古風五十九首 其二十二  李白


長安を去るにあたって、関係者と飲み明かした。また、「賓客もまばらになって、酒樽ももう空になってしまった」。「玉樽は己に空し」とは、李白らしい表現である。「しかし、まだ頼むべき才力はあり、評判をとった名に恥ずかしくない力は持っている」。まだまだ活躍はできると自信のほどを示している。
長安を去って寂しい気持ちにはなるが、まだ「頼むべき才力はある」といって、勇気を奮い起こし、自信をとり戻して長安をあとにするが、まずは「この詩を作って隠棲を願いつつ友人たちに別れを告げて去って行こう」といって「東武の吟」を歌い終わる。
李白は「高歌大笑して関より出でて去る」。「高笑い」は果たして何を意味するか。李白の心境は複雑なものがあったにちがいない。
長安黄河

古風 其二十二
秦水別隴首。 幽咽多悲聲。
長安を立つと東流する秦水はやがて隴山に別れを告げると、寂しくて泣き嗚咽して悲しい声がおおくなる。
胡馬顧朔雪。 躞蹀長嘶鳴。
自慢の胡地の馬も朔州の山に積もった雪、その向こうは馬の生まれたところ、馬に付けた鈴や玉が鳴るいつまでも嘶きつづけ、何だが流れてやまないのだ。
感物動我心。 緬然含歸情。
思い出せば心に思うこと、目にする物、すべては詩人としての私の心を動かした、いろんな思いにふけっている、やはり長安を旅立つのではなく帰る気持ちの方が強いのか。
昔視秋蛾飛。 今見春蠶生。
まえの事だが家を出るときは  秋の蛾が飛んでいたが、いまはどうだろう、春もたけなわを過ぎる蚕が生まれているころになっている。
裊裊桑柘葉。 萋萋柳垂榮。
桑は葉にしなやかにまとわりつくように、着物のうつくしい女性に柳の枝のように寄り添いまじわるのだ。
急節謝流水。 羈心搖懸旌。
時節は流れる水のように早くながれ、旅人の心は旗のように揺れうごくものだ。
揮涕且復去。 惻愴何時平。

涙を払ってともかくも歩いてゆこう、この重たく暗い思いは何時になったら軽くなるのだろうか


長安を立つと東流する秦水はやがて隴山に別れを告げると、寂しくて泣き嗚咽して悲しい声がおおくなる。
自慢の胡地の馬も朔州の山に積もった雪、その向こうは馬の生まれたところ、馬に付けた鈴や玉が鳴るいつまでも嘶きつづけ、何だが流れてやまないのだ。
思い出せば心に思うこと、目にする物、すべては詩人としての私の心を動かした、いろんな思いにふけっている、やはり長安を旅立つのではなく帰る気持ちの方が強いのか。
まえの事だが家を出るときは  秋の蛾が飛んでいたが、いまはどうだろう、春もたけなわを過ぎる蚕が生まれているころになっている。
桑は葉にしなやかにまとわりつくように、着物のうつくしい女性に柳の枝のように寄り添いまじわるのだ。
時節は流れる水のように早くながれ、旅人の心は旗のように揺れうごくものだ。
涙を払ってともかくも歩いてゆこう、この重たく暗い思いは何時になったら軽くなるのだろうか



古風 其の二十二
秦水(しんすい)  隴首(ろうしゅ)に別れ、幽咽(ゆうえつ)して悲声(ひせい)多し
胡馬(こば)  朔雪(さくせつ)を顧(かえり)み、躞蹀(しょうちょう)として長く嘶鳴(しめい)す
物に感じて我が心を動かし、緬然(めんぜん)として帰情(きじょう)を含む
昔は視る  秋蛾(しゅうが)の飛ぶを、今は見る  春蚕(しゅんさん)の生ずるを。
嫋嫋(じょうじょう)として桑は葉を結び、萋萋(せいせい)として柳は栄(えい)を垂(た)る。
急節(きゅうせつ)  流水のごとく謝(さ)り、羇心(きしん)   懸旌(けんせい)を揺るがす。
涕を揮(ふる)って且(しばら)く復(ま)た去り、惻愴(そくそう)  何(いず)れの時か平かならん。




秦水別隴首。 幽咽多悲聲。
長安を立つと東流する秦水はやがて隴山に別れを告げると、寂しくて泣き嗚咽して悲しい声がおおくなる。
秦水 渭水の上流部。 ○隴首 渭水が隴山のすそをながれるあたりは、杜甫の「前出塞九首」其三 紀頌之の漢詩ブログ誠実な詩人杜甫特集 42
「磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。欲輕腸斷聲,心緒亂已久。」
(隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。)



胡馬顧朔雪。 躞蹀長嘶鳴。
自慢の胡地の馬も朔州の山に積もった雪の向こうは馬の生まれたところ、馬に付けた鈴や玉が鳴るいつまでも嘶きつづけ、何だが流れてやまないのだ。
躞蹀 馬に付けた鈴や玉が鳴る音。旅立ちの寂しさをあらわす。○朔雪 朔は、北の意味。ここでは山西省朔州の山に積もった雪とすれば、黄河合流点をこえ、洛陽に近づいて来たことになる。○嘶鳴 馬が嘶くのだが、李白自身が大声で泣きたい心境を示している。



感物動我心。 緬然含歸情。
思い出せば心に思うこと、目にする物、すべては詩人としての私の心を動かした、いろんな思いにふけっている、やはり長安を旅立つのではなく帰る気持ちの方が強いのか。
緬然 はるかなさま。遠く思いやるさま。思いにふけるさま。



昔視秋蛾飛。 今見春蠶生。
まえの事だが家を出るときは  秋の蛾が飛んでいたが、いまはどうだろう、春もたけなわを過ぎる蚕が生まれているころになっている。
春蠶生 春になって生まれ蚕が生まれるが晩春を指す。浮気心が芽生えてきたことをあらわす句である。



裊裊桑柘葉。 萋萋柳垂榮。
桑は葉にしなやかにまとわりつくように、着物のうつくしい女性に柳の枝のように寄り添いまじわるのだ。
裊裊 風で気が揺れる。細長く音が響くさま。しなやかにまとわりつく。○萋萋 草が生い茂るさま。雲が行くさま。女性の服のうつくしいさま。柳は男性を、楊は女性。この二句はすべての語が男女の情愛、情交をあらわす表現。



急節謝流水。 羈心搖懸旌。
時節は流れる水のように早くながれ、旅人の心は旗のように揺れうごくものだ。
羈心 旅人の心。楽天的な李白にはマイナスの要素はない。そして道教に本格的に向かう。



揮涕且復去。 惻愴何時平。
涙を払ってともかくも歩いてゆこう、この重たく暗い思いは何時になったら軽くなるのだろうか

 「古風」の詩は制作年が不明である。詩の本文内容により、書かれたのは、後日であり、回想であるとわかっていても内容を重視し、挿入するようなやり方で、紹介してきた。今回の詩も去る者の旅の悲しみが溢れている。
「秦水」は渭水(いすい)のことですので、「隴首」(隴山)を東に離れると関中平野を東に流れる。渭水をみずからに例え、隴山を都の比喩と考えれば、長安を去る李白の心境が表現されている。
李白が南陵の鄭氏の家を発ったのは、「秋蛾」の飛ぶ秋だった。いま長安を去る日は「春蚕」がはじまる春の季節だ。桑の葉も柳の葉も緑です。最後の四句「急節 流水のごとく謝り 羇心 懸旌を揺るがす 涕を揮って且く復た去り 惻愴 何れの時か平かならん」には、李白が深い悲しみを秘めて、渭水に沿った路を東へとぼとぼと騎乗してゆく姿がしのばれます。