太白集 391《太白巻十九17下終南山過斛斯山人宿置酒》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7543
- 2016/03/26
- 23:05
李白 下終南山過斛斯山人宿置酒
暮從碧山下,山月隨人歸。卻顧所來徑,蒼蒼橫翠微。
相攜及田家,童稚開荊扉。 綠竹入幽徑。 青蘿拂行衣。
(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)日が暮れてきて、周南の碧山の頂より下ってくれば、山上の月も、人に随って歸ってくるようである。振り返って過ぎ来し方の路をみると、蒼蒼とした中に、ぼんやりと中腹に横たわって見える。同行の者どもと相携えて、隠者の田家に到着してみれば、童稚が荊の門を啓いて迎へて呉れた。緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつくという、まことに幽遂なありさまである。
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李太白集巻十九17 | 下終南山過斛斯山人宿置酒 | ||
Index-23 | 743年天寶二年43歳 94首-(75) | ||
年:743年天寶二年43歳 94首-(75)
卷別: 卷一七九 李太白集643巻十九17 文體: 五言古詩
詩題: 下終南山過斛斯山人宿置酒
作地點: 目前尚無資料
及地點: 終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山
交遊人物/地點:斛斯融 當地交遊(京畿道 無第二級行政層級 終南山)
詩文:
下終南山過斛斯山人宿置酒#1
(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)
暮從碧山下,山月隨人歸。
日が暮れてきて、周南の碧山の頂より下ってくれば、山上の月も、人に随って歸ってくるようである。
卻顧所來徑,蒼蒼橫翠微。
振り返って過ぎ来し方の路をみると、蒼蒼とした中に、ぼんやりと中腹に横たわって見える。
相攜及田家,童稚開荊扉。
同行の者どもと相携えて、隠者の田家に到着してみれば、童稚が荊の門を啓いて迎へて呉れた。
#2
綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。
歡言得所憩,美酒聊共揮。
長歌吟松風,曲盡河星稀。
我醉君復樂,陶然共忘機。
(終南山を下り 斛斯山人を過ぎて宿し 置酒す)
暮に碧山從り下れば、 山月 人隨って歸る。
卻って來る所の徑を顧みれば、蒼蒼として翠微に橫たう。
相い攜えて田家に及べば、童稚 荊扉を開く。
#2
綠竹 幽徑に入り、青蘿 行衣を拂う。
歡言 憩う所を得、美酒 聊か共に揮う。
長歌 松風に吟じ、曲盡きて河星 稀なり。
我 醉うて 君も復た 樂しむ、陶然して 共に機を忘る。
『下終南山過斛斯山人宿置酒』 現代語訳と訳註解説
(本文)
下終南山過斛斯山人宿置酒#1
暮從碧山下,山月隨人歸。
卻顧所來徑,蒼蒼橫翠微。
相攜及田家,童稚開荊扉。
(下し文)
(終南山を下り 斛斯山人を過ぎて宿し 置酒す)
暮に碧山從り下れば、 山月 人隨って歸る。
卻って來る所の徑を顧みれば、蒼蒼として翠微に橫たう。
相い攜えて田家に及べば、童稚 荊扉を開く。
(現代語訳)
下終南山過斛斯山人宿置酒#1(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)
日が暮れてきて、周南の碧山の頂より下ってくれば、山上の月も、人に随って歸ってくるようである。
振り返って過ぎ来し方の路をみると、蒼蒼とした中に、ぼんやりと中腹に横たわって見える。
同行の者どもと相携えて、隠者の田家に到着してみれば、童稚が荊の門を啓いて迎へて呉れた。
(訳注)
終南山過斛斯山人宿置酒 #1
(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)
この詩は、李白が終南山に遊び、その帰途、斛斯氏を訪うて留宿し、御馳走に成ったから、
その席上に於で作ったのである。
1 終南山 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、2000~2900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高2000~2900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。
1-2-⑴《元和郡縣圖志、卷一·關內道一》「終南山,在縣南五十里。按經傳所說,終南山一名太一,亦名中南。據張衡《西京賦》雲“終南、太一,隆崛崔崒”。潘嶽《西征賦》雲“九嶻嶭,太一巃嵸,麵終南而背雲陽,跨平原而連嶓塚”。然則終南、太一,非一山也。」
⑵《太平寰宇記卷二十六》「終南山,在郿縣南三十里。」
⑶《雍録》「終南山、横亘關中南面、西起秦隴、東徹藍田、凡雍岐郿鄠長安萬年相去、且八百里、而連綿峙據其南者、皆此之一山也」
1-3 紫閣連終南 紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある。紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。
㈠ 杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤【いい】たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。)長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。
㈡ 紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崷崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。
🉁李白 《君子有所思行》(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)「紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。」(紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。)
1-4 終南山の道教 陝西省長安の南にある山。唐時代道教の本山があった。
2斛斯山人 斛斯は姓。山人は山中に隠遁している人。 斛斯(こくし)山人とは李白の道士仲間である。その人と共に山中で道教を学び、その帰りに田家に立ち寄って、酒を飲み、泊まらせてもらった。
①《通志卷二十五(氏族略第一》「代北復姓有斛斯氏、其先居廣牧,世襲莫弗大人,號斛斯部,因氏焉。
②杜甫《》「」斛斯融 杜甫草堂の南隣の隠遁者のこと、ふたりでよく酒を呑んでいる。この酒好きの友について三首ある。襄陽の山濤のような隠遁者であった。この時の様子は杜甫456『聞斛斯六官未歸』に別に述べている。ある解釈にはこの南の隣人が二人いるような解釈をしているもの有るが南の隣人は独りである。錦裡先生という表現は、「山濤」をもじっており、朱山人は隠遁者であることを云い、斛斯六官の斛斯融が本人をあらわす名前であろうと思う。三者、同一人物である。
南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。
南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1) <383> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500
過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。
過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2) <384> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500
聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 成都5-(3) 杜甫 <456> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500
江畔濁歩尋花七絶句 之一
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。
江畔獨步尋花七絕句 杜甫 <437> 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500
過故斛斯校書莊,二首之一
〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕
此老已雲歿,鄰人嗟亦休。竟無宣室召,徒有茂陵求。
妻子寄他食,園林非昔遊。空餘繐帷在,淅淅野風秋。
過故斛斯校書莊,二首之二
燕入非旁舍,鷗歸只故池。斷橋無複板,臥柳自生枝。
遂有山陽作,多慚鮑叔知。素交零落盡,白首淚雙垂。
3 山人 ①山里に住む人。山中で働く人。特に樵など。②仙人・世捨て人。③号(筆名)につける接尾辞。楊山人、王山人、(魯山人)など。④山男・山女・山姥・山童などの山に住む人型妖怪の総称。
元代の雑劇に登場する山人は例外なくみな占い師であり、かつ自称ではなく他称である。また陸遊の〈新裁道帽示帽工〉(《劍南詩稿》卷39)では、「山人手段雖難及」と帽子作りの職人を山人と呼んでおり、《東京夢華録》巻 5 〈京瓦技芸〉等にみえる張山人は都会の寄席芸人であるなど、総じて山人とは「技術之士」(《太平廣記》巻72「張山人」)であったといえる。同じ現象は唐代にも見られる。宋初の《文苑英華》巻231「隠逸二・山人」に収める唐代の山人の詩の多くには売薬についての記述が見える。そもそも山人という語の出典は、南斉の孔稚圭「北山移文」(《文選》巻43)の「山人去兮曉猿驚」にあり、本来山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。いわゆる「終南の捷径」によって官途を求めた李泌のような人物もまた山人であったし、李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。
4 置酒 酒を用意してもてなしてもらうこと。
5【解説】起首の四句は、山を下ること。「相攜及田家,童稚開荊扉。綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。」の四句は、斛斯氏に投宿して、置酒したこと。「歡言得所憩,美酒聊共揮。長歌吟松風,曲盡河星稀【曲盡星河稀】。我醉君復樂,陶然共忘機。」の六句は、酔中の感慨であるが、詩勢の逓減逓下などすこしも手落ちがない。鍾伯敬は「起、右丞に似たち、曲益河星稀、寂然景あり」といい、乾隆御批には「この篇及び春日獨酌、春日酔起言志等の作、真の陶明の遺韻に逼る」といい、いづれも、肯綮に中って居る。
暮從碧山下。 山月隨人歸。
日が暮れてきて、周南の碧山の頂より下ってくれば、山上の月も、人に随って歸ってくるようである。
6 山月 山の月。登ってきた月。登ってきた月はまだ山に近い。
卻顧所來徑。 蒼蒼橫翠微。
振り返って過ぎ来し方の路をみると、蒼蒼とした中に、ぼんやりと中腹に横たわって見える。
7 蒼蒼 こんもりとした青い色。1 あおあおとしているさま。また、あおみを帯びているさま。「蒼蒼たる大空」2 草木があおあおと茂っているさま。
8 翠微 1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。
相攜及田家。 童稚開荊扉。
同行の者どもと相携えて、隠者の田家に到着してみれば、童稚が荊の門を啓いて迎へて呉れた。
9 相攜 友と連れだって。
10 田家 百姓家。隠者の農村での住まい。 ⅰ孟浩然《卷160_104 「田家元日」》「田家占氣候,共說此年豐。」(田家 気候を占い、共に説く 此の年の豊を。)農家というものは気候を占う、一緒になって今年の豊作を願って主張し合うものだ。
田家元日 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316
ⅱ 田子方の老馬を贖うという故事に基づく。《淮南子‧人間訓》 田子方見老馬於道, 喟然有志焉, 以問其御曰: '此何馬也?'其御曰: '此故公家畜也。 老罷而不為用, 出而鬻之。”田子方曰:“少而貪其力,老而棄其身,仁者弗為也。”束帛以贖之。疲武聞之,知所以歸心矣。《卷十五18送薛九被讒去魯》「田家養老馬,窮士歸其門。」(田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。)
297-#2 《卷十五18送薛九被讒去魯》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#2> Ⅰ李白詩1594 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6518
11 童稚 こども。
12 荊扉 柴で作った粗末な開き戸。隠者の門戸をいう。杜甫《》「遲暮少寢食,清曠喜荊扉。」(遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。)自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。
下終南山過斛斯山人宿置酒#1
(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)
暮從碧山下,山月隨人歸。
日が暮れてきて、周南の碧山の頂より下ってくれば、山上の月も、人に随って歸ってくるようである。
卻顧所來徑,蒼蒼橫翠微。
振り返って過ぎ来し方の路をみると、蒼蒼とした中に、ぼんやりと中腹に横たわって見える。
相攜及田家,童稚開荊扉。
同行の者どもと相携えて、隠者の田家に到着してみれば、童稚が荊の門を啓いて迎へて呉れた。
#2
綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。
緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつくという、まことに幽遂なありさまである。
歡言得所憩,美酒聊共揮。
しばらくして、主人に遭い楽しみながら話をし、今夜の休むところもできたので、まず安堵し、勧められるままに、うまい酒をともに酌み交わしたのである。
長歌吟松風,曲盡河星稀。
かくて、長歌して松風を聞いてあわせて吟じる、一曲歌いきってしまうと夜も更けて、銀河の邊に星影もまばらになってくる。
我醉君復樂,陶然共忘機。
やがて、我私は酔ってしまい、君もまた楽しみ、陶然としてきたので、神仙の淡泊自然の心境になったのである。
(終南山を下り 斛斯山人を過ぎて宿し 置酒す)
暮に碧山從り下れば、 山月 人隨って歸る。
卻って來る所の徑を顧みれば、蒼蒼として翠微に橫たう。
相い攜えて田家に及べば、童稚 荊扉を開く。
#2
綠竹 幽徑に入り、青蘿 行衣を拂う。
歡言 憩う所を得、美酒 聊か共に揮う。
長歌 松風に吟じ、曲盡きて河星 稀なり。
我 醉うて 君も復た 樂しむ、陶然して 共に機を忘る。
『下終南山過斛斯山人宿置酒』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2
綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。
歡言得所憩,美酒聊共揮。
長歌吟松風,曲盡河星稀。
我醉君復樂,陶然共忘機。
(下し文)
#2
綠竹 幽徑に入り、青蘿 行衣を拂う。
歡言 憩う所を得、美酒 聊か共に揮う。
長歌 松風に吟じ、曲盡きて河星 稀なり。
我 醉うて 君も復た 樂しむ、陶然して 共に機を忘る。
(現代語訳)
#2
緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつくという、まことに幽遂なありさまである。
しばらくして、主人に遭い楽しみながら話をし、今夜の休むところもできたので、まず安堵し、勧められるままに、うまい酒をともに酌み交わしたのである。
かくて、長歌して松風を聞いてあわせて吟じる、一曲歌いきってしまうと夜も更けて、銀河の邊に星影もまばらになってくる。
やがて、我私は酔ってしまい、君もまた楽しみ、陶然としてきたので、神仙の淡泊自然の心境になったのである。
(訳注)
終南山過斛斯山人宿置酒 #1
(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)
綠竹入幽徑。 青蘿拂行衣。
緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつくという、まことに幽遂なありさまである。
13 幽徑 暗い寂しい小道。
14 青蘿 青いツタ。
15 行衣 旅衣。
歡言得所憩。 美酒聊共揮。
しばらくして、主人に遭い楽しみながら話をし、今夜の休むところもできたので、まず安堵し、勧められるままに、うまい酒をともに酌み交わしたのである。
16 歡言 よろこんで話をする。
17 憩 休息。
18 聊 ちょっと。
19 揮 ふるう、振り回す。さしずする。
長歌吟松風。 曲盡河星稀。
かくて、長歌して松風を聞いてあわせて吟じる、一曲歌いきってしまうと夜も更けて、銀河の邊に星影もまばらになってくる。
20 河星 星屑の天の河。
我醉君復樂。 陶然共忘機。
やがて、我私は酔ってしまい、君もまた楽しみ、陶然としてきたので、神仙の淡泊自然の心境になったのである。
21 陶然 心持よく酒に酔う。
22 忘機 世のからくりや人間のたくらみを忘れる。道教の主張する淡泊自然の心境を言う。
終南山過斛斯山人宿置酒 【字解】
(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)
この詩は、李白が終南山に遊び、その帰途、斛斯氏を訪うて留宿し、御馳走に成ったから、
その席上に於で作ったのである。
1 終南山 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、2000~2900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高2000~2900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。
1-2-⑴《元和郡縣圖志、卷一·關內道一》「終南山,在縣南五十里。按經傳所說,終南山一名太一,亦名中南。據張衡《西京賦》雲“終南、太一,隆崛崔崒”。潘嶽《西征賦》雲“九嶻嶭,太一巃嵸,麵終南而背雲陽,跨平原而連嶓塚”。然則終南、太一,非一山也。」
⑵《太平寰宇記卷二十六》「終南山,在郿縣南三十里。」
⑶《雍録》「終南山、横亘關中南面、西起秦隴、東徹藍田、凡雍岐郿鄠長安萬年相去、且八百里、而連綿峙據其南者、皆此之一山也」
1-3 紫閣連終南 紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある。紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。
㈠ 杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤【いい】たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。)長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。
㈡ 紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崷崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。
🉁李白 《君子有所思行》(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)「紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。」(紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。)
1-4 終南山の道教 陝西省長安の南にある山。唐時代道教の本山があった。
2斛斯山人 斛斯は姓、融。山人は山中に隠遁している人。 斛斯(こくし)山人とは李白の道士仲間である。その人と共に山中で道教を学び、その帰りに田家に立ち寄って、酒を飲み、泊まらせてもらった。
①《通志卷二十五(氏族略第一》「代北復姓有斛斯氏、其先居廣牧,世襲莫弗大人,號斛斯部,因氏焉。
②杜甫《》「」斛斯融 杜甫草堂の南隣の隠遁者のこと、ふたりでよく酒を呑んでいる。この酒好きの友について三首ある。襄陽の山濤のような隠遁者であった。この時の様子は杜甫456『聞斛斯六官未歸』に別に述べている。ある解釈にはこの南の隣人が二人いるような解釈をしているもの有るが南の隣人は独りである。錦裡先生という表現は、「山濤」をもじっており、朱山人は隠遁者であることを云い、斛斯六官の斛斯融が本人をあらわす名前であろうと思う。三者、同一人物である。
南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。
南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1) <383> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500
過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。
過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2) <384> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500
聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 成都5-(3) 杜甫 <456> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500
江畔濁歩尋花七絶句 之一
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。
江畔獨步尋花七絕句 杜甫 <437> 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500
過故斛斯校書莊,二首之一
〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕
此老已雲歿,鄰人嗟亦休。竟無宣室召,徒有茂陵求。
妻子寄他食,園林非昔遊。空餘繐帷在,淅淅野風秋。
過故斛斯校書莊,二首之二
燕入非旁舍,鷗歸只故池。斷橋無複板,臥柳自生枝。
遂有山陽作,多慚鮑叔知。素交零落盡,白首淚雙垂。
3 山人 ①山里に住む人。山中で働く人。特に樵など。②仙人・世捨て人。③号(筆名)につける接尾辞。楊山人、王山人、(魯山人)など。④山男・山女・山姥・山童などの山に住む人型妖怪の総称。
元代の雑劇に登場する山人は例外なくみな占い師であり、かつ自称ではなく他称である。また陸遊の〈新裁道帽示帽工〉(《劍南詩稿》卷39)では、「山人手段雖難及」と帽子作りの職人を山人と呼んでおり、《東京夢華録》巻 5 〈京瓦技芸〉等にみえる張山人は都会の寄席芸人であるなど、総じて山人とは「技術之士」(《太平廣記》巻72「張山人」)であったといえる。同じ現象は唐代にも見られる。宋初の《文苑英華》巻231「隠逸二・山人」に収める唐代の山人の詩の多くには売薬についての記述が見える。そもそも山人という語の出典は、南斉の孔稚圭「北山移文」(《文選》巻43)の「山人去兮曉猿驚」にあり、本来山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。いわゆる「終南の捷径」によって官途を求めた李泌のような人物もまた山人であったし、李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。
4 置酒 酒を用意してもてなしてもらうこと。
5【解説】起首の四句は、山を下ること。「相攜及田家,童稚開荊扉。綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。」の四句は、斛斯氏に投宿して、置酒したこと。「歡言得所憩,美酒聊共揮。長歌吟松風,曲盡河星稀【曲盡星河稀】。我醉君復樂,陶然共忘機。」の六句は、酔中の感慨であるが、詩勢の逓減逓下などすこしも手落ちがない。鍾伯敬は「起、右丞に似たち、曲益河星稀、寂然景あり」といい、乾隆御批には「この篇及び春日獨酌、春日酔起言志等の作、真の陶明の遺韻に逼る」といい、いづれも、肯綮に中って居る。
6 山月 山の月。登ってきた月。登ってきた月はまだ山に近い。
7 蒼蒼 こんもりとした青い色。1 あおあおとしているさま。また、あおみを帯びているさま。「蒼蒼たる大空」2 草木があおあおと茂っているさま。
8 翠微 1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。
9 相攜 友と連れだって。
10 田家 百姓家。隠者の農村での住まい。 ⅰ孟浩然《卷160_104 「田家元日」》「田家占氣候,共說此年豐。」(田家 気候を占い、共に説く 此の年の豊を。)農家というものは気候を占う、一緒になって今年の豊作を願って主張し合うものだ。
田家元日 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316
ⅱ 田子方の老馬を贖うという故事に基づく。《淮南子‧人間訓》 田子方見老馬於道, 喟然有志焉, 以問其御曰: '此何馬也?'其御曰: '此故公家畜也。 老罷而不為用, 出而鬻之。”田子方曰:“少而貪其力,老而棄其身,仁者弗為也。”束帛以贖之。疲武聞之,知所以歸心矣。《卷十五18送薛九被讒去魯》「田家養老馬,窮士歸其門。」(田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。)
297-#2 《卷十五18送薛九被讒去魯》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#2> Ⅰ李白詩1594 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6518
11 童稚 こども。
12 荊扉 柴で作った粗末な開き戸。隠者の門戸をいう。杜甫《》「遲暮少寢食,清曠喜荊扉。」(遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。)自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。
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- カテゴリ:李太白集 巻十九
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