行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 153 #6

これまで掲載している「甘露の変」を題材にしている李商隠の詩。

李商隠 4 曲江

劉司戸二首 其一 李商隠 39

北斉二首 其二 李商隠  45

有感二首 其一 李商隠 101

有感二首 其二 李商隠 102

重有感 李商隠 -103

鸞鳳 李商隠  -111

漫成五章 其四 李商隠 -107

燕臺詩四首 其三 秋#1 李商隠 -131


行次西郊作一百韻

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 149 #1、#2

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 150 #3

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 151 #4

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 151 #5




#-5
例以賢牧伯,徵入司陶鈞。降及開元中,奸邪撓經綸。
晉公忌此事,多錄邊將勳。因令猛毅輩,雜牧升平民。」
#6
中原遂多故,除授非至尊。
天下の中心である京畿とその近辺の中原には、やがて禍が数多く起り、官吏の任免も、至尊の人たる天子の手でなされるのではなくなったのだ。
或出幸臣輩,或由帝戚恩。
或いは媚びへつらい、賄賂によって宰相となった者(例えば李林甫)、或いは、身内から皇后を出して高位を得た者(例えば楊国忠)たちの任意にゆだねられたのである。
中原困屠解,奴隸厭肥豚。』

かくて中原の人民は身を八つ裂きにされるような苦しみをなめ、それに反して遊牧奴隷の輩、かの安禄山らは豪華な食事に満腹するといった状態となったのだった。

皇子棄不乳,椒房抱羌渾。重賜竭中國,強兵臨北邊。
控弦二十萬,長臂皆如猿。皇都三千里,來往同雕鳶。」#-7
五里一換馬,十里一開筵。指顧動白日,暖熱回蒼旻。
公卿辱嘲叱,唾棄如糞丸。』#-8


"現代語訳と訳註
(本文) #6

中原遂多故,除授非至尊。
或出幸臣輩,或由帝戚恩。
中原困屠解,奴隸厭肥豚。』

(下し文)
中原 遂に故(こと)多く、除授(じょじゅ)するは至尊に非ず。
或いは倖臣(こうしん)の輩(はい)より出で’、或いは帝戚(ていせき)の恩に由る。
中原 屠解(とかい)に困(くる)しみ、奴隷 肥豚(ひとん)に厭(あ)く』

(現代語訳)
天下の中心である京畿とその近辺の中原には、やがて禍が数多く起り、官吏の任免も、至尊の人たる天子の手でなされるのではなくなったのだ。
或いは媚びへつらい、賄賂によって宰相となった者(例えば李林甫)、或いは、身内から皇后を出して高位を得た者(例えば楊国忠)たちの任意にゆだねられたのである。
かくて中原の人民は身を八つ裂きにされるような苦しみをなめ、それに反して遊牧奴隷の輩、かの安禄山らは豪華な食事に満腹するといった状態となったのだった。


(訳注)
中原遂多故,除授非至尊。

天下の中心である京畿とその近辺の中原には、やがて禍が数多く起り、官吏の任免も、至尊の人たる天子の手でなされるのではなくなったのだ。
中原 黄河の中下流域。春秋時代、周の王畿及び漢民族諸侯の封地だった河南、山東西部、山西南部、陝西東部の一帯を中原という。○多故 多事。○除授 授は官をさずける。除はもとの官を去って新しく官に任ずること。○至尊 天子。


或出幸臣輩,或由帝戚恩。
或いは媚びへつらい、賄賂によって宰相となった者(例えば李林甫)、或いは、身内から皇后を出して高位を得た者(例えば楊国忠)たちの任意にゆだねられたのである。
倖臣 佞倖の臣下。こびへつらって分不相応の地位にのしあがった臣下。


中原困屠解,奴隸厭肥豚。』#6
かくて中原の人民は身を八つ裂きにされるような苦しみをなめ、それに反して遊牧奴隷の輩、かの安禄山らは豪華な食事に満腹するといった状態となったのだった。
屠解 屠殺。豚や牛を殺してその肉をさく。體を八つ裂きにされるような苦しみをいう。反対派と見ると言いがかりのような理由で牛豚の屠殺のように粛清した。多くの文人が、死んでいる。○奴隷 異民族出身の安禄山らのことを賤しめて言ったもの。李林保や、宦官に逆らえない、逆らえば殺された。




(解説)
開元・天宝年間に至り、奸邪な臣下が現れ国政め方針を歪め始めた。その元凶ともいうべき者が、晋公こと宰相李林甫であった。李林甫は優秀な地方官を中央に召還するという太宗以来の慣例を忌み嫌い、異民族出身の将軍達を節度使に任じ地方の統治に当たらせた。
この時登用された将軍の中には、後に安史の乱を引き起こす安禄山もまた含まれていたのである。しかし政治の乱れはこれに止まらない。官職の任免ももはや天子の意向に拠るものではなく、媚びへつらう者や楊貴妃を出だした楊氏一族のような姻戚のような連中の 思うがままとなってしまった。かくして中原の民は悪政により身を裂かれるような苦しみを味わい、逆に奴隷と卑しむべき奸邪の臣どもは日々贅沢な食事に食べ飽きる有様だった。ここまでは李林甫の悪政や楊氏一族の台頭といった事柄を述べてきたものである。

開元・天宝の年号712~741年。600年代の太宗の律令体制によって近隣のどの諸国よりも、すべての産業の生産性が非常に高まった。それに周辺諸国に対する交易も国家を潤し、シルクロードを通して、世界一の富強大国であった。長安は世界一の国際都市で、運河により、江南の豊富な食料にあふれた。この経済的な蓄積をただ浪費したのが玄宗の時代なのだ。文化的には開元と次の天宝の時代は唐朝最盛期となるが、文人を忌み嫌う宰相李林甫は、質素仁徳の人物を徹底的に排除し、富の還元をしないため、地方から律令体制は崩れ始め、735年頃には律令体制の片輪の府兵制度が完全崩壊するのである。府兵制度の崩壊にくわえ、私利私欲による施策は、外夷懐柔政策の破綻を見せ始め、節度使、藩鎮の制が破綻に拍車をかけた。内政面でも、宦官が北司なる近衛師団を采配する実権を握り、外威勢力が官僚機構の上層を支配し始めた。特に、宰相李林甫と宦官高力士は貞観時代の国政の大綱も輝かしい文治の方針のすべてを崩れさせた。

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