李白  游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山)

天宝元年八七四二)、四十二歳のとき、彼は泰山に遊び、遊仙的気分を味わいつつ、壮大な景色を歌っている。
「太(泰)山に遊ぶ」六首「一に 『天宝元年四月、故の御道従り大山に上る』 に作る」がそれである。
天宝元年の作であり、待望の長安入りに先立つ三、四か月前の作である。「大山」は、五岳の一であって、中国一の名山といわれ、道教の信仰の中心地でもある。

其一
四月上泰山石屏御道開
四月泰山に登ったが、かつて天子の登山の為に開かれた参道の敷石は平である
六龍過萬壑。澗谷隨蕋回。
天子の乗る御車は多くの谷を過ぎ、谷川もそれに従って巡り巡ったであろう
馬跡繞碧峰。于今滿青苔。
馬の蹄の跡は碧の峰を巡って、今でも苔の間に残っている
飛流洒絕巘。水急松聲哀。』
瀧は高い峰から流れ落ち、水の勢いは激しく松風の音も哀しげである
北眺崿嶂奇。傾崖向東摧。
北の方を眺めたら、鋭くとがった山の頂は付近になく目立つ存在である、斜めに傾きずっとつながる崖は東にむかって続いている
洞門閉石扇。地底興云雷。
大きな巌谷洞窟は石の扇を閉じている、その巌谷の地底からは、カモが湧き出で、いかずちは天をも焦がした。
登高望蓬瀛想象金銀台
泰山の楚の頂に登って東海に浮かぶ仙人の住む蓬・方・瀛の三山を望むことができるし、金銀で作られた台座を形作ることを想い浮かべる
天門一長嘯。萬里清風來。』
天への門に向かって一たび長く唄い叫んだ、すると万里の先より清々しい風が吹いて釆た
玉女四五人。飄搖下九垓。
玉のように美しい天女が四五人、ひらひらと天から舞い降り
含笑引素手。遺我流霞杯。
笑いながら白い手を差し伸べて、私に流霞の盃を送ってくれた
稽首再拜之。自愧非仙才。
頭を地面につけ再拝して頂いたが、我ながら仙人の才能が無いのを恥じずにはいられない
曠然小宇宙。棄世何悠哉。』

しかし心を広くしてみると宇宙も小さい、俗世間を捨ててみるとのんびりとした境地が開けてくる


四月泰山に登ったが、かつて天子の登山の為に開かれた参道の敷石は平である
天子の乗る御車は多くの谷を過ぎ、谷川もそれに従って巡り巡ったであろう
馬の蹄の跡は碧の峰を巡って、今でも苔の間に残っている
瀧は高い峰から流れ落ち、水の勢いは激しく松風の音も哀しげである

北の方を眺めたら、鋭くとがった山の頂は付近になく目立つ存在である
斜めに傾きずっとつながる崖は東にむかって続いている
大きな巌谷洞窟は石の扇を閉じている、その巌谷の地底からは、カモが湧き出で、いかずちは天をも焦がした。
泰山の楚の頂に登って東海に浮かぶ仙人の住む蓬・方・瀛の三山を望むことができるし、金銀で作られた台座を形作ることを想い浮かべる
天への門に向かって一たび長く唄い叫んだ、すると万里の先より清々しい風が吹いて釆た


玉のように美しい天女が四五人、ひらひらと天から舞い降り
笑いながら白い手を差し伸べて、私に流霞の盃を送ってくれた
頭を地面につけ再拝して頂いたが、我ながら仙人の才能が無いのを恥じずにはいられない
しかし心を広くしてみると宇宙も小さい、俗世間を捨ててみるとのんびりとした境地が開けてくる




四月泰山(しがつたいざん)に上る、石平(いしたいら)かにして御道開(ぎょどうひら)く
六龍万壑(ろくりょうばんがく)を過ぎ、澗谷(かんこく)随って蕋(えい)廻(かい)す
馬跡碧峰(ばせきへっぽう)を繞(めぐ)り、今に于(お)いて青苔(せいたい)に満ち
飛流絶(ひりゅうぜっ) 巘(けん)に灑(そそ)ぎ、水急にして松声(しょうせい)哀し


北のかた挑むれば崿嶂は奇なり、傾ける崖は東に向かって捲る
洞門は石の扇を閉じ、地の底より雲雷興こる
高きに登って蓬液を望み、金露台を想像す
天門に一たび長嘯
すれば、万里より清風釆たる

「崿嶂」とは、屏風のような山。「蓬瀛」は蓬莱と張州なる神山。東海の中に三神山ありといわれ、以上の二つのほかに方丈がある。「泰山に登ると、はるか東の海上にそれが見えるかのごとく思われる」。「金銀」は、道教でいう天帝の出す詔書。「台」とは、それを手わたす所であろう。「泰山の高きに登れば東海の仙人の住む神山が見え、天帝の住む辺りが見えそうだ」。「天門」は、泰山の頂上近くにある南天門。天上に通ずるとされる。「こうした所で長嘯すると、万里のかなたより清風が吹いてきて、世俗を超越して、すがすがしい気分になる」。もはやここは仙境でもある。さればこそ、
 

玉女四五人、親観として九咳より下る
笑いを含んで素き手を引はし、我に流霞の盃を遣る
稽首して之を再拝す、臼から仙才に非ざるを娩ず
嫉然に宇宙を小とし、世を棄つ何ぞ悠かなるかな

「九天より仙人に仕える少女四、五人が下って白き手で流霞の杯をくださる」。「流霞」とは、たなびく霞であるが、霞は、仙人の飲み物であって、朝焼け、夕焼けの気である。もはや李白自身が仙境に入った心持ちであり、「かくて宇宙も問題にならず、世俗も離れて、遠き別天地にある心境となった」といい、しばし夢見ごこちで仙界に遊ぶ姿が歌われている。

この詩は、泰山の雄大さを歌うとともに、仙境でもあることをも歌う。仙境に入り、仙人と同じような心持ちになることは、李白のあこがれでもあり、彼の詩にしばしば歌われるところである。これが李白の詩の一つの大きな特色である。親友の杜甫は仙境は歌わない。同時の詩人王維は、静寂境は歌うが、仙境は歌わない。まったく李白の独壇場である。



参考にとどめる。
其二
清曉騎白鹿。 直上天門山。
山際逢羽人。 方瞳好容顏。
捫蘿欲就語。 卻掩青云關。
遺我鳥跡書。 飄然落岩間。
其字乃上古。 讀之了不閑。
感此三嘆息。 從師方未還。
 
其三
平明登日觀。 舉手開云關。
精神四飛揚。 如出天地間。
黃河從西來。 窈窕入遠山。
憑崖覽八極。 目盡長空閑。
偶然值青童。 綠發雙云鬟。
笑我晚學仙。 蹉跎凋朱顏。
躊躇忽不見。 浩蕩難追攀。
 
其四
清齋三千日。 裂素寫道經。
吟誦有所得。 眾神衛我形。
云行信長風。 颯若羽翼生。
攀崖上日觀。 伏檻窺東溟。
海色動遠山。 天雞已先鳴。
銀台出倒景。 白浪翻長鯨。
安得不死藥。 高飛向蓬瀛。


其五
日觀東北傾。 兩崖夾雙石。
海水落眼前。 天光遙空碧。
千峰爭攢聚。 萬壑絕凌歷。
緬彼鶴上仙。 去無云中跡。
長松入云漢。 遠望不盈尺。
山花異人間。 五月雪中白。
終當遇安期。 于此煉玉液。
 
其六
朝飲王母池。 暝投天門關。
獨抱綠綺琴。 夜行青山間。
山明月露白。 夜靜松風歇。
仙人游碧峰。 處處笙歌發。
寂靜娛清暉。 玉真連翠微。
想象鸞鳳舞。 飄搖龍虎衣。
捫天摘匏瓜。 恍惚不憶歸。
舉手弄清淺。 誤攀織女機。
明晨坐相失。 但見五云飛。