李太白集 374《太白巻六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》 (高堂粉壁圖蓬瀛) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7448
- 2016/03/06
- 21:45
李白詩 同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1
高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。
洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。
光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。
(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった) 君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。
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年:743年天寶二年43歳 94首-(56)
卷別: 卷一六六 文體: 七言古詩
詩題: 同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌
作地點: 目前尚無資料
及地點: 金城 (京畿道 京兆府 金城) 別名:興平
赤城山 (江南東道 台州 台州)
山陰 (江南東道 越州 山陰)
交遊人物/地點:李叔卿 當地交遊
同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1
(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)
高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。
君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。
洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。
すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。
光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。
その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。
#2
迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。
了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。
與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。
卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。
(族弟の金城の尉 叔卿と同じく“燭して山水の壁畫を照す”の歌) #1
高堂の粉壁 蓬瀛を圖し,燭前 一見す 滄洲の清きを。
洪波 洶湧して山崢嶸,皎として 丹丘より海を隔てて赤城を望むが若し。
光中 乍ち喜ぶ 嵐氣の滅するを,謂う 山陰 晴後の雪に逢いたるかと。
#2
迴溪 碧流 寂として喧無く,又た 秦が月下に花源を窺が如し。
了然として覺えず 心魂を清うし,祗だ 疊嶂を將て秋猿を鳴かしむ。
君と此に對して 歡 未だ歇まず,放歌 行吟 明發に達す。
卻って顧る 海客の雲帆を揚ぐるを,便ち之に因って溟渤に向わんと欲す。
『同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌』 現代語訳と訳註解説
(本文)
同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1
高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。
洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。
光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。
(下し文)
(族弟の金城の尉 叔卿と同じく“燭して山水の壁畫を照す”の歌) #1
高堂の粉壁 蓬瀛を圖し,燭前 一見す 滄洲の清きを。
洪波 洶湧して山崢嶸,皎として 丹丘より海を隔てて赤城を望むが若し。
光中 乍ち喜ぶ 嵐氣の滅するを,謂う 山陰 晴後の雪に逢いたるかと。
(現代語訳)
同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)
君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。
すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。
その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。
(訳注)
同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1
(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)
1 金城 金城は京兆府興平縣〔馬嵬-茂陵の間にある〕。
2 城尉叔卿 李季卿《三墳記》「先侍郎之子叔卿、字萬天骨琅琅,德(闕一字)文蔚。識度標邁,弱冠以明(闕一字)觀國,蒞鹿邑虞鄉二尉。巍守崔公沔洎相國晉公(闕二字)甲科第之進等舉之,・・・轉金城尉,曹無受謝,吏不敢(闕四字)卷行於世。」(先侍郎の子叔卿という、字は萬。天骨 琅琅,德光 文蔚。識度 標邁,弱冠にして明を以って國を觀て,鹿邑 虞鄉の二尉を蒞けらる。巍守 崔公沔は洎相國晉公 甲科 之を第せしめ 進等 之を舉げ,・・・金城の尉に轉ず,曹謝を受ける無し,吏 敢えて世に卷行せず。)とあって、李白の族弟だけに、一廉の人物であったと見える。
3この詩は、族弟金城の尉李叔卿を訪い、花、燭を秉って、一所に其家の山水の壁画を見たるに因って、この詩を作ったという意。この頃は、宮殿や寺観ばかりでなく、すこし大きな家では名手に壁画を作らせたものと見える。
高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。
君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。
4 粉壁 漆喰の白壁。
5 蓬瀛 蓬莱と瀛洲、方丈、東海中の神仙三山島。
6 滄州 1 青々とした水に囲まれた州浜。人里を離れた水辺。2 仙人や隠者の住んでいる所。隠者の棲む場所。東海の神仙三山の海、滄海が臨めるあたり。
洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。
すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。
7 洪波 大きな波。おおなみ。洪濤(こうとう)。
8 崢嶸 ① 山が高く険しい・こと(さま)。 ② 人生の苦難に満ちている・こと(さま)。
9 丹丘 昼夜常に明るいところを言う。《楚辞、遠遊》に「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷」、(羽人に丹丘に仍【したが】い、不死の旧郷に留る)孫綽「遊天台山賦」に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」(羽人に丹丘に仍【したが】い、尋ねば福庭に死なず)とある。
10 赤城 赤城は孫綽賦にある、天台山を代表する赤城山。赤城山は赤土の砂礫が層をなしており、あたかも城壁のようであるのでこの名がついた。また、その石が赤く輝いていて朝焼けのようであるということで、朝靄夕霞が漂い纏うこの山にまつわる慣である。
天台山(てんだいさん)は、中国浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。洞栢峰・仏隴峰・赤城峰・瀑布峰などの峰々が存在する。中国三大霊山の一つ。仏教との関係では、呉の赤烏中(238年 - 251年)に仏教寺院が建立された、という伝承がある。支遁や曇光、竺曇猷らの僧が、この山中に住した。また、後漢のころから道教の聖地ともされていた。石橋の下から流れ落ちる滝がある。
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光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。
その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。
11 嵐氣 嵐は山気。
12 山陰 春秋時代の越(えつ)の都で、秦(しん)代に山陰県が置かれ、唐代になって会稽(かいけい)、山陰の2県が設けられた。《唐地理志》「在山陰縣、会稽山在北」
同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1
(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)
高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。
君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。
洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。
すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。
光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。
その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。
#2
迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。
めぐって走る谷川の流は、その色碧にして、水はひたひたと湛え、勿論、画であるから騒がしい瀬の音は少しもないけれど、たとえば秦人が月下に桃花源を窺って、やがて其処を自分の住居と定めたのである。
了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。
しかし、その風光は、了然としで、心魂を清くし、重なる峰の間には、秋の猿が鳴き叫ぶような気がした。
與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。
今や君と共にこの図にたいし、名手の技巧を見ては、嬉しくてたまらす、放歌高吟して明旦に達する位である。
卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。
ここに自分は、物外に逍遥したいという願望が、いやが上にもましたから、もし海客が雲帆を揚げて、遠く去ることがあるならば、自分は、これに頼んで、はるか遠い北溟渤海に向い、海中に於で、この図に見るような仙境に出合いたいと思うのである。
(族弟の金城の尉 叔卿と同じく“燭して山水の壁畫を照す”の歌) #1
高堂の粉壁 蓬瀛を圖し,燭前 一見す 滄洲の清きを。
洪波 洶湧して山崢嶸,皎として 丹丘より海を隔てて赤城を望むが若し。
光中 乍ち喜ぶ 嵐氣の滅するを,謂う 山陰 晴後の雪に逢いたるかと。
#2
迴溪 碧流 寂として喧無く,又た 秦が月下に花源を窺が如し。
了然として覺えず 心魂を清うし,祗だ 疊嶂を將て秋猿を鳴かしむ。
君と此に對して 歡 未だ歇まず,放歌 行吟 明發に達す。
卻って顧る 海客の雲帆を揚ぐるを,便ち之に因って溟渤に向わんと欲す。
『同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2
迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。
了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。
與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。
卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。
(下し文)
#2
迴溪 碧流 寂として喧無く,又た 秦が月下に花源を窺が如し。
了然として覺えず 心魂を清うし,祗だ 疊嶂を將て秋猿を鳴かしむ。
君と此に對して 歡 未だ歇まず,放歌 行吟 明發に達す。
卻って顧る 海客の雲帆を揚ぐるを,便ち之に因って溟渤に向わんと欲す。
(現代語訳)
#2
めぐって走る谷川の流は、その色碧にして、水はひたひたと湛え、勿論、画であるから騒がしい瀬の音は少しもないけれど、たとえば秦人が月下に桃花源を窺って、やがて其処を自分の住居と定めたのである。
しかし、その風光は、了然としで、心魂を清くし、重なる峰の間には、秋の猿が鳴き叫ぶような気がした。
今や君と共にこの図にたいし、名手の技巧を見ては、嬉しくてたまらす、放歌高吟して明旦に達する位である。
ここに自分は、物外に逍遥したいという願望が、いやが上にもましたから、もし海客が雲帆を揚げて、遠く去ることがあるならば、自分は、これに頼んで、はるか遠い北溟渤海に向い、海中に於で、この図に見るような仙境に出合いたいと思うのである。
同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌
(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)
1 金城 金城は京兆府興平縣〔馬嵬-茂陵の間にある〕。
迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。
めぐって走る谷川の流は、その色碧にして、水はひたひたと湛え、勿論、画であるから騒がしい瀬の音は少しもないけれど、たとえば秦人が月下に桃花源を窺って、やがて其処を自分の住居と定めたのである。
13 秦人月下窺花源 陶淵明の《桃花源詩》「瀛氏亂天紀、賢者避其世。」(瀛氏 天紀を 亂し,賢者 其の世を 避く。)秦の皇帝瀛氏は暴政を行い、世界の秩序をみだしたので、賢者たちは世をのがれて隠遁した。とあるに基づく。
14 花源 桃花源:陶淵明が「桃花源の詩」とその序でえがいた理想郷
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了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。
しかし、その風光は、了然としで、心魂を清くし、重なる峰の間には、秋の猿が鳴き叫ぶような気がした。
15 疊嶂 山峰;嶂:直立像屏障的山;層、迭:重複,一層加上一層。形容山峰起伏,連綿重迭。
與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。
今や君と共にこの図にたいし、名手の技巧を見ては、嬉しくてたまらす、放歌高吟して明旦に達する位である。
16 明發 早朝、夜が明けて光が発する時。
卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。
ここに自分は、物外に逍遥したいという願望が、いやが上にもましたから、もし海客が雲帆を揚げて、遠く去ることがあるならば、自分は、これに頼んで、はるか遠い北溟渤海に向い、海中に於で、この図に見るような仙境に出合いたいと思うのである。
17 溟渤 北溟渤海を合称す。
同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 【字解】
1 金城 金城は京兆府興平縣〔馬嵬-茂陵の間にある〕。
2 城尉叔卿 李季卿《三墳記》「先侍郎之子叔卿、字萬天骨琅琅,德(闕一字)文蔚。識度標邁,弱冠以明(闕一字)觀國,蒞鹿邑虞鄉二尉。巍守崔公沔洎相國晉公(闕二字)甲科第之進等舉之,・・・轉金城尉,曹無受謝,吏不敢(闕四字)卷行於世。」(先侍郎の子叔卿という、字は萬。天骨 琅琅,德光 文蔚。識度 標邁,弱冠にして明を以って國を觀て,鹿邑 虞鄉の二尉を蒞けらる。巍守 崔公沔は洎相國晉公 甲科 之を第せしめ 進等 之を舉げ,・・・金城の尉に轉ず,曹謝を受ける無し,吏 敢えて世に卷行せず。)とあって、李白の族弟だけに、一廉の人物であったと見える。
3この詩は、族弟金城の尉李叔卿を訪い、花、燭を秉って、一所に其家の山水の壁画を見たるに因って、この詩を作ったという意。この頃は、宮殿や寺観ばかりでなく、すこし大きな家では名手に壁画を作らせたものと見える。
4 粉壁 漆喰の白壁。
5 蓬瀛 蓬莱と瀛洲、方丈、東海中の神仙三山島。
6 滄州 1 青々とした水に囲まれた州浜。人里を離れた水辺。2 仙人や隠者の住んでいる所。隠者の棲む場所。東海の神仙三山の海、滄海が臨めるあたり。
7 洪波 大きな波。おおなみ。洪濤(こうとう)。
8 崢嶸 ① 山が高く険しい・こと(さま)。 ② 人生の苦難に満ちている・こと(さま)。
9 丹丘 昼夜常に明るいところを言う。《楚辞、遠遊》に「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷」、(羽人に丹丘に仍【したが】い、不死の旧郷に留る)孫綽「遊天台山賦」に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」(羽人に丹丘に仍【したが】い、尋ねば福庭に死なず)とある。
10 赤城 赤城は孫綽賦にある、天台山を代表する赤城山。赤城山は赤土の砂礫が層をなしており、あたかも城壁のようであるのでこの名がついた。また、その石が赤く輝いていて朝焼けのようであるということで、朝靄夕霞が漂い纏うこの山にまつわる慣である。
天台山(てんだいさん)は、中国浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。洞栢峰・仏隴峰・赤城峰・瀑布峰などの峰々が存在する。中国三大霊山の一つ。仏教との関係では、呉の赤烏中(238年 - 251年)に仏教寺院が建立された、という伝承がある。支遁や曇光、竺曇猷らの僧が、この山中に住した。また、後漢のころから道教の聖地ともされていた。石橋の下から流れ落ちる滝がある。
盛唐詩 越中逢天臺太乙子#2 孟浩然<30> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350 -337
盛唐詩 尋天台山 孟浩然<31> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -338
11 嵐氣 嵐は山気。
12 山陰 春秋時代の越(えつ)の都で、秦(しん)代に山陰県が置かれ、唐代になって会稽(かいけい)、山陰の2県が設けられた。《唐地理志》「在山陰縣、会稽山在北」
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- カテゴリ:李太白集 卷六
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