李太白集 372《太白巻六05 玉壺吟》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7438
- 2016/03/04
- 21:19
李白 玉壺吟
烈士擊玉壺,壯心惜暮年。三杯拂劍舞秋月,忽然高詠涕泗漣。
鳳凰初下紫泥詔,謁帝稱觴登御筵。揄揚九重萬乘主,謔浪赤墀青瑣賢。
(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)
我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
李太白集 372《太白巻六05 玉壺吟》 李白 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7438 |
年:743年天寶二年43歳 94首-(54)
卷別: 卷一六六 文體: 雜言古詩
詩題: 玉壺吟
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點: 無
交遊人物/地點:
玉壺吟 #1
(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)
烈士擊玉壺,壯心惜暮年。
我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。
三杯拂劍舞秋月,忽然高詠涕泗漣。
かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
鳳凰初下紫泥詔,謁帝稱觴登御筵。
紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。
揄揚九重萬乘主,謔浪赤墀青瑣賢。
九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
#2
朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。
世人不識東方朔,大隱金門是謫仙。
西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。
君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。
(玉壺吟)
烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。
三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。
鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴【さかずき】を稱げえて御筵に登る。
揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。
天に朝して數しば換う飛龍の馬、敕【みことのり】して賜う珊瑚の白玉の鞭。
世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。
西施 笑に宜しく復た顰【ひん】すること宜し、醜女は之に效【なら】いて徒【いたずら】に身を累す。
君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。
『玉壺吟』 現代語訳と訳註解説
(本文)
玉壺吟 #1
烈士擊玉壺,壯心惜暮年。
三杯拂劍舞秋月,忽然高詠涕泗漣。
鳳凰初下紫泥詔,謁帝稱觴登御筵。
揄揚九重萬乘主,謔浪赤墀青瑣賢。
(下し文)
(玉壺吟) #1
烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。
三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。
鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴【さかずき】を稱げえて御筵に登る。
揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。
(現代語訳)
玉壺吟 #1(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)
我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。
かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。
九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
(訳注)
玉壺吟 #1
(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)
1. 玉壺吟 「玉壷を傾けて酔余の歌」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。
烈士擊玉壺,壯心惜暮年。
我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。
2. 烈士擊玉壺,壯心惜暮年。 晋の王敦は、酒に酔うといつも、「老驥(老いた駿馬)は櫪(馬小舎)に伏すも、志は千里に在り。烈士は莫年(暮年・老年)なるも、壮心已まず」(曹操「歩出夏門行」)と詠い、如意棒で痰壷をたたいたので、壷のロがみな欠けてしまった。(『世説新語』「豪爽、第十三」の四)。壯心:いさましい気持ち、壮大な志。
曹操《歩出夏門行 神龜雖壽》
神龜雖壽,猶有竟時。騰蛇乘霧,終爲土灰。
老驥伏櫪,志在千里。烈士暮年,壯心不已。
盈縮之期,不但在天。養怡之福,可得永年。
幸甚至哉,歌以詠志。
(歩出夏門行 神龜 壽なりと雖も。)
神龜は壽なりと雖も,猶ほ竟をはるの時 有り。騰蛇は霧に乘ぜども,終に土灰と爲る。
老驥櫪に伏せども,志は千里に在り。烈士暮年 ぼ ねんに,壯心已やまず。
盈縮の期は,但だに天のみに 在らず。養怡の福は,永年を 得べし。
幸 甚はだ 至れる哉,歌ひて以て 志を詠えいず。
三杯拂劍舞秋月、忽然高詠涕泗漣。
かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
3. 三杯 故事「一杯(いっぱい)は人酒を飲む二杯は酒酒を飲む三杯は酒人を飲む」飲酒は、少量のときは自制できるが、杯を重ねるごとに乱れ、最後には正気を失ってしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒め。「遲到是要罰酒三杯的哦.」罰酒三杯:駆け付け三杯[カケツケサンバイ]酒宴に遅れた者に対する罰として,続けて酒を3杯飲ませること
杜甫《卷二 故武衛將軍挽詞三首其二》「 舞劍過人絕,鳴弓射獸能。銛鋒行怯順,猛噬失嘂蹻騰。赤羽千夫膳,黃河十月冰。橫行沙漠外,神速至今稱。」
杜甫《卷二○99 觀公孫大娘弟子舞劍器行並序》 「昔有佳人公孫氏,一舞劍器動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。」
唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。
4. 高詠 声高に詠う。
5. 涕泗 なみだ。「沸」は目から、「酒」は鼻から流れるもの。
鳳凰初下紫泥詔、謁帝稱觴登御筵。
紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。
6. 鳳凰初下紫泥詔 鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。
7. 稱觴 觴(さかずき)を挙げる。
8. 御筵 皇帝の設けた宴席。
揄揚九重萬乘主、謔浪赤墀青瑣賢。
九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
9. 揄揚 ほめたたえる。
10 九重 宮城、皇居。天上の宮殿には九つの門がある、世界観が九であり、天もちも九に別れているそれぞれの門という伝承に基づく。
11. 万乗 「天子」を意味する。多くの乗りもの。諸侯は千乗(台)の兵事、天子は万乗の兵事を出す土地を有する、という考えかた。
12. 謔浪 自由自在にふざけ戯れる。
13. 赤墀 (せきち)宮殿に登る朱塗りの階段。
14 青瑣 (せいさ)宮殿の窓の縁を飾る瑣形の透かし彫りの紋様。青くぬってある。「赤墀・青瑣」は、宮殿や宮廷自体をも表わす。
玉壺吟 #1
(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)
烈士擊玉壺,壯心惜暮年。
我は、烈士の志をもつ者であると自任している、胸におさめた不平を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って詠い、今年の歳暮であるが、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように何か手柄を立てたいと思っており、だから次第に老いてゆく年を惜しんでいる。
三杯拂劍舞秋月,忽然高詠涕泗漣。
かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
鳳凰初下紫泥詔,謁帝稱觴登御筵。
紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。
揄揚九重萬乘主,謔浪赤墀青瑣賢。
九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
#2
朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬をいくたび何度も取り換えことなどを勅令により、また、白い珊瑚の握りの玉で飾った美しい鞭を賜わった。
世人不識東方朔,大隱金門是謫仙。
いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。
西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。
絶世の美人、西施は、笑い顔は言うに及ばず、胸を病んでしかめ顔をしたときでも、浅はかな醜女が真似をしたことで、帰って実を煩わしてということがあるので、自分の詩文の才芸をいかなる場合でも役立てるつもりでいるものの、つまらねものが形ばかりの真似をされて、価値をおとしめられるというのは辟易することである。
君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。
また、女にして言えば、その容貌、才芸に優れているとして、君王の寵愛をうけるというのはありがたく喜ばしいことであるけれど、宮中においては、これがとかく、妬み、嫉みとなり、讒言、陰謀を構えるに至っては、どう対処してよいやら如何ともしがたいのである。
(玉壺吟)
烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。
三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。
鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴【さかずき】を稱げえて御筵に登る。
揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。
天に朝して數しば換う飛龍の馬、敕【みことのり】して賜う珊瑚の白玉の鞭。
世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。
西施 笑に宜しく復た顰【ひん】すること宜し、醜女は之に效【なら】いて徒【いたずら】に身を累す。
君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。
『玉壺吟』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2
朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。
世人不識東方朔,大隱金門是謫仙。
西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。
君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。
(下し文)
#2
天に朝して數しば換う飛龍の馬、敕【みことのり】して賜う珊瑚の白玉の鞭。
世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。
西施 笑に宜しく復た顰【ひん】すること宜し、醜女は之に效【なら】いて徒【いたずら】に身を累す。
君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。
(現代語訳)
#2
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬をいくたび何度も取り換えことなどを勅令により、また、白い珊瑚の握りの玉で飾った美しい鞭を賜わった。
いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。
絶世の美人、西施は、笑い顔は言うに及ばず、胸を病んでしかめ顔をしたときでも、浅はかな醜女が真似をしたことで、帰って実を煩わしてということがあるので、自分の詩文の才芸をいかなる場合でも役立てるつもりでいるものの、つまらねものが形ばかりの真似をされて、価値をおとしめられるというのは辟易することである。
また、女にして言えば、その容貌、才芸に優れているとして、君王の寵愛をうけるというのはありがたく喜ばしいことであるけれど、宮中においては、これがとかく、妬み、嫉みとなり、讒言、陰謀を構えるに至っては、どう対処してよいやら如何ともしがたいのである。
(訳注)
玉壺吟 #2
(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)
1. 玉壺吟 「玉壷を傾けて酔余の歌」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。
朝天數換飛龍馬、敕賜珊瑚白玉鞭。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬をいくたび何度も取り換えことなどを勅令により、また、白い珊瑚の握りの玉で飾った美しい鞭を賜わった。
○飛龍馬 駿馬。「飛龍厩」は、玄武門外重武門の厩の名。「使(軍府)内の六厩、飛龍厩を最も上乗の馬と為す」(『資治通鑑』「唐紀二十五」の胡三省注)。翰林院の学士や供奉は、初めて職につくと、飛龍厩の駿馬を貸し与えられた。(元桓「折西大夫李徳裕の《述夢》に奉和す、四十韻」の自注〔『元棍集外集』巻七、続補一〕)。「使(軍府)内の六厩、飛龍厩を最も上乗の馬と為す」(『資治通鑑』「唐紀二十五」の胡三省注)。翰林院の学士や供奉は、初めて職につくと、飛竜厩の駿馬を貸し与えられた。(元桓「折西大夫李徳裕の《述夢》に奉和す、四十韻」の自注〔『元棍集外集』巻七、続補一〕)。
(飛龍使) 官名。 唐696年萬歲通天元年、在殿中省置飛龍等六廄, 飼養皇室馬匹, 由殿中丞主管以宦官為飛龍使。殿中省の條には武后萬歳通天元年に仗内六閑(飛龍、祥麟、鳳苑、鵷鸞、吉良、六羣〉別称六厩、として創立されたとある。また別に《通典》巻二にも見える。
唐の国営の馬政は、最盛期には、 隴西、蘭州、平涼、秦州にまたがる48の監牧に70万頭の軍馬が放牧されていた。 ところが、この48の監牧の地は皆、安史の乱に乗じた 吐蕃帝国の侵攻のために全て奪われた。唐には、国営の放牧場である監牧の他に、閑厩というものもある。 仗外閑厩・仗内閑厩(仗内六閑)のうち、仗内閑厩は皇帝の使用や宮城防衛のためのもので長安周辺にあった 。そして、安史の乱以前は、働いて疲れたり怪我をした馬は、監牧の豊かな草地に放して休養させていた。 しかし安史の乱後の監牧が失われたために、軍馬の総数が激減した。禁中にあった 飛龍厩以外の五つの閑厩は、既に名目だけの存在になった。 飛龍厩は玄武門のすぐ北に位置しており、あくまで長安の三宮(皇城、大明宮、興慶宮)を守るのが主体で、正規軍の何万頭もの軍馬を充分に放牧できる空間を確保できるほどのものではないのである。この馬の不足は、唐の駅伝制の崩壊も起こすことになる。(杜甫の詩にも、多く取り上げ、その問題点を指摘している。紀頌之の杜甫のブログ房琯関連に詳しく述べている。)
世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。
いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。
○東方朔 漢の武帝に仕えた滑稽文学者をさすが、ここでは、李白、自分自身をたとえた。
○大隠金門 最上級の隠者は、金馬門(翰林院)に隠棲する。東方朔が酒宴で歌った歌詞に「世を金馬門に避く。宮殿の中にも以って世を避け身を全うす可し」とあるのを踏まえた。晋の王康裾の「反招隠」詩にも、「小隈は陵薮(山沢)に隠れ、大隠は朝市(朝廷や市場)に隠る」とある。
○謫仙 天上界から人間界に流されてきた仙人。李白、五言律詩「対酒憶賀監并序」(酒に対して賀監を憶う―参照)。
西施宜笑復宜顰、醜女效之徒累身。
絶世の美人、西施は、笑い顔は言うに及ばず、胸を病んでしかめ顔をしたときでも、浅はかな醜女が真似をしたことで、帰って実を煩わしてということがあるので、自分の詩文の才芸をいかなる場合でも役立てるつもりでいるものの、つまらねものが形ばかりの真似をされて、価値をおとしめられるというのは辟易することである。
○西施 - 春秋時代の越の国の美女。中国の代表的な美女、と意識されている。○醜女効之徒累身 「累」は、苦しめる、疲労させる。宋本では「集」に作るが、景宋威淳本・王本などによって改める。此の句は、上旬と合せて『荘子』(「天運」篇)の説話を踏まえる。西施が胸を病んで眉をしかめる(噺する)と、その里の醜女がそれを効ねて、胸に手をあてて眉をしかめていっそう醜くなった。李白は自分を西施にたとえ、宮中の小人たちを醜女にたとえている。ブログ西施物語、参照。(紀 頌之の漢詩ブログ)
君王雖愛蛾眉好、無奈宮中妒殺人。
また、女にして言えば、その容貌、才芸に優れているとして、君王の寵愛をうけるというのはありがたく喜ばしいことであるけれど、宮中においては、これがとかく、妬み、嫉みとなり、讒言、陰謀を構えるに至っては、どう対処してよいやら如何ともしがたいのである。
○蛾眉 蛾の眉のような、三日月なりの細く美しい眉。また、その美女。李白「怨情」。。(紀 頌之の漢詩ブログ)白居易「長恨歌」では、楊貴妃を示す比喩に使っている。ここでも楊貴妃を示す。また李白自身をかけている。○妬殺 ひどく妖妬する。「殺」は動詞を強める助字。
初めて職につくと、飛竜厩の駿馬を貸し与えられた。(元槇「折西大夫李徳裕の〔述夢〕に奉和す、四十韻」の自注〔『元槇集外集』巻七、続補一〕)。
1. 玉壺吟 「玉壷を傾けて酔余の歌」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。
烈士擊玉壺,壯心惜暮年。
我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。
2. 烈士擊玉壺,壯心惜暮年。 晋の王敦は、酒に酔うといつも、「老驥(老いた駿馬)は櫪(馬小舎)に伏すも、志は千里に在り。烈士は莫年(暮年・老年)なるも、壮心已まず」(曹操「歩出夏門行」)と詠い、如意棒で痰壷をたたいたので、壷のロがみな欠けてしまった。(『世説新語』「豪爽、第十三」の四)。壯心:いさましい気持ち、壮大な志。
曹操《歩出夏門行 神龜雖壽》
神龜雖壽,猶有竟時。騰蛇乘霧,終爲土灰。
老驥伏櫪,志在千里。烈士暮年,壯心不已。
盈縮之期,不但在天。養怡之福,可得永年。
幸甚至哉,歌以詠志。
(歩出夏門行 神龜 壽なりと雖も。)
神龜は壽なりと雖も,猶ほ竟をはるの時 有り。騰蛇は霧に乘ぜども,終に土灰と爲る。
老驥櫪に伏せども,志は千里に在り。烈士暮年 に,壯心已まず。
盈縮の期は,但だに天のみに 在らず。養怡の福は,永年を 得べし。
幸 甚はだ 至れる哉,歌ひて以て 志を詠えいず。
3. 三杯 故事「一杯(いっぱい)は人酒を飲む二杯は酒酒を飲む三杯は酒人を飲む」飲酒は、少量のときは自制できるが、杯を重ねるごとに乱れ、最後には正気を失ってしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒め。「遲到是要罰酒三杯的哦.」罰酒三杯:駆け付け三杯[カケツケサンバイ]酒宴に遅れた者に対する罰として,続けて酒を3杯飲ませること
杜甫《卷二 故武衛將軍挽詞三首其二》「 舞劍過人絕,鳴弓射獸能。銛鋒行怯順,猛噬失嘂蹻騰。赤羽千夫膳,黃河十月冰。橫行沙漠外,神速至今稱。」
杜甫《卷二○99 觀公孫大娘弟子舞劍器行並序》 「昔有佳人公孫氏,一舞劍器動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。」
唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。
4. 高詠 声高に詠う。
5. 涕泗 なみだ。「沸」は目から、「酒」は鼻から流れるもの。
6. 鳳凰初下紫泥詔 鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。
7. 稱觴 觴(さかずき)を挙げる。
8. 御筵 皇帝の設けた宴席。
10 九重 宮城、皇居。天上の宮殿には九つの門がある、世界観が九であり、天もちも九に別れているそれぞれの門という伝承に基づく。
11. 万乗 「天子」を意味する。多くの乗りもの。諸侯は千乗(台)の兵事、天子は万乗の兵事を出す土地を有する、という考えかた。
12. 謔浪 自由自在にふざけ戯れる。
13. 赤墀 (せきち)宮殿に登る朱塗りの階段。
14 青瑣 (せいさ)宮殿の窓の縁を飾る瑣形の透かし彫りの紋様。青くぬってある。「赤墀・青瑣」は、宮殿や宮廷自体をも表わす。
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