南陵別兒童入京 李白

742年 天宝元年 李白42歳
山東において共に隠居生活を送った呉筠が、玄宗に召され入京することになった。呉筠は長安の都に入って玄宗に李白を推薦した。また、玄宗の妹の玉真公主も、つとに李白の詩人としての名声を聞いていたので、やはり長安入りを希望していた。全て道教のつながりである。かくて、玄宗のお召しによって、彼の年来の望みが果たされることになった。李白の胸内には、重要の職に就けるチャンス到来と燃え上がる希望をもって、長安に向かって出立する準備に入った。


【妻子との別れ】
李白の都長安入りは急転直下のようであるがこれまで道教の寺観を訪ね、名山を訪ねて培ってきたものの積み重ねであった。チャンスというのは積重ねがなくてあるはずもなく、この呉筠との出遇い、玉真公主、賀知章だ道教の信者でなかったら、寺観の応援がなかったなら、不可能であったのだ。
かくて、李白の「就活大作戦」は成功したのである。

出立のときは、安微の南陵(今の南陵県)に住んでいた。いつごろ湖北からここに移り住んだかは明らかではないが、詩の雰囲気で「李白47 寄東魯二稚子」の子供たちかもしれない。安陸と南陵は長江の流域で安陸から南陵は直線距離でも500km前後はある。李白に俗人的礼節はないし、儒教的な考えは全くない。いわゆる一般的な愛情というものは、全く見られないのである。この天才詩人には、あちこちに女性がいてもおかしくないのであるが、とにかくこの南陵にも妻子が住んでいたことは、詩よって明らかなことである。
南陵は、李白の好きな斉の謝朓の太守をしていた宜城の西北近くである。ここで、妻子と別れたときの詩「南陵にて児童に別れて京に入る」がある。

南陵別兒童入京
南陵にて兒童に別れ京に入る。
白酒新熟山中歸。 黃雞啄黍秋正肥。
新しく濁酒が出来上ったころ山中のわが家に帰ってきた。いま秋たけなわであり、黄色い鶏はキビをよく食べてよく肥えている。
呼童烹雞酌白酒。 兒女嬉笑牽人衣。

そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲む。男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱる。
高歌取醉欲自慰。 起舞落日爭光輝。
高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。
游說萬乘苦不早。 著鞭跨馬涉遠道。

天子に自分の意見を申しあげ、皇帝がもっと早く来ればよかったのにと思う。鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅するのだ。
會稽愚婦輕買臣。 余亦辭家西入秦。
会稽のおろかな嫁は朱買臣をばかにした故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に入ろうとしているのだ。
仰天大笑出門去。 我輩豈是蓬蒿人。
胸を張って大笑して門を出てゆこう。わがはいはとてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物なんかじゃない。


南陵にて兒童に別れ京に入る。

新しく濁酒が出来上ったころ山中のわが家に帰ってきた。いま秋たけなわであり、黄色い鶏はキビをよく食べてよく肥えている。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲む。男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱる。

高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。
天子に自分の意見を申しあげ、皇帝がもっと早く来ればよかったのにと思う。鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅するのだ。

会稽のおろかな嫁は朱買臣をばかにした故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に入ろうとしているのだ。
胸を張って大笑して門を出てゆこう。わがはいはとてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物なんかじゃない。


南陵にて兒童に別れ京に入る。
白酒(はくしゅ)新たに熟して山中(さんちゅう)に帰る、黄鶏(こうけい) 黍(しょ)を啄んで秋正(まさ)に肥ゆ
童(どう)を呼び鶏(けい)を烹(に)て白酒を酌(く)む、児女(じじょ)歌笑(かしょう)して人の衣(い)を牽(ひ)く

高歌(こうか) 酔(えい)を取って自ら慰めんと欲す、起って舞えば 落日光輝(こうき)を争う
万乗(ばんじょう)に遊説す 早からざりしに苦しむ、鞭を著(つ)け馬に跨(またが)って遠道を渉(わた)る

会稽(かいけい)の愚婦(ぐふ) 買臣(ばいしん)を軽んず、余(よ)も亦 家を辞して西のかた秦(しん)に入る
天を仰ぎ大笑(たいしょう)して門を出(い)で去る、我輩 豈(あ)に是(こ)れ蓬蒿(ほうこう)の人ならんや


 
南陵別兒童入京
南陵にて兒童に別れ京に入る。

南陵 安徽省宜城県の西にあり、李白は玄宗に召されて長安へ上京した際、ここで妻子と別れたらしい。この詩の児童というのは、李白47「東魯の二稚子」と同じであるかどうか、わからない。


白酒新熟山中歸。 黃雞啄黍秋正肥。
新しく濁酒が出来上ったころ山中のわが家に帰ってきた。いま秋たけなわであり、黄色い鶏はキビをよく食べてよく肥えている。
白酒 どぶろく。


呼童烹雞酌白酒。 兒女嬉笑牽人衣。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲む。男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱる。
児女 男の子と女の子


高歌取醉欲自慰。 起舞落日爭光輝。
高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。
高歌 高らかに歌を歌う ○自慰 酒を飲み酔うことにより自分で自分を慰める。 ○落日 沈む夕日の方向 ○爭光輝 光と未来の輝きがを争う


游說萬乘苦不早。 著鞭跨馬涉遠道。
天子に自分の意見を申しあげ、皇帝がもっと早く来ればよかったのにと思う。鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅するのだ。
遊説 春秋戦国時代に、ある種の人びとは各国を奔走して、国王や貴族の面前で自己の政治主張をのべ、採用されることを求めた。これを遊説といった。○万乗 皇帝のこと。古代の制度によると、皇帝は、一万の兵車を有していた。


會稽愚婦輕買臣。 余亦辭家西入秦。

会稽のおろかな嫁は朱買臣をばかにした故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に入ろうとしているのだ。
会稽愚婦軽買臣 「漢書」に出ている話。朱買臣は漢の会稽郡呉(いまの江蘇省呉県)の人。豪が貧乏で、柴を売って生活をしのいでいたが、読書好きで、柴を背負って歩きながら道道、書物を朗読した。同じく柴を背負っていっしょに歩いていた妻が、かっこうが悪いのでそれを止めると、買臣はますます大声をはりあげてやる。妻はそれを恥じ離縁を申し出た。買臣は笑って言った。「わたしは五十歳になれば必ず金持になり身分も高くなるだろう。今すでに四十余り、おまえにも長い間苦労さしたが、わたしがいい身分になっておまえの功にむくいるまで待ちなさい」妻は怒って言った。「あなたみたいな人は、しまいにドブの中で餓死するだけですよ。何でいい御身分になんかなれるものですか」買臣の留めるのもきかず、妻は去って行
った。数年後、買臣は長安に行き富貴の身になったという。吉川幸次郎「漢の武帝」岩波新書参照。しかし、朱買臣はのちのち何度も官をやめさされ、最後には武帝の命で殺された(「漢書」巻64上)し、蘇秦も六国の宰相を兼ねた得意の時は実に短かいものだったのである。李白はなぜこの故事を使ったのか、まさかの都故事通り、みにふりかかるとは思っていないから、愚妻といって冗談を言ったと思われる。○ 長安のこと。


大笑出門去。 我輩豈是蓬蒿人。
胸を張って大笑して門を出てゆこう。わがはいはとてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物なんかじゃない。
蓬嵩 よもぎ。雑草のこと。蓬嵩の人とは、野に埋もれて一生を終る人のこと。

 

 

 「児童に別れて」とある、「児童」は詩中に「児女」とあり、李白と道教(3) 李白47「 寄東魯二稚子」詩に、嬌女は平陽と字し、花を折って桃辺に侍り小児は伯禽と名づけ、姉と亦た肩を同じくすとある平陽と伯禽のことであろう。この二人と別れて都に入るときの詩であるが、むろん道士呉筠の推薦と、玉真公主の希望によってである。時は天宝元年八七讐)、李白四十二歳である。

 旅に出ていて、入京の吉報を得て、「ちょうど濁酒が熟するころ、わが山中の住みかに帰ってきた」。酒好きの李白にとってはまずは酒である。「黍を十分ついばんでいた黄鶏は、この秋に今や肥えて食べごろ。下男を呼んで鶏を煮させて肴にしつつ濁酒を飲んで、「一杯機嫌で都入。」の自慢話をすると、子供たちは歌って大喜び、お父さんよかったねと、父の着物を引っ張る」。「人がわ衣を牽く」は、子供心の嬉しさと、多少父をからかうような気持ちでもある。その様子が目に浮かぶような表現でうまい。

 高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。元来、落日の光は、どちらかというと、喜びを予想しない、不安を予期することが多い題材であるが、巧みな表現力で寂勢と希望をよく連なって詠っている。また、道教思想の西の仙女の国と西方の長安を意識させるものであって、喜びと対比させることは珍しい使い方である。


 読書が好きで、柴を負いながら書物を読む。妻はその姿のみすぼらしいのを見て、離縁を申し出る。朱買臣は、五十歳になると、地位も高く金持ちになる。今は四十歳であるから、しばらく待てという。妻は、あなたみたいな人は、どぶで餓死するであろうといって、家を出てゆく。数年後、朱買臣は、長安に行って富貴の身となった」とある。この故事をふまえて、「自分も先買臣と同じように家を出て長安の都に入ることになった。おそらく朱買臣と同じように出世するであろう」。

 「会稽の愚婦」は、ここでは、自分の妻に戯れて、「おまえも自分をいつも出世しないと馬鹿にしていたが、今度はいよいよ長安に出て出世するぞ」といった椰稔の意があるであろう。郭沫若は、『李白と杜甫』において、これは妻を愚かなる婦とののしったものであり、この「愚婦」とは、魂頴の『李翰林集』序にいう劉氏のことであるとする。李白は三度妻を要るが、二番めが劉氏である。郭氏の説には従いがたいが、参考までに挙げておく。さて、李白は「誇らしげに天を仰いで、大笑して、わが家の門を出てゆく」。「仰天大笑」は、このときの李白の喜びにあふれる気持ちを平易な表現でよく表現している。そして、最後に、李白の自信に満ちた気持ちを、「わが輩は野に埋もれる人ではない」と強くいっている。「蓬蒿」は、ともによもぎといわれ、雑草の類。野原に生えることから、田舎の意味に使われる。「蓬嵩人」という使い方は李白がはじめてであろう。


寄東魯二稚子 在金陵作
吳地桑葉綠。 吳蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。
わが家 東魯に寄す、誰か種(う)うる亀陰の田。
春事すでに及ばん、江行また茫然。』
南風 帰心を吹き、飛び 墮(お)つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚(よ) る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日(ひび) 憂いに煎る。
素(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』