李太白集 388《太白巻十六26 送祝八之江東賦得浣紗石》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7528
- 2016/03/23
- 22:00
李白 送祝八之江東賦得浣紗石
西施越溪女,明豔光雲海。未入吳王宮殿時,浣紗古石今猶在。
桃李新開映古查,菖蒲猶短出平沙。
(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)
西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。
李太白集 388《太白巻十六26 送祝八之江東賦得浣紗石》 李白 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7528 |
743年(71) | 送祝八之江東賦得浣紗石 |
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李太白集卷十六23 | 390 | Index-23Ⅲ-2 | 743年天寶二年43歳 94首-(71) |
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年:743年天寶二年43歳 94首-(71)
卷別: 卷一七六 文體: 雜言古詩
詩題: 送祝八之江東賦得浣紗石
作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點: 浣紗石 (江南東道 越州 會稽)
交遊人物/地點:祝八 當地交遊(京畿道 京兆府 長安)
送祝八之江東賦得浣紗石
西施越溪女,明豔光雲海。
未入吳王宮殿時,浣紗古石今猶在。
桃李新開映古查,菖蒲猶短出平沙。
(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)
西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。
そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。
その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。
(祝八の江東に之くを送り浣紗石を賦し得る)
西施は越溪の女,明豔 雲海に光る。
未だ吳王の宮殿に入らざる時,浣紗の古石 今 猶お在り。
桃李 新たに開いて 古查に映じ,菖蒲 猶お短く 平沙を出づ。
昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。
君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。
若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。
『送祝八之江東賦得浣紗石』 現代語訳と訳註解説
(本文)
送祝八之江東賦得浣紗石
西施越溪女,明豔光雲海。
未入吳王宮殿時,浣紗古石今猶在。
桃李新開映古查,菖蒲猶短出平沙。
詩文(含異文):
西施越溪女,明豔光雲海。
未入吳王宮殿時【來入吳王宮殿時】,浣紗古石今猶在【浣紗故石今猶在】。
桃李新開映古查,菖蒲猶短出平沙。
(下し文)
(祝八の江東に之くを送り浣紗石を賦し得る)
西施は越溪の女,明豔 雲海に光る。
未だ吳王の宮殿に入らざる時,浣紗の古石 今 猶お在り。
桃李 新たに開いて 古查に映じ,菖蒲 猶お短く 平沙を出づ。
(現代語訳)
送祝八之江東賦得浣紗石(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)
西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。
そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。
その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。
(訳注)
送祝八之江東賦得浣紗石
(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)
1. 祝八 祝八の八は排行で、名字は分らない。江東は呉越の地。それから、浣紗石に就いては、太平御覧に引ける孔曄の會稽記に「勾践、美女を索め、以て呉王に献上せむとし、諸曁苧蘿山の売薪の女、西施 鄭且を得、先づ土城山に教習せしむ、山邊に石あり、云ふ是れ西施の浣紗石」とあり、太平寰宇記に「諸曁縣に苧蘿山あり、山下に石跡あり、云ふ足れ西施浣紗の所と。浣紗石、なお在り」と記してある。この詩は、祝八の江東に之くを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題とした處が、李白は浣紗石を取り中で、因って、この詩を作ったので、つまり、浣紗石を詠するその中に於て、送別の意を寓したわけである。
西施越溪女,明豔光雲海。
西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。
2. 西施 李白が西施の語を使った詩句。
65巻02-06楽府烏棲曲 | 吳王宮里醉西施。 |
195巻五 28子夜吳歌 ( 一作子夜四時歌 ) 夏歌 | 鏡湖三百里。 菡萏發荷花。 五月西施采。 人看隘若耶。 回舟不待月。 歸去越王家。 |
210卷六5玉壺吟 | 世人不識東方朔。 大隱金門是謫仙。 西施宜笑復宜顰。 丑女效之徒累身。 君王雖愛蛾眉好。 |
218卷六13鳴皋歌送岑徵君 時梁園三尺雪 | 鳳孤飛而無鄰。 (蝘)蜓嘲龍。 魚目混珍。 嫫母衣錦。 西施負薪。 若使巢由桎梏于軒冕兮。 |
546卷十六49送祝八之江東賦得浣紗石 | 西施越溪女。 明艷光云海。 未入吳王宮殿時。 |
747巻二十一25西施 | 西施越溪女。 出自苧蘿山。 |
829巻二十三03效古二首其二 | 自古有秀色。 西施與東鄰。 蛾眉不可妒。 況乃效其顰。 所以尹婕妤。 |
945巻二十四56口號吳王美人半醉 | 風動荷花水殿香。 姑蘇台上宴吳王。 西施醉舞嬌無力。 笑倚東窗白玉床。 |
3. 越溪女 呉越春秋「越王使相者於國中、得苧蘿山鬻薪之女。曰西施鄭旦。」中国四大美人と呼ばれるのは以下の女性たちである。1.西施(春秋時代)2.王昭君(漢)3.貂蝉(後漢)4.楊貴妃(唐)ただし、このほかに卓文君(漢)を加え、王昭君を除くこともある。また虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある。・苧蘿山 苧蘿山は浙江諸暨縣の南五裡に在る。
4. 明豔 妖艶であるにも、ちせいゆたかに美しい姿かたち、顔だち。
5. 光雲海 遠く水平線に沸く雲を境にし、その上にぽっかりと浮かぶ雲のかがやく白さをいう。
未入吳王宮殿時,浣紗古石今猶在。
そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。
6. 吳王宮殿 越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。
7. 浣紗 絹を織って染め付けた布地を川で晒す、水の冷たい時に色の定着がよくなることで、春先の年中行事であり、谷間の石の上に並べて干されること、春の風物詩であることを意味する。秋は採蓮、採菱も若い娘の素足が風物詩である。李白は春秋の風物詩をおおくうたっている。
桃李新開映古查,菖蒲猶短出平沙。
その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。
8. 古查 古查は水中の古木、浮木。
9. 菖蒲猶短 菖蒲の芽の纔に出たばかりの状態のことを言う。いわゆる早春のころ、寒風と水が最も冷たく感じる頃を言う。
送祝八之江東賦得浣紗石
(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)
西施越溪女,明豔光雲海。
西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。
未入吳王宮殿時,浣紗古石今猶在。
そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。
桃李新開映古查,菖蒲猶短出平沙。
その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。
(祝八の江東に之くを送り浣紗石を賦し得る)
西施は越溪の女,明豔 雲海に光る。
未だ吳王の宮殿に入らざる時,浣紗の古石 今 猶お在り。
桃李 新たに開いて 古查に映じ,菖蒲 猶お短く 平沙を出づ。
昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。
君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。
若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。
むかしは、その處に於て、紅粉の装い爲せる西施が、流れる水にその影を映したが、今では、石の上に生ずる青い苔は、散る花に覆われて、その人を思わせるものがないのである。
君は、今、ここ長安を去って、東越に行かれるので、その道中、碧山清江がずっとつらなる、きわめて遠い道のりである。
かくて、天涯に至って、故人即ち吾を思い出したならば、浣紗石のほとりに行って、石の上に登る明月を見ることである。われも亦た、ひとしく君を思う心をその月に寄せているから、それとなく、心に感じ得るものがあるに相違ないのである。
#2
昔時は紅粉 流水を照し,今日は青苔 落花の覆わる。
君は西秦を去って東越に適く,碧山 青江 幾んぞ超忽す。
若し天涯に到って故人を思わば,浣紗石の上 明月を窺え。
『送祝八之江東賦得浣紗石』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2
昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。
君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。
若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。
詩文(含異文):
昔時紅粉照流水【昔時紅顏照流水】,今日青苔覆落花。
君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。
若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。
(下し文)
#2
昔時は紅粉 流水を照し,今日は青苔 落花の覆わる。
君は西秦を去って東越に適く,碧山 青江 幾んぞ超忽す。
若し天涯に到って故人を思わば,浣紗石の上 明月を窺え。
(現代語訳)
#2
むかしは、その處に於て、紅粉の装い爲せる西施が、流れる水にその影を映したが、今では、石の上に生ずる青い苔は、散る花に覆われて、その人を思わせるものがないのである。
君は、今、ここ長安を去って、東越に行かれるので、その道中、碧山清江がずっとつらなる、きわめて遠い道のりである。
かくて、天涯に至って、故人即ち吾を思い出したならば、浣紗石のほとりに行って、石の上に登る明月を見ることである。われも亦た、ひとしく君を思う心をその月に寄せているから、それとなく、心に感じ得るものがあるに相違ないのである。
送祝八之江東賦得浣紗石
(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)
1- 祝八 祝八の八は排行で、名字は分らない。江東は呉越の地。それから、浣紗石に就いては、太平御覧に引ける孔曄の會稽記に「勾践、美女を索め、以て呉王に献上せむとし、諸曁苧蘿山の売薪の女、西施 鄭且を得、先づ土城山に教習せしむ、山邊に石あり、云ふ是れ西施の浣紗石」とあり、太平寰宇記に「諸曁縣に苧蘿山あり、山下に石跡あり、云ふ足れ西施浣紗の所と。浣紗石、なお在り」と記してある。この詩は、祝八の江東に之くを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題とした處が、李白は浣紗石を取り中で、因って、この詩を作ったので、つまり、浣紗石を詠するその中に於て、送別の意を寓したわけである。
昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。
むかしは、その處に於て、紅粉の装い爲せる西施が、流れる水にその影を映したが、今では、石の上に生ずる青い苔は、散る花に覆われて、その人を思わせるものがないのである。
10 紅粉 白粉とほほ紅、口紅。西施を言う。
君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。
君は、今、ここ長安を去って、東越に行かれるので、その道中、碧山清江がずっとつらなる、きわめて遠い道のりである。
11 西秦 ここは、長安のこと。
12 東越 春秋時代に中国浙江省の辺りにあった国の東部海岸地方。首都は会稽(現在の浙江省紹興市)。後に漢民族形成の中核となった黄河流域の都市国家群の周辺民族とは別の、長江流域の百越に属する民族を主体に建設されたあたりをいう。
13 碧山青江 苔むし、常緑の山、青く清清しく広々とした、大江。
14 幾超忽 ずうっと遙かに遠句まで続いた様子を言う。文選.王巾.《頭陀寺碑文》「東望平皋,千里超忽。」(東に平皋を望み,千里超忽。)
若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。
かくて、天涯に至って、故人即ち吾を思い出したならば、浣紗石のほとりに行って、石の上に登る明月を見ることである。われも亦た、ひとしく君を思う心をその月に寄せているから、それとなく、心に感じ得るものがあるに相違ないのである。
窺明月 おなじ明月を望む
《巻四18 月夜》
今夜鄜州月、閨中只独看。
遥憐小児女、未解憶長安。
香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。
何時倚虚幌、双照涙痕乾。
今夜も月が出ている鄜州での月は、閏の中で我が妻がただひとりみているだろう。
私からはこんなはるかなところからいたいけない子供たちのことを思いを遣っている、しかしその子どもたちはこの私のいる長安を憶うことなどは知らないのである。
二人で過ごした室には香霧がこめ、雲の髪型もうるおいが生じる、清々しい月のひかり輝いて妻のうなじに、影を落としている、美しい姿もつめたく感じていることであろう。
いつになったらゆめまぼろしにある妻との閨ととばりの生活、二人そろって月光に照らされて涙のあとなど全くない暮らしができるのだろうか。
今夜 鄜州【ふしゅう】の月、閨中【けいちゅう】 只だ独り看【み】るらん。
遥かに憐【あわ】れむ小児女【しょうじじょ】の、未【いま】だ長安を憶【おも】うを解(かい)せざるを。
香霧【こうむ】に雲鬟【うんかん】湿【うるお】い、清輝【せいき】に玉臂【ぎょくひ】寒からん。
何【いず】れの時か虚幌【きょこう】に倚【よ】り、双【とも】に照らされて涙痕【るいこん】乾かん。
杜甫の「月夜」は、 白欒天のこの詩にもいうように、「三五夜中新月の色、二千里外故人の心」であって、月色は、山河を隔て、環境を異にしつつも、その色を同じくするものである。だから、それに誘発されて、杜甫は、はるかなる妻の身の上を思うのであり、おなじ月の光にさそわれて、はるかなる妻も、自分を思うであろうことを自分自身に思わせるのであるが、自分の見る月とはいわないで、妻の見る月の色を、はるかに思いやったというところは、この詩人の心が、常に常識を越えて別の次元につき入ろうとしていたこと、そうしてまたその結果、表現としては、緊迫した言葉を常に求めていたこと、つまりみずからもいうように「語の人を驚かさずんば死すとも休まず」とする傾向にあったことを、もとより最も顕著に示す例ではないけれども、なお何がしか示すものである。
月夜 と家族を詠う詩について 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150
送祝八之江東賦得浣紗石 【字解】
1)祝八 祝八の八は排行で、名字は分らない。江東は呉越の地。それから、浣紗石に就いては、太平御覧に引ける孔曄の會稽記に「勾践、美女を索め、以て呉王に献上せむとし、諸曁苧蘿山の売薪の女、西施 鄭且を得、先づ土城山に教習せしむ、山邊に石あり、云ふ是れ西施の浣紗石」とあり、太平寰宇記に「諸曁縣に苧蘿山あり、山下に石跡あり、云ふ足れ西施浣紗の所と。浣紗石、なお在り」と記してある。この詩は、祝八の江東に之くを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題とした處が、李白は浣紗石を取り中で、因って、この詩を作ったので、つまり、浣紗石を詠するその中に於て、送別の意を寓したわけである。
2)西施 李白が西施の語を使った詩句。
65巻02-06楽府烏棲曲 | 吳王宮里醉西施。 |
195巻五 28子夜吳歌 ( 一作子夜四時歌 ) 夏歌 | 鏡湖三百里。 菡萏發荷花。 五月西施采。 人看隘若耶。 回舟不待月。 歸去越王家。 |
210卷六5玉壺吟 | 世人不識東方朔。 大隱金門是謫仙。 西施宜笑復宜顰。 丑女效之徒累身。 君王雖愛蛾眉好。 |
218卷六13鳴皋歌送岑徵君 時梁園三尺雪 | 鳳孤飛而無鄰。 (蝘)蜓嘲龍。 魚目混珍。 嫫母衣錦。 西施負薪。 若使巢由桎梏于軒冕兮。 |
546卷十六49送祝八之江東賦得浣紗石 | 西施越溪女。 明艷光云海。 未入吳王宮殿時。 |
747巻二十一25西施 | 西施越溪女。 出自苧蘿山。 |
829巻二十三03效古二首其二 | 自古有秀色。 西施與東鄰。 蛾眉不可妒。 況乃效其顰。 所以尹婕妤。 |
945巻二十四56口號吳王美人半醉 | 風動荷花水殿香。 姑蘇台上宴吳王。 西施醉舞嬌無力。 笑倚東窗白玉床。 |
3) 越溪女 呉越春秋「越王使相者於國中、得苧蘿山鬻薪之女。曰西施鄭旦。」中国四大美人と呼ばれるのは以下の女性たちである。1.西施(春秋時代)2.王昭君(漢)3.貂蝉(後漢)4.楊貴妃(唐)ただし、このほかに卓文君(漢)を加え、王昭君を除くこともある。また虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある。・苧蘿山 苧蘿山は浙江諸暨縣の南五裡に在る。
4)明豔 妖艶であるにも、ちせいゆたかに美しい姿かたち、顔だち。
5)光雲海 遠く水平線に沸く雲を境にし、その上にぽっかりと浮かぶ雲のかがやく白さをいう。
未入吳王宮殿時,浣紗古石今猶在。
そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。
6) 吳王宮殿 越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。
7)浣紗 絹を織って染め付けた布地を川で晒す、水の冷たい時に色の定着がよくなることで、春先の年中行事であり、谷間の石の上に並べて干されること、春の風物詩であることを意味する。秋は採蓮、採菱も若い娘の素足が風物詩である。李白は春秋の風物詩をおおくうたっている。
桃李新開映古查,菖蒲猶短出平沙。
その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。
8) 古查 古查は水中の古木、浮木。
9)菖蒲猶短 菖蒲の芽の纔に出たばかりの状態のことを言う。いわゆる早春のころ、寒風と水が最も冷たく感じる頃を言う。
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