行次西郊作 一百韻 李商隠 #7

これまで掲載している「甘露の変」を題材にしている李商隠の詩。

李商隠の詩。

李商隠 4 曲江

劉司戸二首 其一 李商隠 39

北斉二首 其二 李商隠  45

有感二首 其一 李商隠 101

有感二首 其二 李商隠 102

重有感 李商隠 -103

鸞鳳 李商隠  -111

漫成五章 其四 李商隠 -107

燕臺詩四首 其三 秋#1 李商隠 -131


行次西郊作一百韻

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 149 #1、#2

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 150 #3

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 151 #4

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 151 #5

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 153 #6



中原遂多故,除授非至尊。
或出幸臣輩,或由帝戚恩。
中原困屠解,奴隸厭肥豚。』#6
皇子棄不乳,椒房抱羌渾。
楊貴妃が玄宗の寵愛をいいことに、李林甫は生れてくる正腹の嫡子は棄てられて育てなかった、(太子瑛、鄂王瑤、光王琚は讒殺され)異常な事に安禄山とわむれに親子のちぎりを結ぶ有様で、禁男の後宮、山椒を塗りこめたその居間で、脱生日を祝うことによせて、安禄山を錦織りのおむつで包み、宮女達にかつがせて楊貴妃は遊びたわむれた。
重賜竭中國,強兵臨北邊。
安禄山への寵愛、信任は日常的にあつく、手厚い賜物はほとんど国中の富を使いつくすほどひどかった。その上、范陽節度使、河北道採訪処置使、河東節度使と、次次に節度使を兼任し、遂に北辺一帯、三道の広大な地域に彼の部下の兵が駐屯し、安禄山がそれに君臨した。
控弦二十萬,長臂皆如猿。
范陽の幕府には強い弓をひく士人騎兵二十万が養われていた。野蛮な兵士たちは強い弓に腕をきたえて、かいなが長く、みな猿のような体格で太刀打ちができないものだった。
皇都三千里,來往同雕鳶。」#-7

皇都長安にいたるまでの道のり三干里、参勤する安禄山の隊列は、くまたか、鳶のごとく往還して土地、土地のみつぎ物を吸いあげてゆくのである。
五里一換馬,十里一開筵。
指顧動白日,暖熱回蒼旻。
公卿辱嘲叱,唾棄如糞丸。』#-8

#5
例(ためし)として賢なる牧伯(はくばく)を以てし、徴(め)し入れては陶鈞(とうきん)を司(つかさ)どらしむ。
降(くだ)りて開元中に及ぶや、姦邪(かんじゃ) 経綸(けいりん)を撓(ゆが)めたり。
晋公 此の事を忌(い)み、多く辺将の勲を録す。
因(よ)りて猛毅(もうき)の輩(やから)を令(し)て、升平(しょうへい)の民を雑牧(ざつぼく)せしむ。』
#6
中原 遂に故(こと)多く、除授(じょじゅ)するは至尊に非ず。
或いは倖臣(こうしん)の輩(はい)より出で’、或いは帝戚(ていせき)の恩に由る。
中原 屠解(とかい)に困(くる)しみ、奴隷 肥豚(ひとん)に厭(あ)く』

7

皇子は棄()てられて乳(そだ)てられずして、楸房に禿渾を抱く

重き賜(たまもの) 中国を竭くし、強兵 北辺に臨む

控弦(こうげん) 二十万、長臂(ちょうひ) 皆 猿の如し。

皇都(こうと) 三千里、来往すること雕鳶(ちょうえん)に同(ひと)し。


#8
五里(ごり)に一たび馬を換え、十里に一たび筵(むしろ)を開く。
指さし顧みれば白日をも動かし、煖熱(だんねつ) 蒼旻(そうびん)を回らす。
公卿(こうけい) 嘲叱(ちょうしつ)に辱(はずかし)められ、唾棄(だき)せらるること糞丸(ふんがん)の如し。




現代語訳と訳註
(本文) #-7

皇子棄不乳,椒房抱羌渾。
重賜竭中國,強兵臨北邊。
控弦二十萬,長臂皆如猿。
皇都三千里,來往同雕鳶。」

(下し文) #7
皇子は棄(す)てられて乳(そだ)てられずして、楸房に禿渾を抱く
重き賜(たまもの) 中国を竭くし、強兵 北辺に臨む
控弦(こうげん) 二十万、長臂(ちょうひ) 皆 猿の如し。
皇都(こうと) 三千里、来往すること雕鳶(ちょうえん)に同(ひと)し。


(現代語訳)
楊貴妃が玄宗の寵愛をいいことに、李林甫は生れてくる正腹の嫡子は棄てられて育てなかった、(太子瑛、鄂王瑤、光王琚は讒殺され)異常な事に安禄山とわむれに親子のちぎりを結ぶ有様で、禁男の後宮、山椒を塗りこめたその居間で、脱生日を祝うことによせて、安禄山を錦織りのおむつで包み、宮女達にかつがせて楊貴妃は遊びたわむれた。
安禄山への寵愛、信任は日常的にあつく、手厚い賜物はほとんど国中の富を使いつくすほどひどかった。その上、范陽節度使、河北道採訪処置使、河東節度使と、次次に節度使を兼任し、遂に北辺一帯、三道の広大な地域に彼の部下の兵が駐屯し、安禄山がそれに君臨した。
范陽の幕府には強い弓をひく士人騎兵二十万が養われていた。野蛮な兵士たちは強い弓に腕をきたえて、かいなが長く、みな猿のような体格で太刀打ちができないものだった。
皇都長安にいたるまでの道のり三干里、参勤する安禄山の隊列は、くまたか、鳶のごとく往還して土地、土地のみつぎ物を吸いあげてゆくのである。


(訳注)#7
皇子棄不乳,椒房抱羌渾。
楊貴妃が玄宗の寵愛をいいことに、李林甫は生れてくる正腹の嫡子は棄てられて育てなかった、(太子瑛、鄂王瑤、光王琚は讒殺され)異常な事に安禄山とわむれに親子のちぎりを結ぶ有様で、禁男の後宮、山椒を塗りこめたその居間で、脱生日を祝うことによせて、安禄山を錦織りのおむつで包み、宮女達にかつがせて楊貴妃は遊びたわむれた。
皇子棄不乳 通説に従い、李林甫がヽ玄宗皇帝の本予、太子瑛、鄂王瑤、光王琚を讒殺したことを指す。○椒房抱羌渾 ・椒房:山椒を壁に塗りこめてある後官の女子の居間をいう。ここでは楊貴妃が禁男の後宮に安禄山を召し入れ、彼の誕生日を祝うとして、錦繍の大きなオムツで禄山を包み、遊び戯れた史実をざす。安縁山は北方の胡人の混血であるが、羌渾即ち西方の異民族の名で呼ばれるような食生活、残虐性はその功績より上回った。安禄山は楊貴妃の養子となったもの。


重賜竭中國,強兵臨北邊。
安禄山への寵愛、信任は日常的にあつく、手厚い賜物はほとんど国中の富を使いつくすほどひどかった。その上、范陽節度使、河北道採訪処置使、河東節度使と、次々に節度使を兼任し、遂に北辺一帯、三道の広大な地域に彼の部下の兵が駐屯し、安禄山がそれに君臨した。
重賜 玄宗は安禄山を愛し、異常に手厚い賜物をほどこしている。○強兵臨北辺 安禄山は742年天宝元年平盧の節度使となり、以後、范陽の節度使を兼ね、東平郡王となり、河北道の採訪処置使を、そしてまた河東の節度便を兼ねた。かくて751年天宝十年には、北辺一帯三道の軍政は彼の掌中に帰した。中国国内最大、最強の軍を持っていた。それに国内の不平分子、諸侯、潘鎮らが媚を売って従っていた。遊び戯れることが安禄山を手なずけることと勘違いをするまでに強う勢力となったのだ。


控弦二十萬,長臂皆如猿。
范陽の幕府には強い弓をひく士人騎兵二十万が養われていた。野蛮な兵士たちは強い弓に腕をきたえて、かいなが長く、みな猿のような体格で太刀打ちができないものだった。
控弦 弓ひく異民族の兵士。漢書の匈奴伝に「控弦の士三十万。」と。安禄山はその鎮范陽に於いて奚人の歩騎二十万を蓄えていた、と史伝に見える。○長臂 肘から肩までの間を臂という。「史記」に「李広は人と為り、猨臂長し。其の善く射ること亦た天性なり。」(李将軍列伝)と見える。この表現はこれにもとづく。弓を引くに最適な体型を言うのであるが、強い軍隊を示す表現ということである。立ち向かうものがないということを言うのである。


皇都三千里,來往同雕鳶。」
皇都長安にいたるまでの道のり三干里、参勤する安禄山の隊列は、くまたか、鳶のごとく往還して土地、土地のみつぎ物を吸いあげてゆくのである。
三千里 安禄山は范陽節度使だったが、范陽(今の北京)は長安の北東二千五百二十里、約1450kmのところにある。なお中国の一里は、五七六メートル。○雕鳶 くまたか。北方に棲む李白の『戦城南』。『行行游且獵篇』など千里を見渡し、獲物を見つけ、骨までしゃぶりつくすことを意味している。安禄山は平生から、略奪を平気でできる人間であるから、先に貢物を差し出すということである。