈従して「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」(龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴く)ということを題にして、歌を作れという勅命を受けに賦して作つた歌である)
東方の仙人の島の瀛洲と見紛う宜春苑には春を呼ぶ風、東風が緩やかに吹き渡って、満地の草々、木々を緑にし、すでに大明宮の紫宸殿、紫蘭殿の紫の宮殿、金鑾殿、綾綺殿の紅の楼閣、すべてに 春の景色がひろがっていて、興慶宮の龍池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた。暖かき虹の春霞はただよいはじめしなやかに長安城、宮城の壁を覆い払っている。龍池のしだれ柳はその枝を百尺ものながさで枝垂れて、彫刻で飾った楼の柱にかかっている。
李太白集 371《太白巻卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7433 |
743年 天寶2年(李白43歳) | 正月 |
1.安禄山が入朝した。玄宗皇帝が特別厚く寵遇していたので、 彼は時期によらずに謁見できた。
安禄山は上奏した。
「去年、営州で虫害が起こり、苗が食べられてしまったので、臣は香を焚いて天へ祈りました。 『臣の心がもし曲がっていて主君に不忠で仕えるならば、どうかこの虫に臣の心臓を食べさせてください。もしも臣が神の御心に背いていないなら、どうかこの虫を追い散らしてください。』 そうすると、沢山の鳥が北から飛んできて、虫をたちどころに食べ尽くしてしまいました。 どうか、検分の役人を派遣してください。」
これに従った。
2. 李林甫は、吏部尚書を兼ねていて、毎日政事堂に出勤しており、人事は侍郎の宋遙と苗晋卿に 全て委ねていた。
御史中丞・張倚が玄宗皇帝から気に入られ始めたので、宋遙も苗晋卿も彼と近づきになりたくなった。 この時、登用を望む者は一万人もいたのに、採用されたのは六十四人しかいなかった。 張倚の子息の張奭はその首席だったので、群議が沸騰した。 前の薊令・蘇孝韞が安禄山へ告げると、安禄山は入って上言した。 玄宗皇帝は、採用された人間を全員召集してこれを面前で試験した。張奭は試験用紙を手にしたまま、 終日一文字も書けなかった。時の人はこれを「曳白」と言った。
3. 癸亥、宋遙は武当太守に、苗晋卿は安康太守に、張倚は淮陽太守に左遷された。 この人選に関与した礼部郎中・裴朏らは、みな、嶺南の官に左遷された。
743年 天寶2年(李白43歳) | 3月 |
1. 江・淮南租庸等使・韋堅が滻水の水を引き込んで望春楼の下に沢を造ろうとした。そこで江淮の運船をかき 集め、人夫や匠を使って運河を掘らせた。徴発された役夫は、まるで丘をなすように大勢で、 江淮から京城へ至るまで、民間は労役に苦しめられて愁い怨んだ。
工事は、二年掛けて完成した。
2. 丙寅、玄宗皇帝は望春楼へ御幸して、新しい沢を観た。韋堅は、新船数百艘をこぎだした。 各々の船には平べったい板に郡名が書かれており、郡中の珍貨を船背に載せていた。
陜尉の崔成甫はきらびやかな錦の半袖、緑色のシャツで肌脱ぎになり、紅のスカーフを首に巻き、 船の先頭で得寶歌を歌った。飾り立てた百人の美人に唱和させ、船の列は数里も連なった。韋堅は跪いて諸郡の軽貨を 献上し、上は百牙の盤にて食した。
玄宗皇帝の宴会は終日終わらず、見物人は山積みとなった。
743年 天寶2年(李白43歳) | 4月 |
1. 韋堅に左散騎常侍を加え、その僚属吏卒も各々の地位に合わせて褒賞を下賜された。 その沢は、廣運と名付けられた。
この時、京兆尹の韓朝宗も渭水から水を引いて西街へ沢を造り、 材木の貯蔵所とした。
2. 丁亥、皇甫惟明が軍を率いて西平らから出陣し、吐蕃を撃った。 千余里を行軍し、洪済城を攻撃し、これを破った。
年:743年天寶二年43歳 94首-(53)
卷別: 卷一六六 文體: 七言古詩
詩題: 侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點: 樂遊原 (京畿道 京兆府 長安) 別名:宜春北苑、宜春北院、宜春苑、太平公主山莊、曲江、樂遊苑、樂遊園、江頭
龍池 (京畿道 京兆府 長安)
大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿
交遊人物/地點:
侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌 #1
東風已綠瀛洲草,紫殿紅樓覺春好,池南柳色半青青。
縈煙嫋娜拂綺城,垂絲百尺掛雕楹。
(天子に興慶宮の宜春苑に扈従して「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」(龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴く)ということを題にして、歌を作れという勅命を受けに賦して作つた歌である)
東方の仙人の島の瀛洲と見紛う宜春苑には春を呼ぶ風、東風が緩やかに吹き渡って、満地の草々、木々を緑にし、すでに大明宮の紫宸殿、紫蘭殿の紫の宮殿、金鑾殿、綾綺殿の紅の楼閣、すべてに 春の景色がひろがっていて、興慶宮の龍池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた。
暖かき虹の春霞はただよいはじめしなやかに長安城、宮城の壁を覆い払っている。龍池のしだれ柳はその枝を百尺ものながさで枝垂れて、彫刻で飾った楼の柱にかかっている。#2
上有好鳥相和鳴,間關早得春風情。
春風卷入碧雲去,千門萬戶皆春聲。
是時君王在鎬京,五雲垂暉耀紫清。
#3
仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。
始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。
新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。
(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)
東風すでに緑にす瀛洲の草、紫殿 紅楼 春の好きを覚ゆ。
池南の柳色なかば青青、烟を縈【めぐ】らせ裊娜【ジョウダ】として綺城を払ふ。
垂糸百尺雕楹【チョウエイ】に挂(かか)り。
上に好鳥のあひ和して鳴くあり、間関はやくも得たり春風の情。
春風 巻いて碧雲に入って去り、千門 万戸みな春声。
この時 君王は鎬京【コウケイ】にゐませば、五雲も暉【ひかり】を垂れて紫清に耀く。
仗【ジョウ】は金宮を出でて日に随って転じ、天は玉輦を回【めぐら】して花を繞って行く。
はじめ蓬萊に向って舞鶴を看【み】、また茝石を過ぎて新鴬を聴く。
新鴬は飛びて上林苑を繞り、簫韶【ショウショウ】 に入って鳳笙に雑【まじは】らんと願ふ。
『侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌』 現代語訳と訳註解説
(本文)
侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌 #1
東風已綠瀛洲草,紫殿紅樓覺春好,池南柳色半青青。
縈煙嫋娜拂綺城,垂絲百尺掛雕楹。
(下し文)
(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)
東風すでに緑にす瀛洲の草、紫殿 紅楼 春の好きを覚ゆ。
池南の柳色なかば青青、烟を縈【めぐ】らせ裊娜【ジョウダ】として綺城を払ふ。
垂糸百尺雕楹【チョウエイ】に挂(かか)り。
(現代語訳)
侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌 #1(天子に興慶宮の宜春苑に扈従して「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」(龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴く)ということを題にして、歌を作れという勅命を受けに賦して作つた歌である)
東方の仙人の島の瀛洲と見紛う宜春苑には春を呼ぶ風、東風が緩やかに吹き渡って、満地の草々、木々を緑にし、すでに大明宮の紫宸殿、紫蘭殿の紫の宮殿、金鑾殿、綾綺殿の紅の楼閣、すべてに 春の景色がひろがっていて、興慶宮の龍池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた。
暖かき虹の春霞はただよいはじめしなやかに長安城、宮城の壁を覆い払っている。龍池のしだれ柳はその枝を百尺ものながさで枝垂れて、彫刻で飾った楼の柱にかかっている。
(訳注)#1
侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌
(天子に興慶宮の宜春苑に扈従して「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」(龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴く)ということを題にして、歌を作れという勅命を受けに賦して作つた歌である)
1. 李白の経歴中、天寶の初、玄宗の知遇を蒙り、待詔として宮中に出仕したのが、その一生の最も光栄ある得意の時代であった。そして、ある時、天子の駕に扈従して、宜春苑へ往った時に、「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」ということを題にして、歌を作れという勅命を受けて、即時に賦して作つたのが、即ちこの詩である。他人の應制とは異にして、古體を用いては居るが、なは且つ放逸の句法を避けて、自然初唐の風格を帯びて居る。
2. 宜春北苑 《雍録》「天寶中,即東宮置宜春北苑。按既日北苑,當在宜春宮之北。」
3. 龍池 唐詩《紀事》云:「龍池,興慶宮也,明皇潛龍之地。」《會要》云:「開元元年,內出祭龍池樂章。十六年,築壇於興慶宮,以仲春月祭之。」《長安誌》:龍池,在南內南薰殿北、躍龍門南,本是平地,垂拱後因雨水流潦成小池,後又引龍首支渠分溉之,日以滋廣,彌亙數頃深至數丈,常有雲氣,或見黃龍出其中,謂之龍池。
東風已綠瀛洲草,紫殿紅樓覺春好,池南柳色半青青。
東方の仙人の島の瀛洲と見紛う宜春苑には春を呼ぶ風、東風が緩やかに吹き渡って、満地の草々、木々を緑にし、すでに大明宮の紫宸殿、紫蘭殿の紫の宮殿、金鑾殿、綾綺殿の紅の楼閣、すべてに 春の景色がひろがっていて、興慶宮の龍池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた。
4. 東風 春風。
5. 瀛洲 東方海上にある仙人の住む山、蓬莱山、方丈山、瀛州山。
6. 紫殿 大明宮の中には紫宸殿、紫蘭殿など翰林院からすべて東側にあるもの。
7. 半青春 萌木色。黄緑。
縈煙嫋娜拂綺城,垂絲百尺掛雕楹。
暖かき虹の春霞はただよいはじめしなやかに長安城、宮城の壁を覆い払っている。龍池のしだれ柳はその枝を百尺ものながさで枝垂れて、彫刻で飾った楼の柱にかかっている。
8. 縈煙 春霞。
9. 裊娜 しなやかな様。
10. 綺城 美しい長安城、宮城の壁。
11. 垂糸 しだれ柳の枝。
12. 雕楹【チョウエイ】 楼閣の彫刻で飾った柱。
侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌 #1
(天子に興慶宮の宜春苑に扈従して「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」(龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴く)ということを題にして、歌を作れという勅命を受けに賦して作つた歌である)
東風已綠瀛洲草,紫殿紅樓覺春好,池南柳色半青青。
東方の仙人の島の瀛洲と見紛う宜春苑には春を呼ぶ風、東風が緩やかに吹き渡って、満地の草々、木々を緑にし、すでに大明宮の紫宸殿、紫蘭殿の紫の宮殿、金鑾殿、綾綺殿の紅の楼閣、すべてに 春の景色がひろがっていて、興慶宮の龍池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた。
縈煙嫋娜拂綺城,垂絲百尺掛雕楹。
暖かき虹の春霞はただよいはじめしなやかに長安城、宮城の壁を覆い払っている。龍池のしだれ柳はその枝を百尺ものながさで枝垂れて、彫刻で飾った楼の柱にかかっている。
#2
上有好鳥相和鳴,間關早得春風情。
柳の上に鶯がしきりに相和して啼くと輪唱する、間關とした鳥のさえずりに宮女たちの声が混じれば、春風よりはやくも春の長閑な情を得たようにおもわれる。
春風卷入碧雲去,千門萬戶皆春聲。
春風は、柳のたれ枝をゆらし、鶯の声を巻いて天上遥かに碧雲の流れる中に伝え、まさに、蓬莱宮の御座所近くまで届け、千門萬戸、いたるところみな春の声をきかないものはいない、それで、天子は、この行幸をなされたのである。
是時君王在鎬京,五雲垂暉耀紫清。
この時 君王は鎬京にいまし、五色の雲は輝煌を垂れて、天空の真ん中で耀くころ、行幸は宜春苑に着かれる。
#3
仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。
始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。
新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。
(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)
東風すでに緑にす瀛洲の草、紫殿 紅楼 春の好きを覚ゆ。
池南の柳色なかば青青、烟を縈【めぐ】らせ裊娜【ジョウダ】として綺城を払ふ。
垂糸百尺雕楹【チョウエイ】に挂(かか)り。
上に好鳥のあい和して鳴くあり、間関はやく春風の情を得たり。
春風 巻いて碧雲に入って去り、千門 万戸みな春声。
この時 君王 鎬京【コウケイ】に在まし、五雲 暉【ひかり】を垂れて紫清に耀く。
仗【ジョウ】は金宮を出でて日に随って転じ、天は玉輦を回【めぐら】して花を繞って行く。
はじめ蓬萊に向って舞鶴を看【み】、また茝石を過ぎて新鴬を聴く。
新鴬は飛びて上林苑を繞り、簫韶【ショウショウ】 に入って鳳笙に雑【まじは】らんと願ふ。
『侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2
上有好鳥相和鳴,間關早得春風情。
春風卷入碧雲去,千門萬戶皆春聲。
是時君王在鎬京,五雲垂暉耀紫清。
(下し文)
#2
上に好鳥のあい和して鳴くあり、間関はやく春風の情を得たり。
春風 巻いて碧雲に入って去り、千門 万戸みな春声。
この時 君王 鎬京【コウケイ】に在まし、五雲 暉【ひかり】を垂れて紫清に耀く。
(現代語訳)
#2
柳の上に鶯がしきりに相和して啼くと輪唱する、間關とした鳥のさえずりに宮女たちの声が混じれば、春風よりはやくも春の長閑な情を得たようにおもわれる。
春風は、柳のたれ枝をゆらし、鶯の声を巻いて天上遥かに碧雲の流れる中に伝え、まさに、蓬莱宮の御座所近くまで届け、千門萬戸、いたるところみな春の声をきかないものはいない、それで、天子は、この行幸をなされたのである。
この時 君王は鎬京にいまし、五色の雲は輝煌を垂れて、天空の真ん中で耀くころ、行幸は宜春苑に着かれる。
(訳注) #2
侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌
(天子に興慶宮の宜春苑に扈従して「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」(龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴く)ということを題にして、歌を作れという勅命を受けに賦して作つた歌である)
1 李白の経歴中、天寶の初、玄宗の知遇を蒙り、待詔として宮中に出仕したのが、その一生の最も光栄ある得意の時代であった。そして、ある時、天子の駕に扈従して、宜春苑へ往った時に、「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」ということを題にして、歌を作れという勅命を受けて、即時に賦して作つたのが、即ちこの詩である。他人の應制とは異にして、古體を用いては居るが、なは且つ放逸の句法を避けて、自然初唐の風格を帯びて居る。
上有好鳥相和鳴、間關早得春風情。
柳の上に鶯がしきりに相和して啼くと輪唱する、間關とした鳥のさえずりに宮女たちの声が混じれば、春風よりはやくも春の長閑な情を得たようにおもわれる。
14.間関 鳥の相和して鳴くさま。ここは、後宮の宮女たちの声を示す。
15.春風情 春風に誘われる春の長閑な情。春風によって万物が成長する春の景色。
春風卷入碧云去。千門萬戶皆春聲。
春風は、柳のたれ枝をゆらし、鶯の声を巻いて天上遥かに碧雲の流れる中に伝え、まさに、蓬莱宮の御座所近くまで届け、千門萬戸、いたるところみな春の声をきかないものはいない、それで、天子は、この行幸をなされたのである。
16. 碧雲 暗い雲。冬の雲。天子の蓬莱宮の御座所近くまで届けてくれる雲というほどの意味。
是時君王在鎬京。五云垂暉耀紫清。
この時 君王は鎬京にいまし、五色の雲は輝煌を垂れて、天空の真ん中で耀くころ、行幸は宜春苑に着かれる。
17. 鎬京 春秋戦国のころの宮廷の場所で長安の古称、詩的表現。西周(→周 ) 時代の都の名。現在の陝西省西安市の西と考えられる。西周の始王である武王は,殷を討ったあと,父文王の営んだ豊京より移ってここを都とし,これが西周の東遷まで続いた。宮殿の跡そのものは漢の武帝の時代に土木工事のために破壊されたらしい。
18. 五云 仙界の五色のうつくしい雲。
19. 垂暉 かがやきひかりの輪が尾を引くさま。
20. 耀紫清 大空のまんなか。
李白
侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌
【字解】
東風已綠瀛洲草,紫殿紅樓覺春好,池南柳色半青青。縈煙嫋娜拂綺城,垂絲百尺掛雕楹。上有好鳥相和鳴,間關早得春風情。春風卷入碧雲去,千門萬戶皆春聲。是時君王在鎬京,五雲垂暉耀紫清。仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。
1. 李白の経歴中、天寶の初、玄宗の知遇を蒙り、待詔として宮中に出仕したのが、その一生の最も光栄ある得意の時代であった。そして、ある時、天子の駕に扈従して、宜春苑へ往った時に、「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」ということを題にして、歌を作れという勅命を受けて、即時に賦して作つたのが、即ちこの詩である。他人の應制とは異にして、古體を用いては居るが、なは且つ放逸の句法を避けて、自然初唐の風格を帯びて居る。
2. 宜春苑 《雍録》「天寶中,即東宮置宜春北苑。按既日北苑,當在宜春宮之北。」(天寶中,即ち東宮に宜春北苑を置かる。按既に北苑と日う,當に宜春宮の北に在る。)とみえる。
3. 龍池 唐詩《紀事》云:「龍池,興慶宮也,明皇潛龍之地。」(龍池は興慶宮なり,明皇潛龍の地なり。)《會要》云:「開元元年,內出祭龍池樂章。十六年,築壇於興慶宮,以仲春月祭之。」(開元元年,內出祭龍池樂章。十六年,興慶宮に築壇さるる,以て仲春月之を祭る。)《長安誌》「龍池,在南內南薰殿北、躍龍門南,本是平地,垂拱後因雨水流潦成小池,後又引龍首支渠分溉之,日以滋廣,彌亙數頃深至數丈,常有雲氣,或見黃龍出其中,謂之龍池。」(龍池は,南に在り內南薰殿を北にす、躍龍門の南,本是れ平地なり,垂拱の後 雨水流潦し小池を成す因り,後又た龍首支渠を引き分けて之を溉す,日に以て滋廣す,彌亙數頃 深さ數丈に至る,常に雲氣有り,或は 黃龍 其の中に出ずるを見る,之う龍池と謂う。)とみえる。
4. 東風 春風。
5. 瀛洲 東方海上にある仙人の住む山、蓬莱山、方丈山、瀛州山。
6. 紫殿 大明宮の中には紫宸殿、紫蘭殿など翰林院からすべて東側にあるもの。
7. 半青春 萌木色。黄緑。
8. 縈煙 春霞。
9. 裊娜 しなやかな様。
10. 綺城 美しい長安城、宮城の壁。
11. 垂糸 しだれ柳の枝。
12. 雕楹【チョウエイ】 楼閣の彫刻で飾った柱。
13. 興慶宮圖
14 間関 鳥の相和して鳴くさま。ここは、後宮の宮女たちの声を示す。
15 春風情 春風に誘われる春の長閑な情。春風によって万物が成長する春の景色。
16. 碧雲 暗い雲。冬の雲。天子の蓬莱宮の御座所近くまで届けてくれる雲というほどの意味。
17. 鎬京 春秋戦国のころの宮廷の場所で長安の古称、詩的表現。西周(→周 ) 時代の都の名。現在の陝西省西安市の西と考えられる。西周の始王である武王は,殷を討ったあと,父文王の営んだ豊京より移ってここを都とし,これが西周の東遷まで続いた。宮殿の跡そのものは漢の武帝の時代に土木工事のために破壊されたらしい。
18. 五云 仙界の五色のうつくしい雲。
19. 垂暉 かがやきひかりの輪が尾を引くさま。
20. 耀紫清 大空のまんなか。
侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌 #1
(天子に興慶宮の宜春苑に扈従して「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」(龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴く)ということを題にして、歌を作れという勅命を受けに賦して作つた歌である)
東風已綠瀛洲草,紫殿紅樓覺春好,池南柳色半青青。
東方の仙人の島の瀛洲と見紛う宜春苑には春を呼ぶ風、東風が緩やかに吹き渡って、満地の草々、木々を緑にし、すでに大明宮の紫宸殿、紫蘭殿の紫の宮殿、金鑾殿、綾綺殿の紅の楼閣、すべてに 春の景色がひろがっていて、興慶宮の龍池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた。
縈煙嫋娜拂綺城,垂絲百尺掛雕楹。
暖かき虹の春霞はただよいはじめしなやかに長安城、宮城の壁を覆い払っている。龍池のしだれ柳はその枝を百尺ものながさで枝垂れて、彫刻で飾った楼の柱にかかっている。
#2
上有好鳥相和鳴,間關早得春風情。
柳の上に鶯がしきりに相和して啼くと輪唱する、間關とした鳥のさえずりに宮女たちの声が混じれば、春風よりはやくも春の長閑な情を得たようにおもわれる。
春風卷入碧雲去,千門萬戶皆春聲。
春風は、柳のたれ枝をゆらし、鶯の声を巻いて天上遥かに碧雲の流れる中に伝え、まさに、蓬莱宮の御座所近くまで届け、千門萬戸、いたるところみな春の声をきかないものはいない、それで、天子は、この行幸をなされたのである。
是時君王在鎬京,五雲垂暉耀紫清。
この時 君王は鎬京にいまし、五色の雲は輝煌を垂れて、天空の真ん中で耀くころ、行幸は宜春苑に着かれる。
#3
仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。
仗(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は天子の道である夾城で移動され、宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。
始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。
はじめ蓬萊殿に向っていく、謝阿蛮や、張雲容が率いる舞姫たちを看(み) た、また茝若(シジャク)殿を過ぎたら、楊貴妃の作曲した新しい「涼州」を歌う紅桃という歌手の歌を聴いた。
新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。
(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)
東風すでに緑にす瀛洲の草、紫殿 紅楼 春の好きを覚ゆ。
池南の柳色なかば青青、烟を縈【めぐ】らせ裊娜【ジョウダ】として綺城を払ふ。
垂糸百尺雕楹【チョウエイ】に挂(かか)り。
上に好鳥のあい和して鳴くあり、間関はやく春風の情を得たり。
春風 巻いて碧雲に入って去り、千門 万戸みな春声。
この時 君王 鎬京【コウケイ】に在まし、五雲 暉【ひかり】を垂れて紫清に耀く。
仗【ジョウ】は金宮を出でて日に随って転じ、天は玉輦を回【めぐら】して花を繞って行く。
はじめ蓬萊に向って舞鶴を看【み】、また茝石を過ぎて新鴬を聴く。
新鴬は飛びて上林苑を繞り、簫韶【ショウショウ】 に入って鳳笙に雑【まじは】らんと願ふ。
『侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌』現代語訳と訳註解説
(本文)
#3
仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。
始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。
新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。
(下し文)
#3
仗【ジョウ】は金宮を出でて日に随って転じ、天は玉輦を回【めぐら】して花を繞って行く。
はじめ蓬萊に向って舞鶴を看【み】、また茝石を過ぎて新鴬を聴く。
新鴬は飛びて上林苑を繞り、簫韶【ショウショウ】 に入って鳳笙に雑【まじは】らんと願ふ。
(現代語訳)
#3
仗(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は天子の道である夾城で移動され、宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。
はじめ蓬萊殿に向っていく、謝阿蛮や、張雲容が率いる舞姫たちを看(み) た、また茝若(シジャク)殿を過ぎたら、楊貴妃の作曲した新しい「涼州」を歌う紅桃という歌手の歌を聴いた。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。
侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌
(天子に興慶宮の宜春苑に扈従して「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」(龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴く)ということを題にして、歌を作れという勅命を受けに賦して作つた歌である)
1 李白の経歴中、天寶の初、玄宗の知遇を蒙り、待詔として宮中に出仕したのが、その一生の最も光栄ある得意の時代であった。そして、ある時、天子の駕に扈従して、宜春苑へ往った時に、「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」ということを題にして、歌を作れという勅命を受けて、即時に賦して作つたのが、即ちこの詩である。他人の應制とは異にして、古體を用いては居るが、なは且つ放逸の句法を避けて、自然初唐の風格を帯びて居る。
仗出金宮隨日轉。天回玉輦繞花行。
仗(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は天子の道である夾城で移動され、宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。
21. 仗 杖の先に剣がついている宮廷の警護専門の武器。
22. 金宮 金鑾殿のこと、この宮殿に、禁軍が控える社殿と直結している。
23. 天回玉輦 天回は天子の専用道路である夾城をさし、誰にも分らず大明宮と興慶宮、曲江離宮、芙蓉園を移動できたことを言い、金銀宝飾で飾った皇帝の御車に乗って移動した。。
始向蓬萊看舞鶴。還過芷若聽新鶯。
はじめ蓬萊殿に向っていく、謝阿蛮や、張雲容が率いる舞姫たちを看(み) た、また茝若(シジャク)殿を過ぎたら、楊貴妃の作曲した新しい「涼州」を歌う紅桃という歌手の歌を聴いた。
24. 蓬萊 宮廷にも大液池という大きな池がありその中島を蓬莱山している。ここでは、道教に言う東方に浮かぶ仙人の山である。大明宮丹鳳門、含元殿、紫宸殿、蓬萊殿、太掖池のなかの蓬莱山と南北直線状に並んで配置されていた。また、大明宮は唐初期の半ばころ、蓬莱宮に変更されたこともある。(大明宮圖参照)
25. 芷若 官の後宮未央宮の妃嬪の御殿の一つである。三輔黄圖にあるが、班固《西都賦》で〔(22)#9(後宮の華麗)―1〕について“「後宮則有掖庭椒房,后妃之室。合歡增城,安處常寧。茞若椒風,披香發越。蘭林蕙草,鴛鸞飛翔之列。」(後宮には則ち掖庭【えきてい】椒房【しょうぼう】が有り,后妃の室なり。合歡【ごうかん】增城【ぞうじょう】,安處【あんしょ】常寧【じょうねい】あり。茞若【しじゃく】椒風【しょうふう】,披香【ひこう】發越【はつえつ】と。蘭林【らんりん】蕙草【けいそう】,鴛鸞【えんおう】飛翔【ひしょう】と之れ列らる。)≪後宮の華麗≫ 後宮には、掖庭宮、椒房殿があり、ともに后妃のすまいである。それには、合歓殿・増城殿・安処殿・常寧殿があり、茞若殿・椒風殿・披香殿・発越殿とつづき、蘭林殿・蕙草殿・鴛鸞殿・飛翔殿の御殿がおしならぶのである。”とのべている。
班孟堅(班固)《西都賦》(22)#9(後宮の華麗)―1 文選 賦<112―22>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩976 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3428
此処では、漢の妃賓の御殿を述べることで、寵愛を受けてはいるが、まだ、妃嬪のうちで権力基盤の出来上がっていなかった楊貴妃を挿しているのである。
26. 舞鶴・新鶯 そうするとこの時の歌声は、紅桃“『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。楊貴妃の侍女。楊貴妃に命じられて、紅粟玉の腕輪を謝阿蛮に渡した。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、楊貴妃の侍女の一人として会合する。そこで、楊貴妃の作曲した「涼州」を歌い、ともに涙にくれたが、玄宗によって、「涼州」は広められた。” であり、舞は、謝阿蛮“『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。新豊出身の妓女。「凌波曲」という舞を得意としていた。その舞踊の技術により、玄宗と楊貴妃から目をかけられ、腕輪を与えられた。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、舞踊を披露した後で、その腕輪を玄宗に見せたため、玄宗は涙を落としたと伝えられる。”張雲容“全唐詩の楊貴妃の詩「阿那曲」で詠われる。楊貴妃の侍女。非常に寵愛を受け、華清宮で楊貴妃に命じられ、一人で霓裳羽衣の曲を舞い、金の腕輪を贈られたと伝えられる。また、『伝奇』にも説話が残っている。内容は以下の通りである。張雲容は生前に、高名な道士であった申天師に仙人になる薬を乞い、もらい受け、楊貴妃に頼んで、空気孔を開けた棺桶にいれてもらった。その百年後に生き返り、薛昭という男を夫にすることにより、地仙になったという。”ということであろう。いずれも、楊貴妃付きの宮女、である。
新鶯飛繞上林苑。愿入簫韶雜鳳笙。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。
27. 上林苑 漢の武帝が秦の庭園を発展拡充して作ったもの。ここでは、大明宮庭園をいい、其処から夾城を挟んで北側に広がる禁苑を言う。上林苑(じょうりんえん)とは、古代中国の秦、前漢の皇帝のための大庭園である。咸陽、長安の南方に広がっていた。
『三輔黄図』によると元は秦の庭園であり、漢の武帝の建元3年(紀元前138年)、遊猟を好む武帝がしばしば上林苑の敷地内を越えて民の土地に足を踏み入れるようになって民を苦しめていたため、武帝が吾丘寿王に命じて費用を計算させて拡大し、周囲300里の広大な庭園となった。上林苑の中には70箇所もの離宮があり、それはどれも馬車一千台、騎一万を収容できるほどの大きさだった。また多種多様な獣が飼われ、皇帝が秋、冬に猟を行ってその獣を取った。また武帝が上林苑を拡大した際に、群臣に命じて各地の珍しい植物や果樹を献上させ、それらを栽培した。また茂陵の富民袁広漢は珍しい動物や植物を集め、砂浜や激流を人工的に作り、建物を全て廊下で繋いであるという豪壮な庭園を造っていたが、後に罪があって誅殺されるとこれも官有の庭園とされ、動植物は上林苑に移された。上林苑には上林令、上林尉などの役人が置かれ、飼っている動物の種類や数を管理し、記録していた。また上林苑内には6つの池や10以上の宮殿などがあった。武帝の元鼎2年(紀元前115年)に水衡都尉の官が置かれ、上林苑を管轄することとなった。上林令、上林尉も水衡都尉の属官となっている。また武帝が民間で五銖銭を鋳造することを禁止すると、銭の鋳造は水衡都尉の属官である均輸、鍾官、弁銅の三官が独占して行うこととされた。これは上林三官と呼ばれた。
28. 愿 真面目である。誠実である。
29. 簫韶 舜の楽 簫韶とは、虞舜の時の樂章である。九章で成りたつ。《尚書·益稷》「簫韶九成,鳳凰來儀。」とある。
30. 雜 まじること。
31. 鳳笙 鳳凰の飾りのある笛。
李白
侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌
【字解】
東風已綠瀛洲草,紫殿紅樓覺春好,池南柳色半青青。縈煙嫋娜拂綺城,垂絲百尺掛雕楹。上有好鳥相和鳴,間關早得春風情。春風卷入碧雲去,千門萬戶皆春聲。是時君王在鎬京,五雲垂暉耀紫清。仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。
1. 李白の経歴中、天寶の初、玄宗の知遇を蒙り、待詔として宮中に出仕したのが、その一生の最も光栄ある得意の時代であった。そして、ある時、天子の駕に扈従して、宜春苑へ往った時に、「龍池柳色初青、聴新鶯百囀」ということを題にして、歌を作れという勅命を受けて、即時に賦して作つたのが、即ちこの詩である。他人の應制とは異にして、古體を用いては居るが、なは且つ放逸の句法を避けて、自然初唐の風格を帯びて居る。
2. 宜春苑 《雍録》「天寶中,即東宮置宜春北苑。按既日北苑,當在宜春宮之北。」(天寶中,即ち東宮に宜春北苑を置かる。按既に北苑と日う,當に宜春宮の北に在る。)とみえる。
3. 龍池 唐詩《紀事》云:「龍池,興慶宮也,明皇潛龍之地。」(龍池は興慶宮なり,明皇潛龍の地なり。)《會要》云:「開元元年,內出祭龍池樂章。十六年,築壇於興慶宮,以仲春月祭之。」(開元元年,內出祭龍池樂章。十六年,興慶宮に築壇さるる,以て仲春月之を祭る。)《長安誌》「龍池,在南內南薰殿北、躍龍門南,本是平地,垂拱後因雨水流潦成小池,後又引龍首支渠分溉之,日以滋廣,彌亙數頃深至數丈,常有雲氣,或見黃龍出其中,謂之龍池。」(龍池は,南に在り內南薰殿を北にす、躍龍門の南,本是れ平地なり,垂拱の後 雨水流潦し小池を成す因り,後又た龍首支渠を引き分けて之を溉す,日に以て滋廣す,彌亙數頃 深さ數丈に至る,常に雲氣有り,或は 黃龍 其の中に出ずるを見る,之う龍池と謂う。)とみえる。
4. 東風 春風。
5. 瀛洲 東方海上にある仙人の住む山、蓬莱山、方丈山、瀛州山。
6. 紫殿 大明宮の中には紫宸殿、紫蘭殿など翰林院からすべて東側にあるもの。
7. 半青春 萌木色。黄緑。
8. 縈煙 春霞。
9. 裊娜 しなやかな様。
10. 綺城 美しい長安城、宮城の壁。
11. 垂糸 しだれ柳の枝。
12. 雕楹【チョウエイ】 楼閣の彫刻で飾った柱。
14 間関 鳥の相和して鳴くさま。ここは、後宮の宮女たちの声を示す。
15 春風情 春風に誘われる春の長閑な情。春風によって万物が成長する春の景色。
16. 碧雲 暗い雲。冬の雲。天子の蓬莱宮の御座所近くまで届けてくれる雲というほどの意味。
17. 鎬京 春秋戦国のころの宮廷の場所で長安の古称、詩的表現。西周(→周 ) 時代の都の名。現在の陝西省西安市の西と考えられる。西周の始王である武王は,殷を討ったあと,父文王の営んだ豊京より移ってここを都とし,これが西周の東遷まで続いた。宮殿の跡そのものは漢の武帝の時代に土木工事のために破壊されたらしい。
18. 五云 仙界の五色のうつくしい雲。
19. 垂暉 かがやきひかりの輪が尾を引くさま。
20. 耀紫清 大空のまんなか。
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