李太白集 380《太白巻十六08 送竇司馬貶宜春》 (天馬白銀鞍,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7478
- 2016/03/12
- 21:17
天馬白銀鞍,親承明主歡。鬥雞金宮裡,射雁碧雲端。
堂上羅中貴,歌鍾清夜闌。何言謫南國,拂劍坐長歎。
趙璧為誰點,隋珠枉被彈。聖朝多雨露,莫厭此行難。
(竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送った詩) 今まで、君は、天馬に白銀の鞍を置いて、得意に乗りまわし、しずしずと入朝して、親しく明主の歓心を承けていた。そして、鶏を金宮の庭裏に闘わしたり、雁を碧雲の端より射落したりして、天子の御側に奉仕してきた。それから、家に還れば、堂上に中貴人の輩を列坐せしめ、歌鐘に興を添へで.晴夜、すでに闌にならむとする頃に及び、まことに富貴栄華を極めて居た。しかも、どうして罪に問われたのかわからず、一朝罪を得て、遠く南方の宜春に貶謫せられるということであるが、覚悟のうえで、剣を彿って長嘆し、感慨に堪へぬ有様であるが、潔くいかれるであろう。君の才彼を以てして、今次の貶謫に遭遇したのは、たとえば、莊子が言う、趙に伝わる“和氏の璧”が何者かに汚され、“随侯の明珠を以て、雀か何かを弾ずる”ようなもので、まことに、不幸の至である。しかし、聖明の世には雨露多く、いづれ遠からぬ内に、一切の事がわかって、召し還されるに相違ないから、この貶謫の行の困難を厭わず、何事も運命と諦めて、兎に角、出かけたら善かろう。
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年:743年天寶二年43歳 94首-(63)
卷別: 卷一七六 文體: 五言古詩
詩題: 送竇司馬貶宜春
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點:袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春
交遊人物/地點:竇司馬 當地交遊 (京畿道 京兆府 長安)
送竇司馬貶宜春
(竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送った詩)
天馬白銀鞍,親承明主歡。
今まで、君は、天馬に白銀の鞍を置いて、得意に乗りまわし、しずしずと入朝して、親しく明主の歓心を承けていた。
鬥雞金宮裡,射雁碧雲端。
そして、鶏を金宮の庭裏に闘わしたり、雁を碧雲の端より射落したりして、天子の御側に奉仕してきた。
堂上羅中貴,歌鍾清夜闌。
それから、家に還れば、堂上に中貴人の輩を列坐せしめ、歌鐘に興を添へで.晴夜、すでに闌にならむとする頃に及び、まことに富貴栄華を極めて居た。
何言謫南國,拂劍坐長歎。
しかも、どうして罪に問われたのかわからず、一朝罪を得て、遠く南方の宜春に貶謫せられるということであるが、覚悟のうえで、剣を彿って長嘆し、感慨に堪へぬ有様であるが、潔くいかれるであろう。
趙璧為誰點,隋珠枉被彈。
君の才彼を以てして、今次の貶謫に遭遇したのは、たとえば、莊子が言う、趙に伝わる“和氏の璧”が何者かに汚され、“随侯の明珠を以て、雀か何かを弾ずる”ようなもので、まことに、不幸の至である。
聖朝多雨露,莫厭此行難。
しかし、聖明の世には雨露多く、いづれ遠からぬ内に、一切の事がわかって、召し還されるに相違ないから、この貶謫の行の困難を厭わず、何事も運命と諦めて、兎に角、出かけたら善かろう。
(竇司馬の宜春に貶せらるるを送る)
天馬 白銀の鞍,親ら明主の歡を承く。
鬥雞 金宮の裡,雁を射る 碧雲の端。
堂上には 中貴を羅ね,歌鍾 清夜闌【たけなわ】なり。
何ぞ言わん 南國に謫せられ,劍を拂いて坐して長歎す。
趙璧 誰が為に點ずる,隋珠 枉げて彈せらる。
『送竇司馬貶宜春』 現代語訳と訳註解説
(本文)
送竇司馬貶宜春
天馬白銀鞍,親承明主歡。
鬥雞金宮裡,射雁碧雲端。
堂上羅中貴,歌鍾清夜闌。
何言謫南國,拂劍坐長歎。
趙璧為誰點,隋珠枉被彈。
聖朝多雨露,莫厭此行難。
(下し文)
(竇司馬の宜春に貶せらるるを送る)
天馬 白銀の鞍,親ら明主の歡を承く。
鬥雞 金宮の裡,雁を射る 碧雲の端。
堂上には 中貴を羅ね,歌鍾 清夜闌【たけなわ】なり。
何ぞ言わん 南國に謫せられ,劍を拂いて坐して長歎す。
趙璧 誰が為に點ずる,隋珠 枉げて彈せらる。
聖朝 雨露多し,此の行 難きを厭う莫れ。
(現代語訳)
(竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送った詩)
今まで、君は、天馬に白銀の鞍を置いて、得意に乗りまわし、しずしずと入朝して、親しく明主の歓心を承けていた。
そして、鶏を金宮の庭裏に闘わしたり、雁を碧雲の端より射落したりして、天子の御側に奉仕してきた。
それから、家に還れば、堂上に中貴人の輩を列坐せしめ、歌鐘に興を添へで.晴夜、すでに闌にならむとする頃に及び、まことに富貴栄華を極めて居た。
しかも、どうして罪に問われたのかわからず、一朝罪を得て、遠く南方の宜春に貶謫せられるということであるが、覚悟のうえで、剣を彿って長嘆し、感慨に堪へぬ有様であるが、潔くいかれるであろう。
君の才彼を以てして、今次の貶謫に遭遇したのは、たとえば、莊子が言う、趙に伝わる“和氏の璧”が何者かに汚され、“随侯の明珠を以て、雀か何かを弾ずる”ようなもので、まことに、不幸の至である。
しかし、聖明の世には雨露多く、いづれ遠からぬ内に、一切の事がわかって、召し還されるに相違ないから、この貶謫の行の困難を厭わず、何事も運命と諦めて、兎に角、出かけたら善かろう。
送竇司馬貶宜春
(竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送った詩)
1 宜春 唐時の宜春郡は、即ち袁州で、江南西道に隷して、上州であった。袁州は中国にかつて存在した州。現在の江西省宜春市。前201年、漢朝により設置された宜春県である。前129年に宜春侯国とされたが、前112年に廃止となり宜春県が再び設置された。591年(開皇11年)、袁州を設置し、宜陽県(526年に宜春県と改称)に州治を置く。607年(大業3年)、袁州を宜春郡と改称した。
2 司馬 上州には、潮史長史の下に司馬一人あって、従五品である。春秋時代までは軍事の最高指揮官で,漢代には中央政府の最高官の一つとして大司馬が置かれたことがある。別に軍の最高指揮官が将軍になると,将軍や都督の属官としての司馬が生まれた。魏晋南北朝時代には公府や軍府の幕僚で長史に次ぐ位として司馬があった。隋,唐には州にも置かれ,宋以後にはなくなったが,後世に中央政府では兵部尚書を,地方官では府同治のことを司馬と雅称することがあった。
3【解説】この詩は、竇某が何か罪を得て、宜春の司馬に貶せられ、いよいよ赴任するに際し、慰藉の意を寓して、その行を送ったのである。
前半六句は往日の豪貴、後年六句は今日の貶謫で、結句二句は慰藉の意を寓して居る。
天馬白銀鞍,親承明主歡。
今まで、君は、天馬に白銀の鞍を置いて、得意に乗りまわし、しずしずと入朝して、親しく明主の歓心を承けていた。
4 白銀鞍 優れた良い馬に着ける馬具を言う。陳の後主の樂府に「蹀躞紫騮馬,照耀白銀鞍。」(蹀躞す紫騮の馬,照耀す白銀の鞍。)とある。陳叔寶(553—604),字元秀,南朝陳最後一位皇帝。公元582年—589年在位。
《樂府詩集》二十四。《詩紀》九十八。
嫖姚紫塞歸,蹀躞紅塵飛。玉珂鳴廣路,金絡耀晨輝。
蓋轉時移影,香動屢驚衣。禁門猶未閉,連騎恣相追。
蹀躞紫騮馬,照耀白銀鞍。直去黃龍外,斜趨玄菟端。
垂鞬還細柳,揚塵歸上蘭。
鬥雞金宮裡,射雁碧雲端。
そして、鶏を金宮の庭裏に闘わしたり、雁を碧雲の端より射落したりして、天子の御側に奉仕してきた。
5 鬥雞 《『荘子』達成篇 十九》紀省子爲王養闘鶏。十日而問、鷄已乎。曰、未也。方虚驕而恃氣。十日又問。曰、未也。猶應響景。十日又問。曰、未也。猶疾視而盛氣。十日又問。曰、幾矣。鷄雖有鳴者、已無変矣。望之似木鷄矣。其徳全矣。異鷄無敢應者、反走矣。』(紀渻子、王の為に闘鶏を養ふ。 十日にして問ふ、 鶏は已にするや、と。 曰く、未だなり、方に虚憍にして気を恃む、と。 十日にして又た問ふ、曰く、 未だなり、猶ほ嚮景に応ず、と。十日にして又た問ふ、曰く、未だなり、猶ほ疾視して気を盛んにす、と。十日にして又た問ふ、曰く、 幾し。 鶏に鳴く者有りと雖も、已に変ずる無し。 之に望むに木鶏に似たり。
其の徳は全し。 異鶏に敢へて応ずる者無く、反りて走る、と)
二羽のニワトリを左右につがえて蹴り合わせる鶏合わせ=闘鶏は、もともとその勝敗により神意を判定する神占であった。中国古代の黄帝時代に、蒼頡(そうけつ)が鳥の足跡を見て漢字を作ったという故事を踏まえて詠まれたとされている。
堂上羅中貴,歌鍾清夜闌。
それから、家に還れば、堂上に中貴人の輩を列坐せしめ、歌鐘に興を添へで.晴夜、すでに闌にならむとする頃に及び、まことに富貴栄華を極めて居た。
6 中貴 宮中において幅をきかしていた宦官。李白《古風五十九首之二十四》「中貴多黃金,連雲開甲宅。」(中貴は 黄金多く、雲に連なって 甲宅を開く。)これは宮中の宦官が君寵を得て、さも得意げに振る舞って、いばっているやからが黄金を沢山ため込んでいる、その家の瓦は雲が連なっているような大邸宅を建てている。
24 《古風五十九首之二十四》Index-10Ⅱ― 6-731年開元十九年31歳100古風,五十九首之十六寶劍雙蛟龍, <24> Ⅰ李白詩1181 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4453
7 歌鍾 歌声に合わせて鐘を敲いて躍る。後宮の宴で妓優が演じる芸。
何言謫南國,拂劍坐長歎。
しかも、どうして罪に問われたのかわからず、一朝罪を得て、遠く南方の宜春に貶謫せられるということであるが、覚悟のうえで、剣を彿って長嘆し、感慨に堪へぬ有様であるが、潔くいかれるであろう。
趙璧為誰點,隋珠枉被彈。
君の才彼を以てして、今次の貶謫に遭遇したのは、たとえば、莊子が言う、趙に伝わる“和氏の璧”が何者かに汚され、“随侯の明珠を以て、雀か何かを弾ずる”ようなもので、まことに、不幸の至である。
8 趙璧 春秋時代の楚(そ)の人。山中で得た宝玉の原石を楚の厲王(れいおう)に献じたが信じてもらえず左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。
9 為誰點 白璧に青蝇がとまってよごしたこと。卑劣な讒言をするもののことを言う。陳子昂 《宴胡楚真禁所》詩: “青蠅一相點, 白璧遂成冤。”青蠅玷白璧, 比喻讒人陷害忠良。
10 隋珠 「隋珠を以て雀を弾(う)つ」 得るところが少なくて、失うところが多いことの例え。《莊子‧讓王》「今且有人於此, 以隨侯之珠,彈千仞之雀, 世必笑之。 是何也?則其所用者重, 而所要者輕也。」(今且つ此於に人有り,隨侯の珠を以て,千仞の雀を彈ぜば, 世必ず之を笑わん。 是れ何ぞや?則ち其の用うる所の者重くして,要する所の者輕ければ也。)《捜神記》 隋侯珠:隋県(湖北省)を流れる溠水のほとりに、断蛇邱という丘がある。昔、隋侯がこのあたりまで出かけて来たときに、大蛇が傷を負って、胴体のなかほどから断ち切られているのを見かけ、霊ある蛇ではないかと思ったので、家来に命じて薬を塗り包帯をしてやった。すると、蛇はやっと動けるようになったのであった。そこでこの場所を断蛇邱と呼ぶようになったのである。
それから一年あまりたって、蛇が明るく光る珠をお礼のしるしにくわえて来た。珠は直径一寸、純白で、夜になると光を放つ。それは月の光のように明るくて、部屋を照らすことができた。だからこの珠は、隋侯珠・霊蛇珠、あるいは明月珠と呼ばれる。その丘の南には隋の大夫、李良の池がある。
聖朝多雨露,莫厭此行難。
しかし、聖明の世には雨露多く、いづれ遠からぬ内に、一切の事がわかって、召し還されるに相違ないから、この貶謫の行の困難を厭わず、何事も運命と諦めて、兎に角、出かけたら善かろう。
11 聖朝 当代の朝廷や天子を敬っていう語。
12 多雨露 雨露をしのぐということが多いということもあるが、天子に慶弔もあり、恩赦、特赦ということが必ずあるということを言う。
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